PROFILE
人物プロフィール
NHK連続テレビ小説『ブギウギ』で、主人公・スズ子の弟である花田六郎を演じた黒崎煌代さん。
映画『さよなら ほやマン』でスクリーンデビューし、2025年には『見はらし世代』で映画初主演を務めました。
ところが、もともと目指していたのは俳優ではなく、映画を作る側の仕事でした。
兵庫県三田市で映画に囲まれて育ち、高校では友人たちと映像を制作し、大学では映画の著作権を学ぶため法学部へ進んでいます。
そこから大学時代に偶然見つけたオーディションへ応募したことで、演じる側へ進むことになりました。
今回は、そんな黒崎煌代さんの生い立ちや家族、学生時代、芸能界へ入ったきっかけ、俳優として最初の仕事などをご紹介します。
黒崎煌代の生い立ち|兵庫県三田市で過ごした子ども時代
黒崎煌代さんは2002年4月19日生まれ、兵庫県出身です。
子ども時代を過ごしたのは、自然の多い兵庫県三田市でした。
幼いころから映画は身近な存在でしたが、外ではスポーツにも熱中していました。
小学生から鏡の前で俳優の演技をまねていた
黒崎さんには、小学生のころから長く続けていた少し変わった遊びがありました。
好きな映画を見ると、登場人物の服装や表情、せりふまで覚え、鏡の前でまねしていたそうです。
この一人芝居のような遊びを、小学生から10年以上続けていました。
本人は親にもあまり見せず、自分だけで楽しんでいたと振り返っています。
特に好きだった作品の一つが『ラ・ラ・ランド』で、エマ・ストーンの演技も何度も再現していました。
人生最高の映画『ラ・ラ・ランド』は繰り返しまねています。
出典:神戸新聞NEXT「北摂三田高出身の黒崎煌代さん、NHK朝ドラ『ブギウギ』で俳優デビュー」(2023年10月31日)
興味深いのは、この時期の黒崎さん自身には、俳優を職業にするというはっきりした意識がなかったことです。
後年、小学生時代に書いた将来の夢を見返したところ、そこには「俳優になりたい」と書かれていましたが、本人は書いたこと自体を覚えていませんでした。
映画の登場人物をまねることは好きでも、それを自分の仕事として考えるところまでは進んでいなかったようです。
競技ドッジボールから中学バスケへ|副キャプテンも経験
小学生時代には競技ドッジボールにも取り組んでいました。
所属事務所のプロフィールでも、ドッジボールは特技の一つとして挙げられています。
中学校へ進むと、漫画『SLAM DUNK』の影響からバスケットボール部に入り、3年間続けました。
好きだったキャラクターは三井寿で、部活動では副キャプテンも経験しています。
一方で、低い声や目つきから、周囲には少し怖そうに見られることもあったと本人は話しています。
子どものころは自分の気持ちを伝えようとすると熱くなりやすく、後の同窓会では、先生と口げんかしていたことを同級生から思い出されたこともありました。
映画を一人でまねる時間と、仲間と体を動かす時間の両方があった少年時代でした。
黒崎煌代の家族|父親・母親、兄弟姉妹について
黒崎煌代さんの生い立ちを語るうえで、特に大きな存在が家族です。
父親から映画に触れる機会をもらい、芸能界へ入ったときには父親と母親がそれぞれ異なる反応を見せていました。
さらに、黒崎さん本人の言葉から弟がいることも確認できます。
真逆と言ってもいいくらい、本当に仲がいい家族です。
出典:Real Sound「黒崎煌代が“何もしない”芝居でさらなる高みへ」(2025年10月13日)
父親は米国で映像関係の仕事|『スター・ウォーズ』が身近だった家庭
黒崎さんの父親は、以前にアメリカで映像関係の仕事をしていた時期がありました。
具体的な勤務先や職種までは公表されていませんが、家庭には洋画のDVDや映画関係の本がたくさんあったそうです。
父親と一緒に映画を見ることが、黒崎さんにとって幼いころから日常の一部になっていました。
記憶に残っている最初期の作品として挙げているのが『スター・ウォーズ』です。
父親の隣で作品を楽しみ、自宅にあるDVDや本にも触れながら、映画そのものへの興味を深めていきました。
そのころはスクリーンに映る俳優だけではなく、映像を作る世界全体に関心を持つようになっていきます。
「煌代」という名前にも両親の思いがあります。
黒崎さんが生まれた2002年当時、「煌」は人名用漢字として使用できなかったため、出生時には別の漢字が使われていました。その後「煌」が使用できるようになると、両親が家庭裁判所で手続きを行い、現在の「煌代」へ変更したことを本人が明かしています。
オーディション合格と朝ドラ出演を両親はどう受け止めた?
