PROFILE
人物プロフィール
藤間爽子さんは、ドラマや映画、舞台で俳優として活動する一方、日本舞踊では紫派藤間流の三代目家元・藤間紫を名乗っています。
1994年8月3日に東京都で生まれ、幼いころから日本舞踊の舞台に立ってきました。
祖母は女優としても活躍した初世藤間紫で、父と母にも俳優経験がある家庭です。
ただ、決められた道をそのまま進んで俳優になったわけではありません。
日本舞踊を続けて家元を継ぐ立場にありながら、小学生のころから抱いていた「女優になりたい」という思いが、大学時代になって再び大きくなっていきました。
今回は、そんな藤間爽子さんの生い立ちや家族、幼少期の日本舞踊、学生時代、女優を目指したきっかけ、『ひよっこ』で俳優デビューするまでの道のりをご紹介します。
藤間爽子の生い立ち|幼少期から日本舞踊と女優への夢
藤間爽子さんの子ども時代には、学校へ通う日常と、日本舞踊の稽古や舞台が一緒にありました。
しかし、小学生になると日本舞踊とは少し違う形の「演じること」にも惹かれ始めます。
祖母・初世藤間紫に師事し、幼くして歌舞伎座の舞台へ
爽子さんが日本舞踊を教わったのは、祖母である初世藤間紫でした。
初世藤間紫は紫派藤間流を創流した日本舞踊家であるとともに、映画やテレビ、舞台でも長く活動した女優でした。
爽子さんも幼少期から祖母のもとで稽古を重ね、紫派藤間流の公式プロフィールでは、7歳で歌舞伎座の舞踊会に出演し、長唄『鶴亀』を初披露したとされています。
その後も『藤娘』『鷺娘』『幻お七』などを踊り、日本舞踊は特別な行事ではなく、成長とともに続いていく日常の一部になっていました。
本人が日本舞踊の家元で育った子ども時代を振り返った映像も残っています。
日本舞踊の舞台経験と俳優デビューは別です。
爽子さんは幼少期から日本舞踊家として舞台に立っていますが、映像作品で俳優としてデビューするのは2017年、演劇作品への初出演は2018年です。
祖母は家元であり師匠でもありましたが、子どもの爽子さんにとっては、まず身近な「おばあちゃん」だったようです。
祖母がどれほど大きな存在だったのかは、後になって周囲の人から話を聞き、過去の映像を見る中で少しずつ実感していきました。
小学4年生のころには『羽根の禿』を踊った際、恋心を表すしぐさを真剣に演じたところ、客席から笑い声が起きたこともありました。
笑われたと思って泣きながら母へ尋ねると、母からは、その場面がかわいらしく表現できていたから笑いが起きたのだと教えられたそうです。
まだ幼い時期から、振りを正確に踊るだけではなく、役の感情をどう見せるかに触れていました。
小学3年の学芸会で「演じる」楽しさを知る
女優への興味がはっきりと芽生えたのは、学校での出来事でした。
小学3年生の学芸会で取り組んだ作品は『フレデリック』で、爽子さんはネズミの役を演じました。
普段は人前で積極的に話したり、クラスを引っ張ったりするタイプではなかったものの、このときは役を決めるオーディションに自分から手を挙げました。
学校の学芸会で人前に立って演じた経験が、女優を意識するきっかけになりました。
日本舞踊でも人前に立っていた爽子さんですが、せりふを使って別の人物になる芝居には、踊りとはまた違った面白さがありました。
後年のインタビューでも、普段の自分はシャイなのに、演じているときには恥ずかしさを感じず、自分を解放できる感覚があったと振り返っています。
卒業文集に書いた「日本舞踊もできる女優」
学芸会で生まれた女優への憧れは、その場限りでは終わりませんでした。
小学校を卒業するときには、自分の将来についてこんな言葉を残しています。
日本舞踊もできる女優になりたい
出典:anan「女優&日本舞踊家の藤間爽子 愛犬の名前が『晴男』のワケ」(『anan』2020年8月5日号)
「日本舞踊」か「女優」かではなく、子どものころから二つを一緒に続ける姿を思い描いていたことになります。
ただし、このころはまだ、家元を継ぐことが自分の進路としてどれほど大きな意味を持つのかを実感する年齢ではありませんでした。
藤間爽子の家族・家系図|祖父母、両親、兄との関係
藤間爽子さんの家族には、日本舞踊や俳優の世界に関わってきた人が多くいます。
