PROFILE
人物プロフィール
映画『ブルーボーイ事件』で主人公・サチを演じた中川未悠さんは、それまで演技経験がなかった状態から映画主演に選ばれた俳優です。
ただ、中川さんが映像作品に登場したのは『ブルーボーイ事件』が最初ではありません。
大学在学中の2017年には、自身が性別適合手術を受けるまでを記録したドキュメンタリー映画『女になる』の主人公となり、その後はファッションを学んだ経験を生かしてアパレル関係の会社で働いていました。
会社を辞めたタイミングで届いた一本のオーディションの話が、27歳だった中川さんを初めて演技の現場へ連れていきます。
そこへ至るまでには、神戸での子ども時代、母親・父親・祖母との生活、デザインとファッションを学んだ学生時代、自ら制作を依頼した『女になる』など、いくつもの出来事がありました。
今回は、そんな中川未悠さんの生い立ちや家族、学生時代、『女になる』出演、アパレル勤務を経て俳優になるまでをご紹介します。
中川未悠の生い立ち|神戸で過ごした幼少期
中川未悠さんは1995年9月11日、兵庫県神戸市に生まれました。
後にファッションを専門的に学び、アパレル関係の仕事へ進みますが、その興味は幼いころからすでに表れていました。
絵や工作、かわいいものが好きだった幼稚園時代
幼稚園のころは絵を描いたり工作したりすることが好きで、『美少女戦士セーラームーン』や『おジャ魔女どれみ』にも夢中になっていました。
一方でトミカで遊んだり、外を走り回ったりすることも好きで、男の子とも女の子とも一緒に遊んでいたそうです。
服は祖母が編んでくれたセーターなど、かわいらしい雰囲気のものを着ることがありました。
小学校へ入ると、周囲から求められる「男の子らしさ」と、自分が好きなものとの違いを意識する場面が増えていきます。
入学時に買ってもらった黒いランドセルを見たときには、赤い方がいいと思ったと後年振り返っています。
かわいいキャラクターの筆箱などを持っていることで同級生からからかわれることもあり、学校では笑いに変えて返していましたが、家では親に気づかれないよう泣くこともありました。
中学では学級代表と卓球部、友人からは「ナカ」と呼ばれた
中学生になるころ、テレビで活躍していたはるな愛さんや椿姫彩菜さん、佐藤かよさんらを見たことから、自分が抱いてきた違和感について少しずつ理解するようになります。
幼稚園から中学校まで一緒だった友人も多く、中川さんは友人たちから名字を取った「ナカ」という愛称で呼ばれていました。
本人によれば、友人たちは性別で分けるより「ナカはナカ」という感覚で接していたようで、改めて自分について説明しなくても恋愛の悩みなどを相談できたそうです。
中学校でも高校でも学級代表を務め、男子卓球部では大会で優勝した経験もありました。
目立たないように過ごすのではなく、自分から人前へ出ることで周囲と関わろうとしていた学生時代でした。
中川未悠の家族|母親・父親・祖母と過ごした子ども時代
中川さんの子ども時代には、母親・父親・祖母との関係が大きく関わっています。
両親が共働きだったため、幼いころは祖母に面倒を見てもらう時間も長く、大人になってからも祖母との思い出をたびたび振り返っています。
中学2年で母親が家を離れ、父親と祖母との生活へ
母親は中川さんに勉強や学校生活を細かく指示するタイプではなく、本人がやりたいことを選ばせてくれていたといいます。
中川さんが後年まで覚えているのが、母親から繰り返し伝えられていた言葉でした。
「人生は一度きりやから、自分が後悔せえへん生き方をしなさい」
出典:LGBTER「トランスジェンダーへの理解を広めるため、私は前へ出る。〖前編〗」(2017年10月17日)
その母親が両親の離婚によって家を離れたのは、中川さんが中学2年生のころでした。
以後は父親と祖母と暮らすようになり、ちょうど体の変化も大きくなる思春期を迎えます。
高校生になるころにはインターネットで性同一性障害や治療について調べ、高校の先生にも相談するようになりました。
