PROFILE
人物プロフィール
ドラマ『ひよっこ』の漫画家・新田啓輔や映画『キングダム』シリーズの尾平など、岡山天音さんは少し癖のある人物から静かな青年まで、幅広い役で知られる俳優です。
1994年6月17日に東京都で生まれ、15歳だった2009年にNHK『中学生日記』で初めて演技をしました。
ただ、子どものころから俳優を目指していたわけではなく、保育園のころから集団生活になじめず、学校へは行ったり行かなかったりしていたと本人が振り返っています。
中学3年生で大好きだった『中学生日記』の全国オーディションを受けたことから、それまでとはまったく違う場所へ進むことになりました。
今回は、そんな岡山天音さんの生い立ちや家族、学生時代、高校へ進学しなかった経緯、『中学生日記』から俳優になったきっかけ、新人時代の転機をご紹介します。
岡山天音の生い立ち|学校になじめなかった子ども時代
岡山天音さんは東京都出身で、幼いころから周囲との関わり方に難しさを感じることがありました。
2019年の文春オンラインのインタビューでは、「天音」は本名だと本人が答えています。
保育園から集団生活になじめず、学校へ行ったり行かなかったり
本人によると、小さいころは周囲になじめず、保育園もよく休んでいました。
人との会話で他の人なら気に留めないようなことにも引っかかり、身動きが取れなくなる感覚があったと話しています。
小学校へ進んでからも環境になじめない時期があり、学校へ毎日通うことは岡山さんにとって当たり前ではありませんでした。
後年のインタビューでも、保育園のころから小学校、中学校まで、学校には行ったり行かなかったりしていたと明かしています。
なぜ周りの子たちは朝起きて学校へ行き、夕方まで同じ場所にいられるのか、それ自体を不思議に思っていた時期もあったそうです。
学校へ行かない日があったことを、後からきれいな成功物語に変えているわけではなく、本人は当時の自分には日常的な不安や心配事があったことも率直に話しています。
幼いころは道端の花や風景が気になるたびに立ち止まり、なかなか目的地へ着かなかったそうです。母親は急かさず、本人の興味が向くままに待ってくれていました。
小学生でテニス、中学ではバスケ部を1年で退部
運動経験については、小学生のころに少しテニススクールへ通い、中学校では約1年間バスケットボール部に所属していました。
ところがバスケ部は、人が見ている前で何かをすることが恥ずかしかったことなどから退部しています。
後にカメラの前で感情を表現する俳優になりますが、この時期は人前で何かをすること自体に抵抗がある少年でした。
ViViのインタビューでは、テニスやバスケなどを振り返り、嫌になるとやめてきた一方で、俳優の仕事だけは踏ん張っていると話しています。
俳優ではなく漫画や絵にも惹かれていた中学生時代
中学生のころから俳優になることを決めていたわけでもありません。
漫画を読むことが好きで、本人は後のインタビューで、事務所へ入った当初も「漫画しか読んだことがなかった」と振り返っています。
演技のレッスンで文学作品を読むようになる前は、勉強よりも漫画の方が身近な存在でした。
日本テレビ『ANOTHER SKY』で名古屋を訪れた際には、俳優になる前に漫画家を目指していた時期があったことも紹介されました。
そんな中学3年生の夏、岡山さんが好きで見ていたドラマのオーディション情報が目に入ります。
岡山天音の家族|母子家庭の一人っ子、母親が見守った少年時代
岡山天音さんは、本人の言葉で「母子家庭の一人っ子」だったことを明かしています。
家族の中でも、幼少期から俳優デビューまでの話にたびたび登場するのが母親です。
「学校に行きたくなければ行かなくていい」と支えた母親
小学校の環境になじめなかったとき、母親は「学校も行きたくなかったら、行かなくていい」と伝えてくれたそうです。
本人の話を聞き、子どもだからと一方的に指示するのではなく、一人の人間として向き合ってくれたと岡山さんは振り返っています。
