平山祐介の生い立ち|若い頃の会社員時代からパリコレモデル、俳優になるまで

平山祐介の似顔絵風イラストと、若い頃の会社員時代からパリコレモデルを経て俳優へ進んだ歩みをまとめたビジュアル

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
ひらやまゆうすけ
カテゴリー
男性俳優
出身地
埼玉県
生年月日
1970年11月15日
芸能活動開始
1995年
俳優デビュー
2001年
デビューのきっかけ
モデル

映画『キングダム』シリーズの蒙武役など、大柄な体格を生かした役でも知られる俳優・平山祐介さん。

俳優として数多くのドラマや映画に出演していますが、若い頃から俳優を目指していたわけではありません。

大学時代にモデル事務所へ入ったものの、卒業後はいったん一般企業へ就職し、約2年間の会社員生活を送っています。

その後、会社を辞めて24歳で単身パリへ渡り、1995年にはパリ・コレクションへ進出しました。

さらに、海外モデルとして活動していたときの映像がきっかけとなり、2001年のフランス映画『SAMOURAIS』で初めて演技の仕事を経験します。

今回は、そんな平山祐介さんの生い立ちや家族、学生時代、会社員からパリコレモデルへ進んだ経緯、俳優になったきっかけやその後の転機をご紹介します。

平山祐介の生い立ち|鴻巣で育った子ども時代と学生時代

平山祐介さんは1970年11月15日生まれ、埼玉県出身です。

鴻巣市では2014年から「こうのす観光大使」を務めており、本人も鴻巣を自分が育った街として紹介しています。

後に一人で海外へ渡る経歴からは大胆な性格を想像しやすいものの、子どもの頃の本人はむしろ慎重なタイプだったそうです。

「石橋を叩いても渡らない」ほど慎重だった子ども時代

平山さんは2020年のインタビューで、幼い頃の自分について振り返っています。

僕は石橋を叩いても渡らない子だった

出典:Pen Online「俳優・平山祐介が語る、新感覚SF映画『テネット』と、ハミルトンの腕時計。」(2020年9月24日)

大人になってからの選択については過去へ戻ってやり直したいことはない一方、子どもの頃については、もう少し挑戦してもよかったと話していました。

その後の経歴では、会社を辞めて海外へ渡るなど大きな決断を重ねていますが、もともと何でも迷わず飛び込む子どもだったわけではありません。

野球・サッカー・モトクロス、バイクで北海道を一周した学生時代

学生時代には野球、サッカー、モトクロスを経験していました。

後にモデルや俳優として身体を使う仕事をすることになりますが、この頃から一つの競技だけではなく、さまざまなスポーツに触れていたことが分かります。

学生時代には、バイクで北海道を一周したこともありました。

北海道を回ったときの主な持ち物は、寝袋と水筒に入れたウイスキーだったと本人が振り返っています。

その後もバイクは平山さんの趣味の一つとして続いています。

慎重だったという子ども時代から少しずつ行動範囲が広がり、大学では将来の仕事につながる出会いもありました。

日本大学で友人に誘われ、モデル事務所へ

大学は日本大学生産工学部機械工学科へ進学しました。

モデルの世界と接点を持ったのは、この大学時代です。

友人から誘われたことをきっかけにモデル事務所へ所属し、学生のうちから仕事を始めました。

ただし、当時の仕事は年間に1、2回ほどだったと本人が振り返っています。

大学4年生になると、そのままモデルを続けるのか、大学卒業後に就職するのかを決める時期がやってきました。

ここでモデル一本に進んだわけではなく、平山さんは一度、一般企業で働く道を選びます。

平山祐介の家族|モデルの道に反対した両親と父親への思い

平山さんの生育家族については、父親や母親の職業などを詳しく公表しているわけではありません。

一方で、進路を決めた大学卒業時や、30代になってモデルという仕事を考え直した時期の発言には、両親や父親の存在が登場します。

また、故郷の鴻巣について語った言葉からも、家族が暮らす地元への思いが伝わります。

鴻巣を「心の支えとなる家族や友人が住む街」と語る

平山さんは埼玉県鴻巣市で育ち、2014年10月には「こうのす観光大使」に任命されています。

鴻巣市公式サイトには、平山さん自身から寄せられたメッセージが掲載されています。

私が育った街、心の支えとなる家族や友人が住む街は、私の誇りです。

出典:鴻巣市「こうのす観光大使を紹介します」(2026年7月6日更新)

