PROFILE
人物プロフィール
樋口幸平さんは、俳優を目指して上京したわけではありません。
2000年11月30日に兵庫県で生まれ、少年時代から長く追いかけていたのは、プロサッカー選手になる夢でした。
高校卒業後にはJリーグクラブのプロ育成選手として上京しましたが、プロ契約には届かず、地元へ帰ることを決めます。
ところが、帰郷前に東京へ出かけたことをきっかけに芸能事務所から声をかけられ、モデル活動や恋愛リアリティーショーへの出演を経て、やがて『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』の主演をつかみました。
今回は、そんな樋口幸平さんの生い立ちや家族、サッカーに打ち込んだ学生時代、芸能界へ入ったきっかけ、俳優として歩き始めてからの転機をご紹介します。
樋口幸平の生い立ち|兵庫県でサッカーを始めた少年時代
樋口幸平さんの生い立ちをたどるうえで、最初に外せないのがサッカーです。
後に芸能界へ進んでからも、本人が自分の性格や仕事への向き合い方を語るときには、子どものころから続けたサッカーの話が何度も登場しています。
『キャプテン翼』に憧れ5歳からサッカーを始める
樋口さんは、幼いころに漫画・アニメ『キャプテン翼』の岬太郎を見て「かっこいい」と感じたことをきっかけにサッカーを始めました。
「5歳から19歳までずっとサッカーをやっていました」
出典:MANTANWEB「樋口幸平:Jリーグ育成選手から芸能界へ 父の猛反対も“最後の1年”でつかんだスーパー戦隊レッド役」(2022年2月27日)
家庭でもサッカーは身近な存在で、父親もサッカー好きでした。
子どものころの樋口さんはFCバルセロナが好きで、父親はユベントスが好きだったといい、家ではそれぞれのチームの試合をよく見ていたそうです。
プレーするだけではなく海外サッカーを見ることも好きで、本人はウイングの選手としてプレーしながら、デコやネイマール、コウチーニョらのプレーやスタイルにも影響を受けていました。
小学生のころには、後に日本代表となる瀬古歩夢選手と対戦した経験もあり、樋口さんは当時のことを鮮明に覚えていると振り返っています。
中学時代の友人と今も続く地元でのつながり
サッカー中心の生活を送りながら、地元の友人とのつながりも長く続いています。
2024年に発売したファースト写真集『treasure-宝物-』は、生まれ育った神戸を中心に撮影され、本人の希望で中学時代からの友人たちも登場しました。
そのうち2人は漫才師として活動しており、地元へ帰れば会う間柄だと本人が明かしています。
本人は学生時代について、友人からよくいじられ、いくつもあだ名を付けられていたと話しており、写真集の撮影でも友人たちといるときにしか出ない表情が残りました。
写真集では母校や小中高時代に通った道なども撮影場所になり、芸能界へ入る前の生活があった場所へ、仕事として戻る機会になりました。
樋口さんの少年時代は、芸能活動よりもサッカーと地元の友人が生活の中心でした。
樋口幸平の学生時代|高校サッカーからプロ育成選手へ
中学を経て高校へ進んでも、目標は変わりませんでした。
高校卒業後の進路を考える時期になっても、樋口さんが諦められなかったのはプロサッカー選手への道でした。
芦屋学園高校でレギュラーとしてプロを目指した
樋口さんが通った高校は、兵庫県の芦屋学園高校です。
サッカーの強豪校でレギュラーをつかみ、高校時代には自分ならプロになれるのではないかという手応えも持っていました。
高校卒業後は大学進学も考えていましたが、サッカー選手になる夢を捨てきれず、親を説得してプロを目指す道を選びます。
兵庫を離れて上京し、SC相模原のプロ育成選手としてプレーする生活が始まりました。
ここでいう「プロ育成選手」は、トップチームとのプロ契約を結んだJリーガーという意味ではありません。樋口さんはSC相模原でプロ契約を目指す環境に身を置いていました。
高校卒業後に上京|SC相模原の育成選手から夢を断念するまで
育成の世界には、同じようにプロを目指して各地から選手が集まっていました。
地元では自信を持っていた樋口さんでしたが、そこで技術だけではなく、サッカーへの熱量にも大きな差を感じたといいます。
「上には上がいることを強く感じて、サッカー選手になる夢を諦めました」
出典:タウンワークマガジン「樋口晃平さんインタビュー『一握りの人しか活躍できない俳優の世界。今はただ夢中にやるだけ』」(2021年7月14日)
育成時代はFWとしてプレーしていましたが、腰を痛め、自身の実力不足も重なってプロ契約には届きませんでした。
SC相模原での挑戦は約7か月で区切りを迎え、2019年11月、樋口さんは一度兵庫へ戻ることを決めます。
プロになることが難しいと伝えられた翌日は、朝に起きてから夕方までの記憶がほとんどないほど気持ちが落ちたと、後年のインタビューで振り返っています。
一方で、コーチとしてサッカーに残る道も示されましたが、樋口さんにとって目標はあくまで「プロ選手になること」でした。
サッカーの仕事に残るのではなく、一度地元へ戻るという選択をしたことで、それまで続いていた一本道の進路が途切れました。
高校卒業後に選んだプロへの道は、10代の終わりごろにいったん終わりました。
樋口幸平の家族|父・母・弟・妹と人生を変えた約束