間違いなく言えるのは、今の自分がいるのは母のおかげ。
出典:Precious.jp「俳優・岡山天音さんインタビューVol.02|『間違いなく言えるのは、今の自分がいるのは母のおかげ』」(2024年1月5日)
よちよち歩きのころに道端で何度も立ち止まった話も、学校へ行けない時期の話も、母親は本人のペースを急いで変えようとはしませんでした。
父親・兄弟・実家について本人が語っていること
父親については関心を集めていますが、岡山さん本人が明確に語っている家族構成は、母親と暮らす一人っ子だったという点です。
本人が明かしているのは母子家庭で育ったことまでで、父親の氏名や職業、両親が別々に暮らすようになった経緯は本人発言として確定できません。
兄弟姉妹についても、本人が「一人っ子」と明言しているため、少なくとも本人が育った家庭に兄弟姉妹がいたとは考えない方が自然です。
母親の名前や職業についてもさまざまな情報がありますが、本人が幼少期を詳しく語ったインタビューで確認できるのは、母親との関係や当時の言葉、子育ての姿勢などです。
実家については東京都で育ったことまでは確認できますが、具体的な住所や父親・母親の職業まで結びつける根拠はありません。
家族構成として確認できるポイント:岡山天音さん自身が、母子家庭で育った一人っ子だと複数のインタビューで話しています。
母とのけんかから『中学生日記』の応募書類が送られるまで
中学3年生のころ、好きだったNHK『中学生日記』で全国オーディションが行われることを知り、自分で履歴書を書きました。
あとは送るだけというところで母親とけんかになり、勢いで応募をやめると言ってしまいます。
もう履歴書出さねーよ!
出典:ORICON NEWS「年間10作品以上に出演、引っ張りだこ俳優の岡山天音 逃げ道なかった学生時代『普通に学校通えていたら俳優辞めてた』」(2022年7月3日)
ところが、母親は本人の知らないうちにその履歴書を送っていました。
書類はそのままオーディションにつながり、東京で学校になじめずにいた15歳は、母親と一緒に名古屋へ向かうことになります。
岡山天音の学歴・学生時代|中学卒業後は高校へ進まず俳優の道へ
岡山天音さんの学歴を考えるうえでは、学校名を並べるより、本人が学校とどのように付き合っていたのかを見る必要があります。
本人は保育園から小学校、中学校まで欠席することがあり、中学校卒業後は高校へ進学していません。
そのため、ネット上で高校名や大学名だけを探しても、一般的な「高校卒業後に大学へ進学した俳優」の学歴とは事情が異なります。
2026年のインタビューでも、高校へ進学せず、芸能事務所のオーディションを受けて俳優の道へ進んだ経緯を本人が改めて振り返っています。
中学3年生で初めてドラマ撮影を経験し、中学卒業後は学校ではなく俳優の仕事を続ける方向へ進みました。
中学校の卒業式には出ず『中学生日記』でもらった卒業証書
中学校の卒業式にも出席しなかったと、2024年の「ほぼ日」のインタビューで本人が話しています。
その一方で、『中学生日記』の撮影が終わるときには、現場から「卒業証書」を受け取りました。
学校の卒業式には出なかったものの、撮影でもらった卒業証書があったため、それでいいかと母親と話した記憶があるそうです。
撮影現場では、それまで身近にいなかった大人たちが自分の目を見て正面から話しかけてくれ、岡山さん自身も話したいと思えるようになりました。
学校では「自分の言葉が誰ともつながらない」ように感じていた一方、『中学生日記』の監督やスタッフとは言葉を交わせたと振り返っています。
高校には進学せず、16歳で芸能事務所へ
撮影から東京へ戻ると、すぐに芸能事務所のオーディションを探し、応募しています。
マイナビニュースでは、オーディションを受けるとすぐに呼ばれ、その日のうちに所属が決まったと本人が振り返っています。
