PROFILE
人物プロフィール
映画やドラマで主演を務め、2017年には『勝手にふるえてろ』で長編映画初主演を果たした松岡茉優さん。
その芸能生活は、本人がオーディションへ応募したことでも、街でスカウトされたことでもなく、8歳のときに妹がスカウトされたことから始まりました。
子役として芸能事務所へ入ったものの、幼いころから芝居に自信があったわけではなく、本人が本気で俳優を目指したと振り返るのは15歳になってからです。
その間には、13歳で『おはスタ』のおはガールに選ばれた経験や、仕事と並行した学校生活、転校後の高校でほとんど友達を作らずに過ごした時期もありました。
今回は、そんな松岡茉優さんの生い立ちや家族、子役時代、高校生活、芸能界入りから女優として大きな転機を迎えるまでをご紹介します。
松岡茉優さんの初期経歴
8歳:芸能事務所へ
13歳:『おはスタ』のおはガールに
15歳:俳優を本気で目指し始める
16歳:『桐島、部活やめるってよ』の撮影時期に大きな転機を迎える
松岡茉優の生い立ち|東京都で育った子ども時代
松岡茉優さんは、1995年2月16日に東京都で生まれました。
幼いころから芸能活動だけをしていたわけではなく、学校では演劇クラブや演劇部に入り、ピアノを習うなど、いくつかの文化活動に触れながら育っています。
小学校では演劇クラブ、中学校では演劇部へ
小学校時代には演劇クラブに入り、中学校では演劇部に所属していました。
ただ、中学校の演劇部について本人は後年「幽霊部員」だったと振り返っており、学校演劇に打ち込んでいたというより、芸能活動と学校生活を並行しながら過ごしていたようです。
運動部の経験はなく、本人の言葉では小学生から高校生まで基本的に文化系のクラブや部活動を選んでいました。
一方で、小学生のころは外でもよく遊んでいたようで、後年のラジオでは小学3〜4年生ごろの写真はかなり日焼けしていたと懐かしそうに話しています。
ピアノも子どものころから中学1年生ごろまで習っており、楽譜を読める程度には続けていました。
子役として仕事をしながらも、学校では演劇だけに一直線だったわけではありません。演劇クラブ、ピアノ、のちの軽音部など、興味を持ったものへ自然に手を伸ばしていました。
高校では『けいおん!』に憧れ短期間だけ軽音部に
高校に入ると、当時人気だったアニメ『けいおん!』に影響を受け、ギターを購入して軽音部に入りました。
学生でも買える価格のギターを友人と探し、アニメに登場する楽器に似た色のものを選んだこともラジオで明かしています。
ところが、この軽音部生活は長くは続きませんでした。
その後、芸能活動を続けやすい環境へ移るため高校を転校したことから、軽音部にいられたのは数か月ほどだったと振り返っています。
芸能界に入ってからも、学校へ通いながら普通の部活動に興味を持つ高校生としての日常がありました。
松岡茉優の家族|両親と妹、8歳の芸能界入りにつながった家庭
松岡茉優さんの生い立ちを語るうえで欠かせないのが、父親、母親、そして妹の存在です。
特に妹は、松岡さん自身が芸能界へ入る直接のきっかけを作った人物でもあります。
母親が家庭を守り、父親が働いていた子ども時代
子どものころの家庭について、松岡さんは自身のラジオで、母親が家庭に入り、父親が働く家だったと振り返っています。
母が専業主婦をやって、父が働くというスタイルでした。
出典:radiko news「松岡茉優『ライチは果物の天下を取れると思う!』」(2020年8月26日)
普段の食事は母親が作ることが多く、小中学生のころにはホットサンドを朝食やおやつに作ってもらった思い出も残っています。
中学生のころ、母親が玉ねぎを長時間炒めてスパイスからカレーを作っている姿も見ており、一人暮らしを始めてから自分でも同じようなカレーを作るようになったそうです。
一方、普段あまり料理をしなかった父親との思い出として語っているのが、ある年末の「にゅうめん」でした。
『NHK紅白歌合戦』を見ていた夜、母親とまだ幼かった妹が眠ったあと、小腹が空いた松岡さんのために父親が温かいそうめんを作ってくれました。
味付けのりとたくあんがのった少し独特な一杯で、父親がたくあんを汁に押し込みながら食べ方を教えてくれた場面まで覚えていると話しています。
豪華な料理ではありませんが、大人になっても細部まで思い出せるほど、父親との記憶に残った食事でした。
