PROFILE
人物プロフィール
『獣電戦隊キョウリュウジャー』のキョウリュウレッドをはじめ、ドラマや映画、舞台で幅広い役を演じてきた竜星涼さん。
1993年3月24日生まれで、所属事務所・研音のプロフィールでは東京都出身と紹介されています。
ところが本人の話を詳しく追うと、生まれた場所は山形県で、育ったのは東京というルーツがあります。
さらに高校時代まで俳優を目指していたわけではなく、卒業後はパティシエの専門学校へ進み、フランスへ行くことまで考えていました。
そんな高校2年生のある日、たまたま歩いた原宿・竹下通りで声をかけられたことから、それまで考えていなかった芸能界への道が始まります。
今回は、そんな竜星涼さんの生い立ちや家族、学生時代、芸能界へ入ったきっかけ、俳優として最初の仕事やその後の転機をご紹介します。
竜星涼の生い立ち|山形で生まれ、東京で育った
竜星涼さんの生い立ちを調べると、まず気になるのが「東京都出身」という公式プロフィールと、本人が語っている山形との関係です。
ここは出生地と育った場所を分けると、すっきり整理できます。
公式プロフィールは東京都出身|本人が語った「山形生まれ・東京育ち」
研音の公式プロフィールには、竜星涼さんの出身地は東京都と記載されています。
一方、本人はテレビ番組で出身地について聞かれた際、育ちは東京で、生まれた場所は山形県だと説明しています。
パスポートなどで出生地を書く場合も山形になると話しており、幼いころから夏休みや冬休みに山形の祖母の家を訪れていました。
そのため、「東京都出身」と「山形生まれ」はどちらかが間違っているのではなく、東京都は主に育った地域、山形県は出生地という違いがあります。
竜星涼さんは1993年3月24日生まれで、出生地は山形県、主に育った場所は東京都です。
ネット上では山形県内の具体的な市名まで書かれることがありますが、本人が2026年に語った内容で確認できるのは「山形生まれ」というところまでです。
「竜星」は本名の下の名前|芸名では姓の位置に
「竜星涼」という印象的な名前から、本名が気になった人も多いのではないでしょうか。
本人は2025年放送の『おしゃれクリップ』で、「竜星」は実際の本名の下の名前だと明かしました。
つまり本名では「竜星」が名前ですが、芸名の「竜星涼」では「竜星」が姓のような位置に置かれています。
撮影現場などで「竜星さん」「竜星」と呼ばれると、本人にとっては下の名前を呼ばれているような感覚になるそうです。
ただし、本名の姓を含めたフルネームは本人や研音から公表されていません。
ネット上では姓についてさまざまな情報がありますが、本人が明らかにしたのは「竜星が本名の下の名前」という事実までです。
竜星涼の家族|山形出身の両親と一人っ子の子ども時代
山形とのつながりは、出生地だけではありません。
父親と母親も山形県出身で、祖父母が暮らす土地は竜星涼さんにとって子どものころから身近な場所でした。
父親・母親は山形出身|母の山形弁が身近にあった
竜星涼さんはインタビューで、両親がともに山形出身だと話しています。
東京で育ったため自分から山形弁が出るわけではありませんが、母親と二人で話すときには母親がかなり山形弁を使っていたそうで、方言の響きは耳に残っていました。
母親については、ファッション誌『VOGUE JAPAN』のインタビューでアパレル関係の仕事をしていたことも本人が語っています。
家のクローゼットがモノクロ中心だったという話もあり、後にモデルとしてパリのランウェイを歩く竜星さんにとって、服は子どものころから家庭の中にあるものでした。
もう一つ、家庭でよく流れていたのが矢沢永吉さんの音楽です。
小さい頃からいつの間にかYAZAWAの曲が周りで流れていました。
出典:ORICON NEWS「竜星涼の永遠のスーパースター“矢沢永吉プレイリスト” 『成りあがり』に憧れ“とがっていた時代”」(2020年8月14日)
高校生になると母親から矢沢永吉さんの自伝『成りあがり』を渡され、繰り返し読むようになります。
当時は将来について漠然と考えていた時期で、本を読んで「自分も熱くなれるものを見つけたい」と考えていたころに、のちのスカウトが訪れました。
父親について検索されることも多いものの、本人が公に語っている範囲では、父親も山形出身であることなど限られた情報しか確認されていません。
父親の氏名や職業について、本人や所属事務所が明らかにした情報は見当たりません。
兄弟姉妹はいない|祖父母の農家で過ごした夏休みと冬休み
竜星涼さんは一人っ子です。
後年、兄妹のいる役を演じた際にも、自分は一人っ子なので兄弟が欲しかったと話しており、とくに妹のいる生活に憧れがあったそうです。
一方、子どものころの長い休みには山形へ行き、祖父母と過ごしていました。
