和希そらの生い立ち|両親と兄2人との家族、ダンサー志望から宝塚96期へ

和希そらの生い立ちと家族、ダンサー志望から宝塚96期までを紹介する人物イラスト

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
かずきそら
カテゴリー
女優
出身地
岡山県
生年月日
1992年10月5日
芸能活動開始
2010年
女優デビュー
2010年
デビューのきっかけ
劇団・養成所

和希そらさんは、宝塚歌劇団の宙組、雪組で男役として舞台に立ち、2024年2月11日に退団した俳優です。

2014年には『ベルサイユのばら―オスカル編―』で新人公演初主演を務め、その後も主演作を重ねてきました。

ただ、子どものころから宝塚を目指していたわけではなく、小学生時代に思い描いていた夢はダンサーでした。

幼稚園のお遊戯会を見ていた母親がダンスに向いていると感じたことから踊り始め、その後に母親と観た宝塚の舞台が進路を変えることになります。

今回は、そんな和希そらさんの生い立ちや家族、学生時代、宝塚を目指したきっかけ、96期生としての初舞台から退団後の外部舞台での再出発までをご紹介します。

和希そらの生い立ち|岡山でダンスに夢中になった子ども時代

和希そらさんは1992年10月5日生まれ、岡山県出身です。

舞台との付き合いは宝塚へ入ってから始まったのではなく、もっと幼いころから生活の中心にダンスがありました。

母が見つけた「踊るのが好き」|幼稚園の発表会からダンスへ

ダンスを始めるきっかけを作ったのは母親でした。

幼稚園のお遊戯会で踊っている娘を見た母親が「ダンスを習わせてみたらいいのでは」と考え、ジャズダンスやガールズヒップホップを教える教室へ連れて行ったそうです。

そこでダンスに夢中になり、小学生になるころには将来の夢がダンサーになっていました。

小学生の時にはダンサーになるのが夢でした。

出典:バレエチャンネル「【インタビュー】和希そら『ミュージカル 神経衰弱ぎりぎりの女たち』~ずっとずっと踊ってきた。私はダンスが大好きです!」(2026年3月21日)

幼いころから好きだったダンスグループの舞台を観に行き、ジャズダンサーの原田薫さんにも憧れていたと後年のインタビューで明かしています。

宝塚より先に「踊る人になりたい」という夢があったのが、和希そらさんの舞台人生の始まりでした。

小学生の夢はダンサー|たくさんの習い事で唯一続いたダンス

子どものころはダンスだけを習っていたわけではなく、好奇心のままにさまざまな習い事へ挑戦させてもらっていました。

ところが、飽きっぽいところもあったという本人が長く続けたのはダンスでした。

唯一続いたのがダンスだったんです

出典:LEE「【雪組・和希そらさん】自分の人生を自分の足で歩くこと【宝塚スター|ことばの力】」(2023年10月19日)

勉強のためにダンスを休みたくなかったため、学校の授業中にできるだけ内容を吸収し、踊る時間を確保していたとも話しています。

途中でダンスをやめたいと思ったことは一度もなく、毎日のように踊っていた子ども時代でした。

和希そらの家族|両親と2人の兄に囲まれて育った末っ子

和希そらさんの生育家族として確認できるのは、父親、母親、そして2人の兄です。

幼いころは兄たちの影響もあり、おとなしく家の中で過ごすというより、外で活発に遊ぶ子どもでした。

兄2人とその友人に混じって遊んだ負けず嫌いな子ども時代

遊び相手は2人の兄だけではなく、その友人たちも一緒でした。

幼い頃の遊び相手は二人の兄とそのお友達。

出典:LEE「【雪組・和希そらさん】自分の人生を自分の足で歩くこと【宝塚スター|ことばの力】」(2023年10月19日)