妹のスカウトに同行し8歳で芸能事務所へ
松岡茉優さんの芸能生活が始まったのは、8歳のときです。
ただし、最初に声をかけられたのは松岡さん本人ではありませんでした。
妹が地元の駅でスカウトされ、子役を求めていた芸能事務所の面接を受けることになったのが始まりです。
母親は妹の面接へ行く際、姉である松岡さんも一緒に連れて行きました。
すると事務所側から姉にも声がかかり、そのまま松岡さんも芸能事務所へ所属することになりました。
自分から芸能界を目指して応募したのではなく、妹のスカウトと面接への同行が入口だったのです。
妹のスカウトから姉も子役の道へ
事務所へ入った松岡さんは、子役としてオーディションを受ける生活を始めました。
ところが、所属したからといって仕事が次々に決まったわけではありません。
本人は後年、オーディションに落ちる時期が長く続いたことを何度も振り返っています。
妹のスカウトによって偶然開いた芸能界への扉でしたが、その先では自分自身がオーディションを受け、役を得るための時間が始まっていました。
子役時代からおはガールへ|13歳で初めて「松岡茉優」として認められる
8歳で芸能事務所へ入ったあとも、松岡茉優さんの名前がすぐ広く知られるようになったわけではありません。
むしろ本人の記憶に強く残っているのは、オーディションを受けてもなかなか結果につながらなかった時期です。
事務所入り後はオーディションに受からない時期が続いた
子役時代は、オーディションを受けては落ちる経験を繰り返していました。
後年のインタビューでは、やりたいと思った役に何度も落ち、10代半ばには「このままでは間に合わないのでは」と焦った時期もあったと明かしています。
子どものころから芸能界にいたため、将来も芝居をする仕事に就くこと自体は自然に考えていた一方、実際のオーディションでは思うように役をつかめない日々が続きました。
そんな松岡さんに、13歳で大きな変化が訪れます。
『おはスタ』のおはガールが初めて自分自身を出せる仕事に
2008年、松岡茉優さんはテレビ東京系『おはスタ』のおはガールに選ばれました。
公式サイトの出演歴では、2008年から2010年までおはガールを務めたことが記録されています。
子役として誰かを演じる仕事とは違い、『おはスタ』では「松岡茉優」本人としてカメラの前に立ち、話すことができました。
『おはスタ』出演が、芸能界において“役割”をくれました
出典:ORICON NEWS「デジモン出演の松岡茉優、進化の原点『おはスタ』へ感謝 『芸能界での役割得た』13歳」(2020年2月20日)
当時はオーディションに落ちることが続いていたため、おはガールの合格が決まったときは家族全員で喜んだそうです。
松岡さんは、無名の子役だった自分に仕事だけでなく「役割」が与えられ、自分の存在を認めてもらえたように感じたと話しています。
13歳の『おはスタ』は、子役としての一出演ではなく、本人が芸能界で初めて自分の居場所を強く感じた仕事でした。
初期の演技仕事と子役デビューの時系列を整理
松岡茉優さんの経歴では、「芸能界入り」「子役としての演技」「おはガール」「本格的な女優活動」を一つの出来事として扱わないことが大切です。
8歳で事務所へ所属したあと、本人は子役としてオーディションを受け、演技の仕事にも携わっていました。
公式サイトに掲載されている初期の映画歴では、2009年公開の『愛のむきだし』で百合役、テレビドラマでは2010年のNHK『桂ちづる診察日録』でお道役が確認できます。
2011年にはテレビ東京系『鈴木先生』で堀の内七海を演じ、連続ドラマへ出演しました。
一方で、本人はこれらより前から「子役」として活動していたと明言しており、現在の公式作品一覧もすべての初期仕事を網羅した形ではありません。
そのため、特定の1作品だけを松岡茉優さんの「女優デビュー作」と断定するより、8歳で芸能界へ入り、子役として演技経験を重ね、13歳のおはガールを経て演技へ軸足を移したと整理する方が実際の経歴に合います。
「デビュー」の意味に注意
松岡茉優さんの場合、8歳の事務所入りと、子役として演技をした時期、『おはスタ』のおはガール、本格的に俳優を目指した時期はそれぞれ別の出来事です。
松岡茉優の学生時代|高校の転校と友達ができなかった2年間
子役やおはガールとして活動する一方で、松岡茉優さんは中学校、高校へ通いながら仕事を続けていました。
