高良健吾の生い立ち|転校続きの幼少期と家族、高校時代からデビューまで

高良健吾の生い立ちを紹介する人物イラスト。転校続きの幼少期と家族、高校時代からデビューまでをテーマにした表紙。

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
こうらけんご
カテゴリー
男性俳優
出身地
熊本県
生年月日
1987年11月12日
芸能活動開始
2005年
俳優デビュー
2005年
デビューのきっかけ
紹介・推薦

映画『蛇にピアス』や『横道世之介』、NHK連続テレビ小説『おひさま』など、さまざまな作品で印象的な役を演じてきた俳優の高良健吾さん。

1987年11月12日に熊本県熊本市で生まれた高良さんは、父親の転勤によって何度も引っ越しを経験し、中学2年生で熊本へ戻ってきました。

幼いころは引っ込み思案だったそうですが、熊本で出会った友人たちとの学校生活を経て、高校時代には地元のタウン情報誌に関わるようになります。

その活動を通じて芸能事務所を紹介され、2005年、17歳のときにドラマ『ごくせん』第2シリーズで俳優デビューしました。

ただ、初めから俳優になると決めていたわけではなく、映画が好きだった高校生が、身近な人との出会いから仕事の道を見つけていったのです。

今回は、そんな高良健吾さんの生い立ちや家族、学生時代、芸能界に入ったきっかけ、俳優デビューと初期作品での転機をご紹介します。

高良健吾の生い立ち|熊本に生まれ転校を繰り返した幼少期

高良健吾さんの出身地は熊本県熊本市です。

しかし、幼少期からずっと熊本で暮らしていたわけではなく、父親の仕事の関係で九州各地を移り住んでいました。

父親の転勤で北九州・福岡などに暮らす

高良さんは1987年11月12日、熊本市に生まれました。

父親は旅行会社に勤務しており、仕事の都合で転勤が多かったそうです。

高良さん自身も、幼いころに北九州市へ引っ越したことや、その後も転居を繰り返したことを母校の九州学院に掲載されたインタビューで語っています。

2021年の『婦人公論』の対談では、熊本と福岡の間を転々としていたと振り返り、両親は合計で8〜9回ほど引っ越しているのではないかと話していました。

父親の転勤は高良さんが上京した後も続いていたため、家族にとって引っ越しは長く身近な出来事だったようです。

転校するたびに、新しい学校で初めて会う先生や同級生たちとの生活が始まります。

2012年のcinemacafe.netのインタビューでは、転校先で新しい自分を作る感覚について、役作りと似ている部分があるとも話していました。

俳優としてさまざまな人物を演じるようになってから、子ども時代の転校経験を自分の言葉で振り返っていたのです。

小学校では引っ込み思案で学芸会の銅像役に

高良さんは、幼いころの自分をおとなしく、引っ込み思案な子どもだったと振り返っています。

その性格が伝わるのが、小学校5年生の学芸会のエピソードです。

高良さんに与えられたのは、セリフのない銅像の役でした。

2015年12月20日付の毎日新聞のインタビューで本人が紹介した、子ども時代の思い出です。

後に映画やドラマで多くのセリフを語る俳優になったことを考えると、少し印象の違う小学生時代だったのでしょう。

学校を何度も変わりながら過ごした高良さんですが、中学2年生で熊本市へ戻ったあと、学校生活に変化が生まれました。

そのきっかけになったのは、転校先で出会った同級生たちでした。

高良健吾の家族|父親・母親・兄と祖父の思い出

高良健吾さんが生まれ育った家族については、本人のインタビューから父親・母親・兄がいることが確認できます。

さらに、祖父や祖母からかけられた言葉についても、高良さん自身が思い出を語っています。

旅行会社勤務の父親と専業主婦の母親

父親は旅行会社で働いており、転勤に伴って家族の住む場所も変わっていました。

一方、母親については、2021年の『婦人公論』で専業主婦だったと本人が明かしています。

同じ対談で高良さんは、家庭の中で聞いてきた言葉についても触れていました。

熊本をはじめとする九州の男性には格好をつけるところがあると話し、その背景には母親や祖母など、周囲の女性から言われてきたこともあると説明しています。

「男なら格好つけなさい」

出典:婦人公論.jp「高良健吾とバービーの共通点」(2021年4月10日)

