木村達成の生い立ち|家族と高校時代、野球を辞めて俳優になるまで

木村達成の人物イラストを右側に配し、家族や高校時代、野球から俳優の道へ進んだ生い立ちを伝えるアイボリーとダークブラウン基調の構成

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
きむらたつなり
カテゴリー
男性俳優
出身地
東京都
生年月日
1993年12月8日
芸能活動開始
2012年
俳優デビュー
2012年
デビューのきっかけ
オーディション

木村達成さんは、ミュージカル『テニスの王子様』の海堂薫役で2012年に俳優デビューし、演劇『ハイキュー!!』の影山飛雄役を経て、グランドミュージカルやストレートプレイへ活動の幅を広げてきた俳優です。

舞台で見せる堂々とした姿からは、早い時期から俳優一本で進路を決めていたようにも見えます。

ところが、子どものころの木村さんが長く打ち込んでいたのは演劇ではなく野球でした。

高校では野球部を辞めて芸能の世界へ進もうと決めたものの、学校の規則によってすぐには仕事を始められず、卒業までの時間を過ごしています。

そして大学進学後に受けた『テニミュ』のオーディションが、木村さんを俳優という仕事へ連れていきました。

今回は、そんな木村達成さんの生い立ちや家族、高校時代、芸能界を目指したきっかけ、『テニミュ』での俳優デビュー、『ハイキュー!!』からグランドミュージカルへ進んだ転機をご紹介します。

木村達成の生い立ち|東京都出身、野球少年だった子ども時代

木村達成さんは1993年12月8日生まれ、東京都出身です。

のちに舞台で歌や芝居に向き合うことになりますが、子ども時代に長く続けていたのは野球で、学校では人を笑わせることも好きでした。

小学4年生から始めた野球

野球を始めたのは小学4年生のころでした。

その後も中学生まで続け、高校も野球をすることを前提に選んでいます。

小学4年生から高校1年生の終わりごろまで、約7年間にわたって野球を続けました。

高校時代を振り返る取材でも、木村さんは野球部で使っていたグラウンドや整備道具をよく覚えていました。

卒業から8年後に母校のグラウンドを訪れた際には、撮影を終えてその場を離れる前にグラウンドへ一礼しています。

人を笑わせることが好きだった子ども時代

一方で、木村さんには野球とは別に、人前で何かをすることを楽しむ一面もありました。

本人は子どものころから人を楽しませることが好きだったと話しており、授業中に自分の一言でクラスメイトが笑ってくれると、率先して笑いを取りにいくこともあったそうです。

ただし、この時点から俳優を志していたわけではありません。

芸能の世界を意識するのは高校生になってからで、最初に思い描いていたのも「俳優」という具体的な職業より、もっと広い「表に立つ仕事」でした。

木村達成の家族|母親との思い出と両親・姉との家族旅行

木村さんは家族について多くを一覧のように語っているわけではありませんが、インタビューには母親、父親、姉との具体的な場面が残っています。

特に母親については、小学生だったころの記憶から俳優になった後の舞台観劇まで、長く続く関係が本人の言葉で語られています。

授業参観の黄色いワンピースが忘れられなかった母親

小学生のころ、授業参観に来た母親の服装が強く印象に残ったことがありました。

周囲の保護者が落ち着いた服装をするなか、木村さんの母親は黄色の目立つワンピースを着てきたそうです。

当時の木村さんは恥ずかしく感じ、母親にそのような服を着てこないでほしいと伝えました。

大人になってみると、こういう母親でよかったなって思うんですけど。

出典:週刊女性PRIME「木村達成、名作グランドミュージカルに初挑戦『とにかくすべて頑張るだけです』」(2018年1月14日)