祖父母は農家を営んでおり、竜星さんは小さいころから田んぼや畑のある景色を見ながら、実際に農作業を手伝った経験もあります。
東京で生活しながら、夏休みや冬休みになると山形の祖父母のもとへ行くという子ども時代でした。
東京育ちの竜星涼さんにとって、山形の田んぼや畑はテレビや旅行で見た風景ではなく、祖父母との思い出がある身近な景色でした。
学生時代|サッカーとバスケを続け、将来はパティシエを考えた
芸能界に入るまでの竜星涼さんは、スポーツを続けながら普通の学校生活を送っていました。
高校に入った時点でも、将来の職業として俳優を考えてはいませんでした。
小学生から中学生までサッカー、高校ではバスケットボール部へ
小学生から中学3年生まではサッカーを続けています。
小学生のころにはサッカー選手を夢見た時期もありましたが、身近に自分よりうまい選手がいる姿を見て、次第に職業としてではなく好きなスポーツとして続けるようになりました。
バスケットボールも好きでしたが、中学校にはバスケ部がなかったため、そのままサッカー部に入っています。
高校では念願だったバスケットボール部へ入りましたが、途中で退部しました。
中学3年生のころにはサッカー部に所属しながら、走り高跳びが得意だったことから学校の代表として市の大会へ出場し、優勝した経験も本人が語っています。
その後は東京都の大会まで進み、周囲が陸上用のユニフォームを着る中、一人だけ学校の体操着で競技したという思い出も残っています。
田無の母校で過ごした高校生活|母に金髪にしてもらった高校デビュー
竜星涼さんは2025年放送の『おしゃれクリップ』で、東京・田無にある高校時代の母校を訪れています。
高校卒業から約14年を経て校内へ戻り、同級生とも再会しながら当時を振り返りました。
ネット上では具体的な高校名も広く挙げられていますが、本人・研音・番組公式の公表情報で確認できるのは田無にある母校というところまでです。
高校入学前には、いわゆる「高校デビュー」を狙って髪を金色にしようと考え、母親に染めてもらったことがありました。
ところが学校では金髪が認められておらず、思い描いていた高校デビューは早々に軌道修正することになります。
俳優の仕事を始めてからも普通の高校へ通い、学校では友人たちと過ごす一方、撮影現場では芸能活動をしている同世代の俳優たちに囲まれる生活になりました。
当時は矢沢永吉さんの『成りあがり』を現場へ持っていき、周囲の若手俳優に対して負けたくないという気持ちを持っていたことも後年明かしています。
18歳のころのインタビューでは、高い場所から景色を見るのが子どものころから好きで、空気の匂いから小学校時代の記憶を思い出すこともあると話していました。
パティシエの専門学校とフランス留学を思い描いていた
高校生だった竜星涼さんが考えていた進路は、俳優ではなくパティシエでした。
きっかけの一つは、小学生のころに見ていたドラマ『アンティーク ~西洋骨董洋菓子店~』です。
甘いものだけに惹かれたわけではなく、お菓子を一つの作品として作り上げる造形の美しさに興味を持っていました。
高校卒業後はパティシエの専門学校へ進み、その後フランスへ行くことまで考えていました。
会社員になるよりも、自分の手で何かを作る仕事をしたいという思いがあったそうです。
職業の選択肢として、俳優は一切なかったですね。
出典:CREA「キョウリュウジャーから個性派俳優へ 『君と100回目の恋』に出演の竜星涼」(2017年2月3日)
その進路が変わったのは、まだ高校2年生だった2009年のことでした。
高校2年生で原宿・竹下通りを歩き、研音にスカウトされた
芸能界へ入ったきっかけは、オーディションへ応募したことでも、家族が芸能事務所へ履歴書を送ったことでもありません。
2009年、高校2年生のときに原宿で研音からスカウトされたことが始まりでした。
美容室へ向かう途中、普段は通らない竹下通りへ
その日は美容室へ向かう途中でした。
東京で暮らしていたものの、本人は原宿の竹下通りを頻繁に歩く高校生ではなかったそうです。
ところがその日に限って、たまたま「少し通ってみよう」と竹下通りへ入ります。
そこで声をかけてきたのが、研音のスタッフでした。
本人の回想ではスカウト時期について「2009年夏」と語ったインタビューと「2009年秋頃」と振り返ったインタビューがあります。
季節には表現の違いがありますが、2009年の高校2年生時に原宿・竹下通りでスカウトされたという経緯は一貫しています。
反町隆史・竹野内豊の名前を見て事務所へ連絡
スカウトされたからといって、その場で「俳優になろう」と決心したわけではありません。
当時は映画やドラマを見ることは好きでも、自分がテレビの中へ入ることは現実的に考えられなかったと話しています。
