千葉雄大の生い立ち|家族と学生時代、CHOKi CHOKiからゴセイジャーへ

千葉雄大の生い立ちと学生時代から俳優デビューまでを伝える人物ビジュアル

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
ちばゆうだい
カテゴリー
男性俳優
出身地
宮城県
生年月日
1989年3月9日
芸能活動開始
2007年
俳優デビュー
2010年
デビューのきっかけ
モデル

映画やドラマ、舞台まで幅広く出演してきた俳優の千葉雄大さんは、1989年3月9日に宮城県で生まれました。

2010年の『天装戦隊ゴセイジャー』でアラタ/ゴセイレッドを演じて俳優デビューしましたが、実は学生時代から俳優を目指していたわけではありません。

高校から大学にかけて興味を持っていたのは、演じる側よりも映画やテレビなどを作る側の仕事でした。

大学では普通に就職も考えていた一方、読者モデルとして雑誌に登場したことから事務所にスカウトされ、想像していなかった芸能界への道が開いていきます。

しかも、事務所へ所属したあとに初めて受けた俳優オーディションで、いきなりスーパー戦隊シリーズの主演をつかみました。

今回は、そんな千葉雄大さんの生い立ちや家族、学生時代、CHOKi CHOKiの読者モデルから芸能界に入ったきっかけ、俳優デビューまでをご紹介します。

千葉雄大の生い立ち|宮城県多賀城市で育った子ども時代

千葉雄大さんは1989年3月9日生まれ、宮城県出身です。

子ども時代を過ごしたのは宮城県多賀城市で、後年のインタビューでも幼少期から高校時代までのさまざまな思い出を振り返っています。

多賀城で過ごした幼少期と子どものころの興味

幼いころの千葉さんは、家の中で静かに過ごすばかりではなく、外でもよく遊ぶ活発な少年でした。

小学生のころには学級委員を務め、放課後になると友達とドッジボールをして遊んでいたそうです。

習い事では水泳とピアノを経験し、ピアノでは発表会の舞台にも立っていました。

子どものころの夢について、後年の公式ブログでは宇宙飛行士やアナウンサー、考古学者など、いくつもの職業を挙げています。

俳優だけを一直線に目指していた子どもではなく、興味の向く先はいくつもありました。

中学までの生活と音楽・映画への関心

中学生になるとソフトテニス部に入り、毎日のように練習して真っ黒に日焼けするほど部活動へ取り組みました。

3年生では副部長を務めており、本人の公式ブログによればポジションは前衛で、スマッシュが得意だったそうです。

一方、母親が教育に熱心だったこともあり、塾へ通って勉強にも取り組んでいました。

音楽への興味も早くからあり、中学・高校時代にはライブへ足を運ぶようになっていきます。

映画を見ることも好きで、この興味は高校を卒業したあとの進路を考える場面にもつながりました。

千葉雄大の家族|父親・母親・弟と過ごした家庭

千葉雄大さんが育った家庭には父親、母親、弟がいました。

家族については本人自身が具体的な思い出をいくつも語っており、子ども時代の家庭の様子が見えてきます。

穏やかな父としつけに厳しかった母

父親と母親では、子どもへの接し方に少し違いがあったようです。

父の方が穏やかで、母の方が厳しい家族です。

出典:TVガイドWeb「千葉雄大『もみ消して冬』で“あざとかわいい”執事役を演じ『してやったり』 20代ラストを目前に独占インタビュー」(2018年2月17日)

学生時代には教育やしつけにも厳しい家庭だったと話しており、中学時代に塾へ通っていた背景にも母親の教育への意識がありました。

ただ、厳しさだけが印象に残っているわけではありません。

父親の休みが日曜日中心だったため、日曜日は家族で一緒に過ごすことが多かったそうです。

弟とのけんかと家族で過ごした日曜日

高校生になってからも、友達と外出するより家で過ごしたり、家族と出掛けたりした記憶の方が多いと振り返っています。

家族では車に乗って出掛け、大きな公園で陶芸をしたり、季節によってはひまわり畑へ行ったりしていました。

弟とは兄弟らしいけんかもあり、冬になると暖かいストーブの前の場所を取り合っていたそうです。

反抗期にはドアを強く閉めて穴が開いたこともありましたが、母親も同じように強くドアを閉めることがあり、本人は「どちらが開けた穴か分からない」と笑いながら振り返っています。

こうした家族との関係は、のちに大学を続けるか、俳優の仕事へ進むかという大きな決断をするときにも再び登場します。

千葉雄大の学生時代|仙台三高から大学へ、映像を作る側を志した

中学卒業後は宮城県仙台第三高等学校へ進学しました。

後にテレビや映画で活躍する姿とは少し違い、高校時代の本人は自分を目立つ生徒だったとは捉えていません。

高校では「わりと目立たない」帰宅部だった

わりと目立たない方だったと思います。

出典:宮城県仙台第三高等学校「仙台三高だより Vol.6」(2015年10月1日)

