PROFILE
人物プロフィール
舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』でスコーピウス・マルフォイ役を演じ、映画『東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編』などにも出演した俳優の西野遼さん。
2000年11月27日生まれ、三重県出身で、4歳から空手を始め、水泳やバスケットボールにも長く取り組んできました。
ただ、高校生まで俳優を目指していたわけではなく、将来の夢は教師でした。
芸能界へ入るきっかけを作ったのは、本人ではなく、先に俳優として活動していた姉でした。
大学進学が決まった高校3年生の時期に、知らないところで応募されていたジュノン・スーパーボーイ・コンテストが、その後の進路を変えていきます。
今回は、そんな西野遼さんの生い立ちや家族、高校・大学時代、芸能界へ入ったきっかけ、初めての芝居、俳優として進むことを決めるまでをご紹介します。
西野遼の生い立ち|三重県でスポーツに打ち込んだ子ども時代
西野遼さんは2000年11月27日、三重県生まれです。
子ども時代は一つの競技だけではなく、空手、水泳、バスケットボールと、体を動かすことの多い生活を送っていました。
4歳から極真空手、水泳やバスケットボールにも熱中
西野さんが空手を始めたのは4歳のころで、極真空手では叔父が師範だったことも本人インタビューで明かされています。
ホリプロの公式プロフィールには、極真空手7年、フルコンタクト空手3年、バスケットボール6年、水泳6年と記載されています。
一時的に体を動かしていたという程度ではなく、子ども時代から学生時代にかけて複数のスポーツを続けてきたことが分かります。
極真空手では身近な叔父が師範を務めており、本人にとって空手は家庭の外で偶然始めた習い事ではなく、家族との接点もある競技でした。
水泳を6年、バスケットボールも6年続けているため、幼少期から高校までの人物像を「空手一筋」だけで捉えるより、複数の競技を長く続けてきた少年だったと見る方が実像に近そうです。
特に空手は、のちにジュノン・スーパーボーイ・コンテストの最終選考でも披露する特技になりました。
ホリプロの公式プロフィールでは、趣味の一つに「親子三代のジャイアンツファン」と記載されており、スポーツは本人だけの趣味ではなく、家族との共通項にもなっています。
学校の劇は好きでも、将来の夢は教師だった
学校では明るいキャラクターで、スポーツに打ち込んでいた一方、当時考えていた将来の職業は芸能人ではありませんでした。
子どものころからの夢は教師で、高校生になっても芸能界を自分の進路として現実的には考えていませんでした。
ただし、人前で何かを演じること自体を避けていたわけではありません。
本人は後年、学校の劇などで演じることはもともと好きだったと振り返っています。
つまり、学生時代の西野さんには「演じることが好き」という感覚はありましたが、それを職業に結び付けてはいませんでした。
この時点での進路はあくまで教師で、芸能界へ入るために学校生活を送っていたわけではありません。
道を切り開くきっかけを作ってくれたのは姉ですね
出典:ENCOUNT「教員志望から一転、芸能界へ 舞台『ハリポタ』に出演する西野遼の“人生を変えた瞬間”」(2024年3月16日)
西野遼の家族|俳優の姉・西野凪沙と兄弟について
西野さんの芸能界入りを語るうえで、家族の存在は外せません。
本人と家族の公式発信から、2人の姉と2人の弟がいることが確認でき、そのうち一人の姉が俳優の西野凪沙さんです。
先に俳優として活動していた姉・西野凪沙
西野凪沙さんは1999年4月10日生まれ、三重県出身で、西野遼さんより先に俳優として活動を始めていました。
遼さんは、姉の活動を見て芸能界に興味を持つことはあったものの、自分は普通の高校生で縁のない世界だと思っていたと話しています。
その距離を一気に縮めたのが、凪沙さんによる第32回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストへの応募でした。
しかも、遼さん本人には知らせないまま応募していました。
2019年6月には、凪沙さん自身がXで西野遼さんを弟だと明記し、17,165人からBEST100に選ばれたことを知らせて投票を呼びかけています。
コンテストへ応募しただけではなく、選考が進んだあとも姉として弟を応援していた様子が残っています。