1990年代から長く海外を拠点に仕事をした平山さんにとっても、鴻巣は家族や友人が暮らす場所として残り続けていました。

両親にも事務所にも就職を勧められ、大学卒業後は会社員に

大学卒業が近づいた頃、平山さんはモデルを続けたい気持ちを持っていました。

しかし、当時はモデルとして十分な仕事を得られていませんでした。

所属していた事務所からは就職を勧められ、両親からもモデルを続けることに反対されたと本人が話しています。

そこで大学卒業後は、コンピューター関連の会社へ就職しました。

モデル事務所へ入ったことが芸能活動との最初の接点ではありましたが、この時点ではまだモデルだけで生活していたわけではありません。

30代で「ただ立つだけなら父親の方がかっこいい」と考えた

父親の存在は、平山さんが30代になり、モデルとして年齢を重ねることを考えたときにも登場します。

若い頃なら外見だけでも成立する場面がある一方、年齢とキャリアを重ねれば、その人自身の経験が表現に見えてこなければ薄く感じるようになったと話しています。

その頃に考えていたのが、ただモデルとして立っているだけなら、自分の父親の方がかっこいいということでした。

俳優として経験したことをモデルの仕事へ持ち帰るようになったのも、こうした考えを持つようになってからです。

ただ、そこへ至る前に、平山さんにはモデルとして一度やってみたかったことが残っていました。

平山祐介の若い頃|会社員を辞め24歳でパリコレへ

大学卒業後に就職した平山さんは、会社員として約2年間働きました。

職場が嫌だったから辞めたわけではなく、本人によれば仕事も職場の人たちとの時間も楽しかったそうです。

それでも、モデルへ挑戦しなかったことを後から悔やむ可能性が、次第に気になっていきました。

2年間の会社員生活を経て「後悔したくない」と退職

会社員を続けながらも、平山さんの中には「やっぱりモデルをやってみたい」という思いが残っていました。

2年間迷った末、会社を辞めてモデル事務所へ戻ります。

後悔するのが嫌だなと思った

出典:radiko news「平山祐介『後悔するのが嫌だなと思った』サラリーマンからモデルに転身した過去」(2024年7月6日)

