PROFILE
人物プロフィール
岡崎紗絵さんは、ファッション誌のモデルを経て、ドラマや映画へ活動の幅を広げてきた女優です。
華やかなモデルの世界から芸能活動が始まった岡崎紗絵さんですが、子どものころからモデルや女優になることを決めていたわけではありません。
中学生になってファッション誌を読むようになっても、芸能界はまだ自分とは離れた世界で、高校卒業後には地元で大学へ進み、そのまま就職する将来も思い描いていました。
そんな高校時代、家族で食事をしていた店で父親が口にした思いがけない一言から、岡崎紗絵さんの進路は少しずつ変わっていきます。
今回は、そんな岡崎紗絵さんの生い立ちや家族、学生時代、芸能界へ入ったきっかけ、モデルから女優になるまでの経緯をご紹介します。
岡崎紗絵の生い立ち|名古屋で育ち、転校を重ねた子ども時代
岡崎紗絵さんは1995年11月2日生まれ、愛知県名古屋市出身です。
所属事務所では出身地を愛知県としていますが、本人は過去のインタビューで生まれた場所について名古屋市と答えています。
後にモデルとして撮影現場へ入り、多くの人と関わる仕事をするようになりますが、幼少期から芸能活動に近い生活を送っていたわけではありません。
外遊びが好きだった幼少期|母親が慌てて探したことも
幼いころは家の中で静かに過ごすよりも、外へ出て遊ぶことが好きな子どもでした。
「外で遊ぶのが好きな子供でした。」
出典:girlswalker「『教場2』出演の注目女優・岡崎紗絵、本日25歳の誕生日!生い立ちやターニングポイントあかす」(2020年11月2日)
本人は当時を「おてんばで活発」だったとも振り返っています。
その活発さを物語るのが、親が少し目を離した間に一人で出かけてしまったという幼少期の出来事です。
本人にはそのときの記憶がないそうですが、姿が見えなくなった娘を母親が大慌てで探し回ったと後から聞いています。
外で元気に遊んでいた一方、このころはテレビや映画を頻繁に見る家庭生活ではなく、俳優や女優も身近な存在ではなかったと本人は話しています。
「紗絵」という名前には、両親の「絵画のようにきれいな人生を送ってほしい」という願いが込められています。
小学校で2回、中学校で1回の転校を経験
子ども時代には、一つの地域や学校でずっと同じ友人と過ごしていたわけでもありません。
「小学生で2回、中学生では1回転校した」
出典:Ray「キュートな赤ちゃん時代が眼福すぎる♡【岡崎紗絵】のびじん年表〜Part1〜」(2023年1月14日)
小学校で2回、中学校で1回の転校を経験し、そのたびに新しい環境へ入っています。
岡崎紗絵さん自身は、この経験もあって人見知りをしない性格になったと振り返っています。
中学校最後の転校先へ移ったのは2年生の途中だったため、卒業まで過ごした期間は約1年半でした。
それでも友人との関係は深くなり、卒業式ではレミオロメンの「3月9日」を歌う予定だったものの、別れが寂しくて泣きすぎ、ほとんど歌えなかったといいます。
岡崎紗絵の家族|父・母・姉・兄・妹の6人家族
岡崎紗絵さんは、父親、母親、姉、兄、本人、妹の6人家族で育ちました。
4人きょうだいの中では次女にあたり、姉と兄という年上のきょうだい、妹という年下のきょうだいがいます。
父親や母親、きょうだいの氏名や職業を細かく公表しているわけではありませんが、本人のインタビューには家族と過ごした具体的な場面がいくつも残されています。
姉・兄・妹と育ち、家族でキャンプや北海道旅行へ
子どものころは、家族でさまざまな場所へ出かけていました。
本人が特に覚えているのが、北海道でラベンダー畑を訪れた旅行や、家族でのキャンプです。
芸能界へ入る前の岡崎家では、そうした旅行や外遊びが子ども時代の身近な思い出になっていました。
そして、この家族の中で後に芸能界入りの流れを動かすことになるのが父親です。
岡崎紗絵さんが父親へ「モデルになりたい」と頼み込んだのではなく、むしろ本人が予想していなかったところから話が始まりました。
母親との思い出|19歳で上京した日に残されていた手紙
母親との関係がよく伝わるのは、岡崎紗絵さんが名古屋を離れた日のエピソードです。
高校卒業後、女優としての活動へ踏み出すため、19歳で名古屋から東京へ移りました。
上京初日、新しく暮らす部屋のベッドを見ると、そこには母親からの手紙が置かれていました。
