西浦心乃助の生い立ちと家族|明石市出身、13年間のサッカーと姉の応募で芸能界へ

西浦心乃助の似顔絵と、明石市出身・13年間のサッカー・姉の応募で芸能界入りという経歴の要点を示したイラスト

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
にしうらしんのすけ
カテゴリー
男性俳優
出身地
兵庫県
生年月日
2009年7月10日
芸能活動開始
2024年
俳優デビュー
2025年
デビューのきっかけ
オーディション

映画『ブラック・ショーマン』やドラマ『ぼくたちん家』などで俳優として出演を重ねてきた西浦心乃助(にしうら・しんのすけ)さん

2009年7月10日に兵庫県で生まれ、2024年の「アミューズボーイズオーディション2024『NO MORE FILTER』」で準グランプリを受賞して芸能界へ入りました。

ただ、芸能活動を始めるまでの生活の中心にあったのは、幼いころから13年間続けたサッカーです。

しかも芸能界への入口となったオーディションは自分で応募したものではなく、本人の知らないところで姉が応募していました。

今回は、そんな西浦心乃助さんの生い立ちや家族、明石市で過ごした学生時代、サッカーに打ち込んだ日々、芸能界へ入ったきっかけ、俳優として演技と向き合うようになるまでをご紹介します。

西浦心乃助は兵庫県明石市出身|13年間サッカーに打ち込んだ少年時代

西浦心乃助さんは兵庫県出身で、2024年のアミューズボーイズオーディションでは兵庫県明石市出身の中学3年生として紹介されています。

芸能界に入る以前はサッカーを長く続けており、所属事務所の公式プロフィールでも特技としてサッカーが挙げられています。

2歳でSUPER EIGHTのライブへ|芸能界への憧れは幼いころから

サッカー中心の少年時代を送った一方で、芸能の世界を見ることも幼いころから好きでした。

学生新聞オンラインのインタビューでは、2歳のころにSUPER EIGHTのライブへ行ったことを明かしています。

「2歳の頃SUPER EIGHTさんのライブに行き」

出典:学生新聞オンライン「The Right Light(ザ・ライトライト)」

小学校低学年のころからは、なにわ男子の大橋和也さんの歌やダンスにも親しんでいたと話しています。

しかし、このころから芸能界を自分の進路として具体的に考えていたわけではなく、本人にとってアーティストはまだ「見る側」の世界でした。

芸能界入り後にはSixTONESの松村北斗さんを俳優としてもアーティストとしても尊敬する人物に挙げており、歌やダンスだけでなく演技への関心も広がっていきました。

小学生でフットサル兵庫県優勝、スペイン大会も経験

幼少期から続けていたサッカーは、単なる習い事の一つではありませんでした。

西浦さん本人によると、小学生のころにはフットサルの大会で兵庫県優勝を経験しています。

「フットサルの大会で兵庫県で優勝したこともあります。」

出典:モデルプレス「The Right Light インタビュー後編」(2026年7月31日)

さらに、サッカーの大会へ参加するためにスペインへ留学した経験もあります。

海外の大会まで経験していたことからも、芸能界に入る前の西浦さんがかなり長く競技へ向き合っていたことが分かります。

後に語った小学生時代からの座右の銘は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」で、サッカーの試合や練習は一人ではできないという感覚も子どものころから持っていたそうです。

中学3年生の夏までサッカー中心の生活

西浦さんは、中学3年生の夏まで13年間サッカーを続けたと振り返っています。

2009年生まれの西浦さんが幼いころから始め、中学生になるまでほぼ途切れず続けてきた計算になります。

2024年5月に行われたアミューズボーイズオーディションの最終審査時点でも、プロフィールの特技・趣味にはサッカーが記載されていました。

インタビューによって「12年間」「13年間」という表現がありますが、2024年5月のオーディション後も中学3年生の夏までサッカーを続けており、後の本人インタビューでは13年間と説明しています。

確認できるのは、2024年5月のオーディション当時に明石市出身の中学3年生だったことと、その後も学業と芸能活動を並行していたことまでです。

西浦心乃助の家族|姉が本人に知らせずオーディションへ応募

西浦心乃助さんの芸能界入りを語るうえで、家族の存在は外せません。

その入口を作ったのは、本人ではなくでした。

家族の中で具体的に確認できる「姉」の存在

2023年10月に募集が始まった「アミューズボーイズオーディション2024『NO MORE FILTER』」へ、西浦さんは自分から応募したわけではありません。

本人のインタビューでは、姉が本人に知らせないまま応募していたことが明かされています。

所属後にアミューズのインタビューで振り返ったときも、本人には応募した実感さえ薄かったことを話していました。

「知らない間に家族がオーディションに応募していた」

出典:アミューズ「アミューズ人/プロダクション4[後編]」(2025年7月)

