池田良の生い立ち|家族・学生時代、外資系会社員から俳優になるまで

池田良の人物イラストを左に配し、家族・学生時代から外資系会社員を経て俳優になるまでの歩みを見出しで示したビジュアル

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
いけだりょう
カテゴリー
男性俳優
出身地
愛知県
生年月日
1978年1月27日
芸能活動開始
2004年
俳優デビュー
2004年
デビューのきっかけ
他業種から転身

映画『恋人たち』の四ノ宮役をはじめ、映画・ドラマ・舞台で活動してきた俳優が池田良さんです。

映像作品で池田良さんを知った人には意外かもしれませんが、若いころから俳優を目指して芸能活動をしていたわけではありません。

慶應義塾大学法学部を卒業した後は外資系企業へ就職し、約1年半にわたってアメリカでも働いていました。

しかも、会社員として働いていた当時まで演技経験はなく、次のキャリアとして考えていたのも金融や商社など、俳優とはまったく異なる世界でした。

今回は、そんな池田良さんの生い立ちや家族、学生時代、会社員生活、俳優を志したきっかけ、最初期の演技仕事、『恋人たち』で迎えた転機などをご紹介します。

池田良の家族と子ども時代|愛知で生まれた少年期

池田良さんは1978年1月27日生まれ、愛知県出身です。

父親や母親、兄弟姉妹について詳しく語る機会は多くありませんが、子どものころにどのような気持ちで過ごしていたのかについては、俳優になった後のインタビューで率直に振り返っています。

父親・母親・兄弟姉妹について分かっていること

池田良さんは、父親・母親の氏名や職業、兄弟姉妹の人数など、生育家族の詳しいプロフィールを広く公表していません。

一方で、2017年に映画『三つの光』について語ったインタビューでは、子どものころにつらい気持ちを家族にも伝えずにいたことを明かしています。

きつい・つらいって気持ちを親にも言わないで蓋をして生きていた

出典:OTOTOY「実在するスタジオから生まれた映画『三つの光』ーー吉田光希(監督) × 池田良(俳優) × Yawn of sleepy(音楽)」(2017年10月8日)

芸能界入りについても、家族がオーディションへ応募したり、親から俳優を勧められたりしたという経歴ではありません。

俳優養成所を探し始めたのは、社会人になった池田良さん自身でした。

悔しさや悲しさを表に出さなかった子ども時代

池田良さんが後年になって俳優という仕事について考えたとき、振り返ることになったのが子ども時代でした。

本人によると、幼いころにはいじめなどを経験し、悔しさや悲しさといった感情を表へ出さず、自分でも感じないようにしていた時期があったといいます。

周囲の顔をうかがいながら、自分が傷つかないように笑って過ごしていたことも、別のインタビューで話しています。

この時点で俳優を夢見ていたわけではなく、少なくとも本人が語っている俳優への具体的な興味は、大学を卒業して会社員になった後に生まれています。

所属事務所のプロフィールでは、愛知県出身であることに加え、名古屋弁・三河弁が特技として挙げられています。

池田良の学生時代|慶應義塾大学法学部から外資系コンサルへ

子ども時代を愛知県で過ごした池田良さんは、その後、慶應義塾大学へ進学しました。

大学を卒業して向かった先も芸能界ではなく、一般企業でのキャリアでした。

高校時代から慶應義塾大学への進学まで

本人名義で公開されているプロフィールには、慶應義塾高等学校に在学していた経歴が記されています。

その後は慶應義塾大学法学部へ進み、卒業しています。

学生時代の部活動や習い事などについて詳しく語った公表情報は限られており、このころから演劇活動をしていたという経歴も確認されていません。

後年、俳優を志すまでの演技経験について質問された際にも、池田良さんははっきり答えています。

全くないです

出典:シネフィル「対談企画『いま気になる映画人』VOL.17 池田良(俳優)×飯塚冬酒(映画製作・プロデューサー)」(2026年7月20日)

