水沢林太郎の生い立ち|家族の影響と学生時代、モデル志望から俳優になるまで

水沢林太郎の生い立ちとモデル志望から俳優への歩みを、洋服、走り高跳びの競技場、台本、舞台照明で示したビジュアル

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
みずさわりんたろう
カテゴリー
男性俳優
出身地
埼玉県
生年月日
2003年2月5日
芸能活動開始
2017年
俳優デビュー
2017年
デビューのきっかけ
オーディション

俳優としてドラマや映画に出演し、ファッション誌『MEN’S NON-NO(メンズノンノ)』の専属モデルとしても活動する水沢林太郎(みずさわ・りんたろう)さん。

2003年2月5日生まれ、埼玉県出身で、身長184cmの俳優です。

2017年にドラマ『奥様は、取り扱い注意』で俳優デビューし、2025年には『おいしい離婚届けます』でダブル主演、2026年には『メルカトル・ナイト』でドラマ初の単独主演を務めました。

そんな水沢さんですが、芸能界へ入った当初の夢は俳優ではなく、ファッションモデルになることでした。

その夢を後押ししたのはファッション好きの父親で、母親が見ていた刑事ドラマ『相棒』も、演技に興味を持つきっかけの一つになっています。

さらに、16歳で出演した『俺の話は長い』では、セリフや動きが思うようにできなくなり、芝居を基礎から学び直した経験もありました。

今回は、そんな水沢林太郎さんの生い立ちや家族、学生時代、芸能界入りのきっかけから、俳優としてのデビューと転機までをご紹介します。

水沢林太郎の生い立ち|埼玉県出身・幼少期の憧れ

水沢林太郎さんは、2003年2月5日に生まれ、埼玉県で育ちました。

小学生のころから周囲の子どもたちより背が高く、その身長がファッションに興味を持つきっかけになったそうです。

幼いころは特撮ヒーローに憧れていた

幼いころの水沢さんが夢中になっていたのは、テレビに登場する特撮ヒーローでした。

2021年4月7日公開のメンズノンノの企画では、幼稚園のころに『特捜戦隊デカレンジャー』が好きで、デカレッドに憧れていたことを明かしています。

その後は『仮面ライダー』シリーズにも夢中になり、自分もヒーローになりたいと考えていたそうです。

本人が紹介した幼少期の写真には、ヒーローへの憧れとともに、赤い色への思い入れも表れています。

2019年にはメンズノンノ公式Xでも、新人モデル3人の幼少期の写真やエピソードを紹介する企画が案内されました。

2019年8月のWEBザテレビジョンのインタビューでも、子どものころに好きだった『仮面ライダー』について語っています。

一度は年齢とともに特撮番組から離れたものの、俳優の仕事に興味を持ってから再び熱中するようになったそうです。

幼少期の小さなエピソード
水沢さんは子どものころから赤色が好きで、メンズノンノの幼少期企画でも、デカレッドへの憧れと赤い服を好むことを結びつけて紹介しています。

小学6年生で身長が伸び、ファッションに興味を持つ

水沢さんの人生が少しずつ動き始めたのは、小学6年生のころでした。

成長期に入って身長が急激に伸び、それまで着ていた洋服が次々と小さくなってしまったのです。

それ以前は家族が買ってくれた服を着ていましたが、買い替える機会が増えたことで、自分の好みで洋服を選ぶようになりました。

2021年2月20日公開のメンズノンノのロングインタビューでは、当時の変化をこう振り返っています。

「着ていた服がすべて入らなくなってしまったんです。」

出典:MEN’S NON-NO WEB「水沢林太郎、狙うは最年少のダブルタイトル!」(2021年2月20日)