岡崎紗絵さんは、その手紙をまだ開いていない段階から泣いてしまったと振り返っています。
子どものころには、姿が見えなくなった娘を探し回っていた母親が、約20年後には家を離れる娘へ手紙を残していました。
岡崎紗絵の学生時代|中学でファッションに興味、高校は名古屋から東京へ
岡崎紗絵さんが芸能界を少しずつ意識するようになったのは、中学生になってからです。
ただし、この時点でも女優になることを目標にしていたわけではなく、最初に興味を持ったのはファッションやメイクでした。
中学時代にファッション誌へ興味|卒業式では泣いて歌えず
中学生になるとファッション誌を読むようになり、誌面に登場するモデルを見ながら服やおしゃれに関心を深めていきました。
当時はショップの紙袋をサブバッグとして使うことも、自分なりのおしゃれの一つだったそうです。
また、通っていた中学校にはNHKのドラマ『中学生日記』へ出演している生徒が何人かおり、テレビ局や撮影現場の話を耳にする機会もありました。
それによって芸能界が以前より近い存在にはなったものの、本人は自分がモデルになれるとは考えていませんでした。
ファッション誌に載っているモデルを「かわいい」と眺めることと、自分自身がそこへ入ることの間には、まだ大きな距離がありました。
高校生活とモデル活動を両立|大学進学も考えていた
高校へ進学してから芸能活動を始めても、岡崎紗絵さんはすぐ東京の学校へ移ったわけではありません。
名古屋の高校へ通いながら、仕事が入るたびに東京へ向かう生活を続けました。
平日に仕事があれば学校を休まなければならないこともありましたが、地元へ戻れば同級生は以前と変わらず接してくれたといいます。
本人にとっては、東京でモデルをしている時間の方が現実離れしており、高校にいる時間はそれまでと変わらない日常でした。
文化祭や体育祭などの学校行事にも積極的に参加し、高校3年生の終盤には卒業するのが寂しく、休日にも制服を着ていたことがあったほど学校生活を楽しんでいます。
出身高校について
ネット上では「名古屋西高校」とする情報も見られますが、本人インタビューでは「名古屋の学校」「高校」と語られており、学校名を本人や所属先が明示した一次資料は確認できません。そのため、ここでは高校名を断定していません。
高校生のころは芸能界で生きていく将来が決まっていたわけでもなく、卒業後については地元で暮らす人生を想像していました。
本人が考えていたのは、高校を卒業したら地元の大学へ進み、その後も地元で就職するという進路です。
実際には高校卒業後に大学進学を選ばず、名古屋を離れて東京へ移り、芸能活動を続ける道へ進みました。
高校時代に芸能界へ|父親の一言からミスセブンティーン2012へ
岡崎紗絵さんの芸能界入りは、自分で芸能事務所を探したことから始まったわけではありません。
高校1年生ごろ、いつもの家族との外食が、本人も予想していなかった方向へ進みました。
家族で食事をしていた日に突然始まったモデルへの道
家族で地元の飲食店を訪れた際、父親が店の女将に岡崎紗絵さんの話をしました。
「紗絵はモデルになりたいんだよ」
出典:Ray「デビューから10年のサクセスストーリー♡【岡崎紗絵】が女優になるまで」(2023年1月12日)
ところが、岡崎紗絵さん自身は父親へモデルになりたいと話した覚えがなく、その場では何を言っているのか分からず驚いたといいます。
女将の息子の同級生にプロのカメラマンがいたことから紹介を受け、後日スタジオで写真を撮影することになりました。
モデル経験のない高校生だったため、自分でポーズを作ることもできず、カメラマンから指示された通りに撮影を進めました。
その写真が地元の芸能事務所へ送られ、後日事務所から連絡が入り、面接を受けることになります。
その後はウォーキングや言葉遣いなどのレッスンを受け、地元の芸能事務所へ所属することになりました。
「街を歩いていたところ芸能事務所から直接スカウトされた」という形ではなく、父親の一言からカメラマンとの出会いが生まれ、撮影した写真をきっかけに事務所へつながったというのが、本人が詳しく明かしている経緯です。
ミスセブンティーンでグランプリ|最初の広告では笑えなかった
事務所へ入って間もなく勧められたのが、集英社のファッション誌『Seventeen』の専属モデルオーディション「ミスセブンティーン2012」でした。
