相馬有紀実の生い立ち|家族や学生時代、高校から夜行バスで通った女優への道

相馬有紀実のやわらかな人物イラストと、家族・学生時代から夜行バスで通った女優への道を示す見出しを配置したビジュアル

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
そうまゆきみ
カテゴリー
女優
出身地
青森県
生年月日
1987年5月30日
芸能活動開始
2005年
女優デビュー
2005年
デビューのきっかけ
劇団・養成所

ドラマ『アンメット ある脳外科医の日記』や『無能の鷹』などに出演してきた俳優の相馬有紀実さん。

1987年5月30日生まれの青森市出身で、2005年に東京で初めてドラマの芝居を経験し、その後も映像作品を中心に俳優活動を続けてきました。

そんな相馬さんは、高校時代から東京で暮らして芸能活動を始めたわけではありません。

青森の高校へ通いながら、アルバイト代を握って毎週夜行バスに乗り、東京の俳優養成所へ通っていました。

さらに時間をさかのぼると、演じることに心を動かされた最初の記憶は、小学6年生の学芸会にあります。

今回は、そんな相馬有紀実さんの生い立ちや家族、学生時代、青森から東京の養成所へ通った高校生活、俳優として最初の仕事や『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』で初レギュラーをつかむまでをご紹介します。

相馬有紀実の生い立ち|青森市で過ごした子ども時代

相馬有紀実さんは1987年5月30日、青森県青森市出身です。

後に津軽弁を俳優やナレーター、方言指導の仕事でも使うようになりますが、子どものころは芸能界とは離れた青森で過ごしていました。

雪の屋根を滑り、自転車で鬼ごっこをした幼少期

青森テレビの取材で振り返っている子ども時代の相馬さんは、家の中で静かに過ごすより、外で体を動かして遊ぶことの多い子どもでした。

雪が積もると、屋根に積もった雪を滑り台のようにして遊ぶこともあったそうです。

自転車に乗れる季節には、自転車を使って鬼ごっこをすることもありました。

所属プロフィールには、ソフトテニス、水泳、卓球、スノーボードなども特技として挙げられています。

青森で育った相馬さんは津軽弁を話し、後にはその津軽弁を生かしてナレーションや映画・ドラマの方言指導も担当するようになります。

ただ、このころから俳優を目指していたわけではありません。

演じることを強く意識する出来事が起きたのは、小学校生活の終わりに近い時期でした。

小学6年の学芸会で選んだ『かぐや姫』のおばあちゃん役

小学6年生の学芸会で上演されたのは『かぐや姫』でした。

そこで相馬さんが選んだのは、主人公のかぐや姫ではなく、おばあちゃん役だったといいます。

理由はシンプルで、おばあちゃん役にはセリフが多かったからでした。

舞台に立ってセリフを言い、観客から拍手を受け、スポットライトを浴びる経験をします。

相馬さんが後に俳優を目指したきっかけとして振り返っているのが、この小学6年生の学芸会です。

テレビドラマのオーディションを受けたわけでも、芸能事務所からスカウトされたわけでもなく、最初にあったのは学校行事の小さな舞台でした。

中学生になるころには、俳優が将来の夢としてはっきり意識されるようになります。

相馬有紀実の家族|高校生の挑戦を認め、東京の面談に同行した親

相馬さんの生育家族について、父親や母親それぞれの職業など詳しいプロフィールは公表されていません。

一方で、俳優を目指して動き始めた高校時代については、親との具体的なやり取りを本人が詳しく振り返っています。

「お金は全部自分で出す」と頼んで養成所へ

高校2年生だった相馬さんは、東京にある俳優養成所の面談を自分で取り付けました。

しかも、親に最初から相談しながら話を進めていたわけではありません。

面談が決まってから、「今度東京で面談があるから行くね」と伝える形での事後報告でした。

青森から東京へ継続して通えば、レッスン代だけでなく交通費もかかります。

そこで相馬さんは、自分の希望を通す代わりに費用についても親へ頼り切らないことを伝えました。

お金は全部自分で出すから

出典:READYFOR「お年玉も、アルバイト代も、すべて養成所のため。一円たりとも遊びには使いませんでした。」(2025年2月16日)