また、遼さんは2020年に姉の影響でフィルムカメラを始めたことも投稿しており、芸能界入り以外にも姉から影響を受けていることがうかがえます。
弟たちや実家の家族について確認できるエピソード
遼さんには弟が2人います。
また、凪沙さんの公式Xでは2023年に自身の姉夫婦に子どもが生まれたことも明かされており、凪沙さんより年上の姉がいることも確認できます。
そのため、本人と姉の公式発信を合わせると、西野さんには姉が2人、弟が2人いることが分かります。
2020年1月、三重県の実家へ帰った際には、弟2人とキャッチボールをしたり、一緒に映画を見たりしたことを本人がXで伝えていました。
投稿には、実家で見つけた昔の写真と同じ場所で撮った写真についても触れられており、地元の家に帰ったときの家族との時間が伝わる一枚になっています。
2022年11月27日の22歳の誕生日にも、たまたま実家へ帰っていたため家族に祝ってもらったと本人が投稿しています。
芸能活動を始めて上京したあとも、三重県の実家へ戻った際の出来事を本人が何度か発信しており、弟たちとの遊びや誕生日の祝いといった日常的な家族の場面が残っています。
両親の氏名や職業などは公表されていませんが、大学卒業時にも西野さんは支えてくれた家族への感謝を言葉にしています。
西野遼さんの家族について公式発信から確認できるのは、俳優の姉・西野凪沙さん、もう一人の姉、2人の弟、両親との具体的な交流です。家族の職業や経済状況については公表情報がないため断定できません。
高校から大学へ|三重県から上京した学生時代
高校時代まで芸能界を自分の進路とは考えていなかった西野さんは、大学受験を経て三重県から東京へ上京しました。
この大学進学の時期と、姉が応募していたジュノンの選考開始が重なります。
高校3年で受験を終え、大学進学が決まる
本人によると、ジュノンのBEST1000通過を知ったのは、高校3年生で受験を終え、大学進学も決まって羽を伸ばしていた時期でした。
東京へ行く当日になって、姉から渡された手紙に東京会場のことが書かれており、そこで初めて具体的な選考へ向かうことになります。
本人は後年、姉が大学進学による上京のタイミングまで考えて応募してくれていたのではないかと振り返っています。
高校卒業後に三重県を離れて東京の大学へ進むという本人の進路と、ジュノンの東京での審査がほぼ同じ時期に始まった形でした。
教師を目指して大学へ進むはずだった時期に、本人の知らないところで別の進路への入口も用意されていました。
出身高校・大学名は?確認できる学歴と卒業まで
西野さんの高校や大学については検索されることが多いものの、本人や所属事務所の公式プロフィールでは学校名そのものは公表されていません。
一方で、大学進学を機に三重県から上京したこと、2019年に大学1年生としてジュノンへ参加したこと、芸能活動を続けながら大学を卒業したことは本人の発言や公式発信で確認できます。
2019年11月のJUNON TVにも、西野さんは三重県出身の18歳・大学1年生として掲載されているため、コンテスト最終選考のころに大学1年生だったことは公式記録からも確認できます。
学校名を推測しなくても、高校3年で進学先が決まり、大学入学を機に上京し、4年間を芸能活動と並行して卒業したという学歴上の流れはかなり具体的に追えます。
ネット上では大学名を特定する情報も見られますが、同姓同名の情報も混在しており、西野遼さん本人の在籍を裏付ける公式資料は確認できません。高校名・大学名は推測で断定しないのが適切です。
2023年3月29日には、本人が大学を卒業したことをXで報告しました。
4年間で得た経験や友人に触れたうえで、家族への感謝とともに、社会人としてこの仕事と向き合っていくことを書いています。
大学卒業は学歴上の区切りだけではなく、西野さんが俳優という仕事を進路として選び直す時期でもありました。
姉が内緒で応募したジュノン|大学1年で準グランプリへ
大学への進学が決まったころに始まったジュノンの選考は、西野さんにとって初めて芸能界を自分の進路として考える時間になりました。
応募したのは本人ではありませんでしたが、選考が進むにつれて、本人自身の意識も変わっていきます。
BEST1000の通知で初めて応募を知る
姉が応募していたことを知ったのは、BEST1000に残ったという連絡が来てからでした。
それまで本人は応募されたこと自体を知らず、自分からなら絶対に応募していなかったとも振り返っています。
それでも実際に審査へ進み、BEST100、ファイナリストへと残っていきました。
