PROFILE
人物プロフィール
ドラマ『花より男子』の花沢類役や映画『クローズZERO』の主演など、数々の作品で知られる俳優の小栗旬(おぐり しゅん)さん。
2022年にはNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で主演を務め、2023年には所属事務所の代表取締役社長に就任しました。
そんな小栗旬さんが芸能界に入ったきっかけは、小学生のころに女優の内田有紀さんへ憧れたことでした。
舞台監督の父親とバレエに携わってきた母親のもとで育ち、児童劇団でエキストラを経験した後、15歳で出演した『GTO』から俳優としての道が大きく変わっていきます。
高校時代には父親と進路をめぐってぶつかったこともあり、若いころから順調に仕事が決まっていたわけではありません。
今回は、そんな小栗旬さんの生い立ちや家族、学生時代、芸能界入りのきっかけ、俳優として最初の仕事から大きな転機を迎えるまでをご紹介します。
小栗旬の生い立ち|東京都小平市で育った子ども時代
小栗旬さんは、1982年12月26日に東京都で生まれ、小平市で育ちました。
子どものころから映画や舞台に触れる機会があり、表現する仕事は決して遠い存在ではなかったようです。
映画が身近にあった幼少期と子どものころの夢
小栗旬さんの父親はオペラなどを手がける舞台監督で、母親もクラシックバレエに関わる仕事をしていました。
両親は映画が好きで、小栗さんも幼いころからさまざまな作品を見る機会があったそうです。
2026年7月19日放送の日本テレビ系『メシドラ~兼近&真之介のグルメドライブ~』では、両親が映画を見ていたため、自分も多くの作品を見るようになったと振り返っています。
映画に登場する人物を見て、格好いいと思ったり、自分も同じようなことをしてみたいと感じたりしていたといいます。
ただ、最初から俳優だけを目指していたわけではありません。
2022年6月27日公開の『GQ JAPAN』のインタビューでは、子どものころの夢について次のように答えています。
シェフに憧れていたことがありました。
出典:GQ JAPAN「革新の人、小栗旬の現在──Oguri Shun : A Man of Innovation」(2022年6月27日)
料理人になりたいと思った理由は、料理そのものが得意だったからではなく、東山紀之さんが出演したドラマ『ザ・シェフ』の影響でした。
テレビドラマで見た職業に憧れたという話からも、幼いころに映像作品を楽しんでいた様子が伝わってきます。
小栗旬さんは4歳のころ、父親が舞台監督を務めた作品に出演した経験もあります。2021年の『A-Studio+』では、そのときの様子を父親が振り返りました。
小学生のころに内田有紀へ憧れたきっかけ
小栗旬さんが小学校高学年になると、芸能界への興味を強くする出来事がありました。
当時、夢中になっていた女優が内田有紀さんです。
内田さんの出演作品を見ていた小栗さんは、どうすれば本人に会えるのかを考えるようになりました。
2021年10月3日放送の『日曜日の初耳学』では、小学校5年生のころから内田さんに会いたいと思っていたことを明かしています。
そして、学校の友人との何気ない会話が、実際に芸能活動を始めるきっかけになりました。
このときの詳しい応募の経緯は、後ほど芸能界入りの章でご紹介します。
小栗旬の家族|父親・母親・兄・姉との関係
小栗旬さんは、父親・母親・兄・姉がいる5人家族の末っ子として育ちました。
家族には舞台制作や演出、バレエなどに携わってきた人が多く、小栗さん自身も家族と同じ仕事の現場に立った経験があります。
父親は舞台監督の小栗哲家
父親の小栗哲家(おぐり てつや)さんは、オペラやコンサートなどの舞台制作を手がけてきた舞台監督です。
世界的な指揮者の小澤征爾さんらが関わる公演にも携わり、舞台を裏側から支える仕事を続けてきました。
そのため仕事で家を空けることも多く、小栗旬さんが子どものころには、父親が家にいない時間も長かったといいます。
2021年の『A-Studio+』では、番組MCの笑福亭鶴瓶さんと藤ヶ谷太輔さんが父親の哲家さんを取材しました。
