PROFILE
人物プロフィール
NHK連続テレビ小説『風、薫る』の竹内虎太郎役や、ドラマ『下剋上球児』の日沖壮磨役で知られる小林虎之介さん。
1998年2月12日に岡山県で生まれた小林虎之介さんは、子どものころから俳優を目指していたわけではありません。
大学では一般企業への就職を考えていましたが、父親と見た一本の映画をきっかけに、それまで想像していなかった道を選びました。
大学を辞めて上京したあとも、すぐに大きな役を得たのではなく、二つのアルバイトを掛け持ちしながら演技レッスンとオーディションを続けています。
今回は、そんな小林虎之介さんの生い立ちや家族、高校・大学時代、芸能界へ入ったきっかけ、俳優として最初の仕事、『下剋上球児』で転機を迎えるまでをご紹介します。
小林虎之介の生い立ち|岡山の牧場で育ち12年間野球を続ける
小林虎之介さんは岡山県出身で、身長170cm、血液型はO型です。
現在も趣味に野球観戦とバイクを挙げており、どちらも岡山で過ごしたころから身近にありました。
「小林虎之介」は本名|芸名も考えた末に本名で活動
小林虎之介という名前は芸名ではなく、本人が本名だと明かしています。
活動を始める際には芸名も考えましたが、本人にはしっくりこなかったため、両親からもらった名前を選びました。
最初は芸名にしようか考えたんです。でも、しっくり来なくて本名にしました。
出典:CLASSY.「朝ドラ出演【小林虎之介さん】飾らない素顔に迫るインタビュー全文公開!」(2026年8月11日)
親に恥ずかしい思いをさせることはしないと決め、本名で活動することが仕事への覚悟にもなったと話しています。
成人式のころにも、26歳になった自分が俳優として働いているとは想像していなかったそうです。
ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト出身と確認できる記録はなく、公式プロフィールにある「JUNON」との接点は2024年4月号への掲載です。
岡山の牧場で過ごした子ども時代
詳しい市町村や実家の所在地は公表されていませんが、本人は岡山にある牧場で育ったと話しています。
2025年に初写真集『冬麗』を制作した際には、自分が過ごした場所を残したいと考え、その牧場を最初の撮影地に選びました。
俳優になって東京で仕事をするようになったあとも、最初の写真集で向かったのは子ども時代の景色が残る岡山でした。
本人は自分を「岡山の田舎で生まれた普通の人間」と表現し、仕事が増えてからもその感覚を忘れたくないと話しています。
小学1年生から高校3年生まで12年間続けた野球
野球を始めたのは小学1年生で、高校3年生までの12年間続けました。
中学校までは内野と外野を経験し、小学6年生から中学2年生ごろには左右両方で打つスイッチヒッターにも挑戦しています。
中学・高校時代は部活動で忙しく、映画やドラマを熱心に見る生活ではありませんでした。
小学生のころに見ていた作品として挙げているのは野球ドラマの『ROOKIES』ですが、この時点で芸能界や俳優を目指していたわけではありません。
公式プロフィールには野球12年のほかに水泳6年も特技として記載されており、子ども時代から学生時代まではスポーツが生活の中心にありました。
小林虎之介の家族|父母・妹・祖父母との関係
小林虎之介さんの生育家族として確認できるのは、父親、母親、妹です。
祖父母や叔父、いとこなどの親戚とも交流があり、本人は約20年にわたって家族と一緒に暮らしていたと振り返っています。
父のバイクの後ろに乗り、ライダースを受け継いだ
父親はバイクが好きで、幼い小林虎之介さんを後ろへ乗せて走ることがありました。
風を直接受けながら走った感覚は大人になっても残り、大学生になるとレブル250を購入して、岡山の蒜山高原付近まで出かけています。
東京へ移ったあと、帰省した際に見つけたのが、父親が20代のころに着ていたSchottのライダースジャケットでした。
父親からは、安いものを無駄に買うのではなく、良いものを長く大事に使うよう教えられており、傷の残るジャケットもそのまま着続けています。
父親は会社の周囲から面倒見が良く、人助けをする人だと評されており、小林虎之介さんも仲間のためなら気持ちが熱くなる部分は似ていると感じています。
父親の卒業アルバムを見たときには、学生時代の父親が現在の自分とそっくりで、「俺やん」と思ったそうです。
