PROFILE
人物プロフィール
映画『町田くんの世界』で1000人を超えるオーディションから主演に選ばれ、その後も映画やドラマで活動してきた関水渚さん。
ところが、子どものころから人前に立つことが得意だったわけではなく、幼稚園へ通い始めたころは人とのあいさつにも緊張していました。
小学生のころに思い描いていた将来も女優ではなく、夢は国会議員でした。
中学生になるとドラマで見た石原さとみさんに憧れ、高校では野球部のマネージャーを続けながら、両親を説得してホリプロのオーディションへ向かいます。
今回は、そんな関水渚さんの生い立ちや家族、中学・高校時代、芸能界へ入ったきっかけ、CMデビューから女優として最初の大きな役をつかむまでをご紹介します。
関水渚の生い立ち|横浜で過ごした幼少期と人前が苦手だった子ども時代
関水渚さんは1998年6月5日生まれ、神奈川県出身です。
本人とSHELLYさんによるJ-WAVEの対談では、2人の共通点として神奈川県横浜市の出身であることも紹介されています。
幼いころの関水さんは、後に大勢の観客やカメラの前で演じる姿からは想像しにくいほど、人との関わりに緊張する子どもでした。
5歳で幼稚園へ|あいさつにも緊張していた幼少期
本人は後年、3〜4歳ごろから周囲にどう見られているかを強く意識するようになり、5歳の年長から幼稚園へ入ったと振り返っています。
幼稚園バスでは先生へあいさつすることにも緊張し、大人数の中へ入ることに強いプレッシャーを感じていました。
初めて幼稚園でお弁当を食べる日には緊張で食事が喉を通らず、その後も数日ほど食べられない状態が続いたことがあったそうです。
両親から見ても、幼い関水さんは何も気にせず飛び込んでいくタイプではありませんでした。
関水さんは幼少期から「恥ずかしい」という感覚が強く、人前で笑ったり目立ったりすることにも抵抗があったと振り返っています。
小学校へ進んだあとも、すぐに芸能界へ興味を持ったわけではありません。
小学生の夢は国会議員|目立つのが苦手でも討論に憧れた
小学生だった関水さんがテレビで興味を持ったのは、ドラマや映画よりも国会での議論でした。
総理大臣らがテレビ中継で意見をぶつけ合う様子を見て、大人になってから意見を言い合える仕事に魅力を感じていたそうです。
小学生の頃は国会議員になりたかったんです。
出典:週プレNEWS「アクエリアスCMで話題の美少女・関水渚『石原さとみさんになりたい!って…』」(2018年2月9日)
本人は同じインタビューで、当時から引っ込み思案で目立つことが嫌だったとも話しています。
人前へ出ることは苦手なのに、人と人が意見を交わす場面には惹かれていたというのが、小学生だったころの関水さんでした。
女優という仕事が具体的な目標になるのは、もう少し後の中学生時代です。
関水渚の家族|父親・母親と一人っ子で育った家庭
関水さんの生い立ちには、父親と母親の存在が何度も登場します。
兄弟姉妹については本人がTBSのインタビューで一人っ子と明かしており、父親・母親との3人家族の中で育ちました。
芸能界を目指したときには両親の反応も同じではなく、特に母親とは何度も話し合うことになります。
父親のウィンドサーフィンと「渚」の名前
「渚」という名前には、父親が長年続けていたスポーツが関係しています。
父親は10代前半のころから長くウィンドサーフィンを続けていました。
その父親が、海辺の渚のようにさまざまな人が集まってくる場所になってほしいという思いを込めて名付けたと、関水さんは聞いているそうです。
お父さんのことが結構好きで、仲良くて。
出典:J-WAVE NEWS「関水 渚、恋愛相談をされたときに『質問しないこと』は? SHELLYと対談」(2023年9月13日)
関水さん自身も父親がしていたスポーツだからやってみようと考え、20代になってからウィンドサーフィンを始めました。
名前の由来になった父親の趣味を、娘も後から始めたことになります。
母親は芸能界入りに反対|両親を説得し続けた日々
中学生になった関水さんが芸能界へ行きたいと言い始めたとき、母親はすぐには賛成しませんでした。
両親はもともと、娘が大学を卒業して一般企業などへ就職するような将来を思い描いていました。
ところが本人は、成人してから動き始めるのでは遅いと考えていました。
高校卒業してからじゃ遅いと思って、日々説得していました。
出典:日刊スポーツ「芸能界入りへ両親を説得する日々 関水渚の今後の目標は『もっと売れたい』」(2024年2月26日)
母親から「そんなにうまくいくわけない」と反対されても、関水さんは何度も芸能界へ入りたい気持ちを伝えました。
一方、父親は母親ほど強く反対していなかったと本人は振り返っています。
両親の反対を受けて女優を諦めたのではなく、高校生になるまで繰り返し説得を続けました。
その結果、高校時代にホリプロのオーディションを受けるところまで進みます。
一人っ子として育ち、両親から受け取ってきた言葉
「関水渚 兄弟」と検索されることもありますが、本人は一人っ子であることを公表しています。
