PROFILE
人物プロフィール
菅生新樹さんは、NHK連続テレビ小説『おむすび』の古賀陽太役や、2026年のドラマ『人は見た目じゃないと思ってた。』の主演で知られる俳優です。
兄二人も芸能活動をしており、新樹さんは三兄弟の末っ子として大阪府で育ちました。
ただし、子役として兄の後を追ったわけではなく、大学進学で上京したあとも、卒業間近までは芸能界を進路に決めていませんでした。
大学時代には服を売る仕事に夢中になり、俳優を選ぶ直前には自分で演技のワークショップを探しています。
今回は、そんな菅生新樹さんの生い立ちや家族、高校・大学時代、芸能界へ入ったきっかけ、俳優として最初の仕事とその後の転機をご紹介します。
菅生新樹の生い立ち|大阪で兄たちに囲まれた幼少期
菅生新樹さんは、1999年8月26日に大阪府で生まれました。
所属事務所の公式プロフィールで公表されている出身地は大阪府までですが、母の回想には、家の中で兄弟が一緒に遊んだ具体的な場面が数多く残っています。
居間は毎日が運動会|三兄弟で野球をした日々
母・菅生好身さんによれば、菅生家の居間では、プラスチックのバットと発泡スチロールのボールを使った野球が始まっていました。
家の中は「毎日運動会」が開かれているようなにぎやかさだったといいます。
体の小さい新樹さんにはハンデがあり、長兄は打ちやすいボールを投げ、うまく打てると二人の兄がそのプレーを素直に褒めました。
長兄とは7学年離れていましたが、三人で行動することが多く、兄弟げんかは少なかったそうです。
母は、上の子が下の子の面倒を見るのが菅生家の日常だったと幼いころの三兄弟を振り返っています。
新樹さんが生まれたときには、長兄が次兄を世話する姿を見て育った次兄も、自然に末っ子の面倒を見るようになりました。
二人の兄は世話をするだけでなく、年下の新樹さんの得意なことには一目置き、できたことを兄弟として認めていました。
新樹さんは後年、野球経験はほとんどなかったと話していますが、幼いころの菅生家では、居間の兄弟野球が身近な遊びでした。
長兄におんぶされ、長兄の上京後は次兄を頼るように
新樹さんが小さかったころ、長兄の大将さんは参考書を読みながら左手で弟の背中をたたき、寝かしつけたことがありました。
幼稚園へ迎えに行き、おんぶして帰るのも長兄の役目でした。
その長兄は16歳で『仮面ライダーW』の主演に決まり、菅田将暉という名前で活動するため東京へ移りました。
長兄にべったりだった新樹さんは、しばらく泣いて落ち込むほど寂しがったと母は記しています。
長兄が家を離れると、次兄の健人さんが兄の役割を担い、新樹さんは何かあるたびに次兄を頼るようになりました。
幼い末っ子を二人の兄が世話し、長兄の上京後には次兄との距離が近づくという変化が、三兄弟の間で起きていました。
菅生新樹の家族|父・母と菅田将暉、こっちのけんと
菅生新樹さんの生育家族は、父、母、長兄、次兄、新樹さんの五人です。
兄弟の知名度が上がったあとも、両親と三兄弟が昔を語る機会は多く、家庭内で交わされていた言葉まで公にされています。
家庭では小学校へ入る前から、初対面の大人にも自分の名前を伝えて挨拶することを教えられました。
菅生家の三男|菅田将暉・こっちのけんととの順番
父は経営コンサルタントなどの仕事をしてきた菅生新さんで、母は菅生好身さんです。
母は三人の息子を、上から「大将、健人、新樹」と紹介しています。
大将さんが俳優・歌手の菅田将暉さん、健人さんがアーティストのこっちのけんとさんで、新樹さんは三男です。
菅生家の兄弟は、長男・大将さん、次男・健人さん、三男・新樹さんの順で、新樹さんは二人の兄に囲まれて育った末っ子です。
所属事務所でも「菅生新樹」と「Araki Sugou」が公式表記として使われており、別の芸名は公表されていません。
父の問いかけと、塾選びのプレゼン
新樹さんが映画を見て「楽しかった」と答えると、父は「どこが、どうだったか」と具体的な感想を求めました。
子ども扱いせず、一人の人間として考えを聞く父との関係を、新樹さんは俳優活動を始めた年にこう表現しています。
今も父親ですけど上司みたいな。1番、頼れるし、相談できる存在です。
出典:ORICON NEWS「菅田将暉の弟・菅生新樹、父親との上下関係語る『父親ですけど上司みたい』 幼少期からのエピソードも明かす」(2022年9月20日)
高校生のときには、通える範囲にある塾を自分で調べ、訪問して資料と費用をそろえ、希望する一校を父へプレゼンする課題が出されました。
選んだ塾が合わないと感じたあとも、もう一度調査とプレゼンを行い、別の塾へ変えています。
