奥野壮の生い立ち|兄との関係と11年のバレエ、父の応募から仮面ライダーへ

奥野壮の生い立ちと、兄との関係・11年のバレエ・仮面ライダーへの歩みを伝える人物イラスト

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
おくのそう
カテゴリー
男性俳優
出身地
大阪府
生年月日
2000年8月21日
芸能活動開始
2018年
俳優デビュー
2018年
デビューのきっかけ
コンテスト・公募

2018年、『仮面ライダージオウ』の主人公・常磐ソウゴ役で俳優デビューした奥野壮さん。

初めて演技の仕事をするまで、奥野さんが長く打ち込んでいたのは芝居ではなく、2歳から11年間続けたクラシックバレエでした。

大阪府寝屋川市で育ち、プロのバレエダンサーを目指していましたが、高校生のころにその道を離れ、一時は次に何をしたいのか分からなくなった時期も経験しています。

そのころに動いたのが父親で、2017年のジュノン・スーパーボーイ・コンテストへの応募が、奥野さんを芸能界へ向かわせることになりました。

今回は、そんな奥野壮さんの生い立ちや家族、学生時代、11年間続けたバレエ、芸能界へ入ったきっかけ、『仮面ライダージオウ』で俳優になるまでをご紹介します。

奥野壮の生い立ち|寝屋川で育ち2歳からバレエを始めた少年時代

奥野壮さんは2000年8月21日生まれ、大阪府出身です。

所属事務所のプロフィールでは出身地は大阪府とされていますが、本人は寝屋川市のインタビューで、寝屋川を「生まれ育った土地」と話しています。

寝屋川で過ごした子ども時代|よく寝るお調子者だった

2018年、奥野さんは『仮面ライダージオウ』主演中に寝屋川市の文化芸術祭へ出演し、久しぶりに地元へ帰りました。

寝屋川市駅に着くと、学校へ通った道や友人と行ったカラオケ店を見て懐かしさを感じたそうです。

子どものころは外で遊び回るタイプというより、家でゲームをしていることのほうが多かったと振り返っています。

一方で、本人が自分の性格について答えた言葉は、かなりシンプルでした。

よく寝る子でした。あと、お調子者でした。

出典:寝屋川市「仮面ライダー故郷に帰る」(2018年12月号)

