倉悠貴の生い立ち|家族と学歴、高専時代から俳優になったきっかけ

倉悠貴の肖像イラストと、生い立ち・家族・学歴、高専時代から俳優になったきっかけを示すタイトル

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
くらゆうき
カテゴリー
男性俳優
出身地
大阪府
生年月日
1999年12月19日
芸能活動開始
2018年
俳優デビュー
2019年
デビューのきっかけ
スカウト

倉悠貴さんは、1999年12月19日生まれ、大阪府出身の俳優です。

連続テレビ小説『おちょやん』『あんぱん』や『SHOGUN 将軍』、大河ドラマ『豊臣兄弟!』などへ出演し、映像作品を中心に活動を広げてきました。

ただ、学生時代から俳優を目指していたわけではなく、高専に通い、企業のインターンにも参加しながら普通に就職するつもりだったと本人は話しています。

芸能界へ入る入口になったのは、18歳のころに大阪・アメリカ村で声をかけられて撮影された『MEN’S NON-NO』の街頭スナップでした。

その写真を見た現在の事務所関係者が大阪まで会いに来たことから、それまで想像していなかった進路が目の前に現れます。

今回は、そんな倉悠貴さんの生い立ちや家族、学歴と学生時代、芸能界へ入ったきっかけ、俳優として最初の仕事から転機までをご紹介します。

倉悠貴さんの原点
大阪で育つ → 高専へ進学 → アメ村の古着屋でアルバイト → 『MEN’S NON-NO』のスナップに掲載 → 事務所からスカウト → 演技の仕事へ

倉悠貴の生い立ち|大阪で過ごした子ども時代

倉悠貴さんは大阪府で生まれ育ちました。

芸能活動を始めるのは18歳ごろで、子どものころから芸能界にいたわけではありません。

野球・水泳・空手を経験した幼少期

子どものころは、野球、水泳、空手などいくつかのスポーツを経験していました。

その中でも長く続けたのは野球で、小学校から中学校にかけて取り組んでいたと本人が振り返っています。

一方で、俳優や芸能人になることを将来の目標にしていたわけではありません。

小学生のころには、友人宅の階段の裏を「秘密基地」にして、段ボールやレジャーシートを持ち込み、お菓子を食べて遊んでいたという思い出もあります。

中学生になると高架下が秘密基地のような場所になっていたそうで、後年になっても本人が「いい思い出」と話す、地元での普通の子ども時代がありました。

CREAのインタビューでは、野球でプロを目指せるほどではないと早い段階で感じ、その後は特に大きな夢を持っていなかったと話しています。

後年のインタビューで学生時代の自分を、クラスの中心にいるタイプではなく、「3番手4番手」の中にいるような目立たない存在だったとも振り返っていました。

中学では野球部から勉強中心の生活へ

中学校では軟式野球部に所属していましたが、2年生のときに受けたテストが生活を変えるきっかけになりました。

5教科500点満点で200点ほどだったことに危機感を持ち、野球部を辞めて塾へ通い、勉強へ比重を移したとViViのインタビューで明かしています。

その後はスポーツ中心の生活から離れ、勉強とアルバイトに時間を使うようになりました。

得意科目については「めちゃくちゃ理系」と答えており、答えがあることに安心感を覚えるタイプだったそうです。

このころも、俳優という仕事はまだ自分の進路には入っていませんでした。

倉悠貴の家族|両親と2歳上の兄

倉悠貴さんの生育家族について、本人が明かしているのは両親と2歳上の兄です。

父親や母親の氏名・職業など詳しいプロフィールは公表されていませんが、芸能界へ入るときの両親の反応や、兄との関係は本人自身が語っています。

「両親と、2歳上の兄がいます。」

出典:シネマトゥデイ「端正な顔立ちとカメレオンなふり幅 倉悠貴が『OUT』でヤンキーに挑戦!」(2023年11月13日)

