PROFILE
人物プロフィール
円井わんさんは、1998年1月3日生まれ、大阪府出身の俳優です。
長編映画初主演となった『KONTORA-コントラ』や『MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』を経て、2024年にはNHK連続テレビ小説『虎に翼』、2025年度後期には『ばけばけ』へ出演しました。
ところが、俳優になることは幼いころから思い描いていた一方、高校時代には演技をすることに恥ずかしさも感じていたといいます。
高校卒業後は家族の反対を受けながら18歳で大阪を離れ、知り合いが一人もいない東京へ向かいました。
そこで選んだアルバイト先が「映画好きが集まるバー」だったことから人との縁が生まれ、やがて内田英治監督の映画『獣道』の撮影現場へ入ることになります。
今回は、そんな円井わんさんの生い立ちや家族、学生時代、芸能界へ入ったきっかけ、俳優としての転機などをご紹介します。
円井わんの生い立ち|大阪で育ち、幼いころから役者を思い描く
円井わんさんは大阪府出身で、子どものころから「役者になる」という思いを持っていました。
ただ、幼いころから映画漬けだったわけではなく、家庭ではそれほど頻繁に映画を観る環境ではなかったと振り返っています。
幼稚園のころから「家族ごっこ」が好きだった
役者への思いが芽生えたのは、かなり早い時期でした。
幼稚園のころには、友達と誰かになりきって遊ぶことが好きだったそうです。
家族ごっこが大好きで、友達と家族の演じ合いをしていた記憶があります。
出典:ミニシアターに行こう。「夢は世界の懸け橋に! 期待の逸材、円井わんインタビュー」(2020年11月13日)
このころから、誰かの役になって遊ぶことそのものを楽しんでいました。
小学生になる前から、将来は役者になるという感覚を持っていたことを、後年のインタビューでも繰り返し話しています。
4歳から空手、16歳では音楽に支えられた10代
幼少期に長く続けたものの一つが空手です。
兄が空手を習っている姿を見て自分もやりたいと思い、4歳から始めました。
その後は初段まで進み、形の大会では賞を取ることも多かったそうです。
本人は後年、空手の形では「どう見せるか」を意識していたため、人前で表現する感覚とどこか重なる部分があったのかもしれないと振り返っています。
一方、10代になると音楽にも強く惹かれ、高校1年生からはドラムを始めました。
16歳ごろには、思い描いていた将来と現実との距離に悩む時期もあり、UVERworldの音楽をよく聴いていたといいます。
16歳、理想と現実に悩んだ時期と表現への思い
「役者になる」と思っていたものの、10代半ばになると、それだけで道筋が見えるわけではありませんでした。
音楽を聴き、ドラムを叩きながら、自分がどのように役者へ近づけばよいのかを考えていた時期でした。
私は表現に救われてきた人間なんです。
出典:ミニシアターに行こう。「夢は世界の懸け橋に! 期待の逸材、円井わんインタビュー」(2020年11月13日)
2026年に公開されたMisiiNとの対談でも、円井さんは10代のころを振り返りながら、自身の感情や俳優としての思いを語っています。
円井わんさんは1998年1月3日生まれの大阪府出身。特技としてドラムと空手初段を挙げており、10代までに音楽と身体表現の両方に親しんでいました。
円井わんの家族|両親の反対と母との約束、兄と始めた空手
円井さんがインタビューで語っている家族には、父親、母親、兄がいます。
役者になることについては家族からすぐに賛成されたわけではなく、高校卒業を前に進路を決める時期には強く反対されました。
兄の影響で4歳から空手を始め初段へ
兄との思い出として具体的に語られているのが、幼いころに始めた空手です。
先に習っていた兄を見て「自分もやりたい」と言い、4歳から道場へ通うようになりました。
空手は初段まで取得しており、短期間の習い事ではありません。
俳優になってからも、公式プロフィールの特技欄には空手が記されています。
17歳で母と子猫「こなつ」を育てた
円井さんの家庭では、動物も身近な存在でした。
父親と母親はともに動物好きで、幼いころには熱帯魚やセキセイインコ、カブトムシなども飼っていたそうです。
高校3年生だった17歳のころには、母親の知人を通じて、生後間もない子猫を一時的に預かることになりました。
その子猫はかなり弱っており、動物病院では厳しい状態だと告げられました。
円井さんと母親はできる限りの世話を続け、子猫は回復。
「こなつ」と名付けられ、そのまま家族の一員になりました。
18歳で上京したあと、家族だけでなく家で暮らす動物たちとも離れたことで、最初のころは寂しさも大きかったと話しています。
役者志望に反対した家族と「24歳まで」の約束
高校卒業が近づくころ、円井さんは家族に知らせないまま俳優養成所のオーディションへ応募しました。
しかし、そのことが家族に知られ、役者の道へ進むことを強く反対されます。
親戚からも東京で俳優になるのは難しいのではないかと言われましたが、本人の気持ちは変わりませんでした。
最後に母親と交わしたのが、「24歳まで」という期限を設けた約束でした。
「やりたいことをやって、24歳でダメだったら帰ってきなさい」と言われ、それを約束して上京しました。
