松谷鷹也の生い立ち|父・松谷竜二郎と高校野球、仮面ライダーで俳優へ

松谷鷹也の生い立ちと、父・松谷竜二郎、高校野球、仮面ライダーから俳優への歩みを示すタイトル入り肖像イラスト

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
まつたにたかや
カテゴリー
男性俳優
出身地
神奈川県
生年月日
1994年1月22日
俳優デビュー
2016年
デビューのきっかけ
モデル

映画『栄光のバックホーム』で、元阪神タイガースの横田慎太郎さんを演じた俳優が松谷鷹也さんです。

身長185cmの体格と野球選手らしいフォームには理由があり、松谷さん自身も高校、大学まで本気でプロ野球選手を目指していました。

しかも父は元プロ野球選手の松谷竜二郎さんで、高校時代には1学年下の大谷翔平選手とも対戦しています。

ところが大学進学後に肩を故障し、野球も大学も辞めたことで、それまで追い続けてきた夢はいったん途切れました。

その後、4歳上の兄に勧められて見た『仮面ライダーカブト』が、芸能界を目指すきっかけになります。

今回は、そんな松谷鷹也さんの生い立ちや家族、学法福島高校と常磐大学での野球生活、俳優を目指したきっかけ、モデル時代や下積み、『栄光のバックホーム』で映画初主演をつかむまでをご紹介します。

松谷鷹也の家族と生い立ち|父・松谷竜二郎、4歳上の兄と野球漬けの少年時代

松谷鷹也さんは1994年1月22日、神奈川県に生まれました。

子どものころの生活の中心にあったのは野球で、そのすぐそばには父・松谷竜二郎さんと4歳上の兄がいました。

父は元巨人・近鉄の投手・松谷竜二郎

父の松谷竜二郎さんは、読売ジャイアンツからドラフト2位指名を受けてプロ入りし、巨人や近鉄で投手としてプレーした元プロ野球選手です。

松谷さんにとってプロ野球はテレビの中だけの世界ではなく、幼いころから父を通じて身近に感じる存在でした。

自宅近くの河川敷では、父と兄と一緒にキャッチボールやノックを繰り返していたといいます。

父のノックは同級生が驚くほど速かったそうですが、松谷さんが幼いころから「プロ野球選手になりたい」と口にしていたため、父も本気で野球を教えていました。

父がプロ野球選手だったので、小さい時から、兄と父と一緒にずっと野球をやってて

出典:毎日キレイ「松谷鷹也:プロ野球・松谷竜二郎さんの息子 父と兄と野球に打ち込んだ日々を『徹子の部屋』で明かす 大谷翔平選手との対戦の思い出も」(2025年12月9日)

父と兄と河川敷で野球、プロ野球選手を目指した少年時代

映画『栄光のバックホーム』公式プロフィールでは、小学3年生から本格的に野球を始めたと紹介されています。

中学では硬式野球を続け、学法福島高校の藤森孝広監督に誘われたことをきっかけに、15歳で親元を離れて福島へ向かいました。

野球をする父の背中を追い、兄と同じグラウンドでボールを追った少年は、この時点では俳優ではなく、まっすぐプロ野球選手を目指していました。

父が経験したプロの世界を自分も目指すため、家族と暮らしていた神奈川を離れ、寮で野球に集中する道を選びました。

松谷さんの家族について、生い立ちや進路との関係が具体的に語られているのは父・竜二郎さんと4歳上の兄です。父は最初の夢だった野球に、兄は後に見つける俳優という夢に、それぞれ深く関わっています。