高良さんは、この言葉を母親や祖母など周囲の女性から受けた影響として紹介していました。

父親の転勤で暮らす場所は変わっても、家庭の中にはこうした言葉や考え方がありました。

兄との仲について本人が語ったこと

高良さんには、兄が1人います。

2010年公開の映画『おにいちゃんのハナビ』では、谷村美月さんと兄妹役で共演しました。

同作のシネマトゥデイのインタビューで、実際の兄弟関係について尋ねられた高良さんは、自分には兄しかいないため、妹との関係はよく分からないと話しています。

ただし、作品に登場する兄妹の距離感は、自分と兄の関係によく似ていると感じていたそうです。

「ただ距離感は、僕の兄弟とすごく似ていました。とても仲がいいので。」

出典:シネマトゥデイ「映画『おにいちゃんのハナビ』高良健吾、谷村美月 単独インタビュー」(2010年9月27日)

高良さんは、実際の兄とも仲がよいことを自分の言葉で明かしていたのです。

一方、兄の名前や職業、年齢差などについては、本人発言から確かめられる情報が限られています。

家族を演じた作品についてのインタビューで、実際の兄との関係が自然に語られていたのが印象的です。

祖父の言葉と阿蘇での思い出

高良さんは、祖父からよく言われた言葉についても語っています。

2021年の『婦人公論』で紹介したのは、熊本の言葉が残る短い一言でした。

「それくらいじゃあ死にゃーせん」

出典:婦人公論.jp「高良健吾とバービーの共通点」(2021年4月10日)

祖父は、たいていのことをこの一言で片づけていたそうです。

高良さん自身も、つらいことがあったときにこの言葉を思い出し、祖父の言葉だったと感じると話しています。

また、故郷の景色については、阿蘇の雄大な自然が好きだと語ってきました。

UR都市機構のインタビューでは、阿蘇のやまなみハイウェイや風に揺れる緑について、訪れると元気をもらえる場所として紹介しています。

熊本市内のにぎやかな繁華街にも愛着があり、街の人たちの雰囲気や食べ物、水のおいしさなど、地元の話になると具体的な思い出を次々と挙げています。

2015年には、母校を通じて次のような言葉も残していました。

「熊本は、僕の心のど真ん中にある大好きな町です。」

出典:毎日新聞「九州学院105年・未来へのメッセージ」(2015年12月20日、九州学院公式サイト掲載)

高良さんにとって熊本は、生まれた土地であるだけでなく、友人たちと多くの時間を過ごした場所でもあります。

高良健吾の中学・高校時代|熊本で出会った友人と九州学院

高良健吾さんの学生時代を語るうえで欠かせないのが、熊本市立江南中学校と九州学院高校です。

特に中学2年生で熊本へ戻ってからは、友人との出会いが学校生活を変えることになりました。

江南中学校への転校で学校生活が変わる

高良さんが熊本市立江南中学校に転校したのは、中学2年生のときでした。

それまでの高良さんは、転校を繰り返す中でおとなしい性格だったと話しています。

ところが、江南中学校で出会った同級生たちは明るく、高良さんもその雰囲気に引っ張られるように元気になっていったそうです。

転校してきた高良さんに最初に声をかけてくれた同級生は、その後も長く付き合う親友になりました。

その友人とは高校進学についても話すようになり、同じ高校へ進むことになります。

転校先で出会った友人が、次の学校を選ぶきっかけにもなっていたのです。

高良さんは後年の映画インタビューでも、忘れられない人物として地元の友人たちを挙げています。映画『横道世之介』で昔の知人について尋ねられた際にも、熊本で出会った人たちのことを思い出していました。