2023年のインタビューでも、子どものころの自分を「マイペース」「負けず嫌い」「よく寝る子」と表現しており、昔から変わらない部分もあったようです。

寝屋川での思い出の場所には、ボウリング場とバッティングセンターがあった「ボウルバロン」を挙げ、地元へ帰ったときに食べたいものには大阪のたこ焼きを挙げていました。

2歳から11年間のクラシックバレエ|プロを夢見るまで

奥野さんの子ども時代で大きな割合を占めていたのが、クラシックバレエです。

きっかけは2歳ごろ、スーパーなどで流れていた音楽に合わせて体を動かしていた姿を母親が見たことでした。

母親は、ダンスの基礎になるバレエを習っておけば、将来ほかのダンスをしたくなったときにも役立つのではないかと考えたそうです。

そこから奥野さんはバレエを続け、その期間は11年間に及びました。

寝屋川市で子どものころの夢を聞かれた際にも、迷わずバレエダンサーになりたかったと答えています。

好きな技は、片足で回転する「ピルエット」で、厳しいレッスンで泣くことがあっても、踊ること自体は好きだったと後年のインタビューで振り返りました。

小さなころから賞をもらう経験も重なり、いつしか習い事ではなく、プロのバレエダンサーを目指すようになっていきます。

『仮面ライダージオウ』放送中の2018年11月には、本人がXでも11年間のバレエ経験を振り返っていました。

奥野壮の家族|2歳上の兄・2歳下の弟と両親との関わり

奥野さんには、2歳上の兄と2歳下の弟がいて、3兄弟の真ん中として育ちました。

家族は、バレエを始めたときだけでなく、その道を離れて芸能界へ進む場面でも大きく関わっています。

3兄弟の真ん中|兄とは話さない時期を経て同居する関係へ

検索でも関心が集まっているのが、奥野さんと2歳上の兄との関係です。

2023年のインタビューでは、兄とは子どものころからずっと仲が良かったわけではなく、中学から高校のころには約2年間ほとんど話していなかったと明かしています。

それでも大人になるにつれて互いの仕事や生活を知り、以前にはなかった相手へのリスペクトが生まれたそうです。

2023年には兄と2人で暮らしていることも話しており、仕事の時間帯が違うため頻繁には顔を合わせないものの、会えば一緒に食事へ行くこともありました。

疲れて帰ったときの兄は、奥野さんにとって安心できる存在になっていました。

お兄ちゃんの顔を見ると、ほっとするんですよね。

出典:Emo!miu「奥野壮インタビュー」(2023年10月8日)

中高生のころに長く会話をしなかった兄と、大人になって同じ家で暮らすようになったという変化も、兄について多く検索されている理由を考えるうえで興味深いエピソードです。

幼いころ、急な坂を三輪車で下るとき、兄が足をつきながら慎重に進む横で、奥野さんは勢いよく下っていったと家族から聞かされており、兄弟でも性格はかなり違っていたようです。

母がバレエのきっかけを作り、父がJUNONへ応募した

母親は、奥野さんの人生で最初に長く続くものとなったバレエを始めるきっかけを作った人物です。

スーパーで音楽に合わせて踊っていた2歳の息子を見て、ダンスの基礎としてクラシックバレエを習わせました。

結果的に奥野さんは10年以上もバレエへ打ち込み、高校生になるころにはプロを目指す環境へ進んでいます。

そして、そのバレエをやめて次の目標を見失ったときに動いたのが父親でした。

父親は、奥野さんが小学生のころに「芸能界に入りたい」と話していたことを覚えていたといい、ジュノン・スーパーボーイ・コンテストへ応募します。

母親がバレエへの入口を作り、父親が芸能界への入口を作るという形で、進路が変わる二つの場面に両親が関わっていました。

奥野壮の学生時代|バレエの挫折と高校を辞めた時期

学生時代の奥野さんは、学校生活以上にバレエへ多くの時間を使っていました。

ただ、長く続けたからこそ、プロを目指す環境へ入ったあとには、それまで経験してこなかった壁にもぶつかります。

高校生で東京バレエ団のレッスン生に|プロを目指した日々

高校生のころには、東京バレエ団のレッスン生として、プロを目指すような環境に身を置いていました。

それまで女性が多いクラスで踊ることが多かった奥野さんにとって、男性だけのクラスがある環境は新鮮だったそうです。

憧れていたのは、世界で活躍してきたバレエダンサーの熊川哲也さんでした。

踊る楽しさや、難しい技ができるようになったときの達成感があり、褒められることもうれしくて長く続けてきました。

ところが、プロを目指す人たちの中へ入るにつれて、自分が思い描いていた場所まで到達できるのかを考えるようになります。

僕は、そこで挫折しました。

出典:ブルボンpresents Shining Star「第60回 奥野壮さん②」(2025年5月25日)

