鳴海唯の生い立ち|家族・学生時代と大学中退、女優になったきっかけ

鳴海唯の似顔絵と、生い立ちや家族・学生時代、大学中退から女優になったきっかけを伝える見出し

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
なるみゆい
カテゴリー
女優
出身地
兵庫県
生年月日
1998年5月16日
芸能活動開始
2018年
女優デビュー
2018年
デビューのきっかけ
劇団・養成所

NHK連続テレビ小説『なつぞら』や大河ドラマ『どうする家康』などに出演してきた俳優・鳴海唯さんは、1998年5月16日、兵庫県西宮市に生まれました。

子役として早くから芸能活動をしていたわけではなく、女優に憧れたのは11歳、実際に行動へ移したのは19歳でした。

その間は中学でバレーボール、高校で軽音楽部、大学では舞台芸術を学ぶなど、ごく普通の学生生活を送っています。

大学1年生のとき、映画『ちはやふる-結び-』のエキストラとして撮影現場に立ったことが、進路を大きく変えました。

今回は、そんな鳴海唯さんの生い立ちや家族、学生時代、大学を中退して上京した経緯、女優になったきっかけなどをご紹介します。

鳴海唯の生い立ち|兵庫県西宮市で育ち11歳で女優に憧れる

鳴海唯さんの出身地は、所属事務所FLaMmeの公式プロフィールでも兵庫県西宮市と紹介されています。

幼いころから、人に何かを見せて楽しませることが好きな子どもでした。

『のだめカンタービレ』で女優という仕事を知った小学生時代

5歳のころには、いとこの前で『桃太郎』の一人芝居を披露し、笑ってもらえたことがうれしくて、相手を変えながら何度も演じていたそうです。

小学生になると、自分で作詞・作曲した歌を発表会で披露し、演劇クラブでは『白雪姫』の小人役も経験しました。

「生まれつき人前で何かをするのが好きだったんです」

出典:週プレNEWS「話題の朝ドラ出演女優・鳴海唯、その才能の原点。「生まれつき人前で何かをするのが好きだったんです」」(2022年9月30日)

女優という仕事を意識したのは、小学生のときに見たドラマ『のだめカンタービレ』でした。

当初は役柄の「のだめ」と上野樹里さん本人の区別もよく分かっていませんでしたが、上野さんが別作品でまったく違う人物を演じる姿を見て、俳優が「自分とは違う人」になれる仕事だと知ります。

