PROFILE
人物プロフィール
2024年のNHK連続テレビ小説『虎に翼』で、主人公・寅子の兄である猪爪直道を演じたのが俳優の上川周作さんです。
朝ドラや大河ドラマ、映画、舞台と出演を重ねてきましたが、もともと子どものころから俳優を目指していたわけではありません。
むしろ学生時代の中心にあったのはサッカーで、小学校から高校までサッカー一筋の生活を送っていました。
高校では親元を離れて強豪校へ進み、選手として上を目指していたものの、その先の進路を考えたときに浮かんできたのが、幼いころに経験した舞台の記憶でした。
そこから京都の大学へ進み、最初の舞台でオーディションに落ちながら一言だけの役をつかみ、大人計画の芝居を深夜バスで観に行くほど演劇へとのめり込んでいきます。
今回は、そんな上川周作さんの生い立ちや家族、瀬戸内高校までの学生時代、京都芸術大学で演技を始めた経緯、大人計画に所属して俳優として仕事を始めるまでをご紹介します。
上川周作の生い立ち|大分県出身、サッカーに打ち込んだ少年時代
上川周作さんは1993年2月18日生まれ、大分県出身です。
所属先の公式プロフィールでも特技の最初に「サッカー」が挙げられており、学生時代には長い時間をボールとともに過ごしていました。
小学校からサッカー一筋、中学では市の選抜チームへ
サッカーを始めたのは小学生のころで、大学の卒業生インタビューでは本人が「小学校から高校までサッカー一筋」だったと振り返っています。
少年時代に憧れていた選手は、ゴール後のパフォーマンスでも人気を集めた中山雅史さんでした。
遊びとしてサッカーを楽しむだけではなく、本気で上を目指しており、練習が終わったあとにも走り、翌朝になるとまた走っていたそうです。
サッカーの練習後に走って。朝起きたら、また走って。
出典:デイリースポーツ「『虎に翼』主人公の兄役演じた上川周作 俳優業の原点は? 9月に初二人芝居『コミュニケーションの大切さ伝えたい』」(2024年7月6日)
中学生になると市の選抜チームにも入るようになり、同年代の中でも高いレベルでサッカーを続けていました。
一方で、市の選抜からさらに上の県選抜へ進む選手たちを間近で見るようになり、自分との技術の差も感じていたといいます。
瀬戸内高校の学校案内には古田中学校出身と記載されており、中学卒業後はサッカーの強豪校で競技を続ける道を選びました。
学生時代のサッカー歴は、小学校で競技を始め、古田中学校を経て広島県瀬戸内高校サッカー部へ進んだ流れが確認できます。
瀬戸内高校サッカー部で2年間の寮生活
高校は、広島県にある瀬戸内高校へ進学しました。
サッカー部には自分より技術の高い選手も多く、中学までとはまた違った環境で競技と向き合うことになります。
高校3年間をサッカー部で過ごし、そのうち2年間は寮生活を送っていました。
高校時代は3年間サッカー部に所属し、2年間は寮で暮らしていました。
出典:広島県瀬戸内高等学校「学校案内2018」(2018年度)
高校の学校案内で本人が振り返っているように、サッカー部ではレギュラーをつかむことができず、最終的にはプロ選手を目指す道を諦めました。
ただ、寮で生活しながら同じ目標を持つ仲間と練習し、先生や先輩から指導を受けた時間については、自分なりの努力の方法やモチベーションを保つ基礎を身につけた時期として振り返っています。
サッカー選手という選択肢が難しくなったことで、卒業後に何をするのかを考えなければならなくなりました。
そこで一度考えたのが、好きだったスポーツに関わり続けられる体育教師という仕事です。
しかし進路を決めようとしたとき、サッカーとはまったく違う、もっと幼いころの記憶も頭に残っていました。
上川周作の家族|祖父の舞台と両親が支えた進路選択
上川周作さんが俳優という仕事を考えるうえで、家族との出来事は高校卒業後の進路よりもずっと前までさかのぼります。
特に本人が何度も振り返っているのが、大分にいた祖父と舞台にまつわる記憶です。
幼稚園で祖父の『花咲か爺』に桜の木役で出演
上川さんの祖父は大分県庁に勤めながら、ろう者の人たちと一緒にボランティアで演劇活動をしていました。
ひとつの舞台をおよそ1年かけて作り上げており、幼かった上川さんもその舞台に参加する機会がありました。
演目は『花咲か爺』で、上川さんが幼稚園児のころに演じたのは「桜の木」でした。