芸能界入りを心配した両親

子どものころから芸能界を目指していたわけではなく、本人は早く就職して家庭を持つような将来を考えていました。

CREAでは、家庭があまり裕福ではなかったこともあり、公務員になることも現実的な選択肢として考えていたと話しています。

そんな中で突然、雑誌掲載を見た芸能事務所の関係者が大阪までやってきました。

本人だけでなく両親もすぐには信じられず、「そんなこと、ありえへんからやめとき!」と止められたといいます。

それでも東京で事務所との面談を重ね、やがて芸能活動を始めることになります。

数年後、NHK連続テレビ小説『おちょやん』でヨシヲを演じたときには、地元の友人や祖父母も放送を見ており、父親は5回も見ていたことを本人が明かしていました。

最初は芸能界入りを心配していた家族が、出演作を見守るようになっていったことが分かるエピソードです。

2歳上の兄|後に役作りの相談相手に

2歳上の兄については、本人が「ぼちぼち仲が良い」と話しています。

兄弟の関係が仕事の中で表に出たのは、2024年のドラマ『透明なわたしたち』でした。

倉悠貴さんが演じた高木洋介はスタートアップ企業のCEOで、本人にとってなじみの薄いビジネス用語も多い役でした。

そこで、会社を経営している兄へ連絡し、分からない言葉の意味を聞きながら役を作っていったそうです。

兄も協力的で、本人の中では役を演じるときのモデルのような存在になっていたと語っています。

家族の詳細を多く公表しているわけではありませんが、芸能界入りの場面では両親、俳優として活動した後には兄が、具体的な形で本人の仕事に関わっています。

倉悠貴の学歴と学生時代|高専で就職を考えていた

倉悠貴さんの学歴で重要なのは、本人が「就職に特化した高専」に通っていたと明かしていることです。

芸能界入り前は就職を現実的に考えており、俳優になるための学校や養成所へ進んでいたわけではありません。

本人は進学先を「高専」と明かしていますが、校名までは公表していません。ネット上には具体的な学校名も出ていますが、本人の発言だけでは校名を特定できません。

企業インターンにも参加した高専時代

高専時代には、就職を見据えて企業のインターンにも参加していました。

non-noのインタビューで、当時の進路について本人はこう話しています。

「普通に就職する気満々でした。」

出典:non-no web「倉悠貴さんと秋の古書店&路地裏デート。お芝居と真摯に向き合う注目俳優に話題作について聞いてみた!」(2024年9月20日)

