PROFILE
人物プロフィール
ドラマ『Tシャツが乾くまで』や映画『スノードロップ』『チルド』などに出演しているイトウハルヒさん。
1996年1月11日生まれの栃木県出身で、俳優だけでなくモデルやエッセイの執筆でも活動してきました。
ただ、学生時代から一直線に女優を目指していたわけではありません。
高校時代には女子寮で暮らし、進路として興味を持っていたのは工業設計でした。
その後は大学生活やインターンを経験し、上京後には文章を書く仕事とモデル活動を始め、ミスiD2019の文芸賞を経て演じる仕事へと活動を広げています。
今回は、そんなイトウハルヒさんの生い立ちや家族、高校・大学時代、上京後のライター・モデル活動、芸能界へ入った経緯、女優として演技を始めた頃までをご紹介します。
イトウハルヒの生い立ち|栃木県・宇都宮で育った子ども時代
イトウハルヒさんは1996年1月11日生まれ、栃木県出身です。
所属するケイファクトリーのプロフィールでは出身地を栃木県としており、本人が参加した地元での映画舞台挨拶では宇都宮市出身と紹介されています。
後に俳優、モデル、コラム執筆と人前に出る仕事を選びますが、子どもの頃の本人が語っている姿は、知らない場所へ飛び込むことが得意なタイプとは少し違います。
知らない場所を前に不安を抱えやすかった幼少期
イトウハルヒさんは、地元メディアで連載していた自身の日記で、子どもの頃から未知の場所や初めて会う人に強い不安を感じていたことを書いています。
修学旅行や遊園地へ出かける時も、手放しで楽しみにできたわけではなかったそうです。
集合日の前夜には不安から家族へ当たってしまい、当日は緊張して足を震わせながら集合場所へ向かったこともありました。
知らないものに触れることの何が楽しみなのか、まったくわからない。
出典:リビング栃木Web「#03小さな鞄と不安の種」(2020年12月15日)
それでも、知らない場所へ出かける経験を重ねるうちに、自分の中の「知っていること」「できること」が増える感覚も持つようになったと綴っています。
後にオーディションや撮影、舞台など新しい環境を何度も経験することになりますが、幼い頃からそれを平気でこなしていたわけではありません。
子どもの頃に通ったオリオン通りと地元の映画館
宇都宮には、後の仕事と重なる思い出も残っています。
2025年、出演映画『スノードロップ』が宇都宮ヒカリ座で上映された際、イトウハルヒさんは地元で舞台挨拶に登壇しました。
その際に触れていたのが、子どもの頃からオリオン通りを歩き、何気なく見ていた映画館だったという記憶です。
映画館は大人になって俳優として突然現れた場所ではなく、子どもの頃から地元の風景の中にありました。
イトウハルヒさんの公式プロフィールでは、趣味に読書・映画鑑賞・TBSラジオ、特技に水泳やコラム執筆が挙げられています。
イトウハルヒの家族|母と弟、TBSラジオが流れていた実家
イトウハルヒさんの子ども時代を知るうえで欠かせないのが、母親の影響で幼い頃からラジオが身近にあった家庭です。
本人がTBSラジオについて書いたエッセイには、母親と弟が登場し、家族と過ごした日常の様子がかなり具体的に残されています。
母の影響で幼い頃からTBSラジオが身近だった
イトウハルヒさんがラジオを聴き始めたきっかけは母親でした。
母が好きで、幼い時からTBSラジオがよく流れる家だった。
出典:radiko news「愛すべき内輪感/イトウハルヒ」(2021年7月20日)
実家の居間には、『大沢悠里のゆうゆうワイド』の一コーナーを録音したカセットテープが壁一面に並んでいたといいます。
本人のプロフィールでも長く「TBSラジオを聴くこと」が趣味として紹介されており、後から仕事用に作られた趣味ではなく、家庭の中から続いてきたものでした。
テレビを買い替えない母と、弟とラジオを聴いた家族の時間
家の中でラジオの存在がさらに大きくなったのは2011年でした。
地上アナログテレビ放送が終了する年、母親が「テレビを買い換えない」と決めたためです。
子どもたちは反対したものの方針は変わらず、家ではラジオがニュースや地震速報、年末の音楽番組まで伝える存在になりました。
休日に家族で車に乗る時にもラジオが流れており、弟とは番組内の決まり文句を真似して遊んでいたそうです。
