吉澤要人の生い立ち|家族とバレエ経験、原宿でのスカウトから俳優デビューまで

吉澤要人の生い立ちと俳優への歩みを、バレエシューズ、開いた台本、舞台照明で象徴したビジュアル

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
よしざわかなめ
カテゴリー
男性俳優
出身地
東京都
生年月日
2003年7月12日
俳優デビュー
2020年
デビューのきっかけ
スカウト

ダンスボーカルグループ「原因は自分にある。」のリーダーとして活動し、映画やドラマでも主演を務めている吉澤要人(よしざわ・かなめ)さん。

2003年7月12日生まれ、東京都出身。落ち着いた低音ボイスでも知られていますが、子供のころに憧れていたのは、舞台の上で歌い踊るミュージカル俳優でした。

小学4年生のとき、父親に誘われて観た劇団四季の『ライオンキング』。その帰り道に抱いた夢からバレエを習い始め、中学1年生の終わりには、レッスン帰りの原宿で芸能事務所にスカウトされています。

今回は、そんな吉澤要人さんの幼少期や家族、学生時代、そして俳優になるまでの道のりをご紹介します。

吉澤要人の幼少期|サッカー少年がライオンキングに出会う

吉澤要人さんは、幼いころから舞台や芸能界に憧れていたわけではありません。

最初に親しんだのはサッカー。そこから小学4年生でミュージカルを観るまでに、将来の夢が大きく変わっていきました。

父の勧めでサッカーを始めた子供時代

吉澤さんがサッカーを始めたのは、幼稚園の年少のころでした。

きっかけは父親の勧め。2024年の『awesome』のインタビューでは、当時の自分には、サッカーを始めることを積極的に希望した記憶も、断った記憶もないと振り返っています。

子供のころは感受性が強く、ちょっとした出来事でも泣いてしまうことが多かったそうです。

サッカーの試合中、相手の子の顔にボールを当ててしまったことがありました。ところが、ボールを当てられた相手ではなく、当ててしまった吉澤さん自身が泣き出してしまったといいます。

その後、サッカーは長く続かなかったものの、父親から体幹を鍛えるように教えられていた経験は残りました。

後にバレエを習った際には、先生から体幹の強さを褒められることもあったそうです。

一方で、興味を持ったものにはとことん向き合う子供でもありました。釣った魚について詳しく調べるなど、好きになったことを自分で掘り下げるのが楽しかったようです。

小学4年生で観たライオンキングに憧れた

吉澤さんがミュージカル俳優に憧れるようになったのは、小学4年生のときでした。

父親から劇団四季の『ライオンキング』を観に行こうと誘われたのです。

それまでは映画やドラマを観ても、強く心を動かされる経験があまりなかったという吉澤さん。舞台に出かけたときも、どのような作品なのかよく分からないまま劇場へ向かいました。

