PROFILE
人物プロフィール
『ドラゴン桜』で成績優秀な高校生・小杉麻里を演じ、広く名前を知られるようになった女優の志田彩良さん。
1999年7月28日に神奈川県で生まれた彼女は、華やかな芸能界とは少し離れた藤沢市で、3歳年上の兄の後を追いかけながら育ちました。
子どもの頃から女優を目指していたわけではなく、幼い頃の夢は薬剤師でした。
ところが小学6年生のとき、母親がインターネットに載せていた一枚の写真をきっかけに事務所から声がかかり、その後はモデル活動を経て演技の世界へ進んでいきます。
今回は、そんな志田彩良さんの生い立ちや家族、中学・高校時代、芸能界入りのきっかけ、モデルを経て女優になるまでの道のりをご紹介します。
志田彩良の生い立ち|藤沢で兄を追いかけて育った幼少期
志田彩良さんの幼少期を知るうえで欠かせないのが、神奈川県藤沢市で過ごした時間です。
海のある湘南エリアで育った少女は、兄との遊びやいくつもの習い事を楽しみながら、まだ芸能界とは無縁の毎日を送っていました。
神奈川県藤沢市で生まれ育つ
公式プロフィールでは出身地を神奈川県としていますが、本人はインタビューで、より具体的に藤沢市で生まれ育ったことを明かしています。
私は神奈川県の藤沢市で生まれ育ちました。
出典:大學新聞「第52号(令和3年10月5日発行)女優・志田彩良さん」(2021年10月14日)
3歳年上の兄がいて、幼い頃は兄のすることを真似しながら遊ぶことが多かったそうです。
ゲームでも兄に負けるとそこで終わらず、自分が勝てるまで一緒に遊んでいたという思い出を語っています。
本人はこの頃の自分を負けず嫌いだったと振り返っており、兄の背中を追いかける日常の中にも、その性格が表れていました。
薬剤師を夢見た子ども時代とさまざまな習い事
幼い頃の志田彩良さんは、体操、フラダンス、水泳、ソフトテニスなど、さまざまな習い事を経験しています。
一方で、人前に立つ仕事へ一直線だったわけではありません。
子どもの頃に思い描いていた職業は薬剤師でした。
仲の良かった友人が医師を目指していたため、その友人の病院の隣で自分が薬局を開く、という話までしていたそうです。
性格は母親からマイペースだと言われ、ショッピングセンターの近い場所でも方向が分からなくなってしまうほど、よく迷子になる子どもでもありました。
幼稚園の頃には、お遊戯会の主演へ自分から立候補し、くじ引きで役を勝ち取ったこともあります。
ところが小学生になると恥ずかしがり屋になり、発表のときにも小さな声しか出せなくなったと本人は振り返っています。
幼い頃は人前に立つことも平気でしたが、小学生になると恥ずかしがり屋に変化しました。芸能界へ興味を持ち始めるのは、さらにその後のことです。
志田彩良の家族|父親・母親と3歳上の兄に囲まれて育つ
志田彩良さんは、父親、母親、そして3歳年上の兄について、インタビューで具体的な思い出を語っています。
仕事のことも含めて相談できるほど家族との距離は近く、本人の昔話には両親や兄、祖父母がたびたび登場します。
兄の真似をして遊んだ負けず嫌いな末っ子
父親と母親については面白い人、兄についてはとても優しい人だと本人は話しています。
兄は妹に物を譲ってくれることが多く、志田彩良さん自身も自分には末っ子らしいところがあると感じていました。
子どもの頃には、家族で毎年のように軽井沢にある祖母の家へ遊びに行っていたそうです。
その車中では、後部座席で兄とタオルをテントのようにかぶり、その中でオリジナルの歌を作って歌っていました。
私にとって家族はいちばん応援してくれている存在であり、いちばん相談できる相手でもあります。
出典:ぴあ映画「ネクストブレイク女優・志田彩良スペシャルインタビュー『理想の夫婦は両親。家族が大好きです』」(2021年11月16日)
祖父母との思い出も残っており、2歳頃に祖父母からもらったピンク色のタオルを、大人になってからも大切に使っていると明かしています。
家族との距離の近さは、芸能界へ入るかどうかを決める場面にも表れました。
母親が投稿した一枚の写真が人生を変える
小学6年生だったあるとき、母親がインターネットに投稿していた志田彩良さんの写真を、のちに所属する事務所のスタッフが偶然見つけました。
その一枚の写真をきっかけに声をかけられたことが、芸能界へ入る直接のきっかけでした。
