瀬戸さおりの生い立ち|兄・瀬戸康史と家族、美容師から女優になるまで

瀬戸さおりの似顔絵風イラストと、兄・瀬戸康史との家族背景や美容師から女優への歩みを伝える見出し

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
せとさおり
カテゴリー
女優
出身地
福岡県
生年月日
1989年9月19日
芸能活動開始
2011年
女優デビュー
2013年
デビューのきっかけ
コンテスト・公募

瀬戸さおりさんは、舞台や映画、テレビドラマで活動する福岡県出身の女優です。

2024年にはNHK大河ドラマ『光る君へ』で宰相の君(藤原豊子)を演じ、その後は『父と暮せば』『きらめく星座』での演技が評価され、第33回読売演劇大賞の優秀女優賞を受賞しました。

兄が俳優の瀬戸康史さんであることでも知られていますが、瀬戸さおりさん自身は最初から女優を目指していたわけではありません。

高校卒業後に選んだ仕事は美容師で、そこからモデルとして芸能界へ入り、さらに演技の仕事へと進んでいます。

今回は、そんな瀬戸さおりさんの生い立ちや家族、兄・瀬戸康史さんとの子ども時代、美容師として働いていた頃、芸能界へ入ったきっかけ、モデルから女優になるまでをご紹介します。

「瀬戸さおり」と「瀬戸サオリ」は別人です。
この記事で扱うのは、俳優・瀬戸康史さんの妹で、名前をひらがなで表記する女優の瀬戸さおりさんです。

瀬戸さおりの生い立ち|福岡・嘉麻市で育った子ども時代

瀬戸さおりさんは1989年9月19日、福岡県生まれです。

所属事務所のプロフィールでは福岡県出身とされ、嘉麻市も瀬戸康史さんと瀬戸さおりさんを、ともに嘉麻市出身として紹介しています。

共働きの両親と祖母、兄妹3人で過ごした幼少期

瀬戸家には、1歳上の兄・康史さんと、瀬戸さおりさん、3歳下の妹がいます。

両親は共働きだったため、子どもの頃には兄妹3人で祖母の家に預けられることもありました。

両親が仕事をしている間、年長の康史さんが下の妹たちと遊び、寂しい思いをさせないようにしてくれていたそうです。

家族の誰か一人だけが特別な存在だったというより、両親、祖母、兄妹が関わり合う家庭の中で子ども時代を過ごしていました。

地元・嘉麻市の「SETO×KAMAプロジェクト」では、兄・瀬戸康史さんが手掛けたキャラクター「カマシカちゃん」の声を瀬戸さおりさんが担当しました。嘉麻市はこれを瀬戸さおりさんの声優初挑戦として紹介しています。

親代わりのようだった1歳上の兄・瀬戸康史

幼い頃の瀬戸さおりさんにとって、兄の康史さんは単に1歳上の兄というだけではありませんでした。

祖母宅に預けられていた時もよく一緒に遊び、本人は後年、兄が親代わりのような存在だったと振り返っています。

私は兄の背中を見て育ちました。

出典:東京すくすく「俳優 瀬戸さおりさん 兄の瀬戸康史に『やめなさい』と言われた役者の道 踏み出せた理由は」(2024年4月15日)

康史さんには、俳優になって家族を支えたいという思いも強くあったと、瀬戸さおりさんは感じていたそうです。

ただ、いつも一緒だった兄妹の生活は、康史さんが高校生の頃に大きく変わります。

瀬戸さおりの家族|兄の上京と両親・妹との関係

瀬戸さおりさんの生い立ちでは、兄が福岡を離れたことも家族の暮らしを知るうえで欠かせません。

康史さんが俳優を目指して東京へ出た頃、瀬戸家では父親も単身赴任で家を空けていた時期がありました。

兄が17歳で上京|成人式で感じた「お兄ちゃんだけど違う」距離

康史さんは高校2年生の頃、17歳で福岡を離れて東京へ向かいました。

小さい頃はいつも一緒だった兄が突然遠くへ行き、俳優として生活するようになります。

瀬戸さおりさんの成人式で兄が帰省した時には、話し方まで以前とは違って感じられたそうです。

「お兄ちゃんなんだけど違う」みたいな不思議な感覚になりました。

出典:東京すくすく「俳優 瀬戸さおりさん 兄の瀬戸康史に『やめなさい』と言われた役者の道 踏み出せた理由は」(2024年4月15日)

兄妹であることは変わらなくても、離れて過ごした時間の分だけ、昔とは違う距離が生まれていました。

父の単身赴任中は母と3歳下の妹との3人暮らし

兄が上京し、父親も単身赴任で家を空けていた時期には、母親、瀬戸さおりさん、3歳下の妹という女性3人で暮らしていました。

兄の夢を応援したい気持ちがある一方で、家に残った母親のことも気になっていたといいます。

私がしっかりしなきゃ、家族を支えないと

出典:kukka「【瀬戸さおり:インタビュー】井上作品の金字塔・舞台『頭痛肩こり樋口一葉』に出演。役者として“新たな声”に出合うため舞台に立つ瀬戸さおりに注目!」(2022年7月12日)