ところが、幕が開くと印象は一変します。

目の前で歌い、踊り、物語の世界を生み出す出演者たち。その姿に夢中になり、感動して涙ぐみそうになったことを覚えているそうです。

舞台からの帰り道には、自分もミュージカルをやってみたいと両親に伝えていました。

以前、父親からダンスを勧められたときは恥ずかしくて断っていたのに、この日は自分から歌とダンスの世界へ進みたいと思ったのです。

両親もその気持ちを受け止め、ミュージカル俳優になるには何が必要なのか一緒に調べてくれました。

そこで見つかった習い事が、クラシックバレエでした。

父親と観た一度の舞台が、吉澤さん自身の意思で芸能の世界を目指す最初のきっかけになったのです。

吉澤要人の家族|父親・母親・姉とのエピソード

吉澤さんの家族は、父親・母親・姉・本人の4人家族です。

本人が2025年の写真集発売記念イベントで、父親と母親、姉がいることを明かしています。

子供のころの習い事に加えて、世界地図や美術展、韓国ドラマなど、家族との日常の中にも印象深い思い出が残っています。

父親との世界地図のクイズや幼少期の思い出

幼いころの吉澤さんにとって、父親は新しいことを知るきっかけを与えてくれる存在だったようです。

自宅には世界地図が貼ってあり、子供のころから国や大陸のパズルで遊んでいました。

なかでも好きだったのが、父親が出してくれる世界の国や首都に関するクイズです。

国の名前や場所を覚えるのが面白く、自分から父親に問題を出してもらうようお願いすることもありました。

この記憶について、世界遺産検定の公式インタビューでは次のように話しています。

父親に世界の国に関するクイズや、○○の首都はどこでしょう?みたいなのを出してもらうのが好きで、よくせがんでいました。

出典:世界遺産検定「第30回 吉澤 要人さん」

その後、高校で世界史を勉強した際にも、授業に出てくる国や地域の位置を頭の中で思い浮かべやすかったそうです。

父親とは釣りにも出かけています。

2020年の『Ray』のインタビューでは、釣りを始めたのも父親の影響だと説明。自分で釣った魚を調理することもあり、魚のさばき方も父親と練習していました。

釣りの思い出には、狙っていた魚とは別に、約80センチのウツボが釣れたことも。吉澤さんは釣り上げた魚について調べることも好きだったそうです。

父親については、2022年の『JUNON』のインタビューで格好いい存在だと話したこともありました。

釣りや読書といった共通の趣味があり、言葉にしなくても家族を気遣っているところを感じていたようです。

母親と訪れた美術展、幼いころから身近だった韓国ドラマ

母親との思い出として挙げているのが、画家アルチンボルドの展覧会です。

アルチンボルドは、果物や野菜、花などを組み合わせて人の顔を描いた作品で知られる画家。吉澤さんは、母親とその展覧会へ出かけたことをきっかけに美術が好きになったと話しています。

学校で世界史や美術を勉強するようになってからも、その興味は続いていました。

また、吉澤さんが韓国ドラマを好きになったのも母親の影響でした。

幼稚園から帰宅すると、家のテレビでは韓国ドラマの再放送が流れていたそうです。物心がついたころから、韓国ドラマが日常の一部になっていました。

2024年の『Emo!miu』のインタビューでは、母親との関係についてこんな言葉を残しています。

今でも母との会話の話題はほとんど韓ドラです(笑)。

出典:Emo!miu「吉澤要人『チアアップ』レビューインタビュー」(2024年3月28日)

母親は韓国語の勉強もしており、吉澤さん自身も2024年の取材で韓国語を学んでいると話していました。

子供のころに家庭で親しんだ作品が、成長してからも親子の共通の話題になっているのです。

姉がいる4人家族と愛犬ルーチェとの生活

吉澤さんには姉がいます。

姉の詳しいプロフィールについては確かな公表情報が限られていますが、家族構成については吉澤さん自身の発言から確認できます。

そして、家族の一員としてたびたび話題に登場するのが、愛犬のルーチェです。

2025年2月に発売したファースト写真集『ナニモノ』には、ルーチェと一緒に撮影した写真も収められました。

愛犬と写真集に登場するのは吉澤さんの希望だったものの、撮影前には少し心配があったそうです。

というのも、ルーチェは父親や母親、姉の言うことはよく聞くのに、吉澤さんの言うことはあまり聞いてくれなかったのだとか。

そこで写真集の撮影現場には両親も同行。父親にルーチェへ声をかけてもらいながら撮影を進めました。

実際の撮影では予想以上にお利口にしてくれたそうで、イベントでは愛犬の普段との違いを笑いながら話しています。

父親に舞台へ連れていってもらった子供時代から、写真集の撮影に両親が協力した2025年まで。芸能活動を始めてからも、家族との具体的なエピソードが残っています。

吉澤要人のバレエ歴|小学生から始めたクラシックバレエ

ミュージカル俳優を目指して始めたバレエは、吉澤さんの子供時代を語るうえで欠かせない習い事です。

ただし、最初のレッスンからすぐに楽しく踊れたわけではありませんでした。

女性ばかりの教室で始まった初めてのレッスン

小学4年生で『ライオンキング』を観た後、吉澤さんはクラシックバレエを習い始めました。

ところが、初めて教室へ行ったときのことは、楽しい思い出ばかりではなかったようです。

教室にいたのは約20人の女性。男子は吉澤さん一人だけでした。

もともと人前で踊ることを恥ずかしいと感じていたこともあり、その場の雰囲気になかなか馴染めませんでした。

2024年の『awesome』のインタビューでは、初回のレッスンを次のように振り返っています。

初めて行ったレッスンでは女性20人と、男は僕1人だったので、帰りたかったです(笑)。

出典:awesome「原因は自分にある。短期連載 Vol.01 吉澤要人ソロインタビュー 前編」(2024年9月24日)

