萩原利久の生い立ち|家族・学歴と子役時代、俳優になったきっかけ

萩原利久の生い立ちを、家族・学歴、子役時代、俳優になったきっかけとともに示した人物ビジュアル

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
はぎわらりく
カテゴリー
男性俳優
出身地
埼玉県
生年月日
1999年2月28日
芸能活動開始
2008年
俳優デビュー
2011年
デビューのきっかけ
子役

ドラマ『3年A組―今から皆さんは、人質です―』や『美しい彼』などで知られる萩原利久さんは、実は小学生のころから芸能活動を続けてきた俳優です。

2008年、小学3年生ごろから芸能界で活動していますが、最初から俳優になることを夢見ていたわけではありませんでした。

芸能界へ興味を持った理由は、当時テレビで大人気だった小島よしおさんに会いたかったからです。

そこから子役やオカレモンJr.として活動し、中学生になるとドラマ『運命の人』で菅田将暉さんと出会います。

さらに高校では大学へ進学するかを考えた末、俳優の仕事へ時間を使う道を自分で選びました。

今回は、そんな萩原利久さんの生い立ちや家族、学歴・学生時代、子役として芸能界へ入ったきっかけ、俳優の道を選ぶまでをご紹介します。

萩原利久の生い立ち|埼玉で育った子ども時代

萩原利久さんは1999年2月28日生まれ、埼玉県出身です。

所属事務所のトップコートでも出身地は埼玉県と紹介されており、幼いころからテレビやバラエティー番組を見ることが好きな少年でした。

1999年に埼玉県で誕生|8歳最後の日に泣いた少年時代

2025年に『A-Studio+』へ出演した際には、番組が父親・母親・弟を取材し、子どものころのエピソードが紹介されました。

その中で母親から語られたのが、8歳最後の日の出来事です。

8歳の1年間があまりにも楽しかったため、9歳になる前日に「9歳になりたくない」という気持ちから泣いていたといいます。

母親が語った「8歳最後の日」の話は、仕事の実績ではなく、幼い萩原利久さんがその時々を全力で楽しんでいた様子が伝わる家族ならではのエピソードです。

芸能界へ入るのもほぼ同じころですが、当時の本人にとって仕事は「俳優になるための準備」という感覚ではありませんでした。

テレビの中にいる人たちへの好奇心が、そのまま芸能界への興味につながっていきます。

テレビとバラエティーが好きだった小学生時代

小学生の萩原さんが特に好きだったのは、ドラマよりもバラエティー番組でした。

友達とテレビで流行していたギャグをまねするような、ごく普通の小学生だったそうです。

中でも憧れていたのが、当時ブレイクしていた小島よしおさんでした。

のちに俳優として数多くの作品に出演することになりますが、芸能界の入口にあったのは「芝居をしたい」という思いではなく、テレビへの純粋な憧れでした。

萩原利久の家族|両親と弟が語った幼少期

萩原利久さんの生育家族として確認できるのは、父親、母親、弟です。

家族の名前や職業よりも、本人がどんな子どもだったのかを伝える具体的な話がいくつか残っています。

父親・母親への取材で明かされた子どものころの素顔

『A-Studio+』では笑福亭鶴瓶さんと藤ヶ谷太輔さんが家族を取材し、父親・母親・弟それぞれの側から萩原さんの昔の姿が語られました。

母親によると、子どものころから心配性な面もあり、仕事へ向かう前にはきちんと準備をするタイプだったそうです。

9歳になる直前に泣いた話も、母親だからこそ覚えていた幼少期の一場面でした。

番組の公式動画では、父親・母親・弟への取材を通して萩原さんの子ども時代が紹介されています。

サッカー部に打ち込む弟をうらやましがっていた

萩原さんには弟がいて、学生時代にはサッカー部で部活動に打ち込んでいました。

一方の萩原さんは、小学生から芸能活動を続けていたため、学校生活だけに時間を使える環境ではありませんでした。

高校時代を振り返ったインタビューでは、朝練や夏休みまで部活動一色になる生活を一度経験してみたかったと話し、サッカーに打ち込む弟を「すごくうらやましい」と表現しています。

