PROFILE
人物プロフィール
映画『菊とギロチン』で初主演を務め、『鈴木家の嘘』でもヒロインに選ばれた木竜麻生さん。
2作品が公開された2018年には複数の新人賞を受賞し、映画俳優として名前を広げました。
芸能界との最初の接点は14歳のときに原宿で受けたスカウトでしたが、そのまま東京へ移ることはなく、高校卒業まで地元・新潟県新発田市で暮らしています。
当時は俳優になる姿を思い描いていたわけではなく、中学校では新体操に打ち込み、高校では学校生活やアルバイトを続けていました。
大学進学を機に上京して小さな仕事を重ねるうちに、一般企業へ就職するのではなく、俳優を仕事にする道を自分で選びます。
今回は、そんな木竜麻生さんの生い立ちや家族、中学高校・大学時代、14歳でスカウトされた経緯、映画デビューから初主演をつかんだ2018年の転機までをご紹介します。
木竜麻生の生い立ち|新潟県新発田市で育った子ども時代
木竜麻生さんは1994年7月1日、新潟県新発田市生まれです。
幼少期を過ごしたのは、新発田城に近い城北町でした。
新発田城のお堀を歩き、家族と花見をした幼少期
通っていた保育園も新発田城の近くにあり、帰り道には公園で遊んだり、城のお堀端を散歩したりしていました。
春になると、家族や友人と新発田城へ花見に出かけ、屋台で新発田名物の蒸気パンを買うのが定番でした。
笹で三角形に包んだちまきや、しょうゆで色を付けたおこわも、子どものころから親しんだ新潟の味です。
家族で通った「食堂みやむら」では、もつラーメンやカツ丼とラーメンのセットを食べていました。
祖父とは、川を利用した「岡田の天然プール」へよく遊びに行き、新発田農業高校の長峰実習農場でポニーに餌をあげた思い出もあります。
2024年には、新発田藩を描いた映画『十一人の賊軍』へ出演しました。白石和彌監督が新発田でロケハンをした際、木竜麻生さんを紹介する新聞記事を地元の食堂で見たことが出演依頼のきっかけになっています。
小学校3年生から中学卒業まで7年間続けた新体操
小学生になると、生活の大きな部分を占めたのが新体操でした。
近所に住んでいた年上の女の子の練習を見て「格好いい」と感じ、自分も始めています。
小学3年生から中学校を卒業するまで、新体操を約7年間続けました。
リボンだけでなく、ボールやフープなど一通りの種目に取り組み、中学最後の大会ではリボンを選びました。
中学校の3年間については、本人も部活動が生活の中心だった時期として振り返っています。
中学2年生で芸能事務所から声をかけられたあとも、すぐに上京しなかった理由の一つが、新体操を最後まで続けたかったことでした。
中学卒業とともに競技から離れましたが、その経験は後に『鈴木家の嘘』の役づくりで必要になります。
デビュー当初から「木竜麻生」名義|本名は公表されている?
「木竜麻生 本名」という検索も見られますが、所属事務所の公式プロフィールに掲載されている活動名は「木竜 麻生/Kiryu Mai」です。
ただし、公式プロフィールには、本名と芸名のどちらなのかを説明する記載はありません。
2010年のCM出演を含む初期の活動歴でも木竜麻生名義が使われていますが、公表情報だけから本名と断定することはできません。
木竜麻生の家族|父親・母親と兄弟、芸能活動を5年待った家庭
木竜麻生さんは、父親、母親、兄、弟の5人家族で育ちました。
14歳で芸能界との接点ができたあとも、本人の気持ちが固まるまで家族は進路を急がせませんでした。
兄と弟に挟まれた3人兄弟の真ん中
木竜麻生さんは、兄と弟に挟まれた3人兄弟の真ん中です。
父親が子どもたちへ伝えていた数少ない決まりの一つが、始めたことを途中で投げ出さないことでした。
「1回始めたことを途中でやめない」
出典:文春オンライン「“平成生まれっぽくない”女優の木竜麻生が、5年かけてお父さんにデビューを認めてもらうまで」(2019年3月17日)
中学校で新体操部に入った以上、3年生の引退まではやり切るようにというのが父親の考えでした。
両親や兄弟の名前、年齢、職業は公表されていません。
一方、本人のインタビューには、冗談好きな家族の様子や、兄が新潟での舞台あいさつに夫婦で訪れたエピソードが登場しています。