当時は体もあまり柔らかくなく、踊りそのものにも慣れていませんでした。

それでも、ミュージカルの舞台に立ちたいという思いがありました。

恥ずかしさよりも、自分がやってみたいという気持ちが強かったからこそ、バレエを続けられたと本人は考えています。

中学生まで続けたバレエとダンスの経験

バレエに取り組んでいたのは、小学生から中学生にかけての時期です。

2025年のバレエ関連インタビューでは、小学4年生から中学1年生までの約4年間、クラシックバレエを習っていたと説明しています。

一方、過去の取材では始めた学年について小学5年生ごろという表現もあり、本人の説明には多少の違いがあります。小学4年生でミュージカルに憧れ、小学生のうちにバレエを始めたという流れは共通しています。

バレエの経験によって、体幹や姿勢、体の動かし方を学んでいきました。

ただし、芸能活動を始めてからは、それまで習ってきた踊り方が難しさにつながることもありました。

クラシックバレエでは背筋を伸ばし、美しい姿勢を保つことが大切です。一方、ヒップホップやR&Bのダンスでは、体を柔らかく使ったり、力を抜いたりする動きが求められます。

2020年の『FAST』のインタビューでは、この違いに苦戦したことを明かしていました。

ダンスの先生に相談したり、メンバーの長野凌大さんの踊り方を動画で確認したりしながら、少しずつ新しい動きを身につけていったそうです。

また、成長期には声変わりも経験しました。

ミュージカル『ライオンキング』のシンバを演じることに憧れていたものの、声変わりによって予想以上に低い声になったといいます。

当初は戸惑いもあったそうですが、その低音を歌や芝居に生かすようになりました。

舞台を目指して学んだバレエと、成長する中で手に入れた低い声。どちらも、その後の芸能活動で生かされる経験となりました。

吉澤要人の学生時代|中学・高校と大学進学について

吉澤さんは中学生のころに芸能界へ入り、高校時代にはグループ活動も本格化しています。

中学校や高校の具体的な学校名は確実な本人公表情報を確認できませんが、学校生活については本人がいくつもの思い出を話しています。

中学時代は部活動よりバレエに打ち込んだ

中学時代も、吉澤さんの生活にはバレエやダンスがありました。

2024年の『Emo!miu』のインタビューでは、学校の部活動には入っていなかったと話しています。

そのため、同級生が部活動で経験していたような学校行事や仲間との時間に対して、後から憧れを感じることもあったようです。

一方で、学校生活には忘れられない思い出もありました。

中学校の卒業式では、学級委員長として卒業生を代表する答辞を担当したことを明かしています。

文章は自分で考えて書いたもの。式の本番で読み進めるうちに、中学生活の思い出がよみがえってきました。

そして、大勢の生徒の前で泣いてしまったそうです。

式の後には、友人から自分も泣いたという声をかけられました。

幼いころにサッカーの試合で泣いてしまったエピソードとは少し違い、中学の卒業式では、友人たちと過ごした時間を思い返して涙を流したのでした。

なお、ネット上には東京都立川市の中学校に通っていたという説もありますが、吉澤さん本人の在籍校として確定できる情報ではありません。

芸能活動と高校生活の両立、卒業時に語った思い

高校時代には、学業と並行して「原因は自分にある。」の活動が始まりました。

2019年にグループとしての活動が本格化し、2020年にはテレビドラマにも出演。学校に通いながら、歌やダンス、芝居の仕事を経験していきました。

