PROFILE
人物プロフィール
日曜劇場『VIVANT』で、乃木憂助たちを執念深く追うバルカ警察のチンギスを演じたのが、モンゴルの俳優バルサラハガバ・バトボルドさんです。
鋭い目つきと長い髪で強烈な印象を残したため、「VIVANT チンギス」「チンギス役 俳優」と調べて、その名前を知った人も多いでしょう。
日本では『VIVANT』で一気に知られましたが、実は10代から映像作品に出演し、モンゴルで20年以上にわたって演技を続けてきた俳優です。
所属するFantastic Productionでは俳優だけでなく、映画制作やプロデュースにも携わってきました。
英字表記はBarslkhagva Batboldで、愛称は「バルサー」です。日本語では「バトボルド」「バタボルド」など表記に揺れがありますが、この記事では検索で広く使われている「バルサラハガバ・バトボルド」で統一します。
今回は、そんなバルサラハガバ・バトボルドさんの生い立ちや家族、学生時代、俳優を志したきっかけ、初出演から『VIVANT』のチンギス役をつかむまでをご紹介します。
バルサラハガバ・バトボルドの生い立ち|ウランバートルで俳優を夢見た少年時代
バルサラハガバ・バトボルドさんは、1986年2月26日にモンゴルの首都ウランバートルで生まれました。
子どもの頃から芸術に触れる機会があり、学校生活と並行して演劇の世界へ足を踏み入れています。
40ミャンガトで育ち、24番学校と子ども宮殿へ
2017年のモンゴル紙『Өнөөдөр』のインタビューでは、自分を「40ミャンガトの子ども」と紹介し、ウランバートルの24番学校を卒業したと話しています。
Fantastic Productionの公式プロフィールでも、1994年から2004年まで24番学校に在籍し、2004年に卒業した経歴が掲載されています。
小学5年生になると、モンゴル子ども宮殿のドラマサークルへ通い始めました。
2022年の本人インタビューでは、そこで後に俳優となるJ・アマルザヤーから指導を受け、学校ではモンゴル語の教師から詩の朗読大会へ向けた指導も受けていたことを振り返っています。
さらに中学生の頃には、モンゴル国立ドラマ劇場で約2年間、契約スタッフとして働いた経験もありました。
まだ俳優として本格的な仕事を始める前から、劇場の仕事を身近に見る環境にいたことになります。
劇場の舞台裏を見て「俳優になる」と決めた子ども時代
俳優を目指す気持ちを強くした出来事として、本人が何度も振り返っているのが子どもの頃に見た劇場の舞台裏です。
姉と一緒に劇を見に行った際、偶然俳優たちの着替えやメイクをする場所へ入り、テレビで見ていた人たちが衣装をまとって別の人物へ変わっていく姿を目にしました。
その光景を見た日に、自分も俳優になると心に決めたと2017年のインタビューで振り返っています。
2023年に日本で受けたインタビューでも、俳優を目指した時期についてははっきりしています。
子供の頃から俳優になることは決めていて、大学でも演技の勉強をしました。
出典:marie claire「VIVANT(ヴィヴァン)のチンギス役は誰? モンゴル人俳優・バルサーの存在感」(2023年8月15日)
子ども宮殿のドラマサークルから劇場へ進み、その後は演技を専門的に学ぶ学校へ進学していきます。
バルサラハガバ・バトボルドの家族|両親・祖父母の思い出と妻、3人の子ども
家族については、父親や母親の職業など細かなプロフィールよりも、本人が子どもの頃の思い出や祖父母とのつながりを具体的に語っています。
結婚後の家族についても本人のインタビューと所属先プロフィールから確認でき、仕事とは違う一面が見えるエピソードが残っています。
新しい服を早く着たかった6月1日|両親と過ごした幼少期
モンゴルのUBNが2024年に紹介した幼少期の写真には、6月1日の子どもの日に撮影された一枚があります。
その日に着ていた服は新しく買ってもらったもので、うれしさのあまり夜明け近くから起き、両親へ「早く新しい服を着て出かけよう」というようにせがんだそうです。
後年その写真を見た本人は、自分の娘が当時の自分とよく似た表情をすると話していました。
幼少期については「活発でいたずら好き」と紹介する記事もありますが、本人自身は2017年のインタビューで「おとなしく、芸術が好きな子どもだった」と振り返っています。
父・祖父母のルーツと、祖母を喜ばせた『Байтаг богд』の役
家族とのつながりが俳優の仕事と重なった作品が、映画『Байтаг богд』です。
この作品で演じたのは、モンゴルの英雄ダワードルジでした。
本人によると、祖父母と父親はいずれもフブスグル県トゥムルブラグ、旧称ブレンの出身で、演じることになったダワードルジも同じ地域の人物だったそうです。
監督たちはその縁を知らずに配役していましたが、地元から生まれた英雄を孫が演じると知った祖母はとても喜んだといいます。
祖母が亡くなる前に、その配役を喜んでもらえたという話は、本人が2019年のインタビューで大切な記憶として語ったものです。
テレビ局で妻と出会い、3人の子どもの父に
妻と出会ったのは、友人が立ち上げた第2チャンネルのテレビ局で働いていた頃でした。