学生新聞オンラインでは、応募した家族についてさらに具体的に「姉」と語っているため、芸能界へ進む最初のきっかけを作ったのが姉だったことが確認できます。

父親や母親の職業、ほかの兄弟姉妹を含めた詳しい家族構成については、公に語られている情報は多くありません。

「東京に行ける、新幹線に乗れる」から始まった最終審査

本人が応募したオーディションではなかったため、審査が進んでも最初から強く芸能界入りを意識していたわけではありませんでした。

約8,000人が参加したオーディションで最終審査まで残ったと知らされたときの感覚も、かなり等身大です。

「東京行ける!新幹線乗れる!」

出典:モデルプレス「『ぼくたちん家』トーヨコキッズ演じる西浦心乃助って?」(2025年10月19日)

それまで長くサッカーへ打ち込んできたため、この段階では「芸能界で仕事をする」という現実感よりも、東京へ行くこと自体の方が身近だったようです。

ところが、この最終審査が生活を大きく変えることになります。

中学3年生で準グランプリ|約8,000人から選ばれアミューズへ

「NO MORE FILTER」は、アミューズにとって初めての男性に特化した大規模オーディションでした。

1次、2次、1泊2日の合宿審査を経て、約8,000人のエントリーから最終審査へ進んだのは8人です。

14歳で8人のファイナリストに入り準グランプリ

2024年5月6日、東京・大手町三井ホールで最終審査会が行われました。

西浦さんは当時14歳で、8人のファイナリストの中でも最年少でした。

最終審査のアピールタイムでは手品を披露し、アミューズ公式の記事には見事に成功した様子が残されています。

そして最終結果で、約8,000人の応募者から準グランプリに選出されました。

ここで初めて、家族が始めた応募が芸能界で仕事をする可能性へ変わりました。

2024年5月の最終審査時は14歳の中学3年生で、兵庫県明石市出身、特技・趣味はサッカーと紹介されています。

オーディション後、担当者が神戸まで会いに来て所属決定

準グランプリを受賞したからといって、その場ですぐにすべてが決まったわけではありませんでした。

本人によると、最終審査から連絡が来るまでには約3週間あり、一時は忘れられたのではないかと不安になったそうです。

その後、アミューズでThe Right Lightのプロジェクトを手掛ける下井太陽さんが神戸まで西浦さんに会いに行き、所属が決定しました。

明石市でサッカーを続けていた中学生が、東京の最終審査へ行き、今度は芸能事務所の担当者が兵庫県まで会いに来るという順番でした。

6人で始まったThe Right Lightのプロジェクト

西浦さんがアミューズへ所属したあと、もう一つ動き始めたのがボーイズグループのプロジェクトです。

アミューズボーイズオーディションで出会った西浦さん、黒木康正さん、星秀光さんに、松瀬太虹さん、木戸啓人さん、ショーン旺さんを加えた6人が集まりました。

6人での活動は2024年8月に始動し、歌やダンスだけでなく芝居のレッスンにも取り組むようになります。

西浦さんにとっては、長く続けたサッカーから離れた直後に、ダンス、歌、演技というそれまでとは違う課題へ向き合う生活が始まった時期でした。

2025年に行われたインタビューでは、できなかったことへの悔しさを感じる日もあると率直に話しており、初めて経験することが続く中でレッスンを重ねていたことがうかがえます。

サッカー少年から俳優へ|所属直後に決まった『ブラック・ショーマン』

アミューズへの所属は、グループ活動だけでなく俳優としての仕事にもつながりました。

その中でも重要なのが、東野圭吾さんの小説を原作とした映画『ブラック・ショーマン』です。

初めての映画作品で津久見直也役に

アミューズ公式の記録によると、『ブラック・ショーマン』への出演は事務所へ所属したあと、かなり早い段階で決まった仕事でした。

西浦さんにとって同作は初めての映画作品で、津久見直也役を演じています。

津久見直也は主人公たちの学生時代につながる人物で、中学生時代に病気で亡くなった少年として物語に登場します。

作品の中では西浦さん本人の幼少期の写真が使用された場面もあり、俳優として最初期の仕事に自身の子ども時代の写真まで登場する作品となりました。

『ブラック・ショーマン』は西浦心乃助さんの「初めての映画作品」と公式に説明されていますが、公開されている資料だけで撮影順を含む人生最初の演技仕事まで同作だったと断定することはできません。