後に舞台『頭痛肩こり樋口一葉』で姉を支える妹・邦子を演じた際にも、自分の家族との経験を重ねて話していました。

母親との日常にはもっと素朴な思い出もあり、瀬戸さおりさんと妹は帰省すると、外食より母親が作る豚汁を食べたがるそうです。

芸能界への挑戦を受け止めた母・父・妹

その後、瀬戸さおりさん自身が芸能界へ進みたいと考えた時も、家族はそれぞれ違った反応を見せました。

3歳下の妹は本人の意思を尊重し、何かやりたいと思ったらまず挑戦するタイプだった父親も喜んでくれたそうです。

一方、母親は最初から賛成したわけではありませんでした。

それでも本人が気持ちを伝え続けると、最後には「いつでも帰ってきていい」と送り出してくれました。

帰る場所があるという安心感で、私は一歩踏み出せた。

出典:東京すくすく「俳優 瀬戸さおりさん 兄の瀬戸康史に『やめなさい』と言われた役者の道 踏み出せた理由は」(2024年4月15日)

芸能界へ踏み出す時にも、兄だけではなく、母親、父親、妹それぞれとのやり取りがありました。

高校卒業後は美容師へ|女優になるとは思っていなかった

瀬戸さおりさんは高校を卒業すると、すぐに芸能界へ入ったわけではありません。

本人インタビューでは出身高校の校名までは触れられていませんが、卒業後に美容師として働いていたことは自身の言葉で明かしています。

美容師として働くも薬液が体に合わず将来を考え直す

所属事務所のプロフィールにも美容師免許が資格として掲載されており、芸能活動以前には実際に美容師として働いていました。

ところが、仕事で使用する薬液が体に合わず、これから先も美容師を続けるのか考えるようになります。

女優になるとは考えていなかった時期に、美容師としての将来を見直す場面が訪れました。

ちょうどその頃、すでに俳優として活動していた兄の仕事を見る機会が増えていました。

兄の舞台と『恋空』で演技という仕事に興味を持つ

演技に興味を持つきっかけになった一つが、康史さんが出演したテレビドラマ『恋空』でした。

さらに福岡で兄が出演した『ミュージカル・テニスの王子様』を観劇し、目の前にいる兄が普段とは違う人物として舞台上で生きている姿に驚きます。

それまで身近な「お兄ちゃん」だった人が役を演じる姿を見て、「演技とはどういう感覚なのだろう」と役者の仕事そのものへ興味を持ちました。

美容師として将来を考えていた時期と、演技への関心が強くなった時期が重なります。

芸能界入りのきっかけ|non-noオーディションからモデルへ

演技の仕事に興味を持った瀬戸さおりさんは、自分だけで決断する前に、芸能界で先に経験を積んでいた兄へ相談しました。

ここでも、兄が有名俳優だからそのまま芸能界へ入った、という単純な流れではありませんでした。

兄に「役者になりたい」と相談|厳しい言葉のあとに背中を押される

瀬戸さおりさんが電話で「役者になりたい」と伝えた時、康史さんは最初に芸能界の厳しさを話し、「やめなさい」と伝えたそうです。

それでも本人が「どうしてもやりたい」と意思を曲げなかったため、最後には自分の力で道を切り開くよう言葉をかけました。

2015年のインタビューでは、モデルや俳優の仕事に興味を持って悩んでいた時に兄が背中を押してくれたことを振り返っています。

「あ、今しかないな」と決意しました。

出典:WEBザテレビジョン「『ドS刑事』“ドSな妹”熱演中の瀬戸さおりの素顔2」(2015年6月13日)

兄の仕事を見て憧れただけでなく、自分自身で挑戦する覚悟を固めて芸能界へ進みました。

non-noモデルオーディションを経てSAORI名義でモデル活動へ

瀬戸さおりさんは2011年に『non-no』のモデルオーディションへ挑戦し、SAORI名義でモデル活動を始めます。

身長153cmとファッションモデルとしては小柄でしたが、『non-no』の誌面に登場し、芸能界での仕事を経験していきました。

所属事務所のプロフィールには、『non-no』専属モデルとしての活動期間が2012年から2014年と掲載されています。

モデル活動の年次は資料によって表現に差があります。2011年にモデルオーディションへ挑戦した経歴が伝えられている一方、所属事務所が掲載する『non-no』専属モデル歴は2012〜2014年です。