母の野菜炒めと、妹・甥がいる実家
母親の手料理で特に好きだったのは、具が多く、少し濃いソース味の野菜炒めです。
野球部の練習を終えて帰宅すると、その野菜炒めを夢中で食べていました。
具がたくさん入っていて、ちょっと濃いソース味。部活後は夢中で食べていました。
出典:女性セブンプラス「ドラマ『宙わたる教室』に出演する小林虎之介、大学3年生のときに父親と見た映画『ボヘミアン・ラプソディ』に感銘を受け俳優になると決意」(2024年11月20日)
妹とはかなり仲が悪かった時期もありましたが、現在は帰省したときに会い、贈り物をすることもあります。
妹に息子が生まれて小林虎之介さんに甥ができると、家族の集まり方や本人の意識にも変化がありました。
甥っ子ができてから、家族の在り方がまた変わった気がします。
出典:FAST「【小林 虎之介】ドラマ『ながたんと青と -いちかの料理帖-2』自分とはまったく違う栄を演じるのは楽しみだった」(2026年2月13日)
父母や妹だけでなく、祖父母、いとこ、親戚まで含めて大切な家族だと本人は話しています。
祖父母や親戚、地元の友人が集まった写真集撮影
初写真集『冬麗』の岡山ロケで育った牧場へ戻ると、祖母、叔父、父親が撮影を見に来ました。
東京の現場とは違い、家族から「メイクなんかしちゃって」と見られる中で、仕事の顔と地元での顔が同時に出る不思議な時間になったそうです。
写真集には地元の同級生も登場し、座談会を開いたほか、帰省時と同じようにキャッチボールをしています。
かしこまった撮影よりも、昔から知る友人たちと普段どおりに遊ぶ姿が写真として残りました。
小林虎之介の高校・大学|学校名の公表状況と進路
小林虎之介さんの高校・大学については、学校名を推測した情報が複数あります。
一方、本人が具体的に話しているのは野球部での経験や岡山の大学での生活で、高校名と大学名は公表されていません。
高校名は非公表|硬式野球部で捕手を務めた
出身高校を裏付ける本人発言、所属事務所の記載、学校側の公式記録は確認できません。
高校では硬式野球部に入り、3年間にわたって捕手を務めました。
中学まで硬式球を使った経験がなく、硬球は痛そうだと感じたため、防具を着ける捕手が最も痛くなさそうだと考えて選んだポジションです。
打席では高校から右打ちに絞りましたが、のちに『下剋上球児』で左打ちを求められた際、中学生までの経験を使って練習し直しています。
大学名も非公表|アパレルのアルバイトと就職活動
大学について本人が明かしているのは、岡山にある大学へ通っていたことまでです。
大学名や学部は公表されておらず、特定の学校名や専攻を断定できる資料はありません。
大学時代にはファッションへの関心からアパレル店でアルバイトをし、初めてのバイクも購入しました。
俳優とは関係のない分野を学んでおり、大学2年生になると周囲に合わせてインターン先を探し始めます。
しかし、働いてみたい企業も、やりたい仕事も見つからないまま、就職活動の時期を迎えていました。
高校では野球や受験という目標がありましたが、大学に入ると目指すものがなくなり、本人はその状態をなあなあに過ごしていたと振り返っています。
映画を見た時期は一部記事で「大学3年生」と紹介されていますが、2025年と2026年の本人インタビューでは「大学2年生」と具体的に回答しています。
父と見た『ボヘミアン・ラプソディ』から大学中退・上京へ
進路を決められずにいたころ、クイーンが好きな父親から映画『ボヘミアン・ラプソディ』に誘われました。
父親が喜ぶなら一緒に行こうという程度の気持ちでしたが、映画を見終えると映像業界そのものへ興味を持ちます。
この業界、面白そうだな
出典:WEBザテレビジョン「小林虎之介スペシャルロングインタビュー」(2024年4月12日)
続いて『グリーンブック』も鑑賞し、映像の世界で働くという進路が現実的な選択肢になりました。
映画との出会いから約半年後、大学を辞めて東京へ向かいました。
大学中退後、養成所で俳優の道へ
大学を辞めたことが、そのまま俳優としてのデビューを意味したわけではありません。
上京後は俳優養成所へ入り、演技を学びながら、仕事を得るための準備を始めました。
カメラ・照明・音声も調べ、俳優養成所を選んだ
映像業界へ興味を持った当初は、俳優だけを目指していたわけではありません。