中学ではソフトテニス部に打ち込んでいましたが、高校では部活動に所属せず帰宅部でした。

その代わり、好きだった音楽を楽しむためにライブへ足を運んでいます。

高校2年生の夏ごろまでは成績も下から数えた方が早いほどだったそうですが、危機感を持って勉強を始めると、学年順位を100番ほど上げました。

気合いを入れるために坊主頭にしていた時期まであり、周囲のクラスメートを驚かせたこともあったそうです。

それでも、このころから明確に「俳優になりたい」と考えていたわけではありません。

進学を考えるようになったときに興味を持ったのは、演じる側ではなく映像に携わる仕事でした。

映画が好きだったことから映画制作を学べる大学を第一志望にして受験しましたが、そこには合格できませんでした。

その後、教育内容に興味を持った玉川大学をセンター試験利用入試で受験し、進学しています。

大学進学後はテレビ・ラジオ・映画制作も進路候補に

宮城から上京して始まった大学生活では、文学やデザイン、プログラミングなど幅広い分野の授業を受けました。

上京直後は寂しさも感じていたものの、友人が増えてからはバンドを組んだりサークルへ参加したりし、音楽好きの友人たちと下北沢へ出掛けることもありました。

進路については、俳優の養成所へ通うような道を考えていたわけではありません。

映画制作会社やテレビ局、ラジオ制作など、学生時代から一貫して「作る側」の仕事に関心を持っていました。

アナウンサーやウエディングプランナーなども候補にし、テレビ局を含む企業説明会へ実際に足を運んだことも後年明かしています。

2026年に学生時代を振り返った際にも、当時は映画やラジオを「作る方」へ進みたいと考えていたことを改めて話していました。

普通に就職する未来を考えていた大学生の生活と並行して、もう一つ始まっていたのがモデル活動でした。

CHOKi CHOKi読者モデルから芸能界へ|スカウトが変えた進路

千葉雄大さんが芸能界と接点を持つようになった最初のきっかけは、俳優オーディションではありませんでした。

大学生活の中で始めたモデル活動が、考えていた進路を大きく変えていきます。

読者モデルをしていた雑誌を事務所関係者が見つけた

本人が後年説明している経緯をたどると、最初の入口は行きつけの美容室で頼まれたカットモデルでした。

大学生でお金にも余裕がなく、無料で髪を切ってもらえることもあってカットモデルを引き受け、その写真が雑誌へ掲載されるようになります。

そこから読者モデルとしても活動するようになり、ファッション誌『CHOKi CHOKi』にも登場しました。

千葉さん自身も公式ブログで、カットモデルを始めたあとに読者モデルへ進み、雑誌を見た事務所関係者からスカウトされたという順番を説明しています。

自分から俳優事務所を探したのではなく、雑誌に載った姿を見た現在の事務所側から声を掛けられたのが芸能界入りのきっかけでした。

芸能界入り前について本人は「読者モデル」と説明していますが、所属事務所の公式経歴では『CHOKi CHOKi』専属モデル歴が2010年2月から2013年7月と記録されています。芸能界入り前の読者モデル活動と、所属後の専属モデル歴は分けて見ると時系列が分かりやすくなります。

就職を考えていた大学3年生が芸能界へ飛び込む

スカウトされた当時は大学3年生で、すでに将来の仕事を意識する時期に入っていました。

大学のために宮城県から上京して、読者モデルもアルバイト感覚だったので。

出典:girlswalker「千葉雄大『仕事をこなすような感覚が苦手で…』」(2019年11月1日)

