武田梨奈の生い立ち|父の影響で始めた空手と女優デビューまでの道のり

武田梨奈の生い立ちと、父の影響で始めた空手から女優デビューまでの道のりを、黒帯と台本、舞台照明で表現したイラスト

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
たけだりな
カテゴリー
女優
出身地
神奈川県
生年月日
1991年6月15日
女優デビュー
2009年
デビューのきっかけ
オーディション

武田梨奈さんは、琉球少林流空手道・月心会の黒帯二段を持ち、映画『ハイキック・ガール!』やドラマ『ワカコ酒』で知られる女優です。

2014年には、頭突きで瓦15枚を割るセゾンカードのCMでも大きな注目を集めました。

そんな武田梨奈さんですが、実は空手を始めるよりも前から、女優になることを夢見ていたんです。

幼い頃からオーディションを受け続け、10歳で始めた空手が、思いがけない形で映画主演のきっかけになりました。

その背景には、映画好きだった父親や、同じく空手に取り組んでいた弟の存在があります。

今回は、そんな武田梨奈さんの生い立ちや家族、学生時代、空手を始めた理由、芸能界入りから女優デビューまでの道のりをご紹介します。

武田梨奈の生い立ち|神奈川県で育ち幼い頃から映画に夢中

武田梨奈さんは、1991年6月15日に神奈川県で生まれ、横浜市で育ちました。

幼少期は家族で映画を見る時間が多く、物心がつく頃には映画の世界に憧れていたそうです。

父と見た映画でジャッキー・チェンに憧れる

武田家には、週末になると家族で映画を楽しむ習慣がありました。

金曜日や土曜日の夜には、翌日が休みということもあり、家族そろって夜更かししながら映画を見ていたといいます。

『グーニーズ』『スタンド・バイ・ミー』『ダイ・ハード』『ロッキー』など、父親の影響でさまざまな洋画に触れていました。

特に夢中になったのが、ジャッキー・チェンさんの映画です。

父親に『酔拳2』を見せてもらったことからカンフー映画に親しみ、弟と一緒にジャッキー・チェンさんの動きをまねして遊んでいました。

この頃はまだ空手を習っておらず、映画の中の格闘シーンを見よう見まねで再現していたそうです。

その後はブルース・リーさんの作品にも夢中になり、さまざまなカンフー映画を見るようになりました。

こうした映画との出会いから、幼い武田梨奈さんの中に、自分もスクリーンに登場したいという気持ちが芽生えていきました。

5〜6歳頃から女優を目指してオーディションへ

武田梨奈さんが初めてオーディションを受けたのは、5〜6歳頃でした。

映画に出演するにはどうすればよいのか分からなかったため、オーディション雑誌を購入し、応募できる募集を探していたそうです。

最初から映画やドラマの仕事だけを選んでいたわけではありません。

芸能界に入る機会を求め、映画とは直接関係のないオーディションにも応募していました。

2015年の文化通信のインタビューでは、モーニング娘。やハロー!プロジェクトのオーディションにも挑戦した経験を語っています。

ただ、応募を続けるうちに、歌手やアイドルではなく、演技をする仕事こそ自分が本当にやりたいことだと考えるようになりました。

女優への憧れが生まれたのは、空手を始める10歳よりも前だったのです。

武田梨奈の家族|父親・母親・兄弟との関係

武田梨奈さんの生い立ちを語るうえで欠かせないのが、家族との関係です。

父親の影響で映画に親しみ、空手にも家族を通じて出会いました。

2016年に父親とテレビ番組へ出演した際には、父・母・兄・本人・弟の5人家族で暮らしていることも伝えられています。

空手家の父・武さんと女優の夢を支えた言葉

武田梨奈さんの父親は、空手を続けてきた武田武(たけだ・たけし)さんです。

幼い頃からジャッキー・チェンさんの映画を見せてくれた父親は、女優という夢についても武田梨奈さんに大切な言葉を伝えていました。

2025年の双葉社「THE CHANGE」のインタビューでは、父親から次のように言われたと明かしています。

やるんだったら、本当に叶うまでやめるな。だったらやっていいよ

出典:双葉社 THE CHANGE「頭突きで瓦割りのセゾンカードCMから10年!」(2025年2月13日)