友人に誘われて九州学院高校へ進学

高良さんが進学したのは、熊本市にある私立の九州学院高校です。

進学のきっかけについては、江南中学校で仲良くなった友人に誘われたことを本人が明かしています。

高校入学後は、友人たちと過ごす日々が始まりました。

ただし、高校生活のすべてが順調だったわけではありません。

九州学院のインタビューでは、高校1年生のころは熱中できるものが見つからず、出席日数が進級ぎりぎりだったと振り返っています。

学校へ通うことに迷いもあった時期でしたが、映画との出会いや学校外での活動を通して、興味の向くものが少しずつ増えていきました。

サッカー部を辞め、映画を見続けた高校時代

九州学院高校では、最初にサッカー部へ入部しました。

しかし、部活動は数か月で辞めています。

もともとスポーツが嫌いだったわけではなく、2006年の映画インタビューではバスケットボールやサッカー、テニスなどが好きだったと話していました。

高校時代に高良さんが夢中になったものの一つが、映画です。

レンタルビデオ店で作品を借り、邦画も洋画も区別せずに見ていました。

好きだった俳優として、宮崎あおいさん、浅野忠信さん、永瀬正敏さん、村上淳さんらの名前も挙げています。

また、中学生のころに触れたドラマ『私立探偵 濱マイク』を通して、映像作品を作る監督たちにも関心を持つようになりました。

俳優の顔ぶれだけではなく、誰が監督しているのか、どんな映画を作っているのかにも目が向いていったそうです。

2015年の九州学院でのインタビューでは、この時期に映画を見続けたことについて、無駄な時間だったとは考えていないと振り返っています。

高校1年生の高良さんは、映画館のスクリーンに立つ俳優たちを見ながら、自分も俳優の仕事をしてみたいという気持ちを持ち始めていました。

高良健吾が芸能界へ入ったきっかけ|タウン誌の編集者との出会い

高良健吾さんが芸能界に入るきっかけになったのは、オーディションへの突然の応募ではありませんでした。

高校時代に熊本のタウン情報誌の編集者と出会ったことから、俳優になるまでの話が動き始めました。

高校1年生で『タウン情報クマモト』に関わる

高校1年生のころ、高良さんは熊本市内のアーケード街で、地元のタウン情報誌『タウン情報クマモト』の編集者と知り合いました。

当時はファッションにも興味があり、街で写真を撮ってもらったことなどから、誌面づくりに関わるようになったそうです。

その活動について、高良さんは2013年のJ-WAVEのインタビューで詳しく説明しています。

「だから純粋にモデルというわけではないんです。」

出典:J-WAVE NEWS「高良健吾の高校時代『モデルは職業になっていたわけではなく…』」(2013年12月)

高良さんが参加していたのは、高校生スタッフとして誌面の1ページを任され、企画を考えたり、自分たちがモデルとして登場したりする活動でした。

どうすれば同世代の高校生に内容が伝わるかを、ほかのスタッフと一緒に話し合っていたそうです。

写真に撮られるだけではなく、ページの内容を自分たちで考えることも楽しんでいました。

この時点で本格的な職業モデルとして活動していたわけではありませんが、地元の編集者や芸能関係者と接点を持つきっかけになりました。

高校2年生で芸能事務所を紹介される

タウン誌で活動するようになった高良さんは、編集者に俳優の仕事への興味を話していました。

本人によると、俳優は当時いくつか持っていた将来の夢の一つでした。

最初から一つの職業だけに進路を決めていたのではなく、映画を見る中で興味を持っていた仕事だったようです。

すると、高校2年生の夏に、タウン誌の編集長が芸能事務所を紹介してくれました。

高良さんは紹介された事務所の面接を受けるため、俳優の世界へ一歩を踏み出します。

母校のインタビューでは、面接を受けてから短い期間のうちにドラマのオーディションへ進んだと話していました。

高校生スタッフとして活動していたときには、自分が出演する作品のことなど、具体的にはまだ決まっていなかったはずです。

しかし、熊本の街で出会った編集者に俳優への興味を話したことで、事務所の面接を受ける機会が生まれました。

その直後に高良さんが挑戦することになったのが、日本テレビ系の人気学園ドラマ『ごくせん』でした。

高良健吾の俳優デビュー|『ごくせん』出演と高校卒業

高良健吾さんが俳優として初めて出演した作品は、2005年放送の日本テレビ系ドラマ『ごくせん』第2シリーズです。

高校時代のタウン誌での活動と、ドラマで演技を始めた時期は区別できます。

事務所面接後のオーディションで『ごくせん』に合格

芸能事務所の面接を受けてから、わずか2週間ほどで、高良さんは『ごくせん』のオーディションを受ける機会を得ました。

そして、そのオーディションに合格し、17歳で俳優デビューを果たします。

『ごくせん』第2シリーズでは、船木健吾という生徒を演じました。

高良さんにとっては、映画を見て憧れていた俳優という仕事を、自分自身が経験することになった最初の一歩です。

九州学院のインタビューでは、面接から出演決定までの短さについて、人生が急に動き出したように感じたと振り返っています。

初めてのテレビドラマ出演をきっかけに、熊本で高校へ通う生活と、東京で撮影に参加する生活が並行して進むようになりました。

高良健吾さんの活動開始の区別
高校時代の『タウン情報クマモト』では高校生スタッフとして誌面制作やモデル活動を経験し、2005年の『ごくせん』第2シリーズで俳優としての演技活動を始めました。映画への初出演は翌2006年の『ハリヨの夏』です。