『A-Studio+』では、弟と一緒にサッカーをした際、萩原さんが試合ごとに高価なユニフォームを着替えていたという兄弟らしい話も明かされました。

家族について確認できるポイント:父親・母親・弟がいることは本人出演番組やインタビューで確認できます。一方、家族の職業や実家の具体的な所在地など、確かな根拠のない情報は人物史の事実として扱えません。

小学3年生ごろに芸能界へ|小島よしおとオカレモンJr.

萩原さんが芸能界へ入ったのは2008年、小学3年生ごろです。

ここで大切なのは、芸能活動を始めたことと、俳優を目指したことが同じ出来事ではなかった点です。

「小島よしおに会いたい」が芸能界入りのきっかけ

芸能界へ興味を持った理由を聞かれた萩原さんは、テレビに出ている人と会ったり、友達になったりしたかったと振り返っています。

「当時は、小島よしおさんが大人気で、会いたかったです。」

出典:Seventeen-Web「注目のPEOPLE☆萩原利久さん ドラマ『あなたには帰る家がある』に出演中の19歳!」(2018年5月25日)

俳優志望ではなく、「小島よしおさんに会いたい」という気持ちが最初の入口でした。

友達と小島さんのギャグをまねしていた少年が、そのままテレビの世界に興味を持ち、子役タレント事務所へ所属します。

本人はインタビューによって「9歳」「小学3年生ごろ」と当時を振り返っていますが、2008年に芸能界デビューしたことはプロフィールでも確認されています。

オカレモンJr.と『週刊こどもニュース』で過ごした子役時代

小学校高学年になると、フジテレビ系『めちゃ×2イケてるッ!』にオカレモンJr.として出演しました。

バラエティー好きだった本人にとって、『めちゃイケ』へ出られたことはかなりうれしい出来事だったようです。

子ども向けニュース番組『週刊こどもニュース』にも出演し、子役としてテレビの現場を経験していきました。

ただ、この時期の萩原さんは、まだ「将来は俳優として生きていく」と決めていたわけではありません。

芸能界に入ったあとで、芝居そのものに興味を持つ出来事が訪れます。

萩原利久の学歴・学生時代|中学のバスケ部から高校の進路選択まで

萩原利久さんは、学生生活と芸能活動を同時に続けていました。

具体的な学校名については本人や所属先の確かな資料で固定できる情報よりも、中学・高校時代に本人自身が語っている学校生活の方が豊富に残っています。

中学ではバスケ部|仕事と部活動を両立

中学生になると、学校ではバスケットボール部に入りました。

すでに芸能活動をしていたため、毎日の練習やすべての試合へ参加できたわけではありません。

本人は、参加できる時だけ練習や試合へ行っていたため、ほかの部員ほど上達できなかったと振り返っています。

その一方で、バスケットボールそのものへの関心は強く残り、後にはNBA観戦を趣味として挙げるほど好きになりました。

ゴールデンステート・ウォリアーズのステフィン・カリー選手を好きになり、ユニフォームやポスターを集めるようにもなっています。

高校では帰宅部|友人と過ごした3年間

高校へ進むと部活動には所属せず、仕事と学校生活を両立していました。

部活ができなかったことを深刻に語っているわけではありませんが、部活動だけに夢中になる学生生活には憧れがあったようです。

学校では3年間同じクラスだった仲の良い友人がいて、休み時間には漫画『闇金ウシジマくん』のまねをして遊んでいました。

一人が借金取り、もう一人が客になり、売店で買うパン代の120円を「貸してください」とやり取りするような遊びだったそうです。

子役として仕事を続けていた一方、高校の休み時間には友人と漫画のまねをして遊んでいました。仕事場とは違う、ごく普通の高校生としての時間もあったことが伝わるエピソードです。