樋口さんの家族については、父親、母親、弟、妹の存在を本人のインタビューから確認できます。
なかでも父親は、サッカーを始めた家庭環境からプロ挑戦、さらに芸能界へ進む判断まで、人生の節目に何度も登場します。
サッカー好きの父と交わした2つの約束
一つ目の約束は、高校卒業後にプロを目指して上京するときでした。
大学へ進まず育成の道を選ぶ息子に対し、父親とは「1年間だけ挑戦し、だめなら地元へ帰る」という約束を交わしていました。
プロ契約が難しいと分かった樋口さんが兵庫へ戻ることを決めたのは、この約束があったからでもあります。
ところが、その帰郷直前に芸能事務所からスカウトされ、今度は芸能界へ挑戦したいと父親へ伝えました。
サッカーを諦めて帰ってくると思っていた父親は当初猛反対したものの、話し合いの末に、社会人になる区切りでもある22歳までという期限を設けます。
「22歳までに大きな仕事に関われなければ地元へ戻る」という二つ目の約束の中で、樋口さんは芸能活動を始めました。
そして21歳だった2022年、期限を迎える前に『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』の主人公に決まります。
決定を電話で伝えると、厳しかった父親も大声で驚き、最後には「頑張れよ」と送り出してくれたと樋口さんは振り返っています。
母・弟・妹との関係|出演作品を見守る家族
芸能界は、家族にとってまったく縁のない世界だったわけではありません。
「弟が芸能活動をしていたので、多少、身近ではあった」
出典:タウンワークマガジン「樋口晃平さんインタビュー『一握りの人しか活躍できない俳優の世界。今はただ夢中にやるだけ』」(2021年7月14日)
ただし当時の本人にとっては、芸能界よりサッカーのほうが魅力的に見えており、弟の活動を見て自分も芸能界へ入ろうと考えていたわけではありませんでした。
俳優になってからは、父親、母親、弟が出演作品やテレビをチェックしてくれていると話しています。
一方、年の離れた妹については、本人いわく「昔の幸平でいてほしい」という感覚があるようで、兄が写ったカレンダーや作品を見ることを照れくさがることもあるそうです。
父親がサッカー好きだったことや、進路をめぐって何度も話し合ったことは本人が語っています。一方、父親の職業については、本人や所属先による確かな公表までは確認できません。
サッカー選手の夢を断念し芸能界へ|渋谷のスカウトとPopteen
サッカーを辞めた時点で、樋口さんに芸能界への明確な道筋があったわけではありません。
むしろ、兵庫へ帰る準備をしていた時期の外出が、二つ目の進路を考えるきっかけになりました。
地元へ帰る直前、東京で複数社からスカウト
育成選手時代は練習着やジャージで過ごすことが多く、地元へ戻る前に東京で服を買って遊んでから帰ろうと考えたそうです。
後年のインタビューでは、貯めていた20万円を持ち、新宿、渋谷、表参道などを歩いたところ、8社から声をかけられたと振り返っています。
ただし、スカウトされたその場で事務所へ入り、芸能活動が始まったわけではありません。
本人は後のインタビューで、この時点ではまだ事務所には所属しなかったと説明しています。
スカウトされたことで「芸能界という可能性もある」と考えるようになり、自分がどんな人物になりたいのかを調べ始めました。
その中で、かっこよさだけでなく演技もできる竹内涼真さんのような俳優を目標の一つにし、美容室で髪型を相談したり、SNSで自分を発信したりと、自分から動き始めます。
事務所へ入るまでにも、スカウト先にそのまま身を任せたのではなく、自分で芸能界を調べ、見た目の整え方や発信方法まで考えながら行動を重ねました。
帰郷前のスカウトは芸能界入りそのものではなく、サッカー以外の人生を自分で探し始める入口になりました。
Popteenモデルから『恋とオオカミには騙されない』へ
2020年1月から行われた「Popteen専属メンズモデルオーディション~2020Spring~」では、数百人を超える応募者の中からグランプリに選ばれました。
この時期は「樋口晃平」の名前で活動しており、同年春にはホリプロデジタルエンターテインメントへの所属を報告し、『Popteen』のメンズモデルとして活動を始めています。
モデル活動と並行して、本人が出たいと希望していたのがABEMAの『恋とオオカミには騙されない』でした。
一度はオーディションに落ちたものの諦めずに再挑戦し、2021年2月14日に始まったシリーズ第9弾へ出演しています。
スカウトを待つだけではなく、モデルオーディションや出演したい番組へ自分から挑戦する時期が続きました。
樋口幸平が俳優になるまで|初期の演技仕事からドンブラザーズ主演へ
芸能界へ入った時点で、樋口さんの活動は俳優だけに絞られていたわけではありません。
モデルやライブ配信、恋愛リアリティーショーなどを経験しながら演技の仕事へ進み、そこからドラマのレギュラー主演へ段階を上がっていきます。
モデル活動から演技へ|俳優として歩き始めた時期
出演記録では、2020年10月4日放送のドラマ『マリーミー!』第1話への出演が、確認できる初期の演技仕事の一つです。
その後も演技仕事を経験しましたが、このころはモデルや配信、ABEMAへの出演など複数の活動を並行していました。
