PROFILE
人物プロフィール
伊東蒼さんは、幼いころから映画やドラマの現場に立ち、子役時代を経て俳優として活動を続けてきました。
2005年9月16日に大阪府で生まれ、6歳でドラマに初出演していますが、もともと自分から芸能界を目指していたわけではありません。
芝居を始めるきっかけを作ったのは母で、子役時代にはオーディションに落ち続け、母と「次で落ちたら辞めよう」と話した時期もありました。
さらに中学生になると、勉強や部活動に力を入れるため、いったん仕事で芝居をすることから離れています。
それでも再び演技へ戻ったのは、今度は母に勧められたからではなく、自分自身がもう一度芝居をやりたいと気づいたからでした。
今回は、そんな伊東蒼さんの生い立ちや家族、子役時代、学生生活、芸能界へ入ったきっかけ、女優として芝居を続けると決めるまでをご紹介します。
伊東蒼の生い立ち|大阪で育ち、3歳からダンスを始めた幼少期
伊東蒼さんは2005年9月16日生まれ、大阪府出身です。
演技の仕事を始める前から身体を動かすことが身近にあり、3歳からダンスを習っていました。
本と空想が好きだった子ども時代
幼いころは本を読んだり、頭の中でいろいろなことを空想したりするのが好きな子どもでした。
ドラマや映画もよく見ていましたが、この時点で「女優になりたい」と強く決めていたわけではありません。
後年のインタビューでは、知らない人物になり、自分が経験したことのない感情に触れられることを芝居の面白さとして挙げています。
幼いころから好きだった空想と、仕事として始めた演技は別々のものでしたが、芝居の中でさまざまな人物になること自体は次第に楽しくなっていきました。
小学4〜5年生ごろには一人で近所の映画館へ
映画は出演するだけでなく、見ることも好きでした。
小学4〜5年生ごろには、近所の映画館へ一人で足を運ぶようになっていたと振り返っています。
すでに子役として仕事をしていた時期ですが、映画館へ行くことは仕事の延長というより、普段の生活の中にある楽しみの一つでした。
また、後年も外国映画を含めさまざまな作品を見ることを好み、語学を学ぶなど、作品を見る側としての興味も続いています。
伊東蒼の家族|母の勧めで始めた芝居と両親の育て方
伊東蒼さんの生い立ちをたどるうえで、特に登場することが多い家族が母親です。
芸能界へ入る入口を作っただけでなく、オーディションを続けるか迷った時期や、その後の大学進学でも母とのやり取りがありました。
芝居を始めるきっかけを作った母
伊東蒼さんが芝居の世界へ入った直接のきっかけは、母親から勧められたことでした。
自分から子役になりたいと申し出て始めたのではなく、母がきっかけを作り、オーディションへ挑戦するようになりました。
ただし、始めたあともすぐに仕事が次々決まったわけではありません。
本人は、最初のころは自分なりに頑張ってもオーディションに落ちることが多く、悔しさから「今度こそ」と受け続けたと振り返っています。
母から渡された入口だったものの、挑戦を続ける部分には、少しずつ本人自身の意思も加わっていきました。
「自分がやりたいからやる」を大切にした家庭
伊東蒼さんは家庭での育てられ方について、テストの点数などに応じて両親からご褒美をもらうようなルールはなかったと話しています。
「自分がやりたいからやる」みたいな感じだったと思います。
出典:cula「【インタビュー『人間標本』伊東蒼】宮沢りえとの久々の親子役、過激なアートの恐ろしさと美しさ、杏奈が感じていた嫉妬など」(2026年2月26日)
何かを頑張る目的を両親からの報酬に置くのではなく、本人がやりたいと思ったことに取り組む家庭だったことがうかがえます。
後に一度芝居から離れたときにも、再び演技へ戻るかどうかを本人自身が考えることになりました。
父親や兄弟姉妹については検索されることもありますが、本人は家族構成の詳細や父親・兄弟姉妹について具体的に公表していません。
一方、母とのエピソードは本人のインタビューに複数残っており、子役時代から進学まで長く関わっていたことが分かります。
6歳で子役デビュー|落選続きから『湯を沸かすほどの熱い愛』へ
母の勧めから始まったオーディションは、やがて実際の演技の仕事へつながりました。
2011年、6歳で子役としてドラマに出演し、ここから俳優としてのキャリアが始まります。
『アントキノイノチ』でドラマ初出演、『貞子3D2』で映画デビュー