検索では「家系図」「母」「兄」のほか、松たか子さんや香川照之さんとの関係も調べられていますが、藤間という名字だけで血縁関係を結び付けないことが大切です。
爽子さんの生育家族
祖父:六世藤間勘十郎(のちの二世藤間勘祖)
祖母:初世藤間紫
父:藤間文彦
母:島村佳江
兄:藤間貴彦(初代藤間翔)
祖父・二世藤間勘祖と祖母・初世藤間紫
父方の祖父は、歌舞伎舞踊の振付師としても知られた六世藤間勘十郎で、のちに二世藤間勘祖を名乗った人物です。
祖母の初世藤間紫は六世藤間勘十郎に師事し、1944年に結婚しました。
二人の間に生まれた長男が、爽子さんの父である藤間文彦さんです。
初世藤間紫は離婚後、2000年に三代目市川猿之助、のちの二代目市川猿翁と結婚しました。
市川猿翁は紫派藤間流の二代目家元を務め、爽子さんと兄の貴彦さんも舞踊を師事しています。
家系図で混同しやすいポイント
二代目市川猿翁は初世藤間紫の再婚相手で、爽子さん兄妹が師事した人物です。市川猿翁の長男である香川照之さんと爽子さんは、血縁上のいとこという関係ではありません。また、日本舞踊の「藤間」は流派・名跡にも用いられるため、同じ藤間姓だけで血縁関係を判断することはできません。
爽子さんが14歳になるまで身近にいた初世藤間紫は、日本舞踊家だけでなく女優としても活動した人でした。
爽子さん自身が後に日本舞踊と俳優という二つの仕事を選ぶより前から、その両方が家庭の中に存在していたことになります。
父・藤間文彦と母・島村佳江|俳優経験を持つ両親
父の藤間文彦さんと母の島村佳江さんは、ともに俳優として活動した経験があります。
母の佳江さんは爽子さんの舞台をよく観ており、初日に足を運んでは、良かった部分だけでなく気になった部分も率直に伝える存在だといいます。
幼いころの『羽根の禿』で泣いて帰ってきた爽子さんに、客席の笑いが失敗ではなかったと教えたのも母でした。
一方、父の文彦さんは本人へ作品の感想を多く語るタイプではないものの、母に次の仕事を尋ねたり、周囲の人に娘の出演作を知らせたりしているそうです。
爽子さんが俳優という仕事に興味を持った家庭には、舞踊だけでなく芝居も身近にありました。
兄・藤間貴彦(藤間翔)と兄妹で歩んだ日本舞踊
兄は爽子さんより2歳年上の藤間貴彦さんです。
兄妹とも幼少期から日本舞踊を学び、祖母・初世藤間紫や二代目市川猿翁のもとで稽古を重ねました。
子どものころには一緒に舞台へ立つこともあり、大人になるまで同じ流派の中で踊りを続けています。
兄妹だけに意見がぶつかる時期もあったものの、爽子さんは後年、互いに足りないところを補える頼れる存在になったと話しています。
そして2021年、爽子さんだけでなく兄にも大きな変化が訪れました。
爽子さんが三代目藤間紫を、貴彦さんが初代藤間翔を襲名し、兄妹で新しい名跡を受け継ぐことになったのです。
藤間爽子の学生時代|家元を継ぐ進路と女優への思い
小学校の卒業文集では女優への夢を書いていた爽子さんですが、中学生のころには、日本舞踊の家を継ぐという別の進路が現実味を帯びていきます。
きっかけは、ずっと師事してきた祖母との別れでした。
14歳で祖母を亡くし、藤間紫を継ぐ立場になる
初世藤間紫は2009年3月に亡くなり、当時の爽子さんは14歳でした。
祖母の死をきっかけに、自分が紫派藤間流を受け継ぐことを初めて真剣に考えるようになります。
初世藤間紫は、生前から孫の爽子さんが年頃を迎えたら三代目家元として藤間紫を継がせたいという意向を残していました。
まだ10代だった爽子さんは、当初は家元を継ぐことについて尋ねられても、比較的素直に「継ぎます」と受け止めていたと振り返っています。
ところが年齢を重ね、自分の人生として考えるようになると、気持ちはそれほど単純ではなくなっていきました。
日本舞踊を嫌いになったわけではありません。
それでも、子どものころから決まっていた道をそのまま進むことと、自分自身がやりたいことを選ぶことの間で迷いが生まれました。
青山学院大学文学部比較芸術学科で学ぶ
学歴で公表されているのは、青山学院大学文学部比較芸術学科を卒業したことです。