特定のモデルや芸能人に憧れたわけではなく、ファッション誌を熱心に読んでいたわけでもありませんでした。

自分で洋服を組み合わせることが楽しくなり、その延長にモデルという仕事があったのです。

このころはまだ、テレビドラマに出演する将来を考えていたわけではありませんでした。

水沢林太郎の家族|父親・母親・弟との関係

水沢さんには父親・母親・弟が1人いることが、本人のインタビューから確認できます。

両親は芸能界入りを後押しし、出演作品を見て喜んでくれる存在でもありました。

特に父親と母親は、それぞれ違う形で水沢さんの進路に影響を与えています。

ファッション好きの父親が芸能界入りを後押し

水沢さんの父親は、洋服やファッションが大好きな人だったそうです。

中学生になった水沢さんがモデルに興味を持ち始めると、父親は芸能界入りを勧め、実際に芸能事務所を探し始めました。

水沢さんが最初に芸能事務所のオーディションを受けた背景には、父親の積極的な行動がありました。

2026年のSTREAMのインタビューでは、当時はモデル事務所と俳優事務所の違いもよく分かっておらず、応募した先が俳優を扱う事務所ばかりだったことも明かしています。

父親の影響はファッションだけではありません。

水沢さんは子どものころからインラインスケートを経験し、中学生になるとダンスにも取り組んでいました。

読書やギターなどにも親しんできましたが、こうした幅広い経験の背景にも父親からの勧めがあったそうです。

2022年1月19日公開のnon-noのインタビューでは、父親が車やバイクを触ることも好きで、自分も一緒に手伝っていると話しています。

また、家族で意見が分かれたときには、曖昧にせず話し合う家庭だったようです。

父親については、好きなことに積極的で、自分の考えをはっきり持っている人物として語っています。

母親が見ていた『相棒』で俳優の仕事を知る

モデルになることを考えていた水沢さんに、俳優という仕事の面白さを教えたのは、母親の影響で見ていたドラマでした。

その作品が、テレビ朝日系の刑事ドラマ『相棒』です。

特に印象に残ったのは、水谷豊さんが演じる杉下右京の芝居でした。

普段は穏やかな右京が、犯人に対して突然強い口調になる場面を見て、俳優の演技に心を動かされたそうです。

2019年8月12日公開のWEBザテレビジョンのインタビューでは、そのときの印象を次のように話しています。

「ずっと穏やかな人が急にビートが変わって飛び抜ける感じが、心に来ちゃったんです。」

出典:WEBザテレビジョン「“反町隆史の息子”を好演中! 活躍が期待される16歳、俳優・水沢林太郎の目標は『仮面ライダーになる!』」(2019年8月12日)