後年、本人はその写真について、真っ黒に日焼けした肌にツインテール、金髪のエクステ、大きなサングラスという湘南らしい姿だったと振り返っています。
ただし、声をかけられてすぐ一人で決めたわけではなく、挑戦してみたいという気持ちを家族に相談したうえで事務所へ入りました。
2021年に公開された「100の質問」では、仕事だけでは見えにくい日常や価値観についても、志田彩良さん自身が次々と答えています。
文章のインタビューとはまた違う、当時の話し方や雰囲気が残る映像です。
志田彩良の中学・高校時代|学校生活と芸能活動を両立
中学校へ進む頃には芸能活動が始まっていましたが、学校生活そのものは地元で続けました。
本人の思い出には、撮影現場の話だけでなく、体育祭や海、友人との帰り道といった学生生活が数多く残っています。
中学時代は体育祭に熱中
中学生になると、学校生活と芸能活動を両立する日々が始まりました。
本人が中学時代で特に印象に残っていると挙げているのは、芸能の仕事ではなく体育祭です。
チーム対抗のマスゲームに力を入れ、生徒同士で曲に合わせたオリジナルの振付を考えました。
屋上から見たときにハートなどの形がきれいに見えるよう、立ち位置や動きを何度も練習したといいます。
仕事を始めていても、学校では同級生と一緒に一つの行事を作る中学生として過ごしていました。
海の近い高校で友人と過ごした青春
高校も地元・神奈川の学校へ進み、芸能とは関係のない一般の高校に通っていたことを本人が明かしています。
学校の近くには海があり、放課後は仲の良い友人たちと海へ寄ることもありました。
制服のまま海へ入ったり、スーパーで買ったスイカを持って行ってスイカ割りをしたりする高校生活だったそうです。
活発な高校時代で、今思い出しても楽しかったなと思います
出典:FINEBOYS Online「女優・志田彩良、透明感あふれる彼女が今気になる!」(2021年9月30日)
下校中に友人とその日の出来事を話してふざけ合ったり、クラスメートが所属する野球部の試合を応援したりしたことも、本人の中に残る高校時代の思い出です。
具体的な中学校名・高校名については、本人や所属事務所が示す公表資料では確認できません。ネット上の推定校名を確定情報として扱うことはできません。
大学ではなく女優の道を選んだ高校卒業後の決断
高校を卒業すると、同年代の友人たちが進学や就職へ向かう中で、志田彩良さんにもその後の進路を決める時期が訪れました。
検索では「志田彩良 大学」と調べられることも多いですが、大学へ進学する道ではなく、女優業一本で進む道を選んでいます。
しかも、その選択について迷いはなかったと振り返っています。
お芝居を一生の仕事にすると明確に意識した初めての瞬間でした
出典:FRIDAYデジタル「志田彩良 1月クールで連ドラ2本同時主演も『本格的にブレイクしたと言ってもらえるよう頑張りたい』」(2024年4月17日)
高校卒業は、芸能活動を続けるかどうかではなく、芝居を自分の一生の仕事として選び直した節目でした。
ただ、学校と仕事を両立していた中学・高校生活が始まる少し前には、すでに芸能界へ入るきっかけが訪れていました。
志田彩良が芸能界入りしたきっかけ|小6のスカウトから『ピチレモン』へ
小学6年生で事務所に入った志田彩良さんですが、実はそれ以前にも何度かスカウトを受けていました。
最初からすべての誘いに応じたのではなく、本人の気持ちが変わった時期と、母親の写真を見た事務所から声がかかった時期が重なっています。
以前のスカウトは断っていた
小学6年生でのちに所属する事務所から声がかかる前にも、何度かスカウトされた経験があったと本人は話しています。
その頃は芸能界への気持ちが強くなかったため、誘いは断っていました。
変化したのは小学5年生頃です。
テレビで活躍する人を見て芸能界の仕事を楽しそうだと感じるようになり、ドラマもよく見るようになりました。
本人は母親と一緒にドラマを見ており、『14歳の母』などを欠かさず見ていた時期もあったと振り返っています。
そのタイミングで再び芸能の仕事へつながる声がかかり、今度はやってみたいという気持ちが上回りました。
同じスカウトでも、志田彩良さん自身が芸能の仕事へ興味を持ち始めていたことが、事務所入りを決める大きな違いになりました。
