PROFILE
人物プロフィール
俳優の前田真剣佑さんは、2026年10月31日、それまで使用していた「新田真剣佑」からの改名を発表しました。
父は世界的なアクションスターとして知られた千葉真一さん、弟は俳優の眞栄田郷敦さんという芸能一家に生まれ、アメリカ・ロサンゼルスで育っています。
実は、8歳ですでに子役として出演した経験がありながら、本人が本格的に俳優を志したきっかけは、父とは別の日本人俳優への憧れでした。
幼少期の空手や音楽、ビバリーヒルズ高校での日々を経て日本へ渡り、『ちはやふる』との出会いから「新田」の名を選んだ経緯にも、具体的な出来事が残されています。
今回は、そんな前田真剣佑さんの生い立ちや家族、学生時代、日本で俳優を志したきっかけ、改名までの歩みをご紹介します。
前田真剣佑の幼少期|ロサンゼルスで育った子ども時代
前田真剣佑さんは1996年11月16日、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれました。
子どものころは日本ではなくアメリカで生活し、学校に通いながら空手や音楽など、さまざまな活動に親しんでいました。
1996年にロサンゼルスで誕生
父の千葉真一さんは、日本の映画やテレビドラマで活躍した後、海外にも活動の場を広げた俳優です。
ハリウッドでは「Sonny Chiba」の名前でも知られ、アクション俳優として国際的な仕事に携わっていました。
その父がアメリカに生活の拠点を置いていた時期に、真剣佑さんは誕生しています。
2025年7月12日放送のTBS『人生最高レストラン』では、本人が生まれ育った場所を振り返りました。
生まれも育ちもロスです
出典:TBS『人生最高レストラン』(2025年7月12日放送)
幼稚園から高校までビバリーヒルズ地区で学校生活を送っていたことも、同じ番組で明かしています。
弟の郷敦さんも幼少期をロサンゼルスで過ごしており、兄弟にはカナダへスキーに出かけたり、ロサンゼルスのビーチで遊んだりした思い出がありました。
郷敦さんが2021年の『anan』で語った家族旅行の話からも、二人が一緒に過ごしたアメリカでの日常がうかがえます。
小学生から空手とアクションの訓練に取り組む
真剣佑さんは、9歳ごろから極真空手を習い、ロサンゼルスの大会で2度優勝した経歴を持っています。
父がアクション俳優だったこともあり、子どものころから身体を動かす機会が身近にありました。
千葉真一さんが育てたアクションチームの合宿にも参加し、幼いながら大人たちに交じって訓練に取り組んでいたといいます。
後年、真剣佑さんは当時を振り返り、父との普段の生活と、合宿での厳しい指導との違いを語っています。
父と息子として過ごす時間だけでなく、アクションの現場で求められる動きや身体の使い方を学ぶ時間もあったのです。
幼少期から続けた空手とアクションの経験は、後年の映画で自ら身体を動かす演技にも生かされました。
ただし、この時点で将来の職業を俳優に決めていたわけではありませんでした。
真剣佑さん自身が俳優になりたいと強く思うようになるのは、もう少し後のことです。
前田真剣佑の家族|父・千葉真一、母・玉美、弟・眞栄田郷敦
真剣佑さんの生い立ちをたどるうえで欠かせないのが、父・千葉真一さんと母・玉美さん、弟・眞栄田郷敦さんの存在です。
父も弟も俳優ですが、家族全員が同じ時期に芸能界へ入ったわけではなく、それぞれが異なる経験を経て仕事を選んでいます。
父・千葉真一が大切にした子どもの教育
千葉真一さんは1939年生まれで、『キイハンター』などのテレビ作品や映画で知られる俳優です。
アクションの技術を生かした活動を続ける一方で、俳優を育てることにも力を注いできました。
しかし、息子に対しては、幼いころから俳優の仕事を続けさせようとは考えていなかったようです。
千葉さんは著書『侍役者道~我が息子たちへ~』で、真剣佑さんが子役として出演した後の教育方針について記しています。
高校卒業までは学業が優先だ。
出典:千葉真一『侍役者道~我が息子たちへ~』(双葉社、2023年10月14日文春オンライン掲載の抜粋)
