PROFILE
人物プロフィール
乃木坂46の1期生として13歳から活動し、シングル表題曲のセンターや雑誌モデルを経験したのち、映画やドラマで役を重ねてきた齋藤飛鳥さん。
芸能活動の始まりを乃木坂46への加入と考えられがちですが、実際には小学生のころに演技とダンスを学び、映画にも出演していました。
一方で、小学校高学年から学校へ通う日が減り、中学校ではアイドルの歌を聴いて励まされていた時期があります。
母親と知人に勧められて受けたオーディションが、学校から距離を置いていた13歳の生活を大きく変えました。
今回は、そんな齋藤飛鳥さんの生い立ちや家族、学生時代、乃木坂46へ入ったきっかけ、俳優として活動を広げるまでをご紹介します。
齋藤飛鳥の生い立ち|葛飾で過ごした子ども時代
齋藤飛鳥さんは、1998年8月10日に東京都で生まれ、葛飾区で育ちました。
のちに見せる静かな印象とは違い、子どものころからずっとおとなしかったわけではありません。
兄2人と虫取りやゲームをした活発な幼少期
小学校低学年までは外で遊ぶことが多く、2人の兄と一緒に虫を捕ったり、ゲームをしたりしていました。
低学年のころはけっこう活発な子でしたね。
出典:Aneひめ.net「齋藤飛鳥さんの『子ども時代』そして卒業してより強く感じる『乃木坂46』の『歌の力』」(2024年3月7日)
小学校3年生ごろになると遊び方が変わり、ビーズのおもちゃや光るシールを集めるようになりました。
好きだったディズニープリンセスは『リトル・マーメイド』のアリエルで、明るい性格と長い髪にひかれていたそうです。
人形の髪を切り、絵の具で色を付けて遊んだ小学生
人形遊びでは、ままごとの筋書きを作るよりも、人形の髪に触ることを好みました。
自分で髪を切り、薄く溶いた絵の具で色を付けることまで試しています。
普通のままごとをしてみたものの、途中で違うと感じ、髪形を変える遊びへ切り替えたのだといいます。
活発に振る舞うことにも途中から違和感が生まれ、学年が上がるころにはおとなしい人物として振る舞うことも試しました。
周囲をよく見る癖はこのころからあり、乃木坂46へ入ってからも先輩たちの立ち方や受け答えを観察して取り入れていました。
劇団日本児童で演技とダンスを学び『さくらん』へ
乃木坂46へ入る前には、劇団日本児童で演技とダンスのレッスンを受け、山王プロダクションの子役として活動していました。
2007年公開の映画『さくらん』に、とめき役で出演しています。
公開時は8歳で、これが確認できる初期の映像作品です。
2010年には、テレビ東京系『ピラメキーノ』の恋愛企画「子役恋物語」にも参加しました。
ただし、この子役期から途切れず俳優活動を続けたわけではなく、その後は乃木坂46での歌唱やダンス、モデルの仕事が活動の中心になります。
齋藤飛鳥の家族|日本人の父・ミャンマー人の母・2人の兄
家族について語る場面には、ユーモアのある父母の姿や、兄たちとの距離の変化が具体的に出てきます。
学校へ足が向かなくなった時期にも、乃木坂46の仕事が増えたあとにも、家族はそれぞれの距離から本人を見ていました。
日本人の父とミャンマー人の母のもとで育つ
父が日本人、母がミャンマー人であることは、本人のインタビューやテレビ番組でも紹介されています。
父について語る機会は多くありませんが、父の日にはネクタイなどを贈ったことがありました。
母は本人いわく「めちゃくちゃ陽気」で、自分から冗談を言うタイプです。
静かな娘が冷静に突っ込みを入れるというやり取りも、母娘の日常でした。
父は指輪などの光る物が好きで、小指の爪にはラメ入りのマニキュアを塗っていたと、齋藤飛鳥さんがラジオで楽しそうに話したことがあります。
2人の兄と育った末っ子の家での姿
齋藤飛鳥さんは、3人きょうだいの末っ子として育ちました。
2022年に兄たちとの関係を聞かれた際には、2人とも別々に暮らしており、それほど会話はしないと答えました。
子ども時代を一緒に過ごした兄たちとは、成長とともに生活の場所が分かれました。
学校へ行けない時期を受け止め、仕事も見守った母
登校する日が減ったころ、家の中では母がそばにいました。