女優志望でも最初はモデルからスタート
事務所へ入るとき、志田彩良さんはすでに芝居をやってみたいという希望を伝えていました。
それでも、最初の本格的な活動は演技ではありません。
当時のマネージャーから、表情の勉強になるとして雑誌モデルを勧められ、2013年にファッション誌『ピチレモン』の専属モデルとして活動を始めました。
公式プロフィールに掲載されている経歴では、専属モデルを務めた期間は2013年9月号から2015年12月号までです。
モデルを終えてから女優になったわけではありません。『ピチレモン』在籍中の2014年に初めて演技を経験しているため、モデル活動と女優活動は一時期並行していました。
表情を学ぶために始めたモデル活動の翌年、本人が希望していた芝居の仕事へつながるオーディションを受けることになります。
志田彩良が女優になるまで|初オーディション『サルビア』で主演
芸能事務所へ入ったことと、女優として演技を始めたことは、志田彩良さんの場合は別の出来事です。
女優としてのスタートは2014年、短編映画『サルビア』でした。
初めての演技が「楽しかった」
『サルビア』は、志田彩良さんにとって生まれて初めて受けたオーディションでした。
マネージャーと自己紹介やオーディションでの雰囲気の作り方まで練習し、選考に臨んでいます。
そして、初めてのオーディションで主演に選ばれました。
初オーディション、初演技、主演が同じ『サルビア』で重なったことになります。
撮影では監督から動き方を細かく教わり、特殊メイクなども初めて経験しました。
本人にとっては苦しかったという記憶より、知らないことを一つずつ体験していく楽しさの方が強く残りました。
2015年にはテレビドラマ『問題のあるレストラン』第1話で藤村五月の高校時代を演じ、映画だけでなくテレビドラマにも活動の場を広げています。
さらに2017年には『ひかりのたび』で長編映画初主演を務めました。
今泉力哉監督との出会いで生まれた芝居の軸
高校生だった2018年には、映画『パンとバスと2度目のハツコイ』に出演し、今泉力哉監督と初めて仕事をしました。
この現場で、監督が役者の意見を聞きながら芝居を作っていく姿に触れ、自分自身もどう演じたいのかを考えて伝えることを学んだといいます。
後のインタビューでは、自分の芝居の軸は今泉監督の現場で作ってもらったと振り返るほど、印象深い経験になりました。
同作の撮影後には、今泉監督から、いつか志田彩良さん主演の映画を撮りたいという言葉をかけられています。
それを聞いた志田彩良さんにとっても、今泉監督の作品で主演を務めることが一つの目標になりました。
数年後、その目標は実際に主演映画という形でかなうことになります。
『ドラゴン桜』で広がった認知
高校卒業後に女優一本で進むことを決めた後、2021年の日曜劇場『ドラゴン桜』で小杉麻里役を演じます。
小杉は学園の文系トップという成績を持ちながら、当初は大学受験に興味を示さず、卒業後の就職を考えている生徒として登場しました。
この役はオーディションで獲得しており、最初は別の生徒役の台本で選考を受け、最終オーディションで小杉麻里の台本を渡されています。
家庭環境も性格も本人とは大きく異なる役だったため、同じような境遇に関する資料を読み、ノートへ書き写すなどして撮影へ臨みました。
作品の放送後には、街で声をかけられたり、仕事先で見ていたと言われたりする機会が増えています。
『ドラゴン桜』は、本人が身近なところで反響の大きさを初めて実感した作品になりました。
放送終了後には、番組公式Xにも「ドラゴン桜メモリーズ」として、南沙良さん、西山潤さんと並ぶ志田彩良さんの当時の写真が残されています。
そして同じ2021年には、2018年から目標にしていた今泉力哉監督作品での主演が、映画『かそけきサンカヨウ』で実現しました。
小学生でのスカウトから約10年を経て、広く知られる役と、かつて自分で目標にした主演作の両方にたどり着いた年でした。
薬剤師を夢見ていた藤沢の少女は、小学6年生で声をかけられ、モデルと学校生活を重ねながら一つずつ演技の仕事を経験してきました。
高校卒業時に選んだ「芝居を一生の仕事にする」という道は、その後の主演作や多くの人に知られる役へと続いています。
