思うように表現できず「お芝居うまくなりたい」

初めての映画撮影は、作品へ出演できた喜びだけでは終わりませんでした。

アミューズのスタッフは、西浦さんが自分の表現が思うようにいかない悔しさを感じながら、演技を上達させたいという気持ちを強く持って撮影を乗り切ったと振り返っています。

自分から俳優を目指してオーディションへ応募したわけではなかった西浦さんにとって、実際の撮影現場で感じた悔しさが、演技をもっと学びたいという気持ちにつながりました

芸能界に入ったことと、俳優として演技へ意識が向き始めたことは、西浦さんの場合は少し時期が違っています。

家族が応募したオーディションで事務所へ入り、実際に作品へ参加してから、演技そのものへの気持ちが強くなっていきました。

13年間のサッカー経験を持ってSFIDAのCMへ

俳優としての仕事が始まる一方、長く続けてきたサッカーそのものが仕事につながった例もあります。

2024年12月、西浦さんはスポーツブランドSFIDAのCM「きっと輝く未来のために」へ出演しました。

SFIDA側も出演者紹介で、西浦さんが幼少期から13年間サッカーを続け、スペイン留学を経験したことを紹介しています。

CMは全国高校サッカー選手権に合わせて制作され、「選ばれなかった者」の視点から挑戦を描いた内容でした。

中学3年生まで生活の中心だったサッカーは、芸能界入りによって完全に切り離されたのではなく、最初期の出演仕事にもつながりました。

演技を続ける中で俳優という道がはっきりしていった

『ブラック・ショーマン』への出演が決まったあと、西浦心乃助さんはドラマでも演技経験を重ねていきます。

映画の撮影で抱いた「もっと演技がうまくなりたい」という気持ちは、その後の本人インタビューでも繰り返し表れています。

『聞けなかった あのこと』でショートドラマ主演

2025年3月27日には、NHK Eテレのショートドラマ『聞けなかった あのこと〜彼女が妊娠?』で主演を務めました。

作品は思春期の中学生が抱える心や体の悩みを題材とし、西浦さんは彼女が妊娠したかもしれないという不安に向き合う男子中学生を演じています。

2024年5月のオーディションから1年もたたないうちに、主演として一つのドラマを背負う仕事まで経験することになりました。

『ブラック・ショーマン』は所属後すぐに出演が決まった最初の映画作品ですが、公開は2025年9月だったため、視聴者が映像作品で西浦さんを見る機会としては『聞けなかった あのこと』の方が先でした。

『ぼくたちん家』まで続いた10代での俳優経験

2025年には、カンテレ・フジテレビ系『僕達はまだその星の校則を知らない』第3話にも出演しました。

同年には映画『ブラック・ショーマン』が公開され、日本テレビ系『ぼくたちん家』ではみょうが役として連続ドラマに出演しています。

『ブラック・ショーマン』では柊木陽太さんや稲垣来泉さんと共演し、後のインタビューでは二人の芝居から大きな刺激を受けたことも話しました。

芸能界へ入った当初は歌、ダンス、芝居のどれも新しく学ぶ立場でしたが、作品を経験するにつれて、本人が俳優業について語る機会も増えていきました。

アーティストへの憧れは幼いころからありましたが、芸能界入りの前まで長く続けていたのはサッカーで、俳優への意識は実際に演技の仕事を経験してから強くなっています。

「役に寄り添える俳優になりたい」と語るまで

The Right Lightとして活動を始めたころ、西浦さんは歌やダンスだけでなく、俳優業にも挑戦したいと話していました。

その後、『ブラック・ショーマン』や『聞けなかった あのこと』、『ぼくたちん家』などを経験し、芝居について考える時間が大きく増えていきます。

モデルプレスのインタビューでは、歌やダンスと並行しながらも、特に芝居へ強く意識を向けていることを明かしました。

そして個人として目指す姿について、「役に寄り添えるような俳優になりたい」と語っています。出典:モデルプレス「『ぼくたちん家』トーヨコキッズ演じる西浦心乃助って?」(2025年10月19日)

明石市出身の西浦さんは、13年間サッカーを続け、姉が本人に知らせず送ったオーディションへの応募からアミューズへ入り、所属後すぐに決まった初映画の撮影で演技の難しさを知りました。

最初から俳優一本を目指して始まった道ではなく、実際の現場で感じた悔しさをきっかけに、芝居へ向き合う時間が増えていったという順番で俳優としてのキャリアが始まっています。