高校2年生で大学へ行かないと決めた理由

高校2年生になると、学校で進路希望調査票が配られました。

大学へ進むのであれば受験勉強が必要になるため、萩原さんも卒業後について本格的に考えます。

当時の所属事務所とも相談しましたが、大学へ行って何を学びたいのかという明確な目的は浮かびませんでした。

一方、芸能活動は小学生のころから続けており、芝居の仕事にはもっと時間を使いたいという思いがありました。

「どうせ同じ時間をかけるなら、仕事に全部を注ぎたかった。」

出典:ぴあエンタメ情報「萩原利久『大学に行かないと決めたとき、この仕事を続ける覚悟ができた』」(2022年6月13日)

高校2年生で大学へ進学しないことを決め、俳優の仕事へ時間を注ぐ道を選びました。

ちょうどそのころには映画『あゝ、荒野』の撮影もあり、受験勉強と並行するのではなく、作品へ力を注げる環境を選んだことを後年語っています。

進路希望調査票には「役者」と書いたわけではなく、本人の記憶では「行きません」と書いて提出したそうです。

子役として始めた仕事を、大人になっても続ける職業として自分で選び直した時期でもありました。

『運命の人』で俳優への意識が変化|菅田将暉との出会い

芸能界入りと、俳優になりたいと思った時期の間には数年があります。

その間をつなぐ大きな出来事が、中学1年生ごろに出演したTBSドラマ『運命の人』でした。

中学1年生で初めて俳優の芝居を強く意識

『運命の人』の現場では、大人の俳優たちが芝居をする姿を間近で見ることになりました。

それまでにも子役としてテレビへ出演していましたが、本格的な芝居の現場を意識して見ることで仕事への感じ方が変わっていきます。

本人は後年、俳優になりたいと思ったターニングポイントを聞かれ、この作品を挙げています。

芸能界入りのきっかけが小島よしおさんだったのに対し、俳優を意識するきっかけは『運命の人』の撮影現場でした。

菅田将暉に「事務所って良いですか」と質問

『運命の人』で萩原さんの兄役を演じていたのが菅田将暉さんです。

周囲を大人に囲まれて緊張していた中学生の萩原さんに、菅田さんは声をかけたり、コミュニケーションを取ったりしていました。

萩原さんは芝居だけでなく、その人柄にも憧れるようになります。

2017年に二人でインタビューを受けた際、菅田さんは当時の萩原さんから「菅田さんの事務所って良いですか」と聞かれたことを覚えていました。

まだ中学1年生だった少年から「事務所を探している」と相談され、菅田さん自身も驚いたそうです。

その後、萩原さんはトップコートのオーディションを受け、実際に菅田さんと同じトップコートへ入ります。

作品名の『運命の人』と重なるように、菅田将暉さんとの出会いは所属先と俳優志向の両方を動かしました。

トップコートへ移り、俳優として経験を重ねる

トップコートへ入ってからも、萩原さんは自分が出演する現場だけで芝居を学んでいたわけではありません。

時間があれば菅田さんの撮影現場へ見学に行き、大人の俳優やスタッフたちの仕事を間近で見ていました。

『あゝ、荒野』でも自分の出演場面より前から現場を見学し、菅田さんをはじめ出演者たちが撮影へ注ぐエネルギーを感じてから自分の撮影に入っています。

「僕は全エネルギーを注いでいる人たちを見るのがけっこう好き」

出典:Real Sound映画部「菅田将暉×萩原利久、“先輩と後輩”対談!」(2017年10月8日)

蜷川幸雄さんの稽古場や大きな舞台の現場へ足を運ぶこともあり、完成した作品だけではなく、俳優たちが役を作っていく過程を見ることを楽しんでいました。

芸能界入りと俳優志望は別の出来事です。
2008年ごろ:テレビの人に会いたくて芸能界へ
中学1年生ごろ:『運命の人』で芝居を強く意識
その後:菅田将暉さんへの憧れからトップコートへ
高校2年生ごろ:大学へ進まず俳優の仕事へ時間を使うと決断