大学でも日本舞踊を続けていましたが、将来について考える時間が増えるにつれて、小学生のころに抱いていた俳優への思いが消えていないことに気づいていきます。
日本舞踊の家元になる道が目の前にある一方、同年代の友人たちはそれぞれの仕事を選ぶために動き始めていました。
それまで自分の中で抑えていた「役者に挑戦してみたい」という気持ちと向き合うようになります。
大学生活の終盤には、日本舞踊だけを自分の進路として決めてよいのかを改めて考えるようになりました。
同級生の就職活動を見て女優への挑戦を決める
決断を後押ししたのは、同級生たちの就職活動でした。
周囲が自分の進路を決め、それぞれの世界へ進もうとしている姿を見て、爽子さんも「自分はどうしたいのか」を考えます。
四国電力の広報誌で当時を振り返った際には、そのときの気持ちを短い言葉で表しています。
やるなら今だ
出典:四国電力広報誌 ライト&ライフ「特別対談 変化と挑戦で未来を切り拓く」(2024年12月・2025年1月号)
小学生のころから持っていた女優への夢を、大学時代になって初めて具体的な行動へ移しました。
オーディションを受け、ワークショップにも参加し、それまで日本舞踊とは別に考えていた芝居の世界へ足を踏み入れていきます。
ここで特徴的なのは、日本舞踊をやめて俳優へ転向したわけではないことです。
舞踊を続けながら、もう一つの仕事として俳優に挑戦し始めました。
藤間爽子が女優になるまで|オーディションから『ひよっこ』へ
俳優を目指すと決めても、爽子さんには映像や演劇の仕事が用意されていたわけではありませんでした。
日本舞踊では長い経験がありましたが、芝居については新しい世界へ一から入っていくことになります。
何も知られない世界で、自分を見てもらうことがうれしかった
日本舞踊では、どこへ行っても「藤間紫の孫」という背景が付いてきました。
祖母への尊敬がある一方で、比較されるたびに、自分自身を見てもらえていないように感じることもあったと爽子さんは振り返っています。
ところが俳優のオーディションでは、その家系を知らない人たちが目の前の演技を見て判断します。
最初のころは、オーディションに落ちたときでさえ、自分自身を見て判断してもらえたことがうれしかったと話すほどでした。
舞踊家として積み重ねたものを捨てたかったのではなく、別の世界で「藤間爽子」という一人の人間を見てもらう経験が新鮮だったのです。
せりふを読んでみると、それまで知らなかった自分の表現が出てくる感覚もあり、子どものころ学芸会で感じた楽しさが戻ってきました。
演技を「観て、真似る」ことから始めた新人時代
俳優を目指して動き始めた時、爽子さんには長年の日本舞踊経験がある一方、演技の実技を専門的に学んできた経験はありませんでした。
そこで劇場へ足を運び、舞台に立つ俳優たちをよく見るようになります。
小説丸のインタビューでは、当時の学び方についてこう話しています。
観て、真似るしかなかったんです
出典:小説丸「源流の人 第25回 ◇ 藤間爽子 (日本舞踊家、俳優)」(2022年9月9日)
これは爽子さんにとって、まったく未知の学び方でもありませんでした。
日本舞踊でも、師匠の動きや間の取り方を見て、自分の体で再現しながら身につけていく時間を長く過ごしていたからです。
芝居でも人の演技を観察し、自分で試しながら少しずつ学んでいきました。
幼いころから積み重ねた日本舞踊と、大学時代から本格的に始めた俳優の仕事は、この段階から少しずつ同じ身体の中で重なっていきます。
2017年『ひよっこ』で俳優デビュー
オーディションを重ねた爽子さんは、2017年にNHK連続テレビ小説『ひよっこ』へ出演します。
演じたのは、白石加代子さんが演じる立花富の若いころでした。
『ひよっこ』が、藤間爽子さんの俳優としての映像デビュー作です。
幼少期から歌舞伎座などの舞台に立っていたため、「2017年に初めて人前で演じた」という意味ではありません。
日本舞踊家としてすでに長い舞台経験があり、その上で新たに俳優として映像作品へ進んだのが2017年でした。
日本舞踊の初舞台、俳優としての映像デビュー、演劇作品への初出演は、それぞれ別の時期に起きています。