11歳ごろには「自分も女優になりたい」と思うようになりました。

21歳のときに母親から見せられた小学生時代のプロフィール帳には、10年後の自分が女優になれているかを問いかける言葉が残っていました。

中学はバレー部、高校は軽音楽部|人前に立つことが好きだった学生時代

女優への憧れはありましたが、中学・高校で芸能活動を始めたわけではありません。

中学校には演劇部がなく、先生に部を作れないか尋ねたものの実現せず、運動が好きだったことからバレーボール部へ入りました。

英語の授業ではスピーチや英語を使った芝居が好きで、中学生のころにはオーストラリア研修も経験しました。

高校は国際学科へ進み、人前で英語を話す機会も増えています。

高校では軽音楽部で3年間ボーカルを担当しました。

女優の夢を唯一打ち明けていた友人から勧められ、「いつか俳優をやるうえで役に立つかもしれない」と考えたことも、軽音楽を始めた理由のひとつでした。

学園祭では『おどるポンポコリン』をロック調にアレンジして演奏し、クラス対抗の演劇祭では女子高生が桃太郎の世界へ迷い込むオリジナル劇の主演へ自ら立候補しています。

そのクラスは演劇祭で優勝しました。

舞台へ立つ機会は自分からつかんでいた一方、進路として「女優を目指す」と口にすることにはためらいがありました。

このころも女優になりたいという気持ちは、ほとんど胸の内に置いたままでした。

鳴海唯の家族|両親と3歳上の兄、上京を支えた家族との関係

鳴海唯さんは、両親や兄との思い出を複数のインタビューで明かしています。

本人が語っているのは、子ども時代の兄との距離感や父親との思い出、女優を目指して上京するときの両親とのやり取りなどです。

3歳上の兄とは「男兄弟」のように育った

2021年の映画『偽りのないhappy end』の公式インタビューで、鳴海さんは3歳上の兄がいると明かしています。

自分がお姉ちゃんになる経験がなかったため、同作で妹を持つ姉を演じる際には、姉側の感覚をつかむことに苦戦したそうです。

実生活で自分がどんな妹かを尋ねられたときには、「弟に限りなく近い妹」と表現していました。

「どちらかというと男兄弟のような関係性に近くて」

出典:WEBザテレビジョン「鳴海唯、2度目の“火ドラ”出演は『夢みたいなご縁だなと思っています』」(2024年11月5日)

兄が通った学校へ自分も進み、兄が遊んでいたカードゲームで一緒に遊ぶなど、兄の影響を受けながら育っています。

父親との思い出と、出演作を見守る家族

中学生のころにはオーストラリア研修へ参加し、帰国したとき、父親が地元のおいしい店へ連れて行ってくれたことがありました。

海外から戻って日本食が恋しくなっていたところで食べたのがカツ丼で、この体験から後に「とんかつ屋巡り」が趣味になったと話しています。

鳴海さんは幼なじみとも長く交流があり、仕事で悩んだときには、地元の友人と話して気持ちを切り替えることがあるそうです。

女優になった後、父親は娘が映っていればどんな作品でも喜び、とりわけNHKの作品を楽しみに見てくれているといいます。

2019年の『なつぞら』、2023年の『どうする家康』とNHK作品への出演が重なり、本人にとっては家族へ仕事を見てもらえる機会にもなりました。

大学中退と上京には両親が反対|説得して東京へ

一方、大学を辞めて女優を目指す決断は、両親にとってすぐに受け入れられるものではありませんでした。

大学へ入って半年ほどで中退すると伝えたため、両親は反対しましたが、鳴海さんは自分の意思を説明して上京を認めてもらっています。

地元を離れる際には、友人や両親に「売れるまでもう帰ってこないから」と宣言したことも、後年のインタビューで明かしました。

「でも今となってはすごく応援してくれている。感謝しています」

出典:デイリースポーツ「鳴海唯ブレークの予感! 話題ドラマ次々出演&写真集重版」(2025年3月25日)

両親の反対を押し切って終わった話ではなく、その後は出演作を見守ってくれる関係へ変わっていきました。

大学進学後、『ちはやふる』のエキストラ参加で進路が変わる

鳴海唯さんが女優になるまでを考えるうえで、大学時代は外せません。

芸能活動を始めるために大学へ進んだわけではありませんが、大学1年生のときに参加した映画の撮影が、長く胸の内に置いていた夢を現実の行動へ変えました。

東京の大学受験を経て関西の舞台芸術系学科へ

高校卒業後の進路を考えたころも、鳴海さんは先生や家族に「女優になりたい」とはっきり言えていませんでした。

それでも芸能事務所が多い東京へ行けば何かきっかけをつかめるかもしれないと考え、東京の大学では情報・メディア系の学部を受験しています。

東京の大学受験は不合格となり、最終的には関西の大学の舞台芸術系の学科・専攻へ進みました。

本人は大学について「関西の大学」「舞台芸術専攻」と語っていますが、これらのインタビューでは具体的な大学名までは明かしていません。

そこで初めて、自分と同じように俳優を目指す学生が周囲に大勢いることを知りました。

同世代の俳優を間近で見て大学中退を決断

大学1年生のとき、地元で撮影されていた映画『ちはやふる-結び-』のエキストラ募集に応募します。

担当したのは、決勝戦を見守る観客の一人でした。

撮影現場では、自分と同じ世代の俳優たちがプロとして堂々と芝居をしていました。

11歳から女優への思いを抱えながら行動できずにいた鳴海さんにとって、その光景は強く心を動かすものでした。

「やっぱりこのままでは後悔する」

出典:logirl「気鋭の女優・鳴海唯──『なつぞら』でデビューし『あんぱん』に出演。朝ドラへかける想い」(2025年7月2日)