千葉さんは、学校で学ぶことに加え、スポーツや音楽にも打ち込んでほしいと考えていました。
子どもの進路についても、高校を卒業してから本人が選ぶことを重視していたのです。
父が俳優としての技術を教えることと、息子を早く芸能界へ入れることは、千葉さんの中では別の話でした。
2025年の『人生最高レストラン』で真剣佑さんが語った父親像も、厳しいアクション指導だけでは説明できないものでした。
普段は優しく、父親としては甘やかしてくれるところもあったと話しています。
2021年8月19日に千葉さんは亡くなりましたが、生前に息子たちへ伝えた仕事への姿勢は、著書や本人たちのインタビューに残されています。
母・玉美とアメリカから日本へ移った家族の生活
真剣佑さんの母は玉美さんです。
玉美さんは京都で舞妓として活動していた経歴があり、1996年に千葉真一さんと結婚しました。
結婚後はアメリカで生活し、真剣佑さんと郷敦さんを育てています。
家族の歩みについては、2023年6月30日放送のNHK『ファミリーヒストリー』でも、郷敦さんを通じて紹介されました。
やがて家族の生活の場は、アメリカと日本に分かれることになります。
郷敦さんは2021年の『anan』で、中学へ進学する際に日本へ移り、京都で暮らし始めたことを語っています。
一方、真剣佑さんはアメリカに残って高校生活を続けました。
千葉真一さんも著書の中で、当時の家族がそれぞれ異なる場所で生活していた経緯に触れています。
そのため、弟が日本で中学生活を始めた時期と、兄が日本で俳優活動を本格化させた時期は同じではありません。
兄弟が別々の学校生活を送り、それぞれ異なる進路を考える時間があったことも、この家族の歩みの一部です。
弟・眞栄田郷敦が語った子どものころの兄弟関係
弟の眞栄田郷敦さんは2000年1月9日生まれで、兄と同じロサンゼルスの出身です。
4歳ほど年齢が離れた兄弟は、幼少期に一緒にスポーツを楽しみながら育ちました。
郷敦さんは2021年の『anan』で、子どものころの自分について、兄の行動をよく真似していたと明かしています。
ずっと兄の真似をしてる子でした。
出典:『anan』「眞栄田郷敦『父は常に夢を抱いてる超人』父・千葉真一に言われた金言」(2021年5月19日号)
兄が話したことや欲しがったものだけでなく、お店で注文する料理まで同じものを選んでいたそうです。
その一方で、兄弟げんかもよくしていたと話しており、幼いころから何でも仲良く一緒にしていたというだけの関係ではありませんでした。
郷敦さんが日本へ移った後、兄弟は長く離れて過ごすことになります。
郷敦さんは東京で進路を考えていたころ、映画館で兄が出演する『ちはやふる-結び-』を鑑賞しました。
久しぶりにスクリーンで見た兄の姿が、自分の知っている兄とは別の人物のように感じられたことを、同じインタビューで振り返っています。
その後、郷敦さんも俳優として活動を始めました。
兄が使っていた「新田」と弟の「眞栄田」は、どちらも芸能活動で使用してきた名前ですが、二人の活動名が異なっていても実の兄弟であることに変わりはありません。
「新田真剣佑」は2017年に選んだ活動名で、「眞栄田郷敦」は弟の活動名です。父・千葉真一さんの本名の姓は「前田」で、真剣佑さんは2026年にこの漢字を使う名前へ改名しました。
異母姉・真瀬樹里との家族関係
真剣佑さんには、父親が同じ異母姉の真瀬樹里さんもいます。
真瀬樹里さんは、千葉真一さんと俳優の野際陽子さんの間に生まれた娘です。
真瀬さん自身も俳優として活動しており、千葉さんの子どもたちはそれぞれ芸能の仕事に携わってきました。
真剣佑さんと郷敦さんは同じ父母を持つ兄弟、真瀬樹里さんは父親が同じ姉という関係です。
家族構成を整理するときには、この違いを押さえておくと、それぞれの生い立ちが分かりやすくなります。
前田真剣佑の学歴|ビバリーヒルズ高校と学生時代
父が俳優だった真剣佑さんですが、小学校から高校までを通じて芸能活動を優先していたわけではありません。
アメリカでは学校生活を送りながら、部活動やスポーツに多くの時間を使っていました。
ロサンゼルスの学校生活とビバリーヒルズ高校