主役でも長いせりふのある役でもありませんでしたが、舞台が終わったあとに出演者たちが喜び合っている姿が強く記憶に残りました。
その後はサッカーに夢中になり、長いあいだ演劇を仕事にするような生活を送っていたわけではありません。
それでも高校で将来を考えたとき、人前で表現したことが楽しかったという幼いころの感覚を思い出しました。
サッカーを続けてきた十数年間とは別のところにあった体験が、進路の選択肢として再び現れたことになります。
体育教師と俳優で迷い、先生と両親に相談
プロのサッカー選手になるのは難しいと感じた高校時代、上川さんはスポーツ指導に関われる体育教師を考える一方で、俳優にも興味を持つようになりました。
ただ、サッカー中心で進んできた自分が俳優を目指したいとは、なかなか周囲に言い出せなかったそうです。
最初にその気持ちを打ち明けた相手は高校の先生でした。
先生は俳優という希望を否定するのではなく、進学できる大学まで調べて応援してくれました。
そのあと両親にも俳優を考えていることを話すと、両親も本人の選択を受け止め、背中を押しました。
本人の卒業生インタビューを見る限り、家族から芸能界入りを勧められたのではなく、自分から俳優への興味を打ち明け、それを家族が支えたという順番です。
そこから大学を探し、京都にある芸術大学のオープンキャンパスへ足を運ぶことになります。
兄弟と実家について分かっていること
上川さんの公式プロフィールで公表されている出身地は大分県です。
祖父が大分県庁に勤務していたという本人の話もありますが、本人が幼少期のどの時期まで大分県のどこで暮らしていたのかまでは詳しく公表されていません。
高校の公式資料では古田中学校出身であることが確認でき、高校では広島県の瀬戸内高校へ進学して寮生活を送っています。
そのため、「大分県出身」という事実と、中学・高校時代を広島で過ごした経歴は分けて考える必要があります。
兄については、2024年9月に上川さん本人が『虎に翼』を振り返るXで、兄が描いたイラストを紹介しています。
兄弟全員の人数や家族それぞれの詳しいプロフィールについては、所属先などの公式プロフィールでは紹介されていません。
福岡県大野城市の「Gcoffee」を上川周作さんの実家や両親の店とする情報も見られますが、店舗公式ページには上川さんとの親子関係が明記されておらず、公開されている一次情報だけでは確定できません。
家族について確実にたどれるのは、祖父との舞台体験、高校卒業後の進路を両親が後押ししたこと、そして本人が兄の存在に触れている発信です。
上川周作の学生時代|京都芸術大学で演技にのめり込む
高校までサッカーを続けてきた上川さんにとって、大学進学後は生活の中心が大きく変わりました。
選んだのはスポーツ系の大学ではなく、京都造形芸術大学の映画学科でした。
上川さんが在学していた当時の校名は「京都造形芸術大学」で、2020年4月から「京都芸術大学」へ名称が変更されています。
オープンキャンパスをきっかけに映画学科へ
高校の先生に俳優への興味を打ち明け、両親にも相談したあと、上川さんは京都造形芸術大学のオープンキャンパスを訪れました。
そこで映画学科の学生や教員と接したことが、進学先を決める大きなきっかけになります。
本人の記憶に残った場面のひとつが、映画監督でもある林海象先生が手裏剣を投げていた姿でした。
普通の大学説明会とは少し違う空気に加え、教員と学生との距離が近く、学生たちが楽しそうに過ごしていることにも惹かれたといいます。
オープンキャンパスで実際の雰囲気に触れたことが決め手となり、映画学科への進学を選びました。
ここで初めて、サッカーや体育教師とは違う進路が具体的な形になりました。
最初の舞台はオーディション落選からつかんだ一言の役
大学へ入学した上川さんは、1年生だった5月にさっそく学生たちが作る舞台のオーディションを受けました。
同じ映画学科へ入学した土居志央梨さんも参加しており、土居さんは主演に選ばれています。
ところが、上川さんは最初のオーディションに落選しました。
土居ちゃんは主演だったけど、僕はオーディションに落ちたんです。
出典:京都芸術大学「卒業生紹介(土居志央梨さん、上川周作さん)」(公開日表記なし)
役がなくなってもそこで離れることはせず、「稽古場付き」として稽古へ足しげく通いました。
すると、もともとの脚本にはなかった役が新しく作られ、「イエッサーボス」という一言だけのせりふを任されます。