熊本と東京を往復しながら九州学院を卒業

俳優の仕事が始まっても、高良さんは九州学院高校を卒業することを大切にしていました。

撮影の合間に1日か2日でも休みができれば、東京から熊本へ戻り、学校へ通っていたそうです。

仕事で授業を欠席した高良さんのために、友人たちがノートを取ってくれることもありました。

その気持ちがうれしかったと、高良さんは後年のインタビューで話しています。

学校へ行っても授業の内容についていくのは簡単ではありませんでしたが、教室では真面目に話を聞いていたそうです。

高校3年生の担任だった日吉伸孝先生とは、卒業に必要な出席日数を一緒に計算しました。

日吉先生については、自分もあのような大人になりたいと感じていたことを明かしています。

高良さんが卒業を目指したのは、単に高校の卒業資格を得るためだけではありませんでした。

母校のインタビューでは、仲間たちと一緒に、大好きな九州学院を卒業したいという気持ちが、学校へ通う原動力になっていたと振り返っています。

こうして高良さんは、俳優の仕事を続けながら、2006年に九州学院高校を卒業しました。

卒業後は東京での俳優活動に本格的に向き合っていくことになります。

高良健吾の新人時代|『ハリヨの夏』から『蛇にピアス』へ

『ごくせん』でテレビドラマに出演した高良健吾さんは、翌2006年に映画の世界へ進みます。

高校生だったころに見続けていた映画の撮影現場を、自分の仕事として経験することになったのです。

2006年『ハリヨの夏』で映画初出演

高良さんの映画デビュー作は、2006年公開の『ハリヨの夏』です。

中村真夕監督が手がけた作品で、高良さんは主人公の少女・瑞穂と関わる翔を演じました。

2006年10月18日の『CINEMA FACTORY』のインタビューでは、自分と演じた人物の似ている部分について話しています。

「恥ずかしがり屋なところは似ているのかなって思いました。」

出典:CINEMA FACTORY「『ハリヨの夏』高良健吾 単独インタビュー」(2006年10月18日)

高良さんは、役の翔が過ごしている時間と自分の年齢が近く、理解できる部分があったとも語っています。

あるシーンでは、台本に書かれていた翔の返事について、自分なら同じようには言えないと監督に伝えました。

その意見を受け、実際の映画ではセリフではなく沈黙で気持ちを表す形になったそうです。

初めての映画撮影でありながら、演じる人物がその場面でどう反応するかを、自分なりに考えていたことが伝わります。

撮影現場では、ベテラン俳優の柄本明さんの動きにも関心を持っていました。

立ち上がる、座るといった何気ない動作を自然に演じる難しさを感じ、出演する場面以外でもほかの俳優の芝居を見ていたと話しています。

『ハリヨの夏』での経験は、高良さんにとって映画の仕事を実際に学び始めた時期でもありました。

俳優としての戸惑いと『蛇にピアス』での経験

映画に出演するようになった高良さんですが、最初から撮影現場で自信を持って振る舞えていたわけではありません。

後年のインタビューでは、人前で何かを表現することが怖く、仕事に対して疑問や戸惑いを抱えていた時期があったと振り返っています。

一方で、映画の現場を経験するたびに、監督や共演者によって作り方が違うことにも触れていきました。

2008年には、蜷川幸雄監督の映画『蛇にピアス』へ出演します。

同作ではアマを演じ、吉高由里子さん、当時ARATA名義で出演していた井浦新さんと共演しました。

高良さんは2013年の吉高さんとの対談で、『蛇にピアス』のころは、仕事で疑問に思うことがあると周囲に強く問いかけていたと振り返っています。

当時は演技や仕事について考え続け、吉高さんともそうした話をしていたそうです。

蜷川監督から二人で練習しておくように言われたときにも、あらかじめ芝居を決めることを好まず、練習しなかったというエピソードを明かしています。

不安な状態のまま相手と向き合い、その場で起きることに反応しながら演技する方法を大切にしていたのでしょう。

『蛇にピアス』で出会った共演者との関係は、撮影が終わったあとも続いていました。

2023年11月、吉高さんは高良さん、井浦さんとの3ショットを自身の公式Xに投稿。3人で苦楽を共にし、俳優を辞めるか続けるかという話もしてきたことを明かし、二人を家族や戦友のような存在だと表現しています。