カメラマン、照明、音声などの仕事を調べ、安定性を考えればスタッフ側の方が現実的だとも考えていました。
それでも若いうちなら挑戦できると考え、養成所から仕事へ進める可能性が高いと感じた俳優部を最初に選びます。
芸能の仕事と機会が集まるのは東京だと考えていたため、岡山に残って養成所を探すのではなく、大学を辞めて生活拠点ごと移しました。
本人は、もし『ボヘミアン・ラプソディ』を見ていなければ、地元の食品メーカーなどへ就職していたかもしれないと話しています。
事務所の演技レッスンで初めて実力差を知った
養成所では演技を褒められることが多く、小林虎之介さん自身も芝居を少し軽く考えていた時期がありました。
その感覚が変わったのは、現在の事務所へ所属し、演技レッスンへ通い始めてからです。
レッスンで出会った同世代の演技を見て、自分との大きな差に気づきました。
自分が井の中の蛙だったことに気づかされたんです。
出典:non-no web「小林虎之介さんとごほうび焼肉デート。演技力の高さが反響を呼ぶ注目俳優にインタビュー!」(2025年5月20日)
周囲との差を知ったことが、本格的に俳優として勝負する覚悟へ変わりました。
2020年のWeb CMから2021年の演技仕事へ
公式の出演歴で最初に確認できる芸能仕事は、2020年のメニコンWeb CM「カップルEYE Tuber」ひーちゃん役です。
2021年にはドラマ『江戸モアゼル』第2話、『警視庁強行犯係 樋口顕』第2話へ出演し、舞台『お気に召すまま』ではウィリアム役を演じました。
この段階では連続ドラマのレギュラーではなく、各作品の一話へ出演するゲストや舞台の一役として現場経験を増やしています。
2020年のWeb CM出演と、2021年に始まったドラマ・舞台での演技活動は別の段階です。
芸能活動の確認できる起点は2020年のWeb CMで、俳優としてテレビドラマや舞台へ出演し始めたのは2021年です。
二つのアルバイトを続けた新人時代
ドラマへ出演し始めたあとも、演技の仕事だけで生活できる状態にはなりませんでした。
役名のない出演も引き受けながら、生活費を得るアルバイトと週1回の演技レッスンを続けています。
本人が「最初のドラマ」と語る『樋口顕』と初期の小さな役
放送日だけを見ると、2021年1月14日の『江戸モアゼル』第2話が先で、同月22日の『警視庁強行犯係 樋口顕』第2話が続きます。
ただし、小林虎之介さん自身は後年、オーディションで浅野達郎役を獲得した『樋口顕』を「初めてのドラマ」と振り返りました。
『警視庁強行犯係 樋口顕』は、僕の初めてのドラマでした。
出典:Real Sound「小林虎之介、下積み生活で唯一の挫折とは デビューからの足跡を辿る1万字インタビュー」(2025年1月29日)
撮影順や本人にとっての仕事の大きさが理由だった可能性はありますが、本人はその違いまで説明していません。
『樋口顕』のオーディションでは自分でも「ゾーンに入った」と感じるほど手応えがあり、浅野達郎役に選ばれました。
ところが現場では同じ状態を再現できず、台詞を言うことに精いっぱいだった自分を、後年になって率直に振り返っています。
その後は『駐在刑事 Season3』や『家庭教師のトラコ』などで役名のない人物も演じ、わずかな台詞でも次の仕事へつなげようと現場へ通いました。
一言だけの台詞で状況が変わる可能性を捨てず、プロデューサーや制作スタッフに名前を覚えてもらおうと、現場では相手の役職に関係なく挨拶していました。
朝4時の肉体労働とスーパーを掛け持ちした生活
新人時代は、早朝の肉体労働と夕方からのスーパーという二つのアルバイトを掛け持ちしていました。
朝4時に起きて肉体労働へ行き、午前10時ごろ帰宅する生活から一日が始まります。
帰宅後は夕方までにドラマや映画を2〜3本見て、午後5時から夜10時半まではスーパーで働きました。
スーパーから戻るとすぐに眠り、翌朝4時に再び起きる日々を繰り返しています。
当時は歯列矯正のローンもあり、演技のための時間を確保しながら収入を得るため、時給の高い早朝の仕事を選びました。
新人時代の一日は、早朝の肉体労働、昼間の作品鑑賞、夕方から夜のスーパー勤務という流れでした。
地元の友人は岡山におり、東京では周囲と話す余裕もなく、ひとりで芝居と向き合う時間が続きました。