出典:Cinemarche「【円井わんインタビュー】映画『鳩の撃退法』藤原竜也との演技や憧れの俳優たち通じて実感した“私にしかできないこと”」(2021年8月28日)
家族の反対を押し切って終わった話ではなく、母親との約束を持ったまま大阪を離れることになりました。
それから6年ほどが過ぎた2022年11月には、母親と一緒にTOHOシネマズ梅田で映画を観たことを自身のXに投稿しています。
円井わんの学歴・学生時代|大阪の高校「表現教育科」で過ごした3年間
円井さんは大阪の高校へ進学し、そこで「表現教育科」と呼ばれるクラスに在籍していました。
本人のインタビューで確認できるのは「大阪の高校」と「表現教育科」までで、学校名そのものは明かしていません。
円井わんさんの出身高校については学校名を挙げる情報もありますが、本人が語っているのは「大阪の高校」の「表現教育科」に通っていたことです。
演技・ダンス・楽器があるクラスでドラムに熱中
表現教育科には、演技だけでなくダンスや楽器演奏などの授業がありました。
円井さんは高校1年生からドラムを始め、音楽やダンスには真面目に取り組んでいたと振り返っています。
高校生活のなかで演技にまったく触れていなかったわけではなく、シェイクスピアの『夏の夜の夢』を朗読したこともありました。
ただ、この時点で養成所などに通い、本格的に演技を学んでいたわけではありませんでした。
役者志望なのに演技は恥ずかしかった高校時代
幼いころから役者を目指していたことを考えると、高校時代の本人の感覚は少し意外です。
「演技をしたい」という気持ちはありながら、人前で演じることには恥ずかしさがあったと話しています。
そのため、高校の授業では演技より音楽やダンスへ力を入れていました。
役者になりたいという夢を手放したわけではなく、高校1年生の作文でも将来の夢として役者について書いていたそうです。
16歳ごろには理想と現実の距離に悩みながらも、大学進学や一般企業への就職を自分の進路として考えてはいませんでした。
卒業前に養成所へ応募し、高校卒業後は東京へ
高校卒業を前にすると、頭の中にあった役者という仕事へ実際に動き始めます。
家族には内緒で俳優養成所のオーディションへ応募しました。
その行動をきっかけに家族との話し合いが始まり、最終的には母親との約束を交わして東京へ向かうことになります。
大学へ進学するのでも就職するのでもなく、高校卒業後の18歳で上京しました。
ただし、東京には芸能関係の知り合いも、仕事へつないでくれる伝手もありませんでした。
円井わんが芸能界へ入ったきっかけ|映画好きのバーから『獣道』へ
18歳で東京へ出た円井さんは、俳優事務所や映画関係者とのつながりを持って上京したわけではありません。
最初の映画出演へつながったのは、求人サイトで偶然見つけた一つのアルバイトでした。
知り合いゼロで上京し、映画好きが集まるバーでアルバイト
東京で生活を始めたとき、円井さんには知り合いがまったくいませんでした。
そこで求人サイトを見ていると、「映画好きが集まるバー」という言葉が目に留まります。
役者を目指して東京へ来たばかりだったこともあり、その店なら映画に関わる人と出会えるかもしれないと考えて応募しました。
店には実際に映画関係者や俳優などが訪れ、バーのママ自身も女優として活動していました。
まだ演技の仕事を得ていない18歳の円井さんにとって、そこが東京で映画の世界と接点を持つ場所になりました。
女優との偶然の出会いから内田英治監督へ
バーで働き始めると、女優として活動している女性と知り合いました。
その女性から声をかけられて観に行ったのが、内田英治監督の映画『下衆の愛』でした。
上映後には内田監督と会う機会があり、自分が役者を目指していることを伝えました。
すると、その約1か月後には映画の撮影現場へ呼ばれます。
「映画好きのバー」の求人を見つけたことから始まった出会いが、初めての映画現場までつながりました。
オーディションなしで『獣道』へ、スタイリスト助手も経験
その作品が、内田英治監督の映画『獣道』でした。
オーディションは無かったです。
出典:NB Press Online「【女優・円井わんインタビュー】『駆け出しの私に分け隔てなく接してくれるムロツヨシさんがお手本。』」(2020年11月13日)
一般的なオーディションを経て役を獲得したのではなく、監督との出会いからそのまま撮影へ進みました。
本人も2022年、自身のXで『獣道』を「私の映画デビューの作品」と振り返っています。
初めて入った映画の撮影現場は楽しく、俳優として出演する一方で、その後は約1年間スタイリスト助手としても映画の現場に関わりました。
円井わんさんは2016年から俳優活動を始めたと紹介されています。一方、本人自身は2017年公開の『獣道』を「映画デビューの作品」と表現しています。活動開始と本人がいう映画デビューは、資料上同じ意味ではありません。
円井わんの芸名の由来|「柴ちゃん」から生まれた“わん”
「円井わん」という名前は、本名の一部をそのまま使って作られたと説明されている芸名ではありません。
きっかけには、以前所属していた事務所で付けられた柴犬にまつわるあだ名がありました。
柴犬に似ているというあだ名が名前の始まり
当時、事務所の俳優から「柴犬に似ている」と言われたことから、「柴田」「柴ちゃん」と呼ばれていたそうです。
その後、食事の席で芸名を付けたいと話したところ、犬を連想した一言が返ってきました。
犬だから、“わん”でいいんじゃない?