男の子たちに囲まれて遊んでいたため生傷が絶えず、本人は当時を「お転婆娘」だったと振り返っています。

負けず嫌いでもあり、誰かが走り始めると自分から競争を仕掛けるほどでした。

2人の兄のあとをついて遊ぶ末っ子という家庭での姿は、舞台上の男役からは少し離れた、子ども時代の和希そらさんを想像しやすいエピソードです。

両親が「やりたい」を止めなかった家庭環境

両親は、子どもの興味に対して細かく制限を設けるというより、本人が「やってみたい」と思ったことを経験させる育て方をしていました。

そのため、和希そらさんは幼少期にさまざまな習い事を経験しています。

やがて宝塚を目指したいと言い出したときにも、両親はその選択を反対しませんでした。

本人は大人になってから、両親は「自分で考え、自分が進む道を自分で選ぶ」ことを教えてくれていたのかもしれないと振り返っています。

母親はダンスを始める入口を作っただけでなく、プロになったあとも舞台を観た際には、本人から感想や気になった点を尋ねられる存在だったそうです。

中学卒業から宝塚へ|初観劇をきっかけに96期生として初舞台

ダンサーを夢見ていた和希そらさんが宝塚へ向かうきっかけも、長く続けていたダンスの先にありました。

通っていたダンス教室の先生が元タカラジェンヌだったことで宝塚を知り、母親と実際の舞台を観に行きます。

母と見た宝塚で「大きな舞台で踊りたい」と思う

本人は後年のインタビューで、初めて宝塚を観たのは小学校6年生ごろだったと話しています。

それまで思い描いていた「ダンサー」という夢が、この観劇を境に具体的な舞台へ向かい始めました。

私もここで踊りたい!と思い、目指すようになりました。

出典:Musical Theater Japan「『ジキル&ハイド』和希そらインタビュー:一つの出会いによって大きく変容して行く“ルーシーの人生”」(2026年2月20日)

宝塚を目指すようになってからも、宝塚受験専門のスクールへ切り替えたわけではありません。

それまで通っていたダンススクールを続けたまま受験し、本人は入学試験そのものも楽しんで受けられたと振り返っています。

岡山市立旭東中から宝塚音楽学校へ|高校ではなく舞台の道へ

中学校は岡山市立旭東中学校に通っていました。

そして中学校を卒業すると、一般的な高校へ進むのではなく、そのまま宝塚音楽学校へ進学します。

中学卒業後すぐに舞台人になるための環境へ入ったことになります。

小学生のころから続けていたダンスは、学校生活のかたわらにあった趣味ではなく、この時点で進路そのものになりました。

2010年『THE SCARLET PIMPERNEL』で初舞台、宙組へ

宝塚音楽学校で学んだあと、2010年に宝塚歌劇団へ入団しました。

和希そらさんは宝塚歌劇団96期生で、同期生たちと2010年4月の『THE SCARLET PIMPERNEL』で初舞台を踏んでいます。

その後は宙組へ配属されました。

モデルや歌手として先に芸能活動をしていたわけではないため、和希そらさんの場合は、宝塚歌劇団への入団とプロの舞台俳優としての活動開始がほぼ同じ時期です。

宝塚の男役としてキャリアを重ねる|新人公演初主演から宙組・雪組の転機

初舞台を踏んだからといって、そのまま順調に役が大きくなっていったわけではありません。

入団後には、努力をしても目指している場所へなかなか届かず、悔しさやもどかしさを感じる時期も経験しました。

入団後の挫折と2014年『ベルサイユのばら』新人公演初主演

周囲と比べてしまうなかで、和希そらさんが支えにしたのが、自分自身へ意識を戻すための言葉でした。

人は人、自分は自分

出典:LEE「【雪組・和希そらさん】自分の人生を自分の足で歩くこと【宝塚スター|ことばの力】」(2023年10月19日)

