PROFILE
人物プロフィール
佐藤緋美さんは、映画やドラマ、舞台で俳優として活動する一方、「HIMI」名義でシンガーソングライターとしても音楽を続けている人物です。
父は俳優の浅野忠信さん、母はミュージシャンのCharaさん、姉は俳優・モデルとして活動する佐藤菫さんで、SUMIRE名義でも知られています。
これだけを見ると幼いころから芸能界を目指していたようにも思えますが、本人は18歳で俳優デビューする直前まで、もともと俳優志望だったわけではありませんでした。
インターナショナルスクールで過ごした学生時代、高校時代のシドニー留学、友人とのバンド活動を経て、帰国後に初めて演技へ興味を持っています。
しかも俳優になる前には、父と姉と一緒にモデルとして大きな広告に登場するという、少し変わった芸能活動のスタートも経験していました。
今回は、そんな佐藤緋美さんの生い立ちや家族、学生時代、シドニー留学、芸能界入り、俳優になったきっかけ、初舞台から新人時代までをご紹介します。
佐藤緋美の生い立ち|スポーツと音楽が身近だった子ども時代
佐藤緋美さんは1999年12月19日、東京都生まれです。
子どものころの本人が好きだったのは、スポーツと音楽、そしてゲームでした。
母・Charaさんは緋美さんが20歳になる前日の2019年12月18日、妊娠中の写真とともに息子の誕生日を迎える思いを公式Xへ投稿しています。
「緋美」の名前は父・浅野忠信が緋色から命名
「緋美」という印象的な名前を付けたのは、父の浅野忠信さんでした。
本人が名前の由来を振り返ったインタビューでは、姉のSUMIREさんが「すみれ色」、自分は「緋色」に由来すると説明しています。
緋色は鮮やかな赤を表す色名で、英語に置き換えるとスカーレットに近い色です。
俳優として使う「佐藤緋美」と、音楽活動で使う「HIMI」は同一人物で、後に二つの名前を使い分けながら活動するようになります。
サッカー・バスケ・水泳に夢中だった少年時代
芸術に囲まれた家庭で育った一方、幼いころはかなりスポーツに親しんでいました。
小学校2年生ごろから5年生ごろまではサッカーを続け、その後はバスケットボールにも取り組んでいます。
幼いころに喘息気味だったことから、体を鍛える目的で水泳にも通っていました。
中学生になると、インターナショナルスクールならではのシーズン制のスポーツ環境で、バスケットボール、サッカー、野球を時期ごとに経験しています。
特にバスケットボールではキャプテンも務めていました。
2019年のドラマ『グッドワイフ』で野球部員を演じた際にも、本人は実際に野球をしていたころを思い出して役作りをしたと明かしています。
ギターやドラムを姉と一緒に鳴らした音楽との出会い
音楽については、「習い始めた日」がはっきりあるというより、物心がついたころから身近に存在していました。
家には子ども用のギターやドラムがあり、幼いころには姉と一緒に楽器を鳴らして遊んでいたそうです。
もの心ついた頃から音楽はいつもあったから。
出典:Billboard JAPAN「Chara×HIMI 親子対談」(2021年4月1日)
小学校の音楽の授業でもドラムを担当し、中学生になるころにはバンドでGreen Dayなどを演奏することもありました。
後にHIMIとして音楽を仕事にしますが、この時期にはまだ「音楽家になるための訓練」というより、家や学校で自然に音を鳴らしている生活でした。
佐藤緋美の家族|浅野忠信・Chara・姉SUMIREとの日常
佐藤緋美さんの家族は、父が俳優の浅野忠信さん、母がミュージシャンのCharaさん、姉が俳優・モデル・アーティストの佐藤菫さんです。
本人の昔話を読むと、有名人がそろう家族という説明以上に、映画や音楽、ゲームについて普通に話し合う家で育った様子が伝わってきます。
父・浅野忠信とは映画と音楽を話す関係
父の浅野忠信さんとは、俳優同士になる前から映画や音楽について頻繁に話していました。
車の中で緋美さんが音楽を流すと、浅野さんから「最近いい音楽ない?」と聞かれ、息子が曲を紹介して父がメモを取ることもあったそうです。
