原田琥之佑の生い立ち|父・原田喧太と祖父・原田芳雄、俳優になるまで

原田琥之佑の生い立ちを扱う人物イラストと、父・原田喧太、祖父・原田芳雄から俳優になるまでを示す表紙ビジュアル

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
はらだこうのすけ
カテゴリー
男性俳優
出身地
東京都
生年月日
2010年2月2日
芸能活動開始
2022年
俳優デビュー
2022年
デビューのきっかけ
オーディション

原田琥之佑さんの名前を知って、「原田芳雄さんの孫なの?」と家族関係から気になった人も多いのではないでしょうか。

父はギタリストの原田喧太さん、母はシンガーソングライターでボイストレーナーでもある原田ゆかさん、祖父は俳優の原田芳雄さんという、表現する仕事が身近にある家庭で育ちました。

ただ、最初から芸能一家の流れに乗って俳優を目指していたわけではありません。

小学6年生で知人から勧められた映画のオーディションが、初めてプロの演技へつながる入口になりました。

ここでは、原田琥之佑さんの生い立ちや家族、学校生活、絵や映画との出会いから、『サバカン SABAKAN』で初めて演じ、俳優の道を自分で選んでいくまでを時系列でたどります。

原田琥之佑の生い立ち|東京で育った少年時代

原田琥之佑さんは2010年2月2日、東京都生まれです。

後に映画の主演を務めるようになりますが、幼いころから子役として作品へ出演していたわけではなく、最初の映画までプロとしての演技経験はありませんでした。

2010年東京都生まれ|演技経験は学芸会くらいだった

所属事務所TopCoatの公式プロフィールでは、出身地は東京都、生年月日は2010年2月2日とされています。

2022年の一部インタビュー記事には「2012年生まれ」というプロフィール表記が残っていますが、TopCoat公式プロフィールと後年の本人取材では2010年2月2日生まれで一致しています。

映画『サバカン SABAKAN』の公開時に行われたインタビューでは、それまで演技を学んでいたのかと聞かれ、学校の学芸会くらいだったと答えています。

芸能活動を始めた出来事と、俳優として初めて演技をした出来事は、どちらも『サバカン SABAKAN』につながるオーディションでした。

そのため、モデルや子役など別の活動を長く経験してから俳優へ移ったタイプではありません。

小学5年生で絵を描き始め、表現する楽しさに触れる

俳優になる前の原田琥之佑さんを知るうえで、外せないのが絵です。

意外にも、小学4年生までは絵を描くことが好きではなかったそうです。

新型コロナウイルスの影響で家で過ごす時間が増えたころ、『進撃の巨人』のイラストから刺激を受け、小学5年生でイラストを描き始めました。

アニメのキャラクターなどを描くうちに、絵は長く続く趣味になっていきます。

絵については、完成形を最初から決めて描くというより、好きな作品から刺激を受けながら自分なりの描き方を増やしていきました。

俳優として仕事を始めた後も絵は続き、撮影のない時間に描くものの一つになっています。

この時期に始めた絵は、数年後、俳優として主演する映画の美術そのものにも本人の手で残ることになります。

原田琥之佑の家族|父・原田喧太、母・原田ゆか、祖父・原田芳雄

原田琥之佑さんの家族には、音楽や演技に関わる仕事をしてきた人が多くいます。

一方で、家族の肩書きだけを見ると想像しやすい「幼いころから俳優になるよう育てられた」という経歴とは少し違います。

父はギタリスト、母はシンガーソングライター

父の原田喧太さんは、ギタリスト・作曲家として活動してきたミュージシャンです。

母の原田ゆかさんはシンガーソングライターで、ボイストレーナーとしても活動しています。

音楽は家庭の中でも身近で、自宅には父のギターが何本も置かれていたと原田琥之佑さん自身が話しています。

母の仕事は、成長期の声にも具体的に関わっていました。

幼いころから声帯を動かすトレーニングを続け、声変わりの時期にも負担を抑えられたそうです。

「スムーズに声変わりするようにトレーニングしてくれた母に感謝しています」

出典:スポニチアネックス「原田琥之佑 描く夢は『世界で活躍できる俳優』 偉大な祖父、故原田芳雄さんの背中を追いかけて――」(2025年3月21日)