プレゼンのミッションは、正直イヤでした…。
出典:PHPオンライン「『なんで勉強せなあかんねん!』 弟の問いに中学生だった長男・菅田将暉が出した答え」(2022年2月7日)
嫌だった一方で、希望を通す理由を考える時間は少し楽しく、物事の意味を考える習慣を学んだとも振り返っています。
家族で続けた「今日よかったことを3つ」の習慣
菅生家には、寝る前にその日の「よかったこと」を三つ挙げる習慣もありました。
外へ出なかった日にもよいことを探し、同時にうまくいかなかったことも振り返る時間でした。
どんな状況下でも自然と良いことを見つけられるようになる。
出典:テレ東プラス「“野良犬タイプ”っぽいけど実はビビり!?注目俳優・菅生新樹インタビュー」(2025年5月16日)
映画の感想を詳しく答える父との会話も、よかったことを三つ探す家族の時間も、短い言葉で済ませず自分の中を見直す日課でした。
菅生新樹の学生時代|高校から東京都内の大学へ
二人の兄が先に東京へ移ったあと、新樹さんは大阪で高校生活を送りました。
父の記録には、兄たちのいない高校生活の始まりを寂しがりながらも、部活動や友人との時間を重ねた様子が残っています。
2018年2月に高校を卒業し、大学進学を機に上京しました。
サッカー・バスケットボール、ドラムに親しんだ学生生活
高校ではバスケットボール部に入り、父が卒業時に残した記録にも「部活三昧」だった三年間が記されています。
友人が家へ泊まりに来ることも多く、夜から朝まで雑魚寝で話す声が家に響いていました。
受験勉強だけでなく、父の仕事場で勉強会の受付を手伝い、年上の参加者と話す機会もありました。
スポーツではサッカーにも親しみ、音楽ではドラムを演奏しています。
俳優になったあと、学生時代の経験を生かして『TEPPEN 2023冬』のドラム対決にも挑みました。
大学進学で上京|学校名はどこまで公表されている?
高校卒業時の父の公式ブログには、大阪での生活を終えて、東京で新しい生活を始めることが書かれています。
同じ記事に掲載された新樹さんの家族宛てメッセージでは、学校名が「○○高校」と伏せられていました。
所属事務所が2022年に発表した経歴も、卒業校を「東京都内の大学」とだけ記しています。
菅生新樹さんの高校名と大学名は公式には公表されていません。父の高校卒業時の記録でも校名は伏せられ、所属先も「東京都内の大学」と発表しています。
確認できるのは、2018年春に大学進学で大阪から東京へ移り、2022年3月に卒業したことです。
古着店などで働き、友人と過ごした大学生活
大学時代は、古着店やファストファッションの店、友人が立ち上げたブランドの店で働きました。
服そのもの以上に、人と話しながら服を売ることを楽しんでいたといいます。
休日には男友達とボウリングやダーツ、カラオケへ行き、古着店を巡り、ときにはレンタカーで遠出しました。
一人で過ごすより友人といることを好み、集まりでは自分から話題を出して会話を回すことが多かったそうです。
大学生のころ、初めてのアルバイト1か月分の給料で買った黒縁眼鏡は、内側の文字が消えかけても2026年まで大切に使い続けていました。
大学卒業後に俳優になった直後のインタビューでは、こうした日々を「ザ・大学生みたいなこと」と話しています。
上京した当初は芸能の道を進路として考えておらず、卒業後を具体的に考える時期になるまで、友人や販売の仕事を中心とした大学生活を送っていました。
俳優になる前|モデル・CMとアパレルの仕事
新樹さんは、大学卒業後に突然カメラの前へ出たわけではありません。
在学中から広告やモデルの仕事を経験していましたが、当時は俳優を本業にしておらず、アパレルの販売も続けていました。
大学在学中にモデル活動、「エコリング」CMへ
最初に公表されている広告出演は、2020年12月に始まった「エコリング」のCMです。
2021年1月からは「串家物語」のCMにも出演し、アパレルブランドのモデルも務めました。
この時期は芸能活動の始まりに当たりますが、ドラマで役を演じた俳優デビューとは別の段階です。
大学卒業後の所属発表を経て出演した「バーチャル高校野球」のCMが、俳優活動を本格化すると公表してから最初の仕事になりました。
服を売る仕事に区切りを感じ、演技ワークショップへ
進路が動いたのは、大学3年生のころでした。
服を売る仕事には十分取り組んだという感覚が生まれ、そのまま同じ日々を続けることが自分に合っているのかを考え始めます。
子どものころから映画やドラマが好きだったため、自分で演技のワークショップを調べて通いました。
すごく面白い! もっと知りたい!!
