PROFILE
人物プロフィール
2024年に第37回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで審査員特別賞を受賞し、2025年にはドラマ『海老だって鯛が釣りたい』でドラマデビューした旭惟吹さん。
2003年7月3日生まれの茨城県出身で、身長180cm。モデルとしても活動していますが、学生時代から芸能界を目指していたわけではなく、長く生活の中心にあったのはテニスでした。
大学では就職活動の準備まで進めていた中、以前から芸能界を勧めていた兄の言葉を思い出し、ジュノン・スーパーボーイ・コンテストへ締め切り前日に応募しています。
しかも、コンテストでは一度BEST20で敗退。そこから敗者復活戦を勝ち上がってファイナリストへ戻り、審査員特別賞を受賞するという経歴を持っています。
今回は、そんな旭惟吹さんの生い立ちや家族、高校・大学での学生生活、ジュノンへ挑戦したきっかけ、モデル志望から俳優になるまでをご紹介します。
旭惟吹の生い立ち|茨城で柔道・ピアノ・テニスに親しんだ子ども時代
旭惟吹さんは茨城県で生まれ、子どものころから一つの競技だけに取り組んでいたわけではありません。
柔道、ピアノ、テニスと経験する中で、やがてテニスが中学・高校、さらに大学まで続く長い取り組みになっていきました。
幼稚園から柔道、小学生ではピアノとテニスへ
ケイダッシュの公式プロフィールによると、旭さんは幼稚園から中学2年生まで柔道を続けています。
柔道は初段まで取得しており、かなり長い期間取り組んでいたことが分かります。
一方、小学2年生から中学1年生まではピアノも習っていました。スポーツだけではなく、幼いころから鍵盤にも親しんでいたことになります。
旭惟吹さんは、柔道を幼稚園から中学2年生まで、ピアノを小学2年生から中学1年生まで経験。テニスは小学6年生ごろから長く続けています。
そして小学6年生ごろに始めたのが硬式テニスです。
2024年にジュノンのファイナリストとして紹介された際にも、本人は柔道とともにテニス歴について語っていました。
夢はファッションモデルです!
出典:ORICON NEWS「第37回『ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』ファイナリスト15人プロフィール紹介」(2024年11月12日)
このインタビューでは、幼稚園から中学2年生まで柔道を続け、小学6年生からテニスを続けてきたことも本人自身が説明しています。
ただし、この時点で本人が掲げていた夢は俳優ではなくファッションモデルでした。後に演技の仕事へ進むことになりますが、子どものころから一貫して俳優を志していた人物ではありません。
学生時代はテニス一筋、関東大会にも出場
小学6年生ごろから始めたテニスは、その後の学生生活の中心になりました。
所属事務所のプロフィールには、中学・高校で硬式テニスの関東大会に出場したことが記されています。
大学生になって芸能界への道を考えるまで、本人の意識は芸能活動よりスポーツへ向いていました。
2025年のインタビューでも、兄から芸能界を勧められていた当時について「学生時代ずっとテニス一筋だった」と振り返っています。
また、学生時代には応援団長を務めたり、人前で発表したりすることもあったそうです。後に初めてドラマの撮影現場へ入った際、強い緊張を感じなかった理由として、本人はこうした学生時代の経験を挙げています。
幼少期から中学・高校にかけては柔道やテニスに取り組み、人前に立つ経験も重ねていましたが、この時期にはまだ「俳優になる」という明確な道筋はありませんでした。
旭惟吹の家族|4人きょうだいの3番目、長兄が芸能界への入口に
旭惟吹さんの芸能界入りをたどると、家族の中でも特に長兄との関係が大きく関わっています。
兄から芸能界を勧められたのは大学生になってから突然始まった話ではなく、中学生のころから続いていたものでした。
兄2人と妹がいる4人きょうだいで育つ
旭さんは兄2人、本人、妹という4人きょうだいの3番目です。
2025年のCLASSY.のインタビューで家族について尋ねられると、芸能界入りのきっかけとして真っ先に挙げたのが一番上の兄でした。
コンテストに挑戦していた時期には長兄だけでなく、家族全体から応援を受けていたと振り返っています。
当初はコンテストで書類選考を通過するとも考えていなかった旭さんにとって、審査が進む中で家族の存在は大きかったようです。
家族について公に語られている具体的なエピソードは、芸能界入りを勧めた長兄との話が中心です。コンテスト期間には、兄だけでなく家族みんなから応援を受けていました。
中学生のころから長兄だけは芸能界を勧めていた
一番上の兄は、中学生だった旭さんに「イブ、かっこいいよ」と声をかけ、芸能界を目指してみてはどうかと勧めていたといいます。