母親から始まったラジオの習慣を、弟と一緒に楽しんでいたという具体的な場面が残っています。
一方、小学校では友人たちの「昨日見たテレビ」の話についていけなくなり、一度ラジオから離れた時期もありました。
そのラジオを再び頻繁に聴くようになったのは、高校で実家を離れて女子寮に入ってからです。
母とは「基本仲良し」でも分かり合えない部分もあると綴った
母親との関係は、幼少期の思い出だけではありません。
2024年には「家族」をテーマにしたエッセイを書く中で、母との関係についても振り返っています。
私とお母さんは基本仲良しなんだけど、いつも仲良しかと言われるとそうじゃなくて
出典:イトウハルヒnote「好きに書きなさいよ」(2024年6月4日)
互いに大切に思いながらも、「一生この部分は分かり合えない」と感じる壁もあるという関係を書いています。
家族を理想化して語るのではなく、近いからこそ生まれる距離まで自分の文章として残している点も、エッセイを書くイトウハルヒさんらしい部分です。
高校時代は女子寮生活|映画・ラジオ・工業設計に惹かれた学生時代
高校へ進むと実家を離れ、女子寮で生活するようになりました。
この時期にはラジオとの再会だけでなく、後まで忘れられない映画と出会い、進路についても自分から動いています。
ただし、この頃に考えていた将来の仕事は女優ではありませんでした。
高校1年で地元が舞台の『リリィ・シュシュのすべて』に出会う
高校1年生頃、イトウハルヒさんは岩井俊二監督の映画『リリィ・シュシュのすべて』を一人で観ました。
撮影場所が地元だったこともあり、劇中に映る田舎の風景やCDショップが遠い映画の世界ではなく、身近な場所として感じられたそうです。
10代の閉塞感や、うまくいかずにもがく登場人物たちの姿も強く残りました。
心にずっと携えている作品です
出典:演劇メディアAudience「俳優イトウハルヒが舞台から見た『宇宙のような』劇場の景色とは?」(2022年11月9日)
この映画を観たことを直接の理由として女優を目指したと本人が説明しているわけではありません。
高校時代に強く心へ残った映画として、後に俳優になってからも名前を挙げ続けています。
女子寮ではコンビニでPodcastをダウンロードしていた
高校生活のもう一つの特徴が女子寮でした。
本人のエッセイによれば、寮では携帯電話・雑誌・テレビが禁止されていました。
一方でiPodは持ち込みが認められており、そこで出会ったのがPodcastです。
寮には自由に使えるインターネット環境がなかったため、番組の更新日になると近くのコンビニまで行き、フリーWi-Fiを使って番組をダウンロードしていました。
そして消灯後、ベッドの中でイヤホンをつけて聴いていたといいます。
小学生の頃に一度離れていたラジオは、高校の女子寮生活で再び身近な存在になりました。
工業設計を志し、OBのインテリアデザイナーに進路を尋ねた
高校時代の進路について、本人は2024年のnoteで興味深い記憶を明かしています。
母校には卒業生が訪れ、自分の仕事について在校生へ話す機会がありました。
そこへインテリアデザイナーとして働くOBが来た際、イトウハルヒさんは自分から質問しています。
当時私は工業設計を学びたかった
出典:イトウハルヒnote「好きに書きなさいよ」(2024年6月4日)
「どうしたらデザイナーになれるんですか?」と尋ねると、そのOBから返ってきたのは、自分の「好き」を集めるという考え方でした。
当時は深く受け止めなかったそうですが、約10年後、自分が映画やラジオ、文章など好きなものを追いかけていることを振り返り、この会話を思い出しています。
高校時代に目指していたのは女優ではなく、工業設計に関わる道でした。
大学時代はインターンを経験していた
高校卒業後は大学へ進学しています。
大学名について信頼できる公表情報は確認されていませんが、本人は自身の連載で大学生の頃にインターンを経験したことを書いています。
若い経営者のもとで働いた経験があり、学生生活だけを送っていたわけではありませんでした。
高校で工業設計に関心を持っていた時期を経て、大学生活やインターンを経験し、その後は文章、モデル、演技という別の方向へ進んでいきます。
ミスiD2019文芸賞と上京|ライター・モデルとして活動が広がる