もともと好きだった『相棒』を、今度は演技そのものに注目して見るようになりました。

そして、水谷豊さんに会ってみたいという気持ちも抱くようになります。

俳優になるつもりがなかった少年に、演技の世界へ進む興味が芽生えた出来事でした。

弟が1人|家族との小さなエピソード

水沢さんには弟が1人います。

2019年11月6日公開のTV LIFEのインタビューで兄弟について質問された際、本人が明かしています。

当時すでに水沢さんは180cmほどの高身長でしたが、弟はそれほど背が高くなかったそうです。

そのため、兄弟で洋服を貸し借りすることはできないと笑いながら話していました。

洋服が好きな水沢さんらしい、兄弟の日常が伝わるエピソードです。

また、同じインタビューでは、家族が出演作品を見て喜び、応援してくれていることも語っています。

2019年にメンズノンノのオーディションに合格した際にも、帰宅して報告すると両親が大喜びしてくれたそうです。

モデルを目指すきっかけを与えた父親にとっても、その合格はうれしい知らせだったのでしょう。

水沢林太郎の学生時代|中学の陸上部と高校生活

水沢さんは中学生のころに部活動やダンスに取り組み、高校生になると芸能活動と学校生活を両立させるようになりました。

本人の話からは、友人たちと大勢で過ごすより、自分の興味があることへ静かに向き合う時間を好んでいた様子もうかがえます。

コンピューター部から陸上部へ|走り高跳びに打ち込んだ中学時代

中学生のころ、水沢さんは最初から陸上部に所属していたわけではありませんでした。

2026年9月15日公開の楽天ブックス「推し楽」のインタビューでは、もともとコンピューター部に入っていたことを明かしています。

ところが、屋内で過ごす時間が長く、日焼けしていない肌の白さを家族に心配されたそうです。

そこで陸上部に入り、運動を始めることになりました。

入部した当初は、100メートル走や1500メートル走などの練習にも取り組んでいました。

やがて、走り高跳びに取り組む部員がいなくなったことから、顧問の先生に勧められて挑戦することになります。

自分に合っていると感じた水沢さんは、そのまま走り高跳びを続けました。

2026年5月15日公開のSTREAMのインタビューでは、1人で練習する時間について、こう話しています。

「一人でコツコツやるのが好きなんです。」

出典:STREAM「スポーツマンの役をやる上で、陸上部の経験が精神面で生きている」(2026年5月15日)

練習中は、自分の動きを確認するように独り言をつぶやくこともあったそうです。

最初は経験のある指導者が十分にいない状況でしたが、中学最後の1年間には十種競技の経験がある先生が顧問となりました。

その先生から指導を受けて、記録も伸びたと振り返っています。

陸上競技の経験は、その後スポーツ選手を演じる際にも役立つことになります。

高校時代は芸能活動と学校生活を両立

高校生になるころには、俳優としての仕事が少しずつ増えていきました。

2019年12月19日に公開したメンズノンノ公式ブログでは、自身を16歳の高校2年生と紹介しています。

そのころにはドラマや映画の撮影を経験し、メンズノンノ専属モデルにも選ばれていました。

2024年のTV LIFEのインタビューでは、高校から芸能活動を始めたこともあり、学校生活の思い出はそれほど多くないと話しています。

一方で、仕事については忙しくても好きで続けているため、つらいとは感じなかったと2021年のメンズノンノで振り返っていました。

高校時代の水沢さんは、友人関係でも特定のグループにこだわらず、そのときに一緒にいたい相手と過ごしていたそうです。

また、小説を読むことも好きで、2019年のインタビューでは長編ミステリーやライトノベルに親しんでいたことを語っています。

休日にはゲームや漫画を楽しみ、ときには友人を誘って古着屋へ出かけることもありました。

なお、水沢さんの出身高校については複数の学校名がインターネット上で紹介されていますが、本人や所属事務所による確実な確認には至っていません。

大学への進学の有無や出身大学についても、断定できる本人発言は確認できていません。

確かなのは、高校2年生だった2019年には俳優とモデルの両方で仕事を始めていたことです。

水沢林太郎の芸能界入り|モデル志望から研音所属へ

水沢さんが芸能界へ入ったのは、中学生のころにモデルという仕事へ興味を持ったことがきっかけでした。

父親が探してくれた芸能事務所のオーディションを受け、現在の所属事務所である研音との出会いにつながっていきます。

中学時代にモデルを目指した理由

中学時代の水沢さんは、身長が伸びたことで着られなくなった洋服を買い替えながら、ファッションを楽しんでいました。

さまざまな洋服を着る仕事ができれば楽しそうだと考え、モデルという職業に興味を持ちます。

ただ、この時点では芸能界の仕事について詳しく知っていたわけではありませんでした。

モデル事務所と俳優事務所の違いすら、よく分かっていなかったと後年明かしています。

2019年11月6日のTV LIFEのインタビューでは、成長期に身長が伸びたことを生かし、いろいろな洋服を着たいという気持ちでオーディションに応募していたと振り返っています。

