PROFILE
人物プロフィール
珠城りょうさんは、1988年10月4日生まれの愛知県出身で、2008年に宝塚歌劇団へ94期生として入団しました。
2016年には月組トップスターに就任し、2021年の退団後、2022年にテレビドラマ、2023年に映画へ初出演しました。
華やかな男役トップスターとして知られますが、子どものころから宝塚を目指していたわけではなく、もともとは水泳選手に憧れ、バスケットボールや陸上、ハンドボールにも打ち込んだスポーツ少女でした。
宝塚を初めて観たのは中学2年生のときで、宝塚音楽学校に合格したのは3度目の受験でした。
「珠城りょう 本名」も検索されていますが、公式サイトは2023年3月2日、本名などのプライバシー情報をインターネット上へ書き込まないよう案内しています。公式プロフィールでは活動名の「珠城りょう」が掲載されています。詳しくは公式サイトの案内で確認できます。
今回は、そんな珠城りょうさんの生い立ちや家族、学生時代、宝塚を目指したきっかけ、94期生として入団して月組トップスターになるまでの道のりをご紹介します。
珠城りょうの生い立ち|愛知県蒲郡市で育ったスポーツ少女
珠城りょうさんは愛知県蒲郡市で生まれ育ちました。
宝塚歌劇の公式プロフィールにも蒲郡市出身と記載されており、後年のインタビューでも子ども時代の話をたびたび振り返っています。
3歳から水泳、小学生ではバスケと走り高跳びに夢中
最も長く続けたスポーツの一つが水泳で、3歳ごろから泳ぎ始め、やがて選手コースへ進んで大会にも出場していました。
本人は一時期、水泳選手になることも思い描いていたと振り返っています。
小学校ではバスケットボールにも取り組み、学校に常設の陸上部がなかったため、市の大会に向けて選手を募る時期になると自ら参加しました。
走り高跳びでは、小学校高学年の愛知県大会で2位に入った経験があります。
リレーではアンカーにも立候補しており、勝負の場面へ自分から入っていく子どもでした。
自分に負けるのは一番いや。言い訳しない、自分で限界を決めない
出典:日刊スポーツ「体育会系トップが負けず嫌い道突っ走る/珠城りょう」(2017年7月20日)
中学時代のマラソン大会では、1年生で優勝し、2年生で2位になると、自分を抜いた相手の走り方を研究して敗因を分析しました。
3年生では再び1位になっており、舞台へ進む前から、負けた理由を考えて次へ生かす姿勢がありました。
中学ではハンドボール部主将、友人をきっかけにバレエへ
中学進学は、スポーツとの向き合い方が変わる時期でもありました。
進学先では女子水泳部がなくなることになり、存続を求めたものの叶わず、学校の部活動ではハンドボール部へ入ります。
女子水泳部がなくなると知った際には、同級生や関係者とともに存続を求めましたが、実現しませんでした。
進学した中学校では全員が部活動へ参加する決まりがあり、放課後にハンドボール部で活動するようになると、それまで通っていたスイミングスクールへ行く時間もなくなっていきました。
後年には、もしあの時に女子水泳部がなくなっていなければ、水泳選手を目指していたかもしれないと本人が話しています。
ハンドボールを始めるとこちらにも夢中になり、エースとしてプレーし、やがて主将を務めました。
一方で、友人が習っていたことをきっかけにクラシックバレエにも興味を持ち、自分も習い始めています。
このバレエ教室で「宝塚」という言葉を耳にするようになりましたが、当初は宝塚歌劇についてほとんど知りませんでした。
地名なのか、団体名なのかも知りませんでした
出典:日刊スポーツ「役者である前に“人として” 女優珠城りょうの根底にあるマインド」(2026年6月26日)
中学2年生のころまで中心にあったのはスポーツで、宝塚はそこから出会った新しい世界でした。
珠城りょうの家族|両親・兄・祖母とのエピソード
珠城りょうさんの過去のインタビューでは、両親、兄、祖母との具体的な思い出が語られています。