本人は番組部門の責任者として入り、マーケティング部門で働いていた女性に惹かれたと2019年のインタビューで明かしています。
やり取りが始まったあと、好きな料理を聞き、その料理を自分で作って職場へ持っていくこともあったそうです。
2017年のインタビューでは1人の息子、2019年には2人の息子について話しており、2023年の日本向けインタビューでは妻と3人の子どもと暮らしていると本人が紹介しています。
Fantastic Productionの公式プロフィールにも、妻と3人の子どもがいることが掲載されています。
2026年にCentral Televisionが公開したインタビューでは、祖父母のもとで育った少年時代から日本で知られるようになるまでが本人の言葉で取り上げられています。
学生時代に俳優デビュー|10代の初出演から芸術文化大学へ
演劇サークルへ通っていた少年は、学校に在籍しているうちに映像作品へ出演するようになります。
その後は大学で演技を学び、テレビの仕事も経験しながら職業としての俳優を目指しました。
2002年『Монхорынхон』と2003年『Нэг ангийнхан』で映像の現場へ
Fantastic Productionの公式プロフィールで最も早い映像作品として掲載されているのは、2002年のテレビシリーズ『Монхорынхон』です。
UBNも、この作品で演じたトゥブシン役を最初のスクリーン作品として紹介しています。
『Монхорынхон』への出演は、モンゴル国営テレビの子ども番組を担当していた監督が子ども宮殿でオーディションを行ったことがきっかけでした。
演劇を学んでいた場所へ映像作品の選考がやって来て、学校に通う10代のうちにカメラの前で演じる機会をつかんだことになります。
続いて2003年には映画『Нэг ангийнхан』へ出演し、同世代の俳優たちと共演しました。
この作品の仲間とは長く交流が続き、後年になってもお互いを「同じクラスの仲間たち」と呼んでいると紹介されています。
初出演の表現には資料差があります。所属先公式とUBNは2002年『Монхорынхон』を最初期の映像作品としていますが、2022年の本人インタビューでは「最初の役」を尋ねられた際に『Нэг ангийнхан』を挙げています。この記事では、公式作品歴に沿って『Монхорынхон』を最も早い映像出演、『Нэг ангийнхан』を初期の映画出演として分けて扱います。
芸術文化大学で演技を学びながらC1テレビの司会者に
24番学校を2004年に卒業したあと、2005年にモンゴル国立芸術文化大学へ進学しました。
専攻は演技で、2009年まで4年間学び、学士号を取得しています。
大学で演技を学ぶ一方、学生時代からC1テレビで司会の仕事もしていました。
2017年にはC1での仕事について、8年間にわたって番組制作に携わったと振り返っています。
俳優だけに絞った学生生活ではなく、舞台、映像、テレビ番組の現場を行き来して経験を重ねていた時期でした。
俳優としての土台|劇場・テレビからFantastic Productionへ
大学を卒業する頃には、子どもの頃から続けてきた演技に加えて、テレビ司会者としても顔を知られるようになっていました。
そこから、大学時代の仲間たちとの映画制作が俳優キャリアの大きな軸になっていきます。
国立ドラマ劇場とテレビ局で経験を積んだ新人時代
所属先の公式プロフィールには、活動経験として国立ドラマ劇場、C1テレビ、第2チャンネル、O TVなどが並んでいます。
中学生の頃に劇場で働いた経験があり、その後はテレビ司会の仕事にも長く携わったため、演技だけではない複数の現場を経験していました。
UBNによれば、一時期は「俳優バルサー」よりも「司会者バルサー」「バンカー・バルサー」として知られていたほどです。
それでも映画への出演は続け、少しずつ役の大きさを広げていきました。
2012年、大学時代の仲間とFantastic Productionで映画制作へ
転機の一つになったのが、Fantastic Productionでの活動です。
本人は2019年のインタビューで、同じ学校・同じ世代の友人たちと「映画を1本作ろう」と話し、それぞれが担当を受け持ったところから一緒に作品を作るようになったと説明しています。
Fantastic Productionの公式プロフィールでは、2012年から同プロダクションで活動しているとされています。
俳優として出演するだけでなく、映画制作者やプロデューサーとしても作品づくりへ関わるようになりました。
2019年当時の本人は、それ以前には助演や小さな役が多く、直近の作品でようやく主要な役を任されるようになったと振り返っています。
『Зүрхний хилэн』『37-р Точка』で俳優として広く知られる存在に
モンゴルで「俳優バルサー」の印象を強めた作品として挙げられているのが、2017年の映画『Зүрхний хилэн』です。
UBNは、この作品のフン・ジョウ役を、本人が特に愛着を持ち、観客に俳優として認識される大きなきっかけになった役として紹介しています。