高校生活の途中には新型コロナウイルスの感染拡大もあり、予定していたことができなかったり、行きたい場所へ行けなかったりしたそうです。

それでも、2022年春に高校を卒業した際には、学校で過ごす何気ない毎日が幸せだったと振り返っています。

公式ブログ「始まり、終わり 吉澤要人」には、友人や先生、グループのメンバー、家族への感謝がつづられました。

2022年に高校を卒業し、芸能活動を続けながら高校生活を送りきったことが本人の言葉から分かります。

グループの関連公式アカウントでも、吉澤さんと長野凌大さんの高校卒業を記念した企画が紹介されました。

卒業を記念した企画は、二人が江の島へ出かける「凌大と要人のカメラ旅」。グループ活動の中にも、高校卒業という節目が残されました。

大学進学の情報と高校卒業後の世界遺産検定への挑戦

吉澤さんの学歴では、大学へ進学したのかどうかも気になるところです。

ただ、大学名や大学進学の有無について、本人・所属事務所による確かな公表情報は確認できません。

そのため、大学へ進学したとも、進学しなかったとも断定はできません。

一方、高校卒業後の学びについては、本人が詳しく話している出来事があります。

それが世界遺産検定2級への挑戦と合格です。

高校3年生では世界史を選択しており、授業で世界遺産や美術について触れる機会もありました。

しかし、世界史は学ぶ範囲が広く、興味を持った建造物や文化について一つひとつ深く知ることができないまま授業が終わってしまったそうです。

高校を卒業し、好きなことを勉強できるようになったときに思い出したのが世界遺産でした。

試験日まで残っていたのは、わずか2週間。

それでも、俳優の鈴木亮平さんが短い勉強期間で合格したという記事を読んで、挑戦することを決めました。

僕には2週間ある、絶対1回で合格してやろう!

出典:世界遺産検定「第30回 吉澤 要人さん」

試験を受けると決めたその日に対策テキストを購入し、高校時代の教科書や図説も活用。限られた時間で勉強を進めました。

そして、世界遺産検定2級に一度目の受検で合格しています。

父親と世界地図を眺め、国や首都のクイズを楽しんだ子供時代。高校で学んだ世界史。そして、卒業後の資格取得。

幼いころから好きだった地理や歴史について、学校卒業後も自分の意思で学びを続けていました。

吉澤要人の芸能界入り|原宿でのスカウトからEBiDANへ

吉澤さんが芸能界に入るきっかけは、中学1年生の終わりに訪れました。

意外にも、それはオーディションへ自分から応募したことではなく、バレエのレッスン帰りに立ち寄った原宿でのスカウトでした。

中学1年生の終わりに吉野家の前でスカウトされた

その日、吉澤さんは一人で渋谷のバレエスタジオへレッスンに出かけていました。

普段は都心へ出かける機会があまりなかったため、レッスンを終えた後、せっかくだから原宿に寄ってみようと思ったそうです。

原宿には大勢の人がいて、なかなか昼食を食べる場所を見つけられませんでした。

そこで竹下通りの入り口付近にあった吉野家へ行こうと、店の外に掲示されているメニューを眺めていました。

すると、突然知らない人から声をかけられたのです。

当時の吉澤さんはニット帽をかぶり、マスクも着けていました。ほとんど目しか見えない格好だったため、何か怪しまれたのではないかと焦ったそうです。

2020年の『Ray』のインタビューでは、その瞬間の気持ちをこう話しています。

びっくり・・・というか職務質問されたかな??って思いました(笑)。

出典:Ray「EBiDAN勢揃いの『FAKE MOTION – 卓球の王将 -』でドラマ初出演の吉澤要人ってどんなコ?」(2020年4月26日)