父親は、娘が女優を目指すことを頭ごなしに否定したわけではありませんでした。

その代わり、挑戦すると決めたなら、簡単に途中でやめないことを求めたのです。

武田梨奈さんが幼い頃から何百回ものオーディションに挑戦できた背景には、この言葉があったといいます。

父親との関係には、空手家の家庭らしいエピソードもあります。

2018年のテレ朝POSTのインタビューでは、家ですれ違う際に父親から突然みぞおちを突かれることがあり、それもトレーニングの一つだったと話していました。

父親がよく口にしていたのは「日々鍛錬」という言葉です。

2016年の『ダウンタウンDX』では親子で共演し、父親から一日に何十件ものLINEが届くという話でもスタジオを驚かせました。

母親と兄弟に囲まれた家庭での暮らし

母親についても、武田梨奈さんはいくつかの思い出を語っています。

空手を始める前、母親はピアノやバレエなどを習ってほしいと思っていたそうです。

しかし、武田梨奈さんが自分から空手を習いたいと言い出したことで、家族の生活にはさらに空手が深く関わるようになりました。

兄弟は兄と弟がおり、弟の武田一馬さんも空手経験を持つ俳優です。

一馬さんは、姉が初主演を務めた2009年の映画『ハイキック・ガール!』にも出演しました。

兄弟でアクションの練習をすることもあり、2015年には互いに蹴り合う様子を「兄弟喧嘩」としてSNSに投稿したこともあります。

普通の兄弟喧嘩とは少し違い、実際のアクション撮影を思わせる動きだったため、当時はその迫力が話題になりました。

家族との距離の近さも、武田家の特徴でした。

2015年には、家族の帰宅時間が重なると風呂場が混雑するため、誰かが湯船に入っている間に別の家族がシャワーを使うこともあると自身のブログで説明しています。

2019年の年始には、祖母、両親、兄弟で乾杯したこともSNSで伝えていました。

映画を一緒に見たり、空手の練習をしたり、家族そろって新年を迎えたりする暮らしの様子が伝わってきます。

武田梨奈の学生時代|10歳で空手を始めたきっかけ

幼い頃から女優を目指していた武田梨奈さんが、空手を始めたのは10歳のときでした。

きっかけは、父親と弟が出場した空手大会での出来事です。

父と弟が敗れた大会を見て空手道場に入門

父親と弟が空手に取り組んでいたため、武田梨奈さんも道場見学について行くことがありました。

ただし、最初は自分も空手を習いたいとは思っていなかったそうです。

そんなある日、父親と弟が出場する空手大会を見に行きました。

ところが、父親も弟も一回戦で敗れてしまったのです。

武田梨奈さんにとって父親は、映画のヒーローのような存在でもありました。

その父親が負ける姿を見て、自分が試合に出たわけでもないのに、強い悔しさが込み上げてきたといいます。

2018年のテレ朝POSTのインタビューでは、当時の気持ちを次のように語っていました。

私が父のかたきを取る!

出典:テレ朝POST「女優・武田梨奈、蹴られ燃やされ…壮絶だった初主演映画。」(2018年10月12日)