出典:毎日キレイ「菅生新樹:菅田将暉の弟 俳優デビューで注目 せりふなしでも『存在感のある俳優』目指す」(2022年9月10日)
台本の言葉を考え、演出によって表現が変わる発見を重ねるうちに、もっと本格的に演技をしたいという気持ちが強くなりました。
決まった答えのない台本を読み、演出家と試すたびに違う表現が生まれることは、服を売る仕事とは別の集中を求める体験でした。
安定が約束されていないことも承知したうえで、まだ分からないことの多い演技をもっと知りたいと考えました。
モデルやCMの経験ではなく、自分で探したワークショップで演技に触れたことが、俳優を進路に選ぶ直接のきっかけでした。
家族には以前から演技への興味を話していましたが、本格的に俳優になるという報告は、所属発表の直前だったそうです。
大学卒業を機に俳優へ|2022年の本格デビュー
2022年3月に大学を卒業すると、就職ではなく俳優の道へ進みました。
子どものころから好きだった世界へ、大学卒業という区切りで踏み出した形です。
一番興味ある世界で本気で挑戦したいと思ったので決意しました。
出典:マイナビニュース「菅田将暉の弟・菅生新樹、俳優の道を決意した思い『一番興味ある世界で本気で挑戦したい』」(2022年9月3日)
トランスワールドジャパンと契約し、俳優活動を開始
本気で挑戦したいと考えていた時期に声がかかり、トランスワールドジャパンへの所属を決めました。
2022年6月、専属マネジメント契約と俳優・モデル活動の本格始動が正式に発表されました。
大学時代のCMやモデルは所属前の経験であり、ここから俳優として役を演じる仕事が始まります。
同年9月には「マイナビ 東京ガールズコレクション 2022 AUTUMN/WINTER」に出演し、大勢の観客の前でランウェーも歩きました。
発表時のコメントでは、出会った人や支えてくれた環境への感謝を述べ、日々成長しながら活動すると伝えています。
最初の演技仕事は『トップギフト』、地上波初出演は『初恋の悪魔』
俳優として最初に撮影した作品は、縦型配信ドラマ『トップギフト』です。
元格闘家の山下恭四郎役を演じ、体を大きく見せるために食事量を増やし、自分から金髪を提案しました。
アクションでは、ただ殴る動きを見せるのではなく、その行動に至る心情や目的が必要だと唐沢寿明さんたちから教わりました。
スマートフォンで見る縦型ドラマのため、通常より限られた画角や立ち位置を意識しながら、芝居へ集中する難しさも初現場で経験しています。
『トップギフト』は俳優としての初仕事であり、本人にとって初めてのドラマ撮影でした。
一方、オーディションで選ばれた日本テレビ系『初恋の悪魔』第8話は、2022年9月10日に先に放送されました。
雪松署長の息子・雪松弓弦役で登場し、これが地上波連続ドラマへの初出演です。
菅生新樹さんの経歴は、2020年12月のCM出演、2022年6月の俳優活動本格始動、『トップギフト』での初撮影、同年9月の『初恋の悪魔』地上波初出演、同年10月の『トップギフト』配信開始という順です。
『初恋の悪魔』のプロデューサーからは、オーディションで最も自分を見せようとしていたため起用したと伝えられました。
広告に出たこと、事務所へ入ったこと、初めて演じたこと、テレビで最初に放送されたことは、それぞれ別の出来事でした。
菅生新樹の転機|長期オーディションから朝ドラへ
初めてのドラマ撮影から数か月後、新樹さんは主演と長期オーディションを続けて経験します。
ここでは出演作を並べるのではなく、最初の数年間で仕事の進み方が変わった四つの作品を見ていきます。
デビュー1年未満で『凋落ゲーム』初主演
2023年2月、フジテレビ系『凋落ゲーム』で、若手起業家でインフルエンサーの守口奏多役を演じました。
俳優活動を始めて1年に満たない時期のテレビドラマ初主演でした。
率直に自分で大丈夫なのかなと思いました。