写真が趣味だった祖父からは、使っていたフィルムカメラを譲り受けました。
撮影で地方へ行った際には、そのカメラで風景や道端のものを撮ることもあると話しています。
家族との距離は上京後も近く、甥の成長記録や実家の犬の写真が送られてくる時間を楽しみにしていたことも明かしています。
母と兄は映画好き、父とは宮藤官九郎作品を見ていた
芸能界を意識する以前から、映画やドラマは家庭の中にありました。
母親と兄は映画を見ることが好きで、木竜麻生さんも一緒に作品を見ていました。
父親は宮藤官九郎さんの脚本作品が好きで、家族で『池袋ウエストゲートパーク』や『木更津キャッツアイ』を見ていたそうです。
夕方に再放送されていた『きらきらひかる』や『ケイゾク』も、家のテレビで見ていました。
上京して仕事を始めてからは、現場で出会った人たちに薦められた映画を劇場へ見に行くようになります。
作品を作る側へ少しずつ関わる一方で観客としても映画に触れ、映画への興味を深めていきました。
ただし、映像作品が身近だったことと、自分が俳優になることは、本人の中では別の話でした。
「その頃、やってみたいっていう気持ちはなかったんですよね。」
出典:文春オンライン「“平成生まれっぽくない”女優の木竜麻生が、5年かけてお父さんにデビューを認めてもらうまで」(2019年3月17日)
14歳で原宿スカウト|父親が選んだ「高校卒業まで待つ」道
芸能界との最初の接点は、中学2年生だった14歳の東京旅行でした。
母親、新体操を一緒にしていた幼なじみ、その母親と4人で東京を訪れ、前日には関ジャニ∞のライブを楽しんでいます。
翌日、原宿の竹下通りでクレープを食べながら歩いていたところ、所属事務所の社長から声をかけられました。
事務所の社長は後日、車で約5時間かけて新潟の実家を訪れ、家族へあいさつをしています。
父親は、娘が東京へ出る段階で芸能の仕事をしたいと思っていれば事務所へ預けると伝えました。
14歳でスカウトされても本格的な活動へは進まず、事務所に籍を置きながら高校卒業まで新発田で生活しています。
その間は、東京へ行った際に事務所へ近況を伝える程度で、事務所側も本人と家族の決断を待ちました。
スカウトから仕事が本格化するまでには、約5年の時間がありました。
木竜麻生の中学高校・大学時代|新潟から上京するまで
スカウトを受けたあとも、生活の中心は新潟での学校生活でした。
中学校では新体操をやり切り、高校では授業やアルバイトを経験したのち、2013年春の大学進学を機に東京へ移ります。
中学は新体操、高校は新潟県内へ|学校名は断定できない
中学時代は新体操に取り組み、中学2年生で原宿スカウト、中学3年生で競技を引退という時期を過ごしました。
高校卒業までは新発田で暮らすと決め、事務所へ所属したあとも生活の拠点を東京へ移していません。
中学校と高校の校名は、本人や所属事務所による公表情報で裏付けられていません。新潟県内の高校へ進み、高校卒業まで新発田で暮らしたことまでは、本人の発言から確認できます。
高校時代には、新発田市にある「コーヒー&レストラン シド」でホールスタッフのアルバイトを経験しました。
本人は後のインタビューで、高校のころは内緒で喫茶店のホールに立っていたと笑いながら話しています。
後年、新発田の好きな店として同店を挙げ、具材の多いナポリタンや海苔トーストを好んでいたと話しています。
高校では自分のお弁当を作り、国語の授業を好んだ
高校時代には、母親の横に立って自分のお弁当を作ることも日課になっていました。
母親も高校生のころに自分で弁当を作っていたと聞き、その習慣をまねしたのが始まりです。
上京後の一人暮らしでも自炊を続け、大学へ弁当を持って行く日は、余った卵焼きを夕食に回すことまで考えていました。
理系科目よりも国語が好きで、教科書に載っている小説を授業より先に読んだり、国語の先生と話したりしていました。
芸能事務所に籍はありましたが、当時の日常を占めていたのは、学校やアルバイトといった地元での生活でした。
「スカウトされた中高生」と「本格的に働く俳優」の間に、約5年間の学生生活がありました。