俳優になってからも母親との交流は続き、2018年の取材では、母親が舞台を毎回見に来てくれることや、家族旅行へほぼ毎年出かけていることも話していました。

子どものころには目立つ母親を恥ずかしく感じた一方、大人になってから振り返った言葉には、当時とは違う受け止め方が表れています。

舞台を見に来る家族と、両親・姉で訪れたタイ

家族旅行については、2018年か2019年の年末に両親と姉とタイを訪れたときの思い出も残っています。

一行はカウントダウンクルーズに乗り、両親と姉は船内のパーティースペースでショーを見ていました。

木村さんだけはデッキへ出て、花火を眺めながら新年を迎えたそうです。

このエピソードからは、父親・母親・姉の存在と、成人後も一緒に旅行していたことが分かります。

母親が舞台を見守る話や家族旅行の記憶から、芸能活動を始めた後も家族と一緒に過ごす時間が続いていた様子が伝わります。

木村達成の高校時代|東海大浦安で野球を辞め、芸能の道へ

木村さんの学生時代で大きく進路が動いたのが、東海大学付属浦安高等学校で過ごした3年間です。

野球をするために選んだ学校でしたが、高校1年生の終わりごろ、別の世界へ踏み出す決断をしました。

野球をするため東海大学付属浦安高校へ進学

2009年春、木村さんは千葉県浦安市にある東海大学付属浦安高等学校へ入学しました。

東京都出身の木村さんがこの高校を選んだ理由は、野球でした。

同校は甲子園への出場経験もある野球の強豪校で、1年生だった木村さんもグラウンド整備や備品の手入れをしながら部活動に取り組んでいます。

2020年には卒業から8年ぶりに母校を訪れ、教室やグラウンドを歩きながら高校時代を振り返りました。

映像には当時の先生たちとの再会や、野球部のグラウンドへ戻る木村さんの姿も収められています。

その日の終盤には、在学中に野球部で指導を受けた恩師からのメッセージを読み、涙を流す場面もありました。

16歳で野球部を辞めた「表に立ちたい」という思い

高校1年生の終わりごろ、木村さんは7年間続けてきた野球から離れることを決めました。

野球が嫌いになったわけではなく、芸能という世界に挑戦し、表に立つことをしてみたいという気持ちが生まれたためです。

当時16歳で、俳優やミュージカル俳優になるところまで具体的な道を描いていたわけではありませんでした。

監督や顧問からは、高校3年間を一緒に過ごす仲間は一生の財産になると引き留められました。

それでも意思は変わらず、学校で初めてというほど泣きながら監督に頼んだといいます。

今じゃないとダメなんです。挑戦させてください

出典:ライブドアニュース「いつだって自由に、人生を楽しむ。木村達成の成長に欠かせない、いくつもの卒業と涙」(2020年7月15日)