小栗さんにとって、父親が出演する番組ではなく、自分の出演回で父親の話を聞く機会となりました。
親子は大人になってからも、仕事を通じて同じ舞台に立っています。
2017年には、哲家さんが舞台演出を手がけた「サントリー1万人の第九」に小栗旬さんが朗読ゲストとして出演しました。
親子で一緒に仕事をする機会は意外にも少なく、この公演は二人にとって特別な共演となりました。
父親は舞台をつくる側、息子は出演する側という立場で、同じ公演に参加したのです。
母親はバレエに携わった小栗昇子
母親の小栗昇子(おぐり しょうこ)さんは、元バレエダンサーで、バレエの指導にも携わってきた人物です。
父親が舞台制作、母親がバレエというように、両親はそれぞれ異なる立場から舞台芸術と関わっていました。
兄の小栗了さんが2020年のテレビ番組で語ったところによると、父親と母親の出会いには「ムーミン」が関わっていたそうです。
小栗家には仕事にまつわる独特の生活リズムもありました。
兄の了さんは2021年1月4日放送の文化放送『くにまるジャパン 極』で、父親が年越しコンサートを担当するようになってから、家族全員で年越しをする機会がほとんどなかったと話しています。
一方、家族の間では大人になっても気さくなやり取りが続いているようです。
了さんによると、父親と兄弟の声が似ているため、実家へ電話すると母親から誰なのかを確認されることがあるといいます。
声だけでは区別がつきにくく、名乗り方をめぐって母親とやり取りすることもあるそうです。
2023年9月には、了さんが母親の誕生日に合わせて家族5人の集合写真をInstagramで公開しました。
写真には小栗旬さんと両親、兄、姉がそろって写っており、幼いころからの家族だけが集まった一枚として紹介されています。
兄・小栗了と姉・麻梨、3人きょうだいの末っ子
小栗旬さんには、6歳年上の兄・小栗了さんと、姉・麻梨さんがいます。
兄の了さんは1976年9月5日生まれで、映画監督を目指して1995年にアメリカへ渡りました。
その後、2001年に帰国して俳優として活動し、蜷川幸雄さんの舞台にも出演しています。
2006年に俳優を引退した後は、舞台制作やイベント演出などの仕事へ進みました。
弟の旬さんとは、演技をする側と舞台をつくる側という、それぞれ異なる仕事の立場で関わるようになっています。
了さんは、子どものころには弟を小突いたりしていたことを振り返っています。
一緒にゲームをしていた幼少期には、ゲーム機のコードを蹴ってしまうようなこともあったそうです。
しかし、成長して俳優になった弟の姿を見て、兄としての見方も変わっていきました。
2021年のラジオ出演では、小栗旬さんが仕事仲間や後輩に気を配る姿を見て、末っ子だった弟が周囲を引っ張る立場になっていることに驚いたと話しています。
姉の麻梨さんも舞台の衣装に関わる仕事をしていたことがあり、兄と姉は海外留学を経験しています。
小栗旬さんは2021年の『A-Studio+』で、英語を話せる兄と姉に対し、自分だけが英語を話せないことを気にしていた時期があったと明かしました。
また、姉の麻梨さんは、後に小栗さんが『花より男子』の花沢類役を引き受ける際にも、率直な意見を伝えています。
その姉の言葉が、出演を迷っていた小栗さんの気持ちを変えることになります。
小栗旬の学歴と学生時代|中学での経験から高校中退まで
小栗旬さんは、小学校時代から児童劇団に通い、学校生活と芸能活動を並行していました。
中学校では人間関係に悩んだ経験もあり、高校時代には俳優として仕事を続けるため、進路について真剣に考えるようになります。
小学校・中学校時代と本人が語ったいじめの経験
小栗旬さんは東京都小平市で小中学校時代を過ごしました。
出身校としては、小平市立小平第三小学校と小平市立上水中学校の名前が複数の学歴紹介資料に掲載されています。
小学生のころから芸能活動に興味を持っていた一方で、学校では必ずしも自分を積極的に表現するタイプではなかったようです。
2026年7月19日放送の『メシドラ』では、中学時代について自ら次のように話しています。
自分を表現できるタイプではなかったかもしれない
