PROFILE
人物プロフィール
NHK連続テレビ小説『ウェルかめ』のヒロインを務め、その後もドラマや映画、舞台で幅広い役を演じてきた倉科カナさん。
明るい笑顔の印象が強い倉科さんですが、芸能界へ入る前の高校時代には、家族を支えるために学校へ通いながら複数のアルバイトを掛け持ちしていました。
芸能界への入口になったオーディションでも、最初から順調だったわけではなく、一度落選してから思わぬ形でチャンスが戻ってきています。
さらに、グラビアで活動を始めたあとに経験した最初の演技は、現在のイメージからは少し意外な1分半のコントドラマでした。
今回は、そんな倉科カナさんの生い立ちや家族、高校時代、芸能界へ入ったきっかけ、女優として最初に経験した仕事、朝ドラ『ウェルかめ』へ至るまでをご紹介します。
倉科カナの生い立ち|熊本で育った幼少期と母を思う原点
倉科カナさんは1987年12月23日生まれ、熊本県出身です。
芸能活動を始めてから長い時間がたっても熊本への思いは強く、デビュー当初はすぐに上京せず、熊本と東京を行き来しながら仕事をしていました。
熊本、実家大好きです
出典:日刊スポーツ「熊本出身・倉科カナの“お国自慢”に旅行欲が… オススメはラーメン、菊池渓谷、白川水源」(2026年2月2日)
熊本市で育ち、祖父と時代劇を楽しんだ子ども時代
幼い頃の倉科さんは祖父によくなついた「おじいちゃんっ子」で、一緒に時代劇を見ることも多かったそうです。
子どもの頃から時代劇に親しんでいたため、華やかな芸能界だけを見て育ったというより、家族とテレビを囲む日常の中に映像作品がありました。
倉科カナさんは祖父と時代劇を見るのが好きだったと振り返っており、大人になってからも熊本の実家への愛着をたびたび語っています。
一方で、家の中では長女として過ごす時間が長く、のちに本人が「家長」のような立場だったと振り返るほど、幼いきょうだいたちを身近で見てきました。
この家族との距離の近さは、倉科さんが芸能界に興味を持った理由にも表れています。
幼い頃から「母を楽にしたい」と芸能界に憧れていた
まだ幼かった頃、倉科さんはテレビの教育番組を見ながら、自分も番組に出ることを想像していました。
そのときに考えていたのは、有名になりたいということよりも、家族、とりわけ母親を助けたいということでした。
お母さんに楽させてあげるからね
出典:スポニチ「倉科カナ オーディションに1度は落ちていた 驚きの応募写真にツッコミ『ひどいですよ!って言われて』」(2022年7月13日)
ただし、成長するにつれて、芸能界へ入るよりも普通に働いたほうが母親を早く助けられるのではないかと考えるようになります。
そのため、子どもの頃の芸能界への憧れは、すぐに具体的な目標になったわけではありませんでした。
「母を楽にしたい」という気持ちは残ったまま、倉科さんはまず働いて家族を支える道を選びます。
高校生になると、その思いは実際のアルバイト生活へ変わっていきました。
倉科カナの家族|5人きょうだいの長女として支えた高校時代
倉科さんの若い頃を知るうえで欠かせないのが、5人きょうだいの長女だったという家族環境です。
両親の離婚後は母親を中心とした家庭で暮らし、高校生になった倉科さんも家計を支える側に回っていました。
父親不在の家庭で長女として担った役割
倉科さんは、自身を含めて女4人・男1人の5人きょうだいの一番上として育ちました。
父親が家にいない中で、長女である自分がしっかりしなければという意識も持っていたと明かしています。
母親だけに家庭の負担を任せるのではなく、自分も働くという選択は高校時代からすでに始まっていました。
倉科さんにとって高校時代のアルバイトは、お小遣いを得るためではなく、家計を支えるための仕事でもありました。
働くこと自体をつらい記憶だけとして振り返っているわけではなく、家族に必要とされていることにはやりがいも感じていたそうです。
家族の役に立っているっていうのがやりがいもありました
出典:スポニチ「倉科カナ 高校時代はバイト3つ掛け持ち 5人きょうだいの長女『きょうだいたちを高校までは…』」(2022年7月13日)
家族を支える立場は、大人になって仕事を始めてからも長く続いていきます。
妹3人・弟1人|18歳下の弟まで続くきょうだいとの関係
5人きょうだいの内訳は、倉科さんを長女として妹が3人、弟が1人です。
末っ子の弟とは18歳差があり、2022年に倉科さんが『徹子の部屋』へ出演した際には、その弟が高校へ入学したことを明かしていました。