最初の演技仕事として確認できるのは、2011年のTBS系ドラマ『アントキノイノチ〜プロローグ〜 天国への引越し屋』です。
翌2012年にはNHK大河ドラマ『平清盛』で、平清盛の娘・盛子の幼少期を演じました。
当時はまだ小学1年生ほどの年齢で、大きな撮影現場では緊張することもありました。
『平清盛』の撮影では、緊張していた伊東蒼さんに主演の松山ケンイチさんがグミを渡してくれました。もったいなくて食べられず、高校1年生で東京へ引っ越すまで冷蔵庫に保管していたと本人が後年振り返っています。
2013年には映画『貞子3D2』へ出演し、映画の仕事も経験しました。
この時期から映像作品への出演は続いていましたが、子役として順調に役を取り続けていたわけではありません。
「落ちたら辞めよう」と母と決めて受けた『湯を沸かすほどの熱い愛』
子役として仕事をする一方で、オーディションには何度も落ちていました。
やがて母との間で、次のオーディションを一区切りにする話が出ます。
このオーディションに落ちたらもう終わりにしよう
出典:Bunkamura公式「好きだからこそ続けたい 飽くなき芝居の道/伊東 蒼さんインタビュー」(2025年5月9日)
その「最後」にするつもりで受けた作品が、中野量太監督の映画『湯を沸かすほどの熱い愛』でした。
伊東蒼さんはオーディションで片瀬鮎子役に選ばれ、宮沢りえさん、杉咲花さん、オダギリジョーさんらと共演します。
辞める可能性まで考えて受けた作品で役をつかんだことが、その後の芝居への向き合い方を変える出来事になりました。
撮影では宮沢りえさんや杉咲花さんの現場での過ごし方や作品への向き合い方を間近で見ています。
公開後には第31回高崎映画祭で最優秀新人女優賞を受賞しました。
当時のメイキング映像には、杉咲花さんと伊東蒼さんが撮影の合間を過ごす姿も残っています。
『島々清しゃ』で映画初主演、先輩俳優から学んだ芝居
『湯を沸かすほどの熱い愛』に続いて大きな経験になったのが、2017年公開の『島々清しゃ』です。
沖縄の慶良間諸島を舞台にした作品で、伊東蒼さんは花島うみ役を演じ、映画で初めて主演を務めました。
現場では安藤サクラさんや山田真歩さんらと共演しています。
『湯を沸かすほどの熱い愛』と『島々清しゃ』の2作品を経験したころから、カメラの前でセリフを言う瞬間だけが演技ではないと感じるようになりました。
台本を繰り返し読み、普段の生活でも役について考える時間が増えていったといいます。
母に勧められて始めた芝居が、このころには「好きだから続けたい」と思えるものへ変わっていました。
『島々清しゃ』では第72回毎日映画コンクールのスポニチグランプリ新人賞も受賞しています。
ただ、芝居を好きになったからといって、そのまま仕事だけに生活を絞ったわけではありませんでした。
伊東蒼の学生時代|中学で一度芝居を離れ、高校で両立へ
子役として映画賞を受賞する一方、伊東蒼さんにとって中学・高校は友人や部活動と過ごす大切な時間でもありました。
中学進学後には、勉強と部活動をもっと頑張りたいという理由で、仕事としての芝居をいったん休んでいます。
学校名について
伊東蒼さんは、中学校・高校の具体的な校名や、進学した通信制大学の大学名を本人のインタビューでは公表していません。確認できるのは、中学で美術部、高校でギター部に所属したこと、高校卒業後に通信制大学へ進学したことなどです。
美術部と学校行事に打ち込み、中学で仕事をいったん休止
中学生になると美術部に入りました。
部室では仲のいい友人や顧問の先生とお菓子を食べて話したり、友人たちとテスト勉強をしたりしていたそうです。
体育祭や文化祭などの学校行事にも力を入れ、子役の仕事とは別の学校生活を過ごしていました。
この時期に仕事を休んだ理由も、芝居が嫌になったからではなく、勉強や部活動へもっと力を入れたいと思ったからでした。
絵を描くことはその後も好きなことの一つとして残っています。後年のインタビューでも、思い立ったときに一人で美術館へ行くことがあると話しています。
幼少期から続いていた仕事を一度止め、学校中心の毎日に入ったことで、芝居との距離も変わりました。
友人たちの挑戦を見て芝居へ戻り、ユマニテへ
仕事から離れていた中学時代、周囲の友人たちがモデル事務所へ入るなど、芸能の世界へ挑戦する出来事が続きました。
友人を祝福する一方で、自分の中にも「自分もやりたい」という感情が残っていることに気づきます。
そこで、きっぱり諦められていないのなら一度真剣にやってみようと考え、今度は自分自身の意思で芝居へ戻ることを決めました。