父の音楽と母の声の仕事は、俳優になる以前から家庭の日常の中にあったことが分かります。

祖父・原田芳雄の孫でも「祖父の記憶はない」

父・原田喧太さんの父親が、映画『竜馬暗殺』『ツィゴイネルワイゼン』などで知られる俳優の原田芳雄さんです。

原田琥之佑さんは2010年生まれで、原田芳雄さんが亡くなったのは2011年でした。

そのため、「名優の祖父から幼少期に演技を直接教わった」という関係ではありません。

「僕自身は記憶が一切ない」

出典:ENCOUNT「原田芳雄の孫と呼ばれても…自ら選んだ俳優の道」(2025年9月6日)

後年になって祖父の出演映画を見たり、自宅に残っていた映画の小道具で『大鹿村騒動記』の芝居をまねたりすることはありました。

それでも本人は、祖父を特別に意識し続けて俳優を目指したわけではないと振り返っています。

『サバカン SABAKAN』の試写では、祖母や叔母、両親が作品を見て涙を流し、祖母からはカメラを意識しない自然な芝居だったと言葉をかけられたそうです。

年上の姉と、佐藤浩市・寛一郎につながる親族関係

原田琥之佑さんには、年の離れた姉がいます。

父・原田喧太さんは2022年のインタビューで当時25歳の娘と12歳の息子について話しており、きょうだいの年齢差が大きいことも分かっています。

姉について本人が詳しく公に語っている情報は多くありませんが、少なくとも一人っ子ではなく、かなり年上の姉がいる家庭で育ったことまでは確認できます。

さらに母・原田ゆかさんの姉は俳優・佐藤浩市さんの妻で、佐藤さんは原田琥之佑さんにとって母方の伯父にあたる関係です。

佐藤浩市さんの息子で俳優の寛一郎さんとは、母親同士が姉妹のいとこにあたります。

家族関係のポイント:父方の祖父が原田芳雄さん、母方の伯父が佐藤浩市さん、いとこが寛一郎さんです。

俳優の名前がいくつも並ぶ家系ですが、原田琥之佑さん自身の芸能界入りは、家族の作品への出演ではなく、小学生のときに受けた一つのオーディションから始まりました。

原田琥之佑の学生時代|学校生活と絵・映画・ギター

俳優活動を始めた後も、原田琥之佑さんは学生生活を送りながら撮影現場へ通ってきました。

学校名そのものより、本人のインタビューからは、映画や絵にかなりの時間を使っていた学生時代の過ごし方が見えてきます。

小学校・中学校・高校はどこ?確認できる学歴情報を整理

検索では「原田琥之佑 学校」「原田琥之佑 高校」と調べられていますが、TopCoatの公式プロフィールには具体的な学校名は掲載されていません。

本人への複数のインタビューでも、通っていた小学校・中学校・高校の校名までは明かされていません。

学歴で確認できる範囲:2025年3月の取材では中学生、同年9月の取材では高校生として紹介されており、学生生活と俳優活動を並行していることまでは確認できます。

校名については、出身地が東京都だからという理由や、ネット上の推測だけで特定することはできません。

週2回映画館へ通うほど映画が好きになった学生時代

中学生のころには、一人で週2回ほど映画館へ行き、帰宅後にもう1本見ることもあるほど映画を観るようになっていました。

ただ作品を楽しむだけでなく、「ここはアドリブなのか」「どこから撮影しているのか」と考えながら見るようになったと話しています。

「見られる作品は全部見ます。」

出典:スポニチアネックス「原田琥之佑 描く夢は『世界で活躍できる俳優』 偉大な祖父、故原田芳雄さんの背中を追いかけて――」(2025年3月21日)

特に池松壮亮さんと菅田将暉さんが出演した映画『セトウツミ』は、8回見るほど気に入った作品だったそうです。

初出演の『サバカン SABAKAN』の現場でも、演技だけでなく映画づくりの裏側そのものに興味を持ち、監督という仕事にも関心が広がっていました。

父のギターが身近にある環境で自分でも演奏を始める

絵や映画と並んで、学生時代に新しく生活へ入ってきたのがギターでした。

父がプロのギタリストなので自宅には以前から楽器がありましたが、本人が本格的に弾き始めたのは2024年8月ごろです。

始めた理由は、本人いわく異性にモテたいという素朴なものだったそうで、家業を継ぐような堅い動機ではありませんでした。

それでも弾き始めると夢中になり、多い日には6時間以上弾くこともあったと語っています。

父がプロだから最初から専門的に続けてきたのではなく、高校へ進む少し前の時期に自分から手を伸ばし、短期間で熱中していったところも原田琥之佑さんらしいエピソードです。