学法福島高校から常磐大学へ|大谷翔平との対戦と肩の故障

松谷さんは神奈川県を離れ、学法福島高校の野球部で3年間の寮生活を送りました。

長身の左腕投手として甲子園を目指していましたが、高校生活の途中では大谷翔平選手との対戦や東日本大震災も経験しています。

学法福島の左腕投手として東北大会へ、震災も経験

2010年秋、学法福島は東北大会へ進み、1回戦で花巻東高校と対戦しました。

花巻東には1学年下の大谷翔平選手がおり、松谷さん自身も打席で大谷選手のボールを体験しています。

低めの球をボールだと思って見送ったところストライクと判定され、電光掲示板には145キロと表示されていたと、後に『徹子の部屋』で振り返りました。

その試合では学法福島が勝利しています。

高校3年生に上がる直前の2011年3月11日には、福島市内の学校で授業中に東日本大震災に遭いました。

原発事故の影響もあり県外出身の部員たちは一時離ればなれになり、春季大会は中止され、野球部が思うように練習できない期間もありました。

その間、松谷さんは寮の近くでがれきを片付けるなどのボランティアにも参加しています。

福島民報の取材では、がれきを片付けた近所のお年寄りから、お礼と一緒に貴重な食べ物を渡された出来事を今も覚えていると話しています。

物資が十分ではない時期に、見知らぬ高校生だった自分へ食べ物を分けてくれたことが、3月11日を迎えるたびに思い出す記憶になりました。

夏の福島大会では8強で敗れ、甲子園には届きませんでした。

寮生活では食が細く、同期生が食べ終えても最後まで食堂に残って体づくりのために食事を続けていたという姿も、当時の仲間の記憶に残っています。

常磐大学へ野球推薦で進学するも半年で肩を故障

高校卒業後は、野球推薦で常磐大学へ進学しました。

震災で思うように野球ができない時期を経験しても、卒業後に競技をやめたわけではなく、大学でもプロを目指して野球を続けています。

プロを目指す道は続いていましたが、入学から半年ほどで肩を痛めます。

地元の病院では、手術を受けたうえで1年ほどリハビリしなければ回復は難しいと説明されたと本人が話しています。

長いリハビリを続ける自分を想像できず、松谷さんは野球を辞める決断をし、大学も中退しました。

ずっと野球しかやってこなかったので、何をすればいいかわからなくなっていました。

出典:女性自身「『栄光のバックホーム』主演・松谷鷹也 役作りで最大20キロ増量!「生き方を教えてくれる存在」人生変えた元阪神・横田慎太郎さんとの出会い」(2025年12月20日)

野球と大学を辞め、次に何をすればいいか分からなくなった

大学を辞めた後は実家へ戻り、家にこもる時期がありました。

本人は後のインタビューで、落ち込んでいたというより、野球以外に何をすればいいのか分からず将来に迷っていたと説明しています。

幼いころから続けてきた野球を失ったあと、次の方向を示したのは、少年時代に一緒に野球をしていた4歳上の兄でした。

『仮面ライダーカブト』が転機|モデルから俳優になるまで

「松谷鷹也 仮面ライダー」「松谷鷹也 仮面ライダー何役」と検索されていますが、ここで大切なのは出演役ではありません。

松谷さんが俳優を目指すきっかけになった作品が『仮面ライダーカブト』だったという話です。

「仮面ライダー何役?」への答え:松谷鷹也さんが『仮面ライダーカブト』に出演したという話ではなく、大学中退後に兄から勧められて作品を見て「仮面ライダーになりたい」と思い、芸能界を目指し始めました。

4歳上の兄の一言から仮面ライダーに夢中になる

実家で将来を決められずにいた松谷さんへ、兄は「そんなに引きこもっているなら、仮面ライダー見たら?」と勧めました。

それまで『仮面ライダー』を見たことがなかった松谷さんが選んだのが、2006年放送の『仮面ライダーカブト』でした。

作品を見て素直に「かっこいい」と感じ、「仮面ライダーになりたい」という気持ちから芸能界へ入ろうと動き始めます。

単純に、仮面ライダーになりたいという気持ちから、芸能界に入ってみようと思い

出典:女性自身「『栄光のバックホーム』主演・松谷鷹也 役作りで最大20キロ増量!「生き方を教えてくれる存在」人生変えた元阪神・横田慎太郎さんとの出会い」(2025年12月20日)