声をかけてきたのは警察官ではなく、芸能事務所のスカウトでした。

渡されたのは、興味があれば連絡してほしいという名刺。吉澤さんは、すぐに芸能界へ入ろうと決意したわけではありませんでした。

もともと目指していたのはミュージカルの舞台です。当時は芸能事務所に対して、テレビや映画など映像の仕事をするところという印象を持っていたといいます。

最初は断ることも考えましたが、バレエの先生に相談すると、挑戦してみることを勧められました。

両親も、せっかくの機会だから受けてみればいいのではないかと背中を押してくれたそうです。

そこでスカウトをきっかけに選考へ進んだものの、緊張して思うように自分のことを話せず、帰り道には落ち込んでしまいました。

しかし、約1週間後に合格の連絡が届きます。

中学1年生の終わり、原宿で偶然声をかけられたことから、スターダストプロモーションでの芸能活動が始まりました。

BATTLE BOYSから原因は自分にある。のメンバーへ

事務所に入った後は、スターダストプロモーションの若手男性メンバーが活動するEBiDAN(恵比寿学園男子部)の一員となりました。

その中で参加したのが、BATTLE BOYSというプロジェクトです。

2017年には、所属事務所の公式YouTubeチャンネルで、EBiDAN TOKYOの吉澤要人さんを紹介する個人PR動画が公開されています。

2019年7月には、自身の公式ブログでBATTLE BOYS時代を振り返っています。

まだEBiDANに入って間もないころ、同じくバレエ経験のあるメンバーと出会い、共通の話題で盛り上がれたことが心の支えになったそうです。

また、BATTLE STREETのメンバーに選ばれたときにも、忘れられない出来事がありました。

日曜日のダンスレッスン後、杢代和人さんと一緒に事務所へ呼ばれたのです。

二人は何か叱られるようなことをしてしまったのではないかと心配していたそうですが、部屋に入るとプロデューサーから手紙を渡されました。

そこに書かれていたのは、BATTLE STREETのメンバーに決まり、デビューするという知らせでした。

2020年の『FAST』のインタビューで、吉澤さんは手紙を読んだ瞬間、鳥肌が立ったと振り返っています。

その後、BATTLE STREETは2019年7月7日に正式なユニットとしてデビューし、同年8月には「原因は自分にある。」へとグループ名を変更しました。

初めて名前を聞いたときは、主語と述語がある独特なグループ名に驚いたそうです。

ミュージカル俳優を目指して始めたダンスが、やがて7人組グループでの音楽活動にもつながりました。

吉澤要人の俳優デビュー|FAKE MOTIONから初舞台へ

2019年に音楽活動でデビューした吉澤さんは、その後、テレビドラマにも出演するようになります。

芸能界に入った時期と俳優デビューの時期は異なり、俳優としての出発点は2020年でした。

2020年のFAKE MOTIONで俳優デビュー

吉澤さんが俳優デビューを果たしたのは、2020年4月放送の日本テレビ系ドラマ『FAKE MOTION -卓球の王将-』です。

演じたのは伊藤俊介役。EBiDANの先輩たちも多数出演する作品でした。

この作品が、吉澤さんにとって本格的な俳優活動の始まりとなりました。

撮影に向けては卓球の特訓も受けています。

それまでの卓球経験は、家族と温泉へ行ったときに遊んだ程度。専門の先生からフォームを教わり、練習の様子を動画で撮影して、自宅でも鏡を見ながら動きを確認していました。