その場で空手を習うことを決め、翌日には道場へ入門しました。

選んだのは、琉球少林流空手道の月心会です。

ところが、実際に始めてみると、練習は映画で見ていたような華やかな技ばかりではありませんでした。

基本動作や型を繰り返す地道な稽古が多く、想像以上に大変だったそうです。

それでも練習を続け、次第に空手そのものに夢中になっていきました。

なお、2009年のCINEMA FACTORYのインタビューでは、父親に勝った相手と実際に対戦して仇を取ったわけではないと話しています。

小学校・中学校・高校で続けた空手と挑戦

空手を始めてからの学生生活は、学校、稽古、オーディションが中心になりました。

小学校で授業を受け、空いた時間には空手の練習に取り組み、芸能界のオーディションにも挑戦する毎日だったそうです。

中学校へ進んでからも、空手と女優の夢を両立させていました。

稽古を重ねるうちに大会でも実績を残し、やがて黒帯を取得しました。

後年には全関東空手道選手権大会で女子組手と男女形の両種目で優勝するなど、空手家としても高い実力を示しています。

武田梨奈さんは琉球少林流空手道・月心会の黒帯二段です。2014年の全関東空手道選手権大会では女子組手と男女形で優勝し、MVPにも選ばれました。

高校時代にも空手の練習を続けていましたが、本人は空手を職業にしようと考えていたわけではありませんでした。

2009年のインタビューでは、空手は好きな特技として続け、もともとの夢だった女優になりたかったと説明しています。

高校2年生だった2008年には、すでに俳優養成所での経験も積んでいました。

しかし、映画やドラマで大きな役を任される機会は、まだ訪れていませんでした。

武田梨奈が女優になるまで|300回以上のオーディション

武田梨奈さんは、本格的な女優デビューまでに300回以上のオーディションを受けたと語っています。

映画への憧れから始まった挑戦は、小学校から中学校、高校へと長く続いていました。

『3年B組金八先生』に憧れ芸能事務所へ応募

女優になりたいという気持ちがいっそう強くなったきっかけは、ドラマ『3年B組金八先生』でした。

小学生の頃、父親に勧められて作品を見るようになり、武田鉄矢さんの演技に夢中になったそうです。

特に心を動かされたのは、登場人物の感情が自然に伝わってくる芝居でした。

自分もこうした表現をしたいと考え、俳優になる方法を調べるようになりました。

ところが、『金八先生』のようなドラマのオーディションには、芸能事務所へ所属していなければ参加できない場合がありました。

そこで、まず芸能事務所に所属することを目指しました。

事務所の名前を「あ行」から順番に調べ、片っ端から履歴書を送ったといいます。

それでも、なかなか合格できませんでした。

学校に通ったあとにオーディションへ向かい、不採用の結果を受け取る生活が続きました。

それでも応募をやめず、女優になるための機会を探し続けていました。

中学時代の俳優養成所とデビュー前の経験

中学2年生の頃、武田梨奈さんは初めて俳優養成所にレッスン生として所属することができました。

それまでは養成所に入るためのオーディションにも落ち続けていたそうです。

ようやく演技を学ぶ環境に入れたものの、すぐに大きな出演作品が決まったわけではありませんでした。

本人によれば、中学3年生の頃には映画の撮影現場へ行く経験もありました。

また、2018年のインタビューでは、後に初主演を果たす以前の仕事について、役名もない死体役のような出演だったと振り返っています。

つまり、2009年の『ハイキック・ガール!』が、演技の仕事を初めて経験した作品というわけではありません。

小さな出演経験を経て、本格的な映画主演へ進んだという順序です。

一方で、最初に所属した芸能事務所との契約も終了し、一時はフリーで活動していました。

女優になりたいという目標は変わらなくても、次に何をすればよいのか分からない時期があったそうです。

そんな頃、自身のブログに空手をしていることと女優を目指していることを書き込みました。

その投稿を、ある映画関係者が目にすることになります。

武田梨奈の女優デビュー|2008年に西冬彦監督と出会う

2008年、武田梨奈さんのブログにメッセージを送ってきたのは、映画監督・プロデューサーの西冬彦さんでした。

西さんは空手を題材にした映画を企画しており、武田梨奈さんにオーディションへの参加を勧めました。

自身のブログをきっかけに映画オーディションへ

西冬彦さんは、『少林少女』のプロデュースや『黒帯 KURO-OBI』の武術監督などに携わっていた映画関係者です。

2008年6月頃、武田梨奈さんのブログを見つけ、映画の企画について連絡してきました。

ただ、当時16歳だった武田梨奈さんは、突然の連絡をすぐには信じられなかったそうです。

2009年のCINEMA FACTORYのインタビューでは、次のように話しています。

最初は偽物だと思いましたが、実際にお会いしてみると本物でした。

出典:CINEMA FACTORY「『ハイキック・ガール!』武田梨奈 インタビュー」(2009年5月29日)