でも唯一母親は、「無理することない」と、そんな私を受け入れてくれたんです。
出典:ORICON NEWS「乃木坂46・齋藤飛鳥が明かす高校時代の葛藤、学校に馴染めない人も『意外となんとかなる』」(2019年7月1日)
成長後も仕事や悩みを詳しく相談するわけではありませんが、母が家へ来て少し話すだけで気持ちを切り替えられたそうです。
乃木坂46で活動する娘の写真や動画も確認し、新しい仕事を知ると「おめでとう」と連絡していました。
街で娘のポスターを見つけたときには、撮影した写真を送ってくることもありました。
齋藤飛鳥さんも、そんな母にとって希望でありたいと話しています。
齋藤飛鳥の学生時代|学校との距離が生まれた小中学校時代
小学校低学年を活発に過ごした齋藤飛鳥さんは、学年が上がるにつれて人間関係や学校生活に難しさを感じるようになりました。
小学校高学年から登校する日が減っていった
小学校高学年になるころから登校する日が次第に減り、中学校でも学校から距離を置く時期がありました。
本人は後年、特定の一件だけを原因にするのではなく、人間関係をうまく作れなかったことや学校生活になじめなかったことを話しています。
地元にいたころの自分も好きではなく、教師たちがかける言葉を受け取れない状態でした。
その後、ドキュメンタリー映画の撮影で地元へ戻り、同級生に迎えられたときには、過去に立ち返ることも悪くないと思えたそうです。
出身小学校・中学校・高校については具体的な校名が広く掲載されていますが、本人や所属先が公表した資料では校名を確認できません。
中学校では吹奏楽部に入り、アイドルの歌に励まされた
小学4年生のとき、学校のダンスクラブの児童が踊っていた曲を調べたことから、アイドルの歌をよく聴くようになりました。
4年生ではお笑いクラブ、5年生ではテニスクラブ、6年生では合奏クラブに入り、合奏ではティンパニを担当しています。
中学校では吹奏楽部に所属し、サックスやバスクラリネットを担当しました。
学校へ足を運べない日は家で過ごすことが多く、テレビや音楽が日々の楽しみになっていきます。
なかでもアイドルの明るい歌に励まされましたが、最初から自分もアイドルになろうと決めていたわけではありません。
13歳で乃木坂46へ|オーディションから表題曲初センターまで
中学1年生の夏から高校卒業までの多くの時間を、齋藤飛鳥さんは乃木坂46の活動とともに過ごしました。
合格後すぐに活動が安定したのではなく、選抜に入る時期と入らない時期を経験しながら、学校と仕事を並行しています。
母と知人に勧められ、半ば諦めながら受けた1期生オーディション
当時は学校へ行かず家にいることが多く、母と周囲の知人からオーディションを勧められました。
審査会場には歌の上手な参加者や特技を積極的に披露する参加者が多く、齋藤飛鳥さんは途中で合格を期待しなくなったといいます。
歌唱審査では、当時よく聴いていた西野カナさんの『if』を歌いました。
無理だなと思って半分諦めてたから、「別になんでもいいや」みたいな感じだった気がします。
出典:J-WAVE NEWS「齋藤飛鳥『半分諦めてた』 乃木坂46のオーディションを振り返る」(2019年11月18日)
作り込んだ自己紹介ではなく、そのままの受け答えで複数の審査を進みました。
2011年8月21日、応募総数3万8,934人のなかから乃木坂46の1期生に選ばれました。
当時13歳で、1期生の最年少メンバーでした。
合格後は中学校の吹奏楽部を退き、乃木坂46のレッスンへ通い始めました。
加入から10年後、後輩を募るために公開された公式映像では、仲間との関係によって自分の見方が変わったことを話しています。
デビュー曲選抜のあと、選ばれない時期も経験
2012年2月22日発売のデビューシングル『ぐるぐるカーテン』では、表題曲を歌う選抜メンバーに入りました。
しかし、その後は表題曲の選抜から外れることも多く、本人が「波のある乃木坂人生」と表現する時期を過ごします。
乃木坂46では、シングル表題曲の歌唱メンバーを「選抜」、それ以外のメンバーを中心に歌う楽曲やその活動を「アンダー」と呼びます。