それまで読者として知っていた雑誌のオーディションを自分が受けることになり、ここで初めてモデルの世界が現実味を帯びてきます。
東京へ行くことにもオーディションにも慣れておらず緊張していましたが、待ち時間には周囲の候補者へ積極的に話しかけていました。
2012年、「ミスセブンティーン2012」のグランプリに選ばれ、『Seventeen』専属モデルになります。
同期のグランプリには広瀬すずさんや藤井サチさんらがおり、岡崎紗絵さんは名古屋の高校へ通いながら『Seventeen』の撮影へ参加しました。
ただ、グランプリになった時点でモデルとして完成していたわけではありません。
初期には表情やポージングが分からず、先輩モデルが撮影されている様子を見ながら覚えていきました。
芸能界で経験した最初の仕事は広告撮影で、緊張のあまり思うように笑えなかったことも覚えているそうです。
普通の高校生活とモデル撮影を行き来していたため、『Seventeen』の現場も本人には学校や部活動の延長のように感じられる部分がありました。
19歳で上京|Seventeenモデルから女優へ進んだきっかけ
『Seventeen』モデルになったことは芸能界入りを意味しますが、この時点で岡崎紗絵さんが女優として本格的に活動していたわけではありません。
モデルの仕事を続ける中で、撮影現場にいた先輩たちとの会話から、それまで遠かった演技の世界へ少しずつ興味を持つようになります。
先輩モデルのドラマ話から演技に興味を持つように
『Seventeen』には、モデルだけでなくドラマや映画へ出演する先輩たちもいました。
岡崎紗絵さんは撮影で一緒になった先輩から、ドラマの現場がどんな場所なのか、台詞をどのように覚えるのかといった話を聞いていました。
それまで「テレビに出ることや芝居は違う世界」と感じていましたが、身近なモデル仲間から具体的な話を聞くことで、演技も仕事の選択肢として見えるようになっていきます。
「セブンティーンは、私の人生の始まりの場所」
出典:Seventeen-Web「実は『ミスセブンティーン』出身! 岡崎紗絵さんインタビュー」(2021年3月20日)
高校卒業後の進路を考えるころには、周囲の大人から東京へ行った方がいいと背中を押されるようになりました。
もともとは地元の大学へ進み、名古屋で就職する未来を想像していましたが、『Seventeen』卒業後の19歳で上京し、モデルと演技の両方へ取り組む道を選びます。
上京直後は東京に友人も多くなく、仕事が終わると自宅へ戻り、海外ドラマ『プリズン・ブレイク』を繰り返し見るような時期もありました。
『脳漿炸裂ガール』で初めて本格的に芝居へ挑戦
演技の仕事へ本格的に踏み出すきっかけになったのが、2015年公開の映画『脳漿炸裂ガール』でした。
岡崎紗絵さんは城野モクハ役で出演しており、所属事務所の作品歴にも同作が掲載されています。
「初めてお芝居に挑戦したのが、映画『脳漿炸裂ガール』でした。」
出典:Ray「『お芝居の怖さを知った』岡崎紗絵が女優になって感じたこととは?」(2023年1月18日)
本人によれば、それまで演技のレッスンを受けた経験もなく、映像作品がどのように撮られているかも分からない状態でした。
最初の顔合わせでは、扉を開ければ知らない世界が待っているように感じ、ドアノブへ手をかけることさえ怖いほど緊張したといいます。
一方、『脳漿炸裂ガール』は学園を舞台にした作品で、共演者にも同世代が多く、撮影が進むにつれて少しずつ打ち解けていきました。
何も知らなかったからこそ自由に演じられた部分もあり、最初の映画ではモデルとは違う「芝居をする面白さ」を感じることができました。
ところが、その次に経験したドラマの現場では状況が一変します。
大勢のスタッフと経験豊富な俳優がいる中、自分がどこにいればいいのかさえ分からず、USBメモリを渡すだけの動きがぎこちなくなったり、少ない台詞が緊張で飛んだりしたこともありました。
最初の映画で感じた楽しさだけではなく、ここで初めて演技の難しさも強く感じることになります。
「ドラマデビュー」と「初めての芝居」を分けて整理
岡崎紗絵さんの経歴では、「いつ女優デビューしたのか」を一つの作品だけで表すと分かりにくい部分があります。
一部の報道では、2014年のNHK『ゆめうつつ』をドラマデビューとして紹介しています。