真剣佑さんの出身高校は、アメリカ・カリフォルニア州のビバリーヒルズ高校です。
本人は2025年の『人生最高レストラン』で、幼稚園から高校までビバリーヒルズ地区で学校に通っていたと語っています。
学校がある地域は映画産業との関わりが深いことでも知られていますが、真剣佑さんの学生生活は、芸能人の子どもという立場だけで説明できるものではありません。
高校時代には複数の部活動を掛け持ちし、一日の多くを練習に費やしていました。
日本にルーツを持つ家庭で育った真剣佑さんは、アメリカで学生生活を送り、その後、日本語で行われる撮影現場へ進むことになります。
幼いころからのアクション経験に加え、英語圏で育ったことも、後年に日本と海外の両方で仕事をする際の背景となりました。
吹奏楽・レスリング・水泳・水球に打ち込んだ高校時代
高校時代の真剣佑さんは、吹奏楽部でフルートを担当していました。
それだけでなく、レスリング、水泳、水球にも取り組み、アメリカの学校で認められている部活動の掛け持ちを活用していたそうです。
とりわけレスリングでは、幼少期から続けてきた空手で培った身体能力が役立ちました。
2025年の『人生最高レストラン』では、高校1年生のころに年上の選手たちと対戦した経験も話しています。
相手の身体を固定する得意技があり、トーナメントを勝ち進んだというエピソードも明かしました。
アメリカの高校生活といえば、卒業前などに開かれるダンスパーティー「プロム」がよく知られています。
しかし、真剣佑さんはそのプロムにも参加していませんでした。
1回も行ったことないんですよ
出典:TBS『人生最高レストラン』(2025年7月12日放送)
理由は、部活動に夢中になっていたからです。
映画の仕事で忙しかったからではなく、学校のスポーツと音楽に打ち込んでいたためにプロムへ行かなかったという話には、当時の生活ぶりがよく表れています。
後にアクション俳優として注目される真剣佑さんですが、高校時代にはフルートの練習に励む時間もあったのです。
高校卒業後に選んだ進路
真剣佑さんが日本での俳優活動を本格化させたのは、2014年のことです。
父の千葉真一さんも著書で、高校卒業の時期に自身の生活拠点を日本へ移したことを振り返っています。
真剣佑さんは父と一緒に日本で暮らし、俳優として仕事を始めました。
進路を選ぶ段階では、すでに日本の映画を見て俳優になりたいという思いを持っていました。
そのため、高校卒業後の大きな転機は、アメリカで育った青年が日本へ活動の場所を移したことにあります。
なお、大学名や在籍歴については、本人の経歴として確実に示せる情報が限られるため、大学へ進学したかどうかを断定することはできません。
一方で、ビバリーヒルズ高校での学生生活と、2014年から日本で芸能活動を始めた経緯は、本人の発言やプロフィールから確認できます。
8歳で子役出演|『アストロ球団』と映画『親父』
真剣佑さんが初めて俳優の仕事に触れたのは、日本で本格デビューした2014年よりも前です。
2005年のテレビドラマ『アストロ球団』と2007年の映画『親父』には、本名の「前田真剣佑」名義で子役出演していました。
2005年に父の撮影現場を見学して出演が決まる
2005年、8歳だった真剣佑さんは、夏休みに日本を訪れていました。
その際、父が出演するテレビドラマ『アストロ球団』の撮影現場を見学することになります。
千葉真一さんの回想によると、現場で監督の目に留まったことから、急きょ出演が決まりました。
任されたのは、登場人物の峠球四郎に石をぶつけ、その後、地面へ投げられる少年の役でした。
父が教えたのは、せりふの言い方よりも、投げられる場面でどのように身体を動かすかということだったそうです。
幼いころから父の仕事やアクションに触れてきた真剣佑さんには、身体の動きを理解する土台がありました。
父の撮影現場を見に行ったことが、思いがけず最初のテレビドラマ出演につながったのです。
ただし、この出演をきっかけに、そのまま連続して子役の仕事を続けたわけではありません。
2007年の映画『親父』で父の少年時代を演じる