木村さんはこの決断の際、小学6年生のときに沖縄で戦争について学んだ経験も思い出していたと振り返っています。

やりたいことがあるなら、その瞬間を逃さず選びたいという考えが、野球を辞める決断にも重なっていました。

この退部が、木村さん自身の意思で芸能の道を選んだ最初の大きな分岐点でした。

芸能活動禁止の校則で週1回のワークショップへ

ところが、野球部を辞めたあとで思いがけない事実を知ります。

東海大浦安では芸能活動が禁止されていたため、すぐに仕事を始めることはできませんでした。

卒業を待つあいだにできた準備は、週1回程度、お芝居のワークショップへ通うことでした。

野球への気持ちも簡単には消えず、本人はもう一度野球部へ戻りたいと頭を下げる夢を何度も見たと振り返っています。

その一方で、放課後は友人と出かけ、お芝居のワークショップにも通いながら、残りの高校生活を過ごしました。

野球部を辞めた時点と、実際に芸能の仕事を始めた時点には時間の隔たりがありました。

友人と過ごした高校3年生、留学と経営学部への進路

高校3年生になると、体育祭の最後にクラスメイトと円陣を組んで校歌を歌ったり、友人たちと出かけたりと、学校で過ごす時間を楽しんでいました。

朝から学校のベランダで焼肉をしてクラスメイトへ振る舞ったことや、仲の良い友人と夜行バスでユニバーサル・スタジオ・ジャパンへ遊びに行ったこともあったそうです。

進路については、芸能の世界だけで生活できる保証がないことも考え、大学へ進学する道を選びました。

高校3年生で留学を経験していたこともあり、大学では経営を学びたいと考えて経営学部を志望しています。

系列校では成績順に志望学部を選べる仕組みがあったため、希望を通すために勉強にも力を入れたと話しています。

また、『テニミュ』公式サイトに掲載された当時のプロフィールでは、特技として英会話を挙げていました。

高校3年生での留学経験とあわせると、学生時代から海外や英語に触れる機会があったことも分かります。

卒業式の数日前には自宅へ友人たちを集めてバーベキューを開き、楽しかった高校生活が終わる寂しさから、友人の前で泣いてしまったこともありました。

2012年3月、東海大浦安を卒業し、芸能活動を始められる時期を迎えました。

大学進学後、『テニミュ』で俳優デビュー

高校を卒業して大学へ進むと、それまで学校の規則で止まっていた芸能活動を始められるようになりました。

ただ、木村さん自身はこの時点まで「芸能界へ行きたい」と「俳優になりたい」を同じ意味では考えていませんでした。

高校卒業で芸能活動が解禁

高校時代にお芝居のワークショップへ参加していたものの、仕事として芸能活動を始めたのは大学進学後です。

2021年のインタビューでは、高校生だったころの気持ちについて、次のように話しています。

芸能界の仕事というだけで、役者を目指していたわけではなかった

出典:Musical Theater Japan「『The Last 5 Years』木村達成インタビュー:二つの視点から描く、一つの愛。」(2021年4月27日)

将来、会社でパソコンに向かったり営業をしたりする自分をうまく想像できず、自分のしたことで人が笑顔になる仕事や、人へ何かを与えられる仕事をしたいと考えて芸能の世界へ入ったといいます。

その木村さんが最初に受けたのが、ミュージカル『テニスの王子様』のオーディションでした。

高校時代のワークショップで演技には触れていたものの、ここから初めて仕事として歌い、踊り、芝居をする日々が始まります。

海堂薫役をつかんだ2012年のオーディション

オーディションを勝ち抜き、木村さんは青春学園中等部2年生の海堂薫役に選ばれました。

2012年10月、『テニミュ』2ndシーズンで俳優デビューを果たします。

『テニミュ』公式の当時のキャスト紹介でも、木村さんについて「今作が本格的なデビュー作」と紹介されていました。

最初から俳優を目標にしていたわけではありませんでしたが、歌い、踊り、芝居をする舞台に立ったことで、本人は演じることの面白さにはまっていったと後年に話しています。

海堂役としての活動は約2年半に及び、2014年11月の『Dream Live 2014』で青学7代目キャストとして『テニミュ』を卒業しました。

卒業公演では、乾貞治役の稲垣成弥さんと楽曲を披露している最中に、木村さんが感極まって涙を流した場面もありました。

本人は後年、長く一緒に過ごしたキャストと別々の道へ進む寂しさが涙になったと振り返っています。

同年代の俳優たちに負けたくないという気持ちを強く持っていた一方、長い時間を一緒に過ごしたキャストは、本人が「家族みたいな関係」と表現するほど特別な仲間になっていました。

『ハイキュー!!』影山飛雄が俳優としての転機に

『テニミュ』を卒業した翌年の2015年、木村さんはハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!!』で影山飛雄役を演じ始めました。

影山は木村さんの代表的な役のひとつとなり、本人自身も後年、この舞台を俳優としての転機に挙げています。

影山役を強く望んで臨んだオーディション

木村さんが『ハイキュー!!』の原作を初めて読んだのは、舞台のオーディションの話を受けたときでした。

読み進めるうちに影山飛雄へ引き込まれ、自分が演じたい役として強く意識するようになります。

やっぱりやりたい役は影山だったし、この役をやってみたい! と思っていました。

出典:SPICE「ハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!!』の日向役須賀健太さんと、影山役木村達成さんを直撃インタビュー!」(2015年8月19日)

バレーボールは高校の授業やスポーツ大会で経験した程度で、部活動として長く取り組んだ競技は野球でした。

本人は高校でバレーボールをした際には、アタッカーのほうが爽快で、セッターを選ぼうとは思わなかったとも振り返っています。

ところが『ハイキュー!!』を読んだことで、試合を組み立てるセッターという役割にも面白さを感じるようになりました。

それでも原作を読みながら影山へ自分を重ね、オーディションでは自分のしていることに自信を持つよう心がけたと話しています。

野球少年だった木村さんが、今度はバレーボールに打ち込む高校生を舞台上で演じることになりました。

影山として舞台に立った時間が自信へ

木村さんは2015年の初演から影山飛雄を演じ、再演や続編にも出演しました。

2017年の『ハイキュー!!』“勝者と敗者”では、影山にとって越えるべき相手である及川徹との対決が描かれ、木村さん自身も心身ともに負荷の大きい公演だったと振り返っています。