高良さんはその後も映画出演を重ね、2011年にはテレビドラマや舞台で新しい経験をすることになります。

高良健吾の転機|『おひさま』と『横道世之介』での変化

高良健吾さんは、映画を中心に経験を重ねる中で、俳優の仕事に対する考え方にも変化が生まれたと話しています。

その時期について、本人が転機として挙げているのが、2011年のNHK連続テレビ小説『おひさま』と舞台での経験です。

朝ドラ『おひさま』などで演技への向き合い方が変わる

高良さんは2011年、井上真央さんがヒロインを務めたNHK連続テレビ小説『おひさま』に出演しました。

演じたのは、ヒロインの陽子と結婚する丸山和成です。

高良さんにとっては朝ドラ初出演で、長い期間をかけて一人の人物を演じる経験になりました。

2011年の取材では、父親になる和成を演じる場面で、赤ちゃんを抱くと想像していなかった感情が生まれたことを明かしています。

これまで経験してきた映画の撮影とは違い、テレビドラマでは放送された内容に対する視聴者の反応が短い時間で届くことにも驚いたそうです。

高良さんが撮影に参加し始めた2011年3月11日には東日本大震災が発生し、撮影が一時中断されました。

撮影再開後、作品の舞台にも重なる東北の人々から励ましや感謝の言葉が届き、劇中で陽子と和成が結婚した際には祝福の電報も届いたといいます。

それまで映画では、撮影してから観客の反応を知るまでに時間がかかっていました。

一方、『おひさま』では、自分たちが演じた内容が視聴者の日々の暮らしへ届いていることを実感したそうです。

UR都市機構のインタビューでも、2011年の『おひさま』で自分が大きく変わったと語っています。

また、同じ時期に経験した舞台『時計じかけのオレンジ』についても、芝居への考え方が変わるきっかけとして挙げていました。

映画を好きになった少年が俳優となり、今度は自分たちの作った作品を楽しみに待つ人たちの存在を、仕事の現場で実感することになったのです。

主演映画『横道世之介』で感じた仕事の楽しさ

2013年2月23日には、高良さんが主演を務めた映画『横道世之介』が公開されました。

吉田修一さんの小説を原作に、沖田修一監督が映画化した作品です。

高良さんは主人公の横道世之介を演じ、『蛇にピアス』で共演した吉高由里子さんとも再び同じ作品に参加しました。

沖田監督とはすでに複数の作品を通して仕事をしており、高良さんは完成披露試写会で、4作目となる今回、主演に呼んでもらえたことがうれしく、脚本を読む前に出演を決めたと明かしています。

2013年2月7日に行われた完成披露試写会では、共演者たちと登壇し、作品や撮影について話しました。

当時の会場での高良さんや吉高さんたちの様子は、MANTAN TVの取材映像にも残されています。

高良さんは映画公開前のシネマトゥデイのインタビューで、吉高さんと『蛇にピアス』のころの自分たちを振り返り、仕事への向き合い方が変わったと話しています。

「現場が好きになった」「仕事が楽しくなった」

出典:シネマトゥデイ「『横道世之介』高良健吾&吉高由里子 単独インタビュー」(2013年2月18日)

一方で、何が理由でそう変わったのかは、自分でもはっきり分からないと語っています。

演技の方法については、『蛇にピアス』のころから変わらず、相手の芝居を受けながら、その場で生まれるものを大切にしていました。

『横道世之介』の撮影では、あえて何かを付け足そうとせず、登場人物が普通に話すことを大切にした場面もあったそうです。

高良さんはその経験を、「何もしない勇気」という言葉で表現していました。

小学生のころはセリフのない銅像役を演じていた高良さんが、映画の主演として、何気ない会話や動きをどう表現するかに向き合っていたのが、2013年の『横道世之介』の撮影現場でした。