絵、映画、ギターは、家族に用意された肩書きではなく、本人が学生時代にそれぞれ自分で楽しみ方を見つけていったものでした。

原田琥之佑が俳優になるまで|『サバカン』初演技から主演へ

原田琥之佑さんの俳優人生は、小学6年生で受けた映画『サバカン SABAKAN』のオーディションから始まります。

演技には以前から興味があったものの、初めての撮影へ向かう気持ちは期待一色ではありませんでした。

小学6年生、知人に勧められて初めてのオーディション

小学6年生のころ、知人から映画のオーディションを勧められたことが最初のきっかけでした。

父・原田喧太さんの後年の話では、本人には人生がそこで決まってしまうような怖さもあり、家族で話し合ったうえで「夏休みの経験」として挑戦することになったといいます。

本人も、最初から合格を強く期待していたわけではありませんでした。

「落ちて当たり前だから一度経験してみようくらいの気持ちだったんです。」

出典:Rooftop「原田琥之佑(俳優)- 映画『サバカン SABAKAN』自分を預けられると思えた」(2022年8月17日)

一方で、芝居そのものには興味があり、祖父・原田芳雄さんが出演した『大鹿村騒動記』のせりふをまねしたこともあったと、デビュー当時に話しています。

初めて金沢知樹監督と会い、その後に受けたのが『サバカン SABAKAN』のオーディションでした。

2022年の本人インタビューでは、その初々しい時期の言葉でオーディションや祖父の映画について話す姿が残っています。

オーディションから2〜3週間ほどたったころ、習い事の帰りに家族と食事をしている席で、合格したことを知らされました。

本人にとっては全国公開の映画へ出演すること自体が現実味のない出来事で、デビュー時の取材でも「まだ信じられない」という感覚を口にしています。

こうして初めて芸能界へ入る出来事が、そのまま最初の演技仕事へつながりました。

撮影前日まで泣いた『サバカン』で演技の楽しさを知る

合格したからといって、すぐに「俳優になりたい」という気持ちへ切り替わったわけではありません。

撮影を前にすると怖さが大きくなり、前日まで何度も泣いたと後年になって明かしています。

ところが、実際にカメラの前で演じ始めたとき、その感覚が一変しました。

「お芝居をやってみたらものすごく楽しくて。『これだ!』と思いました。」

出典:共同通信社「原田琥之佑『この映画は、何でもあるけど、何にもないみたいなところが一番の魅力だと思います』」(2025年8月26日)