大学へ入って半年ほどで中退し、東京で演技を学ぶことを決めました。

後年には、子どものころから積もっていた思いに、撮影を間近で見た経験が最後の一押しをしたような感覚だったと振り返っています。

19歳で上京し、養成所で演技を学び始める

大学を辞めた後は、19歳で上京し、東京の養成所で芝居の勉強を始めました。

東京へ出るまでの約10年間は夢を口にすることさえためらっていた一方、決断してからの動きは早いものでした。

しかも、上京して入った養成所には、地元の同級生も入ってきたそうです。

その同級生も俳優を目指していることを周囲へ話しておらず、鳴海さんが挑戦を始めた姿に背中を押されたと伝えてくれました。

長く一人で抱えていた夢でしたが、東京へ出たことで、同じ方向を目指す人たちと芝居を学ぶ生活が始まります。

鳴海唯が女優として歩き始める|最初の仕事と初期活動

上京して養成所へ入ったからといって、すぐに大きな役が決まったわけではありません。

最初は、カメラの前でどう振る舞えばいいのかも分からないところから、映像の仕事を経験していきました。

最初に覚えている仕事はセリフのないミュージックビデオ

2025年に初期の仕事を振り返った本人によると、記憶にある最初の仕事はセリフのないミュージックビデオでした。

初めてカメラを向けられ、「カメラを見ないでください」と言われても、ではどこを見ればいいのか分からず戸惑ったと話しています。

メイクをしてもらうことも、撮影現場の緊張感も、それまでの学生生活にはなかった体験でした。

セリフのある仕事でも、当初は役作りという考え方自体がよく分からず、台本を覚えてカメラ前で懸命に演じることで精いっぱいだったそうです。

それでも、芝居そのものを「楽しい」と感じられたことは覚えていると振り返っています。

2018年前後に映画・CM・MVへ活動を広げる

初期の経歴では、「デビュー」という言葉の使われ方に少し違いがあります。

2019年当時のマイナビニュースやOggi.jpのプロフィールでは、2018年の映画『P子の空』で女優デビューと紹介されていました。

その後、ミュージックビデオやCMなどへ出演し、映像の仕事を重ねています。

「デビュー」の表現は資料によって異なります。2019年当時のプロフィールは『P子の空』を女優デビュー作とする一方、2025年の本人インタビューでは、最初に覚えている仕事はMVで、最初に世に出た出演映像は『なつぞら』だったと振り返っています。

また、『なつぞら』より前に撮影していた作品として、後に2020年に配信された『妖怪人間ベラ〜Episode0〜』の名前も本人が挙げています。

この作品の現場で出会った北原帆夏さんや横田愛佳さんらとは、その後も会って近況を話す関係が続きました。

19年間の普通の学生生活を演技の材料に変える

芸能活動を始めたころ、鳴海さんにはひとつのコンプレックスがありました。

同世代の俳優には中高生のころから演技経験を積んでいる人も多い中、自分は19歳まで普通に学校へ通ってきたからです。

ところが、実際に芝居をするようになると、その見方が変わりました。

学生として過ごした19年間の感覚を、役を演じるときに思い出せることも自分の強みになり得ると考えるようになったのです。

部活動、友人関係、家族との日常、進路に迷った時間まで、芸能界の外で過ごした経験をそのまま持って女優の仕事へ入りました。

『なつぞら』オーディションで朝ドラへ|テレビドラマ初出演

初期の映像仕事を経験していた鳴海唯さんに、2019年、大きな機会が訪れます。

NHK連続テレビ小説『なつぞら』のオーディションを受け、柴田家の次女・柴田明美役に選ばれました。

友人と練習を重ねて挑んだ『なつぞら』オーディション

『なつぞら』への出演は、オーディションで決まりました。

鳴海さんは渡された台本を毎日読み込み、友人に自宅へ泊まりに来てもらって、夜遅くまで相手役を手伝ってもらうほど準備しています。

本人が後に振り返った中でも、それまでで特に長い時間をかけて取り組んだオーディションでした。

ただ、終えた直後に「受かった」という手応えがあったわけではありません。

自分なりに力は出し切ったものの、結果が出るまで時間が空くにつれて、実力が足りなかったのではないかと不安になっていきました。

柴田明美役に決定|家族も信じられなかった朝ドラ出演

結果を待っている間、家族からは毎日のように連絡が届いていました。

「家族に報告したときも、誰も信じてくれませんでした(笑)。」

出典:Oggi.jp「朝ドラ『なつぞら』出演で話題! 新人女優、鳴海 唯に初インタビュー!」(2019年8月11日)

