北香那の生い立ち|家族・学歴、原宿スカウトから女優になるまで

「北香那の生い立ち」の文字と女性のイラストを配し、家族・学歴、原宿スカウトから女優になるまでを示したビジュアル

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
きたかな
カテゴリー
女優
出身地
東京都
生年月日
1997年8月23日
芸能活動開始
2009年
女優デビュー
2010年
デビューのきっかけ
スカウト

『バイプレイヤーズ』の中国人・ジャスミン役や、アニメーション映画『ペンギン・ハイウェイ』の主人公アオヤマ君役など、作品ごとに違った顔を見せてきた北香那さん。

所属事務所の芸歴には大河ドラマや映画、舞台まで多くの作品が並んでいますが、芸能活動を始めたのは小学生のころでした。

ところが幼いころは、人に見られていると感じるだけでも隠れてしまうほどの人見知りだったといいます。

そこから原宿でのスカウト、中学生での主演舞台、映像の芝居との出会いを経て、なかなか役を得られないオーディションの日々も経験しました。

今回は、そんな北香那さんの生い立ちや家族、学生時代、芸能界へ入ったきっかけ、女優として最初の仕事、大きな転機となった作品などをご紹介します。

北香那の生い立ち|東京で育った人見知りの子ども時代

北香那さんは1997年8月23日生まれで、所属するアルファエージェンシーは出身地を東京都としています。

本人も幼少期を振り返ったインタビューで東京で生まれ育ったと話しており、子どものころから都内で生活していました。

東京で生まれ育ち、幼いころは人に見られるのが苦手だった

小さいころの北さんは、かなり人見知りの強い子どもでした。

保育園のお絵描きの時間には、先生から何を描いているのか聞かれただけで耐えられなくなり、カーテンの陰へ隠れてしまったこともあったそうです。

誰かに見られている、自分を気にされていると感じること自体が苦手だった一方で、テレビで活躍する芸能人やきれいな人には幼いころから惹かれていました。

本人は5歳ごろには芸能界へ進みたいという思いを持っていたと振り返っています。

人前へ出ることは苦手なのに、テレビの中の世界には憧れているという二つの気持ちを抱えたまま、小学生時代を過ごしていました。

北香那は本名?国籍は?公式情報で確認できる範囲

「北香那」という短く印象的な名前から、芸名なのか気になる人も多いようです。

この点については、2019年のモデルプレスのインタビューを引用する複数の資料で、本人が自身の名前について「本名です」と答えたと紹介されています。

所属事務所では「北 香那」、英字では「KITA KANA」と表記されています。

一方、「北香那 国籍」も多く検索されていますが、所属事務所の公式プロフィールに記載されているのは東京都出身という情報で、国籍そのものは明記されていません。

国籍について:東京都出身・東京育ちであることは本人発言と公式プロフィールで確認できますが、国籍を公式に明示したプロフィールはありません。名前や出演した役だけを理由に国籍を推測することはできません。

