PROFILE
人物プロフィール
映画『わたしの知らない子どもたち』で二階堂ふみさんとW主演を務める小八重葵美さんは、2013年5月28日生まれ、千葉県出身の俳優です。
2025年公開の映画『#真相をお話しします』で俳優デビューし、その後、西川美和監督の『わたしの知らない子どもたち』で初主演に抜擢されました。
2026年9月には、13歳で第51回トロント国際映画祭のワールドプレミアにも参加しています。
そんな小八重さんですが、芸能界への最初の一歩は、小学生のころに抱いた「テレビに出たい」という気持ちと、母親や姉と出かけた原宿での出来事でした。
そこから映画デビューまでの間には、まだ広く知られていない家族とのエピソードや、学校での等身大の姿もあります。
今回は、そんな小八重葵美さんの生い立ちや家族、学生時代、芸能界へ入ったきっかけ、俳優デビュー、初主演に選ばれるまでをご紹介します。
小八重葵美の生い立ち|千葉で育ち「テレビに出たい」と思った小学生時代
小八重葵美さんは、2013年5月28日に千葉県で生まれました。
幼少期について公に語られていることはまだ多くありませんが、芸能界を意識するようになった時期については本人が具体的に振り返っています。
2013年生まれ、千葉県で育つ
日本タレント名鑑では、出身地は千葉県、趣味は「歌うこと」と「ドラマ鑑賞」、特技は「人を笑わせること」と紹介されています。
特に「歌うこと」は、後に大きな役をつかむオーディションでも実際に力を発揮することになります。
小八重葵美さんの名前は「こやえ・あみ」と読みます。2013年5月28日生まれで、2026年9月にトロント国際映画祭へ参加したときは13歳でした。
小学4年生で「テレビに出たい」と思い始める
芸能界を意識したのは、小学4年生のころでした。
2026年9月のスポニチアネックスの取材では、当時について、漠然と「テレビに出たい」と思ったことを明かしています。
この時点では「俳優になりたい」と職業を決めていたわけではなく、まずテレビの世界そのものに興味を持っていたことが分かります。
そして、その気持ちは頭の中だけでは終わりませんでした。
母親と姉と一緒に、スカウトされることを期待して東京・原宿へ出かけたのです。
小八重葵美の家族|姉1人・弟2人、母と姉と原宿へ
本人の取材では、母親のほか、姉1人・弟2人とのエピソードが語られています。
家族との出来事の中でも、芸能界へ進むきっかけになった原宿での一日は特に印象的です。
姉が先に声をかけられ、自分も面接へ
小学4年生だった小八重さんは、「テレビに出たい」という思いから、母親と姉と一緒に原宿へ行きました。
ところが、実際にスカウトから声をかけられたのは小八重さんではなく、先に姉でした。
そこで小八重さんは、そのまま見ているだけにはなりませんでした。
「“こっち見て”と、おやつを欲しがる子犬ぐらい過去一可愛い顔をしました」
出典:スポニチアネックス「13歳小八重葵美 今秋公開の主演映画で戦争孤児の“少年”熱演 パッチリ目力が武器の超新星現る」(2026年9月2日)
そのアピールが相手の目に留まり、小八重さんも面接に呼ばれました。
姉が先に声をかけられた原宿で、自分から存在を知らせたことが芸能界へ入るきっかけになりました。
小八重さんはボックスコーポレーションに所属し、芸能活動へ進みました。
ただし、この原宿での出来事は「芸能界に入るきっかけ」であり、俳優としてのデビューとは別の出来事です。
きょうだいとの日常が役の言葉遣いにも重なった
小八重さんには、姉が1人、弟が2人います。
姉や弟たちとはけんかをすることもあり、そのときには自分でも口調が荒くなると本人が話しています。
後に『わたしの知らない子どもたち』で演じた琴子は、戦後を生き延びるために少女であることを隠し、少年として振る舞う役でした。
普段はしないあぐらなどの動作には苦労した一方、少年たちのような荒い言葉遣いについては、きょうだいげんかでの経験もあって難しくなかったと振り返っています。
また、初主演が決まった際には、スタッフや共演者だけでなく家族にも相談し、支えてもらったことを本人の公式コメントで明かしています。
相談に乗ってもらううちに不安がやわらぎ、芝居や人と接することを楽しめるようになったとも振り返っています。
小八重葵美の学生時代|中学では剣道部、アニメや漫画が好き
映画で大きな役を任される一方、2026年9月の取材時には中学1年生として学校生活を送っていました。
取材で学校の話題になると、撮影現場とはまた違う13歳らしい日常について話しています。
中学1年生で剣道部へ
中学校では、剣道部に入部しました。
スポニチアネックスの取材では、剣道部のほか、アニメや漫画が好きなことも話しています。
日本タレント名鑑に掲載されている趣味の「歌うこと」「ドラマ鑑賞」と合わせると、学校生活の外でも映像や音楽に触れることが好きだったことがうかがえます。
2026年9月の取材では、よく歌う曲として大森靖子さんの楽曲を挙げ、漫画『万事快調〈オール・グリーンズ〉』にもハマっていると話していました。
自分から話しかけるのは少し苦手な等身大の13歳
原宿では自分に気づいてもらおうと行動した小八重さんですが、学校では自分から人に話しかけることはあまり得意ではないとも話しています。
友人関係についても本人の言葉で話し、アニメや漫画、剣道部についても取材で答えています。
映画の撮影と学校生活を並行しながら、中学生として部活動にも取り組んでいました。
その学校生活と並行するように、映画の仕事も具体的に始まっていきました。
小八重葵美が俳優になるまで|2025年『#真相をお話しします』でデビュー
小八重さんの経歴を見るときは、芸能界へ入った時期と、俳優として作品に出演し始めた時期を分けて考える必要があります。