出典:日刊スポーツ「小栗旬が告白『中学校の頃はいじめられたから』少年時代を振り返る」(2026年7月19日)
この番組で小栗さんは、中学校でいじめを受けた経験があることも明かしました。
人前で思っていることを表現するのが得意ではなかった少年が、すでに児童劇団では別の人物を演じる経験を重ねていたのです。
後年、俳優という仕事への興味を尋ねられた際には、自分自身では表現できないことも役柄を通して表現できるという点に魅力を感じていたと説明しています。
学校での経験を特定の作品や役柄に直接結びつけた発言ではありませんが、当時の自分と、俳優という職業への思いを本人が振り返った貴重な話です。
明星学園高校での生活と中退を決めた経緯
中学校を卒業した小栗旬さんは、東京都三鷹市にある明星学園高等学校へ進学したと伝えられています。
高校へ進んだころにはすでにドラマへの出演経験があり、学業と俳優の仕事を両立する生活を送っていました。
しかし、高校生活の途中で進路をめぐる大きな出来事が起きます。
高校2年生のころ、小栗さんは髪をモヒカンにしていたことがありました。
その姿を見た父親の哲家さんが激しく怒り、何をしたいのかと問いただしたそうです。
2021年10月8日放送の『A-Studio+』で、小栗さんはそのとき父親へ伝えた言葉を明かしています。
芝居やりたいから、高校やめる
出典:スポニチアネックス「小栗旬『芝居やりたい』と本気で思ったきっかけ モヒカン頭で舞台監督の父・哲家氏に激怒され…」(2021年10月9日)
父親は高校を辞めることには反対し、学校は続けるように伝えたといいます。
その後、小栗さんはモヒカンをやめて坊主頭にしましたが、今度は髪を真っ赤に染めていたそうです。
本人は、このときほど父親に真剣に怒られたことは後にも先にもなかったと振り返っています。
最終的に高校を中退し、俳優としての仕事を続ける道を選びました。
高校中退後には兄の了さんとアメリカを旅した経験もあり、兄弟で異なる文化に触れる時間を過ごしています。
高校を卒業したという記録や、大学へ進学したという確かな経歴はなく、俳優としての仕事へ進んだことが小栗さんの学歴と進路を理解するうえで重要な部分です。
小栗旬の芸能界入り|内田有紀への憧れから児童劇団へ
小栗旬さんが芸能界へ入る最初のきっかけは、スカウトされたことでも、家族から俳優になるよう勧められたことでもありません。
内田有紀さんに会いたいという思いから、自分で児童劇団へ応募したことが芸能活動の始まりでした。
同級生の言葉をきっかけに児童劇団へ応募
小学生のころ、小栗旬さんは内田有紀さんの出演作品を見て強い憧れを抱いていました。
そんなある日、同級生から内田さんに少し似ているため、弟役を演じられるのではないかと言われたそうです。
その言葉を信じ、児童劇団の募集へ応募しました。
2021年の『日曜日の初耳学』では、そのころのことを次のように振り返っています。
小学校5年生の時に内田有紀さんにお会いしたくて…それがきっかけです
出典:J-CASTニュース「小栗旬が『俳優目指すきっかけ』になった役者 10代の頃は『どうしたら会えるんだろうと』」(2021年10月4日)
当時は内田さんに会うことが目標で、10代半ばになるまで、どうすれば会えるのかを考えていたといいます。
児童劇団へ入った時期については小学5年生とする本人の回想があり、11歳前後から活動を始めたとされています。
また、小学生から中学1年生くらいの時期には、旧ジャニーズ事務所へ自分で写真と応募書類を送った経験もあったそうです。
しかし、その応募には返事がなかったことを、2021年の『A-Studio+』で明かしています。
こうした少年時代の行動からは、憧れの人がいる芸能界へ近づこうと、自分なりに方法を探していたことがうかがえます。
エキストラ時代を経て『八代将軍吉宗』に出演
児童劇団へ入った小栗旬さんは、まずエキストラなどの仕事を経験しました。
最初から大きな役を与えられたわけではなく、撮影現場に参加しながら少しずつ出演経験を積んでいきます。
子役時代の代表的な初期出演作の一つが、1995年のNHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』です。