家族に背中を押されながら、芸能事務所へ応募する日々が始まりました。

事務所のオーディションを経て芸能界へ

最初は複数のオーディションに応募していましたが、そのうちの一つで合格を経験しました。

2019年のTV LIFEのインタビューでは、その結果をもとに改めて研音へ応募したことが所属のきっかけだったと説明しています。

2017年、水沢さんは芸能事務所の研音に所属し、芸能活動を始めました。

当初の本人の希望はあくまでもモデルの仕事でした。

ところが、事務所に入ると、モデルの撮影ではなく演技のレッスンを受けることになったのです。

水沢さん自身も、なぜ俳優の勉強をするのだろうと不思議に感じていたと振り返っています。

そのままレッスンを続けていると、ほどなくしてドラマのオーディションを受ける機会が訪れました。

水沢林太郎と演技の出会い|2017年に俳優デビュー

モデルになりたくて芸能界に入った水沢さんでしたが、実際に最初の仕事となったのはテレビドラマへの出演でした。

まだ演技に慣れていない中学生が、初めて撮影現場に立つことになります。

モデル志望なのに演技レッスンが始まった

2017年8月ごろ、水沢さんは研音で演技レッスンを受け始めました。

本人によれば、最初は演技を学ぶことに前向きではありませんでした。

モデルの仕事を目指しているのに、レッスンではセリフを覚えたり芝居をしたりする必要があったからです。

しかし、レッスンを始めてから1か月もたたないうちに、ドラマのオーディションを受けることになりました。

その作品が、綾瀬はるかさん主演の日本テレビ系ドラマ『奥様は、取り扱い注意』です。

オーディションで役に選ばれたとき、水沢さんはそれまで味わったことのない達成感を覚えたそうです。

ここで初めて、俳優という仕事を続けてみたいという気持ちが芽生えました。

『奥様は、取り扱い注意』が最初のドラマ出演

2017年10月放送の『奥様は、取り扱い注意』で、水沢さんは俳優デビューを果たしました。

撮影が行われたのは、ショッピングモールのような場所だったそうです。

初めて現場へ入ると、想像していた以上に多くのスタッフが集まっていました。

レッスンでは経験したことのない人数を前に、頭の中が真っ白になってしまったと振り返っています。

どのように芝居をしたのかも、あまり覚えていないほど緊張していたそうです。

ただ、撮影が無事に終わったとき、大勢の人たちと一つの作品を作り上げることの面白さを感じました。

2020年の研音公式デビュー3周年記念インタビューでは、初めて現場で食べたお弁当がうれしく、写真を撮った記憶もあると明かしています。

出演時間は長くありませんでしたが、初めてテレビドラマの撮影を経験したことは、俳優としての出発点になりました。

その後は『THE GOOD WIFE/グッドワイフ』『ココア』『都立水商!~令和~』などに出演し、少しずつ撮影現場での経験を重ねていきます。

ただ、出演作品が増えていく一方で、芝居に対して本格的に向き合うきっかけとなる出来事が待っていました。

水沢林太郎の転機|『俺の話は長い』で経験した演技の壁

2019年、16歳になった水沢さんは、日本テレビ系ドラマ『俺の話は長い』に出演しました。

この作品の撮影中、これまでできていたはずの芝居が突然うまくいかなくなります。

