林裕太の生い立ち|家族と学生時代、小6の学芸会から俳優デビューまで

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PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
はやしゆうた
カテゴリー
男性俳優
出身地
東京都
生年月日
2000年11月2日
芸能活動開始
2020年
俳優デビュー
2020年
デビューのきっかけ
紹介・推薦

NHK連続テレビ小説『虎に翼』やTBS日曜劇場『御上先生』、日本テレビ『なんで私が神説教』、映画『愚か者の身分』などに出演してきた俳優の林裕太さん。

2000年11月2日生まれ、東京都出身で、2021年の映画『草の響き』では高田弘斗役を演じました。

映像作品で林さんを知ると、子役時代から演技を続けてきたようにも見えますが、大学へ入るまで本格的な芝居の経験はありませんでした。

俳優に興味を持ったのは小学6年生の学芸会でしたが、それから高校3年生までの約6年間、芸能界へ進むための行動は起こしていません。

公立中学校では陸上部と生徒会、高校ではそれまでとは違う学校生活を経験し、進路を決める時期になってから、子どものころに抱いた俳優への思いを選び直しました。

今回は、そんな林裕太さんの生い立ちや家族、学生時代、芸能界へ入ったきっかけ、俳優として最初の仕事、映画『草の響き』で迎えた転機などをご紹介します。

林裕太の生い立ち|東京で育ち、公立中では陸上部と生徒会長

林裕太さんは東京都で生まれ育ちました。

華やかな芸能活動とは縁のない子ども時代を送り、中学校までは地元の公立校へ通っています。

活発で目立つことが好きだった子ども時代

幼いころはウルトラマンが好きで、友達と怪獣ごっこをして遊ぶような活発な男の子でした。

家族で山登りへ出かけることもあり、成人後もランニングや登山を趣味として挙げています。

子どものころから人前へ出ることにも抵抗がなく、歌の発表会では自分から指揮者へ立候補したこともあったそうです。

もう一つ、本人が幼少期を振り返るときによく出てくるのが、「褒められるのが好きだった」という話です。

小学6年生になると、その性格と人前に立つ楽しさが初めて「俳優」という仕事へ結びつく出来事がありました。

学芸会で上演したのは『エルコスの祈り』で、林さんは一人で歌う場面もある役を任されます。

舞台に上がる前には緊張していたものの、演じ始めると緊張が消え、自由にやることが楽しかったと振り返っています。

終演後には先生や友達の母親から声をかけられ、小学6年生で初めて俳優という仕事を意識しました。

「これは俺の天職なんじゃないかと。」

出典:Bezzy「芝居とは、人と心を通わすこと。注目俳優・林裕太の原点から現在まで」(2025年10月23日)

ただし、この学芸会をきっかけに芸能事務所へ入ったわけではありません。

俳優への憧れは心に残したまま、その後も普通の学生として生活していきます。

中学では中距離走に打ち込み、生徒会長も経験

中学校は地元の公立校へ進み、陸上部に所属しました。

本人はインタビューで「長距離」と表現しており、中学生の駅伝にも出場しています。

特に記憶に残っているのが、中学2年生のときに出場した東京都の駅伝大会です。

チームには力のある選手がそろい、関東大会へ進める4位を目指しましたが、結果は5位でした。

4位との差はわずか3秒だったと後年のインタビューで振り返っています。

このころは陸上だけではなく勉強にも取り組み、さらに生徒会長も務めていました。

高校受験や生徒会の活動が重なるにつれて陸上競技からは離れていきましたが、走る習慣そのものは後にも残りました。

中学までの林さんは、勉強、部活動、生徒会と複数のことへ積極的に参加する学生でした。

林裕太の家族|褒めて育てた両親と勉強が得意な兄

林裕太さんの家族について、本人がインタビューで具体的に語っているのは両親と兄についてです。

父親や母親の職業などは本人の生い立ちを語るうえで必要な公表情報がありませんが、どのような家庭で育ったのかが伝わるエピソードは残されています。

周囲から褒められることが好きだった幼少期

林さんは子ども時代について、親が褒めて育ててくれるタイプだったと話しています。

家庭で褒めてもらうことが自然だったため、先生や友達、友達の母親など、家族以外の人に褒められることもうれしかったそうです。

小学6年生の学芸会が強く記憶に残ったのも、演じる楽しさだけでなく、多くの人から反応をもらえた経験が重なったからでした。

また、家族で山登りへ出かけたという思い出も本人が語っており、家の中だけではなく外へ出て過ごす機会もある家庭でした。

俳優を目指す進路も反対せず応援した両親

俳優への興味が生まれたのは小学生でしたが、家族へ本格的な進路として伝えることになるのは高校3年生になってからです。

進学先として選んだのは、付属大学にある文学部文学科演劇学専攻でした。

一般的な大学進学とは少し違う選択を突然聞かされたため、親は最初こそ驚いたそうです。

それでも、俳優を目指すこと自体を止めることはありませんでした。

「やりたいことがあるならやったほうがいいって応援してくれて。」

出典:Bezzy「芝居とは、人と心を通わすこと。注目俳優・林裕太の原点から現在まで」(2025年10月23日)