同作では少年時代の徳川宗翰を演じ、大河ドラマへの初出演を果たしました。
さらに1996年の大河ドラマ『秀吉』では、少年時代の石田三成にあたる佐吉役を演じています。
このころからテレビドラマへの出演を重ねていましたが、仕事の中心はまだ子役としての活動でした。
芸能界入りを果たした時点と、俳優として多くの現場で仕事をするようになった時期には違いがあります。
小栗さんにとって、撮影へ継続的に参加する大きな経験となったのが、1998年放送の『GTO』でした。
小栗旬が俳優の道へ|『GTO』出演とトライストーンとの出会い
1998年、小栗旬さんは反町隆史さん主演のドラマ『GTO』に出演しました。
15歳だった小栗さんにとって、連続ドラマへレギュラー出演する初めての経験となり、その撮影現場での出会いが所属事務所との縁にもつながります。
15歳で『GTO』の吉川のぼる役を演じる
『GTO』は、元暴走族の教師・鬼塚英吉が生徒たちと向き合う学園ドラマです。
小栗旬さんが演じたのは、クラスでいじめを受けている生徒の吉川のぼるでした。
2021年放送の『日曜日の初耳学』で、小栗さんは『GTO』出演時、レギュラーとして毎回の撮影に参加することがほぼ初めてだったと話しています。
反町隆史さんをはじめ、多くの俳優が出演する現場で、周囲に必死についていこうとしていたそうです。
子役としてエキストラを経験していた少年が、連続ドラマのレギュラーとして本格的な撮影に参加するようになったのです。
1998年版の出演者たちは、2024年の特別ドラマ『GTOリバイバル』でも再集結しました。
同作では小栗さんも再び吉川のぼる役で出演し、反町さんや当時の共演者と同じ作品に参加しています。
長い年月を経て演じた吉川のぼるは、10代で経験した重要な役柄の一つでした。
窪塚洋介への憧れから事務所との出会いへ
『GTO』の撮影現場には、小栗旬さんの俳優人生に影響を与える人物がいました。
同じ作品に出演していた窪塚洋介さんです。
小栗さんは窪塚さんの姿を見て、自分もあのような俳優になりたいと強く感じたといいます。
2026年7月の『メシドラ』では、当時の憧れについて次のように語りました。
このお兄さんみたいになりたいと思って
出典:日刊スポーツ「小栗旬、15歳の頃憧れた共演俳優を明かす『このお兄さんみたいになりたいと』」(2026年7月19日)
そこで小栗さんは、窪塚さんが当時所属していた事務所の社長へ、自分も所属できないかと直接相談しました。
しかし、その事務所では窪塚さんの育成に力を注いでおり、新たに小栗さんを受け入れても十分に面倒を見られないかもしれないと伝えられました。
その代わりに紹介されたのが、俳優を育てたいと考えていた別の人物でした。
その紹介を通じて出会ったのが、後に所属先となるトライストーン・エンタテイメントです。
小栗さんは同番組で、最初から事務所が決まっていたわけではなく、このような出会いを経て所属につながったことを明かしています。
小学生のころは内田有紀さんに会いたいという思いから芸能界を目指しましたが、15歳で出会った窪塚さんには、俳優として目指す姿を重ねていました。
新人時代の仕事と俳優としての進路選択
『GTO』への出演後、小栗旬さんはテレビドラマや映画への出演を重ねていきます。
2000年にはTBS系ドラマ『Summer Snow』に出演し、耳が聞こえない少年・篠田純を演じました。
堂本剛さんが演じる主人公の弟という役柄で、言葉に頼れない人物の感情を表現する演技にも取り組んでいます。
兄の小栗了さんは後年、この作品で弟の演技を見たことを、俳優としての成長を感じた出来事の一つとして振り返っています。
さらに2002年には、漫画を実写化した映画『羊のうた』で映画初主演を務めました。
加藤夏希さんらと共演した同作では、特殊な運命を背負った青年・高城一砂を演じています。
『GTO』の生徒役から『Summer Snow』、そして映画主演へと、年齢を重ねるにつれて任される役柄も変わっていきました。
2002年にはドラマ『ごくせん』にも出演し、学園ドラマでの経験を積んでいます。