家族は宝塚受験を一方的に決めた存在ではなく、本人が選んだ道を見守りながら支えていました。
家族との夕食と兄との思い出
子どものころの家庭を思い出す場面として、珠城りょうさんが挙げているのが家族そろっての夜ごはんです。
幼いころから食べることが好きで、兄とは食卓のおかずを取り合うこともありました。
兄とおかずを取り合うくらい食いしんぼうで(笑)
出典:オレンジページnet「元宝塚歌劇団月組トップスター珠城りょうさんのメリハリ食生活」(2025年7月16日)
母親が夕食を作る姿をそばで見て、早く食べたいという気持ちから料理を手伝うこともあったそうです。
宝塚の舞台や受験とは離れた、ごく普通の家庭の食卓が本人の記憶に残っています。
母と参加した宝塚観劇バスツアーが進路を変えた
中学2年生のとき、珠城りょうさんは母親と一緒に宝塚観劇のバスツアーへ参加しました。
バレエ教室で宝塚の話題を耳にしていたところ、たまたま観劇ツアーのチラシを見つけたことがきっかけでした。
舞台を実際に観ると気持ちは一気に傾き、後に母親から、1部と2部の幕間にはすでに「ここに入りたい」と話していたと聞いたそうです。
水泳選手を思い描いていた少女が、中学2年生の初観劇を境に宝塚音楽学校を目指し始めました。
観劇後は、それまで習っていたバレエに加えて声楽のレッスンも始めています。
本人の意思を尊重した両親と3度の宝塚受験
宝塚音楽学校を目指すと決めた娘に対し、両親は本人の意思を尊重しました。
ただし、好きなことを自由にさせるだけではなく、自分で口にしたことには責任を持つよう、子どものころから伝えていたといいます。
やりたいのならやっていい。その代わり、自分の言葉に責任を持ちなさい
出典:婦人公論.jp「珠城りょう『入団9年目で宝塚歌劇団・月組トップスターに。さまざまな声のなか、最後まで走り切って今がある』」(2023年1月13日)
初めての受験で不合格になっても、両親から無理に続けるよう言われたのではなく、自分で決めた挑戦として翌年も受験しました。
3度目まで続いた宝塚受験には、そんな家庭での教えもありました。
祖母から受け継いだネックレス
祖母との関係を伝える品として残っているのが、ダイヤモンドのネックレスです。
20歳になったとき、母親から「おばあちゃんから預かっているもの」として渡されました。
珠城りょうさんは自らを「おばあちゃん子」だったと振り返っており、贈り物を受け取ると祖母のもとへお礼を伝えに行ったそうです。
当時はすでに宝塚歌劇団に入団していたため身につける機会は少なく、時折取り出して眺めながら大切に保管していました。
祖母から受け継いだものには、ネックレスのほかに大ぶりの石が付いた指輪などもあり、後年のインタビューでは祖母や母が外出時にジュエリーを身につけていた姿も記憶に残っていると話しています。
珠城りょうの学生時代|光ヶ丘女子高校から宝塚音楽学校へ
宝塚歌劇の公式プロフィールでは、珠城りょうさんは光ヶ丘女子高校出身とされています。
中学3年生から宝塚音楽学校を受験し、高校2年生のときに3度目の挑戦で合格しました。
中学3年で初受験、蒲郡から一人で東京へ通った受験生活
初めて宝塚を観た翌年、中学3年生になると宝塚音楽学校の受験へ進みます。
受験対策のため、夏休みや冬休みには愛知県蒲郡市の自宅から一人で新幹線に乗り、東京の宝塚受験教室へ通いました。
短時間のレッスンに通うだけではなく、泊まり込みで講習を受けることもありました。
中学生が蒲郡から東京まで一人で移動し、宝塚受験に必要なレッスンを重ねていたことになります。
ただ、最初の受験は一次試験で不合格でした。
2度の不合格を経て高校2年の3度目で合格
高校1年生で臨んだ2回目は、前年より先へ進み、二次試験まで到達しました。
それでも合格には届かず、翌年の高校2年生で3回目を受験します。
1回目は一次試験、2回目は二次試験、そして3回目で合格と、受験のたびに一段ずつ先へ進みました。
婦人公論.jpのインタビューでは、不合格だったときの気持ちを「悔しいというよりもっと深い喪失感」と振り返っています。