同じ時期には、長年目指していたメンズノンノモデルのオーディションも受けることになりました。

16歳で芝居ができなくなり、基礎から学び直す

『俺の話は長い』で水沢さんが演じたのは、清原果耶さん演じる秋葉春海と同じ学校に通う高平陸でした。

2019年10月に放送が始まったこの作品は、水沢さんにとって芝居への考え方が変わる重要な経験になりました。

それまでは、演技について深く悩まずに仕事を続けてこられたといいます。

ところが、この作品の撮影が始まるころから、セリフを覚えられなくなり、台本に書かれた簡単な動きもうまくできなくなってしまいました。

16歳にして、俳優として初めて大きな壁にぶつかったのです。

2019年の撮影当時、作品公式Xには水沢さんが参加した現場の様子も投稿されています。

撮影中も状況はすぐには改善せず、悩む日々が続きました。

そんな水沢さんを支えたのは、監督や助監督をはじめとするスタッフでした。

丁寧に台本を読み合わせ、一つひとつ確認しながら撮影を進めてくれたそうです。

撮影を終えた後、水沢さんは滑舌や発声など、芝居の基礎から学び直すことにしました。

自分では正しいと思っていた演技を先生に見てもらい、アドバイスを受け、考えてからもう一度試すことを繰り返します。

すでに出演経験があるにもかかわらず、最初からやり直すような日々は苦しかったといいます。

それでも練習を続けるうちに、演技に対する考え方が少しずつ変わっていきました。

2021年のメンズノンノのロングインタビューでは、この経験を振り返り、演技には決まった正解がないと気づいたことを明かしています。

完璧な芝居を求め続けるのではなく、その時点で自分にできる最善を尽くすことに目を向けるようになったのです。

本人にとって『俺の話は長い』は、出演歴の一つというだけではなく、芝居への向き合い方を学び直した作品でした。

2019年にメンズノンノ準グランプリを獲得

演技のことで悩んでいた2019年、水沢さんのもとにメンズノンノモデルオーディションの話が届きました。

もともとモデル志望だったものの、当時は俳優の仕事で精いっぱいだったため、最初は戸惑いもあったそうです。

それでも、家に帰ってから改めて考え、挑戦することを決めました。

2026年6月16日のメンズノンノのインタビューでは、16歳で受けたオーディションについて、合格できるかどうかよりも、後悔しないようにやり切ることを意識していたと振り返っています。

そして2019年11月18日、第34回新メンズノンノモデルオーディションで準グランプリに選ばれました。

応募者は2,300人を超え、水沢さんは当時16歳という若さで専属モデルの仲間入りを果たしています。

メンズノンノ公式Xでも、新人モデル3人の選出が発表されました。

合格の知らせが届いたのは、仕事帰りに駅の改札を出ようとしていたときでした。

電話で結果を知らされ、帰宅後に両親へ報告すると、2人とも大喜びしてくれたそうです。

自分自身も、その姿を見てようやくモデルになれることを実感したと話しています。

2019年12月19日のメンズノンノ公式ブログには、当時の気持ちが残されています。

「これからは念願のモデルとしても本格的に活動していきます!」

出典:MEN’S NON-NO WEB「16歳の高校2年生です。念願のモデル業、これから頑張ります!」(2019年12月19日)