実際に会った西さんから映画『黒帯 KURO-OBI』のDVDを渡され、それまでに見たことのない本格的な空手アクションに触れました。

その後、西さんが武田梨奈さんの所属する月心会の道場を訪れ、実際の空手の技を見てもらう機会がありました。

西さんはその技術に注目し、映画『ハイキック・ガール!』のオーディションを受けるように勧めました。

武田梨奈さんは、父親に相談し、一緒についてきてもらったうえでオーディションへ参加しています。

長く続いたオーディション生活の中で、初めて映画の主演へ直結する機会が訪れたのでした。

2009年『ハイキック・ガール!』で映画初主演

映画のオーディションから約2か月後、武田梨奈さんに主演決定の知らせが届きました。

2009年5月30日公開の映画『ハイキック・ガール!』で、17歳にして映画初主演を果たしたのです。

演じたのは、空手道場に通いながら自分の強さを証明しようとする女子高生・土屋圭でした。

武田梨奈さん自身が身につけていた空手の技術を生かし、実際に相手へ技を当てる迫力のあるアクションに挑戦しました。

ただ、初主演が決まったときは、嬉しさと同時に、信じられない気持ちも大きかったといいます。

それまで何度もオーディションに落ちていたため、主演決定後も夢を見ているような感覚だったそうです。

撮影では、武道の経験がある出演者たちと本格的な格闘シーンを演じました。

受け身やタイミングの調整だけでなく、相手の技を実際に受ける場面もあり、撮影は簡単なものではありませんでした。

武田梨奈さんは後年、アクションの稽古や撮影で打撲や捻挫、ときには骨折を経験したことも明かしています。

また、初主演作には父親の武さんも出演していました。

道場での技術を確認する際、体格の大きな相手に実際に技を当てられるかを試す相手として、父親が協力したそうです。

2018年のシネマジャーナルのインタビューでは、父親を蹴って吹き飛ばす場面に触れ、撮影翌日に父親が痛がっていたというエピソードを紹介しています。

その父親と娘が、かつては大会の勝敗をきっかけに空手へ向かい、今度は映画の撮影現場で向き合っていました。

武田梨奈さんは、後年も初主演映画の経験を振り返っています。

2025年の投稿では、西冬彦監督から高校生の頃に言われた、大きな幹を作れば枝が広がっていくという趣旨の言葉を思い出しています。

空手という特技を持って映画の世界に入った武田梨奈さんでしたが、女優としての経験は、ここから積み重ねていくことになりました。

武田梨奈の新人時代|空手を生かしたアクション映画への出演

『ハイキック・ガール!』で映画初主演を果たしたあと、武田梨奈さんにはアクションを生かした仕事が続きました。

空手の技術を持つ女優として注目される一方、演技では武道とは異なる難しさにも直面しました。

『KG カラテガール』などで本格的なアクションに挑戦

映画初主演後、次の作品に向けた稽古は早い段階から始まっていました。

2011年の映画『KG カラテガール』の公開時には、前作『ハイキック・ガール!』の撮影が終わって約1週間後に、次の作品に向けた稽古を始めたと話しています。

『KG カラテガール』は、父親を失い、生き別れになった妹を取り戻そうとする少女・紅彩夏を主人公とするアクション映画です。

武田梨奈さんは主演を務め、ワイヤーやCG、スタントに頼らない本格的なアクションへ挑みました。

空中で蹴りを繰り出す技や、他の人の体の上に立って行うアクションなど、難易度の高い動作にも取り組んでいます。

当時の本人インタビューでは、映画撮影で苦労したことや空手への考え方を自分の言葉で語っています。

空手の試合では、痛みを感じても表情に出さないことが求められます。