一言しかないなら、その一言と登場した瞬間でどうにか目立とうと考えたのでしょう。
舞台ではドーランを使って自分のお腹に腹筋まで描いていたと、本人と土居さんが大学時代を振り返っています。
一方の土居さんは同じ1年生でありながら主演として多くのせりふを覚えており、上川さんはその姿を見ながら、同じスタートなのになぜこれほど演技ができるのだろうと感じていました。
最初から順調に役を得たのではなく、落選した舞台の稽古場に通い続けたところから、大学での演技生活が始まりました。
『マシーン日記』をきっかけに大人計画を目指す
その後も上川さんは、土居さんをはじめとする映画学科の仲間たちと舞台や映像作品を作っていきました。
大学生活の中で大きな存在になった作品のひとつが、松尾スズキさん作の『マシーン日記』です。
学生たちによる上演で上川さんは主演を務めましたが、稽古では先輩から何度もダメ出しを受け、気持ちが落ち込むこともありました。
そんなときに土居さんから声をかけられ、同級生たちと支え合いながら作品を作っていたと振り返っています。
そしてこの『マシーン日記』を演じたことから、作者の松尾スズキさんが主宰する大人計画そのものにも興味を持つようになりました。
大人計画を好きになると、深夜バスで京都から東京まで行き、公演を観るようになります。
本人によれば当時は大人計画の演目をすべて観るほど通っており、卒業後に入りたい事務所として意識するようになっていました。
大学へ入る前から特定の劇団への所属を目指していたのではなく、大学で実際に演じた作品を通じて、その行き先が具体的になったわけです。
在学中に『正しく生きる』『赤い玉、』へ出演
大学での活動は、学生だけによる舞台にとどまりませんでした。
京都芸術大学の映画学科には、プロの映画人と学生が一緒になって劇場公開映画を作る「北白川派」というプロジェクトがあります。
上川さんは在学中、福岡芳穂監督の『正しく生きる』や、高橋伴明監督の『赤い玉、』などへ出演しました。
『正しく生きる』では森優樹役を演じ、公開当時には作品公式YouTubeで上川さん本人のインタビューも公開されています。
つまり、大学卒業後に大人計画へ所属してから初めて演技を始めたわけではありません。
幼稚園では祖父の舞台を経験し、大学では学生演劇で本格的に芝居を始め、その在学中からプロと学生が共同制作する映画にも参加していました。
上川さんの場合、「最初の舞台体験」「大学で本格的に演技を始めた時期」「卒業後のドラマデビュー」はそれぞれ別の出来事です。
この大学時代に出演した一本の映画が、卒業から数年後にもう一度大きな仕事へつながることになります。
大学卒業後に大人計画へ|俳優として仕事を始める
京都造形芸術大学で舞台と映画の経験を重ねた上川さんは、2015年に映画学科を卒業しました。
卒業後に選んだのは、学生時代から公演を追いかけていた大人計画でした。
2015年の卒業後、憧れていた大人計画へ所属
2015年の大学卒業後、上川さんは有限会社大人計画へ所属しました。
高校卒業時に俳優を選び、大学で芝居を始め、『マシーン日記』を演じたことから大人計画を好きになり、深夜バスで東京まで公演を観に行っていた先の出来事です。
大学側も卒業後の活動を紹介しており、在学中から俳優を目指していた上川さんが卒業後に大人計画へ所属したことを伝えています。
ここで学生として舞台や映画へ出演していた時期から、所属俳優として仕事を受ける時期へ移りました。
上川さんが2015年に所属した会社は当時「有限会社大人計画」という名称でしたが、同社は2026年3月1日に「有限会社さておき」へ社名変更しており、松尾スズキさんが主宰する劇団「大人計画」はその後も劇団名を維持しています。
『妻と飛んだ特攻兵』でドラマデビュー
所属後のテレビドラマで最初の仕事として公式プロフィールに記載されているのが、テレビ朝日系で2015年に放送された『妻と飛んだ特攻兵』です。
所属先のプロフィールでは、この作品への出演を「ドラマデビュー」としています。
『妻と飛んだ特攻兵』がテレビドラマのデビュー作であり、同じ2015年には『コウノドリ』にも出演しました。
ただし、それ以前の大学在学中に『正しく生きる』『赤い玉、』といった映画へ出演しているため、『妻と飛んだ特攻兵』を演技そのもののデビュー作とするのは正確ではありません。
