PROFILE
人物プロフィール
映画『20世紀少年』でケンヂの幼少期を演じ、ドラマ『ドラゴン桜』では小橋役、『VIVANT』では別班の熊谷一輝役を演じた俳優の西山潤さん。
1998年7月12日生まれ、神奈川県出身で、小学1年生のころから芸能界にいるという長いキャリアの持ち主です。
これだけ聞くと、子どものころから俳優を目指してきたようにも思えますが、実際はまったく違いました。
最初にスカウトされたのは姉で、西山さん自身は芸能界にも芝居にもほとんど興味がなかったのです。
子役として映画に出演する一方で野球を続け、中学生になってから初めて俳優を仕事として意識し、高校卒業後には大学にも進学しました。
今回は、そんな西山潤さんの生い立ちや家族、子役時代、学生時代、芸能界へ入ったきっかけ、俳優を続けることを決めた経緯などをご紹介します。
西山潤の生い立ち|神奈川県出身、野球好きの子ども時代
西山潤さんは、1998年7月12日生まれの神奈川県出身です。
後に小学生で芸能界へ入りますが、それ以前から芸能人に憧れていたわけではありませんでした。
子どものころの夢は全日空のパイロット
子どものころの西山さんが思い描いていた将来は、俳優とはまったく別のものでした。
2021年のねとらぼのインタビューでは、小さいころの夢を「全日空のパイロット」と答えています。
小学1年生で芸能事務所に入ったあとも、すぐに「俳優になりたい」と考えるようになったわけではありません。
芸能活動とは別に夢や学校生活があり、仕事だけに生活の中心を置いていた子役ではなかったようです。
小学生時代の愛称は「にっしー」。『ドラゴン桜』の現場では「じゅんじゅん」や「潤くん」と呼ばれていたと本人が明かしています。
小学生で野球を始め、芸能活動はまだ「習い事」だった
西山さんが子どものころから長く続けていたものの一つが野球です。
小学生で野球を始め、中学校では野球部へ入り、その後も高校卒業まで野球から離れませんでした。
一方ですでに俳優の仕事も始まっていましたが、本人の中では芸能活動に対する温度感がまったく違っていました。
興味の“興”の字もなかったです。
出典:STREAM「西山潤 「『笑うマトリョーシカ』で玉山鉄二さんと役の解釈が一致していてうれしかった」 INTERVIEW」(2024年8月8日)
母親からも強く芸能活動を勧められたわけではなく、本人がやりたいならやってみるという程度の距離感だったと振り返っています。
子役として映画に出演していた時期でさえ、西山さんにとって仕事はまだ習い事の延長でした。
西山潤の家族|姉のスカウトから始まった芸能界入り
西山さんの芸能界入りを語るうえで欠かせないのが、父親、母親、そして姉の存在です。
家族について本人が語ったエピソードを見ると、人生のいくつかの節目で父親や母親、姉が関わっていたことが分かります。
恵比寿で姉がスカウトされ、面接について行った本人が合格
芸能界入りのきっかけが訪れたのは、西山さんが小学1年生のときでした。
家族で東京・恵比寿にあるケンタッキーフライドチキンで食事をしていたところ、事務所のスカウト担当者から声をかけられます。
ただし、その場でスカウトされたのは西山さんではなく、一緒にいた姉でした。
後日、姉が面接を受ける際に西山さんも一緒について行き、本人も面接を受けることになります。
おまけでついていった僕が受かりました。
出典:スターダストプロモーション「【西山潤インタビュー】NHK大河ドラマ『どうする家康』・日曜劇場『VIVANT』に出演!」(2023年8月6日)
姉のスカウトに同行したことから、西山さん自身の芸能活動が始まりました。
本人が芸能界を志望して応募したものではなく、姉のスカウトに同行したことが芸能活動を始めるきっかけでした。
母親は本人に選ばせ、家族は部活も仕事も支えた
事務所へ入ってからも、母親は芸能活動を強く押し進めるような姿勢ではなかったそうです。
西山さんは後年、家族について、芸能活動を強く肯定するわけでも否定するわけでもなかったと振り返っています。
その一方で、部活動も仕事も応援し、どちらにも取り組める環境を作ってくれたとも話しています。