俳優になる前の計画はかなり具体的で、学校を出たあとは働くという道を想定していました。

この時点では芸能界への興味もほとんどなく、本人自身が後年「まったく持っていなかった」と答えています。

学生時代の性格についても、自分を目立つタイプではないと説明しており、華やかな世界へ自分から飛び込もうとしていた様子はありません。

アメ村の古着屋でアルバイト

学生生活の一方で、地元・大阪のアメリカ村にある古着屋でアルバイトをしていました。

服に興味を持ったのは高校年代で、少し人と違うことをしてみたいという気持ちからファッションが好きになっていったそうです。

アルバイト先の店名までは本人が明かしていませんが、アメ村の古着屋で働いていたことは複数のインタビューで語っています。

そして、アルバイトをしていた街を歩いていたある日、進路を大きく変える出来事が起きました。

アメリカ村で『MEN’S NON-NO』のスタッフから街頭スナップの撮影を頼まれたのです。

MEN’S NON-NOの1枚から芸能界へ

芸能界入りのきっかけは、自分で応募したオーディションではありませんでした。

2018年、18歳のころに撮影された『MEN’S NON-NO』のスナップ写真を、現在の事務所の関係者が見つけたことから話が動き始めます。

18歳の街頭スナップを見た事務所が大阪へ

ViViでは、2018年3月に『MEN’S NON-NO』のヘアスナップ企画へ出たと本人が振り返っています。

後日、掲載された雑誌を見てうれしくなり、「俺、出てるんだよ」と友人に自慢したこともあったそうです。

本人にとっては、あくまで街で声をかけられて参加した一度のスナップ撮影でした。

ところが、その誌面を見た現在のマネージャーが大阪まで足を運び、倉悠貴さんへ直接声をかけました。

芸能界を目指して行動したのではなく、街頭スナップに載った写真を事務所側が見つけたことが始まりです。

突然の話だったため、すぐに信じられなかったのも自然な反応でした。

「絶対アヤしい話だし、これはダマされているな!」

出典:CREA「「これはダマされているな!」今年は5本の映画に出演する若手 演技派俳優・倉 悠貴のデビュー秘話」(2023年10月13日)

最初は断る気持ちもありましたが、東京までの交通費を出すから事務所へ遊びに来ないかと誘われ、東京へ向かいます。

そこで宣材写真を撮り、さらに別の日にはオーディションへ行くなど、少しずつ芸能界の仕事へ近づいていきました。

何度か面談のような機会を重ねた末、ソニー・ミュージックアーティスツへ所属しました。

ただ、最初から仕事として俳優に興味を持ったわけでもありません。

WANI BOOKOUTでは、最初に声をかけられたときは人前に出ることへの抵抗もあり、一度は断ったと振り返っています。

その後、交通費を出してもらえるなら東京へ行ってみようという軽い気持ちで事務所を訪れ、宣材写真を撮ることになりました。

さらに映画のオーディションへ行くことになったものの、当時はセリフを覚えていくことさえ分からず、結果は散々だったそうです。

そこで目にしたのが、同世代の参加者が役を取るために真剣に準備している姿でした。

うまくできなかった悔しさと、同世代が本気で競う姿を見たことも、俳優の仕事へ踏み込むきっかけの一つになりました。

友人に背中を押され「2年間だけ」挑戦

所属を決めるまでには、友人からの後押しもありました。

それでも最初から俳優一本で生きていくと決めていたわけではありません。

高専では休学できる期間が2年間あり、その2年だけ芸能活動に挑戦し、うまくいかなければ復学するという期限を自分の中に置いていました。

つまり、学校を辞めて芸能界へ飛び込んだというより、戻る道を残した状態で始めた挑戦でした。

その後は復学せず、俳優活動を続けています。

ただし、本人はインタビューで「結局復学することなく」と話しているため、これだけを根拠に高専を卒業した、あるいは中退したと断定することはできません。

芸能界入りまでの流れ
高専で就職を考える → アメ村の古着屋で働く → 『MEN’S NON-NO』のスナップに載る → 事務所関係者が大阪へ → 東京で面談や宣材撮影 → 2年間を区切りに芸能活動を始める