高校生だった頃の倉科さんには、きょうだいたちを少なくとも高校までは通わせたいという具体的な目標もありました。
末の弟が高校生になったことで、長年抱いていた一つの目標に区切りがついた形です。
倉科カナさんのきょうだい構成
倉科カナさん(長女)+妹3人+弟1人の5人きょうだいで、末の弟とは18歳離れています。
検索では倉科さんについて「双子」という言葉も見られますが、本人が番組で説明している家族構成は、自身を含む女4人・男1人の5人きょうだいです。
大人になってからもきょうだいとの交流は続き、公式Instagramでは、高校生だった弟にネイルを塗ってもらい、撮影中に妹が加わる正月の一場面も公開しています。
高校時代|複数のアルバイトを掛け持ちした日々
倉科さんの高校時代は、学校生活とアルバイトが並行する毎日でした。
本人が具体的に挙げている勤務先は、牛丼店、ファミリーレストラン、懐石料理店です。
学校へ行く前に働き、授業が終わってから別の仕事へ向かい、休日にもアルバイトを入れることがあったと振り返っています。
高校へ通いながら朝・放課後・休日まで働く生活を続けていたことになります。
高校時代のアルバイト数については、2022年の『徹子の部屋』では牛丼店・ファミリーレストラン・懐石料理店の3つを具体的に挙げていますが、2024年のイベントでは本人が「4つバイトをしていた」と振り返っています。そのため、本記事では数を一つに断定せず、具体的な勤務先を確認できる3業種を中心に紹介しています。
これだけ働いていた理由には家計の事情がありましたが、やがて倉科さん自身の気持ちにも変化が出てきました。
家族のために働く一方で、忙しさの中で「自分はこの先どうしたいのか」と考えるようになったのです。
子どもの頃に抱いていた芸能界への興味を思い出したのも、この頃でした。
家族のために働き続けた高校生活の途中で、自分自身の人生にも一度挑戦してみようと考えたことが、芸能界入りのきっかけになりました。
芸能界入り|SMAオーディションの敗者復活からミスマガジンへ
高校3年生になった倉科さんは、所属事務所となるソニー・ミュージックアーティスツの「SMAティーンズオーディション2005」へ応募しました。
ただし、このオーディションは応募してそのまま合格したわけではなく、一度は落選を告げられています。
祖母が仏壇の前で撮ったオーディション写真
応募時のエピソードで印象的なのが、提出したオーディション写真です。
撮影したのは一時期一緒に暮らしていた祖母で、場所は自宅の仏壇の前でした。
しかも倉科さんは、その仏壇の前でピースサインをして写っていたそうです。
本人は当時、その写真が芸能事務所へ送るものとして少し変わっているとは気づいていませんでした。
デビュー後、事務所スタッフから応募写真について指摘され、倉科カナさん自身も初めて「仏壇の前でピース」という写真のインパクトに気づいたそうです。
きれいに撮影された宣材写真とはかなり違う一枚でしたが、この応募書類は思わぬ形で倉科さんの運命を動かします。
一度落選後、事務所社長に見いだされグランプリ
オーディションを受けた倉科さんのもとには、最初に「落ちました」という連絡が届きました。
ところがその後、事務所の社長が応募書類を目にしたことで状況が変わります。
再び連絡が入り、面談へ進む機会を得ることになりました。
なんか、敗者復活したんですよ
出典:スポニチ「倉科カナ 祖母撮影の衝撃の写真でオーディション落選も『敗者復活』でグランプリ『社長さんがたまたま…』」(2022年5月7日)
そこから選考が進み、最終的に「SMAティーンズオーディション2005」でグランプリを受賞しました。
一度は終わったと思ったオーディションが再び動き出し、それまで熊本で高校生活を送っていた倉科さんは芸能界へ入ることになります。
子どもの頃に漠然と考えていた芸能界が、ここで初めて実際の仕事につながる場所になりました。
ミスマガジン2006グランプリで本格的な芸能活動へ
事務所入りの翌2006年には、「ミスマガジン2006」グランプリに選ばれました。
ここからグラビアを中心に活動の場が広がり、倉科カナという名前が知られる機会も増えていきます。
ただ、この段階をそのまま「女優デビュー」と考えると、倉科さんの経歴では少しずれてしまいます。
SMAのオーディションで芸能界へ入り、ミスマガジンで活動を広げたあとに、演技の仕事は別のタイミングで始まりました。