それでも次の受験に向けてレッスンを続け、3度目で宝塚音楽学校への切符を手にしました。
2026年のインタビューでは、3回目を受ける際は「ラストチャンスのつもり」だったとも振り返っています。
最初の観劇から数年の間に、スポーツ中心だった生活は、バレエと声楽、そして宝塚受験のためのレッスンへ大きく変わっていました。
2006年に宝塚音楽学校へ入学
2006年4月、宝塚音楽学校へ入学しました。
宝塚歌劇の公式資料には「光ヶ丘女子高校出身」と「2006年4月 宝塚音楽学校入学」が記載されています。
高校の卒業時期については同じ公式プロフィールに記載がないため、学歴として明確に確認できるのはこの2点です。
「珠城りょうは何期?」という検索への答えは宝塚歌劇団94期生です。2006年に宝塚音楽学校へ入学し、2年間の課程を経て2008年に宝塚歌劇団へ入団しました。
宝塚音楽学校卒業生として2013年に公開された公式インタビューでは、受験生へ向けて自身の経験を踏まえたメッセージも送っています。
珠城りょうは宝塚94期|2008年『ME AND MY GIRL』で初舞台
宝塚音楽学校で2年間学んだ後、2008年3月に卒業し、同年に宝塚歌劇団94期生として入団しました。
ここからは、宝塚を目指した受験生ではなく、舞台で役を演じる俳優としての時間が始まります。
94期生として入団し月組へ配属
初舞台は、2008年3月から5月に上演された月組公演『ME AND MY GIRL』でした。
同年5月には月組へ配属され、その後2021年に退団するまで月組で舞台に立ちます。
宝塚へ入りたいと思ってから音楽学校受験を3回経験し、音楽学校で2年間学んだうえで迎えた最初の舞台でした。
後に演出家の齋藤吉正さんは、『ME AND MY GIRL』で演出補を務め、珠城りょうさんの初舞台口上を指導した当時から「いつか主役を演じられるスターになるだろう」と感じていたと宝塚歌劇公式サイトで振り返っています。
入団3年目で新人公演初主演
最初の大きな抜擢は入団から間もない時期に訪れます。
2010年、『THE SCARLET PIMPERNEL』の新人公演でパーシー・ブレイクニー役を演じ、新人公演初主演を務めました。
入団3年目での新人公演主演でした。
2012年の『ロミオとジュリエット』では、本公演で「死」を演じながら、新人公演ではロミオ役で主演しています。
2013年の『ルパン-ARSÈNE LUPIN-』でも新人公演主演を務めるなど、若手時代から中心役を任される機会が続きました。
2013年『月雲の皇子』でバウホール初主演
2013年5月には、宝塚バウホール公演『月雲の皇子-衣通姫伝説より-』で木梨軽皇子を演じました。
これは珠城りょうさんにとって宝塚バウホール公演での初主演です。
作品は『古事記』『日本書紀』に残る衣通姫伝説を題材とし、上田久美子さんの宝塚バウホール演出家デビュー作でもありました。
木梨軽皇子が都を追われ、優しい皇子から野性的な姿へ変わっていく役どころで、若手男役として一作品を背負う立場になりました。
宝塚音楽学校に3度目の受験で合格した珠城りょうさんは、入団後は3年目で新人公演初主演、5年目でバウホール初主演へ進みました。
珠城りょうはなぜ早くトップスターになった?入団9年目までの歩み
「珠城りょうはなぜ早くトップになったのか」という検索もありますが、トップスター人事の具体的な選考理由を一つに断定できる公式説明はありません。
一方で宝塚歌劇の公式舞台歴を見ると、入団後の早い時期から主演を重ね、2016年のトップ就任まで段階的に大きな役を任されていたことは確認できます。
若手時代から重ねた主演経験
2010年に『THE SCARLET PIMPERNEL』新人公演で初主演し、2012年には『ロミオとジュリエット』新人公演でロミオ役を演じました。
2013年には『月雲の皇子』でバウホール初主演を果たし、同年の『ルパン-ARSÈNE LUPIN-』でも新人公演主演を務めています。