大学で国文学を学び、詩や日本語に親しんだ学生生活
2013年春、大学進学を機に上京しました。
大学では文学部の国文学科に入り、古典や漢文、詩などを学んでいます。
谷川俊太郎さんをきっかけに詩集を読むようになり、茨木のり子さんや室生犀星さんの作品にも親しみました。
江戸川乱歩の短編を1冊取り上げる授業も印象に残り、『人間椅子』『お勢登場』『D坂の殺人事件』などを読んでいます。
卒業論文のテーマは、ファッション誌などで使われる「雑誌から生まれた造語」でした。
服やメイクを表す独特な言葉を書き出し、自分で統計を作ったそうです。
大学名も主要な本人インタビューや所属事務所の公式プロフィールでは明記されていませんが、文学部国文学科で学んだ内容は本人が具体的に語っています。
高校時代から好きだった国語を大学でも学び、言葉そのものを観察する卒業論文へ進んだ学生生活でした。
大学進学で芸能活動が本格化|19歳から俳優を仕事にするまで
上京したことで、14歳のスカウトから保留になっていた芸能活動が動き始めます。
ただし、大学進学と同時に大きな役を得たのではなく、CMや映画の短い出演を重ねながら進路を考えていました。
2010年のCM出演と「19歳から本格活動」の違い
所属事務所の出演歴には、2010年から2012年までのDENSO企業CMが記録されています。
そのため、最初の芸能仕事までさかのぼれば、高校時代にも出演経験があったことになります。
ただ、東京で日常的に活動していたわけではなく、生活の軸は新発田での学校生活に置いたままでした。
一方、本人は、きちんと仕事を始めたのは大学生になった19歳のころだったと振り返っています。
所属事務所も、大学進学を機に上京して本格的な芸能活動を始めたと経歴を整理しています。
木竜麻生さんの場合、最初のCM出演と本格的な芸能活動の開始は同じ時期ではありません。高校時代に出演歴があり、大学進学後の19歳ごろから継続的に仕事を始めたと整理できます。
大学ではパン屋やカフェのホールスタッフとして働き、一人暮らしをしながら芸能の仕事を続けました。
『まほろ駅前狂騒曲』のウェイトレス役で映画デビュー
映画デビューは2014年、大森立嗣監督の『まほろ駅前狂騒曲』でした。
演じたのは喫茶店のウェイトレスで、出演は1、2シーンほどでした。
「私って分かる人がいるのか、くらいの(笑)。」
出典:文春オンライン「女優・木竜麻生が語る『筋トレと、コンビニまで歩いた寛一郎との“とりとめのないおしゃべり”』」(2019年3月17日)
カフェでホールスタッフをしていた経験があったため、接客の動きは役にも重なりました。
画面に映る時間は短かったものの、父親と母親は娘の声から気づいてくれたそうです。
この作品に助監督として参加していたのが、後に『鈴木家の嘘』を監督する野尻克己さんです。
当時は小さなウェイトレス役と助監督という接点でしたが、数年後のオーディションで再会することになります。
その後は『アゲイン 28年目の甲子園』『グッドモーニングショー』などへ出演し、短い場面から経験を重ねました。
大学3年で就職活動をせず、俳優の道を選んだ
大学生活が後半に入ると、同級生たちは就職活動を始めました。
木竜麻生さんにも、俳優を続けるのか、一般企業へ就職するのかを決める時期が訪れます。
大学3年生だったころ、映画の仕事や演技の稽古と同じ気持ちで就職活動へ向き合うことはできないと気づき、母親へ電話しました。
同級生が就職ガイダンスや面接へ向かう時期も、木竜麻生さんは相撲の稽古へ通っていました。
そこで伝えたのは、就職活動をしないという決断でした。
「そんなことわかってたよ~。役者のお仕事を頑張りな~」
出典:にいがた観光ナビ「『十一人の賊軍』の演技で注目される新発田市出身の実力派俳優に迫る」(2024年11月28日)
俳優を仕事として続ける道を自分で選んだのは、14歳のスカウト時ではなく、大学の就職活動を迎えた時期でした。
父親がスカウト時に示していた「本人にやりたい気持ちがあれば」という条件へ、自分自身で答えを出した形でした。
『菊とギロチン』『鈴木家の嘘』|オーディションでつかんだ2018年の転機