そして入団5年目の2014年、『ベルサイユのばら―オスカル編―』で新人公演のオスカル役に抜擢されます。

この公演が和希そらさんにとって新人公演初主演となりました。

本公演では凰稀かなめさんが演じたオスカルを、新人公演では和希そらさんが担当しています。

2018年『ハッスル メイツ!』から主演作を重ねる

次の大きな節目は、2018年の『ハッスル メイツ!』でした。

宙組誕生20周年と宝塚バウホール開場40周年が重なる年に上演されたショーで、和希そらさんが主演を務めています。

スポーツニッポンの当時の取材では、この作品が本人にとって初主演作として紹介されました。

さらに2021年には『夢千鳥』で主演し、2018年以来3年ぶりに宝塚バウホールの主演舞台へ立ちます。

新人公演でのオスカルから、バウホールで作品を背負う主演へと、舞台で担う役割も変化していきました。

女性役で得た発見と2021年の雪組組替え

少し時間を戻すと、『ハッスル メイツ!』で主演する前の2018年1月には、『WEST SIDE STORY』でアニータを演じています。

男役として活動していた和希そらさんにとって、これが初めて本格的に取り組んだ女性役でした。

男役では感じられない発見があって、すごく意味のある挑戦だった

出典:スポニチ「和希そら 初主演『記念の年にふさわしいものを…』女役経験し新境地開く」(2018年7月28日)

その後も『アナスタシア』などで女性役を経験し、男役か女役かという枠よりも「その役を演じる」ことへ意識を向けるようになったと後年に話しています。

2021年12月には、長く在籍した宙組から雪組へ組替えとなりました。

雪組では2022年『心中・恋の大和路』で亀屋忠兵衛、2023年『双曲線上のカルテ』でフェルナンド・デ・ロッシを演じ、いずれも主演を務めています。

宙組で新人公演初主演やバウホール主演を経験し、雪組へ移ってからも主演作を重ねるという流れで、宝塚での舞台経験は積み上がっていきました。

2024年の退団とその後|『9 to 5』で外部舞台へ再出発

2023年12月には、自身の名を冠したディナーショー『Vie.』を開催しました。

そして翌2024年、約14年間在籍した宝塚歌劇団を離れる日を迎えます。

2024年2月11日に宝塚歌劇団を退団

和希そらさんが宝塚歌劇団を退団したのは、2024年2月11日です。

東京宝塚劇場で上演された『ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル』『FROZEN HOLIDAY』の千秋楽をもって、宝塚での舞台生活を終えました。

退団後のインタビューでは、退団時に抱いていた気持ちについて、自分のこれからの人生そのものを楽しみにしていたと振り返っています。

宝塚を離れたことは演技を始めた瞬間ではなく、2010年から続けてきた舞台俳優としての活動場所が変わった節目として捉えるのが自然です。

退団後初ミュージカル『9 to 5』で新しい環境へ

退団後の最初のミュージカルとして選んだのが、2024年10月に開幕した『9 to 5』でした。

和希そらさんが演じたのは、会社で働き始めたばかりのジュディ・バーンリーです。

退団後はいくつかの出演の話があったなかで、最初に新しい世界へ踏み出す作品をどうするか、自分自身で考えていたと明かしています。

「ここをスタート地点に」と決めていた

出典:BAILA「【和希そらさん】宝塚退団後、初登場!『挑戦の先に見える未来に期待』今の心境を語る〈インタビュー前編〉」(2024年7月3日)

『9 to 5』の稽古場では男性の演者がいることも新鮮だった一方、男役から別の何かへ無理に切り替えようとはせず、自然な状態で新しい環境へ入っていったと話しています。

宝塚で培った舞台経験を持ったまま、外部のミュージカルへ活動の場を移したのが、この時期の和希そらさんでした。

開幕を目前に控えた2024年10月2日には、『9 to 5』公式Xのカウントダウンにもジュディ役の和希そらさんが登場しています。

2024年10月、『9 to 5』は日本青年館ホールで開幕し、和希そらさんはジュディ・バーンリー役で退団後初のミュージカル舞台に立ちました。

中学生で宝塚への道を選んだときとは違う環境で、再び一つ目の舞台を選んで始めたのが『9 to 5』でした。