黒崎さんが芸能事務所のオーディションを受けたとき、最初から家族ぐるみで俳優を目指していたわけではありませんでした。
最終選考に合格した連絡を受けたあと、父親と母親へ報告しています。
父親は声を上げて喜んだ一方、母親には息子が芸能界へ進むことへの心配もあったそうです。
黒崎さん自身も、この時点では俳優として生きていく未来を完全に決めていたわけではありません。
後のインタビューでは、両親も当初はオーディション経験が就職活動などに役立つかもしれないという程度に受け止めていたと話しています。
状況が変わったのは、NHK連続テレビ小説『ブギウギ』への出演が決まったときでした。
朝ドラへの出演が決まり、本人も家族も「俳優として活動する」という現実を強く意識するようになりました。
兄弟姉妹について公表されている情報はある?
黒崎さんには弟がいることが本人の発言から確認できます。
2026年のインタビューで、自身と演じる役との共通点について家族の話になった際、弟の存在を明かしました。
私は弟がいるのですが、弟が大好きで、家族を大切にしている点は重なります。
出典:TV LIFE web「【#今旬コレクション】黒崎煌代」(2026年4月27日)
弟の名前や年齢、職業など、さらに詳しいプロフィールは、本人・所属事務所などの公表情報では確認できません。
父親、母親、弟との具体的なエピソードからは、家族との距離が近いことまで確認できます。
北摂三田高校から東京の大学へ|映画を作る側を目指した学生時代
中学校を卒業した黒崎さんは、地元の兵庫県立北摂三田高校へ進学しました。
ここから、映画は「見るもの」だけではなく、自分で作るものにも変わっていきます。
俳優になるより先に、監督や撮影、脚本など映画制作の側へ進む道を考えていました。
北摂三田高校で友人と3年間の映像制作
高校時代には、映画が好きな同級生と出会いました。
黒崎さんが後に“相棒”のような存在として語った友人で、2人は高校3年間を通して映像制作を続けています。
高校生のころから、自分でカメラを持ち、映像を撮り、作品を完成させる経験を重ねていました。
映像編集だけではなく、CGについても独学で勉強しています。
脚本への興味も強く、好きな映画を見ながらせりふを書き起こし、どのような構成になっているのかを確かめることも趣味になっていました。
映画を見て俳優のまねをしていた小学生時代とは違い、高校では撮る側から作品を見る時間が増えていきました。
文化祭で短編ドラマを制作し最優秀賞を受賞
高校時代の映像制作が大きな形になったのが文化祭でした。
黒崎さんたちは、クラスメート十数人を巻き込み、約20分のサスペンスドラマを制作しています。
本人はカメラや監督側を担当し、友人やクラスメートと役割を分担しながら一本の作品に仕上げました。
完成した作品は文化祭で最優秀賞を受賞しました。
その経験もあり、高校生のころには「映画に関わって生きていきたい」と進路を考えるようになります。
ただし、そのとき思い描いていたのは自分がスクリーンへ出る姿ではありませんでした。
黒崎さんが目指していたのは、映画制作の裏側に関わる仕事でした。
大学は東京の法学部|映画の著作権を学ぶために進学
高校卒業後は、進学を機に兵庫県から東京へ移りました。
大学で選んだのは法学部です。
一見すると映画とは離れた専攻ですが、黒崎さんには明確な理由がありました。
将来映画を作る仕事に就くことを考え、映画に関わる著作権を勉強したいと思って法学部を選んでいます。
高校で映像を制作し、CGや脚本も学び、その延長で映画制作に必要な法律へ関心を広げていたことになります。
大学名について
黒崎煌代さんは、東京の大学へ進学し、法学部で映画の著作権を学んでいたことを本人のインタビューで明かしています。一方、大学名そのものは本人や所属事務所の公式プロフィールでは公表を確認できません。検索されている特定の大学名を根拠なく本人の出身大学と断定することはできません。