この時点で始まったのはモデルとしての芸能活動であり、女優として演技を始めた時期とは分けて考える必要があります。

モデルから女優へ|2013年『天守物語』で初舞台

SAORI名義でモデルをしていた瀬戸さおりさんは、芸能界入りから少し時間を置いて演技の仕事へ進みます。

モデルとして芸能界へ入ったことと、女優として活動を始めたことは別の段階でした。

モデル活動と並行して2013年から演技をスタート

2013年にはtpt『天守物語』で初舞台を踏みました。

同じ時期にはテレビドラマにも出演し、モデルの誌面とは異なる、役を演じる仕事が増えていきます。

兄の舞台を客席から見て「どういう感覚で演じているのだろう」と思っていた瀬戸さおりさんが、自分自身も舞台の上に立つようになりました。

所属事務所の出演歴でも2013年から舞台作品が確認でき、その後は途切れず演劇作品への出演を重ねています。

2014年にnon-noを卒業し、瀬戸さおり名義で女優活動へ

『non-no』専属モデルとしての活動は2014年まででした。

モデル卒業後は「瀬戸さおり」名義で、女優としての活動を中心にしていきます。

SAORI名義でモデルとして知られるようになった時期を経て、自分の名前で舞台や映像作品へ出演する時期へ移りました。

この名義の変化も、検索すると別人の「瀬戸サオリ」と情報が混ざりやすい理由の一つになっています。

『ドS刑事』初レギュラーから『愛の病』映画初主演へ

2015年には日本テレビ系『ドS刑事』で代官山かおり役を演じ、連続ドラマに初めてレギュラー出演しました。

芸能界入りからすでに数年がたっており、モデル経験と初期の演技仕事を経て得たレギュラー役でした。

さらに2018年、吉田浩太監督の映画『愛の病』で主人公・原田エミコを演じ、映画初主演を務めます。

実在の事件をモチーフにした難しい役で、撮影期間には役の孤独へ近づくため、家族や友人との私的な連絡を控えて一人で過ごす時間を作ったと話しています。

「挑戦してよかった」と思える作品になりました。

出典:TV LIFE web「瀬戸さおりインタビュー『“挑戦してよかったな”と思える作品』映画『愛の病』」(2018年1月6日)

同じインタビューでは、愛情を注げるものとして真っ先に「家族」を挙げており、役作りのために普段の家族とのつながりを断つこと自体が孤独を知る方法になったそうです。

舞台で積み重ねたキャリア|『光る君へ』から読売演劇大賞へ

映画初主演を経験した後も、瀬戸さおりさんは映像作品だけに活動を絞りませんでした。

とくに舞台では、こまつ座作品をはじめ、さまざまな演出家や俳優と作品を作る時間を重ねています。

こまつ座の舞台と大河ドラマ『光る君へ』

こまつ座では『きらめく星座』『頭痛肩こり樋口一葉』『夢の泪』などに出演し、井上ひさし作品に繰り返し参加してきました。

2022年の『頭痛肩こり樋口一葉』では、演出家・栗山民也さんとの舞台が4回目になると話しており、同じ演出家のもとでも毎回ゼロから役を作る感覚について語っています。

そして2024年には、NHK大河ドラマ『光る君へ』へ宰相の君(藤原豊子)役で出演しました。

瀬戸さおりさんにとって初めての大河ドラマ出演で、第32回から中宮・藤原彰子に仕える女房の一人として登場しています。

『光る君へ』では『源氏物語』を朗読する場面もあり、作品の言葉そのものを味わいながら、過度に伝えようとせず読むことを意識したと明かしています。

2026年に読売演劇大賞・優秀女優賞、兄との舞台初共演も実現

舞台で続けてきた仕事は、2026年に一つの評価へ結びつきました。

こまつ座『父と暮せば』『きらめく星座』での演技が評価され、第33回読売演劇大賞の優秀女優賞を受賞しています。

『父と暮せば』では福吉美津江を演じ、松角洋平さんとの二人芝居に取り組みました。

その翌年には、ケラリーノ・サンドロヴィッチさん作・演出の『サボテンの微笑み』へ出演し、兄・瀬戸康史さんとの舞台初共演が実現します。

幼い頃は兄に遊んでもらい、やがて兄の舞台を客席から見て演技へ興味を持った瀬戸さおりさんが、同じ作品の出演者として舞台に立ちました。

『サボテンの微笑み』は福岡県内の北九州でも上演され、地元に近い地域で兄妹が同じ舞台に立つ公演にもなりました。

J:COM北九州芸術劇場の公式YouTubeでは、北九州公演に向けた瀬戸さおりさん本人のコメント映像も公開されています。

朝ドラ『ブラッサム』出演が発表|美容師から始まった女優人生

2026年には、NHK連続テレビ小説『ブラッサム』に松子役で出演することも発表されました。

松子は主人公・葉野珠が東京で働く西洋レストラン「悠樂軒」の女給で、ウエイトレスの中では一番のベテランという役です。

『ブラッサム』は、瀬戸さおりさんにとって初めての連続テレビ小説出演として発表されています。

高校卒業後に美容師として働き、自分が女優になるとは考えていなかった瀬戸さおりさんは、モデル活動を経て舞台へ立ち、映画初主演、大河ドラマ、演劇賞へと仕事の幅を広げてきました。

そのきっかけの一つだった兄の舞台を客席から見ていた時期から約20年を経て、2026年には兄妹での舞台初共演も実現しています。