ところが、当時の本人はテニスに打ち込んでおり、芸能界への関心はそれほど強くありませんでした。
そのため、兄に勧められてすぐオーディションを受けたり、芸能事務所を探したりしたわけではありません。しばらくはテニス中心の学生生活が続きます。
この兄の言葉を本人が改めて意識することになるのは、大学へ進学し、周囲が就職活動を始めてからでした。
後に芸能界入りを振り返った際には、長兄について次のように語っています。
今まで経験してこなかった世界に兄が導いてくれた
出典:CLASSY.「夏ドラマ2本に出演!注目俳優・旭惟吹さん(22)『デートするなら、カジュアルな服でドライブに行きたい!』」(2025年8月6日)
中学生のころには現実的な進路にならなかった兄の提案が、数年後、就職か別の道かを考える大学時代にもう一度浮かび上がってきます。
旭惟吹の高校・大学|テニス中心の学生生活からモデルのアルバイトへ
旭惟吹さんの高校・大学については、テニスの公式大会記録から学生時代の足跡をたどることができます。
高校から大学へ進んでもテニスを続ける一方、大学時代にはファッションへの興味からモデルのアルバイトも経験。ここで芸能界との距離が少しずつ縮まっていきました。
高校でも硬式テニスを続け関東大会へ
高校時代のテニス大会記録を見ると、2020年の関東テニス協会公認大会に、「旭惟吹(東洋大学付属牛久高等学校)」として名前が記録されています。
東洋大学附属牛久高等学校は茨城県牛久市にある学校です。茨城県出身という公式プロフィールとも地域的に一致します。
所属事務所が公表している「中高で関東大会出場」という経歴と、大会記録に残る同名選手の所属校を合わせると、高校時代も競技としてテニスへ取り組んでいたことが分かります。
高校生活でも、芸能活動よりテニスが中心でした。ジュノンへ挑戦するのは、それから数年後のことです。
大学でもテニスを続け、ファッションモデルを目指し始める
高校卒業後は東洋大学へ進んだことが、大学テニスの記録から確認できます。
関東学生テニス連盟の大会エントリーには「旭惟吹 東洋大学」と記載されており、大学でもテニスを続けていました。
ただ、大学ではテニスとは別に新しい経験も始めています。それがWEBのコーディネートモデルのアルバイトでした。
第37回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストへ参加していた時期の本人プロフィールには、服が好きで、コーディネートモデルとして着こなしやポージングを考えることが楽しいと記されています。
そのころ思い描いていたのは、服の魅力を発信し、ランウェイを歩くファッションモデルでした。
子どものころから俳優を目指していたわけではなく、大学でモデルの仕事を少しずつ経験したことで、初めて芸能の仕事が自分の進路として現実味を帯びていったことになります。
周囲が就活を始め、自分の進路を考え直す
大学3年生になると、周囲では就職活動が始まりました。
旭さん自身も就活サイトへ登録し、履歴書を用意するなど、一般企業への就職に向けた準備を進めていました。
一方では、モデルのアルバイトを経験し、ファッションへの興味も強くなっています。
周囲が進路を決め始める中で「自分がやってみたいことは何か」と考え直したとき、以前から長兄に勧められていた芸能界という選択肢が再び現れました。
応募だけでもしてみよう
出典:CLASSY.「夏ドラマ2本に出演!注目俳優・旭惟吹さん(22)『デートするなら、カジュアルな服でドライブに行きたい!』」(2025年8月6日)
こうして2024年、大学3年生だった旭さんは第37回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストへ応募します。
応募したのは締め切りの前日でした。それまで長く芸能活動を続けてきた人物ではなく、就職という進路も現実的に準備したうえでの挑戦でした。
旭惟吹の芸能界入り|締め切り前日にジュノンへ応募
締め切り前日の応募から始まったジュノン・スーパーボーイ・コンテストは、旭惟吹さんの進路を大きく変えることになります。
ただし、最終選考会まで一直線に勝ち進んだわけではありません。一度はファイナリスト入りを逃し、その後の敗者復活戦から再び選考へ戻っています。
長兄の言葉をきっかけに第37回ジュノンへ
2024年に行われた第37回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストには、1万3465人が応募しました。
旭さんは当時21歳の大学3年生。ファイナリスト紹介でも、応募のきっかけを「長兄の薦め」と明かしています。
応募時に掲げていた夢はファッションモデルでした。憧れの人物として、モデルのUTAさんを挙げています。