『なつぞら』は鳴海唯さんにとってテレビドラマ初出演作となりました。

演じたのは、北海道・十勝の柴田家で育った明美の成長後です。

子役の平尾菜々花さんから役を引き継ぐため、鳴海さんは放送済みの映像を見ながら明美の特徴をつかんでいきました。

関西出身で普段は話す速度が速い自分に対し、北海道の柴田家ではゆったりと会話する印象があると考え、セリフを急がないことを意識しています。

明美が家族の会話へ鋭いひと言を差し込む場面にも注目し、子ども時代から人物像がつながるよう言い回しを研究して撮影へ入りました。

さらに、主演の広瀬すずさんは鳴海さんが学生時代から憧れていた俳優の一人でした。

『ちはやふる-結び-』では観客役のエキストラとして撮影を見ていた広瀬さんと、今度は同じ朝ドラの俳優として現場に立つことになります。

本人が自分の出演映像を初めて作品として見たのも『なつぞら』で、上京後、2019年にはテレビドラマの現場へたどり着きました。

新人時代から次の転機へ|俳優として『ちはやふる』へ戻るまで

『なつぞら』の後は、ドラマや映画、CMへ出演を重ねていきます。

その後の節目には、映画初主演、所属事務所の移籍、大河ドラマ初出演といった出来事が続きました。

2021年『偽りのないhappy end』で映画初主演

2021年12月公開の映画『偽りのないhappy end』では、仲万美さんとともに主演を務め、映画初主演となりました。

松尾大輔監督は、鳴海さんが芝居をしている映像を見て主人公のエイミ役に合うと感じ、オーディションではなく指名しました。

撮影では、当時の自分より年上のエイミへ近づくために髪を伸ばし、携帯電話を持たない役柄に合わせて、滋賀での撮影期間中は自分も携帯を持たずに生活するところから役作りを始めています。

本人は当時、仕事を始めてまだ1年ほどの感覚で、自分の芝居が周囲からどう見えているのか分からない時期だったと振り返りました。

「そういう評価をいただけて、すごく嬉しかったです。」

出典:media-iz「映画初出演『鳴海唯』のオフィシャルインタビュー解禁。『偽りのhappy end』12月17日公開」(2021年11月28日)

この作品では、家族をめぐるミステリーの中心人物を担い、朝ドラでのドラマ初出演から数年で長編映画の主演へ進みました。

『どうする家康』とFLaMme移籍で広がった俳優活動

2023年4月には、芸能事務所FLaMmeへ所属することを発表しました。

同年にはNHK大河ドラマ『どうする家康』へ初出演し、本多忠勝の娘・を演じています。

『なつぞら』では朝ドラ初出演、『どうする家康』では大河初出演と、NHKの二つの長期ドラマを経験しました。

その後も民放連続ドラマや映画へ出演を重ね、2025年には、女優を目指す決断につながった『ちはやふる』と再び接点が生まれます。

2025年『ちはやふる-めぐり-』で原点の作品へ帰る

2025年8月、日本テレビ系ドラマ『ちはやふる-めぐり-』第5話に、鳴海唯さんがアドレ女学院競技かるた部の顧問役で出演しました。

2018年の『ちはやふる-結び-』では決勝戦を見る観客のエキストラだった鳴海さんが、今度は役を持つ俳優として同じ作品世界へ入りました。

出演が決まったときには、エキストラとして参加した撮影の日々を思い出し、感慨深かったと本人もコメントしています。

大学を辞めるきっかけになった撮影から数年後、『ちはやふる』の世界へ、競技かるたを指導する役として戻りました。

11歳で抱いた女優への憧れを19歳で行動に変え、その最初の一歩を踏み出した作品に、俳優として出演するところまでが鳴海唯さんのキャリアのひとつの節目になっています。