その後、現在の所属事務所であるユマニテへ入り、俳優としての活動を再開します。
母親も事務所も、芝居のためにほかのことをすべて諦めるのではなく、学びたいことがあれば一緒に続ければいいという考えでした。
子どものころに母から勧められて始まった芝居は、この再出発で本人が自分で選んだ仕事へ変わっていきます。
高校はギター部、高校1年生で東京へ
高校へ進学してからも、仕事だけの生活にはしませんでした。
学校ではギター部に所属し、クラシックギターを弾いています。
映画『天気の子』の楽曲「グランドエスケープ」を演奏できるようになったことも、16歳当時のインタビューで話していました。
体育祭ではリレーにも挑戦し、参加したチームが1位になったこともあります。
生活面で大きく変わったのは、高校1年生で大阪から東京へ移ったことでした。
幼いころから東京の撮影現場へ通っていましたが、ここで生活拠点そのものが東京へ移ります。
それでも学校を仕事の二の次にはせず、撮影などのスケジュールも学校生活に合わせてもらっていたそうです。
お芝居も学校生活もどっちも100:100で楽しめた3年間でした。
出典:Bezzy「全身を使って、より自由で大きな感情表現を。伊東蒼が素顔の時間で磨く芝居勘」(2025年9月16日)
仕事と学校のどちらかを捨てて俳優を続けるのではなく、両方を同じくらい楽しむ高校生活を送っていました。
高校卒業後は仕事を続けながら通信制大学へ
高校卒業が近づくと、今度はその後の進路を考える時期が訪れました。
母からは「大学は行ったほうがいい」と勧められたといいます。
伊東蒼さん自身も中学・高校で勉強を続ける中で、学ぶ時間が仕事から気持ちを切り替える一種のリフレッシュになっていると感じていました。
そこで高校卒業後は、俳優の仕事を続けながら通信制大学へ進学しています。
大学名や専攻は本人から明かされていませんが、仕事一本に絞らず学業を続ける選択をしたことは本人自身が語っています。
子役時代から続けてきた芝居と、学校で学ぶ時間をどちらも残す進路でした。
子役から女優としての再出発へ|『空白』『おかえりモネ』『さがす』へ
中学で一度仕事から離れ、自分の意思で戻ったあと、伊東蒼さんの出演作は再び増えていきます。
この時期は高校生活と仕事を並行しながら、『空白』『おかえりモネ』、そして撮影時には中学3年生だった『さがす』など、役の比重が大きい作品にも向き合っていました。
高校時代に『空白』『おかえりモネ』へ
2021年には、𠮷田恵輔監督の映画『空白』で、古田新太さんが演じる主人公の娘・花音を演じました。
同年にはNHK連続テレビ小説『おかえりモネ』にも石井あかり役で出演しています。
ほかにもドラマへの出演が続きましたが、高校では部活動や行事にも参加し、撮影だけで毎日を埋める生活にはしていませんでした。
子役期には母と一緒にオーディションを続けていた伊東蒼さんが、このころには学校生活を送りながら自分で選んだ俳優の仕事へ向き合っていました。
『さがす』を経て、芝居を続ける意思がより明確に
その再出発を語るうえで外せない作品の一つが、片山慎三監督の映画『さがす』です。
2022年に公開された作品ですが、撮影時の伊東蒼さんは中学3年生でした。
大阪の下町で父と暮らす中学生・原田楓を演じ、故郷と同じ関西弁で役に向き合っています。
楓役はオーディションで決まり、片山監督は面談の一人目だった伊東蒼さんの芝居を見て、その場で迷いがなくなったと後に振り返っています。
撮影では同じ場面で何度もテイクを重ね、そのたびに異なる演出を受けながら、楓という人物の新しい表情を探していきました。
完成した作品を見たときには、その経験が次の仕事へ向かう感覚にも変化を与えています。
「これができたから自分は大丈夫だ」って思うことができました。
出典:PINTSCOPE「世界は暗いままではない。映画をとおして『生きる力』を描く 伊東蒼×片山慎三監督インタビュー」(2022年1月21日)
『さがす』での演技により、第77回毎日映画コンクールでは女優助演賞を受賞しました。
6歳で母に背中を押されて始めた芝居は、一度離れた時間を経て、自分で戻ると決めた仕事になりました。
子役として役をもらうところから始まり、学校生活も続けながら、自分自身で演技を続ける道を選んだところまでが伊東蒼さんの10代前半から後半にかけての大きな変化でした。
