原宿での面接が芸能界への入口となり、公式プロフィール上の俳優デビューは2025年公開の映画『#真相をお話しします』です。
芸能界入りと俳優デビューの時系列
K2 Picturesの公式キャストプロフィールでは、2025年の『#真相をお話しします』を小八重さんの俳優デビュー作としています。
同作は2025年4月25日に公開され、小八重さんは凛子役で出演しました。
一方、西川美和監督は『わたしの知らない子どもたち』のオーディションで小八重さんと出会った時点について、まだ芝居の経験がなかったと明かしています。
作品の「公開順」とオーディションや撮影の「実施順」は同じとは限りません。公式プロフィール上の俳優デビュー作は『#真相をお話しします』ですが、『わたしの知らない子どもたち』のオーディション時には芝居未経験だったことも西川美和監督の証言で確認できます。
つまり、原宿で芸能活動への入口をつかんだことと、2025年に俳優としてスクリーンに登場したことは、同じ出来事ではありません。
短編『Happy End of the World』へ
『#真相をお話しします』に続き、2025年には千原徹也監督の短編映画『Happy End of the World』にも出演しています。
そのキャリア初期に、次の大きな仕事も動いていました。
それが、西川美和監督が約500人を対象に行った『わたしの知らない子どもたち』の主人公・琴子役のオーディションでした。
約500人から初主演へ|『わたしの知らない子どもたち』が大きな転機に
『わたしの知らない子どもたち』は、戦争で家族と日常を失った12歳の少女・茅野琴子が、身を守るために性別を隠し、少年として戦後を生きる物語です。
小八重さんは約500人のオーディションから琴子役に選ばれ、自身初の主演を務めることになりました。
この役のオーディションを受けた理由について、小八重さんは戦争を扱う作品に関心を持ったことに加え、もともと好きだった音楽が物語に関わっていたことも挙げています。
約500人のオーディション|目と歌声が決め手
西川監督は琴子役を探すため、小学4年生から中学1年生ほどまで幅広い年代の女の子にオーディションで演じてもらっていました。
なかなか琴子に見える人物が見つからない中で出会ったのが、小八重さんでした。
当時は芝居経験がなかったものの、監督は琴子が持つ芯の強さと合うことに加え、目の輝きとカメラに向ける表情を高く評価しています。
さらに、オーディションでは劇中の子守唄を歌う審査もありました。
もともと「歌うこと」を趣味に挙げていた小八重さんの歌声も評価され、スタッフの満場一致で琴子役に決まりました。
西川監督は、小八重さんが決まったことで琴子に合わせて脚本を書き直す必要はなかったとも話しています。
その後の子ども役のオーディションでは小八重さんにも参加してもらい、琴子とのバランスを見ながらほかの役を決めていきました。
主演が決まったと知らされたとき、小八重さんはすぐには信じられず、その後は作品の中心を担うことへの不安も感じたと公式コメントで明かしています。
撮影序盤には緊張もありましたが、西川監督からより大きく表現してよいと助言され、撮影が進むにつれて琴子の強さを表情に出せるようになったと本人は振り返っています。
琴子は少女であることを隠して少年として暮らすため、言葉だけでなく座り方や体の使い方にも普段とは違う動きが求められました。
西川監督は膝をそろえて座らないようにするなど具体的に演出し、小八重さん自身も普段しないあぐらなどの動作には苦労したと振り返っています。
広島で役を学び、13歳でトロント国際映画祭へ
琴子を演じるために必要だったのは、演技の練習だけではありませんでした。
子どもたちには戦中・戦後の暮らしや歴史を学ぶ機会が設けられ、K2 Picturesの公式発表では歴史や生活を学ぶ勉強会を3回行ったとされています。
昭和館を訪れたり、当時を題材にした作品を見たりしながら、撮影に入る前から時代の生活や言葉を学んでいきました。
東京大空襲や当時の生活を学び、子どもたちでアニメ映画『うしろの正面だあれ』を見るなど、演技に入る前に時代そのものを知る時間が取られました。
子どもたちはリハーサルも重ね、現代とは違う言葉遣いや立ち居振る舞いを繰り返し練習してから撮影に臨んでいます。
小八重さん自身も、「広島平和記念資料館に行きたい」と自ら申し出ました。
女性スタッフと1泊2日で広島を訪れ、見学後には感想を書き、さらに実際に戦争孤児だった人からも話を聞いています。
「戦争を経験した方に失礼がないように大切に演じたい」
出典:Movie Collection「『わたしの知らない子どもたち』西川美和監督×小八重葵美インタビュー」(2026年8月14日)
本人は、戦争について十分に知らなかったからこそ、広島へ行ったり映画を見たりして撮影前に調べたと話しています。
二階堂ふみさんとの共演では、終盤に2人が向き合う場面で二階堂さんの演技を受けて自分も涙が出たことや、ラストシーンの撮影後に抱きしめてもらったことも明かしています。
そうして完成した初主演作は、2026年9月10日にカナダで行われた第51回トロント国際映画祭でワールドプレミアを迎えました。
同作はプラットフォーム部門で、日本映画として初めてオープニング上映作品に選ばれました。
小八重さんにとって、このトロント訪問は初めての海外、初めての国際映画祭、そして初めての舞台挨拶でした。
舞台上では英語で名前と琴子役を演じたことを伝え、上映後には海外の観客が自分の予想していなかった場面で笑っていたことに驚いたと話しています。
上映後にはサインや写真を求める観客が小八重さんの周囲に集まり、初めての国際映画祭での一日を終えました。