それまで何かをここまで強く望んだことがなかった娘の姿を見て、親も挑戦を認めてくれたそうです。

東京で行われる養成所の面談には、親も青森から一緒についてきてくれました。

面談を終えて養成所へ通えることになると、相馬さんは自分で話した通り、レッスンと東京までの移動に必要なお金をアルバイトで用意し始めます。

相馬有紀実の学生時代|中学で俳優を夢見て、高校2年から東京の養成所へ

相馬さんの学生時代で特に大きく生活が変わったのは、高校2年生のころです。

青森で学校生活を送りながら、週末だけ東京へ移動して芝居を学ぶ生活が始まりました。

中学生で将来の夢を俳優に決める

小学6年生の学芸会で演じる面白さを知った相馬さんは、中学生になると将来は俳優になりたいと考えるようになりました。

ただ、中学生の時点ですぐに上京したり、芸能事務所へ所属したりしたわけではありません。

そのまま青森で進学し、高校は青森戸山高校へ通いました。

この学校名は、2013年に相馬さん自身が旧公式ブログで「母校の青森戸山高校」と記していることから確認できます。

青森戸山高校は2013年に最後の卒業生を送り出して閉校しましたが、その際には高校時代のアルバムを開き、千鳥格子柄だった制服や修学旅行の思い出も振り返っていました。

学校がなくなっても戸山高校卒業生として頑張ります。

出典:相馬有紀実オフィシャルブログ「母校・戸山高校最後の卒業式!!」(2013年3月2日)

高校1年生のころには、パッチンタイプのヘアエクステを着けて登校し、仕組みを知らなかった先生が引っ張って驚いたという思い出も残しています。

学歴について確認できる範囲:高校は本人が母校と明記している青森戸山高校です。出身中学校の校名は公表されていません。

「青森からは通えない」と断られ、自分で養成所へ電話

俳優になりたいという思いを実際の行動に移したのは、高校2年生のころでした。

相馬さんは、芝居を学ぶため東京の俳優養成所へ応募します。

ところが返ってきたのは、青森からでは通えないという理由での断りでした。

東京近郊に住んでいる高校生ならともかく、青森から毎週通うことを前提にした応募だったためです。

それでも相馬さんは応募を終わりにはせず、自分から事務所へ直接電話をかけました。

「通いますから」と伝え、東京で直接話すための面談を取り付けています。

親へ東京行きを伝えたのは、この面談が決まったあとでした。

養成所への入所が決まると、「青森から東京へ通う」という言葉を実際に毎週続ける生活が始まります。

時給605円のアルバイトを週5日、夜行バスで毎週東京へ

東京までの交通費と養成所の費用を用意するため、学校が終わるとアルバイトへ向かいました。

当時の時給は605円で、勤務は週5日だったと本人が明かしています。

平日にアルバイトを続け、土曜日も仕事を終えてから夜行バスへ乗りました。

青森を出発したバスで一晩移動し、日曜日に東京で芝居のレッスンを受けます。

レッスンが終われば東京に泊まるのではなく、その日の夜に再び夜行バスへ乗り、青森へ戻りました。

土曜日のアルバイト後に東京へ出発し、日曜日にレッスンを受け、月曜日には青森の高校へ登校する毎週の往復でした。

高校時代の週末:土曜日にアルバイトを終える → 夜行バスで東京へ → 日曜日に養成所でレッスン → 夜行バスで青森へ → 月曜日に高校へ登校する生活を続けていました。