モデルとしてやるのであればトップの舞台へ挑戦したいと考え、海外を視野に入れました。

24歳で単身パリへ向かうことになります。

初めてのファッションショーでジャン=ポール・ゴルチエと出会う

会社を辞めてモデル事務所へ戻った後、初めて出演したファッションショーは、国内の洋服メーカーによる新人デザイナーのコンテストでした。

その会場には、審査員としてフランスのファッションデザイナー、ジャン=ポール・ゴルチエが来ていました。

平山さんはもともとゴルチエが好きだったこともあり、初めてのショーながら本人の姿ばかり見ていたそうです。

ショー後のパーティーでは、そのゴルチエ本人から「パリに行かないのか」という趣旨で声をかけられ、パリのモデル事務所も紹介されました。

数か月後、平山さんは紹介されたモデル事務所の住所を自分で調べ、一人でパリへ向かいます。

1995年にはパリ・コレクションへ進出しました。

ゴルチエのショーには選ばれず、それでもパリに残ってモデルへ

ただし、この経歴は「ゴルチエに見いだされ、そのままショーへ出演した」という単純なものではありません。

パリでゴルチエのオーディションを受けた平山さんは、本人から日本で声をかけられていたため、自分は出演できるものと思っていたそうです。

ところが、オーディションでは服を着て歩く段階まで進まず、ゴルチエから勧められたイチゴを食べてそのまま終了しました。

待っても連絡は来ず、そこで初めて不採用だったと気づきます。

それでも同時に受けていた別のオーディションで仕事が決まり、パリに残ってモデルとしての活動を始めることができました。

後年、ゴルチエとの出来事を振り返った平山さんは、ショーに選ばれたかどうかとは別に、あの時パリへ行くこと自体が必要だったと話しています。

このときパリに行くということが、タイミングとしてすごく必要だった

出典:J-WAVE NEWS「モデル・俳優の平山祐介、過去に『あなたはムリだから就職しなさい』と言われていた」(2018年12月13日)

1日約10件のキャスティングを回った海外モデル時代

24歳でパリへ渡ってから約8年間、平山さんはパリ、ミラノ、ニューヨーク、ロンドン、東京などを行き来しながらモデル活動を続けました。

華やかなコレクションの舞台に立つ一方、その仕事を得るまでの日常は地道なものでした。

パリでは1日に10件ほどのキャスティングを回っていたといいます。

スマートフォンのない時代だったため、紙の地図へ印をつけ、どの順番で移動すれば効率よく回れるのかまで考えていました。

移動費、滞在費、食費なども基本的に自分で負担し、オーディションに受かって初めて報酬につながる生活でした。

大学時代にモデル事務所へ所属 → 大学卒業後に就職 → 約2年間の会社員生活 → 24歳で単身渡仏 → 1995年にパリコレ進出、という順序です。

そして、この海外モデル時代に撮られた映像が、平山さんを別の仕事へ連れていきます。

平山祐介のモデル時代から俳優へ|フランス映画で演技を始める

平山さんの場合、モデルとして芸能の世界へ入った時期と、俳優として演技を始めた時期は同じではありません。

海外モデルとして活動していた平山さんに俳優の仕事が届いたのは、パリへ渡ってから数年後のことでした。

平山祐介さんは大学時代からモデルの仕事を経験していますが、俳優デビューは2001年です。

パリコレの映像から声がかかり『SAMOURAIS』で俳優デビュー

きっかけになったのは、平山さんがモデルとして出演していたパリコレの映像でした。

その映像を見たフランス映画の関係者からオファーを受け、2001年のフランス映画『SAMOURAIS』へ出演します。

『SAMOURAIS』が平山さんの俳優デビュー作となりました。

俳優になるために日本で演技のオーディションを受け続けていたのではなく、モデルとして海外で積み重ねていた仕事が、最初の映画出演につながった形です。

平山さんはその後もモデルを辞めたわけではなく、モデルと俳優の両方を続けていきます。

2003年に日本へ拠点を移し『TRUNK』『Dr.コトー診療所』へ

2003年になると、平山さんは活動拠点を日本へ移しました

日本での初期作品には、青山真治監督によるインターネットドラマ『TRUNK』があります。

その後は『Dr.コトー診療所』をはじめ、日本のテレビドラマや映画へ出演する機会が増えていきました。

海外モデルとしてファッションショーや撮影の現場を経験してきたものの、俳優としては30代に入ってから新しく覚えることも多かったといいます。

モデルは現場へ入って短時間で服や状況へ対応する瞬発力が求められる一方、俳優は衣装合わせやリハーサルなど事前に準備できる点が違うと、後年のインタビューで話しています。