中国人ではないかと思われるようになった大きな理由の一つは、後に『バイプレイヤーズ』で演じたジャスミンのカタコトの日本語でした。

本人も、放送後に本当に中国人だと思われることが多かったと振り返っています。

3歳からバレエ|女優とお笑いの両方に憧れた小学生時代

北さんは3歳からクラシックバレエを始めました。

幼児期には女優への憧れが芽生えていましたが、好きだったのは芝居だけではありません。

小学生になると『爆笑レッドカーペット』『エンタの神様』『M-1グランプリ』などを見て芸人に憧れ、中学生くらいまで芸人になりたいとも考えていました。

テツandトモのライブでは、一緒にやりたい人を募られた際に客席で勢いよく手を挙げ、実際にステージで「なんでだろう」を披露したこともあります。

友人の女の子を誘ってコントや漫才のネタを考え、学校内で友人を集めて披露したこともありました。

こちらは本人によれば「全くウケなかった」そうですが、保育園でカーテンの陰へ隠れていたころとはかなり違う姿です。

北香那の家族|母親・兄・10歳年下の妹、手話の先生だった祖母

北さん自身が家族について語ったインタビューからは、兄と妹がいることが確認できます。

妹とは10歳離れており、母親や祖母についても子ども時代や俳優活動と結びついた具体的な思い出を明かしています。

母親を喜ばせようと学校のパンジーを持ち帰った子ども時代

小学生時代の北さんをよく表しているのが、母親とパンジーのエピソードです。

当時住んでいた家は日当たりがよく、花が枯れてしまうため、母親はうまく花を育てられないことを気にしていました。

それを見た北さんは母親を喜ばせようと考え、学校で育てていたパンジーを大量に家へ持ち帰って飾りました。

自分が育てている花だから大丈夫だと思っていたものの、母親から学校へ謝りに行くよう叱られ、パンジーは元の場所へ戻しています。

後に芸能界へ進むときにも、最初にその意思を打ち明けた相手は母親でした。

兄と妹がいる家庭|家族で出かけたサービスエリアの思い出

北さんには兄と10歳年下の妹がいます。

ドラマ『隕石家族』の公式インタビューでは、自身を長女と表現し、年の離れた妹について「好き過ぎる」と話すほどかわいがっていることを明かしました。

妹に何でも買ってあげたくなってしまうとも話しており、姉妹の年齢差は後の俳優仕事でも思わぬ形で役立つことになります。

子どものころには家族で高速道路を使って出かけることもあり、サービスエリアで食事をしたり、水のある場所でびしょ濡れになるまで遊んだりしたことを覚えているそうです。

豪華な旅行先そのものではなく、移動途中のサービスエリアで遊んだ場面が家族の思い出として残っています。

手話の先生だった祖母は、のちに『震動』の演技を見てくれた

北さんの祖母は手話の先生をしていました。

この事実が俳優活動と重なったのが、耳の不自由な少女を演じた映画『震動』です。

ただし、撮影前に祖母から手話を教えてもらったわけではなく、完成するまではあえて見てもらいませんでした。

映画を見た祖母からは、手話について「もう少しこうしたほうが良かった」という具体的な指摘も受けたそうです。

意味は伝わっているとも言ってもらえましたが、手話を知る家族だからこそ細かなところまで見てくれていました。

北香那の学歴・学生時代|中学・高校の学校生活と軽音部

北さんは小学校高学年から芸能活動を始めていますが、中学・高校では学校生活も続けていました。

学校名そのものよりも、本人のインタビューには部活動や舞台稽古、アルバイト、卒業を迎えたころの様子が具体的に残っています。

出身校はどこ?学校名は確認できる事実だけで整理

北さんについては「学歴」「高校」「大学」などもよく検索されています。

しかし、所属事務所の公式プロフィールでは、小学校・中学校・高校・大学の具体的な学校名は公表されていません

本人が高校時代を語ったインタビューも複数ありますが、校名は明かしていません。

大学についても、本人や所属事務所の公開プロフィールでは、具体的な大学名や進学先は明らかにされていません。

北香那さんの出身中学・高校・大学としてネット上で挙げられる学校名には、本人や所属事務所による裏付けがないものがあります。確認できるのは、本人が実際に語っている学生生活や高校卒業時の状況までです。

なお、高校の制服については本人がブレザーだったと話しており、セーラー服への憧れから自分でセーラー服を買って出かけたこともあったそうです。

高校では軽音部|ギターからボーカルへ

高校では軽音部に入りました。

最初に担当することになったのはエレキギターで、実際に自分のギターも購入しています。

ところが演奏がなかなか上達せず、覚えられたコードも限られていたため、やがてギター担当を離れてボーカルになりました。

中学では舞台の稽古へ通い、高校では軽音部と芸能活動に加えてアルバイトもしており、学生生活の中にいくつもの活動が並んでいました。

この高校時代のアルバイトが、数年後に大きな役をつかむオーディションで思わぬ材料になります。

高校卒業を前に、周囲の進路と自分の将来に差を感じる

中学1年生で主演舞台を経験していたものの、そのまま俳優の仕事だけで順調に進めたわけではありません。

高校卒業が近づくと、同級生たちはそれぞれ進路を決めていきました。

一方の北さんは、俳優を続けていたものの自分には明確な進路がないと感じていたと振り返っています。

すでに芸能界には入っていても、次々と役が決まっている状態ではなく、卒業後もアルバイトをしながら仕事を待つ時間が続きました。

その時期を本人は後年、周囲と自分を比べながら「すごく虚しかった」と振り返っています。

小学6年生で原宿スカウト|中学1年生で女優として初舞台へ

北さんの芸能活動は、高校卒業後に突然始まったものではありません。

最初のきっかけは、小学6年生で訪れた原宿でした。

スカウトをきっかけに母親へ初めて女優志望を打ち明けた

小学6年生のとき、北さんは原宿でスカウトされました。

芸能界へ興味を持ったのはもっと幼いころでしたが、それまで家族に「女優になりたい」と具体的に伝えてはいませんでした。

スカウトを受けたことで、母親からどうするのかを聞かれ、ずっとやりたかったので挑戦してみたいと初めて意思を伝えます。

その後、声をかけた人物の事務所へ所属することになりました。

スカウトを機に自分を変えたかったんです。

出典:ENCOUNT「大河に2連続出演 飛躍の北香那が振り返る10代『承認欲求が満たされずバイトの日々』」(2023年10月24日)