「ほぼ日」では16歳のときに事務所へ入ったと話しており、15歳での初出演と事務所所属は分けて考えるのが正確です。
つまり、2009年の『中学生日記』は一般の中学生として受けたオーディションから始まった最初の演技で、その経験を経てプロの俳優として続ける道へ進みました。
岡山天音が俳優になるまで|『中学生日記』の全国オーディションが転機
俳優としての最初の仕事は、2009年8月に放送されたNHK『中学生日記 シリーズ・転校生(1)少年は天の音を聴く』でした。
作品では、本人と同じ名前の「岡山天音」役を演じています。
2024年には『ANOTHER SKY』で、俳優としての出発地点となった名古屋を再訪し、『中学生日記』を撮影した学校などを巡りました。
大好きだった番組に東京から応募できた特別な全国オーディション
『中学生日記』はNHK名古屋が制作し、一般の中学生が生徒役として出演することでも知られたドラマでした。
基本的な出演資格が東海地方在住の中学生だったため、東京に住んでいた岡山さんは普段なら応募することができませんでした。
通常は東海地方の中学生が中心でしたが、岡山さんが中学3年生だった時期に、夏休みの1話へ参加できる全国オーディションが行われます。
東京に住んでいた岡山さんにとって、好きだった『中学生日記』へ自分から応募できる機会が初めて生まれました。
俳優養成所へ通っていたわけでも、子役として活動していたわけでもなく、番組のファンだった中学生としてオーディションに参加しています。
岡山さんについて「子役時代」と検索されることもありますが、少なくとも確認できる俳優活動の出発点は、15歳で一般の中学生として応募したこの作品です。
幼いころから芸能事務所に所属して作品へ出ていたタイプの子役とは、デビューまでの経緯が異なります。
母と名古屋へ向かい、漫画家志望の中学生役で初めて演技
オーディションに合格すると、母親と名古屋へ向かい、そこで人生で初めて演技を経験しました。
演じたのは漫画家志望の中学生で、2009年当時の記事でも「漫画家志望の岡山天音くん」として作品が紹介されています。
東京で過ごしていた日常から離れ、知らない土地でプロの監督やスタッフとドラマを作る毎日は、本人にとってそれまで経験したことのない時間でした。
中学校では人前で何かをすることを恥ずかしいと感じてバスケ部を辞めた一方で、撮影では泣いたり怒ったりする演技そのものを強烈に面白いと感じています。
『中学生日記』への出演は、事務所所属後の仕事ではありません。一般の中学生として全国オーディションに合格して初めて演技し、その後に芸能事務所へ入りました。
撮影現場で初めて心が「晴れ」、もっと演技をしたいと思う
初めての撮影現場で、岡山さんの感覚は大きく変わりました。
そしたら、すっかり「晴れた」んです。
出典:ほぼ日「第2回 もう一度、晴れ間を見たい。|俳優の言葉。岡山天音篇」(2024年1月12日)
それまで心配事や得体の知れない不安を抱えることが多かったものの、場所も人もまったく違う撮影現場へ入ると、その感覚が一気に変わったそうです。
監督やスタッフが目を見て話し、自分も話したくなり、演技を褒めてもらう経験まで含めて、撮影のすべてが楽しかったと振り返っています。
東京へ帰ると、「あれを、もう一回やりたい」という気持ちで事務所のオーディションを探しました。
この段階では「俳優を仕事にする」と固く決めていたわけではなく、もう一度あの撮影を経験したいという気持ちの方が強かったと話しています。
俳優志望として長く準備してきた末のデビューではなく、好きな番組へ出てみたいという行動から、初めての演技と事務所所属が続けて起きた形でした。
岡山天音の新人時代|落選を重ね、演技を楽しめるようになるまで
初めての撮影があれほど楽しかった一方で、事務所へ入ってからは同じ感覚が続いたわけではありません。
プロとして仕事を得るためのオーディションが始まると、最初の約2年間は落選が続いたと本人が振り返っています。