最初のころは、普段使わない筋肉を動かしたため、ひどい筋肉痛にも悩まされたそうです。

撮影現場では、演技の技術だけでなく、先輩たちの振る舞いからも学ぶことが多くありました。

2024年の『awesome』のインタビューでは、撮影初日に香盤表を見ても分からないことがあり、先輩の佐野勇斗さんに質問した思い出も話しています。

現場で使う言葉や仕事の進め方を知らない状態から、一つひとつ覚えていったのです。

また、共演した先輩の演技を間近で見られたことも刺激になりました。

『Ray』の取材では、カメラが回っている状態が楽しく、映像俳優として映画にたくさん出演したいという思いを語っています。

小学生のころは舞台に立つことを目指していましたが、実際にドラマの撮影を経験することで、映像の芝居にも強く惹かれるようになりました。

2022年に初舞台『テーマ 我が家の家族』へ出演

2022年5月には、舞台『テーマ 我が家の家族』に出演しました。

吉澤さんにとって初めての舞台出演で、演じたのは高校生の桑野智弘役です。

2021年には「原因は自分にある。」のメンバーたちがミュージカルへ出演しており、その姿を見て、自分も舞台に挑戦したいと考えていたそうです。

舞台出演に向けて演技のレッスンにも取り組み、映像とは違う環境で芝居をする機会を得ました。

この作品の題材は家族です。

2022年の『JUNON』のインタビューでは、自身の父親についても話しています。

父親は釣りや読書などの趣味を持ち、バイクにも乗る人で、吉澤さんはそんな姿を格好いいと感じていたそうです。

家族を気遣う気持ちがあっても、それを言葉にするのがあまり得意ではないところも父親らしさとして話していました。

子供のころに憧れた劇団四季の舞台とは異なる作品でしたが、2022年には実際に自分自身が舞台の出演者として観客の前に立つ経験をしています。

2020年のテレビドラマ出演と2022年の初舞台。異なる演技の現場を経験しながら、俳優としての活動を重ねていきました。

吉澤要人の転機|映画初主演とバレエ経験を生かした役へ

グループでの音楽活動と俳優業を続けるなか、吉澤さんには大きな役割や仕事が次々と訪れました。

2023年にはグループのリーダーとなり、2025年には映画初出演で主演を務めています。

2023年に原因は自分にある。のリーダーへ

2023年5月、吉澤さんが「原因は自分にある。」のリーダーに就任することが発表されました。

それまでグループには決まったリーダーがいませんでした。

リーダーになった際、本人は、自分らしいリーダー像を模索していきたいとコメントしています。

また、7人の笑顔を守りながら、これまで以上に助け合えるグループにしていきたいという思いも伝えていました。

子供のころは、一人で過ごす時間を好み、集団での行動より一人でいる方を選ぶことも多かったそうです。

しかし、2024年のインタビューでは、グループで活動するようになってから、人と一緒に何かを作る時間が好きになったと話しています。

仲間と同じものを作り、その過程で思い出が生まれることを楽しむようになったのでした。

映画『BLUE FIGHT』で映画初出演・初主演

俳優として大きな転機になったのが、2025年1月31日公開の映画『BLUE FIGHT ~蒼き若者たちのブレイキングダウン~』です。

三池崇史監督が手がけた作品で、吉澤さんは赤井竜馬役として、木下暖日さんとダブル主演を務めました。

出演者は、約2,000人が参加したオーディションから選ばれています。

吉澤さんは映画初出演にして、初主演という大役をつかみ取りました。

映画の公式アカウントでも、オーディションを経て木下暖日さんと吉澤要人さんが選ばれたことが発表されています。

オーディションに臨む際には、グループのメンバーに合格を決めてくると伝えていたそうです。

グループの活動や成人式への参加を見送って、審査に集中した時期もありました。

最終審査では、限られた時間で芝居を完成させる必要がありました。

吉澤さんは、役割を決めることに時間をかけすぎないよう、自分から動いて話を進めたと振り返っています。

そして、審査の結果、自分の名前が呼ばれました。

2025年の『Emo!miu』のインタビューでは、その瞬間の気持ちについて次のように話しています。

率直に嬉しかったです。すごく嬉しかったし、ほっとしました。

出典:Emo!miu「吉澤要人インタビュー『BLUE FIGHT』」(2025年2月27日)

結果が出るまでは緊張していたものの、自分が選ばれたと分かった瞬間、その緊張がほどけていったそうです。

映画では格闘技に挑戦する青年を演じ、アクションにも取り組みました。撮影現場には三池監督をはじめ、多くの出演者やスタッフがいました。

吉澤さんは、オーディションから撮影までの時間が自分にとって大切な経験になったとコメントしています。

完成した映画のエンドロールで、自分の名前が上の方に表示されていたことにも強く感動したそうです。

2020年に初めてドラマへ出演したとき、映像の仕事が楽しく、映画にたくさん出たいと話していた吉澤さん。

それから約5年後、映画の主演としてスクリーンに立ちました。

『バレエ男子!』と2026年のドラマ初主演

2025年には、かつて打ち込んでいたバレエに関わる仕事も経験しました。

5月に放送が始まったドラマ『バレエ男子!』への出演です。

吉澤さんが演じたのは、佐々木真白役。バレエを題材とした作品で、子供のころに学んだクラシックバレエを俳優の仕事として表現する機会になりました。

もともとバレエに関する仕事をしたいという思いがあり、出演の話を聞いたときはとてもうれしかったそうです。

同じ2025年に発売したファースト写真集『ナニモノ』でも、子供のころに通っていたバレエ教室を撮影場所の一つに選んでいました。

その写真集には、映画『BLUE FIGHT』の撮影で使用したボクシングジムで撮った写真も収められています。

かつて通った教室と、映画初主演を経験した撮影場所。本人にとって思い出のある場所が、一冊の写真集にも残されました。

そして2026年1月には、読売テレビのドラマ『親友の「同棲して」に「うん」て言うまで』で、雨宮翔さんとダブル主演を務めました。

吉澤さんが演じたのは横井湊役。この作品でテレビドラマ初主演を果たしています。

父親と観た『ライオンキング』に憧れ、小学生でバレエを始めた吉澤さん。

中学1年生の終わりに原宿でスカウトされ、EBiDANでの活動を経て、2020年にテレビドラマで俳優デビューしました。

2022年の初舞台、2025年の映画初主演とバレエを題材にしたドラマへの出演、そして2026年のテレビドラマ初主演。

幼いころに舞台へ憧れて始めた経験を持ちながら、音楽、映画、テレビドラマと、それぞれ異なる表現の場で仕事を重ねてきました。