この“勝者と敗者”をもって、木村さんは影山飛雄役を卒業しました。

大千秋楽では最後まで笑顔で観客へ感謝を伝えたあと、舞台裏へ戻った瞬間に涙を流したことも、後年のインタビューで語っています。

さらに2021年、転機になった作品を聞かれた木村さんは『ハイキュー!!』を挙げました。

影山で居続けることが自信につながったのかもしれません。

出典:めざましmedia「【眼福♡男子】木村達成 ミュージカル界で躍進中『自分の“刃”は常に研ぎ続けていたい』」(2021年9月9日)

影山飛雄は、人気作で演じた代表的な役というだけでなく、本人が自信につながったと語る役でもあります。

木村さんにとって『ハイキュー!!』は、2.5次元作品で経験を積んだ時期を代表するだけではなく、その先の舞台へ進む前に手応えを得た作品になりました。

2.5次元からグランドミュージカルへ|『ラ・カージュ』で広がった俳優人生

『ハイキュー!!』で影山役を卒業した翌年、木村さんはそれまでとは異なる大きな舞台へ進みました。

2018年、日生劇場で上演された『ラ・カージュ・オ・フォール~籠の中の道化たち~』への出演です。

2018年『ラ・カージュ・オ・フォール』で新しい舞台へ

木村さんが演じたのは、鹿賀丈史さん演じるジョルジュの息子ジャン・ミッシェルでした。

この作品が、木村さんにとってグランドミュージカル初出演となりました。

本人はこの世界へ入る前からミュージカルが好きで、俳優デビュー後も関心を持っていました。

ただ、念願のグランドミュージカルへ出演することになっても、歌やダンス、芝居に足りない部分があると感じ、出演に向けてボイストレーニングへ取り組んでいます。

レッスンでは『ラ・カージュ』の曲を録音し、以前の歌声と聞き比べながら変化を確認していました。

先生から受けた注意を譜面へ書き込み、同じ注意を次のレッスンでは受けないよう意識していたことも明かしています。

この出演が決まった2018年のインタビューでは、日生劇場に立てる喜びを語る一方で、次は帝国劇場にも立ってみたいという目標も口にしていました。

2.5次元作品で経験を重ねた木村さんは、2018年からグランドミュージカルへ出演するようになりました。

『ロミオ&ジュリエット』『エリザベート』、初主演へ続く道

2019年には『ロミオ&ジュリエット』でベンヴォーリオ、『エリザベート』で皇太子ルドルフ、『ファントム』でフィリップ・シャンドン伯爵を演じました。

『エリザベート』では帝国劇場の舞台にも立ち、2.5次元作品を中心としていたデビュー当初とは異なる作品群へ出演の場を広げています。

『ラ・カージュ』出演前に語っていた「帝国劇場に立ちたい」という目標は、翌2019年の『エリザベート』で現実のものになりました。

2018年ごろからミュージカルを主な活動の場のひとつとするようになり、作品ごとに歌やダンス、芝居へ向き合う比重も大きくなっていきました。

2020年には音楽劇『銀河鉄道の夜2020』でジョバンニを演じ、舞台初主演を務めました。

『銀河鉄道の夜2020』以降は、ミュージカルとストレートプレイの双方で主演を担う作品が増えていきました。

舞台で培った経験はテレビドラマなど映像の仕事にも広がり、活動の入り口だった『テニミュ』とは異なる作品や役にも数多く向き合うようになりました。

16歳で「表に立ってみたい」と考えたときには、まだ俳優という仕事まで明確に決めていなかった木村さんですが、『テニミュ』で芝居に出会い、『ハイキュー!!』で自信を得たあと、異なるジャンルの舞台へ一作ずつ進んでいきました。

『銀河鉄道の夜2020』で初主演を務めたころには、海堂薫や影山飛雄だけではない役を担う俳優として、その仕事の幅は大きく広がっていました。