初舞台のころから珠城りょうさんを見ていた演出家の齋藤吉正さんは、2019年の宝塚歌劇公式インタビューで、当時から頼もしさを感じていたと述べています。
後から見ればトップ就任は早いものでしたが、舞台歴にはその前に複数の主演経験が積み上がっていました。
2015年『Bandito』から2016年全国ツアー『激情』へ
2015年1月から2月には、宝塚バウホール公演『Bandito-義賊 サルヴァトーレ・ジュリアーノ-』で主演しました。
同年の大劇場公演『1789-バスティーユの恋人たち-』では、マクシミリアン・ロベスピエール役を担当しています。
翌2016年3月から4月の全国ツアーでは、『激情-ホセとカルメン-』でドン・ホセ役を演じ、愛希れいかさんと主演を務めました。
新人公演の主演からバウホール主演、全国ツアー主演へと、任される舞台の規模が変わっていきました。
入団9年目で月組トップスターに就任
2016年9月、珠城りょうさんは月組トップスターに就任しました。
入団9年目でのトップ就任は、男役では入団7年目で就任した天海祐希さんに次ぐ速さとされています。
トップ就任の翌年、本人は就任前に完成したトップ像を描けていたわけではなく、プレッシャーや責任を感じたと話しています。
そこで、下級生ともコミュニケーションを取り、自分から作品へ入り込む姿を見せようと考えました。
中学時代にハンドボール部の主将を務め、本人が自分を「体育会系」と表現していたことと重なるように、トップ就任後は大人数の月組を率いる立場になりました。
2019年には齋藤吉正さんも、初舞台時から見てきた珠城りょうさんが、80人近い組のメンバーを率いるリーダーになったことに成長を感じたと語っています。
トップ就任後の最初の主演公演は、2016年10月から11月に上演された『アーサー王伝説』でした。
翌2017年には『グランドホテル』『カルーセル輪舞曲』で、月組トップスターとして宝塚大劇場のお披露目公演を迎えています。
「なぜ早くトップになったのか」を推測で決めることはできませんが、入団3年目の新人公演初主演から、バウホール主演、全国ツアー主演へ進んだ公式舞台歴は、その早い就任までに任されてきた役の変化を示しています。
2021年の退団から女優として映像作品へ
2016年のトップ就任から約5年後、2021年8月15日に宝塚歌劇団を退団しました。
退団に際しては、自分自身が次の人生へ進みたいという思いだけでなく、トップの次を目指す後輩の存在も考え、よいタイミングで卒業したいと思っていたことを後年明かしています。
宝塚で培ったものを生かせるなら仕事を続けたいと考えて外の世界へ出て、退団翌年の2022年にはTBS日曜劇場『マイファミリー』で東堂亜希役を演じ、テレビドラマに初出演しました。
出演が発表された際には、『マイファミリー』公式Xでも、元宝塚歌劇団トップスターの珠城りょうさんが東堂亜希役に決定したことと、これが初のテレビドラマ出演になることが写真付きで紹介されています。
宝塚では大きな劇場で観客へ届ける芝居を重ねてきましたが、初めての映像現場では、カメラの前での表現方法に触れます。
根本的な役の作り方や表し方については“そんなに変わらないんだな”
出典:マイナビウエディング「My Story, My Jewelry Vol.2 珠城りょう」(2022年7月12日)
舞台では観客へ、映像では対面する相手へ感情を伝えるという違いを感じながらも、役を作る根本は共通していると実感したそうです。
続いて2023年には、映画『わたしの幸せな結婚』で映画初出演を果たしました。
演じたのは、久堂家が贔屓にしている呉服店「すずしま屋」の店主・桂子です。
映画公式Xでは公開前に、桂子のキャラクター紹介とともに、役姿の珠城りょうさんも公開されました。
宝塚退団から2年後、テレビドラマに続いて映画にも出演し、舞台以外の演技にも活動の場を広げました。
