2007年には、父の千葉真一さんが主演し、共同監督も務めた映画『親父』に出演しました。
真剣佑さんが演じたのは、千葉さん自身の役の少年時代です。
当初から起用が決まっていたわけではなく、千葉さんに似ているという理由から、もう一人の監督である井出良英さんが出演を希望したといいます。
千葉さんは演技経験が少ないことを心配しましたが、真剣佑さんは自分から挑戦したいと伝えました。
父の著書には、母親が倒れている場面を演じるため、千葉さん自身が目の前で手本を見せたという出来事も記されています。
真剣佑さんは、その演技を一度見た後に撮影へ臨み、NGを出さずに演じたそうです。
完成した映画を見た母の玉美さんは、息子の演技を見て涙を流したと、千葉さんは振り返っています。
それでも千葉さんは、映画への出演と学業の継続を切り分けました。
真剣佑さんはその後もアメリカで学校生活を送り、スポーツや音楽に取り組んでいきます。
俳優としての経歴には、2005年の『アストロ球団』と2007年の『親父』という子役時代の出演歴があります。2014年は、子役経験を経た後に日本を拠点として芸能活動を本格化させた年です。
三浦春馬への憧れから日本で俳優活動を始めるまで
父が世界的な俳優であり、幼少期には自分自身も映像作品に出演していた真剣佑さん。
それでも、本人が俳優になりたいと考える直接のきっかけになったのは、ある日本映画との出会いでした。
15歳で映画『恋空』を見て俳優を志す
真剣佑さんが俳優を目指すきっかけとして名前を挙げたのは、三浦春馬さんです。
15歳ごろ、三浦さんが出演した2007年公開の映画『恋空』を見て、強い憧れを抱きました。
2025年の『人生最高レストラン』で、このときの思いを詳しく話しています。
映画の場面を何度も見返し、三浦さんの動きやせりふを自分で真似して練習していたそうです。
日本へ行こうと考えた理由についても、非常に率直な言葉を残しています。
ただただ三浦春馬さんに会いたかっただけです
出典:TBS『人生最高レストラン』(2025年7月12日放送)
俳優の父の背中を見て育ちながら、自分が俳優を目指すきっかけになった人物は三浦春馬さんだったという点は、真剣佑さんの進路を知るうえで大切な出来事です。
子どものころに出演した作品の経験があっても、その段階では職業としての俳優を強く意識していたわけではありませんでした。
憧れの俳優を見つけ、同じ仕事がしたいと考えるようになったことが、その後の進路選択につながりました。
17歳で日本に渡り、2014年から活動を本格化
真剣佑さんは17歳で日本へ渡り、2014年から本格的に芸能活動を始めました。
アメリカで高校生活を送りながら抱いていた俳優への憧れを、実際の仕事につなげる段階に進んだのです。
父の千葉真一さんも、真剣佑さんが高校を卒業したころに、日本へ生活の拠点を移していました。
真剣佑さんは父と暮らしながら、日本の撮影現場で経験を積み始めます。
幼いころに出演した映画『親父』からは、すでに数年が経過していました。
ここから先は、父の撮影現場で偶然役を得た子どもではなく、自分で俳優という職業を選んだ青年としての活動が始まります。
『世にも奇妙な物語』など日本での新人時代
2014年には、フジテレビ系『世にも奇妙な物語’14 秋の特別編』の「超短編 シャドーボクシング」に主演しました。
日本で本格活動を始めた初期の仕事として、俳優としてのプロフィールにも記載されている作品です。
翌2015年にはテレビドラマ『保育探偵25時~花咲慎一郎は眠れない!!』にも出演しました。
さらに映画『劇場版 仮面ライダードライブ サプライズ・フューチャー』では、泊エイジ役を演じています。
日本での撮影経験を積み重ねる中で、子役時代とは異なる役柄や現場に向き合うようになりました。
その後、真剣佑さんにとって特別な作品となる映画『ちはやふる』への出演が決まります。
『ちはやふる』との出会いと新田真剣佑への改名
前田真剣佑さんの俳優人生を語るとき、映画『ちはやふる』は名前の変遷にも関わる作品です。
2016年に公開された映画で演じた役の名前が、翌2017年に選んだ「新田真剣佑」という芸名につながりました。