人前へ出ることが苦手だった自分を変えたいという気持ちも、スカウトを受け入れた理由の一つでした。

『赤毛のアン』で主人公アン役を獲得

事務所へ所属したその後、中学1年生でミュージカル『赤毛のアン~アンからの手紙~』のオーディションを受けます。

北さん自身が「作品の役」をもらったのはこれが初めてだったと話しており、主人公のアン役に選ばれました。

オーディションには歌、バレエ、演技の審査があり、3歳から続けてきたバレエもここで審査項目の一つになりました。

当時の北さんはアン役へのこだわりが強く、オーディションでもアン以外は考えていないほどだったそうです。

時系列を分けると、小学6年生の原宿スカウトが芸能界へ入るきっかけで、中学1年生の『赤毛のアン』が初めて作品の役を得た仕事です。

芸能界入りと、女優として作品の役を演じ始めた時期は同じではありません

授業後は制服のまま片道約1時間半の稽古へ

アン役に決まると、中学校へ通いながら舞台稽古が始まりました。

学校で6時間の授業を受けたあと、自転車と電車を使って片道約1時間半かけて稽古場へ向かっていました。

学校が終わると制服のまま移動し、夜10時ごろまで稽古をする日々だったといいます。

それでも本人にはつらさより、強く望んだアン役を演じられる喜びの方が大きくありました。

本番では、それまで経験した学芸会やバレエの発表会とは違う規模の観客の前で、歌い、踊り、芝居をします。

そこで人前で表現する楽しさを知り、再び舞台に立ちたいという気持ちも生まれました。

映画『震動』で映像の芝居に向き合い、オーディションの日々へ

『赤毛のアン』では舞台に立つ楽しさを知りましたが、次に大きく感覚が変わったのは映像の仕事でした。

2013年に公開された映画『震動』では、耳の不自由な少女・直を演じています。

初めての本格的な映像芝居で手話に挑戦

『震動』への出演もオーディションで決まりました。

北さんにとっては映像の経験がほとんどない時期で、本格的な映像芝居へ一から向き合う仕事になりました。

演じる直は耳が聞こえないため、撮影に向けて手話の練習も始めています。

当時は手話の意味を一つずつ理解して組み立てるというより、セリフに対応する動きを映像で見て覚えていったそうです。

途中で動きが抜けると続きが分からなくなり、もう一度映像を確認し直すこともありました。

家族H2で紹介した手話の先生だった祖母に完成作を見てもらったのも、この映画です。

完成した自分の演技を見て「もっと映像をやりたい」と思う

『震動』では、撮影そのものだけでなく完成した作品を見ることも北さんにとって新しい経験でした。

自分が演じている姿を映像で初めてしっかり見たことで、「なぜここでこうしたのだろう」「もう一度やりたい」という感覚が芽生えます。

もっとお芝居に向き合いたい、もっとお芝居がやりたい、映像の仕事がしたい

出典:テレ朝POST「女優・北香那、350人の中から抜擢された出世作。バイトの経験が“リアリティ”に『無駄なことはないですね』」(2023年10月17日)

舞台を経験したあと、映像の芝居をもっとやりたいという気持ちがはっきりしたのが『震動』でした。

ただ、その時点で次の役が約束されていたわけではありません。

仕事を得るには、ひとつずつオーディションを受けて役を勝ち取る必要がありました。

高校卒業後はアルバイト生活|500回以上落ちたオーディション

高校を卒業したあとも、北さんはアルバイトをしながら俳優活動を続けました。

中学生ですでに主演舞台を経験していたため、一見すると早くから順調に進んだようにも見えますが、役を得られない時間の方が長かったと本人は振り返っています。

2026年、俳優としておよそ15年を振り返ったインタビューでは、オーディションについて具体的な数字も明かしました。

私はオーディションに500回以上落ちています。

出典:スポニチアネックス「北香那 夜ドラでコメディエンヌの魅力 『中学生くらいまで芸人になりたかった』」(2026年1月7日)

この500回以上という数字は高校卒業直後だけの話ではなく、長く続けてきた俳優生活全体を振り返った発言です。

高校卒業後のアルバイト生活も、その長いオーディションの時期に含まれていました。

そして2017年、何度も役を求めてきた中で、強く出演したいと思えるオーディションに出会います。

『バイプレイヤーズ』で350人からジャスミン役へ

2017年に放送された『バイプレイヤーズ~もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら~』では、遠藤憲一さん、大杉漣さん、田口トモロヲさん、寺島進さん、松重豊さん、光石研さんが本人役で出演しました。