時給605円のアルバイトだけでは、毎週の東京往復に必要な旅費を十分にまかなえないこともありました。

当時利用していた夜行バスには、片道の乗車でもらえる券を10枚集めると片道分が無料になるキャンペーンがあったそうです。

相馬さんが青森から東京へ芝居を学びに通っていることを知った乗客たちが、その券を譲ってくれることもあり、何度も無料で東京へ行けたと振り返っています。

お年玉もアルバイト代も、遊びではなく養成所と東京へ通うために使っていました。

こうした高校時代から俳優になるまでの歩みは、後に青森テレビ『わっち!!』の「ターニングポイント」でも本人の言葉とともに紹介されています。

「成績は落とさない」を条件にレッスンと学校を両立

日曜日の夜に東京を出るため、月曜日の朝は学校へ少し遅れてしまいます。

学校側も無条件でその生活を認めていたわけではありません。

勉強を疎かにせず、学力を下げないことを条件に、月曜日の遅刻を認めてもらっていました。

つまり高校生活では、学校、週5日のアルバイト、東京への往復、養成所での芝居のレッスンを並行していたことになります。

それでも養成所への通学を途中でやめることはなく、高校卒業まで青森を生活の拠点として過ごしました。

そして高校を卒業すると、週末だけ通っていた東京へ生活の拠点そのものを移します。

高校卒業後すぐ上京|『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』で初レギュラー

相馬さんの俳優キャリアは、「養成所へ入った年」と「ドラマで初めて芝居をした年」、さらに「初レギュラーを得た年」が同じではありません。

高校時代の養成所通いを経て、まず2005年に東京で初めてドラマの撮影現場に立ち、その翌年に大きな役を得ています。

2005年のドラマ出演を経て高校卒業後に東京へ

相馬さんの出演歴で最も早く確認できるテレビドラマは、2005年の日本テレビ系『ごくせんリターンズ』第4話です。

女子生徒役で出演しており、本人が参加した映画企画のプロフィールでは、この作品が俳優デビューとして紹介されています。

別の本人プロフィールでは、同作について「初めて東京で芝居をした」作品と説明されています。

この時点ではまだ、連続ドラマへレギュラー出演する俳優として活動していたわけではありません。

高校卒業後は青森を離れて東京へ上京し、オーディションを受けながら本格的に俳優の仕事を目指しました。

出演開始とレギュラーデビューは別です。相馬さんは2005年の『ごくせんリターンズ』で東京での芝居を経験し、2006年の『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』でレギュラーデビューしています。

上京後最初のオーディションで早乙女唯役をつかむ

東京へ移った相馬さんが上京後に最初に受けたドラマのオーディションは、全国放送される学園ドラマの出演者を決めるものでした。

その作品が、2006年に日本テレビ系で放送された『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』です。

長瀬智也さん演じる主人公・榊真喜男が高校へ通う物語で、相馬さんはクラスメートの早乙女唯役に選ばれました。

高校卒業後に上京し、最初に受けたドラマオーディションで初めてのレギュラー出演をつかんだことになります。

所属先の合同会社Emmuも、『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』早乙女唯役を相馬さんの「レギュラーデビュー」としています。

高校時代には夜行バスで通わなければ受けられなかった東京のレッスンでしたが、卒業後は東京で実際の撮影現場に立つ生活が始まりました。

初レギュラー出演から俳優の仕事が続いていく

『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』では、青森出身の相馬さんが話す津軽弁も仕事の広がりにつながりました。