芸能界入りは2020年。初期のドラマ出演も2020年から確認できますが、2022年の『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』は本人にとって初のドラマレギュラー出演です。「芸能界入り」「初期の演技仕事」「初レギュラー」は分けて見ると経歴が分かりやすくなります。
また、2022年1月6日には、それまで使っていた「樋口晃平」から「樋口幸平」へ活動名を変更しています。
その直後に決まった大きな仕事が、『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』でした。
「ヒーローになる」を実現した『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』
芸能界へ入ったあと、樋口さんが最初に具体的な目標として掲げたのが、スーパー戦隊や仮面ライダーのようなヒーロー作品へ出演することでした。
俳優として活躍する先輩たちに特撮出身者が多いことを知り、まずはそこを目指そうと考えたといいます。
『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』のオーディションでは、スポーツを続けてきた自分の熱さや、どうしてもレッドになりたいという思いを出し続けました。
最後まで「レッドをやりたい」と伝えながら、誰よりも笑顔でいること、先に話すこと、相手の目を見て話すことも意識していたそうです。
後にプロデューサーから、監督が樋口さんの真っすぐさを桃井タロウに重ねていたと聞き、自分の思いが届いていたことを知りました。
そして、主人公の桃井タロウ/ドンモモタロウ役に決定します。
「気づかぬうちにガッツポーズしていました」
出典:テレビ朝日「『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』会見レポート」(2022年2月9日)
父と決めた22歳までの期限を迎える前に、芸能界で最初に掲げた「ヒーローになる」という目標を実現しました。
しかも『ドンブラザーズ』は、樋口さんにとって初めてのドラマレギュラー出演であり、そのまま1年間の主演を担う仕事でした。
放送を終えた2023年2月には、本人が1年間を「大切な財産」と振り返っています。
後年、樋口さんは『ドンブラザーズ』の主演を経験したことで、俳優として生きることへの意識も変わったと話しています。
「俳優という仕事で食べていかなければいけないという覚悟ができました」
出典:タウンワークマガジン「俳優・樋口幸平さんインタビュー『己に打ち勝った自分、成長した明日の自分を想像したら、どんなことだって乗り越えられる』」(2024年9月24日)
サッカーから始まった経験が俳優の仕事へつながる
『ドンブラザーズ』で1年間の主演を経験したあとも、樋口さんは作品ごとに俳優としての立ち位置を探していきました。
その中で本人が明確な転機として名前を挙げている作品が、2023年の『体感予報』と、2026年の映画『ブルーロック』です。
『体感予報』で変わった俳優としての意識
2023年、MBSのドラマ『体感予報』で、樋口さんは増子敦貴さんとダブル主演を務め、気象予報士の瀬ヶ崎瑞貴を演じました。
『ドンブラザーズ』では1年間一つの作品へ集中していましたが、『体感予報』を経て仕事の環境が広がり、自分の強みや足りない部分も見えるようになったと振り返っています。
「すべてが変わりました、本当に。」
出典:Emo!miu「【樋口幸平インタビュー】『今自分がやりたいこと、出て欲しい人、行きたい場所、本当にすべてを詰め込んだ一冊』運命を変えた作品との出会い・理想の俳優像のお話も。<1st写真集『treasure-宝物-』>」(2024年11月4日)
『体感予報』は、主演作が増えたというだけではなく、本人が「俳優としてのマインド、意識も変わった」と振り返る作品になりました。
『ブルーロック』で生きた14年間のサッカー経験
2026年8月7日に公開された実写映画『ブルーロック』では、樋口さんがチームVの剣城斬鉄を演じました。
剣城斬鉄は爆発的な加速力を武器にする選手で、樋口さんは指先や足の角度、姿勢の低さまで考えながら走り方を作ったと明かしています。
映画公式では、樋口さんが厳しい倍率のオーディションを勝ち抜いたことも紹介されました。
子どものころから19歳まで続けたサッカーは、プロ契約という形では実りませんでしたが、俳優になった後、サッカー選手を演じるための経験として使われることになります。
「この日のためにこれまでサッカーをやってきたのかな」
出典:映画『ブルーロック』公式サイト「チームZの宿敵・チームVのキャスト&最新映像を解禁!」(2026年4月17日)
映画で樋口さんが剣城斬鉄を演じる姿は、公式のチームV解禁映像でも確認できます。
サッカー選手になるために上京した経験が、時間を経て、俳優としてサッカー作品へ向き合うときの土台になりました。
プロ契約には届かなかったサッカーの経験が、俳優になった後に役づくりの材料として戻ってきたことは、樋口幸平さんの歩みをたどるうえで印象的な出来事です。
本人が「この日のために」と感じた言葉どおり、少年時代に積み重ねた時間は、別の形で仕事の中に残りました。
