両親に反対されず、自分で選んだ進路へ進めたことで、小学生のころから保留していた俳優への思いを初めて行動へ移せるようになります。

勉強が得意な兄を見ながら将来の選択肢を残していた

林さんには勉強が得意な兄がいます。

林さん自身も学生時代は勉強に取り組んでおり、それが俳優への夢をすぐに実行へ移さなかった理由の一つでした。

早い段階で一つの道だけに決めてしまうことが怖く、会社へ就職するような別の人生も含めて、選択肢を持っておきたいと考えていたそうです。

小学6年生で「俳優をやってみたい」と思いながら、高校3年生まで芝居を始めなかった背景には、この慎重な考え方がありました。

兄の存在についても、林さんは「兄が勉強ができて、自分もわりと勉強を頑張っていた」と振り返っています。

そのため、「俳優になりたい」という気持ちと「別の進路も残しておきたい」という気持ちを抱えたまま、中学から高校へ進むことになりました。

林裕太の学生時代|高校で立ち止まり、明治大学で俳優の道を選ぶ

中学では陸上部や生徒会に参加していた林裕太さんですが、高校へ進むと学校での過ごし方が大きく変わります。

そして、その3年間に自分の将来について考え続けた末、高校卒業後の進路として俳優へ近づく道を選びました。

高校から中高一貫校へ入り、地元へ戻ることが増えた3年間

中学校は公立校でしたが、高校から明治大学付属中野高等学校へ進学しました。

明治大学付属中野は中高一貫校のため、高校から入った林さんの周囲には中学時代から続く人間関係がすでにできていました。

本人は、その輪へ無理に入っていかなくてもいいと思うようになり、学校で積極的に何かへ参加することが減っていったと振り返っています。

中学時代とは対照的に高校では部活動へ入らず、授業が終わると家へ帰り、地元の友達と遊んだりゲームをしたりしていました。

「明大中野」は中高一貫校ですが、林裕太さん自身は中学まで公立校だったと話しています。明治大学付属中野へ進学したのは高校からです。

時間ができたことで、自分は何をしたいのか、何を目標にするのかを考えることも増えていきました。

学校の中で必要とされているのか、人から求められる人間になれるのかと考えていた時期でもあったそうです。

小6の学芸会で抱いた俳優への憧れを高校3年で選び直す

高校3年生になり進路を決める時期を迎えると、小学6年生の学芸会から心に残っていた俳優という選択肢が再び浮かびました。

付属の明治大学を調べる中で、文学部文学科に演劇学専攻があることを知ります。

それまで俳優になりたい気持ちを保留していましたが、演劇学専攻へ進めば、もう一度この道と正面から向き合えると考えました。

「そこに進んで役者をやるしかないと思いました。」

出典:TST「『ロストサマー』林裕太さんインタビュー」(2023年10月10日)