もらった名刺の裏を見ると、そこには研音に所属していた反町隆史さんの名前があり、さらに竹野内豊さんの名前もありました。
竜星さんはドラマ『ビーチボーイズ』が好きだったことから、二人に会えるかもしれないという好奇心もあり、事務所へ連絡します。
芸能界へ飛び込む覚悟を固めて電話したというより、好きだった俳優たちと同じ事務所だと知ったことが最初の一歩でした。
レッスンを始めると、すぐにドラマ出演が決まった
事務所で演技レッスンを受け始めると、それまで進路に入っていなかった演技を「楽しい」と感じるようになります。
職業として俳優を考え始めたのは、スカウトされた瞬間ではなく、実際に演技へ触れた後でした。
しかも展開は非常に早く、本人の後年の回想では、レッスンを始めて間もないころには翌年出演するドラマと芸名まで決まっていたそうです。
芸能界入りは2009年のスカウトがきっかけですが、「俳優をやってみたい」という意識は、その後に演技レッスンを受ける中で生まれています。
高校在学中に『素直になれなくて』で俳優デビュー
スカウトを受けた翌年、竜星涼さんは高校生活を続けながら俳優として最初の現場へ向かいました。
研音がデビュー当時に公開した公式インタビューにも、ドラマ初出演だったことが残されています。
2010年、『素直になれなくて』で初めてのドラマ現場へ
2010年4月期のフジテレビ系ドラマ『素直になれなくて』で、高橋正文役として俳優デビューしました。
研音の当時の記事でも「ドラマ初出演」と紹介されており、所属して間もない時期の仕事でした。
まだ所属したばっかりだったのでこんなに早くドラマの依頼が来ると思いませんでした。
出典:研音Message「竜星 涼 『素直になれなくて』でドラマデビュー!」(2010年5月20日)
初めての撮影現場では、テレビで見ていた出演者たちが目の前にいる光景のほうが印象的だったようで、高校生らしく現場そのものを楽しんでいたと後年振り返っています。
一方で、数分の場面を撮影するのに数十分かかることや、先輩俳優のせりふのテンポ、間の取り方など、それまで知らなかったドラマ制作を現場で覚えていきました。
3クール連続出演を経て、高校卒業後は俳優一本に
『素直になれなくて』の後は、2010年7月期の『ハンマーセッション!』、10月期の『秘密』へ出演しました。
デビューから3クール連続でテレビドラマへ出演することになり、高校生活と撮影現場を行き来する日々が続きます。
2011年3月に高校を卒業すると、パティシエの専門学校という以前思い描いていた進路には進まず、俳優の仕事一本で歩くことを決めました。
卒業直後に出演したのが、2011年4月期のドラマ『リバウンド』です。
『リバウンド』でセリフが出なくなった新人時代
高校を卒業し、「これから俳優一本で行く」と決めて最初に臨んだ『リバウンド』では、逆にプレッシャーを感じるようになります。
撮影中にセリフが出てこなくなったことがあり、それがトラウマになったと18歳当時のインタビューで率直に話しています。
次の現場でも同じことが起きるのではないかという不安を抱えましたが、撮影が進むにつれて共演者と話せるようになり、最後には現場を楽しめるようになりました。
同じ2011年には『桜蘭高校ホスト部』にも出演し、黒魔術部部長・猫澤梅人という、それまでとは違う役柄を演じています。
このころの本人は、俳優という仕事について「なくなったら生きていけない」という自覚が生まれたとも語っていました。
スタッフ公式Xでは2016年、マネージャーの携帯に残っていた「一番古い写真」として、若いころの竜星さんの姿も公開されています。
初舞台『OZ』で演技の面白さを知り、『キョウリュウジャー』主演へ
ドラマへの出演を重ねる一方で、演技そのものについて大きな感覚を得た場所はテレビとは違う舞台でした。
2012年と2013年には、俳優としての初期キャリアを大きく動かす出来事が続きます。
2012年、初舞台『OZ』で初主演を任された
2012年2月、スタジオライフの舞台『OZ-オズ-』で主人公ムトー・ヨーを演じました。
竜星涼さんにとって初舞台であり、舞台での初主演でもあります。
ドラマとは違い、客席の前で物語を止めずに演じ続ける舞台へ、18歳で挑戦することになりました。
初日を迎えた際には、自分の課題がたくさん見えたと話し、千秋楽まで役とともに自分も成長したいと語っています。
本番中のけがで力が抜け、相手を受ける感覚に触れた
『OZ』は、単に初舞台だったというだけではありません。
本人が後年、役者の面白さに目覚めたきっかけとして振り返っている作品です。
公演中に足をけがして思うように動けなくなりましたが、それでも舞台を続けるうち、かえって肩の力が抜けていきました。