『3年A組』から『美しい彼』へ|主演俳優として知られるまで

子役時代から多くの作品へ出演してきた萩原さんですが、ここでは出演作をすべて並べるのではなく、本人の立場や周囲からの反響が変わった作品を見ていきます。

10代半ばには映画主演を経験し、20歳前後になると連続ドラマ主演、さらに大きな反響を呼ぶ作品へと進んでいきました。

『イノセント15』で映画初主演

2015年には映画『イノセント15』で映画初主演を務めました。

まだ高校生だった時期の主演で、後年のインタビューでは当時の自分について、役を理解することや芝居に向き合うことが簡単ではなかったと振り返っています。

この作品の後、高校2年生で進路希望調査を受け取り、大学へ進むかどうかを考えることになりました。

つまり、映画で主演を経験し始めた時期と、俳優を将来の仕事として選び始めた時期がほぼ重なっています。

2019年『3年A組』で反響の変化を実感

2019年には日本テレビ系ドラマ『3年A組―今から皆さんは、人質です―』へ出演しました。

主演は、中学生時代に『運命の人』で出会った菅田将暉さんでした。

萩原さんにとっては10代最後から20代最初にかけて参加した作品でもあり、同世代の俳優たちと高いモチベーションで芝居をする現場になりました。

放送後には小学生から声をかけられることもあり、仕事現場でも「『3年A組』を見ていた」と言われる機会が増えたといいます。

「反響の大きさだったり、環境が変わったなと思うのは、やっぱり『3年A組』かな。」

出典:Deview「インタビュー『萩原利久』」(2019年7月25日)

長く子役から活動していた萩原さん自身が、周囲の反応や環境の変化を実感した作品が『3年A組』でした。

『電影少女2019』で連続ドラマ初主演

『3年A組』の放送後、萩原さんはテレビ東京系『電影少女 -VIDEO GIRL MAI 2019-』で山下美月さんとダブル主演を務めました。

萩原さんにとっては、これが連続ドラマ初主演です。

主演になると撮影日数や出番が増えただけでなく、スタッフとのコミュニケーションを取る機会も以前より多くなりました。

感情の起伏が大きい役を朝から晩まで演じ、現場でぶつかる問題を周囲に助けてもらいながら乗り越えたと振り返っています。

本人は2019年に入ってからの作品について、それぞれから刺激を受け、次へ進むための「転機」と呼べるものだったと話していました。

『美しい彼』が大きなブレイクのきっかけに

もう一つ、萩原利久さんの俳優人生で大きな反響を生んだ作品が、2021年に放送されたドラマ『美しい彼』です。

凪良ゆうさんの小説を原作とし、萩原さんは平良一成役、八木勇征さんは清居奏役を演じてダブル主演しました。

2023年に放送されたシーズン2はギャラクシー賞「マイベストTV賞」第17回グランプリを受賞し、シーズン1に続いて2年連続のグランプリとなりました。

萩原さん自身も、『美しい彼』への出演前後で自分の作品を見た人から届く反応が大きく増えたことを実感しています。

「観てくれる人がいるってこんなにすごいことなんだなと実感しています。」

出典:シネマトゥデイ「『美しい彼』の影響は?萩原利久の人気原作との向き合い方」(2023年9月11日)

『美しい彼』は、2008年から活動を続けてきた萩原さんにとって大きなブレイクのきっかけとなった作品でした。

本人は同作を通して、芝居を丁寧に作れば細かな部分まで見てくれる人がいることも感じたと語っています。

テレビの人に会いたくて芸能界へ入った小学生は、中学で芝居の現場に惹かれ、高校で俳優を仕事として選び、やがて自分が主演する作品を多くの人へ届ける立場になりました。

『美しい彼』で届いた大きな反響を受けたあとも、萩原さんの中に残ったのは、作品をより丁寧に作りたいという俳優としての実感でした。