家族について話すインタビューでは、芸能界入りをめぐって衝突した時期だけでなく、仕事を始めてから両親の反応が変化していったことも語っています。
2026年のWWDJAPANのインタビューでは、映画『町田くんの世界』への出演が決まったころから両親の反応が少しずつ変わり、仕事に向き合う姿を見て本気度を認めてもらったと振り返りました。
その後も両親からは、仕事へ一生懸命向き合うことと、周囲への感謝を忘れないことを繰り返し言われているそうです。
関水渚さんは一人っ子です。父親・母親の職業などについては公表された確かな情報がないため、家族について確認できるのは本人が語っている具体的なエピソードが中心です。
関水渚の中学・高校時代|陸上部から野球部マネージャーへ
小学生まで女優とは違う将来を思い描いていた関水さんは、中学生になってから進路への考えを大きく変えます。
学校生活では中学で陸上部、高校で野球部のマネージャーを経験しました。
その間にテレビドラマで石原さとみさんを見たことが、芸能界へ向けて実際に動き始めるきっかけになります。
中学では陸上部|800m・1500mを走った学生時代
関水さんは小学校卒業後、中高一貫の共学校へ進みました。
中学では友人に誘われて陸上部を見学し、同学年の部員たちが楽しそうだったことから自分も入部しています。
専門は短距離ではなく、800mや1500mを走る中距離でした。
私は中距離の選手で800mとか1500mを走っていました。
出典:web Sportiva「関水渚、最近の悩みは筋肉痛。主演ドラマでバッティングセンターのイメージが変わった」(2021年6月18日)
中学時代に陸上をやり切った感覚があったため、高校では同じ競技を続けませんでした。
出身校については森村学園中等部・高等部とする情報があります。横浜市の陸上競技記録には本人と年齢・競技歴が一致する「森村学園」の「関水 渚」という選手記録も残っていますが、本人や所属事務所が学校名を明言した公式プロフィールは確認できないため、ここでは学校名を断定していません。
『リッチマン、プアウーマン』の石原さとみに憧れて女優を志す
中学生だった関水さんの進路を変えたのが、2012年に放送されたドラマ『リッチマン、プアウーマン』でした。
作品に出演していた石原さとみさんを見て、その笑顔や華やかさに強く惹かれます。
それまで国会議員を夢見ていた関水さんは、ここで初めて女優という仕事を自分の将来として意識するようになりました。
しかも、芸能事務所ならどこでもよかったわけではありません。
石原さとみさんが所属するホリプロへ入りたいというところまで目標は具体的でした。
原宿などで別の事務所からスカウトされた経験もあったものの、本人はホリプロタレントスカウトキャラバン以外を受けるつもりはなく、誘いを断っていたと話しています。
高校は野球部マネージャー|朝練と深夜2時の合宿
高校へ進んだ関水さんは、陸上部ではなく野球部のマネージャーになりました。
きっかけは大の野球ファンだったからではなく、友人から誘われたことでした。
父親が読売ジャイアンツのファンだったためテレビで野球を見る機会はありましたが、当初はルールにもそれほど詳しくなかったそうです。
マネージャーになってからルールを覚え、時間をかけてスコアブックの書き方も身につけました。
部活動は月曜日から土曜日まで練習があり、日曜日には練習試合が入ることもある生活でした。
朝練にも参加し、合宿では夜に一度眠ったあと、深夜2時ごろに起こされて選手の練習を手伝ったこともあったと振り返っています。
高校野球にも詳しくなり、地元の横浜スタジアムへ試合を見に行った際には、横浜高校の増田珠選手を最前列から見たこともありました。
野球のスコアをつけることは、その後ホリプロのプロフィールでも関水さんの特技として紹介されるようになりました。
高校2年でホリプロスカウトキャラバン|卒業まで芸能活動を待つ
女優への憧れを抱き続けていた関水さんは、高校2年生だった2015年に行動を起こします。
受験したのは、長年目標にしていたホリプロタレントスカウトキャラバンでした。
第40回ホリプロタレントスカウトキャラバンでファイナリストに残り、17歳でホリプロへ所属しました。
ただし、この時点ですぐ芸能活動を始めたわけではありません。
通っていた高校では芸能活動が認められておらず、家族からもまず学校生活を終えるよう言われていたためです。
そのため、ホリプロへ入ったのは2015年、本格的に仕事を始めたのは高校卒業後と、芸能界入りと活動開始の間には時間があります。
高校卒業後に芸能活動を開始|アクエリアスCMから始まった初期活動
高校を卒業すると、関水さんはようやく芸能活動を本格的に始めます。
最初の仕事はドラマや映画ではなく、飲料「アクエリアス」のCMでした。
一方、大学についてはネット上でさまざまな情報が流れていますが、学校名まで確認できる一次情報はありません。
高校卒業後の進路|大学・明治大学説はどこまで確認できる?