大学時代を経たイトウハルヒさんは、東京へ生活の拠点を移しました。
この時期にも、いきなり「女優一本」で活動を始めたわけではありません。
文章を書くこと、モデルとして写真に写ること、そして演じることが少しずつ重なるようになります。
ミスiD2019で文芸賞を受賞
大きな経歴の一つが「ミスiD2019」文芸賞です。
以前所属していたアソビシステムのプロフィールでは、2019年に女優とモデルの活動を開始し、同年に行われたミスiDで3500人以上の応募者の中から文芸賞を受賞したと紹介されています。
ミスiDという名称からモデルやアイドルのコンテストという印象を持つかもしれませんが、イトウハルヒさんが受賞したのは「文芸賞」でした。
後に俳優業が広がってからもエッセイやコラムを書き続けており、文章は芸能活動以前と以後をまたいで続く仕事になっています。
上京後は文章を書きながらモデルの仕事も始めた
上京した頃の記憶については、2020年にDRESSへ寄稿した文章にも残っています。
一人で初めて新宿を歩いた時、街ですれ違う人たちを見て、地元とは違う「東京」を強く感じたそうです。
当時は文章を書きながら、憧れていたモデルの仕事も少しずつ始めていました。
2020年の記事では「モデル・ライター」と紹介され、別の媒体では「ライター・コラムニスト」として記事を書いています。
イトウハルヒさんの芸能活動は、モデル・文章・演技の境界がはっきり分かれた形では始まっていません。
写真の仕事では、自分から一緒に作品を作りたいフォトグラファーへ声をかけたこともあり、モデルとして作品づくりへ参加する経験も重ねていきました。
広告・MV・映画へ「演者」として仕事が広がった
2020年7月に「となりのカインズさん」へ掲載されたプロフィールでは、ミスiD2019文芸賞の受賞後に広告、MV、映画などで演者として活動していると紹介されています。
ここで、文章を書く人・モデルとして写る人だけではなく、「演じる人」という仕事が明確に加わってきます。
一方、後年のプロフィールでは2019年から女優とモデルの活動を始めたと整理されています。
ミスiD2019文芸賞の受賞、モデル・ライター活動、女優活動は同じ時期に重なっています。「ミスiDに合格したから女優になった」と単純化するより、複数の表現活動が並行して広がった時期として見る方が実際の経歴に合います。
モデル・ライターから女優へ|2019年から演技の仕事を始める
イトウハルヒさんの経歴では、芸能活動を始めた時期と、舞台で初めて演劇を経験した時期を分けて見る必要があります。
公式プロフィールでは2019年から女優活動を開始していますが、本人が後に「初めて演劇をした」と話しているのは2020年の作品です。
2019年に女優・モデルとして活動を開始
アソビシステム在籍時の公式プロフィールでは、2019年に女優とモデルの活動を開始したと明記されています。
同じ2019年にミスiDの文芸賞を受賞し、広告、MV、映画などへ活動の範囲を広げました。
当時の活動歴を見ると、「まず女優としてデビューし、その後モデルや文章を始めた」という順番ではありません。
書くこと、写真に写ること、演じることを並行しながら、徐々に俳優としての仕事が増えていきました。
初期の映像出演を整理|最初の演技仕事はどの作品だったのか
女優活動の開始年は2019年と確認できますが、「最初の演技仕事」を一作品に断定する場合は注意が必要です。
現在のケイファクトリー公式プロフィールで最も古い映画出演として掲載されているのは、2020年の内山拓也監督作品『佐々木、イン、マイマイン』です。
一方、過去のプロフィールには映画『赤くなれば其れ』も初期の俳優作品として掲載されています。
さらに戸田真琴監督『永遠が通り過ぎてゆく』は、過去の紹介資料で「2019」と記載された例がありますが、現在の公式プロフィールでは2022年の映画として整理されています。
『永遠が通り過ぎてゆく』は制作・発表過程と劇場公開年の表記に差があります。そのため、この記事では同作を「女優デビュー作」と断定せず、2019年に女優活動を始めたことと、確認できる各出演作品を分けて整理しています。
少なくとも、2019年に女優としての活動が始まり、2020年には映画出演と舞台への挑戦が具体的な形で確認できます。
400人超のオーディションを経て『むこうのくに』へ