2015年MR.JAPAN神奈川県代表からモデルの世界へ

芸能界へ進んだ松谷さんは、まず185cmの長身を生かしてモデル活動を始めました。

2015年にはMR.JAPANのファイナリストに選ばれ、神奈川県代表として参加しています。

その後はファッションショーやCMなどの仕事を経験し、制作プロフィールでは2016年から俳優活動を始めたとされています。

MR.JAPANへの参加は俳優デビューそのものではなく、野球しか知らなかった松谷さんが、人前に立つ仕事へ踏み出した初期の芸能活動として位置づけられます。

つまり、芸能界に入った時点から俳優一本だったのではなく、モデル活動を経て演技の仕事へ進んだ流れでした。

モデルから演技へ進み、小劇場や映像作品で経験を積む

2017年5月のオーディションサイトnarrowのインタビューでは、すでにフリーの俳優として活動していた松谷さんが、SHOWROOM企画をきっかけに芸能プロダクション所属を決めたことが紹介されています。

同じインタビューでは、その翌月に新宿村LIVEで舞台へ出演する予定も明かしていました。

日本中に良い影響を与えられる人間になれるよう頑張って生きます

出典:narrow「〖narrow×SHOWROOM〗松谷 鷹也さんプロダクション所属特別インタビュー!」(2017年5月23日)

2017年には映画『HiGH&LOW THE MOVIE 2 / END OF SKY』『HiGH&LOW THE MOVIE 3 / FINAL MISSION』に出演し、2018年には“STRAYDOG”新人公演『へなちょこヴィーナス』で尾田先生役を務めています。

華やかな大役から始まったというより、モデル、映像の小さな役、舞台と経験を積み重ねながら演技を続けていました。

秋山純監督との出会い|俳優と映画制作スタッフを続けた下積み時代

俳優として活動を続けるなか、松谷さんは後に『栄光のバックホーム』を監督する秋山純監督の演技ワークショップへ参加しました。

この出会いの後、演じる仕事だけではなく、映画を作る側の仕事にも入るようになります。

演技ワークショップから『20歳のソウル』制作進行へ

松谷さんが秋山監督と出会ったのは、世話になっていた先輩を通じて演技ワークショップに参加したことがきっかけでした。

本人によれば、初めて会ってから3〜4か月後、映画『20歳のソウル』の撮影を前に制作進行が1人足りなくなり、脚本家の中井由梨子さんからスタッフとして入らないかと声をかけられました。

俳優を目指していた松谷さんは、制作進行として現場に入り、ごみ拾いや弁当の手配など裏方の仕事を一から経験しました。

秋山監督は『芸能に裏も表もない』という考えをお持ちの方で。

出典:マイナビニュース「『演じるな。存在しろ』――横田慎太郎さんを“生きた”松谷鷹也が『栄光のバックホーム』と巡り合った意味」(2025年12月27日)

出演する側と裏方の両方で映画現場に立つ

制作スタッフとして働けば、俳優としてカメラの前に立っているだけでは見えない仕事も毎日目に入ります。

松谷さんは『徹子の部屋』で、佐藤浩市さん、高橋克典さん、尾野真千子さん、平泉成さんらが現場にいるときの佇まいや、スタッフへの気配りまで間近で学べたと話しています。

『20歳のソウル』の野球シーンでは、ユニフォームを着て現場を走りながら助監督業務にも関わりました。

俳優として芝居を待つ時間だけではなく、撮影が始まる前から終わった後までスタッフとして動き、作品がどう作られるかを現場の内側から見ていたことになります。

秋山監督は後に、そのときの松谷さんの立ち姿やスイング、捕球する姿を見て、元阪神タイガースの横田慎太郎さんと重なるものを感じていたと映画公式の制作記録で明かしています。

松谷さんは俳優活動をやめて裏方になったのではなく、俳優を続けながら制作進行や助監督も経験しました。『栄光のバックホーム』公式プロフィールでも、秋山監督のもとで制作・助監督として経験を積んだことが紹介されています。