芸能界への強い憧れが先にあり、そのためにモデルをしていたわけではなかったことが分かります。

2026年に当時を振り返った際には、企業説明会にも行っていた時期にスカウトされ、「自分の人生でこんなことが起こるんだ」と感じて芸能界へ飛び込んだと話しています。

興味本位の部分はありながらも、事務所へ入る以上は軽い気持ちではなく、この仕事を続けていく覚悟を持って所属したそうです。

千葉雄大さんの場合、「芸能界入り」は読者モデル時代のスカウト、「俳優デビュー」はその後に合格した『天装戦隊ゴセイジャー』です。同じ出来事ではありません。

ただし、事務所へ入った時点でも、俳優として何年もレッスンやオーディションを重ねていたわけではありませんでした。

『天装戦隊ゴセイジャー』で俳優デビュー|大学から俳優一本へ

芸能事務所へ所属した千葉雄大さんが最初に受けることになったのが、スーパー戦隊シリーズのオーディションでした。

その作品が、2010年から放送された『天装戦隊ゴセイジャー』です。

初めて受けたオーディションでゴセイレッドに抜擢

俳優として受けるオーディション自体が初めてだったため、本人は当初「自分が受かるはずはない」と考えていました。

それでも選考を重ねて最終段階まで進むと、「ここまで来たら合格したい」という気持ちが強くなっていったそうです。

そして初めて受けた俳優オーディションで、主人公アラタ/ゴセイレッド役に抜擢されました。

所属事務所の公式経歴でも、2010年2月から2011年2月まで『天装戦隊ゴセイジャー』に主演したことが記録されています。

それまで映像制作など裏側の仕事を考えていた大学生が、一気にテレビシリーズの中心へ立つことになりました。

本人の公式ブログによると、オーディションの時期には毎回同じ駅から同じ道を通り、同じコンビニでお茶を買うという自分なりのジンクスも作っていたそうです。

スカウトから事務所所属、そして初オーディションで主演決定という短い期間の中で、進路は大きく俳優側へ動きました。

大学卒業への迷いを両親に相談

ゴセイジャーへの出演が決まっても、千葉さんがすぐに大学を辞めたいと考えたわけではありません。

本人は本当は玉川大学を卒業したかったと何度も振り返っています。

ところが、テレビシリーズの撮影が始まれば大学へ毎日通うことは難しくなります。

それは両親と相談しましたね。俳優の仕事をすることには賛成してくれましたけど。

出典:girlswalker「千葉雄大『仕事をこなすような感覚が苦手で…』」(2019年11月1日)

両親は俳優になること自体には反対しませんでしたが、大学については卒業してほしいという思いも持っていました。

大学で世話になった教授からも、自分のやりたいことが決まったなら新しい道を頑張った方がいいという後押しを受けています。

2026年にこの時期を振り返った際には、教授が両親へ「早めに就職先が決まった」といった趣旨で話してくれたことも明かしました。

最終的に大学を中退し、俳優の仕事へ進む道を選びました。

スカウトされたことよりも、その後に大学を離れて俳優を続けると決めた場面の方が、本人にとっては大きな選択だったことが伝わります。

現場の基礎を学んだ「原点」の作品

主演に決まったとはいえ、それまで本格的に芝居を経験していなかった千葉さんにとって、撮影現場は分からないことだらけでした。

2011年に『ゴセイジャー』が最終回を迎えた際の公式ブログでは、最初は怒られても何を怒られているのか分からず、悔しい思いをする日々だったことまで率直に書いています。

少しずつスタッフや共演者と関係を築きながら、頑張ること自体は当然で、その先へ進まなければならないと考えるようになりました。

原点のような作品です。

出典:タレントデータバンク「<千葉雄大>『桜蘭高校ホスト部』インタビュー」(2012年3月1日)

現場での立ち居振る舞いを含め、俳優として必要な基礎はゴセイジャーで学んだと本人は説明しています。

『天装戦隊ゴセイジャー』は出演歴の最初にある作品というだけではなく、千葉雄大さん自身が俳優としての「原点」と位置づけている作品です。

大学で考えていた進路から大きく方向を変えたあと、ここで初めて「演じる側」として現場の基礎を身につけていきました。

高校時代に思い描いた「作る側」へ|俳優から監督・脚本へ

高校時代の千葉雄大さんは、進学を考えたときに「映像に携わる仕事」を思い描いていました。

その後はスカウトをきっかけに俳優となりましたが、作り手への興味そのものがなくなったわけではありませんでした。

俳優として経験を積んだ後に『あんた』を監督

俳優デビューから10年以上がたった2022年、WOWOWの『アクターズ・ショート・フィルム2』で短編映画『あんた』を手掛けます。

『あんた』では監督だけでなく脚本も担当し、伊藤沙莉さんとともに自身も主演しました。

高校・大学時代に関心を持っていた映像制作へ、今度は俳優として現場を経験したあとに監督・脚本という立場で取り組むことになりました。

WOWOWの番組公式Xでも、千葉さんが監督を務めた『あんた』のティザー映像が公開されています。

脚本を書き、撮影現場で監督をしながら、自分自身も演じるという複数の役割を同時に担った作品でした。

完成報告会では、普段の俳優とは違う立場で作品を作った千葉さん自身の言葉も残されています。

編集作業まで含めて作品全体へ関わる経験は、俳優として出演する現場とは違う難しさがあったようです。

作品の全部に携わって、腹を括れたのはよかったと思います。

出典:CINEMAS+「千葉雄大監督作『あんた』監督&伊藤沙莉インタビュー|ポスタービジュアル&場面写真も一挙公開!」(2022年1月12日)

学生時代に考えていた「作る側」と、俳優として10年以上積み重ねてきた経験の両方を使う仕事になりました。

学生時代の映像への興味と後年のキャリアがつながる

『あんた』への挑戦だけで、監督としての仕事が終わったわけでもありません。

2024年の『アクターズ・ショート・フィルム4』では、短編映画『ハルモニア』の監督・脚本も担当しました。

学生時代には映画制作会社やテレビ局などへの就職を考え、俳優になる以前から映像を作る仕事に興味を持っていた千葉さん。

俳優として始まったキャリアの先で、自分で物語を書き、監督として映像を作る仕事にもたどり着きました。

高校で将来をうまく思い描けず、大学では就職先を探し、その途中で読者モデルからスカウトされるという順番をたどったからこそ、千葉雄大さんの経歴は最初から一つの職業へ向かっていた物語ではありません。

多賀城で過ごした少年時代から、映像を作りたいと考えた学生時代、突然始まった俳優人生を経て、かつて興味を持っていた「作る側」の仕事も本人のキャリアの一部になっています。