関水さんについては「大学」「明治大学」と検索されることがあります。
しかし、明治大学へ進学したと本人やホリプロ、大学側が公表した資料は確認できません。
2026年のWWDJAPANのインタビューでは、両親がもともと娘について「普通に大学を卒業して就職する」将来を想定していたと関水さんが話しています。
これは両親が思い描いていた進路の話であり、関水さん自身が特定の大学へ進学したことを示す発言ではありません。
関水渚さんの大学名は公表された確かな情報がありません。ネット上には明治大学説や大学中退説もありますが、本人の在籍を裏づける一次情報がないため断定できません。
高校卒業後の時期について確実に確認できるのは、2017年から芸能活動が始まったことです。
2017年アクエリアスCMでデビュー|最初のオーディションから抜てき
関水さんの芸能活動上のデビューとして広く紹介されているのが、2017年4月の「アクエリアス」CMです。
しかも、関水さんにとってこれが最初に受けた仕事のオーディションでした。
会場では周囲の参加者が自分よりうまく見え、自分だけ全然できていないように感じたといいます。
手応えを感じるどころか、本人は落ち込んだまま帰宅しました。
そのため、後から合格を知らされたときには本人も驚いています。
初めて受けたオーディションが、そのまま芸能活動のデビュー仕事になりました。
CMが放送されると友人から「見たよ」と連絡が届き、電車内の中吊り広告にも関水さんの姿が掲載されました。
2017年の短編映画出演|『町田くんの世界』以前にも残る演技記録
関水さんの「女優デビュー」を整理するときには、2017年に残っているもう一つの記録も見逃せません。
大分県豊後大野市の「Re:映画塾2017」で制作された短編映画『友達なんていらない―青春編―』です。
豊後大野市が2017年11月に発行した「市報ぶんごおおの」では、須賀健太さんとともに「新人女優・関水渚」として出演者に名前が記載されています。
同作は豊後大野を舞台に制作され、同年12月10日にエイトピアおおので上映されました。
公開記録上は2017年の短編映画に関水渚さんが出演しています。一方、本人は後年『町田くんの世界』を「一番最初の演技の仕事」として振り返っているため、本記事では2017年作を初期の映像出演、2019年『町田くんの世界』を本格的な女優デビューとして分けています。
本人が初めての演技仕事として記憶しているのは、このあとオーディションを受ける全国公開映画でした。
『町田くんの世界』で女優デビュー|1000人超のオーディションから初主演へ
CMなどの仕事を経験した関水さんに、本格的に演技と向き合う機会が訪れたのが映画『町田くんの世界』でした。
石井裕也監督による同作では、主演となる町田一役と猪原奈々役を新人から選ぶ大規模なオーディションが行われました。
そこへ参加した関水さんは、1000人を超える候補者の中から猪原奈々役に選ばれます。
演技経験ほぼゼロから猪原奈々役へ
『町田くんの世界』の映画公式サイトは、主演に選ばれた細田佳央太さんと関水さんについて「演技経験ほぼゼロ」の新人として紹介しています。
関水さんは原作漫画を以前から読んでおり、石井裕也監督の作品も好きでした。
そのためオーディション会場で石井監督を目の前にすると、それまで高まっていた気持ちがあふれ、入室しただけで泣いてしまったことも明かしています。
最初の審査はほとんど覚えていないほど必死だったものの、回を重ねるにつれて監督から直接演技指導を受ける時間を楽しめるようになりました。
1000人を超えるオーディションを勝ち抜き、全国公開映画の初主演をつかみました。
何をしたらいいのか全然わからなかったです。
出典:logirl「女優・関水渚『演じる役を一番好きなのが自分でありたい』」(2021年7月6日)
石井監督は関水さんへ何か決まった型をつけるのではなく、本人の中にあるものを引き出しながら演出していったそうです。
2019年5月7日に行われたジャパンプレミアでは、関水さんも細田さんや岩田剛典さん、高畑充希さんらとともにレッドカーペットへ登場しました。