子役として仕事をしながら野球を長く続けられた背景には、こうした家族の支えもありました。
西山さんはインタビューで、父親・母親・姉についてそれぞれ語っています。
子役時代|初オーディション『サイレン』から『20世紀少年』へ
事務所に入ったことと、俳優として仕事を始めたことは同じではありません。
西山さんが初めて演技の仕事を得たのは、事務所入り後に受けた映画のオーディションでした。
初めて受けたオーディションで映画デビュー
人生で初めて受けたオーディションは、堤幸彦監督の映画『サイレン 〜FORBIDDEN SIREN〜』でした。
その初オーディションで合格し、2006年公開の同作で天本英夫役を演じています。
映画デビュー翌年の2007年には、テレビ朝日系ドラマ『スシ王子!』第5話・第6話で磯貝タクミ役を演じ、テレビドラマにも出演しました。
事務所入りのきっかけは姉のスカウトでしたが、俳優としてのデビューは自分で受けた最初のオーディションでした。
演じたのは市川由衣さん演じる主人公のそばにいる無表情の少年で、西山さんによるとセリフはありませんでした。
イメージシーンでは笑う必要がありましたが、演技で笑うことが恥ずかしく、助監督にくすぐってもらったことも覚えているそうです。
撮影では、森本レオさんが演じる父親が恐ろしい姿で追ってくる場面を本気で怖がり、予定されていた動きより先に逃げ出してしまったこともありました。
事務所の演技レッスンでは「無視されっぱなし」というセリフを「虫刺されっぱなし」と読み間違え、周囲が大笑いしたという小学生らしい失敗も残っています。
『20世紀少年』でケンヂの幼少期を演じた小学4年生
『サイレン』に続いて西山さんが出演した堤幸彦監督作品が、浦沢直樹さんの漫画を実写映画化した『20世紀少年』シリーズです。
2008年公開の第1章から2009年の第2章・最終章まで、唐沢寿明さんが演じた主人公・ケンヂの幼少期を担当しました。
このころ西山さんは小学4年生でした。
堤監督からは、この業界を続けるよう声をかけられたといいます。
その言葉と監督の表情は後年まで鮮明に覚えていた一方で、当時は野球も好きだったため、俳優として生きていくという意識までは持っていませんでした。
『サイレン』と『20世紀少年』はどちらも堤幸彦監督作品です。西山さんは大人になったあと、2023年の『Get Ready!』で再び堤監督の現場に参加しました。
中学受験では芸能活動を辞める選択肢もあった
子役として作品への出演を重ねていましたが、小学校を卒業する時点でも芸能界だけを進路に決めてはいませんでした。
西山さんは中学受験を経験しており、その際には芸能活動を辞めることも考えていたと明かしています。
進学した中学校が芸能活動をある程度続けられる学校だったため、そのまま仕事を続けることになりました。
別の学校へ進んでいたら芸能活動を辞めていたかもしれないと本人が振り返るほど、この進学はその後を左右する出来事でした。
西山潤さんはインタビューで、中学受験をしたこと、芸能活動をある程度続けられる中学校へ進んだこと、一般的な高校へ通ったこと、大学へ2年間通ったことを明かしています。
中学・高校時代|野球と芝居を続け、俳優志望へ変わる
小学生の西山さんにとって、芸能活動はまだ習い事のようなものでした。
その感覚が変わり始めたのが中学生になってからです。
中学1年生で『カイジ』を見て「役者としてやっていきたい」へ
中学校では野球部に入り、学校生活と野球、俳優の仕事を並行していました。
仕事を続ける中で、自分にはまだ芝居ができていないと感じるようになります。
ところが、そのときに浮かんだのは「辞めたい」という気持ちではありませんでした。
「もっと芝居がうまくなりたい」と思ったことが、子役から俳優志望へ変わる入口になりました。
大きなきっかけになったのは、中学1年生のときに見た実写映画『カイジ』です。
主演の藤原竜也さんの熱量に引き込まれ、こういう芝居ができる俳優になりたいと思うようになりました。