2020年、イトウハルヒさんは劇団ノーミーツの第二回長編公演『むこうのくに』に出演しました。
劇団ノーミーツは、稽古から本番まで一度も対面せず、オンラインで作品を作っていた劇団です。
『むこうのくに』のメインキャストはZoom上で行われたオーディションで選ばれ、応募者は400人を超えていました。
イトウハルヒさんはその中から選ばれ、コトリ役を演じています。
公式サイトに掲載された当時のコメントでは、オンライン上でのコミュニケーションが増えた時代を描く物語について、仲間と一緒に作品を作っていく意気込みを語っていました。
この作品は映像作品への出演とは別の意味で、イトウハルヒさんにとって重要な仕事になりました。
初めての演劇から主演映画へ|イトウハルヒの俳優活動が広がる
『むこうのくに』への出演後、舞台と映画の両方で俳優としての仕事が増えていきます。
本人が後に明かしたところによると、『むこうのくに』は単なる出演作の一つではなく、初めて演劇を経験した作品でした。
『むこうのくに』では「初めて演劇をした」
2022年のインタビューで、イトウハルヒさんは『むこうのくに』に出演した当時について振り返っています。
あの時、私は初めて演劇をしたので
出典:演劇メディアAudience「俳優イトウハルヒが舞台から見た『宇宙のような』劇場の景色とは?」(2022年11月9日)
オンライン演劇という特殊な形式でしたが、稽古後には録画した映像を見返し、自分が観客からどう見えているのかを確認していました。
当時を説明した言葉は、とても簡潔です。
当時はただ必死でしたね
出典:演劇メディアAudience「俳優イトウハルヒが舞台から見た『宇宙のような』劇場の景色とは?」(2022年11月9日)
後に劇場の舞台へ立つようになると、最初の頃は客席を見ることにも怖さを感じていたそうです。
それでも経験を重ねるにつれて客席が見えるようになり、観客の反応を受けながら演じる舞台ならではの感覚も身につけていきました。
インタビューでは、映像ではカメラの先の観客を意識するより相手役との会話に集中し、舞台では客席へ届ける感覚があると、それぞれの違いも話しています。
2021年『春にして頬を拭う』で主演
2020年に初めて演劇を経験した翌年、映画でも大きな役を任されています。
2021年の映画『春にして頬を拭う』では、野々村志帆役で主演を務めました。
同じ頃にはSUGARBOY 4th.『ゴールドマウンテン』など舞台にも出演し、映像と劇場の両方で演技を重ねています。
2022年には映画『ちょっと思い出しただけ』『永遠が通り過ぎてゆく』などに出演しました。
本人はモデル・女優・執筆という複数の表現について、どれか一つだけが自分に合っているという感覚ではなく、それぞれに違う面白さを感じていると話しています。
女優の仕事については、役を通して自分ではない人物になり、物語の一部になれることへの喜びを語っていました。
2019年に女優・モデル活動を開始し、2020年『むこうのくに』で初めて演劇を経験、2021年には『春にして頬を拭う』で主演しています。
舞台と映画を重ね、2026年にケイファクトリー所属へ
その後も一つの分野へ絞らず、映画、舞台、広告、モデル、エッセイの仕事を続けました。
2023年にはNetflix映画『ゾン100〜ゾンビになるまでにしたい100のこと〜』や映画『シンデレラガール』に出演し、舞台では劇団papercraft『ミタココロ』で主演を務めています。
2025年に劇場公開された映画『スノードロップ』ではケースワーカー役を演じ、現在の所属事務所プロフィールではW主演作として掲載されています。
イトウハルヒさん自身も公開時、作品への思いを公式Xで発信しました。
そして2026年4月23日、ケイファクトリーへの所属が発表されました。
同年には映画『チルド』へ出演し、TBS金曜ドラマ『Tシャツが乾くまで』では出版社で働く莉乃役を演じています。
幼い頃は母親が流すTBSラジオを聞き、高校では女子寮からPodcastを取りにコンビニへ通い、進路として工業設計を考えていたイトウハルヒさん。
大学生活と上京を経て文章とモデルの仕事を始め、2019年から女優活動へ進み、映画と舞台の両方で演じる仕事を重ねるようになりました。
