小学6年生で芽生えた俳優への思いを、高校3年生で自分の進路として選び直しました。

学芸会からすぐ芸能界へ入ったのではなく、約6年を経てから自分で踏み出したことになります。

明治大学文学部の演劇学専攻へ進学

高校卒業後は明治大学文学部文学科演劇学専攻へ進学しました。

ところが、入学してみると林さんが想像していた「演技を実践的に学ぶ場所」とは少し違っていました。

大学では歌舞伎や能・狂言、ギリシャ演劇などを扱う座学が中心で、俳優になるための実技レッスンを受ける学科ではありませんでした。

それでも演劇について学び続け、卒業前にはトランスジェンダー映画の変遷をテーマに卒業論文を書いたことも明かしています。

一方、俳優になるための具体的な方法については、大学へ入ってからも自分で探す必要がありました。

そこで大きな役割を果たしたのが、大学で出会った俳優の櫻井健人さんでした。

林裕太の芸能界入り|櫻井健人の紹介でD-dash養成所へ

演劇学専攻へ進んでも、芸能事務所への入り方や俳優として仕事を得る方法が自動的に決まるわけではありません。

林裕太さんの場合、その入口を教えてくれたのが同世代の俳優でした。

18歳で俳優の道を相談し、初めて本格的に演技を学ぶ

大学で出会った櫻井健人さんは、すでに俳優として鈍牛倶楽部に所属していました。

林さんが「役者をやりたい」と相談すると、櫻井さんが養成所を紹介してくれます。

こうして18歳のころ、D-dashの俳優養成所へ入り、本格的な演技の勉強を始めました。

林さんは後に、大学へ入るまで芝居の経験はまったくなかったと話しています。

つまり、小学6年生の学芸会は俳優への興味が生まれた出来事であり、D-dashへの入所が本格的な演技訓練の始まりです。

初めて演技へ取り組んだころは、自分の芝居を見て「下手だ」と感じたこともあったそうです。

それでも養成所では、台詞の届け方や身体を使った表現など、それまで知らなかった芝居を学んでいきました。

「お芝居を勉強することが本当に楽しいと思えた時間でした。」

出典:D-dash「俳優養成所/卒業生」

D-dash第11期後期生から鈍牛倶楽部所属へ

D-dashの公式卒業生ページには、林さんが第11期後期生として掲載されています。

養成所で学んだ後、2020年8月20日にはD-dashから、林さんが朝比奈知樹さんとともに鈍牛倶楽部D-plusへ所属したことが発表されました。

小学生のころに抱いた「俳優をやってみたい」という思いが、大学進学、友人への相談、養成所を経て、芸能事務所への所属まで進みました。

ただし、事務所へ所属したことと、俳優として映像作品へ出演し始めたことは分けて考える必要があります。

林さんの最初期の映像仕事は2020年に集中しており、資料によって「俳優活動開始」や「デビュー」の表記に違いがあります。

林裕太の俳優デビュー|『17.3 about a sex』から映画『草の響き』へ

林裕太さんは2019年ごろから養成所で俳優への道を歩き始め、2020年に映像作品へ出演するようになりました。

ここから先は、芸能事務所へ所属するまでとは違い、実際の撮影現場で役を演じる時期に入ります。

大学まで演技経験ゼロから2020年に映像作品へ

2020年の初期出演作として確認できるのが、ABEMAの配信ドラマ『17.3 about a sex』です。

一方で、同年のドラマ『そのご縁、お届けします-メルカリであったほんとの話-』をドラマデビュー作として紹介する資料もあります。

林裕太さんの「デビュー作」は資料によって表記が分かれます。2020年の『17.3 about a sex』をデビュー作とするプロフィールがある一方、『そのご縁、お届けします-メルカリであったほんとの話-』をドラマデビュー作とする資料もあるため、ここでは両作を2020年の初期映像仕事として整理しています。

林さん自身は、板垣瑞生さんと後に再共演した際、「初めてセリフをもらったドラマ」で一瞬だけ共演していたことも振り返っています。

少なくとも2020年には俳優として映像作品へ出演し始めたことは、複数の公式系プロフィールでも一致しています。

2021年にはテレビ朝日『特捜9 season4』第10話へ出演し、ユウマ役を演じました。

そして同じ2021年、俳優としての考え方を大きく揺さぶられる初めての映画撮影を経験します。

映画初出演『草の響き』で「芝居をするな」と向き合う

林さんの映画初出演作は、2021年10月8日に公開された『草の響き』です。

佐藤泰志さんの小説を斎藤久志監督が映画化した作品で、東出昌大さん演じる工藤和雄が、函館の街を走る中で人々と交流していく物語です。

林さんは、和雄と交流する若者の一人である高田弘斗役を演じました。

それまで映像の仕事を経験していたとはいえ、長編映画の現場は初めてでした。

斎藤監督から投げかけられたのは、「演技をするな」「芝居をするな」という趣旨の言葉でした。

俳優として撮影へ来たのに芝居をするなと言われ、当初はどうすればいいのか分からなかったと本人も振り返っています。

用意した演技を見せるのではなく、カメラの前で起きたことへそのまま反応する難しさと向き合う撮影になりました。

疲れた状態で登場する場面では、演技で息切れを作るのではなく、本番の直前まで実際に走り、身体が本当に疲れた状態でカメラの前へ立ったこともあったそうです。

中学時代に陸上部で走っていた林さんが、初めての映画では役の身体を作るために再び実際に走ることになりました。

初めての映画現場で俳優を続けたいと思う

『草の響き』の現場で林さんが受け取ったものは、監督からの厳しい言葉だけではありませんでした。

東出昌大さん、奈緒さん、大東駿介さんら年上の俳優と共演し、芝居への向き合い方を間近で見る機会にもなりました。

撮影を終えてホテルへ戻った後には、共演者とトランプをしながら自分の悩みを聞いてもらったこともあったそうです。

養成所へ入り映像作品にも出演していましたが、「俳優を続ける」と心から思えたのは『草の響き』だったと本人は振り返っています。

「役者を続けようと、心の底から思えた作品でした。」

出典:QUI「NEW GENERATIONS vol.05 – Yuta Hayashi|Actor」(2023年7月29日)