出典:Real Sound「菅生新樹、表現を通して『新しい自分に出会えた』 『凋落ゲーム』に生きる過去作での経験」(2023年2月21日)
経験の少ない自分にプロデューサーが懸けてくれたと受け止め、現場では誰よりも作品への熱意を持つことを決めました。
役作りでは、インフルエンサーとして活動する友人の姿を手がかりにしながら、監督と何度も話して守口奏多の内面を組み立てました。
『トップギフト』の唐沢寿明さんや『初恋の悪魔』の主演陣が監督と話し続ける姿を見ていたため、自分が長く現場にいる主演になったときは、その姿勢を実践しようとしました。
約半年間の選考を経て『下剋上球児』の主将役へ
次の大きな選考は、2023年のTBS系日曜劇場『下剋上球児』でした。
球児役は、演技だけでなく野球の実技も審査する約半年間のオーディションで決まりました。
新樹さんはサッカーとバスケットボールの経験はありましたが、野球にはほとんど触れていませんでした。
そこでオーディションが始まる前から練習し、経験者に技術で及ばない分、技術以外で役へ出せるものを考えました。
候補者同士は役を争う一方で、互いに教え合い、けがで選考を離れた仲間も含めて同じ野球に取り組みました。
実際の高校野球経験者もいる選考の中で、新樹さんは三塁を守りながら、仲間をつなぐ主将の役を目指しました。
半年の選考を通過し、越山高校野球部の主将・日沖誠役に選ばれました。
https://www.youtube.com/watch?v=UsOl3C_pfpQ
高校でバスケットボール部に打ち込んだ新樹さんが、俳優になってからは野球部の主将として、長い選考と撮影を過ごすことになりました。
5か月のオーディションから『おむすび』へ
2024年度後期のNHK連続テレビ小説『おむすび』でも、長期のオーディションが行われました。
応募総数は2255件で、選考には5か月を要しています。
新樹さんは選考を通過し、ヒロイン・結の幼なじみである古賀陽太役で朝ドラに初出演しました。
出演決定を伝えるため事務所のいつもとは違う部屋へ呼ばれ、分厚い台本を渡されたときも、すぐには状況を理解できなかったそうです。
言葉にならないって、こういうことなんだ
出典:Real Sound「菅生新樹、言葉にならなかった喜びを語る 『おむすび』は『何が起こるかわからない朝ドラ』」(2024年10月14日)
小中学生のころ、朝ドラは母を含む家族が毎朝見ており、テレビから流れていることが当たり前の日常でした。
その番組で、高校生から大人になり父親となるまでの陽太を、約一年にわたる撮影で演じています。
撮影では福岡県糸島市へ通い、方言を使いながら、野球部員だった陽太が家業の漁師となり家庭を持つまでを演じました。
2026年『人は見た目じゃないと思ってた。』でテレ東初主演
2026年1月には、テレビ東京系『人は見た目じゃないと思ってた。』で石黒大和役を演じました。
野球一筋で見た目にこだわらず生きてきた大和が、出版社でファッション誌へ配属される物語です。
この作品でテレビ東京の連続ドラマに初主演しました。
大学時代に古着店やファストファッションの店で服を売っていた経験がある新樹さんにとって、今度はファッションの現場へ投げ込まれる編集者を演じる仕事でした。
劇中で重要な小道具となる眼鏡も、大学時代に初めての給料で黒縁眼鏡を買った本人の経験と重なります。
2026年6月には、自身の公式Xで俳優デビュー4周年を報告しています。
大学3年生で演技のワークショップへ通い始めた青年は、2022年の初撮影から約4年後、かつて働いたアパレルにも近い世界を舞台に連続ドラマの主人公を演じました。
2026年8月時点では、同年6月にNHK BS『勿忘草の咲く町で〜安曇野診療記〜』へ出演し、10月からは日本テレビ系『俺たちの箱根駅伝』の放送が予定されています。
