検索では出身高校や同級生についてもよく調べられていますが、本人が後年詳しく語っているのは、学校名そのものより転校後に友達ができなかった時期です。
芸能科のある高校へ転校し、ひとりで過ごす時間が増える
高校時代、芸能活動を続けるために芸能科のある学校へ転校しました。
ところが、新しい学校へ移ったあと、クラスメイトの輪へなかなか入れなかったといいます。
休み時間には一人でゲームをしたり、本を読んだりして過ごし、本人はのちにこのころを「ぼっち」だったと表現しています。
特に山田詠美さんの作品をよく読み、小説に登場する少し大人びた女性像へ憧れた時期もありました。
仕事の世界ではオーディションを受け続けながら、学校では一人で過ごす時間が多い高校生活を送っていたのです。
松岡茉優さんの高校について
本人の公の発言では「芸能科のある学校へ転校した」ことまで確認できます。具体的な学校名については本人が明言した一次情報で確定できないため、ネット上で挙がる学校名をここでは断定していません。
高校3年で百田夏菜子・朝日奈央との距離が縮まる
そんな高校生活が変わったのは、高校3年生になってからでした。
同級生には、ももいろクローバーZの百田夏菜子さんや、のちにタレントとして活躍する朝日奈央さんがいました。
最後の文化祭の準備期間中、百田さんと朝日さんがふざけている姿を見た松岡さんは、思わず笑ってしまいます。
それまでほとんど笑う姿を見せていなかったため、「松岡さんって笑うんだ」と声をかけられ、そこからクラスメイトとの距離が縮まっていきました。
転校後の約2年間をほぼ一人で過ごしたあと、高校3年生になって初めて友達ができたと本人は振り返っています。
百田さん、朝日さんとは卒業後も交流が続き、松岡さんは二人がそれぞれの場所で仕事をする姿を尊敬しているとも話しています。
大学へ進まず、芝居の仕事に集中する道を選ぶ
高校卒業を前にした松岡さんは、大学進学を選びませんでした。
大学へ行けなかったのではなく、自分で進学しない道を選んでいます。
お芝居(仕事)に集中したいなと思ったんです。
出典:radiko news「松岡茉優『冬の風を頰に感じて思ったこと』」(2021年1月12日)
子役のころから仕事を続けてきたため、大学の出席日数や試験と大切な撮影が重なる状況を避けたいという思いがあったそうです。
大学は何歳になってからでも学べると考え、高校卒業後は仕事一本の生活へ進みました。
芸能界入りは8歳でしたが、自分の進路として芝居を選ぶ意思は10代のなかで少しずつ明確になっていきました。
15歳で女優を本気で目指す|苦手だった芝居への意識が変わる
松岡茉優さんは子役として活動していたため、女優という仕事そのものは幼いころから身近な進路でした。
実際、『おはスタ』時代を振り返ったインタビューでも、子役として「当たり前のように女優を目指す」と思っていた時期があったと話しています。
ただし、本人が「本気で目指した」と区切っている時期は、もっと後です。
俳優を本気で目指したのは15歳の時からです。
出典:AdverTimes.「[動画]あまちゃんで大ブレーク——松岡茉優が見せる19歳の素顔」(2015年1月9日)
週1回の演技レッスンから逃げたかった子役時代
子役時代の松岡さんには、芝居への苦手意識がありました。
事務所では週1回の演技レッスンを受けていましたが、人前で失敗して恥をかくことへの抵抗が強かったそうです。
ニール・サイモンのシチュエーションコメディーを使ったレッスンの日には、お腹が痛いふりをして帰ったことまであったと明かしています。
あとになって、その仮病は周囲にすべて気づかれていたと知ったそうです。
8歳で事務所に入り演技の仕事も経験していましたが、幼いころから芝居に自信を持ち、積極的にレッスンへ向かうタイプだったわけではありませんでした。
芝居には正解がない面白さに気づく
苦手だった芝居への見方が変わったのは、自分が芝居を「好きなのかもしれない」と認めたことがきっかけでした。
松岡さんは、演技には終わりも一つの正解もなく、先輩俳優の芝居を見るたびに、そこまで行くまでは辞められないと思うようになったと話しています。
逃げたくなるほど苦手だった演技が、15歳ごろから自分で追いかけたい仕事へ変わりました。
「子役として芸能界にいたこと」と「自分の意思で俳優を目指すこと」は、松岡さんの中では同じタイミングではなかったのです。