倉悠貴の俳優デビュー|最初の撮影から転機まで

事務所へ所属したことと、俳優として演技の仕事を始めたことは同じではありません。

所属後は大阪から東京へ通いながら演技レッスンを受け、さまざまなオーディションへ参加しました。

本人の話では、オーディションを受け始めてからおよそ半年後に、初めて本格的な撮影現場へ入ることになります。

最初の撮影は『his』|『トレース』が先に放送

俳優として最初に撮影した作品は、メ~テレのドラマ『his~恋するつもりなんてなかった~』でした。

日比野渚役に選ばれ、草川直弥さんとW主演を務めています。

演技レッスンは受けていましたが、CREAのインタビューでは、『his』が実際の撮影現場で演技をする最初の仕事だったと説明されています。

一方、テレビで先に放送されたのは2019年1月期の月9ドラマ『トレース~科捜研の男~』でした。

最初に撮影したドラマは『his』、視聴者が先に見たドラマは『トレース』という順序です。

プロフィールで『トレース』が俳優デビュー作と紹介されることが多いのは、こちらが先に放送されたためです。

『his』ではサーフィンが好きな高校生を演じるため、撮影前にサーフィンの練習も重ねました。

メ~テレの撮影裏話では、練習は5回行われ、3日目にはボードの上に立てるようになったと紹介されています。

初めてメインキャストとして作品に関わり、監督と台本について相談しながら役を作っていく時間も経験しました。

18歳ごろに芸能界へ入り、2019年から演技の仕事が始まっているため、検索されることのある「子役時代」にあたる活動歴は確認できません。

『夏、至るころ』で映画初出演・初主演

ドラマで経験を重ねたあと、2020年公開の映画『夏、至るころ』で主人公・翔を演じました。

池田エライザさんの初監督作で、倉悠貴さんにとって映画初出演であり、同時に映画初主演となった作品です。

撮影前から太鼓の練習を続け、福岡県田川市で暮らしながら役と向き合いました。

映画への出演自体が初めての段階で主演を任されたため、本人も大きなプレッシャーを感じていたと振り返っています。

「初主演映画なのでとても大切な作品になりました。」

出典:WANI BOOKOUT「〖INTERVIEW〗映画『夏、至るころ』で主人公を演じた倉悠貴。初映画出演、初主演という今作で倉が感じた新たな“気づき”とは。」(2020年12月7日)

この作品では、監督や共演者、田川の人々と話しながら演技を作っていく経験を重ねました。

後年、自身の転機を尋ねられた際にも『夏、至るころ』の名前を挙げています。

映画のメーキング映像では、撮影中の倉悠貴さんの姿とインタビューも確認できます。

上京直後は3人でルームシェアしながらアルバイト

『夏、至るころ』の撮影後、それまで大阪と東京を行き来していた生活から、東京へ拠点を移しました。

最初は友人のワンルームに住ませてもらい、その後は友人3人で2Kのアパートを借りました。

家賃は1人2万5000円で、俳優の仕事だけでは生活できなかったため、代々木上原にある靴店の倉庫でアルバイトもしていたそうです。

当時の暮らしについて、with digitalではこんな場面を話しています。

「家も狭いので3人で川の字になって寝てました(笑)。」

出典:with digital「「作品に素直な俳優でありたい」業界最注目の俳優・倉悠貴インタビュー後編」(2023年10月27日)

やがて作品が少しずつ決まり、一人暮らしができるようになったときには、自分だけの帰る場所が東京にできたことをうれしく感じたと振り返っています。

華やかな出演歴だけでは見えにくい時期ですが、俳優活動とアルバイトを並行しながら東京での生活を作っていたことが分かります。

『おちょやん』が転機に|朝ドラ・海外作品・大河へ

2021年にはNHK連続テレビ小説『おちょやん』へ出演し、竹井千代の弟・ヨシヲを演じました。

大阪で撮影されたこともあり、家族や地元の友人、祖父母も放送を見ていたと本人は話しています。

自身のキャリアで転機となった作品を尋ねられた際、倉悠貴さんは『夏、至るころ』と『おちょやん』の2作を挙げています。

本人は放送中、自分の演技が全国へ流れることへの緊張もあり、ヨシヲが登場していた時期は反響をかなり気にしていたそうです。

一度だけ『おちょやん』でSNSを検索し、ヨシヲが好意的に受け止められているのを見てほっとしたとも話していました。

それまで大阪と東京を行き来しながら始めた俳優活動が、地元を舞台にした朝ドラで家族や昔からの知人にも届く仕事になっていきました。

『おちょやん』の後は、実際に仕事の話をもらう機会が増えたそうです。

その後、2024年には『SHOGUN 将軍』で吉井長門役を演じ、2025年には連続テレビ小説『あんぱん』で岩清水信司役として2度目の朝ドラ出演を果たしました。

2026年には大河ドラマ『豊臣兄弟!』で黒田官兵衛役に起用されました。

就職を考えていた高専時代には、自分が俳優になることすら想像していませんでした。

アメ村で撮られた一枚のスナップから始まり、「2年間だけ」と決めた挑戦が、そのまま俳優としての仕事へ続いていきました。