浅野さん自身も後年、ファッションや音楽について子どもたちから教わることが多くなったと振り返っています。
緋美さんが初舞台の稽古に入ったころには、セリフの覚え方について父に相談したこともありました。
そこで助言は受けたものの、最後には自分に合うやり方を自分で見つけるのがいいと考え、何度も台本を読んで覚えていきました。
母・Charaの音楽が身近にあった家庭環境
母がCharaさんであることは、緋美さんが幼少期から音楽を身近に感じていた環境とも切り離せません。
本人は母の音楽だけを聴いて育ったのではなく、父が好むハードコアやオルタナティブな音楽も含め、家の中でさまざまな音に触れていました。
インターナショナルスクールで英語を学んでいたこともあり、Charaさんから英語の歌詞について意見を求められることもあったといいます。
大人になってHIMIとして音楽を始めてからは、母と息子で楽曲制作やレコーディングについて話す「同じミュージシャン」としての関係も加わりました。
2021年には映画『ゾッキ』の主題歌「私を離さないで」をCharaさんとHIMIさんが共作し、親子でデュエットしています。
姉SUMIREとは子どものころから友人まで共有
4歳上の姉・佐藤菫さんは、モデルやアーティストとしてはSUMIRE名義でも活動しています。
2026年に姉弟そろって登場したGLOBAL WORKの公式対談では、二人は「すーちゃん」「HIMIくん」と呼び合い、これまで喧嘩をした記憶もほとんどないと話していました。
子どものころから二人だけで遊ぶというより、互いの友人まで家に集まる関係だったそうです。
すーちゃんの友達も、俺の友達。
出典:GLOBAL WORK「Live together 広い世界で、となりにいる。」(2026年2月27日)
幼いころに一緒に楽器を鳴らしていた姉弟は、その後それぞれモデル、俳優、音楽、アートへ活動を広げています。
家族の中では、父とは映画や音楽、母とは音楽や英語、姉とは友人やファッションまで共有しており、それぞれ少し違うコミュニケーションがありました。
インターナショナルスクールとシドニー留学|佐藤緋美の学生時代
佐藤緋美さんは学生時代をインターナショナルスクールで過ごしています。
本人は初舞台を迎える2018年のインタビューでも、ずっとインターナショナルスクールに通っていたと話していました。
中学ではバスケ部のキャプテンも経験
中学校でもスポーツを続け、シーズンに合わせてバスケットボール、サッカー、野球に取り組んでいました。
ひとつの競技だけを年間通して続けるのではなく、時期が変わると競技も変わる学校環境だったため、複数のスポーツを経験しています。
そのなかでもバスケットボールではキャプテンを任されました。
学校名についてはインターネット上に特定のインターナショナルスクール名を挙げる情報もありますが、本人が学校名まで明かした信頼できる一次資料を根拠に断定することはできません。
高校時代にシドニーへ1年間留学
高校時代にはオーストラリアのシドニーへ渡り、1年間の留学生活を経験しています。
そのため「佐藤緋美 帰国子女」「佐藤緋美 英語」と検索されることがありますが、本人の経歴として具体的に確認できるのは、インターナショナルスクールでの学生生活とシドニーへの1年間の留学です。
英語は家庭でも使う機会があり、母・Charaさんが英語の歌詞を書く際に緋美さんへ相談することもありました。
そして、このシドニーから日本へ戻った時期に、音楽だけだった進路へ新たに「俳優」という選択肢が加わります。
大学は?高校3年生で俳優デビューした後の進路
佐藤緋美さんについては「大学」という検索も多く、進学先を知りたい人が少なくありません。
2018年9月の本人インタビューでは、高校3年生で学校へ通いながら『書を捨てよ町へ出よう』の稽古にも参加していたことを明言しています。
稽古期間中にも一度学校へ行ってからワークショップへ戻る日があり、高校生活と初舞台の準備を同時に進めていました。
高校卒業後の大学名や大学進学の有無については、本人が具体的に語った一次情報から特定できないため、ネット上で挙げられている大学名を事実として断定することはできません。