事務所所属後はオーディションに落ち続けた約2年間
事務所ではレッスンを受け、社長からマンツーマンで教わる機会もありました。
漫画を中心に読んできた岡山さんに、いきなりチェーホフの作品を読む課題が出され、自分がかなり軽い気持ちでこの世界へ入ったことに後から気づいたそうです。
仕事のオーディションにもなかなか受からず、最初の演技から約2年間を「世に出られない」時期として振り返っています。
「もう、やめたい」としょっちゅう思っていました。
出典:マイナビニュース「岡山天音、デビュー10年目の告白『暗黒時代があったから今がある』」(2019年6月11日)
それでも、学校へ十分に通えていなかったことから「後がない」という感覚があり、俳優を辞める方向へ簡単には戻れなかったとも話しています。
『中学生日記』では自然に楽しめた演技が、仕事になった途端に難しいものへ変わっていました。
ViViのインタビューでは、ここで辞めれば「やめ続ける人生になる」と思い、俳優だけは踏ん張って続けたと語っています。
すぐに結果が出たから続いたのではなく、むしろ結果が出ない時期に、辞めずに残る選択をしていました。
初主演『チキンズダイナマイト』と少しずつ増えた俳優の仕事
落選を重ねながらも出演を続け、ドラマや映画で少しずつ役を重ねていきます。
2015年には飯塚俊光監督の短編映画『チキンズダイナマイト』で主人公・橋本諭吉を演じました。
『チキンズダイナマイト』は岡山さんにとって映画初主演作で、15年間いじめられてきた青年があるゲームへ挑む物語です。
文化庁委託事業「ndjc:若手映画作家育成プロジェクト」の作品で、岡山さん自身も当時、「ここまで深く主役として1つの作品に関わる経験はあまり無かった」とコメントしています。
デビュー作では一度きりの撮影を夢中で楽しんだ中学生でしたが、ここでは主役として一本の映画へ深く関わる立場になっていました。
飯塚監督とはその後も仕事が続き、『ポエトリーエンジェル』の際には岡山さん自身が『チキンズダイナマイト』を「初主演」だったと振り返っています。
その後、同じ飯塚監督の2017年公開映画『ポエトリーエンジェル』では武田玲奈さんとダブル主演を務め、高崎映画祭の最優秀新進男優賞を受賞しました。
ただ、出演作が増えることと、本人が演技を心から楽しめることは、まだ同じではありませんでした。
2015年『サマー・ストーカーズ・ブルース』で取り戻した演技の楽しさ
20歳を過ぎるころ、ある講師のワークショップで「楽しんでる?」と聞かれたことが、演技への向き合い方を変えるきっかけになりました。
ああ、楽しんでいいんだ
出典:ほぼ日「第3回 えっ、楽しんでいいんだ?|俳優の言葉。岡山天音篇」(2024年1月13日)
それまでは正解を出さなければならないという感覚が強く、要求されたものに応えるだけで精いっぱいだったといいます。
楽しむことを意識してからは、自分ならどう演じたいかを考える方向へ変わり、仕事の中で試せることも増えていきました。
その変化を作品としてはっきり覚えているのが、2015年の単発ドラマ『サマー・ストーカーズ・ブルース』です。
『中学生日記』以来の、「ただいま!」って感じがありました。
出典:ほぼ日「第4回 飛んでくる球は、おもしろい。|俳優の言葉。岡山天音篇」(2024年1月14日)
15歳の『中学生日記』で味わった演技の楽しさを、約6年かけて仕事の中でも感じられるようになりました。
好きな番組へ出てみたいという中学生の応募から始まり、事務所に入ってからは落選や戸惑いも経験しながら、岡山さんは俳優として演技を続けてきました。
『サマー・ストーカーズ・ブルース』で感じた「ただいま」という感覚は、初めて撮影現場で心が晴れた日の楽しさを、仕事としてもう一度つかんだ瞬間でした。
学校では見つけにくかった居場所を撮影現場で知り、そこから約6年をかけて、演技を「続けるもの」からもう一度「楽しめるもの」へ変えていったことになります。














