PROFILE
人物プロフィール
日曜劇場『VIVANT』で、阿部寛さん演じる野崎守を支えるドラム役を演じた富栄ドラムさん。
言葉を発さず、スマートフォンの音声を使いながら表情や動きでコミュニケーションを取る姿が印象に残った人も多いのではないでしょうか。
ところが、その経歴をさかのぼると、俳優になる前は伊勢ヶ濱部屋に所属し、約13年間にわたって大相撲の力士として土俵に立っていました。
さらに子どものころに目指していたのは力士ではなく、アメリカのプロレス団体WWEのプロレスラーでした。
中学生のとき、校長先生のひと言から参加した相撲大会で親方と出会い、高校へ進学する道ではなく相撲部屋への入門を選んでいます。
そして力士を引退した直後には、まだ『VIVANT』に出演するずっと前から「アクション俳優」を将来の目標として口にしていました。
今回は、そんな富栄ドラムさんの生い立ちや家族、学生時代、相撲界へ入ったきっかけ、力士時代、芸能界へ進み俳優として『VIVANT』のドラム役をつかむまでをご紹介します。
富栄ドラムの生い立ち|神戸で育ちWWEに憧れた子ども時代
富栄ドラムさんは、1992年4月11日生まれ、兵庫県神戸市北区出身です。
本名は冨田龍太郎さんで、大相撲では「冨田」を経て「富栄」の四股名で土俵に上がりました。
『VIVANT』の舞台の一つがバルカ共和国で、モンゴルロケにも参加していたことから国籍を検索する人もいますが、富栄ドラムさんは神戸市出身の日本人です。
本人によれば、モンゴルを訪れたのも『VIVANT』のロケが初めてでした。
日本相撲協会の公式記録では、本名は「冨田龍太郎」、出身地は「兵庫県神戸市北区」、初土俵は2008年3月場所、最高位は幕下6枚目と記録されています。
お笑い好きの小学生、6年生でバク転を習得
『VIVANT』で見せた柔らかな笑顔とは別に、子どものころから人を笑わせることが大好きでした。
小学生時代には「学校で一番おもしろいと言われたい」と考え、好きなコントをビデオに録画していました。
それをノートへ文字起こしして覚え、学校で披露していたと本人が振り返っています。
小学生の頃から「学校で1番おもしろい」っていわれたくて
出典:HugKum「『VIVANT』“ドラム”こと富栄ドラムさん、小学生時代はお笑い大好き、バク転は挑戦して3回目でできた!家族からの「大物になる」の言葉に支えられ飛躍」(2023年12月22日)
担任の先生が、クラスで富栄さんがお笑いを披露する時間まで設けてくれたことがあったそうです。
スポーツも身近で、小学生時代にはバレーボールに取り組み、神戸市で2位になった経験もあります。
そして小学6年生になると、後に力士時代や俳優転身後にも注目されるバク転を自分で練習し始めました。
その理由は、アメリカのプロレス団体WWEのプロレスラーになることが当時の夢だったからです。
「プロレスラーになるならバク転くらいできなければ」と考え、頭の中で動きをイメージして自宅の布団の上で挑戦しました。
本人によれば、バク転はわずか3回目の挑戦で成功したそうです。
大柄な体で軽々とバク転する姿は後年もたびたび披露されましたが、その特技は力士になってから覚えたものではありませんでした。
雲雀丘中で柔道と生徒会、進路を考えた中学時代
中学校は神戸市立雲雀丘中学校へ進み、柔道部に入りました。
神戸新聞によると、神戸市中学校新人柔道大会では71キロ級と66キロ級で頂点に立っています。
身体能力だけでなく、学校では中学2年の2学期まで学級委員を務め、3学期からは生徒会副会長になりました。
柔道部でも副キャプテンを務めており、本人は後年「“副”ばっかりだった」と笑っています。
勉強では数学と英語が得意で、英語で学年2位を取ったこともありました。
親から勉強するように言われたわけではなく、中学1年の終わりごろに自分で将来を考え、塾へ通わせてほしいと頼んだそうです。
高校進学を考えられない成績だったわけではなく、柔道推薦で高校へ進む、自衛隊へ入る、勉強を続けるなど複数の進路を検討していました。
そこに、まったく別の選択肢として「大相撲」が入ってきます。