高校2年で母親へ自分の思いを打ち明ける
治療について具体的に考えるようになると、家族にも自分の気持ちを伝える必要が出てきました。
最初に打ち明けたのは、高校2年生のときの母親でした。
二人で買い物をした帰りに母親の家へ行ったものの、なかなか言葉にできず、約2時間泣き続けたと2017年のインタビューで振り返っています。
ようやく「女の子として生きていきたい」と伝えると、母親は以前から薄々気づいていたことを話しました。
すぐにすべてが整理されたわけではありませんでしたが、その後は母親と一緒に医療機関へ行き、治療へ向けた相談を進めています。
父親にも伝え、治療への同意を得るまで
両親の離婚後、親権を持っていたのは父親だったため、未成年で治療を始めるには父親にも伝えなければなりませんでした。
中川さんは話す日を決めていましたが、その前日に父親とLINEでつながり、女性の服装をしたプリクラをプロフィール画像にしていたことから話をすることになります。
父親は当初、すぐには理解できず、中川さんとの間で会話がほとんどない状態が2週間以上続きました。
それでも病院で治療について説明を受けたあと、父親はホルモン治療の同意書へサインしています。
後になって、中川さんは父親自身も当事者に話を聞くなどして性別適合手術について調べていたことを知りました。
祖母もすぐにすべてを受け入れたわけではありませんでしたが、家族それぞれが時間をかけながら中川さんの選択と向き合っていきました。
中川未悠の学生時代|兵庫工業高校から神戸芸術工科大学へ
中川さんが学生時代に選んだ進路には、幼いころから好きだった絵・工作・服が一貫して関わっています。
高校でも大学でも、学んだのはデザインとファッションでした。
兵庫工業高校デザイン科でアパレルを学ぶ
進学したのは兵庫県立兵庫工業高等学校のデザイン科です。
2017年の本人プロフィールでは、高校時代にデザイン科のアパレルコースで学んだことが紹介されています。
この時期には休日にウィッグを着けてメイクをし、女性の服を選んで外出することもありました。
高校の先生へ自身について相談した際には、当事者と話す機会や治療を行っている医療機関についても教えてもらっています。
2023年7月には、デザイン科66回生の卒業生として兵庫工業高校を訪れ、東根歩夢さんとともに在校生への保健講演会で講師を務めています。
神戸芸術工科大学でファッションデザインを専攻
高校卒業後は神戸芸術工科大学のファッションデザイン学科へ進学しました。
もともとはファッションデザイナーに興味を持っていましたが、大学では商品だけでなくイベントや雑誌にも関われるファッション企画を学ぶようになります。
服を単に着るものとしてではなく、自分を表現する手段として考えていたことも本人の言葉に残っています。
大学卒業後もファッションに関わる仕事へ進みたいという希望は変わりませんでした。
19歳で治療を始め、21歳で手術を受けて就職活動へ
大学時代の19歳でホルモン治療を始め、2017年春、21歳で性別適合手術を受けました。
大学を卒業するときには女性として社会へ出たいという思いがあり、手術費用を貯めるためにアルバイトを掛け持ちしていた時期もあります。
手術後は戸籍上の性別も女性へ変更し、大学4年生では女性として就職活動を進めました。
就職面接では自分がトランスジェンダーであることを自ら伝え、同時期にはトランスジェンダーモデルとして事務所にも所属しています。
ただ、当時の中川さんが目指していた仕事の中心は、あくまでファッションの分野でした。
『女になる』出演|大学時代に自ら始めたドキュメンタリー
大学在学中に中川さんを広く知られるきっかけとなったのが、田中幸夫監督のドキュメンタリー映画『女になる』でした。
重要なのは、『女になる』への出演は俳優として演技をした仕事ではないことです。
作品で映されているのは、中川さん本人の生活と性別適合手術を受けるまでの過程でした。