大学へ進んだ時期は新型コロナウイルスの影響が大きく、授業もリモート中心になりました。
映画業界へ進むつもりで始まった大学生活でしたが、その途中で進路を変える入口が現れます。
芸能界入りのきっかけ|大学時代にレプロの主役オーディションへ
黒崎煌代さんが芸能界へ入るきっかけになったのは、2022年にレプロエンタテインメントが実施した「主役オーディション」でした。
それまで芸能活動や演技の仕事を経験したことはありませんでした。
しかも、俳優になることを決めて芸能事務所を探していたわけでもありません。
コロナ禍の大学生活でInstagramの募集を偶然見つける
大学の授業がリモート中心になっていたころ、黒崎さんはInstagramを見ていてオーディションの募集を偶然見つけました。
応募方法が比較的手軽だったこともあり、その場から挑戦しています。
このオーディションが、黒崎さんが受けた最初の芸能オーディションでした。
高校から大学まで映画を作る側へ進む準備をしていた中で、初めて「演じる側」を体験する機会が入り込んだことになります。
「俳優になりたい」より「演じる側を知りたい」から応募
応募した理由も、一般的な俳優オーディションのイメージとは少し違いました。
映画制作の仕事に就くなら、カメラの前に立つ俳優がどのような気持ちで演じているのかも知っておきたいと考えたからです。
さらに、選考を進めば演技のワークショップを受けられることも魅力でした。
最初から「俳優になる」と決めて飛び込んだオーディションではありませんでした。
まさか出る側になれるとは思ってもなかったです。
出典:QUI「NEW GENERATIONS vol.11 – Kodai Kurosaki|Actor」(2024年1月4日)
俳優への憧れ自体は持っていましたが、自分が実際になれる職業だとは考えていなかったと複数のインタビューで話しています。
それでも、選考の中で初めて演技を経験すると、少しずつ演じる仕事との距離が縮まっていきました。
約5000人の選考を通過|演技未経験から所属へ
レプロエンタテインメントの「主役オーディション」には、約5000人が応募しました。
選考は数か月にわたり、最終段階ではワークショップ形式で演技にも挑戦しています。
初めて演技をしたときは体が震えるほど緊張したそうですが、選考を勝ち抜きました。
自己PRでは、大好きな映画についてかなり詳しく話しています。
後から聞いた話では、その映画への知識や熱量も評価されたポイントの一つだったそうです。
芸能活動も演技経験もない状態から約5000人規模のオーディションを通過し、レプロエンタテインメントへ所属しました。
ここが芸能界へ入った地点ですが、まだドラマや映画へ出演したわけではありません。
芸能界入りと俳優デビューは別の時点です。
黒崎煌代さんは2022年の「主役オーディション」合格によって芸能界へ入り、その後に演技レッスンや作品オーディションを経て、映画・ドラマの撮影現場へ進みました。
レプロエンタテインメント公式YouTubeでは、演技未経験だった黒崎さん自身が、オーディションから朝ドラ出演までを振り返っています。
所属後は事務所で演技を学びながら、実際の作品のオーディションも受け始めました。
俳優デビュー|『さよなら ほやマン』から『ブギウギ』へ
黒崎煌代さんの初期キャリアは、「最初に撮影した作品」と「最初に世に出た作品」が異なります。
最初の撮影現場は映画『さよなら ほやマン』でしたが、その映画が公開される前にNHK連続テレビ小説『ブギウギ』の放送が始まりました。
この順番を分けて見ると、俳優として仕事を始めた時期が分かりやすくなります。
最初に入った撮影現場は宮城・網地島の『さよなら ほやマン』
事務所へ所属した黒崎さんが作品オーディションに挑み、つかんだ初期の仕事が映画『さよなら ほやマン』でした。
演じたのは、宮城県の離島で暮らす兄弟の一人、阿部シゲルです。
撮影の舞台となったのは宮城県石巻市の網地島でした。