2016年の綿谷新役と新人俳優賞
真剣佑さんは2016年公開の映画『ちはやふる-上の句-』『ちはやふる-下の句-』で、綿谷新役を演じました。
末次由紀さんの漫画を原作とする作品で、綿谷新は競技かるたに強い情熱を持つ重要な人物です。
真剣佑さんは役作りのために福井で過ごし、福井弁や競技かるたについて学びました。
後年のインタビューでも、この作品を日本で俳優として歩み始めた自分にとって大きな存在だったと語っています。
綿谷新役での演技が評価され、2017年には第40回日本アカデミー賞の新人俳優賞を受賞しました。
幼少期に子役として出演した経験があり、日本での本格活動も始めていましたが、『ちはやふる』は俳優としての進路をより確かなものにする作品となりました。
2025年には日本テレビのドラマ『ちはやふる-めぐり-』でも綿谷新役を演じ、約10年を経て同じ役に戻っています。
日本テレビの公式インタビューでは、真剣佑さんは『ちはやふる』を自分の「原点」と位置付け、作品と名前に深い思い入れがあることを語っています。
かるたの動きを身体が覚えており、約10年ぶりの撮影でも以前の感覚を取り戻せたという話からも、当時の役作りがどれほど大きな経験だったのかが伝わってきます。
初めて綿谷新を演じたときの経験が、俳優としての歩みだけでなく、その後の活動名にも残ることになります。
2017年に綿谷新から「新田」の姓を選ぶ
2017年5月22日、真剣佑さんは所属事務所のトップコートへの移籍とともに、「真剣佑」から「新田真剣佑」への改名を発表しました。
この改名は本人が当時のTwitterで発表し、ORICON NEWSやシネマトゥデイも当日の本人コメントを報じています。
「新田」という姓の由来を本人が説明したのは、同年6月13日、映画『ちはやふる-結び-』の撮影が行われていた滋賀県の近江神宮でのことでした。
作品で演じた綿谷新の「新」という字を使いたいと考え、原作者の末次由紀さんにTwitterのダイレクトメッセージで相談したといいます。
末次さんからも了承を得て、「新田」という姓を選びました。
その理由には、作品を通じて得た経験を大切にしたいという思いがありました。
初心忘るべからず
出典:MANTANWEB「新田真剣佑:改名理由を明かす『初心忘るべからず』」(2017年6月14日)
映画の役名から活動名を選んだという事実は、『ちはやふる』への思いを具体的に示しています。
なお、「真剣佑」はもともと父が付けた名前で、芸能活動では姓を付けずに使っていた時期がありました。
名前には、真実の剣を持って人の右に出るという願いが込められていると本人が説明しています。
生まれたときの名前「真剣佑」に、『ちはやふる』で演じた役の一字を由来とする「新田」を加えたのが、2017年の改名でした。
国際作品での活躍から前田真剣佑への改名まで
『ちはやふる』で新人俳優賞を受賞した後、真剣佑さんは日本の映画やドラマに加え、海外作品にも活動の場を広げました。
その歩みの中には、かつて俳優を目指すきっかけになった人物との共演や、子どものころから磨いてきたアクション技術を生かす仕事がありました。
2021年『ブレイブ』で憧れの三浦春馬と共演
2021年公開の映画『ブレイブ-群青戦記-』では、真剣佑さんが主演を務め、三浦春馬さんと共演しました。
15歳のころに『恋空』を見て憧れた俳優と、同じ映画の撮影現場に立つことになったのです。
2020年12月14日の製作報告会見でも、真剣佑さんは三浦さんが俳優を志すきっかけをくれた存在であり、共演は長年の夢だったことを自分の言葉で伝えています。
会見で語る本人の表情や言葉から、憧れていた俳優と同じ作品に参加できたことへの思いが感じられます。
真剣佑さんは撮影の際、三浦さんに『恋空』のせりふや動きを真似して練習していたことを伝えたといいます。
三浦さんからは冗談めかした反応が返ってきたそうですが、真剣佑さんはそのやり取りをうれしい思い出として語っています。
2025年の『人生最高レストラン』では、過去の自分に共演できる未来を教えてあげたいという気持ちも明かしました。