舞台もほとんど観たことがなく、映画についてもハリウッド大作やスタジオジブリ作品などを見る程度だったと振り返っています。

大学卒業後は外資系企業へ就職し、アメリカで1年半勤務

慶應義塾大学を卒業すると、池田良さんは外資系のコンサルティング会社へ就職しました。

入社後にはアメリカで働く機会もあり、本人によると、その期間は約1年半に及びました。

大学を出て一般企業へ入り、海外勤務まで経験したところから俳優へ進んだことになります。

所属事務所のプロフィールでは、英検1級とTOEIC950点も資格・特技として掲載されています。

ただし、アメリカ勤務を経験したことと、後にアメリカで演技を学んだことの間に直接的な因果関係を本人が語っているわけではありません。

日本へ戻った時点でも、池田良さんが考えていた次の仕事は俳優ではありませんでした。

会社員時代に俳優を志す|『元カレ』と『ミスティック・リバー』がきっかけ

アメリカ勤務を終えて日本へ戻った池田良さんは、そのまま会社員として働いていました。

そんな時期に偶然見た二つの作品が、それまで考えたことのなかった俳優という進路を意識させます。

帰国後は金融や商社への転職を考えていた

帰国後、池田良さんは「もっと違う仕事ができないか」と考え、金融や商社などへの転職を検討していました。

つまり、会社を辞めようと考え始めた段階でも、その理由は俳優になるためではありません。

慶應義塾大学を卒業して外資系企業へ入り、海外勤務を経験した流れの延長で、別のビジネス分野へ進むことを考えていました。

広末涼子とショーン・ペンの演技を見て俳優養成所を探し始める

転職を考えていたころ、池田良さんはTBSのドラマ『元カレ』を見ました。

その中で目にした広末涼子さんの演技に引かれ、「もしかしたら俳優になりたいかもしれない」と初めて思ったといいます。

さらに、クリント・イーストウッド監督の映画『ミスティック・リバー』で見たショーン・ペンの演技にも強く心を動かされました。

そこで初めて俳優養成所について調べ始め、俳優になるための具体的な行動へ移っています。

演技経験がなく、舞台をほとんど観たこともなかった会社員が、二つの映像作品を見たことから演技を学ぼうと動き始めたのでした。

会社に勤めながら演技の学校へ通う

池田良さんは、当時の上司へ俳優になりたいと伝えました。

それまで会社員として働いていた部下から突然俳優を目指すと聞き、上司はかなり驚いていたそうです。

それでも会社をすぐ辞めるのではなく、仕事を続けながら演技を学び始めました。

会社にも融通してもらいながら演技の学校に通いました

出典:シネフィル「対談企画『いま気になる映画人』VOL.17 池田良(俳優)×飯塚冬酒(映画製作・プロデューサー)」(2026年7月20日)

池田良さんは「会社員を辞めてから俳優を始めた」のではなく、在職中から演技を学び、舞台にも立ち始めています。

ここから、会社員と演技活動が重なる時期が始まりました。

俳優としてのスタート|2004年の舞台出演から27歳で退職

所属事務所の出演歴をたどると、池田良さんの舞台出演は会社を退職する前から始まっています。

演技学校で学ぶだけだった期間を経て、実際に観客の前で演じる仕事へ進んでいきました。

『五文字』など初期の舞台に出演しながら会社員を続ける

所属事務所の出演歴で最初に掲載されている舞台は、2004年7月の伴一彦プロデュース love call vol.1『五文字』です。

1978年1月生まれの池田良さんは、このとき26歳でした。

会社を退職したのは27歳のときと公表されているため、『五文字』への出演時にはまだ会社員生活と演技活動が重なっていたことになります。

2005年に入ると出演する舞台が増え、『ジプシー〜千の輪の切り株の上の物語〜』や『アシメサマクナイム』などにも参加しました。

2005年には音楽劇『赤毛のアン』でギルバート役を演じ、英語公演『そして森は生きている』ではニューヨークのカーネギーホールにも立っています。

俳優として経験を積み始めてはいましたが、最初から周囲より順調だったわけでもありません。

後に池田良さんは、養成所の卒業公演で周囲が大きな役をもらう中、自分には一言しかセリフがなかった時期も振り返っています。

自分だけセリフ一言で

出典:OTOTOY「実在するスタジオから生まれた映画『三つの光』ーー吉田光希(監督) × 池田良(俳優) × Yawn of sleepy(音楽)」(2017年10月8日)