役をつかむために監督へ働きかけ、撮影に備えて満州語も学びました。
本人によると、満州語に訳された自分のせりふだけで30ページを超え、発音や話し方を身につけながら撮影に臨んだそうです。
撮影直前には右手を骨折しましたが、ギプスを外して撮影へ臨んだことを本人が2017年のインタビューで明かしています。
2019年にはドラマ『37-р Точка』でルター役を演じ、本人の名前より役名の「ルター」で呼ばれることが増えるほど反響を得ました。
同年のインタビューでは、以前は助演や小さな役が中心だったと自分で振り返っており、『Зүрхний хилэн』や『37-р Точка』の頃は主要な役へ比重が移っていった時期でもありました。
Fantastic Productionの作品歴には歴史映画から現代劇まで20本を超える出演作が記録されていますが、Who’s Rootsでは出演一覧ではなく、役の大きさや評価が変わった作品を中心に扱っています。
『VIVANT』チンギス役まで|モンゴルから国際作品へ進んだ転機
2010年代後半から主要な役が増え、2020年代にはモンゴル国内で演技賞を受け、海外の映画撮影にも参加するようになります。
その時期に受けた日本のドラマのオーディションが、『VIVANT』のチンギス役へつながりました。
日本でのドラマ出演は初めてでしたが、本人は2023年のインタビューで、それまでにモンゴルで約25本の映画に出演し、悪役を多く演じてきたと話しています。
『Буруу өрөг』で最優秀俳優|モンゴル国内で評価を確立
2022年3月23日に開催されたモンゴルの芸術賞「Мөнгөн мод – 2021」で、バルサラハガバ・バトボルドさんは最優秀俳優に選ばれました。
受賞対象となったのは、映画『Буруу өрөг』での主演です。
モンゴル国営放送MNBも、同作の主演によってFantastic Productionのバルサラハガバさんが最優秀俳優に選出されたと伝えています。
国内作品で積み重ねてきた演技が、正式な俳優賞として評価された時期でした。
その後はイギリス、オーストラリア、モンゴル、ハンガリーの共同制作映画『1242: Gateway to the West』の撮影にも参加し、モンゴルの将軍ハシを演じています。
UBNによると、これが本人にとって最初の海外映画の現場で、ハンガリーで国外の映画制作を実際に経験する機会になりました。
ハンガリーで海外作品を撮影中、『VIVANT』チンギス役決定の知らせ
『VIVANT』のオーディションを受けたのは、2022年10月でした。
本人によると、プロデューサーの飯田和孝さんと原作・演出の福澤克雄さんがモンゴルを訪れ、国内の俳優およそ20人を集めて選考が行われました。
オーディションを終えたあと、バルサラハガバさんは別の映画を撮影するためハンガリーへ向かいます。
そこで届いたのが、チンギス役に選ばれたという知らせでした。
そこでチンギス役に選ばれたというお話をいただいて、とても喜びました。
出典:ORICON NEWS「『VIVANT』チンギスに衝撃事実『スキンヘッド案も出た』 モンゴル人俳優・バルサーが告白」(2023年9月2日)
『VIVANT』は日本での初ドラマ出演でしたが、オーディション時点ですでに10代から約20年の演技経験があり、モンゴル国内では多数の映画・ドラマに出演していました。
長髪のチンギス役で日本でも名前を知られる俳優へ
2023年に放送された『VIVANT』で演じたチンギスは、架空のバルカ共和国で乃木たちを追う警察官です。
TBS公式でも、バルサラハガバさんはチンギス役の俳優としてクレジットされています。
役の外見で特に目を引いた長髪は、撮影前から決まっていたわけではありませんでした。
本人は次の作品のため約3年間髪を伸ばしており、一時はスキンヘッド案も出ましたが、福澤監督との相談を経て長い髪を生かす形になりました。
当初、監督から「長い髪はそのままで演じてください」と言われたんです。
出典:TVガイドWeb「チンギス役のバルサラハガバ・バトボルド、『チンギスもこれだけでは終わりません!』――『VIVANT』インタビュー」(2023年9月2日)
『VIVANT』のチンギス役によって、日本でも「バルサー」の名前が広く知られるようになりました。
放送が始まったあとに日本へ来ると、飛行機の中や東京の飲食店で「チンギスさん」と声をかけられたと本人は話しています。
TBSの『VIVANT』公式Xも、2023年7月30日に撮影の合間の姿を公開し、モンゴル映画界で活動してきた俳優であることや、役柄とは違う穏やかな一面を紹介しました。
日本へ初めて渡ったのも『VIVANT』の撮影で、2023年1月から4月に日本で撮影し、その後は約2か月半にわたるモンゴルロケにも参加しました。
2026年には同じチンギス役で『VIVANT』第2シーズンにも出演し、TBSの公式キャストにもBarslkhagva Batboldの名前が掲載されました。
モンゴルで長く活動してきた俳優にとって、チンギスは日本でも継続して演じる役になりました。
