同作で津軽弁を披露したことをきっかけに、NHK『高校講座2.0 国語表現×英語I』のレポーターにも起用されています。

2007年には『セクシーボイスアンドロボ』、その後も『孤独のグルメ』『民王』『ハコヅメ~たたかう!交番女子~』など、テレビドラマへの出演を重ねました。

ただし、相馬さんの仕事はドラマへの出演だけには限られていきませんでした。

映画、舞台、ナレーション、そして津軽弁の方言指導へと仕事の種類が増えていきます。

青森で身につけた津軽弁が仕事に|ナレーションと方言指導へ

青森で過ごした子ども時代は、俳優になったあとも仕事の中へたびたび登場します。

特に分かりやすいのが、相馬さんの声と津軽弁を生かした仕事です。

JR東日本『MY FIRST AOMORI』でナレーションを担当

相馬さんは俳優として映像作品へ出演する一方、CMなどのナレーションも数多く担当してきました。

その一つが、JR東日本のキャンペーン『MY FIRST AOMORI』です。

青森を舞台にした同キャンペーンでナレーションを担当し、作品は電通賞優秀賞を受賞しています。

ほかにも、ちふれ化粧品のサウンドロゴなど、姿を画面に見せない「声」の仕事を続けてきました。

俳優として使った津軽弁だけでなく、青森で身につけた話し方そのものがナレーションや方言指導という別の仕事にもなっています。

さらに津軽弁については、自分が話すだけでなく、ほかの俳優へ伝える側も担当するようになりました。

『じょっぱり―看護の人 花田ミキ』で俳優と方言指導を同時に担当

2024年の映画『じょっぱり―看護の人 花田ミキ』では、相馬さんは鈴木治子役としてメインキャストを務めました。

同時に担当したのが、作品内で使われる津軽弁の方言指導です。

自分自身の芝居をしながら、相手役のセリフに使われる津軽弁も確認するという現場でした。

相馬さんにとって、俳優と方言指導を同じ作品で並行するのは初めての経験だったといいます。

この撮影には妊娠中に参加していました。

青森に助けてもらって、青森のおかげでお仕事をいただいてきた

出典:青森テレビ/TBS NEWS DIG「俳優・相馬有紀実のターニングポイント」(2025年5月10日)

『じょっぱり』のあと、相馬さんは出演する作品を待つだけではなく、自ら長編映画を立ち上げる仕事にも踏み出しました。

俳優20年の節目に映画を企画|『はらむひとびと』で主演・プロデュース

2005年に東京で初めてドラマの芝居を経験してから20年となる2025年、相馬さんには自分自身で企画した長編映画がありました。

中嶋駿介監督の長編映画『はらむひとびと』です。

「何か勝負したい」から始まった長編映画制作

長編映画を作ろうと考えた時期について、相馬さんは俳優として活動してきた年数を一つの区切りにしていました。

このタイミングで何か勝負したいなと。

出典:CINEMORE「『はらむひとびと』中嶋駿介監督 × 主演/企画プロデュース:相馬有紀実」(2025年7月10日)

そこで頭に浮かんだのが、自分で長編映画を作ることでした。

企画の背景には、俳優として仕事を続ける中で相馬さん自身が直面した妊娠とキャリアについての問題もありました。

子どもは欲しい一方、妊娠によってそれまで積み重ねてきた俳優の仕事を諦めたくないという思いがあったと話しています。

映画を作ると決めると脚本家の富安美尋さんへ声をかけ、相談しながら物語を組み立てていきました。

そこへ子どもの車内置き去り事件という題材も加わり、『はらむひとびと』の脚本が形になっていきます。

相馬さんはこの作品で主演するだけでなく、自分で企画を立ち上げ、プロデュースする側にも回りました。

企画・主演から配給・宣伝まで自ら担った

『はらむひとびと』で相馬さんが演じたのは、3歳の息子を育てる乾亜湖です。

出演者には瀬戸かほさん、浅香航大さん、前原瑞樹さんらが名を連ねました。

相馬さんの担当は企画・プロデュース・主演だけではありません。

所属プロフィールには、配給と宣伝まで自ら担った作品として記載されています。

映画を完成させたあとにはクラウドファンディングにも取り組み、作品を実際に観客へ届けるための活動を続けました。

『はらむひとびと』は2025年7月11日、新宿武蔵野館を皮切りに劇場公開されました。

完成した作品の予告編では、相馬さんが企画段階から向き合ってきた仕事、妊娠、出産、育児をめぐる物語の一端を見ることができます。

新宿での公開後、2025年8月には相馬さんの地元・青森市にあるシネマディクトでも上映されました。

青森上映に合わせて県庁を訪れ、宮下宗一郎知事へ『はらむひとびと』を届けたことも、相馬さん自身が現行のXアカウントで報告しています。

高校時代には青森から夜行バスで東京へ通って芝居を学び、その後は東京で俳優として仕事を続けてきました。

そして俳優生活20年の節目には、自ら作った映画を地元・青森のスクリーンへ届けるところまで仕事を担いました。