書類選考で落ちる可能性も考えていたため、コンテストと並行して就職の準備もしていました。
ところが審査が進むにつれ、進路への気持ちは変わっていきます。予選の段階で就職活動からコンテストへ舵を切り、選考へ集中することを決めました。
この世界で活躍してやる
出典:CLASSY.「夏ドラマ2本に出演!注目俳優・旭惟吹さん(22)『デートするなら、カジュアルな服でドライブに行きたい!』」(2025年8月6日)
これは本人が最終審査のころを振り返って語った言葉です。締め切り前日に「応募だけでも」と始めた挑戦は、選考が進む中で職業として芸能界を目指す決断へ変わっていきました。
BEST20敗退から敗者復活1位でファイナリストへ
ジュノンの選考では、BEST100で5位、BEST75で8位、BEST30で3位と進みました。
しかし、BEST20決定戦では11位となり、ここで一度敗退します。
旭さんはこの敗退でコンテストを終えたわけではありません。
2024年9月18日から10月2日にかけて行われた「ファイナリスト敗者復活戦〜東の陣〜」へ進み、そこで1位を獲得。敗者復活枠からファイナリスト15人の一人に入りました。
BEST20決定戦で11位となり一度敗退 → 「ファイナリスト敗者復活戦〜東の陣〜」で1位 → ファイナリストへ復活、という経過をたどっています。
最初から芸能界だけに進路を絞っていたわけではなく、一度は選考から外れた経験も挟んでいます。
そのうえで最終選考会へ進んだことが、旭さんのジュノン挑戦を特徴づける経緯の一つです。
子どものころに習ったピアノを披露し審査員特別賞
2024年11月24日に行われた最終選考会では、ファイナリスト15人が審査に臨みました。
旭さんが自由パフォーマンスで選んだのは、小学2年生から中学1年生まで習っていたピアノです。
映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』で知られる楽曲を演奏し、子どものころの習い事を最終選考の舞台で披露しました。
そして最終結果で、第37回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストの審査員特別賞を受賞します。
受賞当日、本人はJUNON TVに感謝の言葉を投稿しました。
初心を忘れずに、恩返しできるように、さらに頑張ります!
出典:JUNON TV「旭惟吹」(2024年11月24日)
この受賞を経て芸能界へ入り、ケイダッシュに所属。テニス中心だった大学生活から、芸能活動へ進路を切り替えることになりました。
ただし、ジュノン受賞による芸能界入りと、俳優としてドラマへ出演した時期は同じではありません。
コンテスト応募時に目指していたのはファッションモデルであり、受賞後に演技を学び始めてから、俳優としての仕事へ進んでいきます。
旭惟吹が俳優になるまで|モデル志望からドラマ初出演へ
2024年のジュノン応募時、旭惟吹さんが明言していた夢はファッションモデルでした。
芸能界入り後はモデルの仕事だけでなく演技を学び、2025年に初めてテレビドラマへ出演。そこから異なるジャンルの撮影現場を経験していきます。
受賞後は先輩の撮影現場で演技を学ぶ
俳優として活動するため、受賞後は演技の勉強を始めました。
旭さんが2025年に明かした方法は、決まった演技レッスンへ通うことではありませんでした。
事務所の先輩たちの撮影現場へ足を運び、実際の現場で演技や撮影の進み方を見て学んでいたといいます。
特によく見学していたのが、同じケイダッシュに所属する高橋克典さんの撮影現場でした。
現場で教わったことはその日のうちに自宅へ持ち帰って練習し、撮影がない日には映画を見ながら、登場人物の感情や俳優の演技を考えていたそうです。
ジュノンを受けるまで「俳優一本」で歩んできたわけではないからこそ、芸能界入り後に演技へ触れていく時間がありました。
2024年:ジュノン審査員特別賞を受賞して芸能界入り
2025年:『海老だって鯛が釣りたい』でドラマデビュー
芸能界入りと俳優としてのドラマ初出演には段階があります。
2025年『海老だって鯛が釣りたい』でドラマ初出演
演技を学んだ後、2025年に中京テレビ・日本テレビ系ドラマ『海老だって鯛が釣りたい』へ出演しました。
旭さんが演じたのは、主人公・海老原唯子と同じ会社で働く広報部の先輩・深澤悠斗です。
ケイダッシュの出演情報にも深澤悠斗役と記載され、本人へのインタビューでは同作がドラマ初出演だったことが明かされています。
学生時代に応援団長や人前で発表する経験があったこともあり、初めての撮影で「緊張して話せない」という感覚はあまりなかったそうです。
それまでに演技を繰り返し練習していたこともあり、撮影時には次のような気持ちで臨みました。
自分が持ってきたものを全力でやっていこう!