俳優になろうと決めたのは高校3年生でしたが、実際の映画現場で仕事の難しさに触れたことで、「続ける」という選択が初めて具体的なものになりました。

『草の響き』で教わった、準備をしたうえで本番では作為を手放すという考え方は、その後のインタビューでも林さんが繰り返し語る演技の基準になっています。

主演作を重ね『愚か者の身分』へ|俳優として広がった役柄

『草の響き』で映画の現場を経験した後、林裕太さんは主演を任される作品にも出演するようになります。

ここでは出演歴を並べるのではなく、林さん自身が後から振り返っている作品を中心に見ていきます。

『間借り屋の恋』『ロストサマー』で主演を経験

2022年には映画『間借り屋の恋』で映画単独初主演を務めました。

初映画『草の響き』から翌年には、一本の作品の中心を担う役を任されたことになります。

さらに2023年には映画『ロストサマー』で主人公のフユを演じました。

フユは孤独を抱え、他人の金品を盗みながら高知の街をさまよう青年です。

林さんは後に、善にも悪にもなりきれず、その狭間で揺れる人物を任されることが多いと自身の役柄について話しています。

その俳優としてのイメージが自分の中で確立された作品として挙げているのが『ロストサマー』でした。

一方で、演技については『草の響き』で教わった「自分に起きることへ正直でいる」という考えを撮影現場で大切にしていました。

初映画で得た考え方を持ちながら主演作を経験し、自分が任されやすい役柄まで見えるようになった時期でした。

オーディションでマモル役をつかんだ『愚か者の身分』

その後、大きな役として選ばれたのが、2025年の映画『愚か者の身分』です。

北村匠海さんがタクヤ、綾野剛さんが梶谷を演じ、林さんはタクヤの弟分である柿崎マモルを演じました。

北村さんと綾野さんの出演が決まっていた一方、マモル役はオーディションで選ばれています。

林さんがオーディションで演じたのは、タクヤから渡されたパンをマモルが食べる場面でした。

永田琴監督は、空腹でも他人を警戒するマモルの芯を林さんの芝居から感じ、役のイメージと重なったと説明しています。

数人の候補者の中からオーディションでマモル役に選ばれました。

合格を知ったとき、林さんは家電量販店で買い物をしていました。

マネージャーから電話で知らせを受けると、うれしさのあまり何を買おうとしていたのか忘れ、そのまま家へ帰ったというエピソードも残っています。

マモルは人を簡単には信用できず、タクヤとの出会いによって少しずつ居場所を得ていく人物です。

林さんは役を作る際、台本だけでは描かれていないマモルの過去も考え、どう生きてきたのかを自分なりに整理しました。

「いっぱい食べろと言われると、生きろ!と言われている気がします。」

出典:映画『愚か者の身分』公式サイト「林裕太/マモル」

劇中では、北村さん演じるタクヤがマモルへ愛情を渡し、さらにタクヤ自身も綾野さん演じる梶谷から影響を受けてきた関係が描かれています。

小学生のころから「人から求められること」を意識していた林さんが、作品では他人から与えられたものを受け取りながら生きようとするマモルを演じることになりました。

釜山国際映画祭の最優秀俳優賞という到達点

『愚か者の身分』は2025年9月、第30回釜山国際映画祭のコンペティション部門で上映されました。

同年9月26日、北村匠海さん、林裕太さん、綾野剛さんの3人がそろってThe Best Actor Award(最優秀俳優賞)を受賞しました。

審査員は、3人がそれぞれの個性を持ちながら調和し、観客が登場人物とともに笑い、涙し、成長できる力を示したことを評価理由として挙げています。

授賞式には林さんが3人を代表して登壇し、花束とトロフィーを受け取りました。

北村さんと綾野さんのアクリルスタンドを「お守り」として日本から持参し、スピーチの最後に壇上で披露する場面もありました。

小学6年生の学芸会から始まった俳優への憧れは、2025年、国際映画祭で3人を代表してトロフィーを受け取るところまで進みました。

授賞式では、自分を支えてくれる誰かがいることや、生きようとすることについて、自らの言葉で作品への思いを伝えました。

高校3年生で俳優を選び、養成所で初めて本格的に芝居を学んだ林さんは、『草の響き』で映画の厳しさを知り、主演作を経て『愚か者の身分』のマモル役にたどり着き、釜山の授賞式では北村匠海さんと綾野剛さんの思いも背負って壇上に立ちました。