PROFILE
人物プロフィール
映画『クローズZERO』のリンダマン役や『新宿スワン』の関玄介役など、長身を生かした迫力のある役で強い印象を残してきた俳優の深水元基さん。
1980年1月20日に東京都で生まれましたが、子どものころから俳優を目指していたわけではありません。
少年時代に本気で取り組んでいたのは水泳で、中学生になると全国大会やジュニアオリンピックへ出場するほどの選手になっていました。
高校卒業後も芸能界ではなく水泳に関わる進路を考えていましたが、18歳で受けたスカウトをきっかけにモデルを始めたことから、人生の方向が変わります。
今回は、そんな深水元基さんの生い立ちや家族、学生時代、若い頃のモデル活動、芸能界へ入ったきっかけ、俳優として最初の仕事、『クローズZERO』や『新宿スワン』に至るまでをご紹介します。
深水元基の生い立ち|東京で育ち水泳選手を目指した少年時代
深水元基さんは東京都で生まれ育ち、子どものころから周囲より背が高かったそうです。
小学6年生の時点ですでに身長は170cm近くありましたが、このころ夢中になっていたのは芸能活動ではなく水泳でした。
小学生から水泳に打ち込み全国大会・ジュニアオリンピックへ
小学生のころから水泳を続け、中学生になると競技の舞台は全国レベルまで上がっていきました。
全国大会だけでなくジュニアオリンピックにも出場しており、本人の中にはオリンピックを目指す気持ちもあったといいます。
「目指せ、オリンピック!という感じでした」
出典:テレ朝NEWS「深水元基 『クローズZERO』のリンダマン役で話題に!『俺じゃないでしょう?って…(笑)』」(2026年4月10日)
都大会では2位に入り、全国大会では16位という成績も経験しました。
深水元基さんの少年時代は、水泳で都大会2位、全国大会16位、さらにジュニアオリンピック出場まで進んだ競技中心の生活でした。
全国大会16位を経験し中学時代に水泳をやめる
全国大会まで進んだ経験は、そのまま競技を続ける理由にはなりませんでした。
全国で16番という自分の位置から、オリンピックへ出場できる選手との距離を考えたそうです。
全国のレベルを実際に経験したうえで、中学生のうちに水泳競技をやめました。
全国大会まで進んでから別の道を考えたため、高校へ入った時点では次に目指したい職業がはっきり決まっていたわけでもありませんでした。
高校時代は映画を見て「映画手帳」をつけていた
水泳から離れた高校時代には、後の俳優活動につながる別の習慣が生まれています。
もともと映画が好きで、高校生のころから見た作品を「映画手帳」へ記録するようになりました。
当時は映画館へ何度も通えるほどお金に余裕がなかったため、レンタルを利用して新しい作品から昔の作品まで幅広く見ていたそうです。
ただし、この時点でも映画を仕事にしたいと考えていたわけではありません。
中学までは全国レベルの水泳選手で、高校では映画を大量に見るようになりましたが、この時期の深水元基さんはまだ俳優を進路として選んでいませんでした。
深水元基の家族|父親・母親と祖母、深水三章との親子説
深水元基さんの両親は芸能活動をしている人物ではなく、本人も父親と母親について一般の方であることを明らかにしています。
一方で、同じ「深水」という名字から、俳優の深水三章さんと女優の萩尾みどりさんの息子ではないかという説が広がったことがありました。
父親・母親は芸能人ではない|深水三章・萩尾みどりとの親子説を本人が否定
深水元基さんは、深水三章さんと萩尾みどりさんの息子ではありません。
2013年8月には本人がXでこの説に直接触れ、自分の両親は一般の父親と母親だと説明しています。
父親や母親の名前、職業などを本人が詳しく公表している資料は見当たりませんが、少なくとも芸能人の深水三章さんと萩尾みどりさんが両親という情報は本人によって否定されています。
俳優の深水三章さんは「しんすい さんしょう」と読み、深水元基さんの「ふかみ」とは名字の読み方も異なります。
89歳でiPadを使っていた祖母とのエピソード
両親について詳しい話は多くない一方、本人の公式ブログには祖母との小さなエピソードが残されています。
ある投稿では、89歳だった祖母がiPadを使い、数字を順番にタッチするゲームを楽しんでいたことを紹介していました。
そのときのベストタイムまで記しており、祖母の元気な様子をそのまま伝える短い投稿になっています。
家族について多くを語ってきた人物ではありませんが、公式ブログにはこうした日常の一場面も残されています。
深水元基の若い頃|専門学校から18歳でモデルへ
中学時代に競技としての水泳をやめても、水泳との縁が完全になくなったわけではありませんでした。