長く続けてきたバレエでしたが、奥野さんはここでプロへの道から離れることを決めました。

11年続けたバレエをやめ、目標を失った約1年

バレエをやめたとき、奥野さんには代わりにやりたいことが用意されていたわけではありませんでした。

人生の半分以上を費やしてきたものがなくなり、次に何をすればいいのか分からない時期に入ります。

2023年のインタビューでは、何か別のことを始めるためにバレエをやめたわけではなかったため、やることがなくなり、約1年間ぼんやり過ごしていたと振り返っています。

別のインタビューでは、高校を辞めたいと父親へ話した際に、父親から「何かほかにやりたいことを見つけたら辞めなさい」と言われたことも明かしています。

バレエをやめた直後から俳優を目指していたわけではなく、何をしたいのかを探していた時期が先にありました。

高校を卒業しなかった奥野壮と『ジオウ』の卒業写真

奥野さんは後年のイベントで、高校を途中で辞め、卒業していないことを本人の言葉で明かしています。

その際には理由を「諸事情」と表現しており、高校を辞めた理由を一つだけに絞って説明してはいません。

そのため、芸能活動やバレエなど周辺の出来事と結び付けて、特定の理由だけで高校を辞めたと断定するのは避けたほうが実際の本人発言に近いでしょう。

そんな奥野さんにとって印象深い出来事が、『仮面ライダージオウ』の劇中で常磐ソウゴが高校を卒業した場面でした。

作品の中で卒業証書を受け取り、桜のもとで撮影した写真を、本人はその後も額縁に入れて自宅に飾っていると話しています。

実生活では手にしなかった高校の卒業証書を、初めて主演した作品の役として手にすることになりました。

奥野壮の芸能界入り|父が応募したJUNONでW受賞

バレエをやめ、高校についても進路を考えていた時期に、奥野さんの生活へ新しく入ってきたのが芸能界でした。

自分で芸能事務所へ応募したことから始まったのではなく、父親がジュノン・スーパーボーイ・コンテストへ応募したことが直接のきっかけでした。

父が覚えていた小学生時代の「芸能界に入りたい」という言葉

父親がJUNONへ応募した背景には、奥野さんが小学生のころに口にしていた言葉がありました。

本人にははっきりした記憶がなかったものの、父親は息子が以前芸能界へ入りたいと話していたことを覚えていたそうです。

2025年のインタビューでも、役者を始めたきっかけを尋ねられると、最初に父親の行動を挙げています。

父が勝手に『ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』に応募したのがきっかけです。

出典:CYAN MAN「誰もを惹きつける美しさ 奥野壮が語る“好きなこと”」(2025年11月2日)