映画は2019年6月7日に全国公開されました。
撮影を終えて役者の道を選んだ最初の大きな転機
初主演の現場では、映画に出演できた喜びだけでなく、自分の思い通りにできない場面も何度も経験しました。
何気ない動作一つでも石井監督から細かく指導を受け、自分のために撮影時間が延びてしまった場面もあったと関水さんは話しています。
毎日、毎シーン、とにかく必死でした。
出典:Deview「インタビュー『関水渚』」(2019年6月6日)
それでも、撮影を終えたあとに残ったのは演技から離れたいという気持ちではありませんでした。
映画のBlu-ray・DVD発売時に行われた公式トークイベントでは、関水さんが初めての本格的な芝居を終えた達成感から、役者を続けていこうと考えたことが紹介されています。
『町田くんの世界』は主演デビュー作であるだけでなく、関水さん自身が役者を続けると決めた作品になりました。
同作ではブルーリボン賞新人賞やキネマ旬報ベスト・テン新人女優賞なども受賞し、次の映像作品へ進んでいきます。
『4分間のマリーゴールド』でテレビドラマ初出演
映画で主演を経験した2019年、関水さんはテレビドラマにも出演します。
作品はTBSの金曜ドラマ『4分間のマリーゴールド』で、演じたのは横浜市消防局の消防士・阿部志乃でした。
2018年のインタビューでは、まだドラマへ出演した経験がなく、「絶対出たい」と話していた関水さんにとって初めてのテレビドラマ出演です。
『町田くんの世界』で全国公開映画の主演を経験したのと同じ年に、活動の場がテレビドラマへも広がりました。
新人時代に広がった女優活動|コックリ役から連続ドラマ初主演へ
『町田くんの世界』のあと、関水さんは映画とテレビドラマの両方へ出演を重ねます。
ここでは出演作を並べるのではなく、新人時代の関水さんにとって大きかった2つの仕事を見ていきます。
一つは多くの先輩俳優と長期間共演した映画、もう一つは初めて主演を務めた連続ドラマです。
『コンフィデンスマンJP プリンセス編』でコックリ役に
2020年公開の映画『コンフィデンスマンJP プリンセス編』では、ダー子たちのチームへ加わる少女・コックリを演じました。
コックリは身寄りのない少女として登場し、ダー子によって大富豪フウ家の後継者候補へ仕立て上げられていく物語の中心人物です。
長澤まさみさん、小日向文世さん、東出昌大さんらと共演し、マレーシア・ランカウイ島でのロケにも参加しました。
映画公式のプロダクションノートには、長澤さんが撮影中の関水さんをかわいがり、関水さんも毎日のように食事へ連れていってもらったと振り返ったことが記録されています。
関水さんは後年、同作の撮影時に長澤さんから「自分もまだ上を目指している」という趣旨の言葉をかけてもらったことを明かしています。
主演映画で演技を始めたばかりだった関水さんが、今度は長く第一線で主演を続けてきた俳優と同じ現場で仕事をする時期に入りました。
高校野球部マネージャーを経て『八月は夜のバッティングセンターで。』で連ドラ初主演
2021年には、関水さんの高校時代を知ると少し印象が変わる仕事が決まります。
テレビ東京の『八月は夜のバッティングセンターで。』で、仲村トオルさんとW主演を務めることになりました。
テレビ東京は同作について、関水渚さんにとってドラマ初主演と発表しています。
関水さんが演じた夏葉舞は、夏休みにバッティングセンターでアルバイトをする17歳の高校生です。
高校時代に野球部マネージャーだった関水さんは、撮影前のインタビューでも野球のルールは分かり、見るのが一番楽しいスポーツだと話していました。
ドラマのためにバッティングセンターへ通い、小学生が多く並ぶ80km/hの打席から練習を始めています。
2021年7月7日に放送が始まった同作で、関水さんは高校時代とは違い、野球を支えるマネージャーではなく物語の主演としてバッティングセンターに立ちました。
高校で毎日のようにスコアブックをつけていた時期から数年後、今度は野球を題材にした連続ドラマで夏葉舞を演じることになりました。