それまでの「芝居がうまくなりたい」という気持ちは、やがて「役者としてやっていきたい」という意思へ変わっていきます。
『大奥』の現場で堺雅人に相談した中学2年生
俳優を続けたいと思うようになっても、中学生の生活から野球や勉強がなくなったわけではありません。
中学2年生だった2012年には、ドラマ『大奥〜誕生[有功・家光篇]』へ鶴千代/稲葉正則役で出演しました。
当時は部活動、仕事、勉強を抱え、何をどうすればいいのか分からなくなる時期があったといいます。
その現場で相談した相手が、主演の堺雅人さんでした。
堺さんからは、現場にいるときは目の前の仕事へ全力を注ぎ、今を頑張っていけば自分のやりたいことも見えてくるという趣旨の言葉をもらいました。
西山さんは、その言葉がその後も心に残っていると振り返っています。
高校では選手登録できず、野球部を支える側へ
高校へ進んでも、野球と俳優のどちらか一方をすぐに手放すことはありませんでした。
本人によると、高校時代には芸能活動との兼ね合いから、野球部の選手としてもマネージャーとしても登録できなくなったそうです。
通っていたのは芸能活動を専門にする学校ではなく、平日に学校を休むことも難しかったため、土日の撮影と部活動が重なることもありました。
それでも野球部から離れるのではなく、ノック、バッティングピッチャー、ブルペンキャッチャー、トレーニングの補助、練習メニューの考案などを担当しました。
試合に出られなくても、高校卒業まで野球部に関わり続けています。
本人は、大人になってからでも野球はできる一方、学生の部活動はその時期にしかできないため続けたかったと話しています。
小学生で野球を始め、中学では野球部へ進み、高校ではサポート側へ回りました。同じ時期に俳優への意識も強まり、西山さんは学生生活と仕事の両方を続けていました。
大学を2年で辞め、俳優一本へ
高校卒業後、西山さんはそのまま芸能活動一本に絞ったわけではありません。
大学へ進学し、2年間は大学生活と俳優の仕事を並行していました。
20歳、父親と初めて二人で飲んだビールが進路を決めた
小学1年生から芸能界にいた西山さんは、学校と仕事の両方に長く取り組んできました。
気持ちではそれぞれに全力で向き合っていても、仕事のために学校を休むこともあれば、学校のために仕事を抑える時期もありました。
大学に2年間通ったころ、初めてどちらか一つへ力を注ぐことを考えるようになります。
その決断に関わったのが父親でした。
父親の言葉が大きかったです。
出典:STREAM「西山潤 「『笑うマトリョーシカ』で玉山鉄二さんと役の解釈が一致していてうれしかった」 INTERVIEW」(2024年8月8日)
20歳になった西山さんは、父親と初めて二人でビールを飲みました。
その席で父親からどんな仕事をしているのか聞かれ、大河ドラマの仕事をしていることを伝えます。
すると父親から、大学を辞めて仕事へ集中してはどうかという趣旨の言葉をかけられました。
西山さん自身も同じ方向を考えていたため、翌日には大学へ行き、退学する意思を伝えたと話しています。
小学1年生で偶然芸能界へ入ってから十数年がたち、ここで初めて学校との両立ではなく、俳優の仕事だけを選びました。
『いだてん』で林遣都との関係が深まり「師匠」に
2019年にはNHK大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』に宮崎康二役で出演しました。
この作品で関係が深まった俳優の一人が、林遣都さんです。
二人はそれ以前にも複数の作品で接点がありましたが、西山さんは後年、最も関係が濃くなったのは『いだてん』からだったと話しています。
その後はプライベートでも交流するようになり、西山さんは林さんを「師匠」と呼ぶようになりました。
芝居に悩んでメールを送ると長文の返事をもらうこともあり、俳優として仕事を続ける中で相談できる先輩になっていきます。
同世代の活躍を見ながら、俳優を辞めたいと思った時期もあった
子役から長く活動してきたからといって、仕事が一直線に広がっていったわけではありません。
同じ事務所には、子どものころから同じ時代に活動していた北村匠海さんや中川大志さんもいました。