同じインタビューでは、父親からコンテストを提案された際に軽い調子で了承したところ、本当に応募されていたとも振り返っています。

それまでプロのバレエダンサー以外の将来を具体的に描けていなかった奥野さんに、別の選択肢が現れました。

第30回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストでW受賞

奥野さんが参加したのは、2017年の第30回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストです。

最初から芸能界で成功したいという強い気持ちで会場へ向かったわけではありませんでした。

ところが会場でほかの参加者を見ると、もともとの負けず嫌いな性格が出て、「負けたくない」という気持ちで真剣に臨むようになったと振り返っています。

そして応募総数17,293人の中から、フォトジェニック賞と明色美顔ボーイ賞をW受賞しました。

当時のJUNON編集部公式Xにも、フォトジェニック賞を受賞した奥野さんの姿が残されています。

受賞まで進む過程で過去の受賞者について知り、奥野さんの中には「人の心を動かせる芝居をしてみたい」という気持ちも芽生えていきました。

受賞した時点では、芸能の道へ進むことを決めていたと後年のインタビューで話しています。

芸能の道を選び「男劇団 青山表参道X」へ

JUNONでの受賞後、奥野さんはオスカープロモーションで芸能活動を始めます。

所属事務所の公式記録では、2018年7月に「男劇団 青山表参道X」へ加入しています。

ここで注意したいのは、2017年のJUNON受賞をきっかけに芸能界へ進んだことと、俳優として演技を始めたことは同じ出来事ではないという点です。

奥野さん自身、寝屋川市で子ども時代を振り返った際には、バレエでは努力した一方で、俳優になるための努力をしてきたわけではなかったと話していました。

俳優としての最初の仕事は、その直後に訪れます。

奥野壮が俳優になるまで|初オーディションで『仮面ライダージオウ』主演

芸能界へ進んだ奥野さんにとって、演技は長年準備してきた分野ではありませんでした。

それでも、演技を習い始めて間もない時期に、平成仮面ライダー20作品目となる大きなオーディションへ挑むことになります。

演技レッスン2回で人生初の演技オーディションへ

事務所へ入った奥野さんが受けた演技レッスンは、まだ2回でした。

その段階で参加したのが、『仮面ライダージオウ』の主人公を決めるオーディションです。

本人によれば、この『ジオウ』が初めて受けた本格的な演技オーディションでした。

バレエを11年間続けてきた奥野さんですが、オーディションの自己アピールで披露したのはバレエではありませんでした。

飲食店でアルバイトをした経験から、オーディションでは鍋を振るような動きを見せて自己アピールしたと本人が振り返っています。

演技経験がほとんどない状態で挑んだオーディションでしたが、主人公・常磐ソウゴ役に選ばれました。

合格を知ったときには、誰もが知る仮面ライダーの主演に決まったことへの驚きとともに、涙が出るほどうれしかったと語っています。

『ジオウ』のオーディションについて本人が振り返る2019年のインタビュー映像も残っています。

常磐ソウゴ役で俳優デビュー|第1話を見て感じた悔しさ

『仮面ライダージオウ』は2018年9月2日に放送が始まり、奥野さんは18歳で常磐ソウゴ/仮面ライダージオウ役を演じました。

東映公式の最終回コメントでも、本人が初めて芝居を経験した作品が『ジオウ』だったと明言しており、同作が俳優としての最初の仕事です。

放送開始前の2018年8月7日には、本人のXでも主人公に決まったことを発表していました。

主演をつかんだ時点では、身体を動かすことへの自信もあり、自分は芝居もできると思って撮影へ入ったそうです。

ところが、実際に放送された第1話を自分で見ると、その感覚は大きく変わりました。

自信が絶望に変わったことを今でも明確に覚えています。

出典:テレビ朝日「最初に携わった作品がこの作品で良かった。」(2019年8月25日)

自分に足りない部分を知ったあと、撮影した芝居を見て直すことを繰り返し、視聴者の反応からも学びながら約1年間の撮影を続けました。

『仮面ライダージオウ』は2018年9月2日から2019年8月25日まで全49話が放送され、奥野さんは主人公・常磐ソウゴを1年間演じました。

最初から演技ができる状態で主演になったのではなく、主演として撮影を続けながら演技を学んでいったのが、奥野さんの新人時代でした。

11年のバレエ経験と芝居がつながっていった

俳優を始めてから、11年間続けたバレエは別の形でも奥野さんの仕事に残りました。

本人は、バレエ経験によって自分の体をどう動かせば、どのように見えるのかを理解できることが、アクションや立ち姿にも生きていると話しています。

真っすぐ立つという一見簡単な動作でも、自然に姿勢を作れることは、長年バレエを続けた経験によるものだと感じているそうです。

さらに芝居を続ける中で、毎日の積み重ねによって少しずつできることが増えていく感覚にも、バレエとの共通点を感じるようになりました。

2025年のインタビューでは、バレエについて、毎日続けることで上達し、できなかったことができるようになるのが楽しかったと振り返り、芝居にも同じような感覚があると話しています。

2歳から長く追いかけたバレエダンサーの夢はいったん途切れましたが、その直後に俳優という次の道が決まっていたわけではありません。

バレエをやめて何もしたくない時期を過ごし、父親の応募でJUNONへ出場し、芸能界へ入り、演技レッスン2回のあとに初めて受けたオーディションが『仮面ライダージオウ』でした。

俳優として最初に立った現場が、同時に演技を学び始める場所にもなったと本人は振り返っています。

『ジオウ』を終えた2019年、奥野さんはテレビ朝日の公式ブログに「最初に携わった作品がこの作品で良かった」と記しました。

バレエとは違う道で始まった俳優生活でしたが、長く続けた身体表現の経験を持ったまま、奥野さんは初めての芝居の現場へ入っていったのでした。