『女になる』は中川未悠さん本人を追ったドキュメンタリーで、俳優として役を演じた作品ではありません。最初の演技仕事は後の『ブルーボーイ事件』です。
田中幸夫監督へ自分から制作を依頼
『女になる』は、映画会社や監督から中川さんへ出演依頼が来て始まった作品ではありません。
手術を受けることが決まった中川さん自身が、これまでのことを映像に残しておきたいと考えたことから動き始めました。
「20年後とかに、こんなこともあったなって、笑って観られるようにしたい」
出典:LGBTER「トランスジェンダーへの理解を広めるため、私は前へ出る。〖後編〗」(2017年10月19日)
知人を通じてドキュメンタリー監督の田中幸夫さんと知り合い、何度か話をした後、中川さんから映画制作を依頼しました。
自分の経験を残すために、本人から監督へ「撮ってほしい」と頼んだことが『女になる』の出発点です。
監督や家族からは当初、映像を広く公開することへの心配も伝えられましたが、中川さんの意思は変わりませんでした。
作品は2017年秋から公開され、中川さんが大学卒業を控えていた時期の姿も記録されています。
公開後はモデル活動や講演へ、まだ俳優ではなかった
『女になる』公開前後には、トランスジェンダーモデルとしての活動や、学校などで自身の経験を話す活動も始めています。
メディアへ出る場合も、一般的な女性モデルとして活動するより、自分がトランスジェンダーであることを伝えられる仕事をしたいと2017年のインタビューで話していました。
一方で大学卒業後の進路として選んだのは、俳優業ではありません。
神戸芸術工科大学を卒業した後は、アパレル関係の会社へ就職しました。
卒業後はアパレル勤務|俳優になる前の社会人時代
大学まで続けてきたファッションへの興味は、そのまま社会人としての仕事につながりました。
『女になる』への出演によって人前で話す機会は増えていましたが、生活の中心はアパレル関係の会社での仕事でした。
ファッションの仕事を続けながら学校や企業で講演
会社員として働く一方で、中川さんは学校や企業などから依頼を受けて講演活動を続けました。
中学校や高校へ足を運ぶ機会も多く、自分自身が子どものころに感じていたことや、家族へ伝えた経験などを話しています。
2018年には兵庫県人権啓発協会が紹介する映像作品『トランスジェンダー ~未悠・彩・歩夢~』にも登場し、当時の中川さんはアパレル会社に勤務する人物として紹介されていました。
映像や講演へ出演していても、まだ俳優として役を演じる仕事には進んでいませんでした。
大阪への引っ越しで退職し、オーディションの話が届く
アパレル関係の仕事は結婚後も続けていましたが、当時の夫の転勤に伴って大阪へ引っ越すことになり、会社を辞めることになります。
それまで続けてきた仕事を離れた、まさにそのころに届いたのが映画『ブルーボーイ事件』のオーディションでした。
アパレル会社を退職したタイミングと、初めて演技へ挑戦する機会が重なりました。
ここで声をかけたのが、『ブルーボーイ事件』にも参加していたインティマシー・コーディネーターの西山ももこさんです。
中川さん自身に俳優経験はありませんでしたが、仕事を辞めたばかりだったこともあり、オーディションを受けることを決めました。
中川未悠が俳優になるまで|『ブルーボーイ事件』で初演技・初主演
飯塚花笑監督の映画『ブルーボーイ事件』は、1960年代に実際に起きた性別適合手術をめぐる裁判から着想を得た作品です。
飯塚監督は当事者によるキャスティングを重視し、演技経験者だけに対象を限定せず主人公・サチを探していました。
そこへ参加したのが、27歳だった中川さんです。
飯塚花笑監督は、中川未悠さんにもサチにも洋裁を学んだ背景があったことなどから、オーディションで二人が重なって見えたとキャスティングを振り返っています。
西山ももこの声かけで27歳のオーディションへ
中川さんが演技のオーディションを受けたのは、この『ブルーボーイ事件』が初めてでした。
一次オーディションを通過すると、それまで以上に「ここまで来たら受かってみたい」という気持ちが強くなっていきます。