出典:CLASSY.「2025年注目俳優・旭惟吹さん(22)『江口洋介さんからのアドバイスが記憶に残ってます』」(2025年8月5日)
初めてのテレビドラマでは、少し年上の余裕を持ちながら仕事にも熱心な先輩という人物像を意識して演じています。
本人も出演日にXで深澤悠斗役を演じることを伝えていました。
ジュノン応募時に思い描いていたモデルとは別に、この作品でテレビドラマの撮影現場へ入り、俳優としてのキャリアが具体的に始まりました。
『誘拐の日』では江口洋介から役者としてのアドバイス
同じ2025年には、テレビ朝日系ドラマ『誘拐の日』にも出演しました。
『海老だって鯛が釣りたい』が恋愛ドラマだったのに対し、『誘拐の日』はヒューマンミステリー。旭さんは事件解決に取り組む若い刑事を演じています。
本人は、ポップでテンポよく撮影が進む恋愛ドラマと、1シーンずつスタッフ・キャストが連携しながら作るミステリードラマでは、現場の雰囲気も大きく異なっていたと振り返っています。
まだ撮影現場の経験が多くなかった時期に、まったく異なる二つの作品へ続けて参加したことになります。
『誘拐の日』の現場では、共演した江口洋介さんと撮影の合間に話す機会がありました。
旭さんから仕事について質問し、江口さんから演技について話を聞いたそうです。
役者としてのアドバイスもしていただけて
出典:CLASSY.「2025年注目俳優・旭惟吹さん(22)『江口洋介さんからのアドバイスが記憶に残ってます』」(2025年8月5日)
高橋克典さんの撮影現場を見学して演技を学び、自身のドラマ出演では江口洋介さんへ直接質問する。芸能界入り直後の時期には、実際の撮影現場で先輩俳優から学ぶ機会が続いていました。
短編映画『思い出はゴーグルの向こうに』で主演
ジュノンから始まった経歴には、もう一つ直接つながる作品があります。
2025年3月、第37回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストのファイナリストらを対象に、短編映画への出演権をかけたイベントが行われました。
旭さんはSHOWROOM部門でランキング1位を獲得。その結果、短編映画『思い出はゴーグルの向こうに』への出演につながります。
そして2026年に完成した同作では、主演を務めました。
作品は、故郷の高校を訪れた主人公・惟吹が、教室で見つけたVRゴーグルを通して高校時代の友人や記憶と向き合う物語です。共演には、第37回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストのグランプリを受賞した佐藤倖斗さんや、同じくファイナリストだった飯田遥希さんらが名を連ねました。
大学3年生で就職活動の準備をしながら締め切り前日に応募したジュノン。そのコンテストでの敗者復活と審査員特別賞を経て、翌年にドラマデビューし、さらにジュノンの卒業イベントから生まれた短編映画では主演を務めるまでになりました。
テニスを続けていた学生生活から進路を切り替えた旭惟吹さんにとって、2024年のジュノン応募から『思い出はゴーグルの向こうに』までが、芸能界へ入り俳優として仕事を始めていく最初の道のりとなっています。
