北村匠海さんとは子役時代から演技レッスンを一緒に受けており、2025年の連続テレビ小説『あんぱん』では再び同じ作品へ出演しています。
西山さんが演じた古川マモルは、北村さん演じる柳井嵩をモデルにした劇中ミュージカルの「ヤルセ・ナカス」を演じる役で、子役時代から続く二人の縁が別の形で重なりました。
二人が先に活躍の場を広げていく姿を見て、悔しさを感じたこともあったそうです。
辞めたいと思うこと何回もありました。
出典:ねとらぼ「『ドラゴン桜』ヤンキー役で注目 西山潤『辞めたいと思うこと、何回もありました』 同期の活躍、悔やむ日々語る」(2021年9月2日)
小学1年生から芸能界にいながら、途中では中学受験を機に辞めることを考え、俳優を志したあとにも何度も辞めたいと思った時期がありました。
それでも仕事を続けた先で、大きな反響を受ける作品に出会います。
『ドラゴン桜』が転機に|1000人規模のオーディションから仕事が広がる
2021年、西山さんはTBS系日曜劇場『ドラゴン桜』第2シリーズに出演しました。
演じたのは、龍海学園の生徒・小橋辰徳です。
小橋役をつかみ、丸刈りの不良コンビとして注目される
『ドラゴン桜』への出演は、約1000人が参加した生徒役オーディションを勝ち抜いて決まったものでした。
小橋は、第1話で阿部寛さん演じる桜木建二と対立する不良生徒として登場します。
西垣匠さんが演じる岩井と行動をともにし、二人は丸刈り姿の不良コンビとして物語に加わりました。
撮影前には福澤克雄監督と役のイメージについて話し合い、それまで西山さんがあまり演じてこなかったタイプの人物に取り組んでいます。
当初は桜木を陥れようとする側だった小橋と岩井ですが、物語が進むにつれて東大専科を手伝うようになり、最終的には「練習生」として加わりました。
公式SNSには、全力で勉強に挑む岩井と小橋のオフショットも残されました。
西垣匠・細田佳央太・髙橋海人ら同世代との出会い
『ドラゴン桜』で西山さんが得たものは、役への反響だけではありませんでした。
現場では西垣匠さん、細田佳央太さん、髙橋海人さんら、同世代の俳優たちと出会っています。
西山さんは後年、西垣さん、細田さん、髙橋さんとは作品が終わったあとも連絡を取り合い、お互いの出演作について率直に意見を言える関係だと明かしました。
先輩俳優から学ぶ機会が多かったそれまでのキャリアに加えて、同じ世代で芝居を続ける仲間ができた作品でもありました。
本人が『ドラゴン桜』をターニングポイントと語る理由
子役時代から数えれば、『ドラゴン桜』出演までにはすでに15年以上の芸能活動がありました。
『サイレン』で映画デビューし、『20世紀少年』で主人公の幼少期を演じ、中学生で俳優を続ける意思を持ち、高校では野球と仕事を並行し、大学を辞めて俳優一本を選んでいます。
その長いキャリアの中でも、西山さん自身が後にターニングポイントとして挙げたのが『ドラゴン桜』でした。
『ドラゴン桜』は僕にとってのターニングポイントです。
出典:STREAM「西山潤 「『笑うマトリョーシカ』で玉山鉄二さんと役の解釈が一致していてうれしかった」 INTERVIEW」(2024年8月8日)
阿部寛さんや同級生役の仲間との出会いがあり、作品を見た人から声をかけられる機会も増えたといいます。
『ドラゴン桜』への出演後には、新たな仕事の声がかかる機会も増えていきました。
同じ2021年9月には、舞台『ヒミズ』で住田祐一役を務め、初舞台にして初主演にも挑みました。
映画やテレビドラマで子役時代から活動してきた西山さんにとって、舞台はここで初めて経験する演技の場でした。
小学1年生で姉の面接について行ったところから始まった芸能活動は、中学生で自分の意思による俳優志望へ変わり、大学を辞めて仕事一本に絞った先で『ドラゴン桜』という転機を迎えました。
最初から俳優だけを目指していたのではなく、野球や学校生活を続けながら何度も選び直してきたところに、西山潤さんが子役から一人の俳優になるまでの道のりがあります。