富栄ドラムの家族|両親と4歳上の姉に励まされて育つ
富栄ドラムさんが子どものころを振り返ったインタビューには、両親や姉との具体的な思い出がいくつも残っています。
特に家族から繰り返しかけられていたのが、「できる」「大物になる」という言葉でした。
進路を押しつけず、何度も褒めてくれた両親
富栄さんによれば、両親から「勉強しろ」と言われた記憶はほとんどありません。
母親はかなり心配性で、幼い龍太郎さんが少し離れただけでも大きな声で名前を呼ぶことがあったそうです。
授業参観にも「絶対に来ないで」とお願いしていたものの、母親がこっそり見に来ていたこともありました。
夜の外出や門限など安全に関する部分では厳しかった一方、進学や将来の仕事については本人の意思を尊重していました。
富栄さん自身は、家庭について「裕福じゃなかった」と振り返っています。
欲しいものが簡単には手に入らなかったため、「だったら自分で手に入れよう」と考え、子どものころから将来のことを考えるようになったと話しています。
小学3年生の芋掘りでは、家族へ持ち帰ろうと旅行用バッグに約25kgもの芋を詰め、歩いて帰ったというエピソードもあります。
重いバッグを持ち帰った龍太郎さんを、家族は「家族のためにここまでやるやつおらん」と褒めてくれたそうです。
4歳上の姉・さやかさんの「大物になる」という言葉
富栄ドラムさんには、4歳年上の姉・さやかさんがいました。
子どものころから姉は弟を繰り返し励まし、何かができると本人が戸惑うほど褒めてくれたそうです。
姉が「龍太郎は大物になる」「できるできる」と、いつも励ましてくれていました。
出典:HugKum「『VIVANT』“ドラム”こと富栄ドラムさん、小学生時代はお笑い大好き、バク転は挑戦して3回目でできた!家族からの「大物になる」の言葉に支えられ飛躍」(2023年12月22日)
本人がRKB毎日放送の番組で語ったところでは、幼いころは姉弟ともに病弱で、何度も入院を経験していました。
明るい性格だったさやかさんは、当時あまり社交的ではなかった弟を笑顔にしてくれる存在でもありました。
龍太郎さんが相撲界へ進んでからも、姉からもらった言葉は残り続けます。
しかし、幕下上位まで番付を上げて十両が見え始めていた2018年、さやかさんは30歳で病気のため亡くなりました。
富栄さんは当時について「心技体」のうち心の部分が崩れてしまったと後に明かしています。
その後の相撲生活ではケガも重なっていきますが、姉との別れと引退理由は同じものとして扱うことはできません。
2021年に現役を退いた際、本人が直接説明した大きな理由は股関節と腰の痛みでした。
高校へ進まず相撲界へ|伊勢ヶ濱部屋で過ごした13年間
富栄ドラムさんの人生を大きく変えたのは、中学時代に参加した相撲大会でした。
最初から力士を目指して大会へ出場したわけではありません。
回転ずしをきっかけに相撲大会へ、伊勢ヶ濱親方からスカウト
中学では柔道部だった富栄さんに、相撲大会へ参加する機会が訪れました。
本人がラジオで振り返った話では、校長先生から「回転ずしを腹いっぱい食べさせてくれる」と聞いたことも参加するきっかけになっています。
その大会で、後に所属することになる伊勢ヶ濱部屋の伊勢ヶ濱親方から声をかけられました。
ところが、当時の夢はWWEのプロレスラーだったため、最初は相撲界へ入る誘いを断っています。
そこで親方から伝えられたのが、相撲で体を鍛えることはプロレスラーになるための近道になるという話でした。
「絶対に行ってない。そもそも会うこともなかった」
出典:日刊スポーツ「『VIVANT』でブレークの元力士俳優富栄ドラム、角界入りのまさかの経緯を明かす」(2024年5月6日)
これは「回転ずしに釣られていなければ相撲部屋へ行っていなかったのか」と聞かれた際の答えです。
回転ずしでは約30皿を食べたと振り返っており、何気ない参加の先に相撲界との出会いが待っていました。
プロレスラーへの近道と考え、中学卒業後に相撲部屋へ
親方から声をかけられたあとも、高校へ進学して学ぶ道は選択肢として残っていました。