連続ドラマの仕事が増え、演技へ軸足を移していく
芝居へ向き合い始めた時期と重なるように、10代半ばから演技の仕事も増えていきます。
2010年にはNHK『桂ちづる診察日録』でお道役を演じ、翌2011年にはテレビ東京系『鈴木先生』に堀の内七海役で出演しました。
『鈴木先生』は約3か月にわたる連続ドラマで、その後2013年には映画版にも同じ役で出演しています。
それでも、オーディションへ行けば順調に合格する状態になったわけではありませんでした。
16歳ごろの自分について、松岡さんは後年、オーディションを受けても受けても落ち、同世代の若手女優が頭角を現していくなかで強い焦りを感じていたと振り返っています。
その時期に受けた一本の映画のオーディションが、大きな転機になります。
『桐島、部活やめるってよ』で見つかる|16歳の撮影から女優としての転機へ
松岡茉優さん自身が、女優としてのキャリアを振り返る際に大きな作品として挙げているのが、吉田大八監督の映画『桐島、部活やめるってよ』です。
映画は2012年8月11日に公開されていますが、本人が吉田監督と出会った撮影時期について振り返った際には「当時は16歳」と話しています。
仕事が少なかった10代でつかんだ『桐島』の役
『桐島、部活やめるってよ』で演じたのは、女子高生の野崎沙奈でした。
それまでオーディションで結果が出ず焦りを抱えていた松岡さんにとって、吉田大八監督との出会いは特別なものになりました。
『桐島、部活やめるってよ』で吉田監督に見つけてもらったから、いまがあると思います。
出典:Real Sound「松岡茉優×宮沢氷魚が語り合う、切磋琢磨する仲間の存在 『コウノドリ』以来の共演秘話も」(2021年4月6日)
本人は、もしあのとき吉田監督に見つけてもらっていなければ、さらに2〜3年は仕事でくすぶっていたかもしれないとも振り返っています。
8歳の事務所入りではなく、16歳で出会った『桐島、部活やめるってよ』を本人自身が俳優人生の大きな転機として捉えています。
『桐島、部活やめるってよ』の時系列
松岡茉優さんは1995年2月生まれ。本人は吉田大八監督と出会った当時を「16歳」と振り返っており、映画が劇場公開された2012年8月には17歳になっていました。
『あまちゃん』へ続き、女優として知られるように
『桐島、部活やめるってよ』の翌2013年には、NHK連続テレビ小説『あまちゃん』へ出演しました。
演じたのは、第2部の東京編に登場するアイドルグループ「GMT」のメンバー、入間しおりです。
『あまちゃん』は全国放送の連続テレビ小説だったこともあり、松岡さんの名前がより広く知られる作品の一つになりました。
その後は2014年のNHK『銀二貫』でヒロイン、2015年のフジテレビ系『She』で連続ドラマ初主演を務めるなど、10代後半から20歳前後にかけて役の大きさも変わっていきます。
ただ、出演作が増えても、松岡さんが後年まで繰り返し名前を挙げているのは、その少し前に出会った『桐島、部活やめるってよ』と吉田大八監督でした。
オーディションに落ち続けていた10代から、『桐島』と『あまちゃん』を経て、女優として大きな役を任される時期へ入っていきます。
『勝手にふるえてろ』で長編映画初主演を果たす
子役時代から続いた一つの目標が形になったのは、2017年でした。
大九明子監督の映画『勝手にふるえてろ』で、主人公のヨシカを演じ、長編映画初主演を果たします。
松岡さんにとって大九監督との仕事は3度目で、以前には短編映画の主演も経験していました。
子役のころから「いつか長編で主演映画を」と思っていました
出典:シネマトゥデイ「『勝手にふるえてろ』松岡茉優 単独インタビュー」(2017年12月25日)
主演が決まった喜びと同時に、自分に長編映画の主演が務まるのかという不安もあったと明かしています。
公開当時のインタビューでは、松岡さん自身が作品やヨシカ役について語る姿も残されています。
妹の面接について行った8歳の少女は、子役、おはガール、オーディションに落ち続けた10代を経て、自分の意思で芝居を選び、長編映画の主演を任されるところまで進みました。
『勝手にふるえてろ』での長編映画初主演は、子役のころから抱いていた目標が、約十数年を経て実現した出来事でした。