俳優として経験を重ねるうちに、そこで得たものをモデルの表現にも持ち帰るようになりました。

『海猿』の役作りから本格的な身体づくりを始める

平山さんといえば、185cmの長身と鍛えられた身体を生かした役も印象的です。

学生時代には野球やサッカー、モトクロスを経験し、モデル時代にも身体を整えるためのトレーニングは行っていました。

一方、仕事のための本格的な身体づくりが始まった大きなきっかけとして本人が挙げているのが、2006年の映画『LIMIT OF LOVE 海猿』への出演です。

役作りのため、本格的にトレーニングへ取り組むようになりました。

その後も、役に必要な場合はトレーニング量を増やし、単に筋肉を大きくするのではなく、動ける身体を意識してきたと話しています。

この身体づくりは、後に大柄な武将を演じる仕事でも必要になります。

俳優を辞めることまで考えた40歳|『ワイルド7』から『キングダム』蒙武へ

フランス映画で俳優デビューし、日本へ戻ってからも出演作を重ねた平山さんですが、ずっと迷いなく俳優を続けていたわけではありません。

30代半ばから後半にかけて、自分が俳優という仕事に向いているのか分からなくなった時期がありました。

その状態で40歳を迎えた頃に参加した作品が、映画『ワイルド7』でした。

30代後半、「俳優に向いていないのでは」と迷っていた

平山さんは当時について、かなり具体的に振り返っています。

自分ってこの仕事向いてないのかな?

出典:radiko news「平山祐介さん『撮影現場にはダンベル!水分補給はプロテイン⁉』」(2024年7月13日)

俳優を辞めることも頭をよぎり、海外モデル時代に関わりのあったファッションの世界で別の仕事をすることまで考えていたそうです。

俳優を続けるかどうかまで迷っていた時期に、『ワイルド7』の撮影へ入ります。

『ワイルド7』の撮影を終え、俳優を続けることを決める

平山さん自身が俳優としてのターニングポイントに挙げているのが、40歳の頃に撮影した映画『ワイルド7』です。

撮影は2〜3か月ほど続き、その期間を本人はとても楽しく過ごしたと振り返っています。

俳優を辞める可能性まで考えながら入った現場でしたが、撮影を終えた頃には「やっぱりやっていこう」と思えるようになっていました。

演技をしても「あのシーンはあれでよかったのか」「もっとできたのではないか」と悩んでいた平山さんは、表現する側は完成後も迷い続けるものだという話を現場で聞き、少し気持ちが楽になったとも話しています。

2001年に偶然に近い形で始まった俳優という仕事を、40歳の頃にあらためて続けることを選びました。

『キングダム』の蒙武へ|モデルと俳優を続けた先の身体表現

その後の平山さんを代表する役の一つが、実写映画『キングダム』シリーズの秦国将軍・蒙武です。

2022年公開の『キングダム2 遥かなる大地へ』から蒙武を演じています。

意外にも、蒙武役のオファーを受けた時点では、まだ原作を読んでいなかったと本人が明かしています。

当時はまだ『キングダム』を読んでいなかったので、知らなかったんですよ。

出典:OCEANS「蒙武役の平山祐介が語る『キングダム』の魅力。魂震わす名武将 BEST 3を熱弁!」(2022年7月21日)

役を調べてみると、自分と蒙武の顔が似ていると感じたそうです。

その後は原作を読み込み、蒙武だけでなく王騎など好きな武将について熱く語るほど作品へ入り込んでいきました。

蒙武を演じるうえでは、それまで続けてきたトレーニングもさらに役に合わせて変化しました。

『キングダム 大将軍の帰還』の撮影時には、撮影当時の体重を普段より10キロ弱増やしたと本人が明かしています。

肩、背中、腕を中心にウエイトトレーニングを行い、食事量も増やしながら蒙武の体格を作っていました。

2026年公開の『キングダム 魂の決戦』でも、平山さんは引き続き蒙武を演じています。

会社員からパリコレモデルへ進み、モデルの映像をきっかけに始まった俳優活動は、40歳の頃の迷いを経ても続きました。

学生時代から触れてきたスポーツ、海外モデル時代の経験、俳優になってから続けた身体づくりを重ねながら、平山さんは蒙武のような大柄な役にも向き合っています。