会社を退職し、ステラ・アドラー・スタジオへ2度留学

会社員と演技を並行した時期を経て、池田良さんは27歳で会社を退職しました。

ここで会社員としての仕事を離れ、俳優としての活動へ軸足を移しています。

その後はアメリカに渡り、ステラ・アドラー・スタジオ・オブ・アクティングで2度にわたって演技を学びました。

会社員時代にもアメリカで働いていましたが、今度はビジネスではなく演技を学ぶために渡米したことになります。

勤務経験と演技留学を直接結びつける本人発言は確認されていないため、二つのアメリカ経験は別の出来事として見るのが自然です。

2006年に映画・テレビドラマへ活動を広げる

舞台で経験を重ねた池田良さんは、2006年になると映像作品にも出演するようになります。

所属事務所の映画出演歴では、同年の『ghost dance ゴースト・ダンス』が最初に掲載されています。

テレビでは同じ2006年、NHKの時代劇『柳生十兵衛七番勝負 島原の乱』第5話などに出演しました。

その後もテレビドラマや映画へ出演していきますが、池田良さん自身はもともと映像の中で演技をしたいという気持ちを持っていたと振り返っています。

池田良さんは2004年から舞台出演歴があるため、2006年の映画・テレビ出演だけを「俳優デビュー」とすると、実際に演技活動を始めた時期より遅くなります。

演技を始めて数年後、俳優に惹かれた理由が自分の中でつながる

『元カレ』や『ミスティック・リバー』を見たとき、池田良さん自身にも、なぜそこまで俳優の感情表現に引かれたのかは分かっていませんでした。

本人によると、その理由を理解したのは演技の勉強を始めて3〜4年ほど経ったころです。

そこで思い返したのが、子ども時代に悔しさや悲しさを表へ出さずに過ごしていた自分でした。

広末涼子さんやショーン・ペンが映像の中で見せた感情が、自分が無意識に抑えていたものへ響いたのではないかと考えるようになったそうです。

そして、悲しさや悔しさ、苦しさまで表現する俳優という仕事をすることで、自分自身も救われていることに気づいたと話しています。

そのことに気づいてからは、俳優を続けることへの迷いがなくなりました。

会社を辞めたという出来事だけではなく、実際に演技を続けた数年間の中で、俳優を職業として続ける理由も固まっていったのでした。

『恋人たち』で迎えた転機|オーディションから「プロの俳優としての第一歩」へ

2004年に舞台へ立ち始めてから約10年が経ったころ、池田良さんに大きな作品との出会いが訪れます。

橋口亮輔監督が手がけ、2015年に公開された映画『恋人たち』です。

無名の新人俳優を選ぶオーディションで四ノ宮役に

『恋人たち』では、主人公となる3人を決めるためにオーディションが行われました。

橋口亮輔監督はそこで選んだ篠原篤さん、成嶋瞳子さん、池田良さんに合わせて、それぞれのキャラクターを書いています。

池田良さんが演じたのは、親友への思いを胸に抱えるエリート弁護士の四ノ宮でした。

長く小劇場や映像作品で活動してきた池田良さんが、オーディションによって主要人物の一人へ選ばれた作品でした。

2015年の公開時に発表された予告編では、四ノ宮を含む3人の物語と、池田良さんの当時の姿も確認できます。

『恋人たち』は第89回キネマ旬報ベスト・テンで日本映画ベスト・テン第1位となるなど高く評価され、池田良さんも第30回高崎映画祭の優秀新進俳優賞を受賞しました。

橋口亮輔監督とのクランクインを後に「第一歩」と振り返る

池田良さんにとって『恋人たち』が特別なのは、受賞歴だけが理由ではありません。

公開から10年が経った2025年、本人は同作を「人生を変えてくれた大切な作品」と位置づけています。

特に覚えていたのが、橋口監督と迎えたクランクインの場面でした。

橋口監督からセリフを一字一句、言い方まで細かく演出され、池田良さんはその言い方をまねるだけで必死だったそうです。

ところが完成した映像を見ると、自分自身にも確かにそういう一面があるのだと気づかされたと振り返っています。

プロの俳優としての第一歩だった気がします

出典:映画.com「橋口亮輔監督『恋人たち』 公開10周年を記念してリバイバル上映が決定!」(2025年9月16日)

2004年にはすでに舞台へ出演していた池田良さん自身が、『恋人たち』の現場を「プロの俳優としての第一歩」と振り返っていることは、この作品の大きさをよく表しています。

演技を始めた日と、本人がプロとして大きな一歩を感じた日は同じではありませんでした。

受賞後も仕事が続かず、『三つの光』へ

『恋人たち』が評価されれば、そのまま出演依頼が増えていくと池田良さん自身も期待していました。

ところが実際には、『恋人たち』の公開後、約半年にわたって仕事がない時期がありました。

本人は当時について、この作品に出ても次へ進めないのであればどうすればいいのかと考えるほど苦しい時間だったと振り返っています。

その状況を知っていた映画監督の吉田光希さんは、池田良さんが抱えている悔しさやエネルギーを映画へ注ぎ込めるのではないかと考えていました。

吉田監督自身も予定していた作品が中止になった悔しさを抱えており、喫茶店で話した二人は、それぞれが抱えていたものを次の作品へ向けることになります。

こうして池田良さんは、2017年に公開された吉田光希監督の映画『三つの光』でK役を演じました。

後年には『三つの光』のリバイバル上映を前に、ベルリンの壁で撮った懐かしい写真を本人が公開しています。

撮影では、それまで頭で考えて行動することが多かったという池田良さんが、感情を激しく表へ出す場面にも向き合っています。

会社員と演技を並行した2004年の舞台出演から十数年が経ち、『恋人たち』で賞を受けた後にも半年間の空白を経験し、その悔しさを抱えたまま『三つの光』の撮影へ入りました。

慶應義塾大学を出て外資系企業で働いていた池田良さんが選んだ俳優という仕事は、一度の転職で完成したものではなく、演技学校、小さな舞台、映像作品、オーディションを重ねながら続いていきました。