『さよなら ほやマン』が、黒崎さんにとって初めて入った本格的な撮影現場です。
島で共演者やスタッフと生活しながら撮影する環境は、映画を作る側を目指してきた黒崎さんにとって、それまで想像していた映画制作を実際に体験する時間にもなりました。
撮影以外にも記憶に残っている夜があります。
アフロさんや呉城久美さんとカップラーメンを食べ、発泡酒を飲みながら、島の満天の星を見たことを後のインタビューで振り返っています。
作品への出演が発表された2023年7月、黒崎さんはこの映画について次のようにコメントしました。
本作は私の映画デビュー作であり、今後の活動の原点とも言える作品です。
出典:レプロエンタテインメント「俳優・黒崎煌代が映画『さよなら ほやマン』でスクリーンデビュー決定!」(2023年7月13日)
映画『さよなら ほやマン』公式Xでは、黒崎さんの出演場面を選んだ特集映像も公開されています。
ただし、『さよなら ほやマン』が映画館で公開される前に、もう一つの大きな出演作が先に視聴者へ届くことになります。
2本目の現場『ブギウギ』で花田六郎役に抜てき
『さよなら ほやマン』に続いて黒崎さんが経験した撮影現場が、NHK連続テレビ小説『ブギウギ』でした。
オーディションを経て、趣里さん演じるヒロイン・花田鈴子の弟、花田六郎役に選ばれています。
島での映画撮影を経験した後だったとはいえ、朝ドラでは初めて本格的なスタジオ撮影を経験しました。
黒崎さんは、スタッフの人数や撮影の進み方など、『さよなら ほやマン』との環境の違いに戸惑ったことを振り返っています。
その現場で間近に見たのが、主演の趣里さんでした。
演技だけではなく、周囲へ気を配りながら長期間の撮影を進める姿からも刺激を受けたと話しています。
『ブギウギ』は2023年10月に放送が始まり、黒崎さんにとってテレビドラマ初出演となりました。
幼いころから映画の登場人物を一人でまねていた黒崎さんが、初めて広く知られることになった役が六郎でした。
撮影順と公開順が逆|映画デビューとドラマデビューを整理
黒崎煌代さんのデビュー時期を調べると、『ブギウギ』と『さよなら ほやマン』の両方が出てくるのは、この撮影と公開の順番が理由です。
最初に撮影した作品は『さよなら ほやマン』、先に世に出た出演作は『ブギウギ』です。
『さよなら ほやマン』の撮影を先に経験し、その後に『ブギウギ』の現場へ入りました。
一方、『ブギウギ』は2023年10月2日に放送が始まり、『さよなら ほやマン』は同年11月3日に劇場公開されています。
そのため、経歴上は『ブギウギ』がドラマ初出演・俳優デビュー作として紹介され、『さよなら ほやマン』が映画デビュー作として扱われています。
どちらか一方を「本当のデビュー作」と決めるより、初撮影、ドラマ初出演、映画初出演を分けて考えると時系列が自然です。
『ほやマン』での出会いから初主演『見はらし世代』へ
最初の撮影現場となった『さよなら ほやマン』では、後のキャリアにつながる人物とも出会っていました。
映画監督の団塚唯我さんです。
当時の団塚さんは『さよなら ほやマン』にメイキングスタッフとして参加しており、黒崎さんとは年齢も近かったことから親しくなりました。
その後も交流が続き、団塚さんは自身の長編監督作を準備する中で、黒崎さんを主人公として考えるようになります。
後にカフェへ呼び出された黒崎さんは、団塚監督から主演を依頼されました。
その作品が、2025年公開の映画『見はらし世代』です。
『見はらし世代』は黒崎さんにとって映画初主演作となりました。
作品は第78回カンヌ国際映画祭の監督週間に選出され、黒崎さんも現地で作品を届ける立場になりました。
高校ではカメラを持って映画を作り、大学では制作側へ進むために法律を学んでいた黒崎さんは、2022年のオーディションを境に演じる側へ入りました。
そして最初の撮影現場でメイキングを担当していた団塚監督と再び組み、3年後にはその長編映画の主人公を演じています。