確実なのは、高校3年生だった2018年に俳優活動が始まり、その後は映像作品と音楽の仕事が続いていったという時系列です。
高校時代の音楽とモデル活動|俳優になる前の佐藤緋美
俳優になる直前の佐藤緋美さんは、すでに音楽やファッションの世界へ足を踏み入れていました。
ここで重要なのは、モデルとして芸能活動を始めたことと、俳優として演技を始めたことは別の出来事だという点です。
シドニーから帰国後、友人とバンドを結成
シドニー留学から日本へ戻った後には、友人たちとバンドを始めています。
高校時代にはギターも弾くようになりましたが、当時のバンドでは主にドラムを担当していました。
ライブで一度歌ったところ周囲から歌声を評価され、それをきっかけに自分が歌うことも選択肢として考えるようになったと後に振り返っています。
俳優の仕事が始まる前から、音楽はすでに友人たちと実際に演奏する活動へ変わっていました。
2017年に父・姉とラフォーレ原宿の広告へ
2017年4月、佐藤緋美さんは父・浅野忠信さん、姉・SUMIREさんとラフォーレ原宿「MEN’S LAFORET」の広告モデルを務めました。
大きなビルボードに親子3人が並び、緋美さんにとって本格的なモデル活動のスタートになっています。
父が公式Xで親子の看板を紹介する一方、緋美さん本人は大きく掲出された自分を見るのが少し恥ずかしく、結局その看板を一度も直接見られなかったそうです。
思い出して見に行ったころには掲出期間が終わっており、友人たちから送られてきた写真で目にしたというエピソードを残しています。
この段階ではモデルや音楽には触れていたものの、まだ俳優として演技の仕事をした経験はありませんでした。
佐藤緋美が俳優になったきっかけ|18歳で未知の舞台へ
佐藤緋美さんの俳優人生は、子どものころから目指していた夢をかなえた形ではありません。
シドニーから日本へ帰国した後、18歳になってから「俳優もやってみたい」と思い始めたことが出発点でした。
留学から帰国して「俳優もやってみたい」と思い始める
父が長年俳優として活動していても、緋美さん自身が最初から同じ仕事を志望していたわけではありませんでした。
そこから日本に帰ってきてふと、やってみたいと思いはじめました
出典:げきぴあ「寺山修司の名作に初舞台で挑む!佐藤緋美インタビュー」(2018年9月28日)
当時すでに音楽を続けていたため、俳優へ転向して音楽をやめるという考えでもありませんでした。
演技が新しく加わったことで、本人の中では音楽と俳優の二つを並行してやってみたいという形になっていきます。
マネージャーから聞いた舞台オーディションに挑戦
最初の演技仕事につながったのは、事務所のマネージャーから舞台のオーディションがあると聞いたことでした。
作品は寺山修司の『書を捨てよ町へ出よう』で、藤田貴大さんが上演台本・演出を手掛ける東京芸術劇場のRooTS Seriesでした。
意外なことに、それまで本人は舞台をほとんど観たことがなく、寺山修司さんや藤田貴大さんについても詳しく知りませんでした。
むしろ何も分からない世界だったことから興味を持ち、人生で初めてとなるオーディションへ挑戦しました。
NYLON JAPANの当時の取材でも、このオーディションを人生初だったと振り返り、「やるなら今しかない」と感じて受けたことを明かしています。
『書を捨てよ町へ出よう』で初舞台・初主演
オーディションの結果、18歳の佐藤緋美さんは主人公の「私」に選ばれました。
2018年10月の『書を捨てよ町へ出よう』が初舞台であり、初主演、そして俳優としての最初の仕事です。
舞台経験がなかった一方、人前でパフォーマンスすること自体は音楽で経験していたため、ステージに立つことへの抵抗はそれほど大きくなかったといいます。
セリフも何度も声に出して読むうちに覚えられ、本人は歌詞と同じように「音」として記憶しているのかもしれないと振り返っていました。
高校へ通いながら稽古を続け、東京公演の後には長野、青森、札幌、さらにパリでの公演にも参加しています。