ただ、小栗さんが取り組んでいたのは映像作品だけではありません。
舞台にも出演するなかで、演出家の蜷川幸雄さんと出会い、別の形で演技と向き合うことになります。
小栗旬と蜷川幸雄|舞台で広がった俳優としての経験
小栗旬さんは10代からテレビドラマや映画に出演する一方で、演劇の舞台にも立ってきました。
そのなかで重要な存在となったのが、演出家の蜷川幸雄(にながわ ゆきお)さんです。
2003年の舞台『ハムレット』をきっかけに、蜷川さんの演出作品へ繰り返し出演するようになります。
『Summer Snow』など映像作品で積んだ経験
小栗旬さんが若手俳優として活動していた時期は、テレビドラマでの出演機会が増える一方、舞台でも経験を積んでいた時期でした。
映像作品では撮影を重ねながら役柄を表現しますが、舞台では観客の前で一つの芝居を演じ続けます。
小栗さんは『Summer Snow』などで幅のある役柄を経験しながら、舞台では共演する俳優や演出家から多くの刺激を受けるようになります。
蜷川さんと初めて顔を合わせたのは、劇場の楽屋付近だったといいます。
後年、埼玉県芸術文化振興財団の対談で二人が当時を振り返った際には、シアターコクーンの楽屋近くで挨拶をしたことが話題になりました。
蜷川さんはそのときの小栗さんの印象を覚えており、やがて一緒に作品をつくることになります。
2003年『ハムレット』で蜷川幸雄の舞台へ
2003年、小栗旬さんは蜷川幸雄さん演出の舞台『ハムレット』に出演しました。
シェイクスピアの名作を舞台化した作品で、主演の藤原竜也さんらと共演しています。
当時20歳だった小栗さんは、蜷川さんの厳しい演出を受けながら舞台に立ちました。
その後も『お気に召すまま』『間違いの喜劇』『タイタス・アンドロニカス』『カリギュラ』など、蜷川さんの演出作品へ出演しています。
2020年1月26日公開の『クランクイン!』のインタビューでは、蜷川さんの稽古場での経験を振り返りました。
毎回大変でした。怒られてばっかりで
出典:クランクイン!「小栗旬、『楽なとこに行き過ぎるな』――“けんかして遠ざけられた”恩師・蜷川幸雄からの教え」(2020年1月26日)
20代前半のころは、作品を十分に読み解けていなかったことや、自分の人生経験だけでは理解できないことも多かったと話しています。
蜷川さんから厳しい指摘を受け、時には意見がぶつかることもあったようです。
一方、2008年に公開された二人の対談では、蜷川さん自身も小栗さんの演技の変化について語っています。
『ハムレット』での姿と、その後の『タイタス・アンドロニカス』での姿を比較し、俳優としての成長を感じたと話しました。
小栗さんも、蜷川さんの舞台で経験したことを後年のインタビューで繰り返し振り返っています。
2022年には吉田鋼太郎さん演出の舞台『ジョン王』に出演し、蜷川さんが手がけてきた「彩の国シェイクスピア・シリーズ」の作品に再び参加しました。
吉田さんも蜷川さんの舞台で仕事を重ねてきた俳優であり、小栗さんにとって長く関係のある演劇人の一人です。
テレビドラマや映画で知名度を高めていく時期にも、小栗さんは舞台での仕事を続けていました。
小栗旬の転機|『花より男子』『クローズZERO』での飛躍
小栗旬さんは子役時代から俳優として活動していましたが、広く名前を知られるようになった作品として、2005年の『花より男子』があります。
さらに2007年には映画『クローズZERO』で主演を務め、俳優としての役柄や仕事の幅を広げていきました。
本人もこの2作品を、自分の俳優人生における重要な転機として挙げています。
『花より男子』の花沢類役で広がった知名度
2005年、小栗旬さんはTBS系ドラマ『花より男子』で花沢類役を演じました。
『花より男子』は神尾葉子さんの人気漫画を原作とする作品で、名門校に通う主人公と、学園で大きな影響力を持つ4人組「F4」を中心に物語が進みます。
小栗さんが演じた花沢類は、落ち着いた雰囲気を持ち、主人公の牧野つくしに寄り添う人物です。
しかし、小栗さん自身は当初、この役を引き受けることに迷いがありました。
それまで自分が目指していた俳優像と、花沢類のような華やかな役柄には違いがあると感じていたからです。