帰省すると同世代の友人は就職し、家庭を持つ人も現れ始めていたため、俳優として結果が出ない自分と比べて焦ることもありました。
大きな役のオーディション落選からレッスンへ戻るまで
『下剋上球児』に出演する約1年前、ゴールデンタイムのドラマで出番の多い役のオーディションを受けました。
この役を取れば状況が変わると考え、生活の中でも芝居だけを意識し、自分が最も準備したと言える状態で会場へ向かいます。
他の参加者の演技も見たうえで合格したと思いましたが、その場で呼ばれたのは別の俳優でした。
帰り道でマネージャーから、演技は評価されたものの役の見た目とは合わなかったと聞くと、その場で崩れるように泣きました。
頑張っても意味ないのかな
出典:Real Sound「『下剋上球児』の1年前に経験した“挫折”とは」(2025年1月29日)
しばらくは芝居を見ることも避けましたが、その経験だけで俳優を辞めることはなく、再びレッスンとオーディションへ戻りました。
次に長い時間をかけて挑んだのが、高校球児役を選ぶ『下剋上球児』のオーディションでした。
小林虎之介の転機|『下剋上球児』から初主演・朝ドラへ
2023年の『下剋上球児』では、演技だけでなく、長く続けてきた野球も審査の対象になりました。
この作品を境に出演依頼が増え、翌年には初主演とNHKドラマの主要役が続きます。
12年の野球経験で『下剋上球児』日沖壮磨役をつかむ
『下剋上球児』の球児役は、約半年にわたるオーディションで選ばれました。
演技審査に加えて野球の実技審査もあり、小林虎之介さんは選考前からマネージャーや演技講師へ「絶対取る」と伝えています。
実技で落ちることがないよう、自宅でも毎日素振りを続けて審査へ臨みました。
日沖壮磨は中学時代に正捕手だった設定で、小林虎之介さんが高校時代に経験したポジションとも重なります。
それまでのオーディションでは演技だけを見られてきましたが、この選考では12年間続けた野球を、俳優として役を得るために初めて使うことになりました。
ドラマでは右打ちだった本人が左打ちへ戻し、バッティングセンターにも通って、画面の中で経験者に見える打撃を作りました。
日沖壮磨役は、小林虎之介さんにとって初の地上波連続ドラマレギュラーです。
放送後は周囲からの見られ方が変わり、アルバイトを続けながら感じていた将来への不安も、演技の仕事が増えるにつれて薄れていきました。
地上波連続ドラマ初主演『ひだまりが聴こえる』
2024年には中沢元紀さんとともに、テレビ東京のドラマ『ひだまりが聴こえる』でW主演を務めました。
佐川太一役は小林虎之介さんにとって地上波連続ドラマ初主演で、『下剋上球児』で共演した中沢元紀さんとの再共演でもあります。
演じる前には難聴者へ取材し、明るく人懐っこい太一の奥にある孤独まで組み立てて撮影へ入りました。
太一の生い立ちを0歳から考え、台本に書かれていない両親との時間や、他人から嫌われたくない気持ちまで自分の中で作っています。
撮影が時系列順ではなかったため、休憩中も台本を最初から読み返し、太一の感情が場面ごとに途切れないよう準備しています。
同じ年には『PICU 小児集中治療室 スペシャル 2024』など複数のドラマへ出演し、単発の小さな役から主要人物を任される段階へ進みました。
『宙わたる教室』から朝ドラ『風、薫る』へ
2024年10月には、NHKドラマ10『宙わたる教室』で柳田岳人役を演じました。
岳人は読み書きに困難を抱え、20歳で定時制高校へ通う青年で、小林虎之介さんは重要な役を任されたこの作品へ、評価されなければ俳優を辞めた方がよいと考えるほどの気持ちで臨んでいます。
役作りでは岳人が暮らしてきた街の空気を知るために歌舞伎町へ足を運び、教室へ来る前の生活から考えました。
撮影では主演の窪田正孝さんがテイクを重ねても感情を保つ姿を間近で見て、役者が一つの場面へ注ぐ時間と準備を改めて知りました。
そして2026年、NHK連続テレビ小説『風、薫る』で、主人公りんの幼なじみ・竹内虎太郎役として朝ドラに初出演しました。
大学生になるまで演技を仕事にするとは考えていなかった小林虎之介さんは、養成所とアルバイト生活を経て、初めて見た朝ドラの撮影現場へ入りました。
2026年8月時点では『風、薫る』へ出演中で、同年10月期にはドラマ『俺たちの箱根駅伝』で明誠学院大学の主将・青葉隼斗役を演じる予定です。