事前に考えてセリフを出すのではなく、相手が話したことを受けて自然に反応する感覚をそこで経験したそうです。
芝居ってこんなに自由で楽しいものなんだと知りました。
出典:週刊女性PRIME「竜星涼 念願のパリコレデビューで時間にルーズに?」(2016年5月20日)
スカウト後のレッスンで「演技は楽しい」と感じた段階から、実際の舞台で役者として演じる面白さを体感する段階へ進んだ出来事でした。
2013年、キョウリュウレッドのオーディションに合格
翌2013年には、テレビ朝日系『獣電戦隊キョウリュウジャー』の桐生ダイゴ/キョウリュウレッド役に選ばれました。
20歳を迎える年に、スーパー戦隊シリーズのレッドとしてテレビドラマで主演を務めます。
オーディションでは変身時のセリフも与えられましたが、最初はヒーローらしい言葉を自分が口にすることに照れや戸惑いもあったそうです。
怒られるのかと思ってたから、“あ、そっち!?”って、キョトンとしてました(笑)
出典:Deview「インタビュー『竜星 涼』」(2013年2月22日)
撮影に入ると、火花や爆発を使った場面、変身前のアクションなど、それまでのドラマとは違う経験が続きました。
中学まで続けたサッカーや走り高跳びなどで培った脚力もあり、アクション監督と相談しながら自分で動く場面にも積極的に取り組んでいます。
子どものころには見る側だったヒーローを、俳優になって3年ほどで自分が演じることになりました。
2018年にはスタッフ公式Xでも、キョウリュウレッドの衣装をまとった竜星さんの姿が公開されています。
モデルの手応えと俳優としての迷いを経て『修羅天魔』へ
『獣電戦隊キョウリュウジャー』で主演を経験した後も、竜星涼さん自身の中では「俳優として自信を持てた」という状態にはまだ届いていませんでした。
その途中で、かつてパティシエを目指していた高校生が思い描いていた「フランス」という場所へ、別の仕事で行くことになります。
2016年、パリのオーディションを経てランウェイへ
俳優活動と並行してファッションの仕事にも取り組み、2016年にはパリ・コレクションへ出演しました。
用意された仕事として参加しただけではなく、現地でオーディションを受けながらモデルとしてランウェイの仕事をつかんでいます。
2017年にもパリ・コレクションへ出演し、2年連続で世界的なファッションの舞台に立ちました。
高校生のころは「パティシエになってフランスへ」と考えていたため、職業こそ全く違いましたが、一度思い描いたパリへ、俳優・モデルとしてたどり着くことになりました。
モデルで結果が出る一方、俳優としての自信は持てなかった
ファッションの仕事では手応えを感じる出来事が増えていきましたが、演技については違いました。
本人は後年、作品ごとに現場が変わる俳優の生活そのものは自分に合っていると感じていた一方、自分が俳優に向いているのかという自信は長く持てなかったと明かしています。
同世代の俳優が賞を受ける姿を見て、羨ましさや焦りを感じた時期もありました。
テレビドラマで主演し、パリコレにも出演していても、本人の中では「俳優としてこれでいい」と思える感覚は別のところにありました。
『OZ』では芝居そのものの楽しさを知り、『キョウリュウジャー』では長期間一つの役と向き合い、パリではモデルとして結果を残しましたが、俳優としての自信を得た作品として本人が挙げたのは、その後の舞台でした。
2018年『修羅天魔』を転機にすると決め、俳優としての自信を得た
2018年、劇団☆新感線の舞台『修羅天魔~髑髏城の七人 Season極』へ出演しました。
舞台の開幕を前に、スタッフ公式Xでは竜星さんが演じた夢三郎のビジュアルも公開されています。
竜星涼さんはこの舞台へ入るにあたり、ここを自分の転機にしなければならないという気持ちを持って臨んでいます。
天海祐希さん、古田新太さんをはじめとする経験豊かな俳優たちと同じ舞台に立ち、周囲から芝居を評価されたことが、それまで足りなかった感覚を変えました。
僕にとっては、劇団☆新感線の舞台(『修羅天魔 ~髑髏城の七人 Season極』)が大きな転機となりました。
出典:MOVIE WALKER PRESS「竜星涼、『ぐらんぶる』は『裸だからこそおもしろい!』みなぎるチャレンジ精神と俳優としての転機」(2020年8月8日)
『修羅天魔』を経て、竜星涼さんは俳優として初めて自分の芝居に自信を持てるようになったと振り返っています。
高校2年生で偶然スカウトされたときには、俳優は職業の選択肢にすら入っていませんでした。
そこからドラマ、初舞台、戦隊主演、パリでのモデル経験を重ね、2018年の舞台でようやく自分の芝居を肯定できる地点まで進みました。