映画を見て憧れた俳優と、自分が主演する映画で共演したという出来事は、日本へ渡ることを決めたころの思いにつながっています。
三浦さんの姿を真似していた少年時代から、実際に同じ作品を作る立場になるまでには、長い時間が流れていました。
2023年の『聖闘士星矢』と実写『ONE PIECE』
真剣佑さんは2023年公開の映画『聖闘士星矢 The Beginning』で、主人公の星矢を演じました。
海外のスタッフやキャストと製作する実写映画で主演を務めることは、これまでの日本での活動とは異なる大きな挑戦でした。
2023年4月のイベントでは、作品に取り組む際に強いプレッシャーを感じていたことも明かしています。
アクションについては、撮影前から週5日ほど練習を重ね、星矢の動きを作り上げていったと説明しました。
幼少期の空手や父のアクションチームでの訓練、高校でのレスリングなどの経験が、国際的なアクション作品へ挑む土台となったことが分かります。
同じ2023年には、Netflixの実写シリーズ『ONE PIECE』でロロノア・ゾロを演じました。
三本の刀を使うゾロは、剣を用いた立ち回りが重要な役です。
真剣佑さんは原作の『ONE PIECE』がもともと好きだったことも、後のインタビューで語っています。
2024年2月のマイナビニュースのインタビューでは、海外でもゾロの役名で声をかけられるようになったと振り返りました。
アメリカで生まれ育ち、日本で俳優として経験を積んできた真剣佑さんは、この作品によってさらに多くの国の視聴者に知られることになります。
その後、2025年には『ちはやふる-めぐり-』で、かつて演じた綿谷新役に戻りました。
本人は公式Xで、約10年を経て同じ役を演じられた喜びを写真とともに報告しています。
海外作品で活躍するようになってからも、日本で俳優として歩み始めたころの役に再び向き合う機会があったのです。
2026年10月31日に前田真剣佑への改名を発表
2026年10月31日、真剣佑さんは自身のInstagramストーリーズで、「新田真剣佑」から「前田真剣佑」へ改名することを発表しました。
これにより、2017年から使用してきた「新田」の姓を改めることになりました。
発表では、これまでの歩みを大切にしながら挑戦を続けたいという思いを伝えています。
原点を忘れず、これからも自分らしく挑戦を続けていきたいと思います
出典:本人Instagramストーリーズ「ご報告」(2026年10月31日、スポニチアネックス掲載)
「前田」は、父・千葉真一さんの本名である前田禎穂さんと同じ姓です。
また、真剣佑さん自身も、2005年の『アストロ球団』や2007年の『親父』に「前田真剣佑」という本名名義で出演していました。
そのため、2026年の改名は、子役時代に使用していた名前を再び活動名に選んだという見方もできます。
ただし、2026年10月31日の発表文では、なぜ「前田」を選んだのかという具体的な理由までは説明されていません。
父への思いや、2017年に選んだ「新田」への考えがどのように変化したのかについても、本人が明確に語っていない内容を断定することはできません。
活動名の変遷は、当初の「真剣佑」、2017年5月22日からの「新田真剣佑」、2026年10月31日に改名を発表した「前田真剣佑」という流れです。2017年の「新田」の由来は本人が説明していますが、2026年の改名理由については発表文で具体的に示されていません。
8歳のとき、父の撮影現場で急きょ出演が決まった『アストロ球団』では、すでに前田真剣佑という名前が使われていました。
その後、アメリカの学校でスポーツと音楽に打ち込み、三浦春馬さんの映画に憧れて日本で俳優を志しました。
『ちはやふる』で演じた綿谷新から「新田」の姓を選び、海外作品にまで活動を広げた後、2026年に「前田真剣佑」への改名を発表しています。
子役時代の本名、俳優としての原点になった役から生まれた芸名、そして再び選んだ前田姓。
三つの名前の歩みには、ロサンゼルスで生まれ育った少年が、自分の意思で俳優の道を選び、日本と海外の撮影現場で経験を重ねてきた時間が刻まれています。
