東京芸術劇場の「芸劇 Channel」には、公演直前の佐藤緋美さん本人が出演したインタビュー映像も残されています。
舞台からドラマ・映画へ|佐藤緋美の新人時代
初舞台で主演を経験した後、佐藤緋美さんの演技の場はテレビドラマと映像作品へ広がっていきます。
ここでも出演作を数多く並べるより、俳優として初めて経験した仕事を順番に見ると、キャリアの始まりが分かりやすくなります。
『グッドワイフ』でテレビドラマ初出演
2019年、TBS日曜劇場『グッドワイフ』第4話への出演でテレビドラマデビューを果たしました。
演じたのは野球部に所属する高校生・荻原翔平で、傷害致死容疑をかけられる物語の重要人物でした。
舞台とは撮影方法がまったく異なり、人見知りでもあったため当初は緊張したものの、撮影を終えた本人は楽しい経験だったと振り返っています。
目標とする俳優を尋ねられたときには、父を含めて尊敬する役者がいることを踏まえながら、自分自身を目標にすると答えていました。
やっぱり目標は自分自身。佐藤緋美という役者でありたいです。
出典:TBSテレビ 日曜劇場『グッドワイフ』「ゲスト出演者発表!」(2019年1月27日)
『TRANSPHERE』で映像作品初主演
同じ2019年には、関根光才監督によるショートフィルム『TRANSPHERE』へ出演しています。
グランドシネマサンシャイン開業を記念して制作されたIMAX作品で、る鹿さんとともに主演を務めました。
制作発表では、佐藤緋美さんにとって「映像作品初主演」であることが明記されています。
初舞台で主演し、その翌年には初ドラマと映像作品初主演を経験したことで、演技活動の範囲が舞台からカメラの前へ一気に広がりました。
『ムーンライト・シャドウ』で新人男優賞
初期キャリアのなかで一つの評価につながった作品が、2021年公開の映画『ムーンライト・シャドウ』です。
吉本ばななさんの同名小説を原作とする作品に出演し、第31回日本映画批評家大賞の新人男優賞(南俊子賞)を受賞しました。
18歳で演技経験ゼロから舞台オーディションを受けてから、数年後には映画で新人賞を受けるところまで仕事が続いています。
「佐藤緋美 チェロ」と検索されることがありますが、これは後にドラマ『さよならマエストロ〜父と私のアパッシオナート〜』でチェリストを演じたことによる関心が中心で、幼少期から本人が主に触れていたことを確認できる楽器はドラムやギターです。
俳優・佐藤緋美と音楽家HIMI|二つの活動を並行する道へ
俳優活動が始まった後も、佐藤緋美さんは学生時代から続けていた音楽を手放しませんでした。
俳優では「佐藤緋美」、音楽では「HIMI」という二つの名義が、ここからはそれぞれ仕事として動いていきます。
2020年にASILISを立ち上げ音楽活動を本格化
2020年にはクリエイティブレーベル「ASILIS」を立ち上げ、HIMI名義で作品のリリースを本格化しました。
1st EP『STEM』を発表し、同年にはmillennium paradeの「Fly with me」にボーカルとして参加しています。
音楽を始めた明確なきっかけについては、幼いころから音楽に囲まれていたため一つに絞れないと本人自身が話しています。
家庭にあったドラムから始まり、学校での演奏、学生時代のバンド、自分で歌う経験を経て、20代に入るころに作品を発表する側へ移っていきました。
俳優か音楽かを選ばず、両方を続けていく
18歳で初舞台を迎える直前から、本人は俳優と音楽のどちらか一方を選ぶのではなく、両方をやりたいと話していました。
その後も佐藤緋美名義では映画やドラマに出演し、HIMI名義ではシンガーソングライターとして作品制作やライブを続けています。
俳優を始めたから音楽をやめたのでも、音楽家になったから演技を離れたのでもありません。
子どものころに家で鳴らしていた楽器は高校時代のバンドへ進み、シドニーから帰った後に生まれた演技への興味は18歳の初舞台へ進みました。
2018年に口にしていた「俳優も音楽も」という選択は、その後、佐藤緋美とHIMIという二つの名義で実際の活動になっています。