姉が最初の扉を開いたあと、その先の審査を続けたのは西野さん本人です。
朝7時半のSHOWROOMと大学生活を両立
選考中はすでに大学1年生で、ジュノンの審査だけに集中できる生活ではありませんでした。
SHOWROOM審査では、朝7時半ごろから約1時間配信し、その後大学へ行って授業を受け、帰宅してから再び配信する生活を送っていたといいます。
大学生活とコンテストの審査が同時進行だったことは、西野さんの「大学」と「芸能界入り」を別々の話にせず読んだ方が分かりやすい理由でもあります。
学校の劇で演じることは好きだった西野さんですが、ジュノンの活動では、人から応援され、その応援に勇気づけられる経験を初めて強く意識しました。
その経験を通して芸能の仕事に魅力を感じ、本気で目指してみたいと思うようになったと話しています。
準グランプリ受賞を経て俳優を本気で目指す
2019年11月24日、第32回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストの最終選考会が行われました。
応募総数17,165人から選ばれた15人のファイナリストが集まる中、西野さんは準グランプリとQBナビゲーター賞を受賞しました。
最終選考では、子どものころから続けてきた空手を取り入れた「ミュージック空手」を披露しています。
Deviewは当時、西野さんが「ミュージック空手」と笑顔で観客を魅了したと報じ、JUNON TVにもB’z「兵、走る」とともに西野さんを紹介する動画記事が残されています。
4歳から続けてきた空手が、芸能界への入口となった最終選考のステージでも本人を表す特技として使われました。
コンテスト受賞は芸能界へ入る大きなきっかけになりましたが、ここで「俳優としての最初の芝居」が終わったわけではありません。
西野さんが実際に初めて芝居を経験するのは、翌2020年です。
2020年「蜃気楼」で初めて芝居|俳優としてのスタート
ジュノン受賞後、西野さんは映像の仕事へ進みます。
最初の大きな節目になったのが、Natural Lagの楽曲「蜃気楼」のミュージックビデオでした。
初めての芝居から、さらに別の役へ興味が広がる
Natural Lag「蜃気楼」のミュージックビデオは、2020年1月17日に公開され、西野さんが主演しました。
ユニバーサル ミュージックの公式発表では、西野さん自身がこの撮影を初めての芝居だったと明言しています。
初めてのお芝居は、不安でいっぱいでした
出典:Universal Music Japan「『蜃気楼』Music Video公開!」(2020年1月17日)
撮影では緊張していたものの、周囲に支えられて最後までやり切り、その経験からもっとさまざまな役を演じてみたいと感じたとコメントしています。
本人は、緊張で固くなっていたところへ楽曲を手がけた花村想太さんが気さくに声をかけてくれたことにも触れていました。
監督は映画『少女邂逅』などを手がけた枝優花さんで、西野さんはジュノン受賞から約2か月後に、映像作品の主演として初めて芝居と向き合うことになりました。
コンテストで俳優を目指そうと考えたあと、実際にカメラの前で人物を演じ、その先の役を望むようになった瞬間でした。
西野遼さんの場合、2019年のジュノン受賞が芸能界入りのきっかけで、2020年1月の「蜃気楼」が本人の言う「初めてのお芝居」です。その後、同年にテレビドラマへ出演しており、芸能界入りと演技開始は別の出来事として整理できます。
「だから私はメイクする」でドラマデビュー
同じ2020年には、テレビ東京のドラマ『だから私はメイクする』第3話へ出演し、テレビドラマの仕事も始まりました。
「蜃気楼」が初めて芝居をした映像作品だったのに対し、『だから私はメイクする』は連続ドラマへの出演という次の段階にあたります。
その後は『姉ちゃんの恋人』『竹内涼真の撮休』などへ出演し、2021年には実写ドラマ『ホリミヤ』で飯島光役を演じています。
大学へ通いながら、MV、ドラマ、映画へと少しずつ演技の場を広げ、2022年には映画『アキラとあきら』、NHK BS時代劇『赤ひげ4』にも出演しました。
2023年には映画『東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編』にも出演しています。
出演作を増やしていた一方で、大学卒業を迎えるまでは学生生活も続いていました。
そして卒業の時期に、西野さんは俳優という仕事との向き合い方を改めて決めます。