それでも本人は、人生をかけて体を鍛えることがプロレスラーへの近道になると考えます。
さらに、実力があれば番付を上げていける大相撲の仕組みにも魅力を感じました。
高校へ進学せず、中学校を卒業した2008年に伊勢ヶ濱部屋へ入門しました。
2008年3月場所に本名の姓である「冨田」の四股名で初土俵を踏み、その後「富栄」と名乗るようになります。
プロレスラーを目指していた少年は、ここから約13年間を相撲界で過ごすことになりました。
小柄な力士「富栄」として幕下6枚目まで昇進
日本相撲協会の記録では、富栄さんの力士時代の身長は167.9cm、体重は122kgです。
大相撲の力士としては小柄な体格でしたが、稽古と増量を続けながら番付を上げました。
神戸新聞が力士時代から続けてきた取材によれば、入門から2年ほどで体重は30kg以上増え、100kgに達しています。
負けた取組のあとに号泣し、記者が話しかけられないこともあったほど勝敗への思いは強かったといいます。
本人は相撲界で過ごした13年間を「修行」のようだったと表現し、すぐに結果を求めるのではなく「3年後」を見据えて稽古を続けていました。
2018年11月場所には自己最高位となる東幕下6枚目まで昇進しました。
幕下の上位まで進み、関取となる十両は遠い世界ではなくなっていました。
富栄は2008年3月場所に初土俵を踏み、2018年11月場所に最高位の東幕下6枚目へ到達し、2021年3月場所で現役を退きました。
日馬富士の付け人として身につけた「気遣い」
自分の取組や稽古と並行して、富栄さんは横綱や関取の身の回りを支える付け人も務めています。
伊勢ヶ濱親方の付け人を経験したあと、自ら希望して日馬富士関の付け人となりました。
本人によれば、世話役をするならトップの人のそばで学ぶ方がよいと考えたそうです。
日馬富士関がファンへ細かな気遣いを見せる姿も、すぐそばで見ていました。
付け人として行動するときは、物を取りに行くにも全力で走り、相手が次に何を必要とするのかを考え続けました。
長く行動を共にするうちに、日馬富士関の目を見るだけで何を求めているのか感じ取れるほどになったと振り返っています。
ほかにも照ノ富士関らの付け人を務め、力士として土俵へ上がるだけではない経験を積んでいきました。
姉との別れとケガを経て2021年に現役引退
自己最高位へ進んだ2018年には、4歳上の姉・さやかさんとの別れも経験しました。
精神的に大きな影響を受けながらも相撲を続けましたが、その後は身体の状態も厳しくなっていきます。
股関節と腰の痛みが強くなり、複数の治療院へ通い、手術も2回受けました。
それでも痛みが改善せず、激しい稽古を続けることが難しくなります。
「股関節と腰の痛みがとてもつらく、激しい稽古についていくことが難しくなりました」
出典:日刊スポーツ「ユーチューバー転身の元幕下富栄、目指すものは…」(2021年4月2日)
医師の診断も踏まえ、この状態からさらに番付を上げることは難しいと判断しました。
2021年3月場所を最後に、13年間続いた力士生活を終えています。
ただ、引退時にはすでに次にやりたいことがかなり具体的になっていました。
力士引退後に芸能界へ|YouTubeから俳優を目指した理由
力士を辞めたあと、富栄さんが選んだのは相撲と無関係な仕事ではありませんでした。
相撲界で培った体格や身体能力も含め、それまでの人生を生かせる仕事として芸能界を考えていました。
引退直後から「アクション俳優」を目標にしていた
引退が正式発表された直後の2021年4月、日刊スポーツのインタビューで富栄さんは将来の目標を語っています。
「鍛えた身体と運動神経を生かしてアクション俳優や、キャラで芸能タレントになり」
出典:日刊スポーツ「ユーチューバー転身の元幕下富栄、目指すものは…」(2021年4月2日)
この時点で、ドラマや映画などの作品へ関わり、人の記憶に残る存在になりたいというところまで具体的に思い描いていました。
後に『VIVANT』へ出演したから過去の経験を俳優と結びつけたのではなく、相撲を辞めた直後から俳優という仕事を目標の一つにしていたことが分かります。