俳優として進むことを決めても、すぐに主演級の仕事が続いたわけではありません。
その状況を変えたのが、2018年に公開された『菊とギロチン』と『鈴木家の嘘』でした。
約300人から選ばれ『菊とギロチン』で映画初主演
瀬々敬久監督の『菊とギロチン』では、女相撲一座へ加わる花菊役のオーディションを受けました。
書類選考のあと、1次、2次、3次と進み、最終の4次では候補が2人に絞られました。
最後は、相手役を務める寛一郎さんと実際に芝居をしています。
1次選考では順番が最初だったこともあり、終了後まで心臓の音が鳴り続けるように感じるほど緊張したといいます。
「映画の道に進みたいと思ってから、初めてのオーディションだった」
出典:CINEMORE「弱さを感じた上で立ち向かう花菊に憧れていました『菊とギロチン』木竜麻生インタビュー」(2019年4月26日)
選考には約1か月を要し、進むにつれて「ここでは落ちたくない」という気持ちが強くなったといいます。
合格の知らせを受けた瞬間はうれしさと同時に、ここから役と向き合う日々が始まるという緊張も覚えました。
約300人の候補から花菊役に選ばれ、映画初主演をつかみました。
撮影前には、四股、すり足、股割りといった相撲の基礎から稽古を始め、役に合わせて体重も増やしています。
事前の稽古から撮影終了までは約3か月半に及び、女力士役の共演者たちと寝食をともにしました。
それぞれが勝負では負けたくない気持ちを持ちながら、撮影では同じ作品へ向かう仲間として過ごしたそうです。
それまで1、2シーンの出演が中心だった木竜麻生さんにとって、京都と滋賀で約1か月の撮影に参加し、大きな役を背負うのは初めての経験でした。
約400人から『鈴木家の嘘』へ|新体操経験が役の設定に
同じ2018年には、野尻克己監督の『鈴木家の嘘』で鈴木富美役を演じました。
オーディションを兼ねたワークショップを経て、約400人の候補からヒロインに選ばれています。
ワークショップでは、野尻監督と作品の話だけでなく、自分が兄と弟のいる家庭で育ったことも話しました。
監督は木竜麻生さん本人の考えを聞きながら、長女・富美の人物像を一緒に組み立てていきました。
野尻監督とは、映画デビュー作『まほろ駅前狂騒曲』以来の再会でした。
富美は当初、陸上競技をしている設定でしたが、木竜麻生さんの新体操経験を生かす形へ脚本が変更されます。
中学卒業から競技を離れていたため、撮影前には大学の新体操部へ通い、改めて練習しました。
中途半端にできるように見せるのではなく、競技経験者として納得できる状態に戻したいと考え、約4か月をかけてリボンの演技を準備しています。
小学3年生で始めた新体操が、俳優になってから役の設定と演技に使われました。
2作品で新人賞を重ね、俳優の仕事だけで生活できるように
『菊とギロチン』と『鈴木家の嘘』は、出演する役の大きさだけでなく、仕事の状況も変えました。
『鈴木家の嘘』の公開からしばらくすると、俳優の仕事だけで生活できるようになったと本人が明かしています。
2作品での演技により、第92回キネマ旬報ベスト・テン新人女優賞、第40回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞、第31回東京国際映画祭東京ジェムストーン賞などを受賞しました。
『菊とギロチン』では、第73回毎日映画コンクールのスポニチグランプリ新人賞にも選ばれています。
高校時代まで続けた新体操、大学で選んだ俳優の仕事、初期作品で出会った監督との再会が、2本の映画の中でそれぞれ具体的な形になりました。
「2018年というのは、私にとってひとつの転換期」
出典:Real Sound「木竜麻生が語る、『鈴木家の嘘』での大きな経験と女優としての今後」(2019年8月7日)
14歳の原宿スカウトから約10年を経て、自分で選んだ俳優の道が2018年の2作品で仕事として定着しました。
すぐに東京へ出ず、新発田で新体操と学校生活を終えてから上京した時間も含めて、『菊とギロチン』『鈴木家の嘘』へ至るまでが木竜麻生さんの最初の大きな転機でした。