俳優として先にデビューし、その2年後に当初の目標だったモデルの仕事を始めたという、少し変わった順番でした。

メンズノンノの撮影では、ドラマとは違う自分の姿を発見できることが楽しかったといいます。

同期となった野村大貴さん、豊田裕大さんとも親しくなり、仕事だけでなくさまざまな話ができる仲間を得ました。

2020年には、メンズノンノ公式YouTubeチャンネルで、新人モデルとなった水沢さんの撮影風景とメッセージが公開されています。

このころには、俳優とモデルという二つの仕事に取り組む生活が始まっていました。

モデルとして新しい一歩を踏み出した一方で、俳優としてもそれまでとは違う役柄に挑戦するようになります。

水沢林太郎が俳優として歩んだ道|『相棒』出演から初単独主演へ

2019年の演技の壁を経験した後、水沢さんはさまざまな役柄を演じながら俳優としての活動を続けました。

少年役だけでなく、個性的な人物やミステリー作品の主人公を任されるようになり、仕事の幅を広げていきます。

『17.3 about a sex』を経て憧れの『相棒』にも出演

2020年、水沢さんはABEMAのオリジナルドラマ『17.3 about a sex』に出演しました。

演じたのは、ミステリアスな雰囲気を持つ男子高校生・朝日悠です。

この役は、それまで経験した役柄の中でも難しいものだったと振り返っています。

普段よりも高い声で演じる必要があり、さらに朝日悠という人物の考え方を理解することにも苦労したそうです。

撮影が終盤に差しかかるころ、ようやく役の本質が見えてきたと感じたものの、もっと早く理解できていればという悔しさも残りました。

一方で、放送後には反響が広がり、自分の出演作品をきっかけに多くの人に知ってもらえたことを実感したといいます。

そして2021年1月20日には、母親の影響で好きになった『相棒 season19』の第13話に出演しました。

演じたのは、落語家の弟子・駄々々團(だだだだん)です。

少年時代に水谷豊さんの芝居を見て俳優という仕事に興味を持ち、その後、自身も同じドラマシリーズに出演することになりました。

母親と見ていた作品が、俳優としての出演歴にも刻まれたのです。

2025年の大河ドラマ『べらぼう』に出演

2025年、水沢さんはNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』に出演しました。

この作品が大河ドラマ初出演となりました。

演じたのは、横浜流星さん演じる蔦屋重三郎の周囲で働く若者・留四郎(とめしろう)です。

留四郎は、駿河屋に集められた若い奉公人の一人で、やがて蔦重たちと関わることになります。

大河ドラマへの出演が発表された2024年4月、水沢さんは驚きと喜びを感じていることを明かしていました。

中学生のころにドラマのオーディションへ初めて挑戦してから、約7年。

メンズノンノモデルとして活動する一方で、俳優としても大河ドラマという新たな現場を経験することになりました。

『おいしい離婚届けます』のダブル主演から『メルカトル・ナイト』の初単独主演へ

2025年10月から放送された中京テレビ・日本テレビ系ドラマ『おいしい離婚届けます』では、前田公輝さんとダブル主演を務めました。

水沢さんが演じたのは、前田さん演じる弁護士・音喜多初と組んで依頼に取り組む探偵・伊勢谷海です。

変装や調査を通して事件の真相に迫る役柄で、これまでの学生役とは異なる人物を演じました。

そして2026年5月1日にHuluで配信された『メルカトル・ナイト』では、ドラマで初めて単独主演を務めました。

演じたのは、麻耶雄嵩さんの小説に登場する風変わりな探偵・メルカトル鮎です。

独特の言動や長いセリフを持つ人物で、共演者の須賀健太さんやスタッフと相談しながら役を作り上げていきました。

2026年5月15日のTVガイドWebのインタビューでは、難しい役柄だったことに加え、長いセリフを覚えられるか不安もあったと語っています。

撮影では、メルカトルが帽子を後ろへ投げてコート掛けにかける場面にも挑戦しました。

本番前に約100回も練習を重ね、撮影中に成功したときには現場が盛り上がったそうです。

また、事件の謎を解き明かす場面では、長いセリフを一人で話し続ける必要がありました。

16歳で『俺の話は長い』のセリフや動きに苦しんだ経験を持つ水沢さんが、23歳では多くのセリフを背負うミステリー作品の主人公に挑んだのです。

さらに2026年6月には、FOD SHORTのドラマ『BACK TO THE STORIES』での演技が評価され、第2回アジアショートドラマアワードの最優秀俳優賞を受賞しました。

この作品で演じたのは、莉子さん演じる主人公の初恋相手・神野陸人です。

受賞にあたり、フジテレビの公式発表では水沢さん本人の喜びのコメントが紹介されています。

「まさかこのような形で賞をいただくとは思っていませんでした。」

出典:フジテレビ「水沢林太郎 アジアショートドラマアワード『最優秀俳優賞』を受賞!」(2026年6月16日)

モデルになりたいという思いから始まった芸能活動は、俳優デビュー、演技の挫折、メンズノンノ専属モデルへの選出、そして主演や受賞へと続いていきました。

2019年のインタビューで、水沢さんは特定の俳優を目標に決めてしまうと、その人を真似するようになってしまうかもしれないと話していました。

だからこそ、憧れは持ちながらも自分自身の表現を作り上げていきたいと考えていたそうです。

モデルになるために父親と探した芸能事務所で、思いがけず出会った俳優の仕事。

その仕事に向き合い直した16歳の経験も、さまざまな作品で新しい役柄を演じるまでの歩みの一部になっています。