13歳、14歳のころは先の位置を計算するよりも、初めて経験する歌やダンスを楽しんでいました。
選ばれない時期にもライブや楽曲参加を続け、少しずつグループの外の仕事も増えていきます。
中学・高校と仕事を並行し、大学受験はしなかった
乃木坂46への加入は中学1年生の夏だったため、中学校と高校の時期はほぼグループ活動と重なりました。
高校生になると、周囲から持たれているイメージへ応えようとして、実際の自分との違いに苦しむこともありました。
学校と仕事を行き来しながら、周囲が思い描く「乃木坂46の齋藤飛鳥」を意識して振る舞う日々でした。
高校卒業後は芸能活動を続け、大学受験はしていないと本人が明言しています。
大学名や中退歴を示す情報はなく、進学せず仕事を選んだ経歴です。
『CUTiE』専属モデルを経て『裸足でSummer』の表題曲初センターへ
2015年、16歳で、宝島社の女性ファッション誌『CUTiE』初の専属モデルに起用されました。
その直前には同誌2015年2月号で初めて単独表紙を飾り、前髪を上げて眉を見せる撮影にも挑んでいます。
それまで写真や映像に撮られることを好まなかったものの、モデルの仕事を通して撮影への見方が変わっていきました。
同誌の休刊後は『sweet』のレギュラーモデルとなり、アイドル衣装とは異なる服やメイクでカメラの前に立つ仕事を続けます。
モデル、ラジオ、ドラマなど、挑戦した仕事そのものに興味が生まれるようになりました。
2016年には、15枚目シングル『裸足でSummer』で表題曲のセンターを任されます。
もう決まったことなんだからやるしかないなと気持ちを切り替えて、今は頑張ってるところです。
出典:Real Sound「乃木坂46新センター齋藤飛鳥、自身の成長を控えめに語る 『挑戦したことすべてに興味が出てきた』」(2016年7月27日)
同曲のヒット祈願では、母の母国であるミャンマーへ一人で渡り、現地の寺院を目指しました。
2012年の『海流の島よ』は楽曲での初センター、2016年の『裸足でSummer』はシングル表題曲での初センターです。
乃木坂46在籍中に本格的な演技仕事へ
乃木坂46加入後は、音楽とモデルの仕事が先に広がり、演技の仕事が連続するのはそのあとでした。
2015年の舞台とグループのドラマ出演を経て、2016年から主演ドラマ、初主演舞台、映画と異なる場所で演技へ向き合う機会が続きます。
『少女のみる夢』で初めて本格的なドラマに主演
2015年の乃木坂46総出演ドラマ『初森ベマーズ』では、イシノモリ役で出演しました。
翌2016年、テレビ朝日系の単発ドラマ『少女のみる夢』で、星野みなみさんとダブル主演を務めます。
演じた日高七海は、昏睡状態のまま意識だけで過ごし、同じ状態になった少女・沙良と出会う役でした。
主演だと知らないまま台本を渡され、演技経験の少ない自分たちで作品を支えられるのかと不安になり、その場で泣いたそうです。
星野さんとは握手会の合間にもせりふを合わせ、本番へ備えました。
監督からは、せりふを発する感情と声の演技を大切にするよう教わりました。
自分と違う人間になれるお芝居の楽しさを感じています。
出典:乃木坂46公式サイト「齋藤飛鳥、星野みなみW主演のドラマ『少女のみる夢』が7月3日深夜にテレビ朝日系で放送!」(2016年6月12日)
初主演舞台『あさひなぐ』で主人公を演じる
初めて舞台に立ったのは2015年の『じょしらく』で、乃木坂46内の公開オーディションを通過し、暗落亭苦来を演じました。
2017年には、漫画を舞台と映画に展開する企画『あさひなぐ』の舞台版で主人公・東島旭に選ばれました。
旭は中学校まで美術部で、頼りない自分を変えようと、高校で初めてなぎなた部へ入る人物です。
一つの舞台で主人公を担うのは、この作品が初めてでした。
なぎなたの稽古を始めたころは思うように体を動かせず、本番までに体が競技へなじむことを期待しながら練習しました。
感情を表へ出すことが得意ではないため、当初は舞台に向いていないのではないかとも考えています。
稽古と公演を重ねるなかで表現する面白さを知り、観客がいる場所で生まれる緊張感も楽しめるようになりました。