一方、映画では殴られた痛みや感情を観客に伝えなければなりません。

武田梨奈さんは海外のインタビューでも、空手で身につけた動きと、映画のための演技を使い分けることが難しかったと振り返っています。

『デッド寿司』で最優秀主演女優賞を受賞

その後もアクション映画への出演を重ね、2013年1月には主演映画『デッド寿司』が日本で公開されました。

井口昇監督による作品で、武田梨奈さんは寿司職人の父親のもとで育った主人公・ケイコを演じました。

人を襲う寿司と戦うという独特の設定の中で、空手を生かしたアクションに挑んでいます。

同作は海外の映画祭でも上映され、武田梨奈さんは2012年の米国ファンタスティック・フェストで、コメディー部門の最優秀主演女優賞を受賞しました。

日本で映画が公開されるより前に、海外で主演女優として評価されたことになります。

さらに2013年には、第1回ジャパンアクションアワードでベストアクション女優最優秀賞を受賞しています。

子どもの頃から続けてきた空手によって映画に出演するようになり、アクション女優として実績を重ねていきました。

ただ、武田梨奈さん自身が最初から目指していたのは、アクション作品に限らず、幅広い役を演じられる女優になることでした。

武田梨奈の転機|瓦割りCMと『祖谷物語』で広がった活動

アクション女優として主演作品を重ねてきた武田梨奈さんは、2014年に大きな注目を集めました。

その一方、本人にとって特に重要だったのは、アクションのない映画で演技を評価された経験でした。

2014年のセゾンカードCMで頭突きの瓦割りが話題に

2014年、武田梨奈さんはセゾンカードのCMに出演しました。

華やかな衣装を着て登場したあと、額で瓦15枚を一気に割るという内容でした。

突然披露される豪快な瓦割りは強い印象を残し、武田梨奈さんの名前が広く知られるきっかけになりました。

CMをきっかけに「瓦を割る女優」として注目されるようになった一方で、本人はアクションだけを評価されることに複雑な思いも抱いていました。

もともと演技そのものに憧れて芸能界を目指していたため、アクションのない役にも挑戦したかったのです。

しかし、アクション女優という印象が強くなり、普通の学園作品のオーディションへ行った際にも、なぜアクションの人が来たのかと尋ねられたことがあったといいます。

そのような時期に、アクションの技術ではなく、登場人物の心情を演じる仕事で評価を受けることになります。

『祖谷物語―おくのひと―』で演技が評価される

武田梨奈さんが俳優人生の大きな転機として挙げているのが、蔦哲一朗監督の映画『祖谷物語―おくのひと―』です。

徳島県の祖谷を舞台にした作品で、武田梨奈さんは山深い集落で暮らす少女・春菜を演じました。

アクション中心の作品とは異なり、自然の中での暮らしや、人と人との関係を丁寧に表現する役柄でした。

2013年の東京国際映画祭で上映されたのち、2014年には日本で劇場公開されています。

それまでアクション作品への出演が多かったため、監督から出演の話をもらったときは、なぜ自分に声をかけてくれたのだろうと不思議に思ったそうです。

それでも、アクションとは違う形で演技を見てもらえる機会として作品に参加しました。

そして同作での演技により、第24回日本映画プロフェッショナル大賞の新進女優賞を受賞しました。

2014年度の作品を対象とした賞で、受賞が発表されたのは2015年です。

この受賞について、2025年の双葉社「THE CHANGE」のインタビューでは、次のように語っています。

やっと認めてもらえた、背中を押してもらえた

出典:双葉社 THE CHANGE「空手2段の武田梨奈が海外作品に意欲的な理由」(2025年2月19日)