『栄光のバックホーム』主演へ|横田慎太郎との出会いが大きな転機に

『20歳のソウル』でスタッフとして現場に立っていたことから、松谷さんの俳優人生を大きく変える話が動き始めます。

しかも、その役は自身が一度離れた野球と再び本気で向き合うことを求めるものでした。

深夜のつけ麺店で告げられた横田慎太郎役の候補

『20歳のソウル』の撮影終了から約2か月後、中井由梨子さんから突然「今日空いてる?」と連絡が入りました。

深夜の中目黒で開いていたつけ麺店に向かうと、そこには秋山監督と中井さんがいました。

松谷さんは自分が何か失敗したのではないかと焦ったそうですが、秋山監督から切り出されたのは、横田慎太郎さんを題材にした映画で横田役をやらないかという話でした。

迷わず答えました。『やれるならやらせてください』と

出典:GOETHE「映画『栄光のバックホーム』横田慎太郎役に、新人俳優・松谷鷹也が選ばれた理由」(2025年12月2日)

ただし、この時点で主演が約束されていたわけではありません。

2021年に企画が始まると松谷さんは横田さんへの取材にも加わり、同年4月の2回目の取材から参加し、5月には横田さんから現役時代に使っていたグローブを受け取っています。

2022年3月には鹿児島で横田さん本人と母・まなみさんに対面し、同年夏に脚本が形になった段階で、製作総指揮の見城徹さんも松谷さんを主演として認めました。

横田さんとの交流は役の資料集めだけでは終わらず、2023年5月には秋山監督や中井さんとともに療養中の横田さんを訪ね、松谷さんは大阪に残ってその後も顔を合わせています。

横田本人との交流と長期の役作りを経て映画初主演へ

横田さんを演じる準備では、俳優として台詞を覚えるだけでは足りませんでした。

松谷さんは肩の故障から長く本格的な野球をしていなかったため、まず投げることへの怖さをほどきながら、木製バットの素振りも一から始めています。

2023年10月には広島県福山市の社会人硬式野球チーム福山ローズファイターズの練習生となり、同年12月から現地で生活しながら野球に打ち込みました。

高校・大学で投手だった経験があっても、約10年の空白と肩を壊した記憶があるため、最初から以前のように投げられたわけではありません。

映画では横田さんの外野から本塁への返球や打撃まで再現する必要があり、投球だけでなく木製バットでのスイング、走塁、プロ野球選手に見える体づくりを同時に進めました。

横田さんの体格へ近づけるため、高校時代の場面では84kg、プロ時代の場面では94kgを目安に増量し、最大で約20kg体重を増やしています。

映画で使われた“奇跡のバックホーム”も、横田さんから譲り受けたグローブを使い、CGに頼らず再現しました。

役作りの主な時系列:2021年に企画と横田さんへの取材が始まり、2022年に本人と鹿児島で対面、2023年に福山ローズファイターズで本格的な野球練習へ入り、2024年に撮影が進みました。

その準備の途中だった2023年7月18日、横田慎太郎さんは28歳で亡くなりました。

映画化の話を聞いてから、実際の撮影までには長い時間があり、その間に松谷さんは横田さん本人から言葉や野球道具を受け取り、横田さんが亡くなった後も準備を止めませんでした。

あとは慎太郎さんに身体を貸すだけ。そういう感覚で挑みました。

出典:GOETHE「映画『栄光のバックホーム』横田慎太郎役に、新人俳優・松谷鷹也が選ばれた理由」(2025年12月2日)

松谷さんはその後も準備を続け、2024年2月には福山ローズファイターズの選手として実戦にも出場しました。

2024年3月には横田さんの高校時代を描くパート、同年8月からはプロ野球選手時代の撮影が始まり、積み上げてきた野球の動きをカメラの前で使う段階に入りました。

BS朝日のドキュメンタリーでは、2021年から始まった企画で松谷さんが横田さんを演じるために費やした4年半の日々が、秘蔵映像や関係者の証言とともに記録されています。

2025年11月28日に公開された『栄光のバックホーム』は、松谷鷹也さんにとって映画初主演作となりました。

高校・大学まで投手だった松谷さんは、横田さんから受け取ったグローブを手に、映画の中で再び本塁へボールを返しました。