子どものころからテレビドラマを見るのが好きで、自分も作品へ出演したいという思いを持っていたことも後に明かしています。
また、力士として人気を得て人を笑顔にしたいという目標があったため、ケガで引退したときには、相撲以外の方法でも同じことができるのではないかと考えました。
「ブヒブヒパーリー」で身体能力を生かした動画を発信
引退後の活動の一つとして、本格的に取り組んだのがYouTubeです。
チャンネル名は「ブヒブヒパーリー」で、富栄の名前を使いながら動画を発信していました。
力士がやったら面白そうな企画や、相撲を知らない人でも楽しめる内容を目指し、バク転など自身の身体能力も生かしています。
本人は収益そのものよりも、まず名前を知ってもらうことを大きな目標としていました。
相撲界にいたころからモノマネやラップなどを披露する機会があり、人を楽しませること自体は突然始まったものではありません。
小学校でコントを覚えて披露していた龍太郎少年は、力士生活を経て動画という別の場所で人前に立つようになりました。
映像作品へ進み『サンクチュアリ -聖域-』で龍栄役に
YouTubeなどで発信を続ける一方、俳優を目指して映像作品にも参加するようになります。
公開情報で確認できる早い時期の出演には、2022年の『モダンラブ・東京〜さまざまな愛の形〜』などがあります。
同じ2022年には、相撲を題材にしたドラマ『シコふんじゃった!』にも参加しました。
2023年にはNHKの『信長のスマホ』で青地与右衛門役を演じています。
その後、Netflixシリーズ『サンクチュアリ -聖域-』で龍栄役を演じました。
相撲界を舞台にした作品で、力士として13年間過ごした経験を持つ富栄さんが再びまげを結い、力士役として映像作品へ立っています。
Netflix Japanの公式投稿では、「富栄龍太郎」の表記とともに、龍貴の付け人・龍栄を演じた人物として紹介されています。
ただし、富栄さん自身が「ちゃんとした役者としてのスタート地点」と強く意識することになる作品は、その直後に待っていました。
『VIVANT』のエキストラ応募からドラム役へ|俳優人生の転機
2023年の日曜劇場『VIVANT』で富栄さんが演じたのは、公安警察官・野崎守の相棒として行動するドラムです。
最初からこの役を受けるためにオーディションへ行ったわけではありませんでした。
身体能力を見せるつもりが、福澤克雄監督の目に留まる
富栄さんが参加したのは、バルカ警察のエキストラを選ぶオーディションでした。
モンゴル人の参加者もいる中でモンゴル語のセリフを読む機会があり、そこで原作・演出を手がけた福澤克雄監督と出会います。
「当初、僕はエキストラのオーディションに参加していました」
出典:クランクイン!「『VIVANT』富栄ドラム、人気急上昇中『今ここにいるのが、いまだに信じられない』」(2023年9月9日)
福澤監督から、役者として続けていく覚悟があるなら別の役があると声をかけられ、富栄さんは「覚悟はあります」と答えました。
そこから当初受けていたエキストラとは別の話が進み、ドラム役を任されることになります。
オーディションでは、自分の大きな体と運動能力を印象づけようとバク転も披露しました。
同じ組に身長190cmほどの男性がおり、50m走のタイムなどで張り合うような流れになったため、負けたくない気持ちからバク転まで見せたと振り返っています。
小学6年生で覚えたバク転が、俳優を目指したオーディションでも自分を見せる手段になりました。
実際の撮影でもアクション場面が近づくと、監督から運動神経を見せる場面だと声をかけられたそうです。
役名「ドラム」を芸名にして地上波連ドラ初レギュラーへ
『VIVANT』への出演を前に、それまで使っていた名前から「富栄ドラム」へ芸名を変えました。
「ドラム」は福澤監督が考えた役名で、ドラム缶をイメージした名前だったと本人が明かしています。
姓名判断で以前の名前より運気がよかったことや、「富栄」という漢字と「ドラム」というカタカナの組み合わせが目に入りやすいことも理由でした。