北さんは、オーディションに参加した約350人の中から中国人・ジャスミン役に抜てきされます。

高校時代の工場アルバイトをカタコトの日本語へ生かした

ジャスミンのオーディションでは、カタコトの日本語をどう話すかが大きなポイントになりました。

そこで北さんが思い出したのが、高校時代に働いていた弁当工場です。

その工場では一緒に働く人の多くが中国出身で、毎日のように話しかけてもらっていたため、日本語のイントネーションが耳に残っていました。

北さんはその記憶をもとにカタコトの日本語を作り、オーディションへ持ち込みます。

選考は何段階にもわたり、最終オーディションに残ったのは4人でした。

最後の審査では、ほかの候補者と違うことをしようと考え、身につけていたイヤリングを架空のケーキへ刺すという芝居まで試しています。

合格の連絡を受けたときには悲鳴を上げ、ジャスミン役をつかみました

「本当に中国人?」と思われたジャスミン役で名前を知られる

ジャスミンはカタコトの日本語で名脇役たちへ遠慮なく話しかけるキャラクターで、北さん自身の知名度も大きく上がりました。

当時は北さん自身がSNSを積極的に使っていなかったこともあり、視聴者の中には本当に中国人俳優だと思った人もいました。

本人によると、「北香那」という漢字の並びも中国人の名前のように見えたため、さらに間違われやすかったそうです。

別作品のオーディションへ行った際に、ジャスミン役へ入り込みすぎて自己紹介までカタコトになり、「素でも片言なんですか?」と聞かれたこともありました。

「北香那 国籍」と検索される背景には、少なくともこのジャスミン役の自然なカタコト演技が大きく関係しています。

2020年には、テレビ東京公式でジャスミンを前面に出した「ジャスミンちゃんねる」も始まり、北さん本人がジャスミンとして『バイプレイヤーズ』の撮影エピソードを紹介しました。

大杉漣ら名脇役との現場で経験したこと

ジャスミン役が決まったとき、北さんの母親も喜んでいました。

母親は大杉漣さんのファンで、北さんがオーディションに落ちたかもしれないと話していた翌日に合格の連絡が届くと、一緒に喜んでくれたそうです。

撮影では、その大杉さんと長い移動時間を一緒に過ごしたこともありました。

第1シリーズ終盤の遠方ロケへ向かう際、大杉さんから自分の車に一緒に乗ろうと声をかけてもらい、高速道路を移動しています。

車内では竹原ピストルの「よー、そこの若いの」を一緒に歌い、途中のパーキングエリアでは大杉さんが現地の人たちと気さくに話す姿も見ていました。

シリーズを重ねたあとも、大杉さんから受け取った言葉の一つを北さんは覚えていました。

“足るを知る”という言葉は、今でも自分の中に残っています。

出典:テレ東プラス「ジャスミン役・北香那が語る大杉漣との感動秘話『大杉さんの“足るを知る”という言葉がいつも頭をよぎります』」(2021年2月12日)

10代で参加した『バイプレイヤーズ』は、その後もシリーズが続き、ジャスミンは北さんを広く知られるきっかけとなった役になりました。

『ペンギン・ハイウェイ』で声優初挑戦|次に訪れた大きな仕事

『バイプレイヤーズ』の翌年、北さんにはそれまでとはまったく違う形で演じる仕事が訪れます。

2018年公開のアニメーション映画『ペンギン・ハイウェイ』で、主人公の小学4年生・アオヤマ君を演じました。

小学4年生の少年・アオヤマ君役で声の主演へ

『ペンギン・ハイウェイ』もオーディションで役をつかんだ作品です。

しかも北さんにとっては声優初挑戦で主人公を演じる仕事でした。

演じるのは大人の女性ではなく、好奇心旺盛で頭のいい小学4年生の男の子です。

実写の芝居とは違い、自分の姿ではなく声だけで少年の年齢や性格を伝えなければなりませんでした。

そこで北さんは、自分の身近な場所から小学生男子の話し方を探すことにします。

妹の授業参観へ行き、小学生男子の声を研究した

ここで役作りの助けになったのが、10歳年下の妹でした。

アオヤマ君の年代の男子が普段どのような声で話しているのかを知るため、北さんは妹の学校へ足を運びます。

自分の妹の授業参観に参加したんです。

出典:ウォーカープラス「北香那&蒼井優に聞く映画『ペンギン・ハイウェイ』の“声”」(2018年8月17日)

授業参観では、小学生男子の声の高さや話すときのトーンを実際に聞きながら、アオヤマ君の声を考えました。

家族としては年の離れた妹だった存在が、このときは役と同じ年代の子どもたちを知る入口になりました。

中学1年生で『赤毛のアン』の舞台に立ってから8年後、北さんは実写とは異なる声の芝居でも主演を任されています。

そのアオヤマ君を作るときにも、まず身近な学校へ足を運び、実際の子どもたちの声を聞くところから準備を始めていました。