また、仕事を始めたからといってすぐに熊本での生活を離れたわけでもありません。
デビューしたばかりの頃は早く上京したいとは思っておらず、熊本から東京へ通いながら仕事をしていた時期がありました。
高校時代まで家族と密接に暮らしてきた倉科さんにとって、芸能界へ入った瞬間に地元との生活を切り替える形ではなかったのです。
そして2006年、グラビアとはまったく違う「演じる」という仕事が始まります。
女優になるまで|『根津サンセットカフェ』から朝ドラ『ウェルかめ』へ
倉科さんが芸能界へ入ったきっかけはSMAのオーディションですが、本人が「初めてのお芝居」として挙げている仕事は、その翌年の2006年に出演したドラマでした。
そこから数年後、1775人の応募者の中から朝ドラヒロインに選ばれたことで、女優として大きく知られることになります。
初めての演技は1分半のコントドラマ
倉科さんが初めて芝居を経験した作品は、2006年にTBS系で放送された『根津サンセットカフェ』です。
片桐仁さんと出演した作品で、内容は1話約1分半のコントを100話という独特なものでした。
現在ではシリアスな役や大人の女性を演じる姿も多い倉科さんですが、本人が振り返る演技のスタート地点はコメディでした。
出はコントなんです
出典:双葉社 THE CHANGE「倉科カナ、唯一無二の軌跡を歩み続ける『新たな道を探っていけるのはすごく冒険的で挑戦的で、私は好き』今後については“私のイメージにない”原点回帰宣言も」(2024年12月23日)
倉科さんにとって『根津サンセットカフェ』が初めての演技仕事でした。
ミスマガジンのグランプリ獲得と最初の芝居が同じ2006年に重なっていますが、芸能界入りと演技開始は別々の出来事として進んでいます。
その後も少しずつ演技の仕事を経験する一方、女優として一気に広く知られる大きな機会が訪れたのは2009年でした。
1775人から選ばれ『ウェルかめ』ヒロインに
2009年4月、倉科さんがNHK連続テレビ小説『ウェルかめ』のヒロイン・浜本波美役に決まったことが発表されました。
ヒロインを決める選考には1775人が応募しており、その中から倉科さんが選ばれています。
知らせを受けた直後は、本人もすぐには気持ちを整理できないほどの喜びだったようです。
すごく嬉しいんですが、なぜか嬉しすぎて涙が出てきてしまいます
出典:ORICON NEWS「NHK朝ドラ次期ヒロインにミスマガジン出身の倉科カナ」(2009年4月2日)
1775人の中から朝ドラヒロインに選ばれた『ウェルかめ』は、倉科さんを女優として広く知られる存在にした大きな転機でした。
ただし、『ウェルかめ』が倉科さんの女優デビュー作だったわけではありません。
最初の演技から約3年を経て、長期間一人のヒロインを演じる仕事へ進んだことになります。
『ウェルかめ』で演じた浜本波美は、海辺の町で育ち、雑誌編集者を目指す女性でした。
熊本から芸能界へ入り、自身も試行錯誤しながら東京で仕事を始めていた倉科さんにとって、朝ドラの長い撮影はそれまでとは規模の違う経験になりました。
朝ドラヒロインという大役を終えたあとも、本人にとって女優の仕事に対する感覚を大きく変える作品が待っていました。
『名前をなくした女神』で演技の面白さを再発見
倉科さん自身がその後の転機として挙げているのが、2011年に放送されたフジテレビ系ドラマ『名前をなくした女神』です。
『ウェルかめ』で演じた清純な朝ドラヒロインのイメージから一転し、この作品では主人公側と対立するヤンママ役を演じました。
当時のプロデューサーからは、それまで表に出ていなかった倉科カナを見たいという意図を伝えられていたそうです。
それまでと違う役を任されたことで、同じような役柄を続けるのとは違う新鮮さを感じ、演じる仕事そのものを改めて楽しめるようになりました。
お芝居って面白いなって思える機会
出典:双葉社 THE CHANGE「倉科カナ『見てくださった方もびっくりしたみたい』“朝ドラの清純な役から一転”『ウェルかめ』主演後の作品が転機に」(2024年12月22日)
朝ドラで注目されたあとに、イメージとは異なる役を演じたことが、芝居の楽しさをもう一度強く感じる機会になりました。
高校3年生で応募したオーディションでは一度落選し、女優としての最初の仕事は1分半のコントでした。
そこから『ウェルかめ』のヒロインを経て、『名前をなくした女神』では、それまでとは違う役柄を演じる面白さを本人自身が実感するまでになりました。