撮影は長崎で行われ、原田琥之佑さんは竹本健次役として約3週間を現地で過ごしました。

本番へ入る前には、主人公・久田孝明役の番家一路さんと、芝居の稽古より会話に多く時間を使うようなリハーサルも重ねています。

初日の撮影はみかん畑の場面で、山道を走りながら緊張と楽しさが一度に押し寄せたことをデビュー当時に振り返っていました。

寿司を握る場面のためには自宅で動画を見ながら練習し、長崎へ入ってから現地の寿司店でも教わりました。

さらに自転車の二人乗りも練習するなど、演技経験のないところから、作品の中で必要になる動作を一つずつ身につけています。

撮影現場では俳優だけでなくスタッフの仕事にも興味を持ち、監督という仕事をやってみたい気持ちまで生まれたそうです。

2022年8月19日に公開された『サバカン SABAKAN』が映画デビュー作となりました。

撮影前には逃げ出したいほど怖かった場所で、初めて心から楽しいと思えるものを見つけたことが、その後の選択につながります。

1年間離れてから、自分の意思で俳優を続けると決める

『サバカン SABAKAN』の撮影を終えた後、原田琥之佑さんはすぐに仕事を詰め込む道を選びませんでした。

いったん約1年間、俳優活動から距離を置き、それでも芝居をしたいと思えるか自分の気持ちを確かめました。

その時間を経ても気持ちは変わらず、俳優として活動する道へ戻ります。

2023年にはショートフィルム『NEO PORTRAITS』やNHK特集ドラマ『軍港の子 〜よこすかクリーニング1946〜』などで演技を重ねました。

同年には『サバカン SABAKAN』でおおさかシネマフェスティバル2023新人男優賞も受賞し、初めての映画での演技が一つの評価として残ります。

2024年には映画『ルート29』やドラマ『天狗の台所 Season2』にも出演し、初主演へ急いで進むのではなく、映画とテレビの現場で役を重ねていきました。

最初の映画だけで終わらず仕事を続けた時間があったからこそ、次に大きなオーディションへ挑む時点では、すでに複数の現場を経験した俳優になっていました。

『サバカン』で偶然見つけた楽しさを、一度離れた後にも自分で選び直したことになります。

「原田芳雄の孫だから俳優になった」という一文だけでは、この1年間の選択は説明できません。

TopCoat所属と約800人から選ばれた『海辺へ行く道』主演

次の大きな出来事になったのが、横浜聡子監督の映画『海辺へ行く道』です。

約800人が参加したオーディションを経て、主人公の美術部員・奏介役に選ばれました。

最終的な結果が届いたのはオーディション終了から約1時間後で、友人と遊んでいる最中だったそうです。

うれしさをその場では友人に言えず、気持ちを胸にしまったまま遊び続けたというエピソードには、まだ学生だったころの素顔も残っています。

撮影は2023年夏に小豆島で行われ、当時13歳だった原田琥之佑さんは約1カ月にわたって作品の世界で過ごしています。

この作品では、小学生のころから続けてきた絵も俳優の仕事と重なりました。

「劇中で奏介の部屋に飾った絵やラストシーンの海の絵を実際に制作しました。」

出典:non-no web「【原田琥之佑】映画『海辺へ行く道』主演!ギターを始めたのは『モテたいから(笑)』」(2025年8月22日)

役として絵を描くだけでなく、美術協力として本人の作品が映画の画面に残っています。

本人は、考えてから描き始める自分とは違う奏介の自由な感性に触れたことで、失敗を恐れずに絵を描けるようになったとも話しています。

小学5年生で始めた個人的な趣味が、役作りを通して変化し、そのまま主演映画の画面へ残ったことになります。

その後、2024年10月末でGUILD Bとの専属契約を終了し、同年11月にTopCoatへ所属しました。

『海辺へ行く道』は2025年の第75回ベルリン国際映画祭ジェネレーションKplus部門で上映され、スペシャルメンション(特別表彰)を受けました。

原田琥之佑さん自身もベルリンを訪れ、海外の観客から場面ごとの細かな質問を受けたことで、作品がしっかり見られていることを実感したと振り返っています。

受賞の知らせは帰国後、眠っている朝に電話で届いたそうです。

ワールドプレミアと受賞については、自分のInstagramにも記録を残しています。

日本では2025年8月29日に公開され、原田琥之佑さんにとって長編映画初主演という固定されたキャリアの節目になりました。

『手塚治虫の戦争』W主演へ|俳優として積み重ねた次の到達点

2026年8月12日には、NHK特集ドラマ『手塚治虫の戦争』が放送されました。

高良健吾さんが1970年代の手塚治虫を演じ、原田琥之佑さんは手塚作品『紙の砦』の主人公で、戦時下を生きる大寒鉄郎を演じています。

手塚治虫公式サイトでも二人はそれぞれ「主演」として紹介され、高良健吾さんとのダブル主演という形で作品を背負いました。

ドラマは1970年代に自らの戦争体験を漫画へ描こうとする手塚治虫と、その作品世界で戦時下を生きる鉄郎を行き来しながら進みます。

原田琥之佑さんが演じたのは、戦争の日常の中でも漫画を描こうとする少年でした。

本人自身も小学生から絵を描き続けてきましたが、ここではその経歴を役と安易に重ねるのではなく、俳優として別の人物の人生を背負う仕事へ進んだことが分かります。

映画初出演だった『サバカン SABAKAN』から4年後、原田琥之佑さんは戦争の中で漫画を描き続ける少年を主演として演じるところまで歩みを進めました。

その間には、芝居をいったん離れてから戻った時間と、約800人の中から主演をつかんだ『海辺へ行く道』がありました。

芸能一家に生まれたことと、本人が俳優の道を選んだことは、同じ話ではありません。

怖さを抱えたまま初めての現場へ入り、いったん離れ、それでも戻ると決めたところに、原田琥之佑さん自身の俳優としての出発点があります。