岡崎紗絵さん自身も『Seventeen』時代に少しドラマへ出演した経験があったことを後年明かしています。
一方で、本人が「初めてお芝居に挑戦した」と明確に振り返っているのは、2015年の映画『脳漿炸裂ガール』です。
さらにgirlswalkerのインタビューでは、20歳のときに「初めて連続ドラマに出た」と話しており、所属事務所のドラマ出演歴にも2015年の『サイレーン 刑事×彼女×完全悪女』が掲載されています。
岡崎紗絵さんの初期キャリアは、モデル時代に小規模なドラマ出演を経験し、2015年『脳漿炸裂ガール』で本格的に芝居へ挑戦、同年『サイレーン』で連続ドラマへ出演したと分けて考えると時系列を整理しやすくなります。
つまり、芸能界入りは『Seventeen』モデル、演技への本格挑戦は『脳漿炸裂ガール』、連続ドラマ出演は『サイレーン』と、それぞれ違う段階でした。
女優としての転機|『mellow』『教場II』で変わった演技への向き合い方
演技を始めた後も、岡崎紗絵さんがすぐに芝居へ自信を持てるようになったわけではありません。
ドラマや映画への出演を重ねる中でも、楽しい瞬間より難しさに悩む時間の方が多かった時期があったと本人は振り返っています。
その感覚が変わる作品として本人自身が挙げているのが、2020年公開の映画『mellow』です。
『mellow』で作品作りの一員だと実感
今泉力哉監督の映画『mellow』で、岡崎紗絵さんは父親から受け継いだラーメン店を営む古川木帆を演じました。
女優として複数の作品を経験した後に出会ったこの現場について、本人は後年、キャリアのターニングポイントを尋ねられた際にはっきり作品名を挙げています。
「意識が変わるきっかけになったのは映画『mellow』です。」
出典:STREAM「岡崎紗絵『三姉妹の悩みや心の揺れ動きを見て、自分と向き合うきっかけになったらうれしい』INTERVIEW」(2023年8月30日)
撮影では、出演者だけが別々に芝居をするのではなく、スタッフも含めて皆で一つの作品を作っている感覚を強く持てたといいます。
自分も作品を構成する一人なのだと実感できたことが、それまでとは違う感覚につながりました。
今泉監督は俳優が動きやすい環境を作りながら、違うと感じた部分については柔らかく伝える演出をしており、岡崎紗絵さんも現場の空気の中で自然に木帆を演じています。
『教場II』の現場で役への向き合い方を問い直す
『mellow』で作品作りへの感覚が変化した後、もう一つ大きな経験になったのが2021年放送のフジテレビ系『教場II』でした。
岡崎紗絵さんが演じたのは、木村拓哉さん演じる風間公親が教官を務める警察学校で学ぶ伊佐木陶子です。
役に合わせて体づくりにも取り組み、自宅でもダンベルを使ったトレーニングを続けました。
さらに、物心がついてから長く伸ばしていた髪を役のために20センチ以上切り、外見からも警察学校の生徒へ切り替えて撮影へ入っています。
しかし、撮影が始まると求められたのは見た目や体力だけではありませんでした。
中江功監督のもとでは同じ場面を何度も撮り直し、自分では気付いていなかった芝居の癖や、それまで自己流で積み上げてきた部分と向き合うことになりました。
「人生で初めてちゃんと打ちのめされた。」
出典:Ray「【岡崎紗絵】現場でやさしさに泣いた過去?女優キャリアの『分岐点』とは」(2023年1月26日)
本人によると、10回、20回とテイクを重ねることも珍しくなく、撮影を円滑に進めるための及第点ではなく、作品を良くするために役者が現場で粘ることを中江監督から教えられました。
厳しい撮影が続いたある夜には、共演していた松本まりかさんがケーキと手紙を用意し、岡崎紗絵さんを励ましたこともありました。
その言葉に涙を流しながらケーキを食べた後、再び撮影へ向かったといいます。
『mellow』では作品を皆で作る感覚を知り、『教場II』では役者として現場へ立つ姿勢を一から問い直すことになりました。
高校時代に父親の一言から偶然始まったモデルの仕事は、名古屋と東京を往復する『Seventeen』時代を経て、やがて岡崎紗絵さんが本格的に芝居と向き合う仕事へ変わっていきました。
最初の映画で扉を開けることさえ怖かった演技の現場で、その後は作品を良くするため何度もテイクを重ねるところまでが、岡崎紗絵さんが女優として歩き始めた初期の道のりです。