それまでも映画の現場で演技をしていましたが、この受賞によって、改めて俳優として仕事に向き合う気持ちが強くなったといいます。

アクションの技術を評価されて映画の世界に入った武田梨奈さんが、演技そのものでも賞を受け取ったのでした。

2026年2月には『祖谷物語』の上映イベントにも参加し、蔦哲一朗監督や共演者の大西信満さんと撮影当時を振り返っています。

撮影から長い年月が過ぎても、作品に関わった人たちと当時のことを語り合う機会が続いています。

武田梨奈の俳優人生|『ワカコ酒』主演から朝ドラ出演へ

『祖谷物語―おくのひと―』で演技を評価されたあとも、武田梨奈さんは映画やドラマでさまざまな役柄を演じていきました。

2015年には、長く演じ続けることになる代表的なドラマの主演を務めています。

2015年『ワカコ酒』で連続ドラマ初主演

2015年1月8日、BSジャパンでドラマ『ワカコ酒』の第1シリーズが始まりました。

武田梨奈さんが演じたのは、仕事帰りに一人で酒と料理を楽しむ26歳の会社員・村崎ワカコです。

『ワカコ酒』は武田梨奈さんにとって初めての連続ドラマ主演作となりました。

空手の技を披露する映画とは違い、食事を味わう表情や、日常の小さな喜びを自然に表現する役柄です。

撮影では実際に料理を食べながら演じる場面が多く、2016年の日本食糧新聞のインタビューでは、12話分を約1か月半で撮影したことを明かしています。

朝早くから撮影が始まり、一日中食べる場面が続くこともあったそうです。

その撮影を乗り切れたのは、父親の影響で始めた空手によって培われた体力のおかげかもしれないと語っていました。

『ワカコ酒』はその後もシリーズ化され、武田梨奈さんが長年にわたって主人公を演じる代表作になりました。

そして、映画の撮影現場では、経験豊かな俳優から演技について学ぶ機会も重ねていきます。

2016年公開の主演映画『海すずめ』では、共演した吉行和子さんの姿勢が強く印象に残ったそうです。

吉行さんは衣装合わせの際、撮影地の商店街で自分で購入した小道具を持参し、役に使いたいと提案していました。

武田梨奈さんはその姿を見て、与えられた設定の中で演技をするだけではなく、自分から役の人物像を深く考えることの大切さを感じたといいます。

演技の技術だけではなく、役の人物として生きるという考え方を学んだ経験でした。

2024年『虎に翼』出演で長年の目標をかなえる

2024年、武田梨奈さんはNHK連続テレビ小説『虎に翼』に出演しました。

演じたのは、梅子の夫・大庭徹男の妾である元山すみれです。

出演日数は数日ほどだったそうですが、放送後には多くの人から声をかけられ、朝ドラの反響の大きさを感じたといいます。

実は、武田梨奈さんは高校生の頃から朝ドラのオーディションを受け続けていました。

2009年に映画初主演を果たし、さまざまな映画やドラマに出演してきましたが、朝ドラへの出演も長年の目標の一つだったのです。

2025年の双葉社「THE CHANGE」のインタビューでは、出演が実現したことについて、次のように語っています。

目標がひとつ叶いました。

出典:双葉社 THE CHANGE「空手2段の武田梨奈が海外作品に意欲的な理由」(2025年2月19日)

朝ドラへの出演を喜んだのは、武田梨奈さん本人だけではありませんでした。

両親もとても喜んでくれたそうで、本人は親孝行ができたと感じたことも明かしています。

幼い頃、父親と一緒に映画を見ながら女優に憧れ、何度もオーディションに挑戦していた武田梨奈さん。

10歳で始めた空手をきっかけに映画主演の機会をつかみ、アクション以外の演技でも評価を受け、長く目指してきた朝ドラの出演も実現しました。

その知らせを、幼い頃から夢を知っていた両親と一緒に喜ぶことができたのでした。