高校を卒業したあとは、水泳に関わる仕事へ進むことを考えていました。
高校卒業後は水泳インストラクターを考えて専門学校へ
高校卒業後に選んだのは、水泳のインストラクターを目指せる専門学校でした。
中学生で競技生活には区切りをつけましたが、卒業後の仕事としては水泳に関わる道を思い描いていたことになります。
俳優やモデルを目指すために専門学校へ入ったわけではなく、そのころは水泳インストラクターになる可能性を考えていました。
その進路が大きく変わったのが18歳のときです。
18歳でスカウトされ「バイト感覚」でモデルを始める
専門学校へ通っていたころ、街で声をかけられたことをきっかけにモデルの仕事を始めることになりました。
スカウトされた際に渡された名刺の裏を見ると、知っている有名人の名前が多数載っていたそうです。
そのため話を受けてみることにしましたが、本人の感覚は芸能界へ人生を懸けるというものではありませんでした。
「バイト感覚でモデルを始めました」
出典:テレ朝NEWS「深水元基 『クローズZERO』のリンダマン役で話題に!『俺じゃないでしょう?って…(笑)』」(2026年4月10日)
芸能界へ入るきっかけは18歳のスカウトでしたが、最初から芸能界で生きていくと決めていたわけではありません。
本人はモデルをずっと続けられるとも考えておらず、学生生活と並行して始めた仕事という位置づけでした。
『MEN’S NON-NO』に登場したモデル時代
モデルとしては、男性ファッション誌『MEN’S NON-NO』などに登場しました。
本人の公式ブログには、後年になって18歳当時の『MEN’S NON-NO』を見つけ、モデル時代を振り返った投稿も残されています。
当時はアフロヘアやドレッドヘアにするなど、髪型でも遊んでいたそうです。
リンダマンをはじめ短髪や強面の役から深水元基さんを知った人にとっては、かなり印象の異なる若い頃といえます。
芸能界入りは18歳のモデル活動で、俳優として演技を始めたのはその後のため、「モデルデビュー」と「俳優デビュー」は別の時期です。
深水元基が俳優になるまで|映画好きから演技の世界へ
モデルになったあとも、深水元基さん自身が俳優への転身を希望していたわけではありませんでした。
演技の仕事へ向かう入口になったのは、モデル活動をするなかで役者への転身を持ちかけられたことでした。
モデルから「役者になってみないか」と声をかけられる
俳優の話が出たとき、本人にとって演技はそれまで進路として考えていなかった世界でした。
「考えてもなかった世界だなと思って」
出典:テレ朝NEWS「深水元基 『クローズZERO』のリンダマン役で話題に!『俺じゃないでしょう?って…(笑)』」(2026年4月10日)
それでも高校時代から映画を大量に見てきたため、映画が好きなら一度やってみようという気持ちで演技の世界へ進みました。
水泳インストラクターを考えていた青年が、モデルを経由して俳優になるという流れは、本人にとっても当初の計画にはなかったものでした。
2000年にテレビで演技、2001年『ショコキ!』で映画へ
俳優としての初期の仕事として確認できるのが、2000年のフジテレビ系ドラマ『らぶ・ちゃっと』です。
日本タレント名鑑でも『らぶ・ちゃっと』がデビュー作として記録されています。
翌2001年には映画『ショコキ!』に出演し、映画での演技も始まりました。
モデルとして芸能界へ入ったのは18歳ですが、演技の仕事はそこから少し時間を置いて始まっています。
深水元基さんは18歳でモデル活動を開始し、2000年にテレビドラマへ出演、2001年に映画へ初出演したという順番でキャリアが進んでいます。
思うように芝居ができず将来に不安を抱えた新人時代
モデルから俳優になったからといって、演技の仕事がすぐに自分のものになったわけではありませんでした。
後にアウトロー役を多く演じるようになった深水元基さんですが、新人時代は不良の芝居でさえ難しいと感じていたそうです。
短期間で結果を出す同世代の役者を見ると、その人たちの勘の良さや華を感じ、自分が同じようになれるのかという不安もありました。
俳優へ転身した時点で、自分はこの仕事でやっていけると確信していたわけではありません。
それでもドラマや映画への出演を重ねるなかで、2007年に大きな役との出会いが訪れます。
『クローズZERO』リンダマン役が深水元基の大きな転機に
2007年に公開された映画『クローズZERO』で、深水元基さんは林田恵、通称リンダマンを演じました。
原作でも最強クラスの人物として知られる役で、検索でも深水元基さんとリンダマンを結びつけて調べる人が多い代表的な役です。
オーディションで決まっても「俺じゃないでしょう?」