子どものころに卒業文集へ書いた「日本舞踊もできる女優」という姿が、ここで仕事として現実になりました。
2018年『半神』で演劇初舞台、阿佐ヶ谷スパイダースへ
映像デビューの翌2018年には、もう一つ大きな仕事が決まります。
萩尾望都さんの漫画を原作とし、萩尾さんと野田秀樹さんが戯曲化した舞台『半神』です。
爽子さんはマリア役を演じ、桜井玲香さんとのダブル主演を務めました。
日本舞踊では幼少期から舞台経験がありますが、『半神』は俳優として出演する演劇作品での初舞台でした。
同じ2018年には、長塚圭史さんが主宰する劇団阿佐ヶ谷スパイダースにも加入しています。
映像作品に出演しただけで終わらず、自分が強く惹かれていた舞台の世界にも活動の場を広げました。
2017年の『ひよっこ』、2018年の『半神』と劇団加入によって、俳優としての仕事が具体的に動き始めます。
一方で、日本舞踊では祖母から受け継ぐことになっていた大きな名前と向き合う時期が近づいていました。
三代目藤間紫を襲名|藤間爽子が選んだ二つの「演じる」道
俳優として仕事を始めた後も、爽子さんは日本舞踊を続けていました。
そして26歳だった2021年、10代のころから決まっていた家元継承を正式に受け入れることになります。
俳優として歩きながら向き合った家元継承
初世藤間紫の死後、爽子さんがすぐに三代目を襲名したわけではありません。
14歳のころには家を継ぐことを比較的素直に受け止めていたものの、大人になるほど、その名前を背負う重さを具体的に考えるようになりました。
祖母が長い年月をかけて築いてきた「藤間紫」という名前を、自分が名乗ってよいのかという迷いもありました。
一方、俳優の仕事では『ひよっこ』や『半神』などを経験し、藤間爽子という名前で自分の仕事を積み重ねていきます。
家元になる準備が完全に整う日を待つのではなく、継いでから学び続けるしかないと考えるようになり、襲名へ進みました。
俳優を選んだから日本舞踊を離れるのでも、日本舞踊を継ぐから俳優をやめるのでもない道を選んだことになります。
2021年、兄とともに新しい名跡を継ぐ
2021年2月28日、東京・日枝神社で紫派藤間流の継承式が行われました。
藤間爽子さんは26歳で三代目藤間紫を襲名しました。
同じ日に兄の藤間貴彦さんも、初代藤間翔を襲名しています。
祖母の死から約12年がたち、幼いころから一緒に日本舞踊を学んできた兄妹が、それぞれ新たな名を受け継ぎました。
爽子さんは継承式を終えた後、「藤間紫」という名前を守るだけではなく、自分自身の表現も加えていく思いを明かしています。
さらに私の色を加えていけたらなと思います
出典:レプロエンタテインメント「女優と日本舞踊家の二足のわらじで活動中の藤間爽子が、紫派藤間流・三代目家元/藤間紫を継承いたしました!!」(2021年2月28日)
2022年1月には国立劇場で襲名披露公演を行い、『京鹿子娘道成寺』を踊ったほか、兄の藤間翔さんとも『道行初音旅』で共演しました。
名前を受け継ぐことが到着点ではなく、三代目として踊り続ける生活がここから始まりました。
「藤間爽子」と「藤間紫」の二つの名前で活動へ
襲名後も、俳優として活動するときの名前は藤間爽子です。
日本舞踊家として舞台に立つときは三代目藤間紫を名乗ります。
二つの活動名
俳優としての活動:藤間爽子
日本舞踊家としての活動:三代目藤間紫
二つの活動が重なる場面もあり、2023年のNHK連続テレビ小説『ブギウギ』では、芸者・タイ子役として劇中で日本舞踊を披露しました。
これは突然生まれた二足のわらじではありません。
小学生の卒業文集に書いていたのも、「日本舞踊をやめて女優になる」ではなく、日本舞踊もできる女優でした。
14歳で祖母を亡くした後には家元を継ぐ責任と向き合い、大学時代には自分で選んだ俳優の世界へ踏み出しました。
家元を継いだから俳優をやめるのでも、俳優になったから日本舞踊を手放すのでもなく、爽子さんは二つの仕事を続ける形を選びました。
「藤間爽子」と「藤間紫」という二つの名前は、小学生のころに思い描いていた二つの道を、それぞれ仕事として続けるための名前になっています。
