出典:NB Press Online「【女優・円井わんインタビュー】『駆け出しの私に分け隔てなく接してくれるムロツヨシさんがお手本。』」(2020年11月13日)
こうして下の名前に「わん」を使う案が生まれました。
「ナンバーワン」「オンリーワン」と“円井”に込めた意味
「わん」には犬の鳴き声だけでなく、ナンバーワンやオンリーワンという意味も重ねています。
姓の「円井」は、丸い器のように多くのものを受け入れられる人でありたいというイメージから選んだと説明しています。
あだ名から生まれた「わん」に、自分が大切にしたい意味を加えて「円井わん」という名前になりました。
旧名義「中西麻梨香」から円井わんへ
円井わんという芸名になる以前には、「中西麻梨香」という名前で活動していた記録があります。
映画『光と禿』の公式Xは2017年8月、同作の「まりちゃん役の中西麻梨香」が新しい芸名になったとして、「中西改め、円井わん」と告知しました。
そのため、「中西麻梨香」が円井わん名義以前に使われていた名前であることは確認できます。
ただし、「中西麻梨香」が戸籍上の本名だと本人が明言した事実までは確認されていません。
「円井わんは本名?」という検索もありますが、確実に言えるのは「中西麻梨香」という旧名義から「円井わん」へ変更したことです。旧名義と戸籍上の本名は同じ意味ではありません。
『KONTORA』と『MONDAYS』|俳優として大きく変わった2つの主演作
『獣道』の撮影現場へ入ったあと、円井さんは映画を中心に出演を重ねていきました。
そのなかでも、本人が後年のインタビューで繰り返し大きな作品として挙げているのが『KONTORA-コントラ』と『MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』です。
『KONTORA』で監督と話し合う芝居を学ぶ
2019年、円井さんはアンシュル・チョウハン監督の『KONTORA-コントラ』で長編映画初主演を務めました。
撮影では、その日の撮影が終わったあとにも監督と話し、翌朝も再びディスカッションを重ねる日々だったそうです。
それ以前は、監督に対して自分の考えをどこまで話してよいのか迷うこともありました。
「こんなに、監督に言っていいんだ」と思わせてくれた監督でした。
出典:NB Press Online「【女優・円井わんインタビュー】『駆け出しの私に分け隔てなく接してくれるムロツヨシさんがお手本。』」(2020年11月13日)
『KONTORA』以降は、ほかの現場でも監督と話せるようになり、芝居に入るときの緊張も減っていったと振り返っています。
演技について監督と意見を交わすという経験そのものが、仕事の仕方を変えた作品でした。
『MONDAYS』が俳優人生へ与えた影響
続いて大きな節目となったのが、2022年公開の竹林亮監督作『MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』です。
円井さんは主人公・吉川朱海を演じました。
『KONTORA』以降も俳優を続けていたものの、コロナ禍では仕事への不安も抱えていたといい、そこへ届いた主演の話でした。
公開後は作品を観た人から声をかけられることが増え、テレビドラマへの出演依頼にも変化があったと話しています。
一番俳優人生に影響を与えてくれた作品がMONDAYSかなと思います。
出典:U-WATCH「円井わん『わくわくする心は失くしたくない』バイタリティ溢れる注目俳優にインタビュー」(2024年7月26日)
本人自身が「俳優人生に影響を与えた作品」と挙げるほど、『MONDAYS』後には仕事の幅が変わっていきました。
『虎に翼』『ばけばけ』へ、積み重ねた経験が広がったその後
2024年にはNHK連続テレビ小説『虎に翼』へ出演し、東京家庭裁判所の調査官・音羽綾子を演じました。
さらに2025年度後期の連続テレビ小説『ばけばけ』では、ヒロイン・松野トキの幼なじみである野津サワを演じています。
『ばけばけ』の撮影を経たあと、円井さんは演技について、役を外側から作り込んで見せるのではなく、その人物として現場にいることを改めて考えるようになったと語りました。
ただその人を生きるだけでいい
出典:テレ東プラス「円井わん『画がつながらないかと…』ドラマ『ストレンジ』撮影秘話明かす」(2026年7月22日)
高校時代には人前で演技をすることに恥ずかしさを感じ、18歳で知り合いのいない東京へ出た円井さん。
映画好きのバーで生まれた最初の出会いから、監督と何度も話し合う主演作を経て、俳優として仕事を続けてきました。
