ただ、本人が最も大きな理由として挙げているのは、役者としてのスタートを忘れないためです。
「『VIVANT』の“ドラム”が、僕のちゃんとした役者としてのスタート地点」
出典:HugKum「『VIVANT』の役名“ドラム”を芸名に!本格役者デビューした元力士・富栄ドラムに直撃「13年間過ごした相撲界での夢を『やり方』を変えて叶えたい」」(2023年12月22日)
『VIVANT』で地上波連続ドラマのレギュラーという大きな役を初めて経験し、その役名を自分の芸名として残しました。
ドラマ撮影の経験が少なかったため、共演者の堺雅人さんへ演技について相談することもありました。
福澤監督からは、表情は形だけで作るのではなく気持ちで作るものだと教えられたと話しています。
セリフを使わないドラムにとって、その「表情」は特に重要な表現手段になりました。
ドラムはなぜしゃべらない?本人の地声と林原めぐみの音声を整理
『VIVANT』を見て富栄ドラムさんを知った人の間では、「なぜしゃべらないのか」「本人は声が出ないのか」という疑問も多く検索されています。
ここは、俳優の富栄ドラムさん本人と、ドラマ内のキャラクターであるドラムを分けると分かりやすくなります。
富栄ドラムさん本人は普通に会話をします。『VIVANT』では、ドラムというキャラクターが言葉を発さず、スマートフォンの音声機能を使ってコミュニケーションを取る設定です。
TBSの公式情報でも、富栄ドラムさんと並んで林原めぐみさんが「声の出演」としてクレジットされています。
林原さんが担当したのは、ドラムがスマートフォンで使う音声です。
公式SNSでは、林原さんが声を収録する現場に富栄さん本人も立ち会い、音声に合わせる表情を練習していた様子が公開されました。
富栄さん自身も、言葉を話さない役を演じるうえで、相手のセリフを聞いているときやスマートフォンから音声が流れているときの表情が難しかったと振り返っています。
制作側がドラムを話さないキャラクターにした理由について、福澤克雄監督は2023年10月放送の『中居正広の金曜日のスマイルたちへSP』で、『スター・ウォーズ』のチューバッカをモチーフにし、ドラムは話さない方がよいと考えてスマートフォンで会話する設定にしたと明かしています。
そのため、「富栄さんがセリフを覚えられなかったから」「日本語を話せないから」という理由で、ドラムが話さない設定になったわけではありません。
確認できるのは、富栄さん本人は話すことができ、『VIVANT』のドラムはスマートフォンの音声を使うキャラクターとして作られ、その声を林原めぐみさんが担当したという点です。
日馬富士の付け人経験が野崎を支える演技に生きた
ドラムの役柄には、富栄さんが相撲界で経験してきたことをそのまま利用できる部分もありました。
劇中のドラムは、阿部寛さん演じる野崎のすぐそばで行動し、必要な場面では先回りしながらサポートします。
富栄さんは、この関係を力士時代の付け人に近いものとして捉えていました。
「今回のドラムは『付け人の役』のような部分もあります」
出典:web Sportiva「富栄ドラムが振り返る力士時代 日馬富士の付け人として学んだこと、貴景勝の連勝を止めた取組」(2023年12月31日)
阿部さんと並んで歩くときには場所を譲り、少し後ろから適切な間隔でついていくなど、相撲部屋で覚えた気遣いを演技にも取り入れています。
日馬富士関の付け人として、相手の目を見るだけで次に求めていることを感じ取れるほど行動を共にした経験が、野崎を支えるドラムの動きにも入りました。
エキストラのオーディションから始まった『VIVANT』で、13年間の力士生活まで役作りの一部になりました。
中学生のときに相撲大会へ参加して伊勢ヶ濱部屋へ入り、幕下6枚目まで進み、ケガによる引退後にはアクション俳優を目標に掲げました。
その約2年後、富栄ドラムという名前で『VIVANT』のドラム役を演じたことが、本人が「ちゃんとした役者としてのスタート地点」と振り返る出来事になりました。
