二次オーディション後に届いたのは、主人公・サチ役への合格を知らせるメールでした。
「本当かな?」「打ち間違いじゃないかな?」
出典:Kiss PRESS「『自分らしく生きていい』と思えるきっかけを届けたい 映画『ブルーボーイ事件』中川未悠インタビュー」(2025年11月14日)
中川さんはメールを受け取ってからしばらく固まり、内容を何度も確認したと振り返っています。
映画公式プロフィールによれば、選考には約2か月を要しました。
2か月の選考を経てサチ役、撮影前は約半年の演技レッスン
主演に決まったとはいえ、それまで演技をした経験はありません。
撮影へ入る約半年ほど前から、演技の先生と一緒に台本の読み方や呼吸、人前で緊張しないためのトレーニングなどを基礎から学びました。
約2か月のオーディションの後、さらに約半年をかけて初めての映画撮影へ備えています。
飯塚監督と中川さんが、オーディション参加の経緯から演技未経験で撮影へ入るまでの準備を振り返ったインタビューでは、この時期の話を本人の言葉で聞くことができます。
『ブルーボーイ事件』は、中川未悠さんにとって初めての芝居であり、初映画出演、そして初主演となった作品です。
撮影4日目の法廷シーンを経て演技の楽しさを知る
半年ほど準備をしていても、初めて入る映画の撮影現場では経験したことのないことばかりでした。
恋人・若村篤彦を演じた前原滉さんとの場面では、泣くシーン、キスシーン、けんかするシーンなどを撮影順ではなく続けて演じる必要があり、感情を整理する難しさも経験しています。
さらに物語の大きな山場となる法廷での証言シーンは、撮影4日目という早い段階で撮られました。
撮影に慣れる前に大きな場面を任されましたが、そのシーンを終えたころから緊張が和らぎ、その後の撮影では少しずつ演技を楽しめるようになったと話しています。
『ブルーボーイ事件』は2025年11月14日に公開され、初めて役を演じた中川さんの俳優としてのキャリアがここから始まりました。
初主演後の転機|新人女優賞と次の主演作
『ブルーボーイ事件』への出演は、一度だけの映画経験では終わりませんでした。
作品公開後には演技が評価され、次の主演映画の撮影も進みます。
おおさかシネマフェスティバル2026で新人女優賞
2026年、おおさかシネマフェスティバルの日本映画部門で新人女優賞に選ばれました。
受賞作は、初めて演技に挑戦した『ブルーボーイ事件』です。
表彰式では台湾での『ブルーボーイ事件』舞台挨拶から直接大阪へ駆けつけ、サチと自身の経験が重なる部分を意識しながら演じていたことを振り返りました。
演技経験がなかった状態で受けた最初のオーディションから数年後、その作品で新人俳優として賞を受けるところまで進んでいます。
『となりのとらんす少女ちゃん』の撮影を終え俳優活動を継続
新人女優賞を受賞した時点で、中川さんはすでに2本目の主演映画『となりのとらんす少女ちゃん』の撮影を終えていました。
東海林毅監督が、とら少さんの漫画「未来から来たとらんすちゃん」を原作に映画化した作品で、中川さんは未来からやって来たユウカを演じています。
2026年6月には、同作の公開日が2026年11月7日と発表されました。
『ブルーボーイ事件』の取材で中川さんは、学校で悩みを抱える子どもたちと接してきた経験にも触れながら、映像の中に自分の姿を見せることが誰かのきっかけになるかもしれないと話しています。
「『自分も生きていいんだ』と思えるきっかけを届けたい」
出典:Kiss PRESS「『自分らしく生きていい』と思えるきっかけを届けたい 映画『ブルーボーイ事件』中川未悠インタビュー」(2025年11月14日)
2025年に初めて芝居を経験した中川さんは、その作品で新人女優賞を受賞し、続く主演作の撮影も終えました。
デザインとファッションを学び、アパレル会社で働いていた時間を経て、中川未悠さんの俳優としてのキャリアは『ブルーボーイ事件』から始まっています。