大学卒業後「ハリー・ポッターと呪いの子」へ|スコーピウス役で初舞台
大学を卒業した2023年、西野さんは映像作品とは大きく異なる舞台へ進みました。
選ばれた役は、舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』のスコーピウス・マルフォイです。
しかも、この作品が西野さんにとって初舞台でした。
周囲が就職する時期に芸能一本で生きると決める
大学卒業の時期、西野さんの周囲では同級生たちが新卒で就職していきました。
そのタイミングで本人は、芸能一本で進むことを決めました。
そして大学を卒業して間もなく、『ハリー・ポッターと呪いの子』への出演が決まります。
本人はこの時期を振り返り、作品が決まったことで、俳優の仕事で生きていくという意識を強く持てたと話しています。
子どものころは教師を夢見ていた西野さんは大学へ進学し、その在学中に芸能活動を始めました。
卒業は、俳優を職業として選ぶ明確な区切りになりました。
オーディションでスコーピウス役をつかむ
西野さんは子どものころから『ハリー・ポッター』シリーズが好きで、映画をテレビで見たり、自宅にあった『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』のDVDを繰り返し見たりしていました。
俳優になってから作品と出会ったのではなく、観客として長く親しんできたシリーズの舞台オーディションを受けることになった形です。
舞台を初めて観劇したときには、スコーピウスの人柄に惹かれました。
絶対にこの役を演じたい! そう思いました。
出典:TBS INNOVATION LAND「舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』6月以降の公演に新キャストが追加」(2023年6月2日)
スコーピウス役のオーディションでは、一般的なオーディションのように台詞を覚え込まず、台本を見ながら演じてもよいと伝えられていました。
そのため西野さんは役を決め打ちして作り込むのではなく、『ハリー・ポッター』の映画を見返す程度の準備で審査へ向かっています。
西野さんは映画シリーズを見返した程度で臨み、その場で感じたものを芝居として出すことを意識したと話しています。
その場で、感じたことを表現しました
出典:演劇メディアAudience「スコーピウス役・西野遼インタビュー!」(2024年3月2日)
アルバスとスコーピウスが出会う場面を演じた際、ある台詞で演出側が笑ったため、本人は合格への手応えも感じていました。
映像作品の経験を重ねたあと、初舞台で世界的に知られる作品の主要人物を演じることになりました。
初舞台で自分なりのスコーピウスを作るまで
役を得たあとも、初舞台ならではの難しさがありました。
映像では撮影した一場面を積み重ねていきますが、『ハリー・ポッターと呪いの子』では長い公演を舞台上でつなぎ、台詞だけでなく魔法表現を含む細かな動きにも正確さが求められます。
ENCOUNTのインタビューでは、西野さん自身が舞台での発声方法も分からない状態から始めたと振り返っており、映像作品を経験していても舞台では基礎から学ぶ必要がありました。
西野さんは他の2年目キャストより早く稽古へ参加し、1年目のキャストが演じるスコーピウスを見ながら役を作っていた時期がありました。
ところが新しいキャストとの稽古に移ったとき、無意識のうちに先代の演技が自分の中へ入り込み、自分自身の芝居ができなくなっていることに気づきます。
その色を抜くのに苦労しました
出典:LANDOER「西野遼 舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』」(2024年3月12日)
演出家からは、自分なりのスコーピウスを作ればいいという趣旨の言葉をかけられ、型にはめるのではなく、自分が役から感じたことを出す方向へ変わっていきました。
約2か月の稽古を経て、2023年8月4日にスコーピウス・マルフォイ役として初日を迎えました。
その年の12月30日には、自身のXで83公演目を終えたことを報告しています。
高校時代には芸能界を自分とは縁のない世界だと考えていた西野さんは、姉の応募でジュノンへ進み、大学生活と芸能活動を両立しながら初めての芝居を経験しました。
大学卒業後に俳優一本の進路を選び、その直後に初舞台でスコーピウス役をつかんだところまでが、西野遼さんが俳優として歩き始めた大きな一区切りです。
