映像のように撮り直せない舞台で、感情と身体を毎公演動かす経験を積みました。
公演は東京、大阪、愛知の3会場で全27回行われ、最後まで主人公として舞台に立ちました。
『あの頃、君を追いかけた』で芝居への関心が強まる
2018年公開の映画『あの頃、君を追いかけた』では、山田裕貴さん演じる主人公が思いを寄せる早瀬真愛役を務めました。
子役期の映画出演とは性格が異なり、初めて長編映画のヒロインを担い、高校時代から10年間にわたる真愛の変化を演じています。
自分の10代を乃木坂46へ注いできたため、同級生と過ごす一般的な学生生活を役のなかで初めて体験しました。
感情を表に出しにくい本人にとって、楽しいときの笑い方一つを考えることにも難しさがありました。
この映画を終えた20歳のとき、次に挑戦したい仕事について尋ねられました。
また何かしらの形で演じてみたいなと思っています。
出典:rockin’on.com「20歳になった齋藤飛鳥が初出演映画について、そして乃木坂46という『青春』を語る」(2018年9月21日)
『映像研には手を出すな!』から乃木坂46卒業後の俳優活動へ
映画で再び演じたいと話したあと、齋藤飛鳥さんは役作りの方法を探しながら、映像作品への出演を重ねました。
乃木坂46を卒業するときには芸能界を離れる道も検討しましたが、受け取った仕事へ向き合うことを選びます。
元気な小学生を観察して浅草みどり役を作る
2020年、ドラマと映画で実写化された『映像研には手を出すな!』に主演し、アニメ制作を夢見る浅草みどりを演じました。
小声で静かに話す普段の自分とは違い、浅草は独特な口調で勢いよく動く人物です。
自分のなかだけでは役の動きが見つからず、子どもの動画を探し、街を歩く元気な小学生も観察しました。
撮影が進むうちに浅草の声や話し方が自然に出るようになり、役を離れた場面でも共演者へ自分から話しかける変化がありました。
2023年には、前後の場面から感情の流れを組み立てて撮影へ入ることが、以前より少しずつできるようになったと話しています。
卒業時に引退や会社員も考え、芸能活動を続ける
2022年11月4日に乃木坂46卒業を発表し、31枚目シングルを最後のグループ活動にすると伝えました。
グループとしての活動は同年末に終え、2023年5月17日と18日に東京ドームで卒業コンサートを行っています。
卒業を決めた時点では、そのまま芸能界を引退する選択肢も現実的に考えました。
以前から興味のあった会社に勤めることも考えました。
出典:CLASSY.「齋藤飛鳥さん(27)『乃木坂46を卒業する時、引退して会社に勤めることも考えました』」(2026年3月12日)
実際に採用情報も見ましたが、24歳で新しい環境へ移るには大きな覚悟が必要だと感じ、選択肢を考え直しました。
2026年のインタビューでは、卒業時に芸能活動を続け、まず30歳までは依頼された仕事へ責任を持って取り組むと決めたことを明かしました。
卒業後はドラマ『いちばんすきな花』や『マイホームヒーロー』などへ出演し、グループ活動と並行せず一つの役に使える時間が増えました。
それでも本人は「俳優」と名乗ることに慎重で、届いた役には自分を選んだ理由があると考えて応えようとしてきました。
『【推しの子】』のアイ役で新人俳優賞を受賞
実写版『【推しの子】』で、物語の中心となるアイドル・星野アイ役の依頼を受けたときは、一度断っています。
乃木坂46を卒業したばかりで、25歳になって再びアイドルを演じることへの迷いがあり、原作の人気の大きさにも不安を感じたためです。
制作側が、明るさだけではなく影の部分を持つ人に演じてほしいと考えていることを聞き、アイと自分に重なる部分もあると知って引き受けました。
自分のアイドル経験へ役を寄せすぎず、アイにはアイの考えがあるとして距離を保ちながら演じています。
ドラマ版に続いて、2024年12月公開の映画『【推しの子】-The Final Act-』でもアイ役を務めました。
2025年3月14日の授賞式では、新人俳優賞の壇上に立ち、作品やスタッフとの出会いに恵まれたことへ感謝を伝えました。
