リンダマン役はオーディションで決まりました。
会場には大柄な候補者が集まり、バスケットボール選手や格闘家も参加していたといいます。
そのなかで演技も含めて深水元基さんが選ばれましたが、本人はすぐに喜べたわけではありませんでした。
「いや、俺じゃないでしょう?」
出典:テレ朝NEWS「深水元基 『クローズZERO』のリンダマン役で話題に!『俺じゃないでしょう?って…(笑)』」(2026年4月10日)
『クローズ』の原作は高校時代から教室で回し読みされるほど身近な漫画だったため、リンダマンという役の大きさを本人自身がよく知っていました。
自分だと分からない方がいいのではないかと考え、監督へ相談してパーカーのフードをかぶって登場する形にもしています。
憧れていた役を積極的に取りにいったのではなく、配役された本人の方が「自分ではない」と感じていたところからリンダマン役は始まりました。
肉襦袢とカツラを使って作り上げたリンダマン
最初の『クローズZERO』では撮影がすでに始まっていたため、リンダマンの大きな体を作る時間が十分にありませんでした。
そこで肉襦袢を入れ、髪もカツラを使って役の外見を作っています。
続編『クローズZERO II』の話が出ると、自分の髪を伸ばし、体も大きくして撮影に備えました。
それでも2作目では再び肉襦袢を使用し、2014年の『クローズEXPLODE』でようやく肉襦袢なしでリンダマンを演じています。
本人は3作目で自分の体が役へ「ようやく追いついた」という感覚があったと振り返っています。
最初から完成した体格でリンダマンを演じたのではなく、シリーズを重ねながら本人自身も役の体へ近づいていきました。
「名刺代わり」の役となり強い人物の役が増える
『クローズZERO』での出演時間は長くありませんでしたが、リンダマンの印象は強く残りました。
作品から長い時間がたっても、街などでリンダマンかと声をかけられることがあると本人は話しています。
「今でも名刺代わりになっている役ですね」
出典:テレ朝NEWS「深水元基 『クローズZERO』のリンダマン役で話題に!『俺じゃないでしょう?って…(笑)』」(2026年4月10日)
リンダマンを演じてからは、強そうな人物や敵役として起用される仕事が増えました。
モデル時代の長身が画面上の個性となり、そこへリンダマンの印象が加わったことで、その後のキャスティングにも変化が生まれています。
ただし、代表的な役を得たことと、本人が俳優を一生の仕事として受け入れることは同じタイミングではありませんでした。
『新宿スワン』で俳優として続ける覚悟が固まった
リンダマン役で広く知られるようになったあとも、深水元基さんの中には俳優として続けていけるのかという迷いが残っていました。
その迷いが大きく変わっていった時期として本人が挙げているのが、2015年前後です。
俳優になった後も「続けていけるのか」と悩んでいた
2015年には藤井道人監督の映画『7s セブンス』に主演しました。
作品にはモデルから次の段階へ進もうとする人物が登場し、脚本には深水元基さん自身がモデルから役者へ転身したころの経験も反映されたそうです。
モデルをやめて俳優になったものの芝居が思うようにできず、このまま続けていけるのかと感じていた時期が実際にありました。
『クローズZERO』の公開からすでに数年が過ぎていましたが、代表作を持つことだけでは本人の迷いは完全には消えていませんでした。
俳優として知られるようになってからも、「この仕事で生きていく」という覚悟が固まるまでには時間がかかっています。
2015年の関玄介役で俳優業を続ける覚悟へ
同じ2015年に出演した『新宿スワン』では、スカウト会社「バースト」の幹部・関玄介を演じました。
派手な衣装とアクセサリーを身につけ、力で相手を圧倒する関は、リンダマン以降に増えた強い男の役ともつながる人物でした。
しかし本人にとって重要だったのは役柄の強さだけではなく、この作品を演じたころに仕事への気持ちが変わったことでした。
「もう後戻りできねえな。これ(俳優業)でやっていく」
出典:テレ朝NEWS「深水元基 コワモテ役で圧倒的な存在感を発揮!」(2026年4月14日)
『新宿スワン』のころ、深水元基さんの中で俳優業を続けていくという覚悟が固まりました。
水泳インストラクターを考えていた18歳でスカウトされ、モデルから予想していなかった演技の世界へ入り、リンダマンという役を経てもなお続いていた迷いに、自分なりの答えを出した時期でした。
2000年に演技の仕事を始めてから約15年を経た2015年、深水元基さんは『新宿スワン』の関玄介役を演じるなかで、俳優として進み続けることを自分の仕事として受け入れました。