大学の稽古場でつかんだ一言の役、学生映画への出演、大人計画への所属、テレビドラマ出演という順番で仕事の範囲が広がっていきました。
舞台・ドラマ・映画へ活動の場を広げる
大人計画へ所属したあとも、上川さんの活動はテレビだけに偏りませんでした。
2016年には舞台『あぶない刑事にヨロシク』や宮藤官九郎さん作・演出の『サンバイザー兄弟』へ出演しています。
同じ2016年にはNHK大河ドラマ『真田丸』にも出演し、テレビの時代劇にも仕事を広げました。
2017年には映画『ユリゴコロ』『心が叫びたがってるんだ。』、2018年には『止められるか、俺たちを』などへ出演しており、卒業後数年のうちに舞台・ドラマ・映画を並行して経験しています。
学生時代に舞台と映像の両方へ取り組んでいた上川さんにとって、卒業後もどちらか一方に絞らず仕事を重ねる時期になりました。
そうした初期の出演歴の中には、高校時代を過ごした母校からも紹介された作品があります。
朝ドラと映画初主演|学生時代の出会いが再び仕事につながる
大学卒業後の上川さんを追っていくと、学生時代に出会った人や作品と、数年後に別の仕事で再び接点を持つ場面が出てきます。
朝ドラ出演や映画初主演も、それまでの経歴と切り離された出来事ではありませんでした。
『べっぴんさん』『まんぷく』で朝ドラに出演
上川さんが初めてNHK連続テレビ小説へ出演したのは、2016年度後期に放送された『べっぴんさん』でした。
2017年2月、瀬戸内高校も卒業生の出演を公式に紹介し、新時代となる大阪万博期からキアリスの新入社員・阿部靖夫役で登場すると告知しています。
高校時代にはサッカー部でレギュラーになれず選手の道を諦めた上川さんが、卒業後には俳優として母校の公式サイトに紹介されるようになりました。
その後、2019年には連続テレビ小説『まんぷく』へ出演します。
演じたのは画家・忠彦の弟子である名木純也で、涙を見せることの多い「ナギくん」として登場しました。
朝ドラへの出演を重ねる一方で、映画では大学在学中に仕事をした監督と再び組む機会が訪れます。
福岡芳穂監督『CHAIN/チェイン』で映画初主演
2021年に公開された映画『CHAIN/チェイン』で、上川さんは主人公・山川桜七郎を演じました。
映画公式サイトが明記している通り、この作品が上川さんにとって映画初主演です。
監督を務めた福岡芳穂さんは、上川さんが京都芸術大学在学中に出演した『正しく生きる』の監督でもあります。
さらに『CHAIN/チェイン』自体も、学生とプロの映画人が一緒に作品を作る北白川派の第8弾として制作されました。
大学時代に学生の立場で参加した北白川派で、卒業後には主演俳優として再び福岡監督の作品へ参加したことになります。
劇中では幕末の京都を舞台に、会津藩を脱藩した無名浪士・山川桜七郎を演じました。
学生時代に出演した監督の作品へ、数年後に映画初主演という立場で戻ったのが『CHAIN/チェイン』でした。
この映画には、大学時代から知る土居志央梨さんも出演しています。
大学の同級生・土居志央梨と『虎に翼』で再共演
上川さんと土居志央梨さんは、京都造形芸術大学映画学科の同級生です。
1年生の5月には同じ舞台に出演し、学生時代にはその後も複数の作品を一緒に作りました。
卒業後はそれぞれ俳優として活動を続け、2024年のNHK連続テレビ小説『虎に翼』で再び同じ現場に立ちます。
上川さんが演じたのは、伊藤沙莉さん演じる寅子の兄である猪爪直道でした。
土居さんは、寅子とともに法律を学ぶ山田よねを演じています。
大学時代からの二人の関係は、『虎に翼』放送中に土居さんが当時を振り返ったXへ、上川さんが反応したやり取りにも表れています。
大学の卒業生インタビューで上川さんは、学生時代から悩みながら俳優を続けてきた20代を経て、連続テレビ小説の現場で土居さんと再会できたことについて、それまで積み重ねてきたことが報われたように感じたと振り返っています。
大学1年生から一緒に舞台へ立った同級生と、卒業後に朝ドラの現場で再会しました。
大学1年生の最初の舞台では、土居さんが主演を務める一方、上川さんはオーディションに落ちたあとで加わった一言だけの役でした。
それから年月を重ね、2024年の『虎に翼』では、それぞれ猪爪直道と山田よねとして同じ撮影現場に立っています。