そこで相談した相手が、原作漫画のファンだった姉の麻梨さんでした。
2021年12月10日放送の『中居正広の金スマスペシャル』では、姉から花沢類は自分に合わないので断るように言われたと明かしています。
その言葉を聞いた小栗さんは、かえって役を演じようという気持ちになり、花沢類の仕草や振る舞いを研究しました。
『花より男子』の花沢類役は、小栗旬さんの知名度を大きく高めた役柄となりました。
ドラマの人気とともに注目されるようになり、撮影現場でもファンに囲まれることが増えたそうです。
一方、小栗さんは後年、アイドルのような人気を集めることに戸惑いもあったと振り返っています。
自分が思い描いていた俳優像とは違う形で注目される経験を経て、それまで積極的に選ぼうとしていなかった役柄にも取り組むようになりました。
『クローズZERO』主演を本人が転機と語る理由
『花より男子』で人気を集めた2年後の2007年、小栗旬さんは三池崇史監督の映画『クローズZERO』で主演を務めました。
小栗さんが演じたのは、不良少年たちが集まる鈴蘭男子高校の頂点を目指す滝谷源治です。
同作では山田孝之さんらと共演し、花沢類とは大きく異なる人物を演じました。
作品には激しいアクションや対立する集団同士のドラマがあり、小栗さんはその中心人物として映画を引っ張っています。
2021年10月3日放送の『日曜日の初耳学』では、この作品について次のように話しました。
『クローズZERO』という作品で自分の人生も変わったんだろうなとは感じます
出典:WEBザテレビジョン「小栗旬、吉田鋼太郎は『お師匠さん』舞台初共演時のエピソードを明かす<初耳学>」(2021年10月4日)
2009年には続編『クローズZERO II』も公開され、小栗さんは引き続き滝谷源治を演じました。
『花より男子』で広い世代に知られるようになった後、『クローズZERO』では異なるジャンルの主演作品を経験しています。
その後も映画『キサラギ』やドラマ『貧乏男子 ボンビーメン』などに出演し、2008年には『貧乏男子 ボンビーメン』で連続ドラマ初主演を務めました。
2010年には映画『シュアリー・サムデイ』で監督デビューを果たし、出演する側だけでなく作品制作にも取り組みました。
舞台、映画、テレビドラマを行き来してきた小栗さんが、自ら作品をつくる仕事にも踏み出した出来事でした。
『鎌倉殿の13人』主演から2023年の社長就任へ
小栗旬さんは、その後もさまざまなジャンルの作品で主演や主要な役柄を演じてきました。
そのなかでも大きな節目となったのが、2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』です。
同作では主人公の北条義時を演じ、鎌倉幕府が成立していく時代の権力争いを描く物語の中心を担いました。
小栗さんは1995年の『八代将軍吉宗』に子役として出演して以来、複数の大河ドラマで経験を積んできました。
その俳優が、27年後の大河ドラマで主演を務めることになったのです。
2022年12月17日公開の『GQ JAPAN』では、長期間にわたって一人の役柄を演じた経験について語っています。
また、俳優という職業についても、自分自身が先輩俳優に憧れてこの仕事を目指したように、後の世代から憧れを持ってもらえる仕事でありたいという思いを明かしました。
そして2023年6月には、所属するトライストーン・エンタテイメントの代表取締役社長に就任しました。
同社は、小栗さんが10代のころに窪塚洋介さんへの憧れから紹介され、所属することになった芸能事務所です。
若いころは児童劇団でエキストラを経験し、出演する機会を少しずつ増やしてきました。
その後、『GTO』で出会った俳優の姿に憧れ、トライストーンとの縁が生まれ、舞台や映画で経験を重ねていきます。
2023年には、自分を俳優として育ててきた事務所を経営する立場になりました。
小学生のころに内田有紀さんに会いたいと思って始めた芸能活動は、子役、映画主演、大河ドラマ主演という経験を経て、俳優を支える側の仕事へも広がっています。
















